2026年10月25日日曜日

日本人は、2030年の危機に備えよ!!


去年は、7月に大災難が地球に生じると予言されていたが、何も生じなかった。

漫画家のたつき諒や物理学者の保江邦夫の予言は外れた。これは、予言の逆効果で、破滅が来ると予言されれば、助かろうとする人々の念が集合して働き、予言の効果を防止するように働いたとも考えられる。誰にも霊能力があるので、その集団の効果は大きい。

或いは、予言者以外の超能力者や霊能力者の力が働いて防止したとも考えられる。聖書を読んで神様に祈れば、願いが叶うとのイエス・キリストの教えもある。

去年の夏は、当時の石破首相の政権への執着心が度が過ぎて、政局に大混乱を引き起こしたが、その結果、女性初の高市首相が誕生した。しかし、日本のマスメディアは、高市には冷ややかだった。おまけに、中国の領事が高市殺害を予告するなど、中国の反高市姿勢が鮮明になり、親中の公明党が政権を離脱するという状況が生じた。これは、自民党には逆にプラスになった。

さらに、日本国民は、保守姿勢を明確にした高市を、2026年の初頭の総選挙で明確に支持した。経済不況に苦しむ中国には、もはや、台湾を軍事侵攻する力はないように思える。習近平にも、勢いは見られない。しかし、中国の異常な覇権主義や反日姿勢は変わらない。中国共産党が倒れるまでは、この状況は続くと思われる。

中国軍は、現在、AIを使って日本などの企業や政府のコンピュータにハッカー攻撃をしかけている。これも、中国の狂った姿勢の表れです。

他方、アメリカでは、トランプ・マジックに陰りが出ており、中間選挙では与党の共和党が惨敗すると思われる。しかし、2028年の大統領選挙に有力な候補は、民主党の中からはまだ出ていない。これからのアメリカの政局は注目すべきです。特に、アメリカは、イランとの戦争に深入りるすべきではない。イスラエルを抑えれば、アメリカとイランの対立は収まると思われる。

ロシアは、相変わらずアメリカに謀略戦を仕掛けていて、トランプを懐柔してウクライナ戦争を有利に運ぼうとしている。ロシアやイランを支える最大の勢力は中国だが、ロシアは中国を巻き込んで、トランプを味方に引き入れ、自分が始めたウクライナへの侵略戦争を有利に運ぼうとしている。元スパイだった、プーチンには経済能力もなく、ただ謀略だけに頼る信用の出来ないリーダーです。故・安倍元首相のプーチン観を、高市は受け継がず、危険な政治家としてプーチンを警戒すべきです。

高市は、不安定なトランプ政権にも迎合せず、ロシアや中国への警戒心を緩めずに、日本独自の外交と安全保障を確立すべきです。

日本の新聞やテレビなどのマズメディアは、親中派に牛耳られており、信用できないが、国民の大多数は愛国派の高市を支持している。高市は自信を持って政治を行うべきです。

ただし、消費税の1%への減税よりも、野党の主張する給付金の支出の方が効果が大きい。税金には手をつけずに、給付金の支出する方が、財務官僚の賛同を得やすい。

政府は、税金は徴収するが、他方、柔軟に給付金を支出して、食品の値上がりなどに対応すべきです。将来的には、生活保護手当のような、消費手当を国民に支給すべきです。

また、世界の大災害の予言としては、2030年頃に文明の崩壊が、宇宙人によってリンゴの無農薬栽培家の木村秋則に予言されており、また、イギリスの学者が2030年頃から小氷河期が始まると予測しており、2028年のアメリカ大統領選挙後に、地球は大きな変動に見舞われると予測される。

日本人は、保守愛国の高市を中心に団結し、ロシアや中国が始めるかも知れない第三次世界大戦や2030年頃の自然大災害に備えるべきです。

このような状況であれば、国債の発行が将来世代に負担を増やすなどの議論は無意味です。高市政権は、国債発行を増やしてでも、給付金を増額し、日本の社会を将来の大災難に備えて強化しておくべきです。


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聖言:

「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」 (マルコによる福音書 第 10 章) ("It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.")


2026年10月24日土曜日

収穫まで、両方とも育つままにしておけ (マタイによる福音書 第 13 章) (Let both grow together until the harvest.)


