2026年8月7日金曜日

舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった (使徒言行録 第 2 章) (They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. )


2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」(使徒言行録 第 2 章)

2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 3 They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4 All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues[ as the Spirit enabled them.
5 Now there were staying in Jerusalem God-fearing Jews from every nation under heaven. 6 When they heard this sound, a crowd came together in bewilderment, because each one heard their own language being spoken. 7 Utterly amazed, they asked: “Aren’t all these who are speaking Galileans? 8 Then how is it that each of us hears them in our native language?
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これは、イエス・キリストの十字架上での刑死後、信者がエルサレムのある部屋に集まっていると、聖霊が人々に下った時の情景です。この有名な状況は、絵画にも描かれて有名になっている。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」時の情景が描かれているのです、

この世でのイエスの死という、霊的にも大きな出来事が、霊界にも大きな影響を与えて、この世に炎のような霊が各信者に現れたのです。このような霊的な奇跡を信じることが、キリスト教徒なのです。

そもそも、物質界であるこの世の大宇宙は神様が霊的エネルギーを使って、その言葉を用いて作られたものなのです。つまり、霊界から物質界が生まれ、人間界も生まれたのです。まぜなら、神様はその霊を人間に吹き込まれたからです。人間の心や精神、その魂は物質から生まれたものではなく、霊界の神様が与えられたものだからです。

また、物質界の全ての物質は、霊的エネルギーで出来ている。だから、物質を研究するこの世の科学が、どこまで発展しても物質の本質は解明できないのです。最先端の量子力学の理論でも、今までの科学の理論では説明がつかない現象が確認されているし、人間の脳の中に人間の意識を生み出す器官や組織、細胞は見つかっていないし、心を生み出すメカニズムも分かっていない。

つまり、科学者はその「心」を用いて「心」を研究しながら、「心」の物質的な源が発見できないので、「心」は存在しないと言っているようなものなのです。或いは、「言葉」を研究しながら、「言葉」の源を科学的に発見できないので、「言葉」は存在しないと結論づけたようなものです。つまり、狂っているのです。この物質文明の最先端の科学者が狂っているのなら、文明自体が狂っていることになる。

従って、霊の存在を認め、霊的な力を認めなければ、この大宇宙や物質界、そして、人間の心の働きが生み出す人間界も理解できないのです。

そして、物質界と霊界は生と死のように隔離されているのではなく、交じりあった部分もある。それを認めるのが宗教であり、心霊主義やスピリチュアリズムなのです。実際に、仮死状態になって、又は、、医学的に死亡した後で生き返って、臨死体験をする人もいる。

また、生きながら霊によって死の世界である霊界を体験した18世紀の神秘家のスウェーデン人のスエーデンボルグという人物もいる。彼は、イギリスの科学者のニュートンと同世代の人間であり、多くの著作を残している。霊界が存在するのを認めるのは、多くの宗教の基本となっている。そして、世界中の民族が霊の存在を認めている。つまり、人類の心には「神様」を認める遺伝子があるとも言える。

ただし、霊界には悪魔がいて、神様に逆らっている。神様が愛する人間の心の中に入り込んで、神様の存在を否定させたり、神様を認めながら、その教えに反抗させたりして、悪魔はどこまでも神様に敵対する。このような悪魔の影響を受けた人間が作った物質文明は、いずれ停滞し、腐敗し、狂って亡びる。それが、イエス・キリストの死後、2千年たった21世紀だと考えられる。つまり、現在、物質文明は滅亡に向かっている。

ニュートンも聖書を研究して、人類の滅亡は2060年頃に始まると書いている。スウェーデンボルグは、人類への最後の審判が21世紀頃に始まるとと述べている。

現代の霊感を持った霊能者も、世の終末が近いことを述べている。

なお、悪魔は人間が物質文明を発展させるのは助けているが、最後には文明を破壊して人々を不幸のどん底に落とそうとしている。悪魔に取り付かれて狂った科学者たちは、科学を発展させながら、この世に地獄をもたらせようとしている。

