2026年7月10日金曜日

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」 (創世記 第 3 章) (For dust you are and to dust you will return.”)



13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。
15 わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
16 つぎに女に言われた、/「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、/彼はあなたを治めるであろう」。
17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。
19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。(創世記 第 3 章)

13 Then the Lord God said to the woman, “What is this you have done?”
The woman said, “The serpent deceived me, and I ate.”
14 So the Lord God said to the serpent, “Because you have done this,
“Cursed are you above all livestock
and all wild animals!
You will crawl on your belly
and you will eat dust
all the days of your life.
15 And I will put enmity
between you and the woman,
and between your offspring and hers;
he will crush your head,
and you will strike his heel.”
16 To the woman he said,
“I will make your pains in childbearing very severe;
with painful labor you will give birth to children.
Your desire will be for your husband,
and he will rule over you.”
17 To Adam he said, “Because you listened to your wife and ate fruit from the tree about which I commanded you, ‘You must not eat from it,’
“Cursed is the ground because of you;
through painful toil you will eat food from it
all the days of your life.
18 It will produce thorns and thistles for you,
and you will eat the plants of the field.
19 By the sweat of your brow
you will eat your food
until you return to the ground,
since from it you were taken;
for dust you are
and to dust you will return.”
20 Adam named his wife Eve, because she would become the mother of all the living.
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AIによば、「創世記は、旧約聖書の最初の書です。* 天地創造 *や人類の始まり、ノアの洪水、アブラハムらの物語を扱います」とされている。また、「一般に紀元前6〜5世紀ごろに現在の形へまとめられたと考えられています」と説明されている。

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」というのは、キリスト教の葬儀でも使われる有名な言葉です。人間は、「ちり」から神によって作られたものなので、大地の「ちり」に帰るというのが、キリスト教の死生観です。しかし、人間の魂は、肉体の死後、霊界で天国に受け入れられるという教義がキリスト教では、定められている。これが、キリスト教という宗教なのです。

「妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」という神様の言葉通りに、人類は苦労をして食物を大地から得てきたという歴史観が現れている。

これは、男尊女卑の考えというよりは、神様の教えを軽んじるという人間の性向を指摘している。そして、エバをそそのかした蛇は、悪魔の化身だったというのがキリスト教の解釈です。悪魔は、妻のエバの心にまず入り込み、そしてその夫も妻の言葉に従って、神様の教えを無視するようにさせた。蛇の言葉など信じないアダムも、妻のエバの言葉には従った。悪魔の狡猾な作戦です。

しかし、神様は悪魔の狡猾さに屈することはなく、蛇(悪魔)を罰し、また、蛇の作戦にひっかかったアダムとエバを楽園から追放する。神様のご威厳は損なわれてはならない。

これが、原罪と呼ばれる人類が負った罪です。AIでは、「原罪とは、最初の人間アダムとエバが神に背いて犯した罪が、その子孫である全人類に受け継がれているとするキリスト教の教えであり、人は生まれながらに神との関係が損なわれた状態にあると理解されます」と説明されている。

この意味でキリスト教は、人間と神様の関係は楽観的なものではなく、悲劇的な面の強い関係だと規定している。そして、神様の子のイエス・キリストも悪魔に魂を売った人間によって十字架の刑にかけられるという悲劇を経験している。

いかに、悪魔の神様への抵抗が根強いものであるのかが分かる。悪魔は人間の心に入り込み、神様の教えを無視させるという性向が、旧約聖書の創世記の中に記されており、新約聖書でも神様の子のイエス・キリストを殺害することに成功している。人類の歴者は、まさに、神様とそれに反抗する悪魔の戦いに巻き込まれた人類の苦労の歴史だということになる。

神様は、悪魔も人類も作らなければ、霊界もこの世も天国だったのだが、そのような問題も許すことで、神様はそのような不完全さを含む、より大きな完全を目指したことになる。

しかし、そのドラマもやがて終わる。神様は悪魔も人類も必要としなくなり、この世でも霊界でもやがて神様のご威光が世界を支配する。

これを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。全ては神様の意志にかかっている。

アダムとエバの物語りは、その一端を示す人類の霊的な出発点なのです。

神様によって、「ちり」から生み出された人間は、再び「ちり」に帰る。しかし、肉体という「ちり」を離れた霊は、神様への信仰によって天国に受け入れられるというのが、霊的なキリスト教なのです。

