2026年7月29日水曜日

「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようである」 (ルカによる福音書 第 17 章)(The Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other.)


 20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
23 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
25 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。(ルカによる福音書 第 17 章)

20 Once, on being asked by the Pharisees when the kingdom of God would come, Jesus replied, “The coming of the kingdom of God is not something that can be observed, 21 nor will people say, ‘Here it is,’ or ‘There it is,’ because the kingdom of God is in your midst.”[c]
22 Then he said to his disciples, “The time is coming when you will long to see one of the days of the Son of Man, but you will not see it. 23 People will tell you, ‘There he is!’ or ‘Here he is!’ Do not go running off after them. 24 For the Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other. 25 But first he must suffer many things and be rejected by this generation.
26 “Just as it was in the days of Noah, so also will it be in the days of the Son of Man. 27 People were eating, drinking, marrying and being given in marriage up to the day Noah entered the ark. Then the flood came and destroyed them all.
28 “It was the same in the days of Lot. People were eating and drinking, buying and selling, planting and building. 29 But the day Lot left Sodom, fire and sulfur rained down from heaven and destroyed them all.
30 “It will be just like this on the day the Son of Man is revealed.
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「人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」というのは、イエス・キリストの未来予言と考えられる恐ろしい言葉です。

物質文明の繁栄の中で人々が浮かれ騒いでている時に、神様は亡びの運命を人類に与えられる、と解釈できる言葉です。

しかし、そのときには、「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」とイエスは述べて、人類を破滅から救うために、「人の子であるイエス・キリストが稲妻のように、劇的な姿で再臨する」と予言されたのです。

この言葉の背景には、Wikipediaによれば、
「『創世記』19章では2人の娘しか言及されておらず、ロトとその家族はソドムに住んでいる。2人の天使がソドムに訪れると、ロトは彼らを歓迎する。しかし、町の住民たちがロトの家を包囲し、彼らに2人の客人(ソドムを滅ぼしに来た天使)を同性強姦させることを要求する。ロトは代わりに処女である2人の娘を差し出そうとする(19:8)。・・・暴徒たちがロトの申し出を拒否すると、天使(住民たちが同性強姦しようとした客人)はこれから町がことごとく滅ぼされるのでその前にロトとその家族が町を去るよう警告する。逃亡の途中でロトの妻は塩の柱に変わるが、ロトとその娘たちはゾアルに逃げ延び、山の洞窟に住む。ロトの娘たちは父親を酒で酔わせ、彼が知らないまま、2連夜にわたって父親とセックスをする。2人はどちらも妊娠する。上の娘はモアブを産み、下の娘はベン・アミを産む」とされている。

要するに、腐敗・堕落した町を神様は亡ぼすことにし、天使をつかわして、ロトの家族を救おうとされたが、ロトの妻は塩の柱にされ、娘たちも不品行を行ったという言い伝えが旧約聖書に書かれている。

そして、人類自体が物質文明に驕り、腐敗・堕落し、神様の怒りを買って、ソドムのように滅ぼされるとイエス・キリストは警告しておられるのです。

また、「ノアの箱舟」の話は良く知られている。神様が世界を滅ぼそうとして、大洪水を起こした話です。「ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってき」たと、イエスは語っている。

このように、人類が物質文明に酔いしれている時に、神様は人間の不信仰に怒り、滅びの運命を与えられたというのが、旧約聖書の話しであり、それと同じことが生じるとイエスは述べられたのです。

この言い伝えは、ヨーロッパでは絵画にも描かれ、人々によく知られている。「滅びの時」というのは、キリスト教の教えの中に含まれているのです。だから、欧米では終末論が真剣に議論されている。

実際、現在の地球の文明は、物質的な繁栄の最中に異常気候などで、危機に向かっている。これは、新約聖書でのイエス・キリストの言葉を、実現するものだと考える信者もいる。また、現在の世の中の性的な乱れや、神様が決められた男女の区別を無視した社会風潮なども、神様の怒りを買う原因となっている。カトリックの神父などが、子供を性的に虐待したことなども、悪魔が教会に入り込んだ証拠です。