24 また、ほかのたとえを彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。
25 人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
26 芽がはえ出て実を結ぶと、同時に毒麦もあらわれてきた。
27 僕たちがきて、家の主人に言った、『ご主人様、畑におまきになったのは、良い種ではありませんでしたか。どうして毒麦がはえてきたのですか』。
28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
29 彼は言った、『いや、毒麦を集めようとして、麦も一緒に抜くかも知れない。
30 収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう』」。(マタイによる福音書 第 13 章)

24 Jesus told them another parable: “The kingdom of heaven is like a man who sowed good seed in his field. 25 But while everyone was sleeping, his enemy came and sowed weeds among the wheat, and went away. 26 When the wheat sprouted and formed heads, then the weeds also appeared.
27 “The owner’s servants came to him and said, ‘Sir, didn’t you sow good seed in your field? Where then did the weeds come from?’
28 “‘An enemy did this,’ he replied.
“The servants asked him, ‘Do you want us to go and pull them up?’
29 “‘No,’ he answered, ‘because while you are pulling the weeds, you may uproot the wheat with them. 30 Let both grow together until the harvest. At that time I will tell the harvesters: First collect the weeds and tie them in bundles to be burned; then gather the wheat and bring it into my barn.’”

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これは、「毒麦のたとえ」と呼ばれる聖書でよく知られたイエス・キリストによるたとえです。

AIによれば、「毒麦のたとえは、マタイによる福音書13章24節から30節に出てきます。畑に良い麦をまいた主人がいましたが、敵が夜のうちに毒麦をまきました。しもべが抜こうとすると、主人は刈り入れまで両方とも育つままにしておきなさいと言います。最後に収穫の時、毒麦を分けて焼き、麦は倉に集めます (cbcj.catholic.jp)」と説明されている。

また、「このたとえでイエスは、この世では善と悪が混じって存在することを示しています。すぐに人を裁こうとすると、良い麦まで傷つけるおそれがあるため、最終的な裁きは神に委ねるという教えとして読まれます (cbcj.catholic.jp)」とされている。

毒むぎには、毒麦の存在理由がある。また、隠れた効果というものがあり、麦がその畑で生育している限り、他の雑草などは侵入してこない。麦全体として環境を支配していれば、良い麦にも良い環境を与えていることになる。独麦を抜けば、その空間を別の植物が占めて、良い麦に悪影響が出る可能性もある。

独麦と良い麦が共に、同じ土壌で育っていれば、毒麦を取り除こうとして、麦についている土壌に影響を与え、良い麦にまで悪影響が出る可能性がある。自然環境は、複雑に絡み合っている。成長途上においては、毒麦と良い麦が、たがいに支え合っている部分がある。さらに、成長段階では、毒麦と良い麦の区別が難しい、間違って、良い麦を抜いてしまう可能性がある。

完全に成長すれば、毒麦と良い麦の区別は簡単につく。間違って、良い麦を毒麦扱いにすることはない。良い麦を一本でも守るためには、毒麦と間違えて、良い麦を抜く危険はおかせない。大事な良い麦を一本でも、失わないためには、毒麦が育つのもやむを得ない。独麦を保護しているのではなく、良い麦を最大限守るために、毒麦に手をつけないという意味です。

つまり、善霊を育てるには、悪霊と見分けがつかない若い時代には、まちがって善霊を裁いて、地獄に投げ入れないように、悪霊の裁きは控えるべきだということです。悪霊を守っているのではなく、善霊に害が及ばないように、悪霊の裁きを控えているわけです。善悪の判断がつけられない複雑な状況や、善悪が共通する形を取らなければならない場合もある。そういう状況を脱すれば、悪霊は間違いなく地獄に投げ入れ、善霊は確実に天国に導くことができる。善霊には、そこまで、最大限の保護を与えるという意味です。

1つの善を悪だと間違って判断しないためには、多くの悪の存在を許さなければならない場合もある。

冤罪の可能性が万に1つでもあれば、容疑者の逮捕は控えざるをえない。だれの目にも犯人が明らかになるまで、悪人の逮捕は控えるべきだということになる。百人の犯人を逮捕できても、101人目に無罪の人間を間違って逮捕すれば、それまでの功績は無になるということです。

悪を守っているのではなく、善を完全に守ろうとしているのです。悪を裁くことより、善を守ることが重要なのです。

2026年10月23日金曜日

良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった (マタイによる福音書 第 13 章) (Still other seed fell on good soil, where it produced a crop—a hundred, sixty or thirty times what was sown)



3 イエスはたとえで多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
4 まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
5 ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、6 日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
7 ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
8 ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
9 耳のある者は聞くがよい」。(マタイによる福音書 第 13 章)

3 Then he told them many things in parables, saying: “A farmer went out to sow his seed. 4 As he was scattering the seed, some fell along the path, and the birds came and ate it up. 5 Some fell on rocky places, where it did not have much soil. It sprang up quickly, because the soil was shallow. 6 But when the sun came up, the plants were scorched, and they withered because they had no root. 7 Other seed fell among thorns, which grew up and choked the plants. 8 Still other seed fell on good soil, where it produced a crop—a hundred, sixty or thirty times what was sown. 9 Whoever has ears, let them hear.”