全知、全善の神様を信頼することが、人類の義務なのです。

2026年7月8日水曜日

「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」 (マルコによる福音書第 8 章) (“Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”)


30 するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。
31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、
32 しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、
33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。(マルコによる福音書第 8 章)

30 Jesus warned them not to tell anyone about him.
31 He then began to teach them that the Son of Man must suffer many things and be rejected by the elders, the chief priests and the teachers of the law, and that he must be killed and after three days rise again. 32 He spoke plainly about this, and Peter took him aside and began to rebuke him.
33 But when Jesus turned and looked at his disciples, he rebuked Peter. “Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
34 Then he called the crowd to him along with his disciples and said: “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 35 For whoever wants to save their life[b] will lose it, but whoever loses their life for me and for the gospel will save it. 36 What good is it for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? 37 Or what can anyone give in exchange for their soul? 38 If anyone is ashamed of me and my words in this adulterous and sinful generation, the Son of Man will be ashamed of them when he comes in his Father’s glory with the holy angels.”
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「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか 」というイエス・キリストの言葉は、イエスの考え方の基本です。この世の富や権力は、人の命と比べれば無に等しいと延べられたのです。物質文明に対する痛烈な批判です。

物質文明の下では、人々は幸福を目指して富を求め、また、他人や他国に対する優越感を求めて権力を追求する。しかし、そもそも自分の命が失われれば、富や権力は意味を持たない。しかし、狡猾で狂った悪魔は人々の心に入り込んで富や権力を追求させる。

それにつながる生き方や考え方は、まさに、悪魔の影響によるものです。そして、悪魔の手にかかってイエス自身が殺されるとの予言までした。その時、年上のペテロが、この過激なイエスの説教を聞いて、少し慎むようにイエスを諫めるような発言をしたとき、イエスはペテロの心の中に悪魔が入り込んだと考えて「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と逆にペテロを叱ったのです。

後に初代ローマ法王と呼ばれたペテロの心の中にすら、悪魔が入り込んだのです。それは、神様のことより、世間体や宗教人としての配慮に重きを置いた発言をペテロがしたことに現れている。この世や人間界のことを中心に考えれば、神様の教えなど実行できるはずはない、というのが当時も今も常識なのです。

「私はやがて悪魔やその手下のユダヤ教の幹部に倒される」とイエスが述べるのは、弟子たちにとって理解できない発言であり、人間として受け入れられない言葉だったのです。

しかし、イエスは「邪悪で罪深いこの時代」として、世の中は悪魔の影響下にあることを指摘し、「わたしとわたしの言葉とを恥じる」者は、イエスの弟子には相応しくなく、神様もそのような者が悪魔の手下となったと判断し、イエス・キリストも自分の弟子にそのような者がいることを恥じると言っておられるのです。

イエスより年長者のペテロは、社会的経験よりも、神様の心に近いことが威力を持つのだとして、イエス・キリストに従うことになるのです。背後に神様のいるイエスと、悪魔の影響を受けた人間では、比較にならない。若い人間でも神様の霊を受けた人間には従うべきだというのが、今の宗教界でも常識になっている。若くても、霊感があれば教祖になれる、というのが今も宗教かいでも常識です。

社会の中の経験や、人間的な修行の長さなどよりも、神様の霊を受けることが重要なのです。神様が指定した人間が、その宗教団体を率いるのは当然だという考えは、今ではどの宗教でも常識になっている。そして、イエスは、たとえ年上のペテロでも、悪魔に影響されれば、それを指摘されたのです。

これは、ローマ法王ですら悪魔の影響を受けることがある、ということを聖書は認めたことになる。「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」という言葉は、現在10億人以上の信者の上に立つローマ法王を諫める言葉になっている。

仏教の教派の教祖になっても、その心に悪魔が入り込むことがあり、神道の神官になっても、その心に悪魔が入り込むことがある。しかし、宗教の幹部になっても、その命を失えば無意味になる。

そもそも、宗教とは命を助けるものであり、命を失うようなことをするのは、宗教の否定なのです。悪魔に魂を売ったとき(神様を否定し、その教えを軽んじる行為)には、宗教の教祖よりも、無名の純粋な信徒の方が神様から高く評価される。

