2026年10月21日水曜日

「神の国はすでにあなたがたのところにきた」 (ルカによる福音書 第 11 章) (then the kingdom of God has come upon you)



20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。(ルカによる福音書 第 11 章)

20 But if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come upon you.
21 “When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe. 22 But when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up his plunder.
23 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
24 “When an impure spirit comes out of a person, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, ‘I will return to the house I left.’ 25 When it arrives, it finds the house swept clean and put in order. 26 Then it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that person is worse than the first.”

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AIでは、この「悪い他の七つの霊」という箇所は、「ただ悪いものを追い出すだけでは足りないという警告として読まれます。心の中が空になったままだと、前より悪い状態に戻るという意味です。日本語の解説でも、神の言葉を聞いて守ることや、聖霊によって満たされることが大切だと説明されています (jelckamata.com)」とされ、さらに、「ここでの七つは、文字通りの数としてだけでなく、強さや完全さを表す象徴として理解されることがあります。つまり、前より深刻になった状態を強く示す言い方です (ministryvoice.com)」と説明されている。

人間が、何かを考える前に、心に余裕があれば、何を考えようかと考える。そのときに、悪霊が取り付いて、人の心に影響を与える。正か邪か(たいてい安易な邪を選ぶ)、損か得か(たいてい、少しでも得をしようと考える)と迷って、結果として、人間は神様の教えや道徳的な正しさ、理性的な判断より、自分の目先の利益を中心に考えることが多い。しかし、神様への信仰心が強い信仰者が、「絶えず祈れ」という聖母マリアの言葉に心を留めていれば、何かをどのように祈ればよいのかは迷うことはない。

いわゆる空虚な心の状態に、悪魔が入り込んで邪悪なことを考えさせる瞬間を防ぐことができる。

また、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するもの」だというイエス・キリストの言葉は、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9:50など)というイエスの言葉と対になっていて、敵と味方に対するイエスの判断がよく現れている。

イエスの言葉に反対する者は、信仰の味方ではないが、反対しない者は、弟子たちの味方だとして、できる限り見方を広めるように述べておられる。信仰で神様を取るか、神様を拒絶するかは、妥協の余地のない厳しい問題だが、弟子たちの見方を増やすという観点からは、消極的な賛成でも味方だと考えよと述べておられる。

これは、悪魔との戦いの厳しさと、愛と信仰を広めるための寛容さの必要のバランスが求められることを意味する。

「強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分ける」という言葉は、冷酷なこの世の現状を指摘し、また、霊的にも強弱の関係があり、強力な悪魔の前では、生半可な信心では、対抗できないことを述べておられる。だから、敵・味方の判断は重要なのです。


従って、「わたしと共に集めない者は、散らすものである」と述べて、常にイエスと共にあって、悪魔に隙を見せるなということを意味しておられる。イエスと共に、信仰生活をするならば、神様の教えから悪魔に散らされて、この世の過酷さの中で、きりきり舞いにれると言っておられる。信仰者になったつもりでも、常に悪魔のもたらす試練があるのです。

これは、信仰者の死角から、突如として悪魔が襲ってきたり、心の隙間や間隙から誘惑が生じてきて、人を惑わし、地獄に連れ込もうとすることを意味している。

AIでは、「その人の後の状態は初めよりももっと悪くなる」については、「表面的に整っただけでは本当の回復ではない、という意味で読むとわかりやすいです。外側だけでなく、考え方や生き方まで変わることが大切だと示しています (wol.jw.org)」と解説されている。これは、病気との戦いでも同様です。一時的に良くなったと思っても、根本的な治療が行われなければ、対処療法で終わってしまう。完治や完全寛解などに至るには、対処療法だけでは不十分です。応急処置であれば、一時的に対処療法でもいが、その後に、本格的な措置が必要なのです。

医薬品などの使用で、暫くは症状が治まっても、根っこの問題が解決されていなけれな、症状はぶり返すのです。特に、内科や精神科などでは、一時的に改善しても、生活の悪習や環境的問題が改善されなければ、症状は繰り返す。この意味から、現代医学の治療と、東洋医学の生命の根本の迫るような治療や気などの精神的な療法を併用することが望ましい。普通は、職場環境や生活状態などが、根本治療のカギになる。「病は気から」というが、「病は職場や生活の中の悪から」だということになる。

ただし、「心霊治療などは、人間の魂のレベルで、健康を取り返させるので、効果がたちどころに現れることになる。

信仰心でも、より深く神様とイエス・キリストを理解することが、人と世の中の救いにつながる。だから、大学で神様について研究する神学部が必要なのです。

なお、AIでは、「欧米では、古い大学の一部がキリスト教の伝統と深く結びついていて、神学が伝統学部として残っていることがあります。一方で、すべての大学がそうではなく、宗教色の薄い大学や実学中心の大学には神学部がないのが一般的です(timeshighereducation.com)」とされている。