しかし、イエス・キリストの死後に、火のような聖霊が信者に下ったように、神様は危機に瀕した人々に、聖霊を下して救われることを信じるのが、イエス・キリストの信者なのです。

心を生み出した霊の力を信じることです。霊は、全知全能にして全善なる神様が霊界で生み出したものなのです。そして、霊界や物質界の全ては、神様が霊から作ったものであることを信じることです。


2026年8月6日木曜日

主はわたしが呼ばわる時におききくださる (詩篇 第 4 章) (the Lord hears when I call to him)

 

3 しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
4 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。[セラ
5 義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
6 多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇 第 4 章)

3 Know that the Lord has set apart his faithful servant for himself;
the Lord hears when I call to him.
4 Tremble and[d] do not sin;
when you are on your beds,
search your hearts and be silent.
5 Offer the sacrifices of the righteous
and trust in the Lord.
6 Many, Lord, are asking, “Who will bring us prosperity?”
Let the light of your face shine on us.
7 Fill my heart with joy
when their grain and new wine abound.
8 In peace I will lie down and sleep,
for you alone, Lord,
make me dwell in safety.
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「詩篇」とは、Wikipediaによれば、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。 英語では p を発音せずに「サーム」と発音する・・・主類型として「賛歌」「民の嘆きの歌」「個人の嘆きの歌」「個人の感謝の歌」に分類した。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ」とされている。

神様に対して、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように」と願うのは、人類に共通の願いです。旧約聖書の時代から、この人間の心は変わらない。日本では、まだ縄文文化の時代に、ユダヤ人は神様に向かって、この祈りを捧げていた。

人間社会は、自然からさまざまな脅威を受けるだけでなく、人間同士の争いや、諍いがあり、他人の裏切り、攻撃、傷つけ合いがある。安心して生きることはできない。感情的になって他人を攻撃する者も跡を絶たない。人間の不幸の多くは、このような隣人愛のない状況から生じる。そして、憎む相手に残酷な仕打ちを行う。これが、何千年、何万年も続いたのが、人類の歴史なのです。

しかし、人類社会は、道徳を生み出し、宗教を生み出し、神と言う概念を発見し、互いに助け合って生きることを学んだ。これは、個体としての自分自身の生存だけを考えて生きる他の生物との大きな違いです。個人は弱いが、集団で戦えば大きな力を発揮することを人間は学んだのです。家族。一族、集団で生き残ることを人間は学んできた。その核となる概念として、人間を超えた力をもった神様を、人間は想定し、霊的な考えから、神様の霊に従うことを学んだのです。

個人の神様、家族や一族の神様、社会の神様、そして、民族の神様を考えるようになり、世界のどの民族でも、民族の神様を崇めるようになった。その共通の神様の正確は自然を超え、人間界の運命を支配させる圧倒的な力をもった存在です。神様という概念は、人類に共通だが、自分たちの民族を守る神様を崇めるようになり、他の民族とは互いの神様の名の下に戦うようになった。

しかし、人類全体の神様と言う考えが、やがて、人々の間に芽生え、その神様の下では、全人類が平等だという考えが生まれた。このような世界宗教の神様と言う考えが普及し、人類や全ての生物、全ての物を作られた神様という考えが生じるようになり、ユダヤ人の民族の神様が、万物の創造主の神様だという概念が生まれるようになった。そして、長い歴の中で、ユダヤ教の神様が、キリスト教の神様、イスラム教の神様になり、現代につながる文明を打ち立てることになった。今の文明は、4千年の歴史を持つユダヤ民族の神様の下で発展して来たものなのです。

そのユダヤ人の神様に対する気持ちが現れているのが、旧約聖書であり、特にこの「詩篇」では、神様に対するユダヤ人の気持ちがよく現れている。自分たちを「安らかにおらせてくださるのは」神様であるというのが、ユダヤ人の神様に対する信仰心であり。これは、人類に共通の気持ちなのです。