聖なるキリスト教会に悪魔が入り込んで、人類の文明を根本から堕落・腐敗させている、という危機感が必要なのです。

だから、絶えず神様に祈れ、というイエス・キリストの教えが生きてくる。悪魔は絶えず、信者に攻撃を仕掛けてくる。それに対抗するには、祈りや、禁欲生活、断食などしかない。つまり、聖書を読んで清貧生活をし、神様の定めた自然な生活をすることです。

悪魔は人間の欲望を喚起し、神様の教えを無視させ、多くの罪を犯させ、その魂を地獄に引きずり込もうとしている。このような悪魔と戦って人類を救うのが、イエス・キリストの使命であり、信徒もそれを理解していなければならない。本当のキリスト教とは、悪魔との戦いを意味するのです。

2026年7月28日火曜日

「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」 (For there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. ) (マタイによる福音書 第 10 章)

 

26 「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」(マタイによる福音書 第 10 章)

26 “So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. 27 What I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs. 28 Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care.[b] 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
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この「隠れているもので、知られてこないものはない」という聖書の言葉もよく知られている。だから、秘密にされた事柄は、必ず人に知られるようになる。

歴史の謎とされた事柄も、やがて真実が知らされる。例えば、先の大戦で終戦時に、天皇が占領軍のマッカーサー元帥を密かに何度も秘密に米大使館に訪ねていたことは秘密にされていた(元帥と一緒に撮られた写真だけは公表されていた)。しかし、外務省の役人でも、天皇が10回くらい元帥を訪問していたことは知らされていなかった。天皇が頭を下げて、何度も米軍のナッカーサー元帥に密かに会いに行ったなどということは、まだ天皇マジックに洗脳されていた当時の日本国民からは隠されていた。しかし、何十年もして、10回くらい天皇が米国大使館に元帥を訪ねていたことが明らかになっている。この時、昭和天皇は、「自分は殺されてもいいが、飢えた国民を救ってくれ」と元帥に懇願したとされているが、どういう雰囲気で、どういう表情で元帥に懇願したのかは、まだ、明らかになっていない。

同じ言葉でも、言う雰囲気が異なれば意味は異なって来る。千何百年も日本の歴史の中で生き抜いてきた天皇家には、政治的な権力者を丸め込む手練手管などは、お家芸だったはすだ。従って、昭和天皇は自分の命乞いもしたと思われる。そして、昭和天皇以後も皇室は親米の姿勢で一貫している。

究極的には、昭和天皇の命令で命を掛けて日米戦争を戦わされ、戦争で亡くなった日本人は、まさに昭和天皇に裏切られたことになる。占領軍の司令官のマッカーサー元帥に追従したと言われても仕方のない姿勢を見せていたから、天皇による何度もの元帥との会見は戦後長く秘密にされて来た。元帥と写真を撮った1回しか会わなかったと国民は信じ込まされていた。これは、天皇神話を守るためだった。事実として、昭和天皇は米軍に追放されずに、国民の象徴として憲法上の地位は保証されている。これも、歴史の闇です。米軍やマッカーサー元帥には、天皇の利用価値があり、また、日本軍部に脅されていた天皇という同情心もあり(それでも、天皇は2.26事件の時のように軍部と戦うこともできた)、天皇が下手に出ることで、その気持ちを強めることで、昭和天皇は天皇位を追われずに済んだと思われる。昭和天皇は、中国やアメリカと日本が戦争をした時の日本軍の最高司令官であり、戦後はその地位から追放されても不思議はなったのです。しかし、軍部に操られた可哀そうな天皇ということで、戦後も生き残った。そのカギが、秘密にされた10回ものマッカーサー元帥との秘密会談だった。ただし、その後、マッカーサー元帥がアメリカ大統領によって解任されたとき、日本の皇室は冷ややかだった。追従すべき相手は、元帥ではなく、アメリカの大統領だと分かったからだろう。だから、今も皇室は親米であり、国民も親米なのです。皇室にとって米国大統領は、命の恩人なのです。これが、戦後の日米間関係の隠された真実なのです。