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AIによれば、この「種まき」のたとえは、「イエスが語った有名なたとえ話です。主にマタイ13章、マルコ4章、ルカ8章にあります。(bible.com)種をまく人が種をまくと、種は次の4つの場所に落ちます。道ばた、石だらけの土地、いばらの中、良い土地です(bible.com)」とされている。

また、「イエス自身の説明では、種は神の言葉を表し、土地はそれを聞く人の心の状態を表します。(bible.com)

土地      意味

道ばた     聞いても受け取れない
石地      すぐ喜ぶが続かない
いばら     心配や誘惑にふさがれる
良い土地    聞いて受け入れ実を結ぶ

このたとえの中心は、同じ言葉でも、受け止める側によって実り方が違うという点です(bible.com)」と解説されている。

実際、世の中に教訓や名言、人生訓、また、霊による霊訓など、多くの導きの言葉が存在する。人生に悩んだ人は、このような言葉を求める人もいる。書いた言葉に指導となる言葉を求める人は、まだ向上心がある。さらに、親や目上の人、尊敬する先輩、老人の言葉を思い出して、人生の指針にしている人もいる。まともな人間は、指導となる言葉を求めるものです。自分の限界を知っているからです。

ただし、悪魔の言葉と天使の言葉の見分けもつかない人間もいる。特に、目先の利益に目を眩ませられると、安易な言葉に流れやすい。商業主義の世の中では、「お得な話」や「幸運を呼ぶ秘訣」や「富豪の賢者の言葉」など人が飛びつくような言葉や話も世の中には満ち溢れている。おまけに未熟な芸人や浅薄な成功者の思い付きや勘違いや、偏った作家や芸術家、学者や識者の歪んだ思想も世に出ている。

せめて、名僧や偉人、宗教人の言葉など、精神的に優れた人の言葉を研究すべきです。その中で、最も信用できるのが、キリスト教の聖書、仏教の仏典、哲学者の言葉、すぐれた文学者、作家の言葉などです。しかし、最高の教えは神様の教えだということになる。だから、新宗教などでは、神がかりになって、教祖が神様のお告げなどと言って、信徒にわけの分からない言葉や、人の心理につけこむニセの言葉を与えたりする。また、霊能者を装って、神の言葉を得たなどというインチキな例もある。

経済的に害のない勘違いや、悪意のない思い込み、単に勉強不足の間違った思想や解釈などもあるが、カネを狙いにする詐欺的な教えもある。人を騙そうとする人間は、どこまでも図太く、狡猾で、人の心理につけこむ言葉を使う。自分の人生観や経験を過信すると、そのようなプロの犯罪者の言葉を見抜けないことも多い。悪魔は、聖職者を演じることも、人情家を演じることも、誰もが感動するセリフを吐くこともできる。悪魔はホームレスの中にも、皇族の中にも入ることができる。肩書で人を判断してはいけない。また、人の状態や感情も信用できないこともある。

しかし、キリスト教や仏教は2千年以上にわたって世の中で試され、多くの人の批判や実績に裏付けられており、真実の言葉が残っていると考えられる。そのような聖書や仏典を研究するのが真の学問だということになる。

そのキリスト教の聖書で、この「種まき」のたとえは、簡潔に人々の神様の言葉に対する姿勢を4通りに分類している。そもそも善悪などの判断ができない状態の人間、欲望にかられやすい浅薄な人間、心配しすぎてだまされやすい人間、そして、素直な心や、真理を愛する心をもった人間などです。最後のタイプの人間は、正しい方向を向いているので、どんなに時間がかかっても、いつかは目的地に辿り着く。だから、忍耐が重要になる。自分が正しい方向に向かっていると確信できれば、人は道からそれることはない。

だから、イエス・キリストが神様から遣わされた人だと、確信できれば、忍耐強くその教えに従うことが重要になる。

その確信は、自分の魂から直観の形で来ることもある。他人の言葉ではなく、自分の直感に頼ることの重要性がここにある。しかし、世の中の損得や人情、偏った思想、また、自分の好き嫌いなどによって、人間の判断は影響を受けやすい。さらに、悪魔や悪霊が人の心や魂の中にまで入り込んで、人を支配しようとするので、非常に危険な状況に陥ることもある。

いづれにしても、人への「愛」と神様への「信仰」で、物事を解決すべきであると考え、カネによって解決を図ろうという姿勢を捨てることで、人間は悪魔の罠から遠ざかり、神様の教えに沿った生き方ができるようになる。

損得、上下、好き嫌いの考えよりも、善悪、正邪、聖俗の判断を優先すべきなのです。もちろん、「善」と「正」と「聖」を貴ぶことが、人間としての当然の生き方なのです。


2026年10月22日木曜日

荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた (ルカによる福音書 第 4 章) (where for forty days he was tempted by the devil)


さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、
2 荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
3 そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
4 イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
5 それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて
6 言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。
7 それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。
8 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。
9 それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。
10 『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、
11 また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。
12 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
13 悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。
14 それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。(ルカによる福音書 第 4 章)

4 Jesus, full of the Holy Spirit, left the Jordan and was led by the Spirit into the wilderness, 2 where for forty days he was tempted by the devil. He ate nothing during those days, and at the end of them he was hungry.
3 The devil said to him, “If you are the Son of God, tell this stone to become bread.”
4 Jesus answered, “It is written: ‘Man shall not live on bread alone.’”
5 The devil led him up to a high place and showed him in an instant all the kingdoms of the world. 6 And he said to him, “I will give you all their authority and splendor; it has been given to me, and I can give it to anyone I want to. 7 If you worship me, it will all be yours.”
8 Jesus answered, “It is written: ‘Worship the Lord your God and serve him only.’”
9 The devil led him to Jerusalem and had him stand on the highest point of the temple. “If you are the Son of God,” he said, “throw yourself down from here. 10 For it is written:
“‘He will command his angels concerning you
to guard you carefully;
11 they will lift you up in their hands,
so that you will not strike your foot against a stone.’”
12 Jesus answered, “It is said: ‘Do not put the Lord your God to the test.’”
13 When the devil had finished all this tempting, he left him until an opportune time.
14 Jesus returned to Galilee in the power of the Spirit, and news about him spread through the whole countryside.

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これは、「悪魔による40日の試み」として知られている箇所で、AIでは、「この場面は、単なる我慢比べではなく、力、欲望、名誉、支配をどう用いるかが問われる場面として理解されています。教会の解説でも、40という数字は旧約聖書の荒野の40年を思わせる象徴的な数とされます(sanpaolo.jp)」とされている。

また、「マタイ福音書とルカ福音書では、特に次の三つの誘惑が語られます。
試み 内容         イエスの答え
食べ物 石をパンに変えよ  神の言葉で生きる
奇跡 身を投げて守られよ  神を試してはならない
支配 世界の国々を与える  神だけを礼拝する
これらに対してイエスは、いずれも旧約聖書の言葉をもって退けています」と説明されている。

しかし、神様から霊的な力を与えられているイエス・キリストは、その力を用いれば、石をパンに変えることも可能であり(多くの人に食物を空中から出現させた)、高い所から落ちても、身を守ることができ(海上を歩かれた)、実際に、今日では世界の多くの国がキリスト教国になっている(アメリカ・イギリスもフランスも、事実上のキリスト教国)。つまり、悪魔の誘惑は、全てイエスによって対応することができ、歴史で実現しているのです。

ただし、イエスは人間として生きることを選ばれたので、通常は、神様から与えられた霊能力は使われなたかった。悪魔は、イエスを挑発して、人間としてではなく、神様から与えられた霊的な力を使ってみろと言ったのです。霊的な力を使えば、もはや、人間として生きるのではなく、霊的な存在となり、人々には人間として接することはできなくなる。霊界では、イエス・キリストの霊は悪魔を踏み砕くことができるが、それは、神様の力が悪魔より強いということを示すだけのことであり、神様が悪魔の存在を許しておられれば、その滅びの時まで、悪魔は存在し続ける。

イエスに勝てなくても、悪魔は、イエスを霊界に引き戻し、人間界での人間としてのイエスの働きを妨害することができる。そうなれば、イエスは霊として、霊界から人間を指導し、援助し、神様の教えを示すだけにとどまる。霊的な感覚を持たない人々には、そのような霊は感じられず、人間としてのイエスを知ることもない。つまり、福音書に書かれたような、イエスの言行録はなくなる。

それは、神殿に神様が祀られていると信じて、人々が神殿に礼拝し、神様の声を自分たちの霊感を通して聞こうとするだけの、従来からの神様への礼拝と変わらないことになる。イエスの出現以前は、神様は、預言者などを通して、何度も神様の声を人間に与えてきたが、その声に人間に従わなかったので、神様は、ついにご自分の一人子を人間として、人間界に送られることにされた。その神様のお考えを妨害しようとする悪魔は、イエスに神様の子である本性を表して、人間ではないということを人々知らせて、イエスは自分たちとは異なる存在だとして、人々から崇められるだけの存在にしようとしたのです。

神様の霊的な力を振るえば、この世の人間界でも、全ての事が実現するが、人々は自分たちとは関係のない霊的な存在の力が現れただけだと考えて、感心をし、霊を崇めても、自分たちとは関係のないことだと考えるものです。つまり、人間的な意味を考えずに、ただ有難い神様の力が現れたと考えて、人間性の向上に役立てようとは考えない。悪魔は、神様の意図を無駄にしようと考えたのです。