だから、ユダヤ教を受け継いだキリスト教でも、そのような神様に対する気持ちは受け継がれている。その伝統の上に、イエス・キリストの教えがあるのです。だから、今の世界文明を享受する人類は、ユダヤ・キリスト教の神様を事実上、受け入れているのです。

日本人も自然神、神道や仏教を受け入れてきたが、そのような神仏が今の文明の基盤になったわけではない。西欧の文明を受け入れることで、日本人も世界宗教を受け入れ、文明の恩恵を受けることになった。しかし、ユダヤ・キリスト教にも悪魔が入り込み、今の物質文明は、邪道に入ろうとしている。これは、2千年前にイエス・キリストが警告を発していたことが証明されたことになる。

人類が、神様に従って、善なる文明を発展させてきたのなら、今の世界には何の問題も生じずに、全人類は平和に繁栄できたはずだが、文明に悪魔が入り込み、人間を堕落、腐敗させ、狂気へと導ている。この状況は、2千年前のイエス・キリストの時代から変わらない。いや、その前の旧約聖書の時代から変わっていない。

霊的には、人間の霊は時代と共に変化してきたが、神様と人間と悪魔との関係は不変なのです。

だから、今の日本人も聖書を読んで、今の世界文明の基盤を学び、永遠の神様と人間と悪魔の関係を学ぶ必要があるのです。、

イエス・キリストは、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」(マタイによる福音書 6:30~31)」と述べておられる。

全知全能にして、全善なる神様を信じることです。

2026年8月5日水曜日

世と世にあるものとを、愛してはいけない (ヨハネの手紙一 第 2 章) (Do not love the world or anything in the world.)


14 子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。
15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。
21 わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。(ヨハネの手紙一 第 2 章)

14 I write to you, dear children,
because you know the Father.
I write to you, fathers,
because you know him who is from the beginning.
I write to you, young men,
because you are strong,
and the word of God lives in you,
and you have overcome the evil one.

15 Do not love the world or anything in the world. If anyone loves the world, love for the Father[d] is not in them. 16 For everything in the world—the lust of the flesh, the lust of the eyes, and the pride of life—comes not from the Father but from the world. 17 The world and its desires pass away, but whoever does the will of God lives forever.
18 Dear children, this is the last hour; and as you have heard that the antichrist is coming, even now many antichrists have come. This is how we know it is the last hour. 19 They went out from us, but they did not really belong to us. For if they had belonged to us, they would have remained with us; but their going showed that none of them belonged to us.
20 But you have an anointing from the Holy One, and all of you know the truth.[e] 21 I do not write to you because you do not know the truth, but because you do know it and because no lie comes from the truth. 22 Who is the liar? It is whoever denies that Jesus is the Christ. Such a person is the antichrist—denying the Father and the Son.
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Wikipediaによれば、「『ヨハネの手紙一』(ヨハネのてがみいち)は、新約聖書中の一書で、公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。・・・著者が気にかけているのは自分が携わっている共同体に影響を及ぼす異端的な思想を持つ教師たちのことである。このような人々、かつて共同体のメンバーだったにもかかわらず正当な教えから逸脱した教師たちは「反キリスト」(2:18-19)とみなされている」とされている。

ここでは、「反キリスト」(antichrist)という言葉が使われている。「反キリスト」とは、「イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者」だとされている。

人々から支持されて有名になったイエス・キリストは否定できないが、その父(神様)と子としてのイエス・キリストの関係を否定する者は「反キリスト」なのです。イエスと神様の霊的な関係を認めない者は、その心に悪魔が入り込んでいるのです。

イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストと神様の関係を認めるということでもあるのです。しかし、神様に敵対する悪魔は、イエス・キリストと神様の関係を認めたくはない。できるだけ神様という考えには触れないでおこうとする。事実としてのイエス・キリストの存在は認めても、神様の存在を認められないのが悪魔であり、悪魔が心に入り込んだ人間なのです。

