2018年5月8日火曜日

歴史の曖昧さ


日本史は日本書紀に始まり、日本国の歴史は神武東征に始まるというのが文献的な日本の歴史だ。しかし、神話と一体となった日本書紀は歴史書としては信用できない。特に応神天皇以前の記載は創作だとされている。

応神天皇は「宋書倭国伝」のいわゆる「倭の五王」のうちの最初の王「讃」だという説が有力だ。つまり、中国の歴史書によって日本の歴史が決定される。それ以前の日本の歴史も魏志倭人伝や、漢から与えられた志賀島の金印が古代日本の歴史的証拠となっている。

要するに、大和朝廷の成立、天皇家の成立などについては謎に包まれているという驚くべき曖昧な歴史の上に今の日本がある。日本書紀が8世紀に著されるまで日本には記録がなかった。大化の改新の時も、聖徳太子の時も、大古墳時代の5世紀にも、卑弥呼の時代にも歴史書は書かれなかった。これは、日本人のメンタリティを象徴している。ユダヤ人は旧約聖書に歴史を書き、中国では書経以降、歴史書の伝統がある。そもそも日本書紀は唐に文化国家として日本を認めてもらうために書かれたと言える。他民族との抗争もなく、王朝の交代もない日本では歴史を記録する必要もなかったと考えられる。ただし、日本書紀以降、文字文化の普及と共にさまざまな記録が残されている。

ちなみにイギリスの歴史書は9世紀のケルト系の『ブリトン人の歴史』が最も古いくらいだから、現代国家としては特に日本が遅れているわけではないが、古代文明発祥の地、中国と比較すれば1000年近く遅れている。そして、紀元前1900年頃に成立した中国の夏王朝と同じくらい、大和朝廷の成立は曖昧だ。むしろ、ある意図が働いて曖昧になるように日本書紀が創作されたと考えられる。その意図が何なのかが日本史の最大の秘密だということになる。

また、キリスト教の聖書にも曖昧さがある。歴史的なイエスの存在を知るには福音書しかないが、4福音書(マルコ、ルカ、マタイ、ヨハネ)には相違がある。福音書でもイエスの人間的/社会的な背景はどこか曖昧だ。また十字架刑についても曖昧だ。実際、福音書を読んだだけでキリスト教徒になる人間がいるとは思えないほど簡潔だ。

日本の古代史が曖昧なのは、その方が朝廷には都合が良く、武家政権になったときにはもはや検証の方法もなく、その必要も感じられなかったからだと考えられる。キリストの福音書がどこか曖昧なのは、世の終わりを前にイエスが発したメッセージを知らせることだけが大事であるとの考えや、ユダヤ教の祭司との敵対関係を明らかにすることを最優先したからかも知れない。洗脳ではなくても、意図的な曖昧さというものにも要注意だ。