しかし、イエスは人間として生きることを選び、人間的に悪魔に対応し、人間でも悪魔に対抗できることを示されたのです。つまり、既に神様は、旧約聖書に記された神の教えを霊として人間に与えておられたので、その言葉を使えば、悪魔に対抗できることを示されたのです。

要するに、悪魔がどんな注文を出しても、イエス・キリストはそれに対応することができる。だから、そんなことが分からないこの世に現れた悪魔は愚鈍なピエロ的な存在だということになる。

むしろ、イエスが悪魔に「お前も霊なら、石をパンに変え、高い所から無事に飛び降り、世界の国々を支配することもできるだろう」と挑発して、悪魔の力を試す立場にあるのです。悪魔が、人間よりも大きな力をもつ霊としての立場から、わざわざ人間の制約を受け入れて人間となった神の子のイエスを、小馬鹿にした態度を取ったのは、まさに、悪魔の愚かさを示すものです。

神様は、イエス・キリストを使わなくても、霊界でも人間界でも、いつでも、悪魔を破壊することは出来るが、人間が悪魔と戦って勝つのを見たく思われたので、悪魔と人間の存在を許しておられるのです。だから、悪魔は、神様に正面切って挑戦すれば、ただしに消滅させられるが、人間となった神様の子を密かに狡猾に攻撃すれば、まだ神様から直接的な怒りはかわないと考えたのです。

それでも、どんなに無駄なことだと分かっていても、イエス・キリストに対する攻撃をやめないのが悪魔なのです。

イエスは石をパンに変える力を持っており、高所から飛びおいても天使の助けを借りなくても無事に済むことも知っており、また、その気になればどんな国でも支配する力を持っていることを悪魔は知りながら、そのイエスの霊能力を使わせようとして、悪魔はイエスを挑発したのです。イエスの神の子としての本性が現れ、人々から崇められ、神殿にでもまつり上げられれば、人々に対する直接的な救済はできなくなると考えたからです。

従来は、ひ弱な人間であるイエスが、必死で悪魔に抵抗する姿だと解説されることが多かったが、哀れな悪魔に人間でも対抗できることを知らしめらために、神様の子のイエス・キリストは敢えて、悪魔に愚直さを装って、人間として対応されたのです。

真実は、イエス・キリストの背後には、悪魔も黙らせるような無限の強力な力があったのです。


2026年10月21日水曜日

「神の国はすでにあなたがたのところにきた」 (ルカによる福音書 第 11 章) (then the kingdom of God has come upon you)



20 しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
21 強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。
22 しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである。
23 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。
24 汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
25 帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。
26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。(ルカによる福音書 第 11 章)

20 But if I drive out demons by the finger of God, then the kingdom of God has come upon you.
21 “When a strong man, fully armed, guards his own house, his possessions are safe. 22 But when someone stronger attacks and overpowers him, he takes away the armor in which the man trusted and divides up his plunder.
23 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
24 “When an impure spirit comes out of a person, it goes through arid places seeking rest and does not find it. Then it says, ‘I will return to the house I left.’ 25 When it arrives, it finds the house swept clean and put in order. 26 Then it goes and takes seven other spirits more wicked than itself, and they go in and live there. And the final condition of that person is worse than the first.”

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AIでは、この「悪い他の七つの霊」という箇所は、「ただ悪いものを追い出すだけでは足りないという警告として読まれます。心の中が空になったままだと、前より悪い状態に戻るという意味です。日本語の解説でも、神の言葉を聞いて守ることや、聖霊によって満たされることが大切だと説明されています (jelckamata.com)」とされ、さらに、「ここでの七つは、文字通りの数としてだけでなく、強さや完全さを表す象徴として理解されることがあります。つまり、前より深刻になった状態を強く示す言い方です (ministryvoice.com)」と説明されている。

人間が、何かを考える前に、心に余裕があれば、何を考えようかと考える。そのときに、悪霊が取り付いて、人の心に影響を与える。正か邪か(たいてい安易な邪を選ぶ)、損か得か(たいてい、少しでも得をしようと考える)と迷って、結果として、人間は神様の教えや道徳的な正しさ、理性的な判断より、自分の目先の利益を中心に考えることが多い。しかし、神様への信仰心が強い信仰者が、「絶えず祈れ」という聖母マリアの言葉に心を留めていれば、何かをどのように祈ればよいのかは迷うことはない。

いわゆる空虚な心の状態に、悪魔が入り込んで邪悪なことを考えさせる瞬間を防ぐことができる。

また、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するもの」だというイエス・キリストの言葉は、「あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである」(ルカ9:50など)というイエスの言葉と対になっていて、敵と味方に対するイエスの判断がよく現れている。

イエスの言葉に反対する者は、信仰の味方ではないが、反対しない者は、弟子たちの味方だとして、できる限り見方を広めるように述べておられる。信仰で神様を取るか、神様を拒絶するかは、妥協の余地のない厳しい問題だが、弟子たちの見方を増やすという観点からは、消極的な賛成でも味方だと考えよと述べておられる。