2026年10月20日火曜日

イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれ・・・(マルコによる福音書 第 5 章) (At once Jesus realized that power had gone out from him)


25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。(マルコによる福音書 第 5 章)

25 And a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years. 26 She had suffered a great deal under the care of many doctors and had spent all she had, yet instead of getting better she grew worse. 27 When she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak, 28 because she thought, “If I just touch his clothes, I will be healed.” 29 Immediately her bleeding stopped and she felt in her body that she was freed from her suffering.
30 At once Jesus realized that power had gone out from him. He turned around in the crowd and asked, “Who touched my clothes?”
31 “You see the people crowding against you,” his disciples answered, “and yet you can ask, ‘Who touched me?’ ”
32 But Jesus kept looking around to see who had done it. 33 Then the woman, knowing what had happened to her, came and fell at his feet and, trembling with fear, told him the whole truth. 34 He said to her, “Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering.”

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これは、「長血の女」としてよく知られた、イエス・キリストによる癒しの物語りです。

AIでは、「聖書の「長血の女」は、病気そのものよりも、信仰と回復の物語として読むと分かりやすいですよ。登場箇所は主にマルコによる福音書 5章25〜34節、マタイによる福音書 9章20〜22節、ルカによる福音書 8章43〜48節です。日本聖書協会の案内でも、福音書はイエスの言行と死と復活を伝えるものとして説明されています(bible.or.jp)」と、説明されている。

「長血の女」が、イエスの衣にさわっただけで、イエスの癒しの力を受けることができた。イエスは、その時、「自分の内から力が出て行ったことに気づかれ」とされている。これは、イエスが癒しの超能力・例能力を持ったいたことを示している。今の言葉で言えば、心霊治療をしたことになる。

AIによれば、心霊治療家については、「日本では、いわゆる心霊治療家に近い存在は、個人名よりもまず民間の宗教職能者として語られることが多いです。代表例は イタコ、ユタ、祈祷師、山伏 です (kotobank.jp)」とされている。

また、「心霊やスピリチュアルの世界で名前が挙がりやすい人物なら、海外ではダニエル・ダングラス・ホーム、ユサピア・パラディーノ、レオノーラ・パイパー、アイリーン・ギャレットなどが有名です。コトバンクの霊媒の解説でも代表的な霊媒として挙げられています (kotobank.jp)」とされている。この中には、神様への信仰心がない、超能力者もいるが、イギリスの故ハリー・エドワーズのように、敬虔なキリスト教徒もいる。

他にも、フィリピンやブラジルの心霊治療家が有名です。彼らは、主にキリスト教への信仰心が強く、神様の霊が自分に宿って治癒力を与えてくれ、念力などの精神力で病人を癒したことで有名です。

日本では、空海が密教の加持の力で人々の病を癒したことが知られており、また、明治初期の長南年恵は、病人の差し出したビンの中に神の水と呼ばれる治療水を生じさせ、さまざまな病気を癒した。長南は、空海を強く信仰していたという。

また、平成の時代に超能力サラリーマンとして手かざしによる治療を行った高塚光も有名です。高塚は宗教とは縁のない人だったが、一般市民や政治家、さらに、皇族まで癒したという。

このように、宗教心がなくても、超能力で人を癒す人はいる。また、故塩谷信男医師のように、その治療に手かざしなどの超能力を取り入れ、さらには、心霊的な呼吸法を開発して、現代医学を超えた治療を行った人もいる。

要するに、人間には自然治癒力の他に、精神力による治癒力や、霊的な力を霊界から呼び込んで人を癒す力がある。

イエス・キリストにも、当然、霊界から神様の力を呼び込んで、病人を精神力で癒すことができた。それが、福音書に記録されている。

イエス・キリストの治癒力については、AIで「イエス・キリストの治癒力とは、単に病気を治す力だけではなく、心、体、人との関係、そして生き方を回復させる力を指すことが多いです。新約聖書では、イエスが人々の病や苦しみを癒やしたことが繰り返し語られています(bible.or.jp)」と説明されている。

医学という科学の力ではなく、神様への信仰心が、人間の精神に治癒力を与えるということです。

ただし、信仰心のない人間でも、その霊の状態や精神の状態が、霊界に通じるようであれば、肉体に霊能力を発揮して病を癒すことができる。人の心や霊の状態は、普通、他人には分からないので、そのような心霊治療家は、特別な精神を持っているのだと考えるしかないが、科学では証明できない心や霊の力は、誰でも持っているので、心や霊を一定の方向に向ければ、治癒力が得られると思われる。その方向を意識せずに向いている人もいれば、宗教的な修行の結果として得る人もいる。又は、イエスのように、生まれつき神様からそのような力を与えられている人もいる。心霊治療家は千差万別だが、そのような精神的な治療に効果があることは、アメリカの医学界では認められており、さらに、祈りの治療効果も認められている。

