20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。(ルカによる福音書 第 11 章)
20 But if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come upon you.
21 “When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe. 22 But when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up his plunder.
23 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
24 “When an impure spirit comes out of a person, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, ‘I will return to the house I left.’ 25 When it arrives, it finds the house swept clean and put in order. 26 Then it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that person is worse than the first.”
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AIでは、この「悪い他の七つの霊」という箇所は、「ただ悪いものを追い出すだけでは足りないという警告として読まれます。心の中が空になったままだと、前より悪い状態に戻るという意味です。日本語の解説でも、神の言葉を聞いて守ることや、聖霊によって満たされることが大切だと説明されています (jelckamata.com)」とされ、さらに、「ここでの七つは、文字通りの数としてだけでなく、強さや完全さを表す象徴として理解されることがあります。つまり、前より深刻になった状態を強く示す言い方です (ministryvoice.com)」と説明されている。
人間が、何かを考える前に、心に余裕があれば、何を考えようかと考える。そのときに、悪霊が取り付いて、人の心に影響を与える。正か邪か(たいてい安易な邪を選ぶ)、損か得か(たいてい、少しでも得をしようと考える)と迷って、結果として、人間は神様の教えや道徳的な正しさ、理性的な判断より、自分の目先の利益を中心に考えることが多い。しかし、神様への信仰心が強い信仰者が、「絶えず祈れ」という聖母マリアの言葉に心を留めていれば、何かをどのように祈ればよいのかは迷うことはない。
いわゆる空虚な心の状態に、悪魔が入り込んで邪悪なことを考えさせる瞬間を防ぐことができる。
また、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するもの」だというイエス・キリストの言葉は、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9:50など)というイエスの言葉と対になっていて、敵と味方に対するイエスの判断がよく現れている。
イエスの言葉に反対する者は、信仰の味方ではないが、反対しない者は、弟子たちの味方だとして、できる限り見方を広めるように述べておられる。信仰で神様を取るか、神様を拒絶するかは、妥協の余地のない厳しい問題だが、弟子たちの見方を増やすという観点からは、消極的な賛成でも味方だと考えよと述べておられる。
これは、悪魔との戦いの厳しさと、愛と信仰を広めるための寛容さの必要のバランスが求められることを意味する。
「強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分ける」という言葉は、冷酷なこの世の現状を指摘し、また、霊的にも強弱の関係があり、強力な悪魔の前では、生半可な信心では、対抗できないことを述べておられる。だから、敵・味方の判断は重要なのです。
従って、「わたしと共に集めない者は、散らすものである」と述べて、常にイエスと共にあって、悪魔に隙を見せるなということを意味しておられる。イエスと共に、信仰生活をするならば、神様の教えから悪魔に散らされて、この世の過酷さの中で、きりきり舞いにれると言っておられる。信仰者になったつもりでも、常に悪魔のもたらす試練があるのです。
これは、信仰者の死角から、突如として悪魔が襲ってきたり、心の隙間や間隙から誘惑が生じてきて、人を惑わし、地獄に連れ込もうとすることを意味している。
AIでは、「その人の後の状態は初めよりももっと悪くなる」については、「表面的に整っただけでは本当の回復ではない、という意味で読むとわかりやすいです。外側だけでなく、考え方や生き方まで変わることが大切だと示しています (wol.jw.org)」と解説されている。これは、病気との戦いでも同様です。一時的に良くなったと思っても、根本的な治療が行われなければ、対処療法で終わってしまう。完治や完全寛解などに至るには、対処療法だけでは不十分です。応急処置であれば、一時的に対処療法でもいが、その後に、本格的な措置が必要なのです。
医薬品などの使用で、暫くは症状が治まっても、根っこの問題が解決されていなけれな、症状はぶり返すのです。特に、内科や精神科などでは、一時的に改善しても、生活の悪習や環境的問題が改善されなければ、症状は繰り返す。この意味から、現代医学の治療と、東洋医学の生命の根本の迫るような治療や気などの精神的な療法を併用することが望ましい。普通は、職場環境や生活状態などが、根本治療のカギになる。「病は気から」というが、「病は職場や生活の中の悪から」だということになる。
ただし、「心霊治療などは、人間の魂のレベルで、健康を取り返させるので、効果がたちどころに現れることになる。
信仰心でも、より深く神様とイエス・キリストを理解することが、人と世の中の救いにつながる。だから、大学で神様について研究する神学部が必要なのです。
なお、AIでは、「欧米では、古い大学の一部がキリスト教の伝統と深く結びついていて、神学が伝統学部として残っていることがあります。一方で、すべての大学がそうではなく、宗教色の薄い大学や実学中心の大学には神学部がないのが一般的です(timeshighereducation.com)」とされている。