これは、悪魔との戦いの厳しさと、愛と信仰を広めるための寛容さの必要のバランスが求められることを意味する。

「強い人が十分に武装して自分の邸宅を守っている限り、その持ち物は安全である。しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分ける」という言葉は、冷酷なこの世の現状を指摘し、また、霊的にも強弱の関係があり、強力な悪魔の前では、生半可な信心では、対抗できないことを述べておられる。だから、敵・味方の判断は重要なのです。


従って、「わたしと共に集めない者は、散らすものである」と述べて、常にイエスと共にあって、悪魔に隙を見せるなということを意味しておられる。イエスと共に、信仰生活をするならば、神様の教えから悪魔に散らされて、この世の過酷さの中で、きりきり舞いにれると言っておられる。信仰者になったつもりでも、常に悪魔のもたらす試練があるのです。

これは、信仰者の死角から、突如として悪魔が襲ってきたり、心の隙間や間隙から誘惑が生じてきて、人を惑わし、地獄に連れ込もうとすることを意味している。

AIでは、「その人の後の状態は初めよりももっと悪くなる」については、「表面的に整っただけでは本当の回復ではない、という意味で読むとわかりやすいです。外側だけでなく、考え方や生き方まで変わることが大切だと示しています (wol.jw.org)」と解説されている。これは、病気との戦いでも同様です。一時的に良くなったと思っても、根本的な治療が行われなければ、対処療法で終わってしまう。完治や完全寛解などに至るには、対処療法だけでは不十分です。応急処置であれば、一時的に対処療法でもいが、その後に、本格的な措置が必要なのです。

医薬品などの使用で、暫くは症状が治まっても、根っこの問題が解決されていなけれな、症状はぶり返すのです。特に、内科や精神科などでは、一時的に改善しても、生活の悪習や環境的問題が改善されなければ、症状は繰り返す。この意味から、現代医学の治療と、東洋医学の生命の根本の迫るような治療や気などの精神的な療法を併用することが望ましい。普通は、職場環境や生活状態などが、根本治療のカギになる。「病は気から」というが、「病は職場や生活の中の悪から」だということになる。

ただし、「心霊治療などは、人間の魂のレベルで、健康を取り返させるので、効果がたちどころに現れることになる。

信仰心でも、より深く神様とイエス・キリストを理解することが、人と世の中の救いにつながる。だから、大学で神様について研究する神学部が必要なのです。

なお、AIでは、「欧米では、古い大学の一部がキリスト教の伝統と深く結びついていて、神学が伝統学部として残っていることがあります。一方で、すべての大学がそうではなく、宗教色の薄い大学や実学中心の大学には神学部がないのが一般的です(timeshighereducation.com)」とされている。


2026年10月20日火曜日

イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれ・・・(マルコによる福音書 第 5 章) (At once Jesus realized that power had gone out from him)


25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。
26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。
27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。
28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。
33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。(マルコによる福音書 第 5 章)

25 And a woman was there who had been subject to bleeding for twelve years. 26 She had suffered a great deal under the care of many doctors and had spent all she had, yet instead of getting better she grew worse. 27 When she heard about Jesus, she came up behind him in the crowd and touched his cloak, 28 because she thought, “If I just touch his clothes, I will be healed.” 29 Immediately her bleeding stopped and she felt in her body that she was freed from her suffering.
30 At once Jesus realized that power had gone out from him. He turned around in the crowd and asked, “Who touched my clothes?”
31 “You see the people crowding against you,” his disciples answered, “and yet you can ask, ‘Who touched me?’ ”
32 But Jesus kept looking around to see who had done it. 33 Then the woman, knowing what had happened to her, came and fell at his feet and, trembling with fear, told him the whole truth. 34 He said to her, “Daughter, your faith has healed you. Go in peace and be freed from your suffering.”

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これは、「長血の女」としてよく知られた、イエス・キリストによる癒しの物語りです。

AIでは、「聖書の「長血の女」は、病気そのものよりも、信仰と回復の物語として読むと分かりやすいですよ。登場箇所は主にマルコによる福音書 5章25〜34節、マタイによる福音書 9章20〜22節、ルカによる福音書 8章43〜48節です。日本聖書協会の案内でも、福音書はイエスの言行と死と復活を伝えるものとして説明されています(bible.or.jp)」と、説明されている。

「長血の女」が、イエスの衣にさわっただけで、イエスの癒しの力を受けることができた。イエスは、その時、「自分の内から力が出て行ったことに気づかれ」とされている。これは、イエスが癒しの超能力・例能力を持ったいたことを示している。今の言葉で言えば、心霊治療をしたことになる。