狡猾な悪魔はイエスを認め崇めながら、その神性を密かに傷つけ、否定する、教会の中に入り込み、キリスト教の教えを口先で唱えまがら、その心は遠くイエス・キリストを離れている。或いは、自分はイエスを信じる者だとして、敬虔な信徒を演じながら、イエスの教えに反したことを実行している。悪魔は、どこまでも狡猾で、悪質で、図太く、悪を恥じないのです。

この世の物質文明は、悪魔の教えに従って作られたものであり、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」とは、そのような悪魔(カネ)の力で生み出された物質文明を信じてはいけない、ということを意味している。悪魔はカネに姿を変えて、人々にカネを求めさせ、拝金主義にさせる。人々は、欲望を実現させてくれるのは、真の神様ではなくカネだということを知り、真の神様を無視し、カネ(悪魔)を神だとして崇めている。これを、拝金主義という。

真の神様やイエス・キリストの信者は、物質文明を信じることなく、信仰に基づいた霊的な精神文明を求めなければならない。信じられるのは、カネやモノではなく、精神であり霊の働きなのです。

また、「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る」と述べて、「反キリスト」の出現が、文明の終焉であるとして、「反キリスト」の出現に警戒するように述べている。しかし、「神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」と述べて、神様を信じる者の魂は永遠に生きることを強調している。これが、キリスト教の本質なのです。

21世紀まで、世界は存在してきたが、現在でも「反キリスト」は現れ続けている。過去に、現れた「反キリスト」は、信者の祈りによって抑えられ、世界は救われてきたが、いよいよ悪魔は人類文明を亡ぼそうとしている。

イエス・キリストや聖母マリアや天使たちを敬う振りをしながら、また、悪魔と敵対するふりをしながら、「反キリスト」は、悪魔の教えを広めているのです。物質的な欲望を刺激し、金銭欲を喚起し、この世的な成功や幸福を追求さえ、人を羨ましがらせ、カネを求めさせるものは、悪魔の手先なのです。だから、世の中の成功や幸福を求めるのではなく、霊界で(死後)の永遠の幸福を求めよというのが、霊的なキリスト教の教えなのです。

あくまで、自ら清貧生活をし、聖書の言葉に従って謙虚に生きる聖者のみ信用できるのです。

2026年8月4日火曜日

「自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」 (マタイによる福音書 第 24 章) (For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many.)

 

4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(マタイによる福音書 第 24 章)

4 Jesus answered: “Watch out that no one deceives you. 5 For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many. 6 You will hear of wars and rumors of wars, but see to it that you are not alarmed. Such things must happen, but the end is still to come. 7 Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in various places. 8 All these are the beginning of birth pains.
9 “Then you will be handed over to be persecuted and put to death, and you will be hated by all nations because of me. 10 At that time many will turn away from the faith and will betray and hate each other, 11 and many false prophets will appear and deceive many people. 12 Because of the increase of wickedness, the love of most will grow cold, 13 but the one who stands firm to the end will be saved. 14 And this gospel of the kingdom will be preached in the whole world as a testimony to all nations, and then the end will come.
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これは、この世の終わり(文明の滅亡)について、イエス・キリストが予言した有名な言葉です。

「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」と警告されておられる。実際に、新宗教と呼ばれる宗教では、イエスも預言者の一人だと言って、キリスト教を認めるような教義を持つ者もいる。インチキ宗教でも、イエス・キリストの存在は無視できない。イエスの霊能力は無視できないのです。

また、仏教や神道系の偉人や教祖を取り入れるものも多い。特に、スピリチュアル系の新興宗教は、霊的な存在を何でも受けいtれる傾向にある。さらに、UFOに乗った宇宙人から善悪は人間が作った幻想だと教えられたというものもいる。また、素直に大宇宙の創造者の神様を認めずに、宇宙の偉大な存在だと呼ぶものもいる。

しかし、この宇宙が存在するのは、誰かが宇宙を作ったからだと考えるべきです。それが、単に科学の法則で自然に生じたと考えるか、人格を持った神様が作ったと考えるしかない。そこで、神様の存在を信じるのが信仰者なのです。

