23 それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。
24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。
27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 (マルコによる福音書 第 10 章)
23 Jesus looked around and said to his disciples, “How hard it is for the rich to enter the kingdom of God!”
24 The disciples were amazed at his words. But Jesus said again, “Children, how hard it is to enter the kingdom of God! 25 It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.”
26 The disciples were even more amazed, and said to each other, “Who then can be saved?”
27 Jesus looked at them and said, “With man this is impossible, but not with God; all things are possible with God.”
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これは、貧富についてのイエス・キリストの言葉です。
「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」というのが、イエスの率直な言葉です。宗教者が、貧富についてこれほど明確に述べた例はないと思います。
ただし、ブッダも人々に全ての執着心を捨てよと述べて、富に対する執着を捨てることを勧めておられる。他方、現代にいたるまで、宗教の教祖、宗教団体のトップなどは、豊かな生活をしていると人々に思われている。また、実際に巨額の布施や寄付金を集めて無税で贅沢な生活をしている宗教の教祖や団体のトップは多い。
例えば、政府が天皇神道を強制していた戦前には、天皇は物質的、経済的に何不自由のない生活をしていたし、巨額の資産を持っており、戦後も政府の予算から巨額の経済的援助を受けている。天皇が、個人的には質素な生をしていると言っても、巨額の資金を政府から得られるという前提があり、天皇という日本社会で最高の地位を法的に保証された上で、人々に富を見せつける必要のない環境での質素さてあり、本当の貧しさではない。
むしろ、質素な生活をすることで、一般国民(貧しい者が多い)の尊敬を得ようという意図が見える。質素さや、貧しさの意味が分かっていれば、天皇という地位を捨てて、一般人として生きていくべきです。いづれにしても、事実上、戦前のように、今も天皇は天皇神道の教祖なのです。
日本が80年以上前に、日米戦争や日中戦争を始めたのも、当時は皇帝という主権者の地位にあった天皇が、戦争を禁じなかったからです。法的には、当時の主権者(天皇)の責任です。軍人や政治家、一般人には当時は主権はなかったのです。だから、当時の軍部は天皇を洗脳して軍国主義を受け入れさせ、日米戦争やや日中戦争に突入していったのです。そして、300万人という国民が戦争で命を失い、それ以上のアジアの人々に犠牲を出した。しかも、昭和天皇は占領軍の総司令官のマッカーサー元帥の寛大な処置によって生き永らえ、戦後も国家の象徴と言う日本社会の最高の地位にある。天皇がかつての日本の主権者として、戦争被害にあった国民に謝罪したことは一度もない。天皇は軍部に操られていただけだという考えが一般的になっている。しかし、真実は、戦前は天皇は日本の主権者として権力を行使できる地位にあったのです。人の良い国民につけこんで、今も事実上の最高権力を主有している。天皇がテレビで「某国との戦争もやむなし」と言えば、また戦争が生じる可能性がある。天皇の扱いが戦後の日本の最大の課題だったのに、国民は天皇マジックで沈黙させられている。これが、戦後の日本の最大の課題なのです(だから、本当に霊能力を持った人物を新天皇に選ぶべきだということになる(現在の天皇家は旧天皇家として優遇するとしても))。