さらに、イエス・キリストは、たとえご自分がこの世で悪魔に殺されても、将来、再び神様の「光のうちに聖なる御使たちと共に」やって来ると述べて、神様とご自分を信頼するようにと述べられたわけです。

真のキリスト教は、この世のためのものではなく、この世から霊界を貫く神様の栄光を讃えるものなのです。それを、信じれば、信徒は人間界でも神様のご威光によって救われるというのが、霊的なキリスト教なのです。


2026年7月6日月曜日

岩の上に自分の家を建てた賢い人 (マタイによる福音書 第 7 章)(a wise man who built his house on the rock)


 22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。(マタイによる福音書 第 7 章)

22 Many will say to me on that day, ‘Lord, Lord, did we not prophesy in your name and in your name drive out demons and in your name perform many miracles?’ 23 Then I will tell them plainly, ‘I never knew you. Away from me, you evildoers!’
24 “Therefore everyone who hears these words of mine and puts them into practice is like a wise man who built his house on the rock. 25 The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house; yet it did not fall, because it had its foundation on the rock. 26 But everyone who hears these words of mine and does not put them into practice is like a foolish man who built his house on sand. 27 The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house, and it fell with a great crash.”

28 When Jesus had finished saying these things, the crowds were amazed at his teaching 29 because he taught as one who had authority, and not as their teachers of the law.
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これは、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」の譬えとして知られるたイエス・キリストの教えです。

また、信仰のない悪人をイエスが拒絶することを、「わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」と述べて明確にしておられる。

そして、イエス・キリストは、「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられた」と聖書は述べている。イエスは、宗教学者などは及ばないような霊的権威を持っておられたことが明らかになっている。単なる「知識」ではなく、「権威」もイエスにはあったのです。

真実の信仰があれば、この世の浮き沈みに一喜一憂することもなく、まさに、大船に乗ったかのように安心して安全な人生行路を続けられる。また、どんな嵐にも耐えられる強固な家に住んでいるようなものであり、人生の土台が崩壊し、破滅することもない。

それは、万全の保険に加入しているようなものであり、心配とは無縁の生活が真の信仰心の上に打ち立てられる。

逆に、イエスの説教を聞いても、その言葉を実行しない者は、「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」だということになる。この世でどんなにエリートになり、富裕層になっても、人生の危機に見舞われ、「倒れ方はひどい」と言われる人生の崩壊に直面する。それは、表には現れないかも知れないが、その人間のよって立つ信念も崩すような大雪崩となる。表面は取り繕えても、そのような人間は狂気、暗黒、混乱、喪失感、或いは、無気力・無感動状態になる。

実際に、無神論の人間が死の直前に神様の存在や霊界の存在に気が付いても、もはや、その生き方を修正することはできない。人には親切にしておくべきだったと後悔しても、もはや時間はない。このようにして、何度も何度もこの世に生まれ変わって修業を続けるしかない。これは、霊的な運命に関わる大問題です。

霊的な力や存在を認めない学者やエリートなども、死を前にしてこの世の真理に気が付いても、もはや人生をやり直すことはできない。キリスト教を慌てて信じても、死後は、霊界でイエス・キリストに、「お前など知らない、去るがよい」と言われて天国には入れてもらえない。この世の肩書や富は、霊界では何の役にも立たない。霊界では、愛と信仰の実績しか意味を持たない。そして、愛と信仰の生活は、岩の上の家のように、この世の嵐にも耐えて、その人を守るのです。

このような信仰の霊的な力、人間界での力を信じるのが、「霊的なキリスト教」なのです。

2026年7月5日日曜日

「けがれた霊よ、この人から出て行け」 (マルコによる福音書 第 5 章) (“Come out of this man, you impure spirit!”)

 

2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)

2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.