神様と言う原因がなければ、宇宙は生まれなかったと考えるのが自然です。科学の法則によるのなら、宇宙に人間が生まれる理由はない。神様がご自分の人格に合せて人間を作られたと考えるのが自然なのです。宇宙と言う物質世界に、精神生活を持った人間が生まれてくるということ自体が、精神を持った神様の存在を示唆しているのです。

聖書には、「この世は神様が7日かけて作った」という記述もある。これは、神様が霊のエネルギーを利用して、神様の言葉、聖言の威力で物質と生命を作ったことを意味し、さらに、人間には神様の霊を吹き込んだと書かれている。つまり、この世の物質界も精神界も神様が作られたと信じるのが信仰者なのです。

しかい、霊的存在は、神様や天使、善霊だけではない。悪魔や悪霊も霊的存在であり、神様に反感を持ち、逆らう悪魔などは、人間の魂を神様から引き離し、仲間にしようとする。人間の魂を巡って天使と悪魔が戦っている。ただし、神様が悪魔に負けるわけはない。神様が負けるようなことがあれば、全ては崩壊する。悪魔自体も消滅する。霊的にも物質的にも全て存在するものは、神様の威力で存在するからです。しかし、狂った悪魔は自分の存在を許している神様をも攻撃する。悪魔は最後は滅ぼされるとしても、できるだけ、多くの人間の魂を道連れにしようと、地獄に引きずり込もうとしている。そのために、悪魔は人間を誘惑し、罪を犯させ、悪魔の教えで洗脳し、悪魔を神だと思わせる。実際に、悪魔の化身のカネを崇拝する人間も多い。拝金主義が横行するほど、悪魔の影響が世の中で見られる。そのような悪魔から人間を救おうとするのが、イエス・キリストや聖母マリアや天使、善霊なのです。

しかし、悪魔が人間界に入り込み、人間の作る文明には悪魔の影響が現れている。悪罵は人間を幸福にしようなどとは考えていないので、悪魔の力(カネ)を利用して作られた人間の物質文明は必ず崩壊する。それが、聖書の述べる「世の終わり」なのです。

しかし、わざわざ宇宙を作り、人間を作られた神様が、人間を亡ぼそうとはされていない。そこで、人間を救うために神様の一人子のイエス・キリストを人間界に遣わされたというのが、キリスト教の考えです。

まさに、文明が行き詰まり、人類が亡びそうになった時のために、イエス・キリストが現れたのです。2千年前に、やがて人類の物質文明が危機に瀕することを見越してイエス・キリストは、2千年前のパレスチナにユダヤ人の間に出現されたのです。

これが、今日、人類がイエス・キリストの教えに立ち返るべき理由なのです。

21世紀の今日、異常気象や戦争などで世界は危機に瀕している。そして、狡猾で陰険、図太く、残酷な悪魔は人間界で跋扈している。だから、日本人も聖書を読み、清貧生活をして、イエス・キリストの教えを実践すべきなのです。


2026年8月3日月曜日

あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい (テモテへの手紙二 第 3 章) (But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of)

 
12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (テモテへの手紙二 第 3 章)

12 In fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted, 13 while evildoers and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived. 14 But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it, 15 and how from infancy you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus. 16 All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, 17 so that the servant of God[a] may be thoroughly equipped for every good work.
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Wikipedia によれば、「『テモテへの手紙二』は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。しかし教会のシステムがパウロの時代より進歩しすぎている点や、使っている神学用語や文体の言い回しから使徒パウロが書いたものではないとされ、偽書(疑似パウロ書)と考古学的にはされている」とされている。

また、「自らが「世を去る時が近づきました」(4:6)と考えているパウロは「愛する子テモテ」(1:2)に対して熱意と不動の信仰によって誤った教えに立ち向かうよう求めている」とされている。

しかし、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」ものであるとして、強い信仰の言葉が記されている。また、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」として、信者の厳しい運命についても述べている。著者がパウロであるか否かに拘らず、イエス・キリストへの純粋で強い信仰を現したものである。

そして、「自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい」と信仰者の生きる姿勢について、アドバイスをしている。

