日本国大統領府(仮)
2026年8月10日月曜日
「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」 (ルカによる福音書 第 11 章) (How much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”)
12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカによる福音書 第 11 章)
11 “Which of you fathers, if your son asks for a fish, will give him a snake instead? 12 Or if he asks for an egg, will give him a scorpion? 13 If you then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”
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父親は、子供に「その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与える」ことはない、と父親の自然な愛情を譬えにして、イエス・キリストは、同じように天の父親である神様は、子である人間たちにも自然な愛情を持っていると述べておられる。
神様は、父が子を愛するように、子である人間を愛しておられる。この信頼関係が、キリスト教の基礎なのです。
だから、子である人間は、子が父を愛するように神様を信頼してよいと述べておられるのです。
つまり、人間は願い事があれば、神様に祈ってもよい、という意味です。そのとき、イエス・キリストの名で神様に願えば、願い事は必ずかなうと信ぜよというのが、イエスの教えなのです。
問題は、神様に願ったことが叶っているのに、そのことに人間が気が付かないという場合が多いことです。あることのためにカネが必要なので、神様にカネを求めたとしても、神様がカネではなく、他の方法でその問題を解決してくれるかもしれない。しかし、カネを得られなかった信者は願い事が叶わなかったと考えるかもしれない。しかし、カネ以外の手段で問題は解決している場合があるのです。
また、旅行をするのに、時間通りに空港に着けるように神様に祈ったとしても、なぜか時間に間に合わなかった場合、神様が願いをかなえてくれなかったと考えるかもしれない。しかし、乗る予定の飛行機が事故を起こして多くの乗客が亡くなった場合、自分は神様に助けられているのに、それには気が行かない場合もある。
つまり、神様は、卵を求める子供に蛇を与えないどころか、卵以上に安全でおいしいものを与えて下さっているのに、それに気づかず感謝しない子供のようなものである信者がいるということを述べておられるのです。
日本でも、年末年始に神仏に祈る人間は多いが、その直接的な願いには神仏はこたえずに、別の思いがけない形で願いにこたえてくれることがある。典型的なのは、幸せになるために、カネを神仏に求めた場合です。神仏は人間を幸福にしてはくれるが、カネは与えないという場合がある。目的を達成するのに、より愛のある形で達成させてくれる場合がある。又は、その目的よりも、もっと愛のある目的を実現させて頂く場合がある。問題は、人間の願い事だけでなく、その願う意図や目的、それを実現する手段の内容や、その影響、効果、副作用だということです。
自分の夢を叶えるために、社会に悪影響を及ぼすことを願っても、それは実現しない。別の形で夢を叶えて下さるのが神様なのです。あるいは、そのような夢が、愛と信仰から離れている場合、善の神様は、その願いを受け付けない場合がある。人間が愛と信仰心を取り戻すまでは、その願いや祈りにこたえらない場がある。
つまり、神様は人間の欲望にこたえるのではなく、欲望を捨てた願いを待っておられる、そして、人間が欲望を捨てたとき、その願いは神様によって叶えられるということです。これは、心霊研究家でもあった、工学博士で発明家であった故政木和三の主張と同じです。欲望を捨てた願いとは、人間的な願いではなく、神聖な願いだということです。つまり、聖霊が扱うような願いだということです。
いずれにしても、イエス・キリストは、とにかく神様に祈れば、それが神聖で自然な願いであれば、神様はきいて下さると述べておられる。また、強く願うだけの神聖で自然な理由があれば、神様は必ずこたえて下さると述べておられるのです。
これが、霊的なキリスト教の信仰なのです。
2026年8月9日日曜日
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い (コリントの信徒への手紙一 第 1 章) (For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.)
19 すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。
20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)
18 For the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God. 19 For it is written:
“I will destroy the wisdom of the wise;
the intelligence of the intelligent I will frustrate.”[c]
20 Where is the wise person? Where is the teacher of the law? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world? 21 For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe. 22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.