しかし、ポイントはマッカーサー元帥が敬虔なキリスト教徒だったことです。聖書の教えに従う元帥は、当然、憐みの気持ちを持っており、昭和天皇を許したのです。戦後、日本の皇室を生き永らえさせたのは、キリスト教の力なのです。マッカーサー元帥は、「日本の天皇はスズメよりも値打ちがある」と思ったのでしょう。そして、米軍による日本の占領は無事に行われた。アメリカを尊敬する皇室の態度に影響されて、戦後の日本は親米、一辺倒になった。しかし、本当は聖書の力で日本は救われ、アメリカのキリスト教に感謝しているのです。昭和天皇は、その皇太子の妻に、キリスト教系の大学の卒業者の正田美智子を選び、一時は皇室内にもキリスト教の影響が及んだ。熱心なキリスト教徒だった、マッカーサー元帥は喜んだと思われる。平成の天皇の息子である令和の天皇の妻も、米国留学の経験者です。米国のキリスト教文化に馴染んだ皇后が続いている。しかし、天皇家自体が、天皇神道を否定することはない。ここに、日本の宗教の微妙なバランスがある。世界の主流のキリスト教とは敵対しないが、日本の神道伝統も守るという姿勢です。ただし、これが戦後の怪しげな各種の新宗教の跋扈を許している。

また、死海文書やエジプトのナグ・ハマディ文書が戦後、発見されて、イエス・キリストの時代のパレスチナなどの状況について新たな光があたり、キリスト教の歴史について新たな見方が与えられた。第二次大戦後は、まさに、キリスト教認識の転換点となった。

これは、1900年間も、イエスが生きる直前のユダヤ教の状況や、イエスが生きた直後にさまざまな教派があったことを知らせている。特に、「トマスによる福音書」が含まれていたナグ・ハマディ文書は、キリスト教の研究に新たな視点を与えた。また、「義の教師」について書かれた死海文書は、イエスとエッセネ派(クムラン教団)との関連を示唆するものだった。イエスは、突然、2千年前のユダヤ人の間に現れたのではなく、ユダヤ教のさまざまな流れの中から生まれたのです。しかし、イエスを揶揄するようなグノーシス派の影響を受けた「トマスによる福音書」がキリスト教の正典になることはなかった。悪魔は、どこまでもイエス・キリストの教えを妨害する。グノーシス派は、イエス・キリストの言葉よりも、その人間的な解釈を重んじるものであり、悪魔の喜びそうな説を主張している。神様の真理を伝えるイエス・キリストの言葉を軽んじるものです。

このように歴史の真実は、必ず表に出る。だから、キリスト教文化の欧米では、政治の秘密を暴く報道姿勢が支持されている。日本では、「寄らしむべし、知らしむなかれ」と言って、大衆には真実を隠すことが、政治家の間には常識となっていた。だから、アメリカとの核関連の政府の秘密協定などは、国民から隠されることが多い。しかし、憲法に保障された言論の自由の名の下に外交的な秘密も明らかにされている。

また、「二羽のすずめは一アサリオンで売られている」が、「あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」というイエスの言葉は、人々を勇気づける言葉だった。ローマ軍の支配下で、人間性が否定されていた植民地パレスチナのユダヤ人は、このイエスの言葉によって自信を取り戻した。

今も世界には、権力者が秘密にしていることは多いし、人間性が否定された民族もいる。たとえば、アメリカ軍がUFOと秘密の関係を持っていることも、徐々に明らかにされている。また、アメリカでは、最近まで黒人などの有色人種は社会的に差別されていた。しかし、黒人と白人の混血のオバマがアメリカ大統領になるなど、人種差別は徐々に解消されている(その反動がトランプだという見方もある)。

しかし、歴史上の最大の謎は、イエス・キリストの出生と十字架上の死後の行動です。イエスの本当の父親は誰なのか、イエスは十字架の死から蘇って更に世界を旅し、インドや日本に達っしたという説もある。

このような、キリスト教の秘密もやがて明らかにされると思われる。なぜなら、人間は安く売られるスズメよりも、価値のあるものであり、神様はいずれ人類に真理を知らせると考えられるからです。

2026年7月27日月曜日

その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 ((マルコによる福音書 第 5 章)) (he herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.)


こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。

3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)

They went across the lake to the region of the Gerasenes. 2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.
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これは、人に取り付いていた汚れた霊が、イエス・キリストの言葉によって人から追い出され豚の体内に入って、崖から海に落ちて、豚はおぼれ死んだという印象深い出来事です。

大勢の悪霊が人に取り付くという現象が、2千年前にもあったということを物語っている。その悪霊が、イエスの言葉によって人から追い出され、豚の体内に入ったといのも興味深いが、その悪霊が入った豚の群れが、狂って雪崩をうって海に突進し、溺れ死んだというのは、衝撃的な出来事です。

今の人には、考えられない現象が起きたことが聖書には書かれている一例です。

AIによれば、

「宗教や思想ごとに「霊」の意味は少しずつ違います。

仏教系の説明では、人の「心の働き」「命のつながり」として霊をとらえ、供養は霊と生きている人の心を落ち着かせる営みとされます。(isshinji.jp)
キリスト教系の説明では、「霊」は息や風を語源に持ち、命を生かす力、人の内面、また神の働きとしての「聖霊」などを指します。」(jw.org)」

とされている。要するに、人の心を生み出し、心を支配する力です。人間が意識する前から、心を生み出す生命力であり、人間の心の動きを支配する力だということになる。人間の心の基盤になるものです。

悪霊が人の心に入れば魔が差し、人はとんでもない悪事を働く。善霊が心に入れば、善人となって善を行う。その心を信仰の力で管理し、悪霊を寄せつけないようにするのが、信仰者の生き方です。

悪霊に心が支配されれば、欲に支配され、カネや地位を求め、自己中心の生き方になり、善悪の判断も失う。実際、悪を働いても、冷静になれば、なぜあんなバカなことをしたのだ、と言って後悔する人間が大部分です。その人の心の中に悪霊が入り込み、狂わせて悪事を行わさせるという例が多い。ただし、悪霊を呼び込むのは、その人間がしっかりしていないという点で責任が取られる。日本の裁判でも、狂った人間は裁かれない。しかし、どこかでその犯罪者の心に悪霊を受けいれる心の隙があったことは事実です。いずれにしても、イエスは、「人を責めてはならない」と述べて、真犯人は悪霊だということを示唆しておられる。犯罪者も悪霊の犠牲者なのです。

この心を支配する悪霊が、人の心の中に入り込むという事実は。18世紀の神秘家スエーデンボルグが書き残している。悪霊は、生きている人間の心にも入り込むという点が恐ろしい。心に入り込んで、その人間の心の動きを支配する。ただし、イエス・キリストのような霊能者は、悪霊と戦って人間の心から追い出すことができる、というのが聖書の主張です。

日本の神道や仏教でも、魔の霊との戦いという考えはある。また、呪術家や霊能者が悪魔祓いをするという伝統もある。宗教は全て、霊の存在というものを認めている。

かつては、天皇神道では、天皇に霊能力があり。日本の霊界の神々が天皇を助けており、日本を守っているとの教義を持っていたが、先の日米戦争で、天皇神道を掲げた日本帝国は、キリスト教を事実上の国教とするアメリカに敗れ、300万人の日本人が命を失い、天皇神道よりアメリカのキリスト教が優れていることが証明され、戦後は、アメリカのキリスト教を基盤とするアメリカの民主主義が導入され、新たな日本国憲法が制定されて、日本は戦後、現在にいたるまで平和と繁栄を謳歌できた。これは、宗教的にキリスト教の優位を証明するものです。今の天皇家は、自分たちに霊能力がないことを暗黙に認めて、欧米に追随しており、日本人も欧米の精神文化を尊重している。ただし、これが日本に霊的な混乱をもたらし、戦後の文化に大きな影響を与えている。全ての戦後の問題は、キリスト教を認めない社会が原因だと言っても良い。

天皇家の霊能力は、7世紀の中国、唐との白村江の敗戦で威力がないことを証明されているが、その後、1300年にわたって、天皇家が日本社会で最高の地位を占めてきたのは、良かったかどうか考えさせられる。その結果、80年前の日米戦争での悲惨な敗北につながった。神様は日本が、キリスト教を理解することを望んでおられると考えるべきです。日本の霊性だけでは、不十分なのです。だから、本当の霊能者を新天皇として立てるのが、日本の霊性を救うことになる。

ただし、欧米では、悪魔がキリスト教に入り込み、キリスト教は停滞している。欧米を中心とする物質文明に悪魔が入り込んでいる。そこで、日本的霊性に基づいた霊的なキリスト教の確立が日本に求められている。天皇神道以前に、日本人は十分に霊性を育んできたのです。ただし、善悪の考えと、霊性との結びつきが十分に考えらえて来なかった。そして、聖書の教えが日本の霊性を高めることになるのです。

悪霊は、人間の心にも、豚の体内にも入り込むという、聖書の記述が意味するのは、霊の存在を認めて、悪霊に警戒せよというイエス・キリストの教えを伝えるものなのです。

2026年7月23日木曜日

大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた (ヨハネによる福音書 第 11 章) (Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!.”)