だから、聖書は聖霊によって書かれたものだとして、神聖な書物だととして扱う必要がある。また、神様やイエス・キリストを信じる者は、悪魔の影響を受けた世の中では迫害されると注意している。それでも、信者は学んだ事から動かされることなく、その信仰心にとどまれと励ましている。

悪魔との戦いで多くの苦しみ受け、信仰にゆらぎや疑問を持つことがあっても、神様やイエス・キリストを信じて、決して悪魔の誘惑や詐欺的行為に惑わされてはいけない、というのが信者への勧告なのです。

つまり、信仰とは明白な真理に従うものであり、疑いようのない事実に基づくものなのです。しかし、悪魔はそのような信者を攻撃する。悪魔の手先となった人間を使って信者を攻撃する。攻撃された信者は、なぜ自分が攻撃されるのか理解できない。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ攻撃されるのかと悩むことになる。神様を信じること自体が、悪魔の敵となること意味し、悪魔に従う人間から攻撃されるのです。

逆に、人からわけもなく苦しめられることが、神様に従う者であることを証明する。悪魔の手先は、神様を信じる心を見せる信者を攻撃して、悪魔から褒められたいと思って、本能的に嫌い、攻撃するのです。

そして、悪魔は、そのような神様を信じる心を破壊しようとして、さまざまな手練手管を使い、信者の心をゆさぶる。しかし、信仰の心から動かなければ、信者は悪魔から守られる。神様を信じる者を見ると、本能的に攻撃するのが、悪魔とその手先なのです。理由などなくても、相手は攻撃してくる。その理由が分からなければ、信者は悩むが、それでも、自分の信仰を信じろというのが、この書物の主張なのです。

そして、聖書には神様の霊が現れている、と考えることで、信者は救われるのです。


2026年8月2日日曜日

「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」 (マルコによる福音書 第 7 章) (“First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.”)


17 イエスが群衆を離れて家にはいられると、弟子たちはこの・について尋ねた。
18 すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
19 それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。
20 さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。
21 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
22 姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。
24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。
27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。(マルコによる福音書 第 7 章)

17 After he had left the crowd and entered the house, his disciples asked him about this parable. 18 “Are you so dull?” he asked. “Don’t you see that nothing that enters a person from the outside can defile them? 19 For it doesn’t go into their heart but into their stomach, and then out of the body.” (In saying this, Jesus declared all foods clean.) 20 He went on: “What comes out of a person is what defiles them. 21 For it is from within, out of a person’s heart, that evil thoughts come—sexual immorality, theft, murder, 22 adultery, greed, malice, deceit, lewdness, envy, slander, arrogance and folly. 23 All these evils come from inside and defile a person.”
24 Jesus left that place and went to the vicinity of Tyre.[g] He entered a house and did not want anyone to know it; yet he could not keep his presence secret. 25 In fact, as soon as she heard about him, a woman whose little daughter was possessed by an impure spirit came and fell at his feet. 26 The woman was a Greek, born in Syrian Phoenicia. She begged Jesus to drive the demon out of her daughter. 27 “First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.” 28 “Lord,” she replied, “even the dogs under the table eat the children’s crumbs.” 29 Then he told her, “For such a reply, you may go; the demon has left your daughter.” 30 She went home and found her child lying on the bed, and the demon gone.
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これは、子供たちに与える食事を、犬に先に与えている母親を戒めたイエス・キリストの言葉です。

人間の霊格は動物の霊より上だというのが、イエスの教えです。飼い犬よりも後回しにされた幼児の霊は、それを不満に思い、そこに悪霊が入り込んだのです。いくらペットを可愛がっていても、動物を人間より可愛がるというのは、よくない。

現在でも、ペットをホームレスの人間より大事にする飼い主がいろが、これは間違っている。ペットの犬や猫には専用のドッグ・フードなどを与えるが、目の前のホームレスの人間を無視する人間もいるが、これは間違っている。ペットにカネを出すよりも、困っている人を助けるのが大事なのです。今でも、このイエスの教えは通用する。人間の霊は、動物の霊よりも格が上なのです。それを間違えると、幼児の霊も不満に思い、そこに、悪霊が入り込む。

