2026年9月3日木曜日

「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている (エフィソの信徒への手紙 第 6 章) (“Honor your father and mother”—which is the first commandment with a promise— )



子たる者よ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことである。
2 「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、
3 「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」。
4 父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。
5 僕たる者よ。キリストに従うように、恐れおののきつつ、真心をこめて、肉による主人に従いなさい。
6 人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、
7 人にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。
8 あなたがたが知っているとおり、だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう。
9 主人たる者よ。僕たちに対して、同様にしなさい。おどすことを、してはならない。あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらないのである。
10 最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。
11 悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。 (エフィソの信徒への手紙 第 6 章)

6 Children, obey your parents in the Lord, for this is right. 2 “Honor your father and mother”—which is the first commandment with a promise— 3 “so that it may go well with you and that you may enjoy long life on the earth.”

4 Fathers, do not exasperate your children; instead, bring them up in the training and instruction of the Lord.

5 Slaves, obey your earthly masters with respect and fear, and with sincerity of heart, just as you would obey Christ. 6 Obey them not only to win their favor when their eye is on you, but as slaves of Christ, doing the will of God from your heart. 7 Serve wholeheartedly, as if you were serving the Lord, not people, 8 because you know that the Lord will reward each one for whatever good they do, whether they are slave or free.

9 And masters, treat your slaves in the same way. Do not threaten them, since you know that he who is both their Master and yours is in heaven, and there is no favoritism with him.
10 Finally, be strong in the Lord and in his mighty power. 11 Put on the full armor of God, so that you can take your stand against the devil’s schemes.
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Wikipediaによれば、「『エフェソの信徒への手紙』は、新約聖書中の一書。伝承では紀元62年ごろ、ローマで獄中にあった使徒パウロが小アジアのエフェソ(エフェソス)のキリスト者共同体にあてて書いたものであるという・・・『エフェソ書』は(あるいは小アジアの複数の教会に送られた可能性もあるが)パウロの教えのまとめ的なものである。主なテーマはキリストに従うものの共同体をつくることが父なる神の意志に沿うものだということである」とされている。

まず、親を持つ人間に対して、「子よ「あなたの父と母とを敬え」。これが第一の戒めであって、次の約束がそれについている、「そうすれば、あなたは幸福になり、地上でながく生きながらえるであろう」」と、親を敬うべきことを述べている。

また、人の主人に仕える召し使いや奴隷に対して、「だれでも良いことを行えば、僕であれ、自由人であれ、それに相当する報いを、それぞれ主から受けるであろう」と述べて、この世の主人に真摯に仕えることを述べている。

子の立場にいる者や、人に仕える立場にいる者に対して、親や主人に忠実に仕えることを推奨している。ただし、「主は天にいますのであり、かつ人をかたより見ることをなさらない」と、霊的な主であるイエス・キリストや神様が公平なお方であることを強調している。

これは、親や主人には逆らってはならない、という日本の伝統的な教えと同じです。そうすれば、人間的なトラブルはなくなり、円満な人間関係が築ける。この教えで、キリスト教徒は大人しい、善良な人間だということになる。日本でも、親や主人に忠実な人間は好かれる。ただし、これはこの世の権威を目上の人や権力者に認めることではなく、あくまで、霊的な主人は天にいる神様やイエス・キリストであることを強調している。

そして、天の神様や主であるイエス・キリストは、人を公平に扱うと信じることが、キリスト教徒であることを意味する。

また、「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい」と、敵は悪魔であることを明確にしている。

つまり、平和で道徳的な生活を送りながらも、悪魔の攻撃に備えよということです。

ただし、悪魔が親や、この世の主人の中に入る場合もある。しかし、「主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい」と、あくまで天の主人であるイエス・キリストに頼って、その偉大な力を得て強く生きろと言っておられる。子や召し使いとして、親やこの世の主人と戦うのではなく、あくまで天の主であるイエス・キリストの力によって対抗せよということです。