 

33 イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
34 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
35 イエスは涙を流された。
36 するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
37 しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
39 イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
40 イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
43 こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。 (ヨハネによる福音書 第 11 章)

33 When Jesus saw her weeping, and the Jews who had come along with her also weeping, he was deeply moved in spirit and troubled. 34 “Where have you laid him?” he asked.
“Come and see, Lord,” they replied.
35 Jesus wept.
36 Then the Jews said, “See how he loved him!”
37 But some of them said, “Could not he who opened the eyes of the blind man have kept this man from dying?”
Jesus Raises Lazarus From the Dead
38 Jesus, once more deeply moved, came to the tomb. It was a cave with a stone laid across the entrance. 39 “Take away the stone,” he said.
“But, Lord,” said Martha, the sister of the dead man, “by this time there is a bad odor, for he has been there four days.”
40 Then Jesus said, “Did I not tell you that if you believe, you will see the glory of God?”
41 So they took away the stone. Then Jesus looked up and said, “Father, I thank you that you have heard me. 42 I knew that you always hear me, but I said this for the benefit of the people standing here, that they may believe that you sent me.”
43 When he had said this, Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!” 44 The dead man came out, his hands and feet wrapped with strips of linen, and a cloth around his face.
Jesus said to them, “Take off the grave clothes and let him go.”
45 Therefore many of the Jews who had come to visit Mary, and had seen what Jesus did, believed in him. 46 But some of them went to the Pharisees and told them what Jesus had done.
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これは、聖書でよく知られた「ラザロの復活」の情景です。
死亡したラザロをイエス・キリストが蘇らせたのです。つまり、死者を生き返らせたという奇跡です。

ラザロの墓に向かって、イエスが「大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた」。すると、生き返ったラザロが墓から出てきたのです。

Wikipediaによれば、「伝承によれば、後にラザロはキプロスの初代主教となった。キプロス南東の都市ラルナカにある、聖ラザロ教会の地下クリプトにはラザロの墓所がある。正教会では、伝統的に聖枝祭(主のエルサレム入城)前日の土曜日(スボタ)をラザリのスボタと呼び、キリストによるラザロの蘇生を記憶する。また、南フランスの伝承では、姉妹マルタ、マリアらと共にサント=マリー=ド=ラ=メールに辿り着き、その後マルセイユの地で布教に励んだという」とされている。

今の霊能者で死者を蘇らせた例はない。この奇跡は、イエス・キリストが単なる霊能者ではなく、神様が遣わされた神の子であり、神様の力を与えられていたことを示している。

イエス・キリストのこのように、死人を蘇らせる力を見れば、イエスを殺害することは無意味なことが分かる。しかし、悪魔は、イエスの敵のユダヤ教の幹部やローマ兵に取り付いてイエスを殺害させることをやめなかった。悪魔の執拗さ、凶悪さは底知れない。

神様は、霊を人間に送って命を与えるお方であり、人を死から蘇らせることができるのは当然です。その神様の力を与えられたイエス・キリストも死者を生き返らせることができたということです。これは、霊界の存在を信じ、霊の存在を信じなければ理解できない。2千年前のパレスチナの人々は、霊を信じていたのです。

2千年前の日本は、まだ縄文時代の霊性が残っており、やはり、霊的存在を信じていたと思われる。弥生時代の稲作文化が普及し、やがて、天皇家の台頭が見られ、天皇神道が大和地方を中心に普及するにつれて、日本の霊性も天皇を中心に編成され、2千年後の今も、日本の精神的伝統になっている。その時代に、地中海沿岸のパレスチナ地方で、ローマ帝国に支配されたユダヤ人の間に神の子としてイエス・キリストが出現したことは、人類にとって大きな出来事だったのです。