日本人の医者で「笑い」の治療効果を調べた人もいるが、精神状態が肉体に与える影響は、日本の医学界でもよく知られている。

イエス・キリストの治癒力から、学ぶべきことは、神様への信仰心が霊界に通じて、霊界から治癒力が与えられるということです。科学に基づく現代医学では解明できない霊的・精神的な治癒力というものは、確かに存在するということです。

なお、UFOで地球にやってくる宇宙人に病を癒してもらったという例はアメリカでは多いが、宇宙人も霊能力を使っていると思われる。宇宙人の母星の社会には、病院もないという話しが伝わっている。

日本にも、そのような治癒力を持った霊能者が増えてもらいたいものです。



2026年10月19日月曜日

「天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」 (ヨハネによる福音書 第 1 章) (you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man”


40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
41 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。
42 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。
43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。
44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
48 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。
49 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。
50 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。
51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。(ヨハネによる福音書 第 1 章)

40 Andrew, Simon Peter’s brother, was one of the two who heard what John had said and who had followed Jesus. 41 The first thing Andrew did was to find his brother Simon and tell him, “We have found the Messiah” (that is, the Christ). 42 And he brought him to Jesus.
Jesus looked at him and said, “You are Simon son of John. You will be called Cephas” (which, when translated, is Peter).
43 The next day Jesus decided to leave for Galilee. Finding Philip, he said to him, “Follow me.”
44 Philip, like Andrew and Peter, was from the town of Bethsaida. 45 Philip found Nathanael and told him, “We have found the one Moses wrote about in the Law, and about whom the prophets also wrote—Jesus of Nazareth, the son of Joseph.”
46 “Nazareth! Can anything good come from there?” Nathanael asked.
“Come and see,” said Philip.
47 When Jesus saw Nathanael approaching, he said of him, “Here truly is an Israelite in whom there is no deceit.”
48 “How do you know me?” Nathanael asked.
Jesus answered, “I saw you while you were still under the fig tree before Philip called you.”
49 Then Nathanael declared, “Rabbi, you are the Son of God; you are the king of Israel.”
50 Jesus said, “You believe because I told you I saw you under the fig tree. You will see greater things than that.” 51 He then added, “Very truly I tell you, you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man.”

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AIによれば、この「ヨハネによる福音書 第 1 章」は、「特に有名なのは冒頭で、口語訳では「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と始まります (bible.com)」とされている。

また、「最初の弟子たちの召命」も書かれている。AIでは、「ヨハネによる福音書は、イエスの正体と、その愛や命の意味を深く味わうための書です。物語としても読めますが、祈りや信仰の言葉として大切にされてきました (bible.or.jp)」と解説されている。

神様とは何なのかということについて、深く考察している。答えは、「言(ことば)」です。「言は神であった」という表現に簡潔に神様とは、言語(ことば)だということを明確に述べている。だから、各民族の言葉は重要なのです。

日本では、言霊(ことだま)という言葉がよく使われる。AIでは、「言霊とは、言葉には現実に影響を与える力があるとする考え方です。よい言葉はよい結果を招き、不吉な言葉は悪い結果を呼ぶと信じる日本の古い発想として説明されています (kotobank.jp)」とされている。

だから、前向きな言葉を使えば、ポジティブ・シンキングになり、状況は好転すると信じられている。だから、イエス・キリストも弟子に、人々には優しく、希望に満ちた言葉をかけるように仰っておられる。

これには反して、人を罵る言葉や、怒りの言葉を投げかければ、その言葉は自分に返って来る。「人を呪えば、穴二つ」(墓穴が呪った者にもできる)というふうに、呪いの言葉を禁じることわざがある。汚い言葉を喚き散らすよう人間は、その人の周囲に地獄を作る。つまり、否定的な言葉を使うなというのが、キリスト教の教えなのです。

自分の感情に流されて、汚い言葉や、怒りの言葉、呪いの言葉を使う人間は長生きできない。正しい言葉を使うことが、長生きの秘訣です。とにかく、用心深く、慎みをもって言葉を使うことが、長寿の秘訣です。神様は、人々の言葉と行いに注目されている。これが、神様を拝するという信仰の行為につながる。聖母マリアの霊も、出現した人々に「常に祈っていなさい」と述べておられる。

ただし、一般人は24時間、祈っているわけにはいかない。生活の必要性から世俗のしきたりに従わねばならない。だから、聖職者が一般人に代わって、絶えず祈りの言葉を神様に捧げねばならない。その厳しさに耐えるのが、神父、修道士、修道女などの聖職者だということになる。