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これは、「けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった」という劇的な、イエス・キリストによる悪魔祓いの情景であり、悪魔・悪霊が2千匹の豚の中に入って、崖から海へとなだれ落ちたという話しです。

悪魔・悪霊は人の心だけでなく、動物の心にも入り込むのです。イエスは、悪魔・悪霊を人間の心から追い出し、豚の心の中に移し替えることが出来たのです。

このように、悪魔・悪霊に取り付かれる人は、「迷信」を信じる人が多かった古代にはよく見られた。霊的な現象を素直に信じる人が多かった古代には、そのような人は霊の侵入も素直に受け入れる状態になっていて、いつのまにか、彼らの心が悪魔や悪霊に支配されることが多かった。

日本でも、古代から呪術が行われており、イエスのように悪魔祓いや、悪霊の追放を行う霊的な術者や宗教人、修行者、行者と呼ばれる人がいた。時代が進み、それは見えない悪霊の仕業ではなく、精神的な病や錯乱が原因だと医学的に判断されて、「迷信」が社会から無くなると、悪魔付きという現象は見られなくなった。又は、科学の発展により、目に見え実証できる因果関係に原因の追究が行われ、悪魔付きの現象は社会の表面から隠されるようになった。(ただし、今でも悪魔祓いはカトリックなどのキリスト教会で行われている。)

これは、全ての霊的な問題に対する考え方に影響を与え、科学的に実証できなものは、単なる気のせいだとか、古い考え方だと判断され、霊的な存在が無視されるようになったことに通じる。

しかし、人々の間に霊は存在するとの伝統的な考え方は残っており、学校では教えないが、現実に霊的な体験をする人は後を絶たない。そこで、現代科学では教えない霊的な問題を扱う霊能者が密かに認められている。(日本の天皇の最も重要な仕事は皇居内の社で神道の祈りを捧げることだとされている。)

最近の日本でも、故・宜保愛子などの霊能者がテレビで脚光を浴びたり、霊的体験を小説に書いたりした故・佐藤愛子などの本がよく読まれたり、霊的現象を超常現象として報告するテレビ番組に出演する人もいる。また、霊の力を借りて心霊治療を行う人も世界では報告されている。

ただし、科学では霊的な存在は扱えず、学校などで扱うことはないし、特に医学ではそれは人間の特殊な心理状態だとされて、精神医学や心理学の問題(超心理学)とされ、文化的には古い迷信だとされ、宗教上の別世界の問題だとされたり、芸術上の霊感などの合理性の通じない問題とされている。

しかし、全ての宗教は霊的な存在を認めており、不思議な出来事は存在すると考える人も多い。科学万能という考えには、限界があることを素直に認める人もいる。(ニュートンもアインシュタインも科学の限界を認めている。)

最近では、東大病院の医師だった矢作直樹は、自分の霊的体験を通して霊の存在や死後の霊界の存在を信じて著作に発表している。また、UFO研究家の矢追純一も超常現象を追求して、超能力や霊的な力の存在を信じている。テレビでは、霊能者が出演する番組が高い人気を誇ったこともある。(ユリ・ゲラーのスプーン曲げも霊能力の一種だとされている。)

しかし、社会の公の場で、霊的な問題が議論されることはない。人が死ねば無になり、霊界は創造の産物だという考えが主流です。それでも、宗教を求める人は多く、霊的な認識は社会の底流で生きている。

その代表的なものが、キリスト教なのです。天国を認めないキリスト教の教会はない。死後の世界を認めない聖職者はいない。そして、キリスト教の聖書では、イエス・キリストの霊的な言葉が記載されている。また、仏教もブッダ(お釈迦様)の霊能力を認めた上で成立しており、極楽・地獄を認めない僧侶はいない。また、神道も神霊を祀る神社を廃止するようなことはない。そして、日本の文化自体が、茶道や華道、ナントカ道などという精神的な価値を重んじ、精神の根本である霊性を尊重している。これらを総体として、日本の霊性という(鈴木大拙の著書が有名)。つまり、西欧の科学を尊重する公の世界では、霊的問題は非科学的だとして無視されているが、一般の人々の間には、霊を認める文化がある。しかし、西欧の科学も、西欧のキリスト教文化から生まれたものであり、キリスト教は霊を認める宗教なのです。

霊の文化から生まれた科学では、霊を否定するという現象が、欧米文化が支配する世界で見られるという矛盾が世界的に見られる。これが、現在の物質文明の実態です。実際、カネはモノを得るための手段であり、精神的価値も経済的な価値に変えられて売り買いされる。宗教の書物(聖書や仏典など)も、値段がついている。宗教団体も金銭勘定ができなければ成り立たない。