ただし、世界ではイエス・キリストの出現の500年前に、インドではブッダが出現し、中国では孔子が現れ、ギリシアではソクラテスが現れて、人類の霊性が高められていた。そのような人類の霊的伝統は今も伝えられている。

しかし、死者を蘇らせた奇跡は、イエス・キリストの言行録を記したキリスト教の聖書のみに明確に記されており、他の聖者とイエス・キリストの相違を際立たせている。

また、イエスは十字架につけられて刑死した後に、自ら復活し、弟子たちに姿を現したことで、悪魔の陰謀に打ち勝ち、その後のキリスト教の発展をもたらした。悪魔はイエスが蘇ることを知っていても、人間として現れた神の子を人間的に苦しめることを望んだ。悪魔の愚かさと、神様のご威光が、この2千年の人類の歴史を作って来たことになる。

その象徴的な話が、「ラザロの復活」なのです。

死に打ち勝つ神様の霊的な力と、イエス・キリストが神様の力を受け継いだ事実を示すできごとなのです。

2026年7月22日水曜日

すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない (ローマの信徒への手紙 第 10 章) (“Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”)

 

9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(ローマの信徒への手紙 第 10 章)

9 If you declare with your mouth, “Jesus is Lord,” and believe in your heart that God raised him from the dead, you will be saved. 10 For it is with your heart that you believe and are justified, and it is with your mouth that you profess your faith and are saved. 11 As Scripture says, “Anyone who believes in him will never be put to shame.” 12 For there is no difference between Jew and Gentile—the same Lord is Lord of all and richly blesses all who call on him, 13 for, “Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”
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Wikipediaによれば、「『ローマの信徒への手紙』は、『新約聖書』中の一書で、使徒パウロの手によるとされる書簡。『ローマ人への手紙』や『ローマ書』(『ロマ書』)などとも呼ばれる。本書はパウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つである」とされている。

また、「本書の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いである。パウロはアブラハムを引き合いに出してキリストによる神の恩寵を強調し、人が義(正しい)と決定させられるのは,信者の側の信仰と結び付いた、神の側のこの恩寵のみによることを力説している」と説明されている。

信仰心は、神様の恩寵と結びついて意味を持つとされ、あくまで神様を中心とした信仰心が必要だということです。人間中心の現代文明とは、考えが異なる。

ただし、神の名において、信仰による支配を教団が行うという、宗教専制主義の時代が来る恐れがある。だから、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでは、ヴァチカンの専制時代が続き、ルネッサンスまで中世の暗黒時代と呼ばれる時代が続いたが、実際は、暗黒ではなく、キリスト教の信仰が社会に普及した信仰の輝く時代だったとも考えられる。

ルネッサンス以後の人間中心の価値観が、キリスト教の縛りから人間を解放したというのが、今の歴史的解釈だが、その結果、物質文明が促進され、現在の地球温暖化などの危機を地球にもたらしている。

「ルネッサンス」から、「近代科学の誕生」、そして、「現代の科学・技術に基づく文明」というものは、「精神文明」を置き去りにして人間の欲望追及を無制限に求める文明になった。現代の諸問題は、この西欧のキリスト教解釈の不十分さから生じている。これは、キリスト教に悪魔が入り込んだからだとも考えられる。人間を神様の上に置くのは、まさに、悪魔の影響なのです。現代文明には、悪魔が入り込んでいると考えるのが必要です。「ロマ書」の時代には、人々はもっと神様を恐れ、信仰していた。世の中は、霊界に近かったと考えられる。紀元1世紀のことです。日本では、縄文文化の影響がまだ残っていた時代のことです。

だから、日本的霊性に基づいてイエス・キリストの教えを新たに解釈し、新たな霊的キリスト教を確立することが求められているのです。

イエス・キリストの死後、その弟子や信徒は、神様の意味や、イエス・キリストの意味について何年も議論してきた。その表れの1つが、パウロによる「ローマの信徒への手紙」なのです。

仏教も、ブッダの死後、その信徒たちがブッダの言葉を編纂したが、キリスト教では、神様という存在が大問題になって議論が続けられた。その伝統で、ヨーロッパ文化では、2千年間、人々が神様について議論するという伝統が出来上がり、欧米文明の基礎となった。まさに、ここに神様の力が現れ、欧米文明は人類を代表する文明となったのです。ヨーロッパでは神学が最も尊敬されている。