マッカーサー元帥との関係でいえば、天皇家は1500年にわたって政治的権力者の武家のトップを、宗教的権威で懐柔して来た歴史があり、新たな日本の権力者となった米軍のマッカーサー元帥に取り入る手練手管は、心得ていたと思われる。「自分は殺されてもよいが、国民は救ってやってくれ」と、天皇は元帥に言ったというが、それが本等の気持ちなら、まず天皇位を退位するのが本当だった。ただの、一人の日本人として戦争責任に向き合うべきであり、元帥にそういう大芝居を打つ必要はなかった。元帥はそれを見抜いていたとしても、天皇の日本人に対する影響力を考慮して天皇を処分することはなかった。
(ただし、元帥は、天皇から皇帝としての権力は、はく奪する新憲法を日本に与えることにした。これが、戦後の民主主義日本の始まりなのです。キリスト教徒のマッカーサー元帥が作った国になったと言える。日本の支配者が、天皇を利用した旧軍部から、天皇を管理するアメリカ軍に変わったのです。キリスト教の光で、日本人の心は照らされ、自由が人々に与えられたのです。)
なお、この天皇の言葉は、当時、まだ天皇家による洗脳から抜け出せない国民は騙せても、キリスト教の教育を受けてきた元帥には、本当は通用しない言葉です。天皇は元帥に金融証券などを差し出して、「これを国民のために使ってくれ」と言ったと言われているが、本当に敗戦して貧困の中に投げ出された国民を救う気持ちがあれば、自ら国民に与えるべきだった。戦争被害者を皇居に招くべきだった。しかし、天皇家は戦後は自らの生き残りに専心していたのです。
天皇家の最大の課題は、「生き残ること」です。過去の1500年間にわたって、日本の政治的権力者をうまく扱って成功して来たので、天皇家には権力者を扱う豊富なノウハウがある。キリスト教徒のアメリカ人のマッカーサー元帥に対しては、皇太子の家庭教師としてアメリカ人の女性を選び、またその結婚相手にキリスト教系の大学出身者の女性を選ぶなどして、皇室がキリスト教を受け入れる姿勢を見せて、元帥を安心させている。
一時は、国民の間にもキリスト教ブームが起きたが、やがて、元帥がアメリカの大統領に解任されると、皇室もアメリカの最高権力者は占領軍の司令官ではないことに気づき、日本を去る元帥を見送りもせず、「生き残り戦略」のターゲットをアメリカの大統領に向けるようになった。この1950年台の影響が今も続いており、天皇家は自分たちの生存を保証するのは、アメリカ大統領との友好関係だと理解するようになった。今でも、アメリカ大統領が、先の戦争における天皇の責任を持ち出せば、たちどころに天皇家の権威は失墜する。
まだ、天皇洗脳から抜けきれない日本人は「天皇が日米戦争で苦労して、戦後の新憲法を導入した」と勘違いしているが、天皇は新憲法の成立とは関係がない。命を失うことを心配していた天皇は、「象徴」という地位を、憲法で保障されれば、安心して新憲法を受け入れる気持ちになったのであり、戦前は神格を持った存在として国民の上に立っていたのに、アメリカによる生存保証が得られると分かった時点で「人間宣言」を行い、ただの日本人の一人であるという、当たり前のことを認め、アメリカ政府を安心させた。これは、「もう二度と宗教的権威で国民をアメリカと戦わせることはしません」というアメリカへのメッセージだった。
戦後は、アメリカのキリスト教精神に裏付けられたアメリカ式の民主主義を基盤とする日本国憲法のもとで、日本は平和と繁栄を謳歌し、現在にいたっている。だから、日本人はアメリカに特別な親近感を今も持っている。ただし、これはアメリカの政治力や軍事力のお陰ではなく、アメリカのキリスト教のお陰なのです。
真摯なキリスト教徒の多いアメリカは、キリスト教の威力によって現在も世界の文明を主導し、政治、経済、軍事、文化の点で人類を代表している。ただし、悪魔はアメリカ社会にも入り込み、アメリカのキリスト教は混乱し、文化は反キリスト的な様相も見せている。それでも、オバマやトランプの人気は、キリスト教と関係がある。今でも、アメリカの大統領は、宣誓式で聖書に手をあてて神様に忠誠を誓って大統領職に就任する(ローマ法王に誓うわけではない)。
天皇家を頂点とする日本のエリートや支配層は、そこまでは、キリスト教の神は受け入れられない。日本国民を管理、支配するには、まだ天皇神道が必要だと分かっており、伝統的な神道の精神がまだ重んじられている。
日本社会では、有名人がさらに評価を高め、安全を得るには天皇礼賛が最も効果がある。だから、著名人には天皇崇拝者が多い。
しかし、現在の日本社会の本当の基盤は、現憲法であり、その憲法はキリスト教精神に基づくものなのです。そういう日本の社会は準キリスト教国だとして欧米で認めらており、G7という世界のリーダーの中に日本も選ばれている。伝統的な日本的霊性と合わせて、キリスト教の威力が発揮されているのが現在の日本なのです。つまり、日本人は、神道や仏教の神仏を否定する必要はなく、キリスト教の理解を深めることが求められている。全ては霊的な世界で統一されるのです。
そのキリスト教は、本当は「物質的な富を否定し、かつ、貧しさから人々を救う」宗教だということを、日本人は、改めて理解する必要があるのです。