世の中には、幸運が続いた人生を送ると、「自分は神様に愛されている」と述べる者もいるが、ろくに祈りもせずに、物質的な幸福や富を追求し、不幸な他人に対して優越感を持つような人間は、自分に束の間の幸運をもたらした悪魔を、神だと勘違いしているのに過ぎない。やがて、悪魔はそのような人間を失敗させ、罠にはまらせ、失望を感じさせ、心を空虚にし、或いは、心の中に闇を生じさせ、死後は、天国に上げられると思っているのに反して、地獄へと導くものです。悪魔は、この世の成功者や幸福な人を地獄に落として喜ぶのです。だから、自分の幸運に有頂天になるような人間は、敬虔な信者だとは言えない。

常に、心の中で神様に祈るような人間が、神様に認められるのです。そして、祈りは行動につながり、善行を行うのが神様の信者なのです。

カネを貯めて喜ぶような人間は、とても、神様の信者だとは言えない。自分のカネを不幸な人に使うのが、イエス・キリストの信者なのです。だから、キリスト教文化の欧米では、寄付文化が根付いている。

この意味から、「汝の敵を愛せ」というイエスの言葉を理解すべきです。ただし、神様の敵の悪魔やカネを愛する必要はない。

つまり、聖なる言葉を愛して、清貧生活をし、聖書を学んで暮らすのが、神様やイエス・キリスト、聖母マリアや天使の信者なのです。

日本にも、仏教では念仏を唱えるという宗教行為がある。言葉は、人間にとって聖なる力をもたらすものなのです。神道では、祝詞(のりと)で神聖な言葉が霊的な力を持つとされている。世俗のキリスト教でも、祈りの定型句が定められており、また、聖歌が大きな効果を持つことも知られている。実に、言葉は人類が生み出した最高の宗教的・文化的な作品であり、その背後には神様がおられるのです。


2026年10月18日日曜日

「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう」 (マタイによる福音書 第 17 章) (if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move)

 

14 さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
15 「主よ、わたしの子をあわれんでください。てんかんで苦しんでおります。何度も何度も火の中や水の中に倒れるのです。
16 それで、その子をお弟子たちのところに連れてきましたが、なおしていただけませんでした」。
17 イエスは答えて言われた、「ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまであなたがたに我慢ができようか。その子をここに、わたしのところに連れてきなさい」。
18 イエスがおしかりになると、悪霊はその子から出て行った。そして子はその時いやされた。
19 それから、弟子たちがひそかにイエスのもとにきて言った、「わたしたちは、どうして霊を追い出せなかったのですか」。
20 するとイエスは言われた、「あなたがたの信仰が足りないからである。よく言い聞かせておくが、もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。
21 〔しかし、このたぐいは、祈と断食とによらなければ、追い出すことはできない〕」。(マタイによる福音書 第 17 章)

14 When they came to the crowd, a man approached Jesus and knelt before him. 15 “Lord, have mercy on my son,” he said. “He has seizures and is suffering greatly. He often falls into the fire or into the water. 16 I brought him to your disciples, but they could not heal him.”

17 “You unbelieving and perverse generation,” Jesus replied, “how long shall I stay with you? How long shall I put up with you? Bring the boy here to me.” 18 Jesus rebuked the demon, and it came out of the boy, and he was healed at that moment.

19 Then the disciples came to Jesus in private and asked, “Why couldn’t we drive it out?”

20 He replied, “Because you have so little faith. Truly I tell you, if you have faith as small as a mustard seed, you can say to this mountain, ‘Move from here to there,’ and it will move. Nothing will be impossible for you.” [21]

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「からし種一粒ほどの信仰」とは、AIによれば、「イエスが「ごく小さくても本物の信仰には大きな力がある」と教える表現です。小さな信頼が神の大きな働きにつながるという意味合いです(bible.com)」と、されている。

また、弟子たちが悪霊を追い出せなかったのは、「あなたがたの信仰が足りないからである」と述べて、信仰が大きければ、人々から悪霊を追い出すことができると保証しておられる。

日本では、修業を積んだり、宗教的な訓練をしたり、霊的な才能があれば、悪霊を追い出せると考える人もいるが、イエスの教えによれば、神様への信仰が大きければ、霊的な力を与えられ、悪霊を人々から追い出すことができると述べておられる。

また、「「山を動かす」は、文字どおりの話というより、人には無理に見えることでも神には可能だという強い表現として理解されることが多いです (bibletoolbox.net)」とされている。

神様への信仰が強く、純粋であれば、「このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう」というイエス・キリストの言葉は、人々を勇気づける言葉です。