そのイエスの戒めに、ペットを可愛がっている母親は、「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」と述べて、イエスの言い分を認めたが、犬に対する自分の愛情も正当化した。その母親の言葉に譲歩の気持ちを感じたイエスは、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」と答えられた。そして、実際に、悪霊は幼児から出て行った。母親が、イエスの教えを受け入れたからです。

つまり、自分の気持ちを弁護しても、イエス・キリストの言葉を受け入れるのなら、霊的な効果が出るのです。

また、イエスは食べ物が人を汚すことない、人を汚すのは人の心から出る「不品行、盗み、殺人、姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴」であると述べて、宗教的にも食べモノの規定は無意味だと述べられたのです。

ユダヤ教やイスラム教では、食べ物に関する規定があるが、キリスト教徒や日本人はそのような規則を持たない。ただし、植物や動物には毒を持った生物もいる。逆に、薬として働く生物もいる。長い歴史の中で、そのような貴重な知識を人間は貯め来たので、そのような知識は尊重すべきです。

人の心を汚すのは、人が食べるものではなく、血筋や遺伝でもなく、人の心が発するものだというのが、イエス・キリストの教えなのです。

人間には、悪の遺伝子というものはない。また、天才の遺伝子というものもない。全ては、霊の動きに従う心が生み出すものなのです。ただし、それを悪魔は利用して、善悪の区別などない、善悪は人間が生み出したものだという誤った考えを人間に吹き込む。確かに、善や悪のDNAはないが、そおそも、神様は善の心から生じた愛の気持ちで人間を作られたのです。従って、善は人間の魂に本質的に与えられている。神様は、「全善」と呼ばエル善の極致なのです。

UFOに乗った宇宙人から、「善悪は人間の心が作り出した幻想だ」と教えられたと主張する人間もいるが、それなら、その宇宙人には悪魔が入り込んでいることになる。宇宙人にも、悪魔の取り付いた存在がいる。だから、宇宙人を警戒せよというのは正しい。

いずれにしても、「私の言葉に反対しないものは、賛成するものである」とイエス・キリストは教えておられる。

2026年8月1日土曜日

「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」 (ルカによる福音書 第 8 章) (“My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”)

18 だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。
19 さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。
20 それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。
21 するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。
22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。
23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。
24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。
25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカによる福音書 第 8 章)

18 Therefore consider carefully how you listen. Whoever has will be given more; whoever does not have, even what they think they have will be taken from them.”
19 Now Jesus’ mother and brothers came to see him, but they were not able to get near him because of the crowd. 20 Someone told him, “Your mother and brothers are standing outside, wanting to see you.”
21 He replied, “My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”
22 One day Jesus said to his disciples, “Let us go over to the other side of the lake.” So they got into a boat and set out. 23 As they sailed, he fell asleep. A squall came down on the lake, so that the boat was being swamped, and they were in great danger.
24 The disciples went and woke him, saying, “Master, Master, we’re going to drown!”He got up and rebuked the wind and the raging waters; the storm subsided, and all was calm.
25 “Where is your faith?” he asked his disciples. In fear and amazement they asked one another, “Who is this? He commands even the winds and the water, and they obey him.”
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これは、イエス・キリストの母や兄弟が聖書に現れる稀な箇所です。

イエスは、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」と述べて、この世の血のつながりを否定し、霊的な関係を強調する。実際に、人は死後、この世の人間関係とは関係なく、霊的なつながりによって人々の霊は集まる。同じ霊格を持ち、同じ信念を持つ霊たちが集まると、生きながら死後の世界を見てきたスエーデンボルグは述べている。

また、湖で嵐が生じたとき、「イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった」というイエスの霊能力も表されている。自然界の現象ですら、イエスは霊能力で制御できるのです。しかも、「おしかり」になったということは、嵐を生じさせる霊が働いていたことを意味する。その霊をイエスは、人間の霊を叱るように戒められたというのです。