日本の霊性は、ヨーロッパほど神様の存在の意味を極めようとする文化ではなく、自然の中に神様の恵みを見出すという生活の中で育まれたが、究極的には神様の存在を認める文化です。

だから、イエス・キリストの言葉は、現代日本人でも理解できるし、神様の威力については受け入れることができる。

欧米の宗教のキリスト教としてではなく、人類を作られた神様を信じるという姿勢で、日本人は霊的なキリスト教を追求すべきです。


2026年7月20日月曜日

「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」 (ルカによる福音書 第 11 章) (For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened)

 


また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
2 そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
3 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
4 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(ルカによる福音書 第 11 章)

11 One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”
2 He said to them, “When you pray, say:
“‘Father,
hallowed be your name,
your kingdom come.
3 Give us each day our daily bread.
4 Forgive us our sins,
for we also forgive everyone who sins against us.
And lead us not into temptation.’”
5 Then Jesus said to them, “Suppose you have a friend, and you go to him at midnight and say, ‘Friend, lend me three loaves of bread; 6 a friend of mine on a journey has come to me, and I have no food to offer him.’ 7 And suppose the one inside answers, ‘Don’t bother me. The door is already locked, and my children and I are in bed. I can’t get up and give you anything.’ 8 I tell you, even though he will not get up and give you the bread because of friendship, yet because of your shameless audacity[e] he will surely get up and give you as much as you need.
9 “So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. 10 For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened.
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「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえる」といのは、聖書で有名なイエス・キリストの言葉です。

その理由が、「友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれる」というのは、イエスのユニークな説明です。

これは、神仏に熱心に祈れば、あまりにしつこいのに神仏が閉口して、願いを叶えてくれるということに通じる。信心よりも、熱意だということになる。

実際、熱心な人ほど願いが叶いやすいというのは、この世の出来事にも通じる。人は、相手の熱意に応じる。相手の意欲を推し量る。本気度を試す。生半可な気持ちでは、人を動かすことはできない。これは、この世の全てに通じる。

だから、牧師でも神父でも、修道士でも、修道女でも、絶えず祈りを唱える。一日に決まった時間しか祈らない宗教家は信用できない。聖母マリアの霊も人々の前に出現したときは、「常に祈りなさい」と祈りを勧めておられる。

ただし、霊能者の故政木和三のように、「神仏は人間の祈りなどかなえない」という人もいる。「ただし、欲を捨てて、神仏に頼らなくなった時に、願いは叶う」、と政木は無欲の奇跡を教えている。

また、霊力のあった医師の故塩谷信男も、「願いは叶ったと信ぜよ」と教えている。これらは、霊能力が発動しないと、この世でも願いは叶わないことを意味している。

それに対してイエス・キリストは、「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」と信仰心があれば、願い適うと述べておられる。つまり、信仰心をもてば、無欲になり、神様にすがるようになり、それに対して神様はこたえてくれる、というのが、神様に対する信仰心なのです。

本当の信仰心とは、「自己中心」の考え方から、「神様中心」の考え方に変えることであり、そのような信仰心を持てば、神様が願い事を叶えてくれるのです。

2026年7月17日金曜日

「その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った」 (マタイによる福音書 第 14 章) (His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother.)


3 というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。
4 すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
5 そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。
6 さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、
7 彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。
8 すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。
9 王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、
10 人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。
11 その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。
12 それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
13 イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。(マタイによる福音書 第 14 章)