この世の権力や権威と、信仰の主である神様やイエス・キリストとの関係のどちらを選ぶかは、しばしば深刻な問題になる。その場合も、親やこの世の主人には逆らうことなく、信仰を選んで、悪魔との戦に備えよというのが、キリスト教の教えになる。

だから、神道や仏教重視の親と論争するのではなく、また、社会のそのような風潮と争うのではなく、平和的に相手の気持ちを尊重しながら生きろということです。

そのためには、天の主であるイエス・キリストへの強い信仰心が必要になる、この強い信仰心で、悪魔の攻撃に備えることができるようになる。

キリスト教は、単に信仰の問題ではなく、道徳的で平和で、祖先を尊重する生き方でもあるのです。

とにかく、悪魔は人間同士を争わせて不幸にし、互いに苦しめ合って破滅させるのが目的なのです。頼りになるのは、公平な天の神様やイエス・キリストなのです。


2026年9月2日水曜日

「あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」 (マタイによる福音書 第 10 章) (You are worth more than many sparrows.)

 

26 だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。
32 だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
34 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 (マタイによる福音書 第 10 章)

26 “So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. 27 What I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs. 28 Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care.[b] 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
32 “Whoever acknowledges me before others, I will also acknowledge before my Father in heaven. 33 But whoever disowns me before others, I will disown before my Father in heaven.
34 “Do not suppose that I have come to bring peace to the earth. I did not come to bring peace, but a sword.
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これは、イエス・キリストの有名な説教です。

「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」というのは、霊的な言葉であり、人間は肉体は死んでも魂は死なないことを意味しているが、その上さらに、「からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい」と、神様がその死なないはずの人間の魂ですら、滅ぼすことができると、霊界の秘密を明らかにされている。

もちろん、悪魔の霊も滅ぼす力は神様にはある。ただし、悪魔が神様を亡ぼすことなでできないし、神様を傷つけようとすることすら悪魔には許されていない。神様が存在しなくなれば、悪魔も存在できなくなる。それでも、なおかつ神様に逆らのが狂った悪魔なのです。

つまり、霊界の霊的な存在である悪魔にとっても、これは恐ろしい言葉です。神様は悪魔を亡ぼすこともできることも意味されているからです。しかし、悪魔は、どうせ神様に滅ぼされるなら、亡ぶまで少しでも神様の栄光を傷つけてやろうと決心する。これは、悪魔の狂った心の現れです。悪魔は、確信犯的に狂って、どこまでも神様に逆らうことを決心している。正常な人間には、考えられない狂気です。

だから、悪魔に魂を売った人間は矯正できない。彼らは、悪魔の心を反映して、死ぬまで神様の愛と真理に逆らう。どこまでも、彼らは狂っており、どこまでも悪を愛し、どこまでも神様に従う人間を攻撃する。彼らは心の底から、狂気の闇を愛しているのです。

しかし、悪魔やその手先となった悪霊に取り付かれた人間は、人の肉体は殺せても、その魂は殺せない。だから、彼らに肉体を殺されても、人間の魂は霊界で生き続けるのです。このことは、神様に従う善人を励ます言葉です。

また、「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」と述べて、神様は雀ですら守っておられるが、雀よりも人間は価値があり(神様の教えを知ることができるから)、当然、神様は人間を雀よりも多く守って下さると信徒に保証しておられる。

ただし、「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきた」と述べて、イエス・キリストの教えは悪魔との偽りの平和ではなく、悪魔との戦いのためであり、弟子や信徒には勇気を持って悪魔と戦えと激励されておられるのです。

これが、キリスト教信者の精神のバックボーンとなり、心の強さの秘密なのです。「自分たちは、最悪でも魂は霊界に入ることができる」と信じることで、肉体の死を恐れなくなった神様の信徒は、命をかけて悪と戦う正義の戦士になれるのです。