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Wikipediaによれば、「『コリントの信徒への手紙一』は、『新約聖書』に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である」とされている。
また、「ともすれば聖人の集まりのようにみなされ、美化されがちな初代教会であっても現実にはさまざまな問題や困難があり、パウロのようなエネルギッシュな人物であっても常に悩みや苦しみがあったことを如実に伝える書簡である」とされている。
この書簡の、「聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある」という部分は重要です。特に、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」という言葉は神様への信仰を伝える名言です。
人間がその知恵や力で他人を抑えても、「愚かに見えても信者の知恵は人間の知恵に勝り」、「弱く見えても信者の力は、人間の強さに勝る」というのが信仰の言葉なのです。
だから、小さく、弱く、愚かに見える人間には、注意が必要です。その人間に本当の信仰心があれば、大きく、強く、賢い人間であることが、明らかにされるのです。他人を侮り、外見で判断してバカにし、攻撃し、笑いものにしても、その人が信仰者ならその人に負けて、大恥をかくのは、強さや、富や、知恵を誇った側です。
ブッダもホームレスの伝道者として、人々に教えを伝えたが、ブッダを貧乏人、愚か者、弱者だとして攻撃した者は、皆、死後、地獄に落ちた。
ましてや、神様の息子のイエス・キリストを信じて、自分の力や知恵を捨て、神様から与えられた真実の力や知恵を身に着けた者は、この世のどんな強者や知恵者、権力者、成功者にも勝る力を与えられているのです。
武術でも、初級者には名人や達人の業が理解できずに、笑いものにするものもいるが、対戦すれば、一撃で名人や達人に倒される。倒されても、まだ、腕の違いが分からずに、ポカンとしている。自分が、笑いものになっていることにも気づかないのが、初級者なのです。
しかし、悪魔はこのような愚か者の初級者を使って何度も信仰者を攻撃させる。モノの違いが分からない思い上がった人間は、何度でも信仰者を攻撃する。死後、霊界に入って信仰者との違いが示されるまで、弱者や愚者をいじめ、攻撃を繰り返す。だから、信仰者は、そのような悪魔に使われる本当の弱者、愚者のあきれた攻撃を覚悟しなければならない。悪魔が、背後で操っているのです。つまり、本当の敵は、目の前の愚かな人間ではなく。背後の悪魔なのです。力の差が歴然としているのに、何度も何度も真の強者に刃向かう愚かな者を使って、悪魔は信仰活動を妨害するのです。この悪魔は滑稽に見えるが、そのバカバカしさに呆れて信仰者が隙を見せれば、そこに悪魔はつけこむ。
信者は、神様が与えられた知恵と力を信じ、また、神は、その召し使いを朽ち果てることは認めずに救う、という聖書の言葉を信じて悪魔の誘惑には負けないことです。
神様を信じる人間は、人の力や知恵を超えた世界にいるのです。その違いが分かることが、人間の修業なのです。
初級者には、名人や達人は理解できない。一般人には、真の神様の信仰者は理解できない。しかし、時間がたてば、真実は誰の眼にも明らかにされる。
現在、ブッダを単なるホームレスだと思う人おはいないし、イエス・キリストをインチキ宗教家だと思う者もいない。
2026年8月8日土曜日
彼らは食べて満腹した (マルコによる福音書 第 8 章) (The people ate and were satisfied)
そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、
2 「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。
3 もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。
4 弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。
5 イエスが弟子たちに、「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります」と答えた。
6 そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。
7 また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。
8 彼らは食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。
9 人々の数はおよそ四千人であった。それからイエスは彼らを解散させ、
10 すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方へ行かれた。 (マルコによる福音書 第 8 章)
8 During those days another large crowd gathered. Since they had nothing to eat, Jesus called his disciples to him and said, 2 “I have compassion for these people; they have already been with me three days and have nothing to eat. 3 If I send them home hungry, they will collapse on the way, because some of them have come a long distance.”