3 Now Herod had arrested John and bound him and put him in prison because of Herodias, his brother Philip’s wife, 4 for John had been saying to him: “It is not lawful for you to have her.” 5 Herod wanted to kill John, but he was afraid of the people, because they considered John a prophet.
6 On Herod’s birthday the daughter of Herodias danced for the guests and pleased Herod so much 7 that he promised with an oath to give her whatever she asked. 8 Prompted by her mother, she said, “Give me here on a platter the head of John the Baptist.” 9 The king was distressed, but because of his oaths and his dinner guests, he ordered that her request be granted 10 and had John beheaded in the prison. 11 His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother. 12 John’s disciples came and took his body and buried it. Then they went and told Jesus.
13 When Jesus heard what had happened, he withdrew by boat privately to a solitary place. Hearing of this, the crowds followed him on foot from the towns.
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AIでは、「新約聖書には「ヨハネ」と呼ばれる人物が複数登場しますが、代表的なのは次の二人です。名称 立場・特徴 関わる主な書物
洗礼者ヨハネ イエスに先立つ預言者、バプテスマを授けた人 福音書に登場する人物
使徒ヨハネ イエスの弟子の一人、「愛された弟子」と伝承 ヨハネ福音書、手紙、黙示録の伝承的著者
現在の聖書学では、これらの書をすべて同一人物が書いたかどうかは議論がありますが、教会の伝承では「使徒ヨハネ」に結びつけて語られることが多いです」と説明されている。

また、聖ヨハネはイエス・キリストの異母兄弟だったという説があり、また、イエス・キリストに洗礼を授けた先駆者だったという説がある。

そのヨハネは、ヘロデ王が亡き兄の妻と再婚したのを責めたので、ヘロデ王はヨハネを捕えていた。そして、ヘロデの妻もヨハネを憎んで、自分の子供のサロメにヨハネの首を望めと唆し、サロメはヘロデ王にヨハネの首を望み、ヘロデ王は部下にヨハネの首を切らせたという話しが聖書にのっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチが幼児イエス。聖母マリア、ヨハネの母。そして、幼児ヨハネを一緒に描いた絵画が有名です。

いずれにしても、イエスの十字架上での刑死の前に、ヨハネの獄死という悲劇があった。イエスは酷くショックを受けたと思われる。それが、聖書に現れている。

悪魔は、イエス・キリストもヨハネも殺害させたが、キリスト教は生き残り、現在に至るまで発展し、キリスト教はヨーロッパやアメリカの宗教となり、ヴァチカンは今もローマ帝国の皇帝のような姿をしている。

キリスト教は。まさに、血塗られた宗教なのです。欧米の歴史はその上に打ち立てられている。キリスト教は、欧米の金持ちの平和な宗教ではない。ユダヤ教自体が、旧約聖書に現れているように、戦乱に明け暮れるユダヤ人の宗教であり、彼らの神はその守護神だったので、この残酷さは不思議ではない。その宗教観をイエス・キリストが一層し、愛と平和を説き、今の欧米の人道主義の礎となった。しかし、その背後の伝統には、日本民族には理解できない殺伐さがある。

また、中国では、秦の始皇帝が何十万人もの兵士を殺害して、秦帝国を作ったように、ローマ帝国はパレスチナのユダ人を追放し、他の民族と同じように武力制服をした。おまけに、ユダヤ人は敵だという間違ったキリスト教の教義で2千年間もユダヤ人は、ヨーロッパで迫害される。そのユダヤ人が安住の地を見出したのがアメリカであり、知的産業や金融業界を支配したユダヤ人が今も欧米の社会を支配しいていると言われる(ロスチャイルドなど)。

霊界を目指すキリスト教が、現世的なユダヤ人のイエス・キリストから生まれたというのは歴史の謎です。中国人からもインド人からもイエスは生まれず、ユダヤ人の貧乏人としてこの世に現れたのは、まさに、歴史の驚異です。

むしろ、イエス・キリストの教えは、日本の神道や仏教に近い。日本の霊性の伝統からイエス・キリストが生まれてもおかしくないが、日本人は皇室崇拝という道を選んだ。

日本の皇室が現れる以前の縄文時代に返って、日本人は生死と霊の問題を考えるべきです。
そもそも、人類はアフリカで生まれたが、皇室の祖先もアフリカ人だったと考える日本人はいない。

また、人類は宇宙からUFOに乗ってやって来たという説があり、イエス・キリストも聖母マリアも宇宙人だったという説もある。

いずれにしても、イエス・キリストは霊界の天国、神界の神様から派遣された人間だと考えれば、日本人も抵抗なく霊的なキリスト教が理解できる。
清貧生活をして、聖書を読むことが日本人にも(インド人、中国人、朝鮮人にも)求められる。

ただし、キリスト教徒になったからといって、高級な日本人になれるわけではない。日本の精神文化の延長に霊的なキリスト教を求めるべきです。