それでも、キリスト教の聖書には、イエス・キリストが、霊的な存在の聖霊・天使や悪魔などを扱った言葉が記述されている。

キリスト教とは、本来、霊を扱う宗教であり、それは仏教や神道でも変わらない。また、キリスト教の聖書、特に福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)はイエス・キリストの霊的な生き方を記したものなのです。

そして、この世は大宇宙も含めて神様が霊的な力で創造されたものであり、人間界にも霊的な力が及び、さらには、人間の死後の霊界も神様が作られたものだということを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。

2026年7月4日土曜日

「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」 (ヨハネによる福音書 第 3 章) (Flesh gives birth to flesh, but the Spirit gives birth to spirit.)

 

5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。
10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。(ヨハネによる福音書 第 3 章)

5 Jesus answered, “Very truly I tell you, no one can enter the kingdom of God unless they are born of water and the Spirit. 6 Flesh gives birth to flesh, but the Spirit gives birth to spirit. 7 You should not be surprised at my saying, ‘You must be born again.’ 8 The wind blows wherever it pleases. You hear its sound, but you cannot tell where it comes from or where it is going. So it is with everyone born of the Spirit.”
9 “How can this be?” Nicodemus asked.
10 “You are Israel’s teacher,” said Jesus, “and do you not understand these things?
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「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」というのは、神学の基礎になるイエス・キリストの言葉です。

この世界は、見える世界(物質界、人間界、肉体の世界)と見えない世界(霊界、死後の世界)から成っていると、今の日本の多くの霊能者も述べている。イエスも霊能者だったので、見えない世界(霊の世界)が見えていたのです。

そして、人々を導く師と呼ばれる人なら、「これぐらいのこと」は分かるはずだと述べておられる。つまり、霊的な理解は宗教の指導者であれば、当然だということです。

今の日本でも故宜保愛子などは霊視ができて、テレビにもよく出演していた。彼女は、他人に取り付いている霊が、意識的に、又は、無意識的に見えたという。大部分はその人の守護霊だが、なかには、怨念を持った霊が供養を要求して取り付いていることもあるという。浮遊霊や地縛霊という怪しげな霊が取り付いていることもあるという。また、亡くなったペットの犬や猫の霊が見える場合もあるという。特に、自分が死んだことが分かっていない霊も、生きている人に取り付くこともある。霊能者は、霊とも話ができたり、霊の心が分かるという。さらに人の前世も分かるというのだから、一般人には想像を超えた力です。

そういう霊に対しては、線香をあげ、そえ物をあげ、お経を読んだりし、また、既に肉体がなくなっていることを説いて聞かせれば、だいたい、迷える霊は霊界に帰り、霊界での霊格の上昇を心がけるようになるという。

イエス・キリストは、そういう霊界の話を詳しくは述べていないが、霊界が存在することは、当然のこととして説教をされている。だから。普通は見えない世界(霊界)の存在を理解しなければ、聖書のイエス・キリストの話は理解できない。

また、単に霊視や霊聴が出来るだけでなく、霊能力を使えるイエスは、その超能力で病人を癒すこともできた。さらには、神様のように奇跡を起こすこともできたのです。今の世界の心霊治療家にもイエス・キリストを信じるものが多い。

この霊能力があれば、まさに、「できないことはない」のです。ナポレオンが「私の辞書には不可能はない」と全知全能であるかのように述べたことも頷ける。ナポレオンは、フランス革命後のフランスで、霊能力を使って出世したのかも知れないが、権力を求め、最後には、悪魔の罠にはまって失脚する。他方、人間的な権力を求めなかったイエスは、悪魔の罠にはまることなく歴史に成功者として名を残している。ただし、悪魔はイエス・キリストを殺害することには成功した。ナポレオンは晩年は大西洋のセント・ヘレナ島で幽閉されて51歳で亡くなることになる。

また、最近亡くなった佐藤愛子は、北海道の別荘で悪霊などに悩まされたことも有名です。佐藤は霊能者や心霊学会などに頼り、徐霊の儀式を行い、最終的には悪霊から救われたと言われている。