要するに、神様の力を信じて疑わないことが重要です。

ただし、悪魔も霊的な力を持っており、人の願いを叶えることができるが、その究極的な目標は、人を破滅させ、苦しめ、世の中や神様を恨ませ、人の心を神様から離れさせることにあるので、注意が必要です。

悪魔は、自分を神と崇める者を、豊かにし、成功させるが、自分のことだけ考えさせて、他人を無視させ、神様の教えから遠ざけ、最後には神様の遣わす天使たちによって破滅させられるのを見て喜ぶのです。生きている間は、悪魔の与える偽りの幸運に恵まれて物質的に幸運な人生を送っても、死後の霊界では、悪魔が支配する地獄に行くことになる。

幼な子が神様を信じるように、純粋に疑いもなく、神様を信じる心が、奇跡を起こすのです。悪魔も、そのような人間には勝てない。ましてや、聖母マリアや天使たちには、悪霊は勝てないのです。

2026年10月17日土曜日

「もう時がない」 (ヨハネの黙示録 第10章) ( “There will be no more delay!" )


6 天とその中にあるもの、地とその中にあるもの、海とその中にあるものを造り、世々限りなく生きておられるかたをさして誓った、「もう時がない。
7 第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される」。
8 すると、前に天から聞えてきた声が、またわたしに語って言った、「さあ行って、海と地との上に立っている御使の手に開かれている巻物を、受け取りなさい」。
9 そこで、わたしはその御使のもとに行って、「その小さな巻物を下さい」と言った。すると、彼は言った、「取って、それを食べてしまいなさい。あなたの腹には苦いが、口には蜜のように甘い」。
10 わたしは御使の手からその小さな巻物を受け取って食べてしまった。すると、わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなった。
11 その時、「あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならない」と言う声がした。
(ヨハネの黙示録 第10章)

6 And he swore by him who lives for ever and ever, who created the heavens and all that is in them, the earth and all that is in it, and the sea and all that is in it, and said, “There will be no more delay! 7 But in the days when the seventh angel is about to sound his trumpet, the mystery of God will be accomplished, just as he announced to his servants the prophets.”

8 Then the voice that I had heard from heaven spoke to me once more: “Go, take the scroll that lies open in the hand of the angel who is standing on the sea and on the land.”

9 So I went to the angel and asked him to give me the little scroll. He said to me, “Take it and eat it. It will turn your stomach sour, but ‘in your mouth it will be as sweet as honey.’” 10 I took the little scroll from the angel’s hand and ate it. It tasted as sweet as honey in my mouth, but when I had eaten it, my stomach turned sour. 11 Then I was told, “You must prophesy again about many peoples, nations, languages and kings.”
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AIによれば、「ヨハネの黙示録10章の「第七の御使い」は、七つのラッパを吹く御使いたちの最後の一人です。10章7節では、この御使いがラッパを吹く時に、神の奥義が成就すると語られています。つまり、神のご計画が最終段階に入る合図を担う御使いとして描かれています(bibliatodo.com)」とされている。

また、「「奥義」は、単に秘密というより、神のうちに隠されていた計画という意味で読まれます。解説では、これには悪への最終的な裁き、神の民の救い、神の支配の完成が含まれると説明されます (biblehub.com)」と述べられています。

これが、終末論の原点です。今の時代は、まさに、聖書が示す「時の終わり」や「最後の審判の時」に近いとされている。

2025年の7月には、日本でも多くの霊能者などが、巨大な隕石が落下し、大災害が生じると述べており、また、3.11大震災を予言したとされる漫画家の「たつき諒」や物理学者の「保江邦夫」などが、そのような予言をしていたこともよく知られている。

しかし、去年の7月には何も生じなかった。

これは、そのような予言者がインチキだったのか、それとも、彼らを上回る霊能者が、超能力で予言された悲劇を防いだのか、どちらかだと思われる。それでも、2026年の今年の7月から9月にかけでは、関東で史上最長の雨天が続き、千葉県などで、路上での水没車は3千台以上に上ったとされる。異常気象の脅威は続いている。

また、宇宙人から2030年に、地球のカレンダーが終わると予言された、リンゴの無農薬栽培家の「木村秋則」の予言は続いている。そして、18世紀のイギリスの科学者「ニュートン」による聖書研究に基づいた21世紀での世の終焉に関する予言もある(AIでは、「アイザック・ニュートンには、2060年に触れた手稿が実際にあります。そこでは聖書の記述をもとに年代計算を試みていて、世界の終わりは2060年より前には来ないという趣旨が示されています (isaac-newton.org)」とされている。)

さらに、同じく18世紀のスウェーデンの神秘家「スウェーデンボルグ」が、生きたまま死後の霊界を体験して、18世紀には霊界で最後の審判が行われ、2~3世紀後に、この世の地上でも最後の審判と、神様による罰として、この世に大変動が生じると書いている。