それでも、悪魔は神様に従う人間を攻撃する。善人は世の中の悪人に攻撃される。悪魔に魂を売った悪人は、本能的に善良な人を攻撃する。そういう悪人も、最後には悪魔に裏切られ、攻撃される。自分の手先ですら、最後には裏切って苦しめて喜ぶのが悪魔なのです。神様に従っていようが、悪魔に従っていようが、悪魔は神様が造られた人間を苦しめたいのです。狂った悪魔には、味方にした人間ですら攻撃の対象なのです。だから、人間は悪魔と取引ができたり、平和を維持できると思ってはならない。これが、「つるぎ」を持って生きよというイエスの教えの意味なのです。

つまり、人間は物質文明の成功に溺れて、「飲み、食い、歌い」などして、浮かれて生きていてはいけない。物質文明の成功によって安全、安心、快適性、快楽性を手に入れても、人間の心が神様から離れれば、神様の庇護がなくなり、悪魔によって文明が亡ぼされることになる。悪魔は、人間を苦しめて、神様を呪わせ、自分と同じように惨めな気持ちにさせて、地獄に引きずり込み、最後は、悪魔が神様に亡ぼされる時に、道ずれにして、自分と一緒に亡びるようにさせたいのです。そこまで、悪魔は狂っている。

しかし、狡猾な悪魔は大霊や天使のまねをすることができ、また、未熟な人間に自分を神だと思わせ、あるいは、ニゼ・キリストを演じて人々を惑わす。要するに、悪魔にとって人間を騙すことなど、赤子の手をひねるようなものなのです。

だから、イエス・キリストは「つるぎを投げ込む」ために来て、人間に悪魔と戦う力を与えられるのです。

それでも、悪魔はイエスの弟子のユダを使って、イエスの人間としての情けに訴えてイエスの懐に入り込ませ、イエスが人間としてユダの裏切りを受けなければならない状態を作り出し、イエスを死に追い込んだのです。例えば、イエスがユダの裏切りを受け入れなければ、ローマ軍がユダの家族を殺すという状況を作れば、イエスはユダの裏切りを受け入れなければならなくなり、十字架上で刑死することになる。つまり、ユダはイエスのために命を捨てることができても、ユダの家族の命を守るためには、イエスを犠牲にしなければならなくなったのかも知れない。それが、ユダが、ユダヤ教の祭司から銀貨30枚をもらってイエスを裏切った事件の真相かもしれない。ユダは、そのようにカネで問題を解決しなければならくなったのだろう。まさに、カネは悪魔の化身なのです。

しかし、イエス・キリストは、人間は僅かなカネで買われる雀などより価値があり、雀ですら神様に守られているのに、人間を神様が守らないはずはないと、教えられたのです。

このような真理の教えは、「現れてこないものはない」というのがイエス・キリストの教えなのです。それを信じる心をもつのが、イエス・キリストの信者なのです。

「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」 (マルコによる福音書 第 2 章) (They pour new wine into new wineskins.)

 

18 ヨハネの弟子とパリサイ人とは、断食をしていた。そこで人々がきて、イエスに言った、「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
19 するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食ができるであろうか。花婿と一緒にいる間は、断食はできない。
20 しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう。
21 だれも、真新しい布ぎれを、古い着物に縫いつけはしない。もしそうすれば、新しいつぎは古い着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなる。
22 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそうすれば、ぶどう酒は皮袋をはり裂き、そして、ぶどう酒も皮袋もむだになってしまう。〔だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである〕」。 (マルコによる福音書 第 2 章)

18 Now John’s disciples and the Pharisees were fasting. Some people came and asked Jesus, “How is it that John’s disciples and the disciples of the Pharisees are fasting, but yours are not?”
19 Jesus answered, “How can the guests of the bridegroom fast while he is with them? They cannot, so long as they have him with them. 20 But the time will come when the bridegroom will be taken from them, and on that day they will fast.
21 “No one sews a patch of unshrunk cloth on an old garment. Otherwise, the new piece will pull away from the old, making the tear worse. 22 And no one pours new wine into old wineskins. Otherwise, the wine will burst the skins, and both the wine and the wineskins will be ruined. No, they pour new wine into new wineskins.”
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「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れよ」と、いう良く知られたイエス・キリストの言葉の出展です。