これは、全ての物体や現象に独自の霊が働いているという、今の日本の霊能力者の言葉を思い出させる。実際、この世の全ての物質は神様の霊能力でできたものであり、全ての分子、原子、素粒子、光なども神様の霊で生まれたのであるから、物質には神様が与えた霊があるということになる。

物や現象に霊を見るという日本の霊的な伝統は、イエスの奇跡を生み出す力をよく説明している。万物にそれ独自の霊がある以上は、その霊を制御することで物をも支配できる。イエス・キリストは、そういう神様の霊能力を持っていたことになる。

だから、自然災害もイエスは防げたということになる。今もイエスの信者は、そのイエスの力を与えらえて、物質や自然現象をコントロールできることになる。今、そのような信仰者がいれば、地震も台風も防ぐことができるのです。祈りの力で自然現象を制御し、自然がもたらす災厄を防ぐのは、霊能者の義務だということになる。さらには、政治や経済の人間活動も、独自の霊が働いていて、コントロールできることになる。

日本にも仏教や神道の信仰の力で、大きな霊能力を持った空海などの霊能者がいて、自然災害を防いだと言われている。かつては、天皇家にもそのような霊能力があり人々を救ってきたが、今の天皇家には霊能力はない。天皇にはイエスのような奇跡を起こす力がない、ということです。だから、阪神大震災や東日本大震災、能登地震や熊本地震が生じるのです。政治も経済も、霊的な力が働いている。イエスなら、全て解決できるのです。

ただし、欧米のキリスト教には、奇跡の伝統がある。病を癒す聖水として、「ルルドの水」が有名です。また、信仰心の篤い修道士や修道女は、病人を癒したり、空中浮揚をするなど奇跡を起こすことができたとされている。これは、物質や自然現象を支配する霊に働きかける霊能力が使えたからです。

イエス・キリストは、この世と霊界を造られた神様の霊を使うことができたので、この世の全て物質や現象に影響を及ぼすことができたのです。当然、病人を癒し、死人を蘇らせ、嵐を静めることもできたのです。

イエス・キリストと神様を信じる者も、そのような霊能力が与えられると信じるのが、本来のキリスト教なのです。

これは、全ての宗教について言えることであり、それぞれの宗教の霊的な強さの度合いに応じて霊能力が与えられている。その霊能力で最大の力を持った宗教がキリスト教なのです。

日本人は、それぞれ独自の霊能力を持った仏教や神道を否定する必要はないが、それより、万物の創造主に近いイエス・キリストの言葉を学ぶ必要がある。それだけキリスト教の霊能力は強いのです。

純粋に強い信仰を持てば、イエス・キリストのように、嵐を静めることができるようになる。台風も地震も抑えられる。このような霊能力を持った人間を新天皇として立てれば、日本は自然災害から守られ、また、平和も経済発展も実現するのです。

全ての物質や自然現象には独自の霊が働いている。石や台風にも霊がある。その霊を扱えるのが、イエス・キリストの霊能力であり、さまざまなな宗教も、そのような万物の霊とつながろうとしている。だから、日本の霊格の高い僧侶などは奇跡を起こせる。

ただし、今の天皇家には霊能力が失われているので、もはや、自然大災害から国民を救うことはできない。霊能力に優れた人物を新天皇に立てるのが、日本を救う途なのです。(ただし、現天皇家は歴史的価値があるので、旧天皇家として政府の保護下におくべきです。)

イエス・キリストは万物に霊があるこを認め、それらを支配しておられるのです。

それゆえに、人間の血のつながりによる、家族よりも霊的なつながりを重んじられたのです。

ただし、聖母マリアやイエス・キリストの兄弟たちは、やがて霊的にイエス・キリストを理解するようになり、イエス・キリストの霊的な肉親となれたのです。

いずれにしても、神様の霊能力を呼び起こせば、熊本地震のような災害も防ぐことができ、被災者も救うことができるのです。霊能力を使うには、神様への祈りが必要です。それを実践するのが、霊的なキリスト教の信者なのです。