また、日本の発明家で心霊研究家の故・「政木和三」も、自然破壊で人類の科学文明は21世紀ぐらいに崩壊し、2~300年にわたって人類は暗黒時代を迎えるが、その後、数百年かけて文明は回復すると書いていた。彼は、宇宙人から警告のメッセージを受けたとも言われる。UFOの宇宙人から警告を受けたという人間は世界にも多いが、政木の話は木村秋則の話のように信頼できる。

AIでは、最後の審判について、「最近の報道では、AI研究者や企業関係者の一部が、AIがAIを改良する段階が2027年ごろに現実味を増すと見ています。これは即破滅を意味しませんが、制御や監視の難しさが増すという警戒につながっています (itmedia.co.jp)」と回答していて、AI自身の発展が人類に脅威をもたらす可能性を指摘している。

また、2022年の2月から始まったロシアのウクライナ侵攻や、2026年2月下旬ごろに始まったアメリカとイランの直接的な戦闘は、今も続いており、第三次世界大戦が近いとの予測も出ている。

さらに、小氷河期が。2030年に始まるいうイギリスの学者による予測もある(AIでは、「イギリスの学者による小氷河期の予測としてよく知られているのは、英国ノーザンブリア大学の研究者が2015年ごろに出した、太陽活動が弱まることで2030年前後に寒冷化が起きる可能性があるという見方です。太陽の活動周期をモデル化し、17世紀のマウンダー極小期に似た弱い活動が起きるかもしれないとしました(shikou-k.co.jp)」と説明されている)。

日本では、2022年7月に「安倍晋三」元首相が銃殺され、その後、女性初の首相として「高市早苗」が2025年に選ばれているが、親中派の勢力と保守派の争いが続いている。まさに、時代の大きな転換点を迎えている。

イエス・キリストは福音書で、世の終わりには多くのニセ予言者やニセ・キリストが現れると述べており、今の時代がそれに該当するように思われる。そのようなニセものを信用するなということです。

つまり、物質文明が滅び、精神性を重視した霊的な文明がその後に生じるとの予測は重視すべきです。

さらに、アルテミス計画などで人類が月に再到達すれば、月のUFO基地なども明らかになり、アメリカの闇の勢力などは、もはや、宇宙人の存在は隠せなくなり、世界に大きな衝撃が生じると思われる。

このような人類の危機の時代に、福音書で述べられたように、イエス・キリストが地上に再来して多くの人々を救うという説に期待するしかない。

また、日本の医者で心霊研究家だった故・塩信男は、人々が正心調息を実践し、世界の平和を祈れば、世界は救われると述べていた。日本人の霊能力にも期待がかけられる。

いずれにしても、日本人は霊能力を高め、聖書をよく学ぶことで、今の世界的な危機を乗り越えられると信じることが、霊的なキリスト教なのです。


2026年10月16日金曜日

「少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」 (ルカによる福音書 第 7 章) ("But whoever has been forgiven little loves little.")



41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。
42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。
43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。
44 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。
45 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。
46 あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。
47 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。
48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。
49 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。
50 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。(ルカによる福音書 第 7 章)

41 “Two people owed money to a certain moneylender. One owed him five hundred denarii,[c] and the other fifty. 42 Neither of them had the money to pay him back, so he forgave the debts of both. Now which of them will love him more?”
43 Simon replied, “I suppose the one who had the bigger debt forgiven.”
“You have judged correctly,” Jesus said.
44 Then he turned toward the woman and said to Simon, “Do you see this woman? I came into your house. You did not give me any water for my feet, but she wet my feet with her tears and wiped them with her hair. 45 You did not give me a kiss, but this woman, from the time I entered, has not stopped kissing my feet. 46 You did not put oil on my head, but she has poured perfume on my feet. 47 Therefore, I tell you, her many sins have been forgiven—as her great love has shown. But whoever has been forgiven little loves little.”
48 Then Jesus said to her, “Your sins are forgiven.”
49 The other guests began to say among themselves, “Who is this who even forgives sins?”
50 Jesus said to the woman, “Your faith has saved you; go in peace.”