また、この言葉の前に、ご自分を「婚礼の花婿」に譬えておられる。そして、「花婿が奪い去られる日が来る」とご自分の将来を予言しておられる。この悲劇的な予言から、人々の心を変えようとして、「ぶどう酒の革袋」のたとえ話をしたとも考えられる。イエスのこの世の出現が、「新しいぶどう酒」として、人々に宗教的な革新を与えるものだということを意味したのです。そして、「新しい革袋」が意味することは、人々が新たな心をもって、イエスの教えを聞けということなのです。

ユダヤ教の古い考え方で、イエスの言葉を受け入れようとしても、その心からイエスの教えは、あふれ出てしまう、ということなのです、

新しい時代が来た時、古い時代の常識に囚われていては、新しい時代を混乱なく生きてゆくことはできない。まず、心構えを変えなければいけない。

日本の歴史では、大きく世の中が変わったのは、幕末から明治維新にかけての時と、第二次大戦の日米戦争の敗戦の時です。

明治維新のときは、徳川幕府による鎖国の幕藩体制から日本の開国の時代へと変換が行われ、欧米の文明が日本に受け入れられるようになった。この時、徳川幕府はキリスト教を禁止し、仏教を利用して社会の管理を行っていたが、明治政府はキリスト教を社会に受け入れるようになった。ただし、社会自体は旧体制のままであり、明治政府は仏教の代わりに天皇神道を社会の管理に採用した。徳川時代のような、「切支丹禁制」はなくなったが、本当の宗教の自由が促進されたわけではなく、天皇をかついだ薩摩・長州などの侍にとって都合の良い天皇崇拝を国民に求めることになった。

しかし、20世紀の日米戦争で、天皇神道を国民に強要していた日本は、キリスト教国のアメリカに敗戦して、アメリカのキリスト教精神に基づく新憲法を、日本政府が受け入れたことで、日本社会で真の宗教の自由が実現し、仏教の教えもキリスト教の教えも、日本社会で自由に謳歌できるようになった。この憲法のお陰で、戦後の日本の平和と繁栄が保証され、現在まで日本社会は世界でも例を見ないほどの長期の平和と繁栄を享受している。

徳川時代(江戸時代)も、戦国時代のあと、250年以上の平和と経済的安定を実現したが、欧米の科学力を導入した明治政府のもとで、日本社会は大発展し、第二次大戦前には、「国際連盟」の常任理事国になることができた。しかし、この成功に思い上がった日本政府は、伝統的なアジアの覇者である中国との戦争に突き進み、その結果、欧米との摩擦を生み、日本はアジアの覇権国だった中国、及び、世界を植民地支配している欧米の双方と武力衝突することになる。また、第二次大戦の末期には、これもアジア侵略を狙うロシア人のソビエト連邦に裏切られて、日本は歴史上初の外国軍隊による日本占領を経験する。戦後の日本に必要なのは、新たな時代に相応しい社会の革袋、つまり新憲法だったのです。

だから、この新憲法を日本に与えた米軍の総司令官のマッカーサー元帥が、戦後日本の恩人であり、英雄だということになる。しかし、日本はキリスト教精神に基づく新憲法は受け入れたが、天皇を国民の象徴として生き残らせ、天皇は人間宣言をして、天皇神道は表舞台から影を潜めた。ただし、その伝統的な影響力はまだ日本社会に残っており、事実上の国家元首として天皇は日本社会の最上位に存在している。(ただし、法的には天皇には政治力はなく、首相が日本の元首代行の地位にある。日本の主権者は天皇ではなく、国民なのです。)

さらに、世界的に見れば、人類の物質文明がその腐敗と堕落によって行き詰まり、異常気象などの危機を地球に招き、現在の物質文明が終焉しようとしている。ユダヤ人の始祖のアブラハムからイエス・キリストの誕生までが2千年、イエスの死から現在の21世紀までが2千年であり、人類は新たな時代を迎えようとしている、