カトリックでは悪魔祓い(エクソシズム)という職務がある。霊界にはさまざまな霊がいて、人間界に出現して人間の行動に干渉する。悪霊はイエス・キリストの名によって祈れば退散させることができるというのが、カトリックの考え方です。また、「プロテスタントでも悪魔祓いは存在し、 「エクソシズム」という儀式よりも、祈りと聖書朗読を通じた「解放(デリバランス)ミニストリー」として行われることが多く、教派や教会ごとに実施の有無や慎重さが大きく異なります」とAIでは説明している。

聖書では、イエス・キリストが悪霊を人々から追い出したとの記述があるが、この悪魔祓いを理解するには、霊的な解釈が必要なのです。また、イエス・キリストが行った多くの奇跡を理解するのにも、霊能力の理解が必要です。

霊界を理解するには、18世紀の霊能者スウェーデンボルグの著作や、チベットや古代エジプトの死者の書や日本の神話や空海の著作を読むのが役に立つが、聖書のイエス・キリストの言葉を素直に読むだけでも、霊の存在や霊界の様子は理解できる。

また、霊界ではキリスト教の天使や仏教の大霊がいて、死者の霊だけでなく、生きている人間を助ける。ただし、霊界には悪魔もいて霊界の地獄で死者の霊を支配し、この世にも表れて人々を惑わし、苦しめ、悪に誘い込む。或いは、神様に従う人間を攻撃する。

このような、霊的問題を理解するのが、今の人間にも求められる。

人間の苦しみは、悪霊などによる霊障が原因の場合もあり、悪霊を人の心から追い出すイエス・キリストの力は今も求められているのです。

2026年7月3日金曜日

「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ」 (マルコによる福音書 第 11 章) (“Hosanna” “Blessed is he who comes in the name of the Lord!”)



さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
2 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。
3 もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。
4 そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。
5 すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。
6 弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。
7 そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。
8 すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。
9 そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
10 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。
11 こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわった後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。 (マルコによる福音書 第 11 章)

11 As they approached Jerusalem and came to Bethphage and Bethany at the Mount of Olives, Jesus sent two of his disciples, 2 saying to them, “Go to the village ahead of you, and just as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here. 3 If anyone asks you, ‘Why are you doing this?’ say, ‘The Lord needs it and will send it back here shortly.’”

4 They went and found a colt outside in the street, tied at a doorway. As they untied it, 5 some people standing there asked, “What are you doing, untying that colt?” 6 They answered as Jesus had told them to, and the people let them go. 7 When they brought the colt to Jesus and threw their cloaks over it, he sat on it. 8 Many people spread their cloaks on the road, while others spread branches they had cut in the fields. 9 Those who went ahead and those who followed shouted,

“Hosanna”

“Blessed is he who comes in the name of the Lord!”

10 “Blessed is the coming kingdom of our father David!”

“Hosanna in the highest heaven!”

11 Jesus entered Jerusalem and went into the temple courts. He looked around at everything, but since it was already late, he went out to Bethany with the Twelve.

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これは、イエス・キリストが人生の最後にエルサレムに入られたときの情景、「最後のエルサレム入城」の様子です。いよいよ、聖書のクライマっクスが始まるのです。

群衆は熱狂し、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」とイエスの一行の周りで叫んだのです。

このイエスの「最後のエルサレム入城」は、群衆の興奮に包まれたものであったが、イエスがエルサレムから出る時は、死体となっていたのです。そして、イエス・キリストの死は、その後2千年にわたるキリスト教の発展の出発点となったのです。いや、この2千年の人類の歴史は、その時から始まったのであり、現在の西暦は、イエスの誕生の年(と思われた年)を起点としている。つまり。現在は西暦2026年なのです。

なお、日本政府では、神武天皇即位の年を元年とする皇紀が使われており、現在は2686年になります。皇紀は、「西暦」プラス660になります。

この紀元前660年前の頃は、孔子やブッダ、ソクラテスが活躍し、ユダヤ教の旧約聖書の編集が行われていた時代にあたります。ただし、神武天皇は伝説・神話の存在であり、日本神話の創作です。それでも、紀元前660年頃に日本の建国が設定されたのは、霊的に日本の歴史が世界の歴史につながっていることを示唆しています。