4 His disciples answered, “But where in this remote place can anyone get enough bread to feed them?”
5 “How many loaves do you have?” Jesus asked.
“Seven,” they replied.
6 He told the crowd to sit down on the ground. When he had taken the seven loaves and given thanks, he broke them and gave them to his disciples to distribute to the people, and they did so. 7 They had a few small fish as well; he gave thanks for them also and told the disciples to distribute them. 8 The people ate and were satisfied. Afterward the disciples picked up seven basketfuls of broken pieces that were left over.
9 About four thousand were present. After he had sent them away, 10 he got into the boat with his disciples and went to the region of Dalmanutha.
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これは、イエス・キリストが、集まった4千人の群衆にパンと魚を食べさせたときの情景です。7つのパンと少しの魚を、イエスがいつの間にか増大させ、多くの群衆が食べて満腹したという話しです。これも、イエスの起こした奇跡として、よく知られている。
今では物品の引き寄せとして、イエスが霊的にパンや魚をどこかから引き寄せたという解釈もなされている。或いは、人々が隠し持っていたパンや魚を出したという解釈もある。それをイエスが、群衆に自発的に差し出させたという考えです。水上を歩いたり、病人を癒し、死人を蘇らせたり、飢えた群衆を食べさせたりというイエス・キリストが行った多くの奇跡の中でも、スケールの大きな奇跡の1つです。まさに、「人間には不可能であっても、神にはできないことはない」というイエスの言葉通りです。
つまり、イエス・キリストの一行は、人々から食べ物を与えてもらわなくても、イエスの超能力で食べ物を得ることができたのです。しかし、イエスに助けてもらった人は、イエスを食事に誘い共に食事をするということを選んだのです。イエス・キリストの一行は飢えることはなかったのです。
だから、イエスがイスラエルの王になれば、ユダヤ人は誰も飢えることはなかった。イエスは、ユダヤ人の全てを食べさせることができたのです。しかし、イエスは人々にまず神様への信仰をもつことを教えたのです。神様への正しい信仰があれば、食べ物など生活に必要なものは全て神様によって与えられるというのが、イエスの教えなのです。
しかし、人々は信仰心によって救われるのではなく、カネの力で救われることを選び、その状況が2千年間続いている。これが、人類の歴史なのです。
アダムとイヴの時代以前には、人々は神様への強い信仰心を持っており、食べ物に困ることはなかったというのが、18世紀の神秘家のスウェーデンボルグの説明です。しかし、人々は信仰を失い、神様の力に頼るのではなく、自分の力や物質文明の力に頼り、カネの力で問題を解決するようになり、人間の霊的能力も失われていったとされている。
実際に、食べ物を無から取り出すことができれば、誰もあくせく働く必要はない。ブッダは、人々の間を乞食をして回り、食物を得ていたというが、ブッダよりイエス・キリストの方が大きな超能力を持っていたことになる。ブッダは、真理を人々に説いて、その礼として食物を得ていたのだが、イエスは真理を教えると共に、食物まで人々に与えることができたのです。
これは、神様への信仰心がもつ力の大きさを人々に教える例です。今の世の中でも、問題は全カネで解決できるとの考えが広まっているが、信仰者は問題はカネではなく、神様への信仰心で解決しようとして生きている。実際に、この2千年間、イエスの教えに従って生きてきた信者がイエスの教えを伝えることができたから、今もキリスト教が存在しているのです。
この2千年間に、キリスト教国が食糧不足で亡んだという例はない。特に、キリスト教国のヨーロッパからアメリカ大陸に移住した人々は、農業大綱のアメリカで食料に不足することはなかった。アメリカは、まさに天国のような豊かな国になったのです。
しかし、悪魔はアメリカにも入り込み、アメリカの文化、政治、経済はカネの力によって翻弄されている。そのアメリカが主導する世界自体も、問題にあふれている。アメリカ人が、カネの力ではなく、信仰の力に頼って文明を発展させるべきだったのです。ローマのヴァチカンも物質主義に溺れる世界に信仰の威力を見せるところまでは行っていない。だから、2度もヨーロッパで世界大戦が生じたのです。
従って、日本人がその霊性を伸ばして、イエス・キリストの教えに従って、カネより信仰の力で問題を解決できることを世界に示すべきなのです。
2026年8月7日金曜日
舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった (使徒言行録 第 2 章) (They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. )
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」(使徒言行録 第 2 章)
2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 3 They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4 All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues[ as the Spirit enabled them.