そのためには、新たな精神を人類は持たなければならない。日本の幕末に、アメリカの黒船が現れて新時代の到来を日本社会に告げたように、21世紀にUFOが公然と現れてもおかしくない。人類は、UFOの出現に耐える社会を持たなければならない。新しい時代は、宇宙時代でもあるのです。新文明は宇宙人(UFO)の存在の許容から始まるのです、

その意味で、矢追純一や韮沢潤一郎のUFO解説は参考になるが、彼らはキリスト教を研究しておらず、新時代がUFOによってもたらされたとしても、宗教的な対応はできない。つまり、万物の創造主の神様と新時代を結びつけることはできない。

そのような物質文明後の新時代が宇宙人によってもたされたとしても、キリスト教精神を学んでいれば、霊界で宇宙人の霊と会ったと主張する18世紀(科学者のニュートンと同世代)の霊能者のスウェーデンボルグは、敬虔なキリスト教徒であったことを知り、キリスト教が宇宙にも拡大できることが理解できる。

21世紀からの新時代には、宇宙人の存在も取り入れた霊的な文明を発展させる必要があり、そのためにも、霊的なキリスト教の研究が必要なのです。

日本人も、まず聖書に親しみ、現憲法の基盤となったキリスト教を研究すべきなのです。


2026年8月31日月曜日

「あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか」 (ルカによる福音書 第 5 章) ("Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? ")



18 その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。
19 ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。
20 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
21 すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。
22 イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。
23 あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。
24 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
25 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。
26 みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。(ルカによる福音書 第 5 章)

18 Some men came carrying a paralyzed man on a mat and tried to take him into the house to lay him before Jesus. 19 When they could not find a way to do this because of the crowd, they went up on the roof and lowered him on his mat through the tiles into the middle of the crowd, right in front of Jesus.
20 When Jesus saw their faith, he said, “Friend, your sins are forgiven.”
21 The Pharisees and the teachers of the law began thinking to themselves, “Who is this fellow who speaks blasphemy? Who can forgive sins but God alone?”
22 Jesus knew what they were thinking and asked, “Why are you thinking these things in your hearts? 23 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? 24 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “I tell you, get up, take your mat and go home.” 25 Immediately he stood up in front of them, took what he had been lying on and went home praising God. 26 Everyone was amazed and gave praise to God. They were filled with awe and said, “We have seen remarkable things today.”
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これは、イエス・キリストが「病人に、罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか」という問いを律法学者などにした、という福音書で印象的な情景です。

言葉だけで、病人に「罪はゆるされた」ということは簡単です。しかし、実際に「床を取り上げて家に帰れ」という言葉は、病を癒さなければ言えない言葉です。

そして、イエスは「人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていること」を示すために、「起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と病人を癒して言われたのです。

疑い深い律法学者などに、イエスは自分が神様から与えられた力を持っていることを納得させようとされたのです。

つまり、イエス・キリストは霊的な力を持っており、超能力で病の人々を癒すことができたことを、福音書は述べているのです。

今でも、新興宗教の教祖は超能力を売り物にする。あるいは、霊能力を示して信者を集める。超能力がなければ、信者は集まらないものです。中には、苦衷浮揚をするトリック写真を見せるものもいる。あるいは、サクラを使って透視能力があると主張するものもいる。超能力や霊能力を示さなければ、信者は集められない。

実際、過去の名僧や神道の有名人も、そのような超能力があったことが伝えられている。空海などは、その代表例です。また、天理教や大本などの幕末・明治期に現れた振興主教の教祖も、さまざまな霊能力をもっていたと言われる。イエス・キリストもそのような超能力を持っていたことが、福音書に書かれている。

ただし、悪魔に取り付かれたものも、霊能力を使える。神様や天使から霊能力を得たものばかりではない。また、霊界では霊格の低い霊も、この世でそれなりの霊能力を発揮できる。だから、バチカンでは、超能力を示す人間の能力がカトリックの信仰から来たものか、悪魔による影響かを厳しく審査して、聖人かどうかを決めている。

