12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (テモテへの手紙二 第 3 章)
12 In fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted, 13 while evildoers and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived. 14 But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it, 15 and how from infancy you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus. 16 All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, 17 so that the servant of God[a] may be thoroughly equipped for every good work.
+++ +++ +++
Wikipedia によれば、「『テモテへの手紙二』は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。しかし教会のシステムがパウロの時代より進歩しすぎている点や、使っている神学用語や文体の言い回しから使徒パウロが書いたものではないとされ、偽書(疑似パウロ書)と考古学的にはされている」とされている。
また、「自らが「世を去る時が近づきました」(4:6)と考えているパウロは「愛する子テモテ」(1:2)に対して熱意と不動の信仰によって誤った教えに立ち向かうよう求めている」とされている。
しかし、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」ものであるとして、強い信仰の言葉が記されている。また、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」として、信者の厳しい運命についても述べている。著者がパウロであるか否かに拘らず、イエス・キリストへの純粋で強い信仰を現したものである。
そして、「自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい」と信仰者の生きる姿勢について、アドバイスをしている。
だから、聖書は聖霊によって書かれたものだとして、神聖な書物だととして扱う必要がある。また、神様やイエス・キリストを信じる者は、悪魔の影響を受けた世の中では迫害されると注意している。それでも、信者は学んだ事から動かされることなく、その信仰心にとどまれと励ましている。
悪魔との戦いで多くの苦しみ受け、信仰にゆらぎや疑問を持つことがあっても、神様やイエス・キリストを信じて、決して悪魔の誘惑や詐欺的行為に惑わされてはいけない、というのが信者への勧告なのです。
つまり、信仰とは明白な真理に従うものであり、疑いようのない事実に基づくものなのです。しかし、悪魔はそのような信者を攻撃する。悪魔の手先となった人間を使って信者を攻撃する。攻撃された信者は、なぜ自分が攻撃されるのか理解できない。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ攻撃されるのかと悩むことになる。神様を信じること自体が、悪魔の敵となること意味し、悪魔に従う人間から攻撃されるのです。
逆に、人からわけもなく苦しめられることが、神様に従う者であることを証明する。悪魔の手先は、神様を信じる心を見せる信者を攻撃して、悪魔から褒められたいと思って、本能的に嫌い、攻撃するのです。
そして、悪魔は、そのような神様を信じる心を破壊しようとして、さまざまな手練手管を使い、信者の心をゆさぶる。しかし、信仰の心から動かなければ、信者は悪魔から守られる。神様を信じる者を見ると、本能的に攻撃するのが、悪魔とその手先なのです。理由などなくても、相手は攻撃してくる。その理由が分からなければ、信者は悩むが、それでも、自分の信仰を信じろというのが、この書物の主張なのです。
そして、聖書には神様の霊が現れている、と考えることで、信者は救われるのです。
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (テモテへの手紙二 第 3 章)
12 In fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted, 13 while evildoers and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived. 14 But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it, 15 and how from infancy you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus. 16 All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, 17 so that the servant of God[a] may be thoroughly equipped for every good work.
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Wikipedia によれば、「『テモテへの手紙二』は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。しかし教会のシステムがパウロの時代より進歩しすぎている点や、使っている神学用語や文体の言い回しから使徒パウロが書いたものではないとされ、偽書(疑似パウロ書)と考古学的にはされている」とされている。
また、「自らが「世を去る時が近づきました」(4:6)と考えているパウロは「愛する子テモテ」(1:2)に対して熱意と不動の信仰によって誤った教えに立ち向かうよう求めている」とされている。
しかし、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」ものであるとして、強い信仰の言葉が記されている。また、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」として、信者の厳しい運命についても述べている。著者がパウロであるか否かに拘らず、イエス・キリストへの純粋で強い信仰を現したものである。
そして、「自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい」と信仰者の生きる姿勢について、アドバイスをしている。
だから、聖書は聖霊によって書かれたものだとして、神聖な書物だととして扱う必要がある。また、神様やイエス・キリストを信じる者は、悪魔の影響を受けた世の中では迫害されると注意している。それでも、信者は学んだ事から動かされることなく、その信仰心にとどまれと励ましている。
悪魔との戦いで多くの苦しみ受け、信仰にゆらぎや疑問を持つことがあっても、神様やイエス・キリストを信じて、決して悪魔の誘惑や詐欺的行為に惑わされてはいけない、というのが信者への勧告なのです。
つまり、信仰とは明白な真理に従うものであり、疑いようのない事実に基づくものなのです。しかし、悪魔はそのような信者を攻撃する。悪魔の手先となった人間を使って信者を攻撃する。攻撃された信者は、なぜ自分が攻撃されるのか理解できない。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ攻撃されるのかと悩むことになる。神様を信じること自体が、悪魔の敵となること意味し、悪魔に従う人間から攻撃されるのです。
逆に、人からわけもなく苦しめられることが、神様に従う者であることを証明する。悪魔の手先は、神様を信じる心を見せる信者を攻撃して、悪魔から褒められたいと思って、本能的に嫌い、攻撃するのです。
そして、悪魔は、そのような神様を信じる心を破壊しようとして、さまざまな手練手管を使い、信者の心をゆさぶる。しかし、信仰の心から動かなければ、信者は悪魔から守られる。神様を信じる者を見ると、本能的に攻撃するのが、悪魔とその手先なのです。理由などなくても、相手は攻撃してくる。その理由が分からなければ、信者は悩むが、それでも、自分の信仰を信じろというのが、この書物の主張なのです。
そして、聖書には神様の霊が現れている、と考えることで、信者は救われるのです。