5 Now there were staying in Jerusalem God-fearing Jews from every nation under heaven. 6 When they heard this sound, a crowd came together in bewilderment, because each one heard their own language being spoken. 7 Utterly amazed, they asked: “Aren’t all these who are speaking Galileans? 8 Then how is it that each of us hears them in our native language?
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これは、イエス・キリストの十字架上での刑死後、信者がエルサレムのある部屋に集まっていると、聖霊が人々に下った時の情景です。この有名な状況は、絵画にも描かれて有名になっている。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」時の情景が描かれているのです、
この世でのイエスの死という、霊的にも大きな出来事が、霊界にも大きな影響を与えて、この世に炎のような霊が各信者に現れたのです。このような霊的な奇跡を信じることが、キリスト教徒なのです。
そもそも、物質界であるこの世の大宇宙は神様が霊的エネルギーを使って、その言葉を用いて作られたものなのです。つまり、霊界から物質界が生まれ、人間界も生まれたのです。まぜなら、神様はその霊を人間に吹き込まれたからです。人間の心や精神、その魂は物質から生まれたものではなく、霊界の神様が与えられたものだからです。
また、物質界の全ての物質は、霊的エネルギーで出来ている。だから、物質を研究するこの世の科学が、どこまで発展しても物質の本質は解明できないのです。最先端の量子力学の理論でも、今までの科学の理論では説明がつかない現象が確認されているし、人間の脳の中に人間の意識を生み出す器官や組織、細胞は見つかっていないし、心を生み出すメカニズムも分かっていない。
つまり、科学者はその「心」を用いて「心」を研究しながら、「心」の物質的な源が発見できないので、「心」は存在しないと言っているようなものなのです。或いは、「言葉」を研究しながら、「言葉」の源を科学的に発見できないので、「言葉」は存在しないと結論づけたようなものです。つまり、狂っているのです。この物質文明の最先端の科学者が狂っているのなら、文明自体が狂っていることになる。
従って、霊の存在を認め、霊的な力を認めなければ、この大宇宙や物質界、そして、人間の心の働きが生み出す人間界も理解できないのです。
そして、物質界と霊界は生と死のように隔離されているのではなく、交じりあった部分もある。それを認めるのが宗教であり、心霊主義やスピリチュアリズムなのです。実際に、仮死状態になって、又は、、医学的に死亡した後で生き返って、臨死体験をする人もいる。
また、生きながら霊によって死の世界である霊界を体験した18世紀の神秘家のスウェーデン人のスエーデンボルグという人物もいる。彼は、イギリスの科学者のニュートンと同世代の人間であり、多くの著作を残している。霊界が存在するのを認めるのは、多くの宗教の基本となっている。そして、世界中の民族が霊の存在を認めている。つまり、人類の心には「神様」を認める遺伝子があるとも言える。
ただし、霊界には悪魔がいて、神様に逆らっている。神様が愛する人間の心の中に入り込んで、神様の存在を否定させたり、神様を認めながら、その教えに反抗させたりして、悪魔はどこまでも神様に敵対する。このような悪魔の影響を受けた人間が作った物質文明は、いずれ停滞し、腐敗し、狂って亡びる。それが、イエス・キリストの死後、2千年たった21世紀だと考えられる。つまり、現在、物質文明は滅亡に向かっている。
ニュートンも聖書を研究して、人類の滅亡は2060年頃に始まると書いている。スウェーデンボルグは、人類への最後の審判が21世紀頃に始まるとと述べている。
現代の霊感を持った霊能者も、世の終末が近いことを述べている。
なお、悪魔は人間が物質文明を発展させるのは助けているが、最後には文明を破壊して人々を不幸のどん底に落とそうとしている。悪魔に取り付かれて狂った科学者たちは、科学を発展させながら、この世に地獄をもたらせようとしている。
しかし、イエス・キリストの死後に、火のような聖霊が信者に下ったように、神様は危機に瀕した人々に、聖霊を下して救われることを信じるのが、イエス・キリストの信者なのです。
心を生み出した霊の力を信じることです。霊は、全知全能にして全善なる神様が霊界で生み出したものなのです。そして、霊界や物質界の全ては、神様が霊から作ったものであることを信じることです。
2026年8月6日木曜日