現代の日本でも、高塚光が手かざしで多くの病人を癒した例がある。彼は、宗教は立ちあげなかったが、心の中で悪魔と話したことがあるという。また、明治時代の長南年恵も空中から聖水を出現させて、多くの人を癒したという。或いは、イギリスのハリー・エドワーズも戦後に霊的な治療で有名だった。フィリピンやブラジルの心霊治療家もよく知られている。また、中国では「気」の力で治療するものもいる。インドでは、治療力を持ったヨガの行者もいる。

古代には、どこの部族にもそのような霊能者がいて、人々を治療していた。しかし、物質文明が進み、科学が発展し、近代医学の効果が知られると、そのような心霊治療は遅れた迷信だとされている。

しかし、人の祈りが治療に効果があることは、最近のアメリカの医学界でも証明され、「笑い」が免疫力を高めることが日本の医者によって証明されている。宗教的な祈りだけでなく、「笑い」などの心理的な効果も人間の健康に影響を与えることが知られている。

要するに、人間の健康は科学だけでは扱えないことは明らかです。そのような、代替治療的な力とともに、科学的な医学を併用することが正しいと言える。

問題は、高齢に伴う認知症です。イエスが認知症の人間をなおしたという話しは伝わっていないが、イエスなら認知症の人間でも治せると思われる。なぜなら、人間には不可能なことでも、神様には不可能なことはなく、イエス・キリストは神様の子であり、神様の力を与えられているからです。

神様の信者も、「イエス・キリストの名で神様に願えば、思いは叶う」と聖書に書かれており、病人を癒すことができるのです。

強く純粋な信仰心を持ち、神様の教えやイエス・キリストの言葉を信じることで、人間は霊能力を与えられ、超能力を発揮し、イエス・キリストのように病人を癒すことができるのです。

だから、毎日、聖書を読むだけでも、その効果がやがて現れるのです。これを信じることが、霊的なキリスト教なのです。


2026年8月30日日曜日

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった (ヨハネによる福音書 第 1 章) (In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.)

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は初めに神と共にあった。
3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネによる福音書 第 1 章)

1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. 2 He was with God in the beginning. 3 Through him all things were made; without him nothing was made that has been made. 4 In him was life, and that life was the light of all mankind. 5 The light shines in the darkness, and the darkness has not overcome it.
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これが、聖書で有名な「初めに言(ことば)があった」という箇所です。

キリスト教徒でない日本の霊能者の多くも、この言葉から霊感を得ている。特に、この聖書の表現は、神道関係の霊能者は、日本の神道が重んじる「言霊」の重要視と同じものだと考えている。

そのような日本の霊能者は、「あ」「い」「う」「え」「お」の一つ一つの音に霊的な意味を考えている。これは、母音を重んじる日本語には有効な考えであり、子音を重んじるヨーロッパ語の人間とは異なる。また、音の高低を重んじる中国語とも異なる。ヘブライ語では、「神」と言う言葉の母音は文字にせずに、子音だけで「神」という文字をつづり、「エホバ」や「ヤーウェ」などという発音を許している。

言葉を発することは、人類の成立の条件になっており、言葉を発するという行為が人間の霊性のカギとなっている。仏教では意味が分からなくても、お経を音を出して読めば、人間の精神を浄化すると考えており、神道の祝詞も日本語の音で日本人の精神に微妙な霊的な影響を与える。キリスト教でも、グレゴリア聖歌などは、日本人がラテン語が分からなくても、霊的な響きは理解できる。

江戸時代には、「素読」といって、意味が分からなくても儒教の「論語」を呼んで、日本人は幼少から脳の訓練をしていた。言葉は人類の文化の核心なのです。これは、中国から来た漢字を日本式に訓読で読んで、日本の霊性を中国文明から守ったという見方にも通じる。