AIによれば、心霊治療家については、「日本では、いわゆる心霊治療家に近い存在は、個人名よりもまず民間の宗教職能者として語られることが多いです。代表例は イタコ、ユタ、祈祷師、山伏 です (kotobank.jp)」とされている。

また、「心霊やスピリチュアルの世界で名前が挙がりやすい人物なら、海外ではダニエル・ダングラス・ホーム、ユサピア・パラディーノ、レオノーラ・パイパー、アイリーン・ギャレットなどが有名です。コトバンクの霊媒の解説でも代表的な霊媒として挙げられています (kotobank.jp)」とされている。この中には、神様への信仰心がない、超能力者もいるが、イギリスの故ハリー・エドワーズのように、敬虔なキリスト教徒もいる。

他にも、フィリピンやブラジルの心霊治療家が有名です。彼らは、主にキリスト教への信仰心が強く、神様の霊が自分に宿って治癒力を与えてくれ、念力などの精神力で病人を癒したことで有名です。

日本では、空海が密教の加持の力で人々の病を癒したことが知られており、また、明治初期の長南年恵は、病人の差し出したビンの中に神の水と呼ばれる治療水を生じさせ、さまざまな病気を癒した。長南は、空海を強く信仰していたという。

また、平成の時代に超能力サラリーマンとして手かざしによる治療を行った高塚光も有名です。高塚は宗教とは縁のない人だったが、一般市民や政治家、さらに、皇族まで癒したという。

このように、宗教心がなくても、超能力で人を癒す人はいる。また、故塩谷信男医師のように、その治療に手かざしなどの超能力を取り入れ、さらには、心霊的な呼吸法を開発して、現代医学を超えた治療を行った人もいる。

要するに、人間には自然治癒力の他に、精神力による治癒力や、霊的な力を霊界から呼び込んで人を癒す力がある。

イエス・キリストにも、当然、霊界から神様の力を呼び込んで、病人を精神力で癒すことができた。それが、福音書に記録されている。

イエス・キリストの治癒力については、AIで「イエス・キリストの治癒力とは、単に病気を治す力だけではなく、心、体、人との関係、そして生き方を回復させる力を指すことが多いです。新約聖書では、イエスが人々の病や苦しみを癒やしたことが繰り返し語られています(bible.or.jp)」と説明されている。

医学という科学の力ではなく、神様への信仰心が、人間の精神に治癒力を与えるということです。

ただし、信仰心のない人間でも、その霊の状態や精神の状態が、霊界に通じるようであれば、肉体に霊能力を発揮して病を癒すことができる。人の心や霊の状態は、普通、他人には分からないので、そのような心霊治療家は、特別な精神を持っているのだと考えるしかないが、科学では証明できない心や霊の力は、誰でも持っているので、心や霊を一定の方向に向ければ、治癒力が得られると思われる。その方向を意識せずに向いている人もいれば、宗教的な修行の結果として得る人もいる。又は、イエスのように、生まれつき神様からそのような力を与えられている人もいる。心霊治療家は千差万別だが、そのような精神的な治療に効果があることは、アメリカの医学界では認められており、さらに、祈りの治療効果も認められている。

日本人の医者で「笑い」の治療効果を調べた人もいるが、精神状態が肉体に与える影響は、日本の医学界でもよく知られている。

イエス・キリストの治癒力から、学ぶべきことは、神様への信仰心が霊界に通じて、霊界から治癒力が与えられるということです。科学に基づく現代医学では解明できない霊的・精神的な治癒力というものは、確かに存在するということです。

なお、UFOで地球にやってくる宇宙人に病を癒してもらったという例はアメリカでは多いが、宇宙人も霊能力を使っていると思われる。宇宙人の母星の社会には、病院もないという話しが伝わっている。

日本にも、そのような治癒力を持った霊能者が増えてもらいたいものです。



2026年10月19日月曜日

「天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」 (ヨハネによる福音書 第 1 章) (you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man”


40 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。
41 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。
42 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。
43 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。
44 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。
45 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。
46 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。
47 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。
48 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。
49 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。
50 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。
51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。(ヨハネによる福音書 第 1 章)

40 Andrew, Simon Peter’s brother, was one of the two who heard what John had said and who had followed Jesus. 41 The first thing Andrew did was to find his brother Simon and tell him, “We have found the Messiah” (that is, the Christ). 42 And he brought him to Jesus.
Jesus looked at him and said, “You are Simon son of John. You will be called Cephas” (which, when translated, is Peter).
43 The next day Jesus decided to leave for Galilee. Finding Philip, he said to him, “Follow me.”
44 Philip, like Andrew and Peter, was from the town of Bethsaida. 45 Philip found Nathanael and told him, “We have found the one Moses wrote about in the Law, and about whom the prophets also wrote—Jesus of Nazareth, the son of Joseph.”
46 “Nazareth! Can anything good come from there?” Nathanael asked.
“Come and see,” said Philip.
47 When Jesus saw Nathanael approaching, he said of him, “Here truly is an Israelite in whom there is no deceit.”
48 “How do you know me?” Nathanael asked.
Jesus answered, “I saw you while you were still under the fig tree before Philip called you.”
49 Then Nathanael declared, “Rabbi, you are the Son of God; you are the king of Israel.”
50 Jesus said, “You believe because I told you I saw you under the fig tree. You will see greater things than that.” 51 He then added, “Very truly I tell you, you will see ‘heaven open, and the angels of God ascending and descending on’ the Son of Man.”