主はわたしが呼ばわる時におききくださる (詩篇 第 4 章) (the Lord hears when I call to him)
4 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。[セラ
5 義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
6 多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇 第 4 章)
3 Know that the Lord has set apart his faithful servant for himself;
the Lord hears when I call to him.
4 Tremble and[d] do not sin;
when you are on your beds,
search your hearts and be silent.
5 Offer the sacrifices of the righteous
and trust in the Lord.
6 Many, Lord, are asking, “Who will bring us prosperity?”
Let the light of your face shine on us.
7 Fill my heart with joy
when their grain and new wine abound.
8 In peace I will lie down and sleep,
for you alone, Lord,
make me dwell in safety.
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「詩篇」とは、Wikipediaによれば、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。 英語では p を発音せずに「サーム」と発音する・・・主類型として「賛歌」「民の嘆きの歌」「個人の嘆きの歌」「個人の感謝の歌」に分類した。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ」とされている。
神様に対して、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように」と願うのは、人類に共通の願いです。旧約聖書の時代から、この人間の心は変わらない。日本では、まだ縄文文化の時代に、ユダヤ人は神様に向かって、この祈りを捧げていた。
人間社会は、自然からさまざまな脅威を受けるだけでなく、人間同士の争いや、諍いがあり、他人の裏切り、攻撃、傷つけ合いがある。安心して生きることはできない。感情的になって他人を攻撃する者も跡を絶たない。人間の不幸の多くは、このような隣人愛のない状況から生じる。そして、憎む相手に残酷な仕打ちを行う。これが、何千年、何万年も続いたのが、人類の歴史なのです。
しかし、人類社会は、道徳を生み出し、宗教を生み出し、神と言う概念を発見し、互いに助け合って生きることを学んだ。これは、個体としての自分自身の生存だけを考えて生きる他の生物との大きな違いです。個人は弱いが、集団で戦えば大きな力を発揮することを人間は学んだのです。家族。一族、集団で生き残ることを人間は学んできた。その核となる概念として、人間を超えた力をもった神様を、人間は想定し、霊的な考えから、神様の霊に従うことを学んだのです。
個人の神様、家族や一族の神様、社会の神様、そして、民族の神様を考えるようになり、世界のどの民族でも、民族の神様を崇めるようになった。その共通の神様の正確は自然を超え、人間界の運命を支配させる圧倒的な力をもった存在です。神様という概念は、人類に共通だが、自分たちの民族を守る神様を崇めるようになり、他の民族とは互いの神様の名の下に戦うようになった。
しかし、人類全体の神様と言う考えが、やがて、人々の間に芽生え、その神様の下では、全人類が平等だという考えが生まれた。このような世界宗教の神様と言う考えが普及し、人類や全ての生物、全ての物を作られた神様という考えが生じるようになり、ユダヤ人の民族の神様が、万物の創造主の神様だという概念が生まれるようになった。そして、長い歴の中で、ユダヤ教の神様が、キリスト教の神様、イスラム教の神様になり、現代につながる文明を打ち立てることになった。今の文明は、4千年の歴史を持つユダヤ民族の神様の下で発展して来たものなのです。
そのユダヤ人の神様に対する気持ちが現れているのが、旧約聖書であり、特にこの「詩篇」では、神様に対するユダヤ人の気持ちがよく現れている。自分たちを「安らかにおらせてくださるのは」神様であるというのが、ユダヤ人の神様に対する信仰心であり。これは、人類に共通の気持ちなのです。
だから、ユダヤ教を受け継いだキリスト教でも、そのような神様に対する気持ちは受け継がれている。その伝統の上に、イエス・キリストの教えがあるのです。だから、今の世界文明を享受する人類は、ユダヤ・キリスト教の神様を事実上、受け入れているのです。