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福音書のこの箇所は、多くの借金と少ない借金を許してもらったものがいるとして、「このふたりのうちで、どちらが彼(カネを貸した人)を多く愛するだろうか」というイエス・キリストの問に、弟子は「多くゆるしてもらったほうだと思います」と述べて、それに対してイエスは、「あなたの判断は正しい」と答えられた、という場面です。

AIによれば、「この言葉は、赦しを小さく感じる人は、感謝や愛も小さくなりやすいという意味で受け取れます。反対に、大きな赦しを知る人は、大きな愛で応えやすいという流れです(bible.com)」と、説明されている。

これは、宗教の教えに関係がないように思えるが、人を許すことは、生きることで必要となる場面が多い。人を許すのは、許された人間が単に救われることではなく、多く許すことによって、許された人間の愛を勝ち取ることになると教えておられる。

即ち、世の中で、愛を増やすことの重要性を述べておられることになる。

失敗をした人を、責めるのではなく、それを許してやれば、許された人間は、許した人間に感謝するが、大きな失敗を許されたものほど、多くの感謝を持つということです。それが、自然な人間の心です。だから、人間の寛大さは、互いの愛を増やし、社会を改善する。

地獄に落とされても仕方がないような罪を犯しても、神様に許されて、地獄行きを免れた者は、どこまでも神様に感謝するものです。

これは、法治国家で犯罪者を裁く場合にもあてはまる。犯罪にも寛容な姿勢を示すことで、犯罪者は裁判官や社会に感謝し、もう二度と罪を犯さなくなるようになって、社会の改善に貢献するようになる。寛大な裁判が、世の中の悪を増やすことにはならない。むしろ、寛大な処罰を受けた者は、犯罪を後悔して、いっそう、社会につくそうと考えるものです。

社会で犯罪者をすべて死刑にすれば、社会は成立しなくなる。互いに許し合うという精神が、社会を発展させるのです。

社会的な問題の背後には、社会の矛盾や、貧富の差の影響、権力者の都合などの見えざる悪がある。また、人間同士の争いの背後には、個人的な利害、相手に対する憎しみなどの感情的問題や、無理解、誤解、行き過ぎた配慮などがある。信頼関係のない所には、友情も生じない。相手が、寛大さを見せれば、自分もそれに応えるように、誠意を示すようになる。

ただし、そのような相手の甘さにつけこんで、さらに悪をなそうとする者も多い。恩を仇で返す人間や、人を裏切って相手をあざ笑う人間も多い。また、人をだまして、自分の利益を払っても何も感じない人間も多い。世の中には、親切な人間などいない、と信じていて、他人に不親切にするのは、当然だと考える者も多い。渡る世間は、鬼ばかりだと考えている者もいる。

また、人に道徳を要求するな、と叫ぶ者もいる。お人よしは、騙すに限るとうそぶく者もいる。

人を騙して、悪知恵合戦に勝ったと、快哉を叫ぶ者もいる。悪を誇って、他人に優越感を抱く者もいる。悪の世界は、どこまでも深く、その悪の深さは想像を超えることも多い。

しかし、そういう社会は発展しない。信用できない人間ばかりが集まった社会では、誰も他人に協力しない。大きな仕事は、多くの人々が協力しなければ、成立しない。だから、人々が皆、認める権威が必要になる。宗教が同じなら、信用できるわけではないが、基本的な倫理観が共通していることは、信用につながる。民主主義国と独裁国家との違いにつながる。信用のできる国際関係にも、共通の価値観が必要です。

人を不幸にするのが目的の悪魔に従っていけば、最後には物質的にも破滅する。しかし、人の魂の幸福を願う神様や天使に従って行けば、最後には人の魂は救われ、物質的な不幸からも救われる。

人は、皆、罪を犯すものだと考えれば、互いに相手に寛容になり、許された者は、その分、社会の発展にいっそう貢献しようとする。これが、自然な性善説です。性悪説に基づくようなユダヤ教に対して、キリスト教は神様の善を信じることで人々に光と希望を与えている。

また、人助けをして、相手に感謝されたときの、すがすがしさや、満足感はカネでは買えないものがある。特に、相手の失敗を多く許すことで、相手からより多くの感謝を得れれば、その周囲の状況も改善する。日本人は、単純に性善説を信じる者が多い。根っからの悪人は少ない。

仏教でも、善人を許すより、悪人を許す方が、社会の改善の効果は多きいとの教えがある。

悪魔が喜ぶような、人々の憎しみと、報復の念をいや増すような、行為は避けるべきなのです。憎しみよりも、愛を愛する人間を増やすべきなのです。

2026年10月15日木曜日

悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる (箴言 第 10 章) (What the wicked dread will overtake them; what the righteous desire will be granted.)