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AIによれば、この「ヨハネによる福音書 第 1 章」は、「特に有名なのは冒頭で、口語訳では「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」と始まります (bible.com)」とされている。

また、「最初の弟子たちの召命」も書かれている。AIでは、「ヨハネによる福音書は、イエスの正体と、その愛や命の意味を深く味わうための書です。物語としても読めますが、祈りや信仰の言葉として大切にされてきました (bible.or.jp)」と解説されている。

神様とは何なのかということについて、深く考察している。答えは、「言(ことば)」です。「言は神であった」という表現に簡潔に神様とは、言語(ことば)だということを明確に述べている。だから、各民族の言葉は重要なのです。

日本では、言霊(ことだま)という言葉がよく使われる。AIでは、「言霊とは、言葉には現実に影響を与える力があるとする考え方です。よい言葉はよい結果を招き、不吉な言葉は悪い結果を呼ぶと信じる日本の古い発想として説明されています (kotobank.jp)」とされている。

だから、前向きな言葉を使えば、ポジティブ・シンキングになり、状況は好転すると信じられている。だから、イエス・キリストも弟子に、人々には優しく、希望に満ちた言葉をかけるように仰っておられる。

これには反して、人を罵る言葉や、怒りの言葉を投げかければ、その言葉は自分に返って来る。「人を呪えば、穴二つ」(墓穴が呪った者にもできる)というふうに、呪いの言葉を禁じることわざがある。汚い言葉を喚き散らすよう人間は、その人の周囲に地獄を作る。つまり、否定的な言葉を使うなというのが、キリスト教の教えなのです。

自分の感情に流されて、汚い言葉や、怒りの言葉、呪いの言葉を使う人間は長生きできない。正しい言葉を使うことが、長生きの秘訣です。とにかく、用心深く、慎みをもって言葉を使うことが、長寿の秘訣です。神様は、人々の言葉と行いに注目されている。これが、神様を拝するという信仰の行為につながる。聖母マリアの霊も、出現した人々に「常に祈っていなさい」と述べておられる。

ただし、一般人は24時間、祈っているわけにはいかない。生活の必要性から世俗のしきたりに従わねばならない。だから、聖職者が一般人に代わって、絶えず祈りの言葉を神様に捧げねばならない。その厳しさに耐えるのが、神父、修道士、修道女などの聖職者だということになる。

世の中には、幸運が続いた人生を送ると、「自分は神様に愛されている」と述べる者もいるが、ろくに祈りもせずに、物質的な幸福や富を追求し、不幸な他人に対して優越感を持つような人間は、自分に束の間の幸運をもたらした悪魔を、神だと勘違いしているのに過ぎない。やがて、悪魔はそのような人間を失敗させ、罠にはまらせ、失望を感じさせ、心を空虚にし、或いは、心の中に闇を生じさせ、死後は、天国に上げられると思っているのに反して、地獄へと導くものです。悪魔は、この世の成功者や幸福な人を地獄に落として喜ぶのです。だから、自分の幸運に有頂天になるような人間は、敬虔な信者だとは言えない。

常に、心の中で神様に祈るような人間が、神様に認められるのです。そして、祈りは行動につながり、善行を行うのが神様の信者なのです。

カネを貯めて喜ぶような人間は、とても、神様の信者だとは言えない。自分のカネを不幸な人に使うのが、イエス・キリストの信者なのです。だから、キリスト教文化の欧米では、寄付文化が根付いている。

この意味から、「汝の敵を愛せ」というイエスの言葉を理解すべきです。ただし、神様の敵の悪魔やカネを愛する必要はない。

つまり、聖なる言葉を愛して、清貧生活をし、聖書を学んで暮らすのが、神様やイエス・キリスト、聖母マリアや天使の信者なのです。

日本にも、仏教では念仏を唱えるという宗教行為がある。言葉は、人間にとって聖なる力をもたらすものなのです。神道では、祝詞(のりと)で神聖な言葉が霊的な力を持つとされている。世俗のキリスト教でも、祈りの定型句が定められており、また、聖歌が大きな効果を持つことも知られている。実に、言葉は人類が生み出した最高の宗教的・文化的な作品であり、その背後には神様がおられるのです。