日本人も自然神、神道や仏教を受け入れてきたが、そのような神仏が今の文明の基盤になったわけではない。西欧の文明を受け入れることで、日本人も世界宗教を受け入れ、文明の恩恵を受けることになった。しかし、ユダヤ・キリスト教にも悪魔が入り込み、今の物質文明は、邪道に入ろうとしている。これは、2千年前にイエス・キリストが警告を発していたことが証明されたことになる。
人類が、神様に従って、善なる文明を発展させてきたのなら、今の世界には何の問題も生じずに、全人類は平和に繁栄できたはずだが、文明に悪魔が入り込み、人間を堕落、腐敗させ、狂気へと導ている。この状況は、2千年前のイエス・キリストの時代から変わらない。いや、その前の旧約聖書の時代から変わっていない。
霊的には、人間の霊は時代と共に変化してきたが、神様と人間と悪魔との関係は不変なのです。
だから、今の日本人も聖書を読んで、今の世界文明の基盤を学び、永遠の神様と人間と悪魔の関係を学ぶ必要があるのです。、
イエス・キリストは、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」(マタイによる福音書 6:30~31)」と述べておられる。
全知全能にして、全善なる神様を信じることです。
2026年8月5日水曜日
世と世にあるものとを、愛してはいけない (ヨハネの手紙一 第 2 章) (Do not love the world or anything in the world.)
14 子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。
15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。
21 わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。(ヨハネの手紙一 第 2 章)
14 I write to you, dear children,
because you know the Father.
I write to you, fathers,
because you know him who is from the beginning.
I write to you, young men,
because you are strong,
and the word of God lives in you,
and you have overcome the evil one.
15 Do not love the world or anything in the world. If anyone loves the world, love for the Father[d] is not in them. 16 For everything in the world—the lust of the flesh, the lust of the eyes, and the pride of life—comes not from the Father but from the world. 17 The world and its desires pass away, but whoever does the will of God lives forever.
18 Dear children, this is the last hour; and as you have heard that the antichrist is coming, even now many antichrists have come. This is how we know it is the last hour. 19 They went out from us, but they did not really belong to us. For if they had belonged to us, they would have remained with us; but their going showed that none of them belonged to us.
20 But you have an anointing from the Holy One, and all of you know the truth.[e] 21 I do not write to you because you do not know the truth, but because you do know it and because no lie comes from the truth. 22 Who is the liar? It is whoever denies that Jesus is the Christ. Such a person is the antichrist—denying the Father and the Son.