17 教訓を守る者は命の道にあり、懲らしめを捨てる者は道をふみ迷う。
18 憎しみを隠す者には偽りのくちびるがあり、そしりを口に出す者は愚かな者である。
19 言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
20 正しい者の舌は精銀である、悪しき者の心は価値が少ない。
21 正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚かな者は知恵がなくて死ぬ。
22 主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。
23 愚かな者は、戯れ事のように悪を行う、さとき人には賢い行いが楽しみである。
24 悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる。
25 あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、正しい者は永久に堅く立てられる。(箴言 第 10 章)

17 Whoever heeds discipline shows the way to life,
but whoever ignores correction leads others astray.
18 Whoever conceals hatred with lying lips
and spreads slander is a fool.
19 Sin is not ended by multiplying words,
but the prudent hold their tongues.
20 The tongue of the righteous is choice silver,
but the heart of the wicked is of little value.
21 The lips of the righteous nourish many,
but fools die for lack of sense.
22 The blessing of the Lord brings wealth,
without painful toil for it.
23 A fool finds pleasure in wicked schemes,
but a person of understanding delights in wisdom.
24 What the wicked dread will overtake them;
what the righteous desire will be granted.
25 When the storm has swept by, the wicked are gone,
but the righteous stand firm forever.
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「箴言(しんげん)」とは、AIで「旧約聖書にある知恵の書の一つです。人がどう生きるとよいかを、短い言葉や教えの形で伝えています(bible.or.jp)」とされている。

Wikipediaでは、「これによれば箴言は前3世紀には正典化されたことになるが、その後5世紀はその地位には揺らぎがあった。その経過はバビロニア・タルムードに収録されている」と説明されている。

箴言では、神様の教えとして、「悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる。あらしが通りすぎる時、悪しき者は、もはや、いなくなり、正しい者は永久に堅く立てられる」と、善を推奨し、悪を退けている。

善悪の考えは、人間には生まれつき与えられている。ただし、自分の欲望を満たすために、人は多くの悪を受け入れるようになる。自分の欲望を満たすための悪と、善なる神様の教えに従って善を追求する心が、人間の一生を決めることになる。

自分の欲望を満たすというのは、自然な心だが、そのために弱者、小さき者、愚かな者を犠牲にするのは悪だという考えが、本来の人間には備わっている。

1つのパンを、貧しい者と分け合うというのが、自然な生き方です。しかし、悪魔は人間の心に入り込み、貧しい者を無視し、自分の空腹を満たすことしか考えないような生き方をさせる。さらには、富を自分の幸福のためにだけ使うという心を持たせて、神様の教えに反する生き方をさせる。

そのような社会では、利己主義的な人間ばかりになり、社会の発展は失われ、社会は分裂する。悪魔は、神様の作られた人間同士が争い、傷つけ合い、憎み合うのを見て喜ぶ。人間同士が互いに、不幸にし合うのが悪魔の願うところなのです。

しかし、全知全能にして全善なる神様は、善を行う者を助け、悪をなす者を抑えられる。箴言では、「悪しき者の恐れることは自分に来り、正しい者の願うことは与えられる」として、神様が悪を行う者には災いを与え、善を行う者の願いはかなえると述べている。ただし、目先の欲望や、自分の幸福を考える者は、他人を不幸にしてでも、自分の利益を追求する。そのような生き方が当然だということ自体が間違っているのです。

神様を崇める宗教では、必ず善を推奨し、悪を抑止する。天国は善人が死後に行くところであり、悪人は地獄に行くというのが、人間の宗教に共通して見られる教えです。

この単純な真理、即ち、神様は善であり、悪を排斥されるというのが、人間の魂に書き込まれた神様の教えなのです。人間界の基本的な法則です。神様は善を報われる。悪人は追放される。この単純な教えに従うのが人間の正しい生き方だと信じて、神様と善を愛するのが、本来の人間の生き方なのです。

この教えの延長上に、イエス・キリストの教えもある。ユダヤ教では、キリスト教が生じる以前から、この善悪の考えを明確にしていた。そして、神様は善を推進されるお方だとの明確な意識があった。

他の宗教では、大霊が信者を救ってくれるという信仰はあるが、霊界の支配者でもある神様は、善を推奨される存在だということが曖昧になっている。悪人でも、自分は大霊によって救われたいと願う。そして、自分の欲望を満たしてくれる悪魔に従おうとする。

だから、悪魔に富をもたらす力があると考えれば、善を推奨する真実の神様より悪魔を愛するようになる。隣人愛を求める神様より、自己の欲望を満たしてくれる悪魔を好む人間は多い。だから、世の中は不幸な人間が多くなる。そのような、状況から人間を救おうというのが、イエス・キリストなのです。

日本の弥生時代に、このような人間の本質と社会社会の本質を見抜いていたユダヤ教は、日本人でも学ぶ価値がある教えです。

仏教の教えも、悪を為すな、正しく生きよということですが、善悪に対する判断は、キリスト教の方が徹底している。ただし、どちらも悪を為す者は、死後の霊界で地獄に落ちるということに変わりはない。

愛と善を愛し、憎しみと悪を憎むのが本来の人間なのです。愛を愛し憎しみを憎みのが、本来の人間なのです。