日本の歴史の前半は天皇家の歴史であり、天皇家の祖先が、古代中国の「秦帝国」の方士と呼ばれる呪術家の徐福の側近だったと考えれば辻褄が合う。紀元前200年頃に成立した古代中国の最初の中国の統一帝国の「秦」は。秦の始皇帝が有名ですが、その始皇帝から支援を得て、中国大陸から東シナ海、太平洋へと中国神話の伝説の神の島(蓬莱)を目指した徐福の一行は日本列島に到達し、当時の最先端の技術を日本に伝え、稲作中心の弥生文化を日本で加速させたと思われる。これが、科学的に納得できる天皇家の出自です。今でも、全国に徐福の渡来の地との伝説を持つ場所が全国に存在する(和歌山県の新宮など)。

しかし、イエス・キリストは神話や伝説の存在ではなく、歴史的事実によって裏付けられた存在であり、むしろ、霊的な存在であったと思われるような超能力をもった呪術者でもあったわけです。神の子と呼ばれるだけの、霊能力を持っていたことが、イエス・キリストの本質なのです。いわば、人類最大の霊能力者なのです。正しいイエス像を人類は持たねばならない。

そのイエスを当時の群衆は、事実上のユダヤ人の王として、歓呼してエルサレムで迎えたのは当然なのです。その声が「ホサナ」という言葉であり、AIでは「「ホサナ」は、ヘブライ語に由来し「どうか救ってください」「今お救いください」という意味」を持つとされている。

つまり、「お救い下さい」と群衆はイエスに向かって叫んだのです。

しかし、悪魔はこのチャンスに、その配下のユダヤ教の祭司やローマ軍の幹部にイエスを逮捕させ、十字架上で刑死させたのです。そして、新薬聖書が書かれることになり、悪魔の意図とは反対に、イエス・キリストの言葉は歴史に残ることになった。これが、人類の歴史なのです。

だから、人間である日本人も歴史を学び、キリスト教を理解することが求められるのです。日本の皇室の曖昧な歴史とは違って、キリスト教の歴史は文書化されており、ユダヤ人の歴史と合わせれば、ユダヤ・キリスト教の歴史は4千年にも及ぶのです。

日本の縄文時代(稲作文化以前)から、西欧の基盤のユダヤ・キリスト教は始まっていたのです。その象徴がキリスト教であり、そのキリスト教の象徴が十字架上のイエス・キリストであり、そのイエス・キリストの人生の象徴が、「最後のエルサレム入城」なのです。

聖書は霊的に解釈しなければならいが、最も劇的な情景が、イエス・キリストの「最後のエルサレム入城」なのです。

2026年7月2日木曜日

「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」 (マタイによる福音書 第 9 章) (“Get up, take your mat and go home.”)



さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
2 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。(マタイによる福音書 第 9 章)

9 Jesus stepped into a boat, crossed over and came to his own town. 2 Some men brought to him a paralyzed man, lying on a mat. When Jesus saw their faith, he said to the man, “Take heart, son; your sins are forgiven.”
3 At this, some of the teachers of the law said to themselves, “This fellow is blaspheming!”
4 Knowing their thoughts, Jesus said, “Why do you entertain evil thoughts in your hearts? 5 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? 6 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “Get up, take your mat and go home.” 7 Then the man got up and went home. 8 When the crowd saw this, they were filled with awe; and they praised God, who had given such authority to man.
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「あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか」というのもイエス・キリストの有名な言葉です。

口先だけで、病人に「罪はゆるされた」と言うのはたやすい。しかし、病人に「起きて歩け」というのは、実際に病を癒さなければ言えない。イエスは、インチキな宗教人ではなく、実際に病人を癒す力を持っておられることを証明したのです。

これは、イエス・キリストには超能力があったことを示す言葉です。霊的な力を自由に扱えるイエスは、病人の病をいや能力を持っていたのです。

日本人でも、高塚光のように霊能力で多くの病人を癒す霊能者はおり、イギリスでは故ハリー・エドワーズのような心霊治療家もおり、ブラジルやフィリピンにも心霊治療家がいる。

彼らは、普通、信仰心の高い人であり。霊界から霊能力を得ていたとされている。そして、イエスもそのような霊能者として2千年前に世界に現れたのです。

万物は神様が作られた者であり、その神様とつながったイエスは当然、神様の霊能力が使える。その証明になるイエスの業(わざ)なのです。