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Wikipediaによれば、「『ヨハネの手紙一』(ヨハネのてがみいち)は、新約聖書中の一書で、公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。・・・著者が気にかけているのは自分が携わっている共同体に影響を及ぼす異端的な思想を持つ教師たちのことである。このような人々、かつて共同体のメンバーだったにもかかわらず正当な教えから逸脱した教師たちは「反キリスト」(2:18-19)とみなされている」とされている。
ここでは、「反キリスト」(antichrist)という言葉が使われている。「反キリスト」とは、「イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者」だとされている。
人々から支持されて有名になったイエス・キリストは否定できないが、その父(神様)と子としてのイエス・キリストの関係を否定する者は「反キリスト」なのです。イエスと神様の霊的な関係を認めない者は、その心に悪魔が入り込んでいるのです。
イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストと神様の関係を認めるということでもあるのです。しかし、神様に敵対する悪魔は、イエス・キリストと神様の関係を認めたくはない。できるだけ神様という考えには触れないでおこうとする。事実としてのイエス・キリストの存在は認めても、神様の存在を認められないのが悪魔であり、悪魔が心に入り込んだ人間なのです。
狡猾な悪魔はイエスを認め崇めながら、その神性を密かに傷つけ、否定する、教会の中に入り込み、キリスト教の教えを口先で唱えまがら、その心は遠くイエス・キリストを離れている。或いは、自分はイエスを信じる者だとして、敬虔な信徒を演じながら、イエスの教えに反したことを実行している。悪魔は、どこまでも狡猾で、悪質で、図太く、悪を恥じないのです。
この世の物質文明は、悪魔の教えに従って作られたものであり、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」とは、そのような悪魔(カネ)の力で生み出された物質文明を信じてはいけない、ということを意味している。悪魔はカネに姿を変えて、人々にカネを求めさせ、拝金主義にさせる。人々は、欲望を実現させてくれるのは、真の神様ではなくカネだということを知り、真の神様を無視し、カネ(悪魔)を神だとして崇めている。これを、拝金主義という。
真の神様やイエス・キリストの信者は、物質文明を信じることなく、信仰に基づいた霊的な精神文明を求めなければならない。信じられるのは、カネやモノではなく、精神であり霊の働きなのです。
また、「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る」と述べて、「反キリスト」の出現が、文明の終焉であるとして、「反キリスト」の出現に警戒するように述べている。しかし、「神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」と述べて、神様を信じる者の魂は永遠に生きることを強調している。これが、キリスト教の本質なのです。
21世紀まで、世界は存在してきたが、現在でも「反キリスト」は現れ続けている。過去に、現れた「反キリスト」は、信者の祈りによって抑えられ、世界は救われてきたが、いよいよ悪魔は人類文明を亡ぼそうとしている。
イエス・キリストや聖母マリアや天使たちを敬う振りをしながら、また、悪魔と敵対するふりをしながら、「反キリスト」は、悪魔の教えを広めているのです。物質的な欲望を刺激し、金銭欲を喚起し、この世的な成功や幸福を追求さえ、人を羨ましがらせ、カネを求めさせるものは、悪魔の手先なのです。だから、世の中の成功や幸福を求めるのではなく、霊界で(死後)の永遠の幸福を求めよというのが、霊的なキリスト教の教えなのです。
あくまで、自ら清貧生活をし、聖書の言葉に従って謙虚に生きる聖者のみ信用できるのです。
2026年8月4日火曜日
「自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」 (マタイによる福音書 第 24 章) (For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many.)
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(マタイによる福音書 第 24 章)
4 Jesus answered: “Watch out that no one deceives you. 5 For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many. 6 You will hear of wars and rumors of wars, but see to it that you are not alarmed. Such things must happen, but the end is still to come. 7 Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in various places. 8 All these are the beginning of birth pains.
9 “Then you will be handed over to be persecuted and put to death, and you will be hated by all nations because of me. 10 At that time many will turn away from the faith and will betray and hate each other, 11 and many false prophets will appear and deceive many people. 12 Because of the increase of wickedness, the love of most will grow cold, 13 but the one who stands firm to the end will be saved. 14 And this gospel of the kingdom will be preached in the whole world as a testimony to all nations, and then the end will come.
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これは、この世の終わり(文明の滅亡)について、イエス・キリストが予言した有名な言葉です。
「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」と警告されておられる。実際に、新宗教と呼ばれる宗教では、イエスも預言者の一人だと言って、キリスト教を認めるような教義を持つ者もいる。インチキ宗教でも、イエス・キリストの存在は無視できない。イエスの霊能力は無視できないのです。
また、仏教や神道系の偉人や教祖を取り入れるものも多い。特に、スピリチュアル系の新興宗教は、霊的な存在を何でも受けいtれる傾向にある。さらに、UFOに乗った宇宙人から善悪は人間が作った幻想だと教えられたというものもいる。また、素直に大宇宙の創造者の神様を認めずに、宇宙の偉大な存在だと呼ぶものもいる。
しかし、この宇宙が存在するのは、誰かが宇宙を作ったからだと考えるべきです。それが、単に科学の法則で自然に生じたと考えるか、人格を持った神様が作ったと考えるしかない。そこで、神様の存在を信じるのが信仰者なのです。
神様と言う原因がなければ、宇宙は生まれなかったと考えるのが自然です。科学の法則によるのなら、宇宙に人間が生まれる理由はない。神様がご自分の人格に合せて人間を作られたと考えるのが自然なのです。宇宙と言う物質世界に、精神生活を持った人間が生まれてくるということ自体が、精神を持った神様の存在を示唆しているのです。
聖書には、「この世は神様が7日かけて作った」という記述もある。これは、神様が霊のエネルギーを利用して、神様の言葉、聖言の威力で物質と生命を作ったことを意味し、さらに、人間には神様の霊を吹き込んだと書かれている。つまり、この世の物質界も精神界も神様が作られたと信じるのが信仰者なのです。
しかい、霊的存在は、神様や天使、善霊だけではない。悪魔や悪霊も霊的存在であり、神様に反感を持ち、逆らう悪魔などは、人間の魂を神様から引き離し、仲間にしようとする。人間の魂を巡って天使と悪魔が戦っている。ただし、神様が悪魔に負けるわけはない。神様が負けるようなことがあれば、全ては崩壊する。悪魔自体も消滅する。霊的にも物質的にも全て存在するものは、神様の威力で存在するからです。しかし、狂った悪魔は自分の存在を許している神様をも攻撃する。悪魔は最後は滅ぼされるとしても、できるだけ、多くの人間の魂を道連れにしようと、地獄に引きずり込もうとしている。そのために、悪魔は人間を誘惑し、罪を犯させ、悪魔の教えで洗脳し、悪魔を神だと思わせる。実際に、悪魔の化身のカネを崇拝する人間も多い。拝金主義が横行するほど、悪魔の影響が世の中で見られる。そのような悪魔から人間を救おうとするのが、イエス・キリストや聖母マリアや天使、善霊なのです。
しかし、悪魔が人間界に入り込み、人間の作る文明には悪魔の影響が現れている。悪罵は人間を幸福にしようなどとは考えていないので、悪魔の力(カネ)を利用して作られた人間の物質文明は必ず崩壊する。それが、聖書の述べる「世の終わり」なのです。
しかし、わざわざ宇宙を作り、人間を作られた神様が、人間を亡ぼそうとはされていない。そこで、人間を救うために神様の一人子のイエス・キリストを人間界に遣わされたというのが、キリスト教の考えです。
まさに、文明が行き詰まり、人類が亡びそうになった時のために、イエス・キリストが現れたのです。2千年前に、やがて人類の物質文明が危機に瀕することを見越してイエス・キリストは、2千年前のパレスチナにユダヤ人の間に出現されたのです。
これが、今日、人類がイエス・キリストの教えに立ち返るべき理由なのです。
21世紀の今日、異常気象や戦争などで世界は危機に瀕している。そして、狡猾で陰険、図太く、残酷な悪魔は人間界で跋扈している。だから、日本人も聖書を読み、清貧生活をして、イエス・キリストの教えを実践すべきなのです。