欧米では、「話し言葉」が文化の中心となっているが、日本人はさらに、複雑な文字文化で文化を高め、「書き言葉」中心の文化を作り、その影響で日本人の文化程度は世界に類を見ない高さを誇っている。だから、日本人は欧米人以外でユダヤ人につぐ知的能力を示し、ノーベル賞の授賞者の数に現れている。世界の文字文化の中でも、日本語を凌ぐものはない。

欧米のキリスト教中心の世界文化の中で、非欧米人で日本人ほど高い文化能力を示した民族はいない。ただし、ユダヤ人は各国に散らばり、民族としてはキリスト教文化の中でも最高の地位を占めている。だから、宇宙人から見れば、人類を代表する宗教はキリスト教だとしても、人類を代表する民族はユダヤ人になる。そして、ユダヤ人が多く活躍するアメリカが、人類を代表する国になる。ただし、人類を代表する霊的な能力は、日本人にあると思われる。日本人ほど、人類全体の宗教を理解できる国民はない。それだけに、日本人には、なおさら宗教的な謙虚さが求められる。世界からどんな人間が日本に来ても、宗教的に受け入れられていると感じて、安心するのが普通です。

実際、今の人類を代表するのは、英語とヘブライ語を話すアメリカのユダヤ人になり、英語とラテン語を文化の基礎として来たヨーロッパ系のアメリカ人をリードしている。日本語は母音重視のヘブライ語と似た点があり、古代ユダヤ人の文化との親近性も認められる。日本の神道系の研究者の中には、古代に日本人とユダヤ人につがりがあったと考える者もいる。日本の古代の「秦氏」などは、古代のイスラエルから流れて来たユダヤの失われた部族の1つに関係するという考えもあり、空海が始めた真言宗も当時の中国の「唐」で流行したキリスト教の一派(ネストリウス派、景教)の影響があるという説もある。また、イエス・キリストの日本への渡来説や、古代ユダヤ人の四国への渡来説など、日本にユダヤ人への親近感もある。

なお、戦後、アメリカのキリスト教精神で書かれた現・日本国憲法は、英語の翻訳調だから日本語にはなじまない、という説があるが、キリスト教自体が日本語に翻訳されても意味が失われない宗教であることから、日本人がさらにキリスト教の理解を深めるまでは、現・憲法の精神を重んじて保持すべきだということになる。(ただし、現・憲法に、日本語らしい修正条項を追加するのは、問題ないと思われる。)

世界史的に見れば、現在の日本を成立させたのは、戦後に造られた現・憲法という「言葉」なのです。ただし、戦争で現・憲法を勝ち取ったのではなく、神様の憐みにより、キリスト教国のアメリカを通して与えられたのが現・憲法であり、天皇家とは関係ない。ここが、日本人の理解が求められる点です。

霊的には、人間の音声は、呼吸という生命活動の基本に根ざしており、まさに人間の生命を生かすものであり、寒冷地の人間が冷気を呼吸して子音重視の発音になるが、温帯の日本やイスラエルでは、熱帯の人類のように開放的な母音の中心の言語になって、より霊的な表現ができるということになる。(子音中心の発音は、より動物的な音になる、という説もある。)

現在では、コンピュータによる合成音がAIの発展と共に使われているが、生命活動のないコンピュータには、霊的な力がないので人間という霊的な存在を凌駕し、霊界の神様につながることはできない、コンピュータという機械は、機械独特の霊はあるが、人間の霊力に追いつくことはない。つまり、AIは究極的には信用できない。(それに、機械は必ず故障する。機械独特の危険性にも注意すべきです。)人間は、できる限り機械文明、物質文明から遠ざかり、霊性を重んじる生き方をすべきです。(縄文時代の精神が、日本人には重要です。)

この世の基本は、神の言葉であり、その意味を解釈するのは、人間の心であり、人間の心が神の言葉を通して世界を動かしていると言ってもよい。

霊的なキリスト教を理解するために、聖書を学ぶ必要が、世界を主導する使命のある日本人には存在するのです。


2026年8月29日土曜日

「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」 (ルカによる福音書 第 7 章) (“I tell you, I have not found such great faith even in Israel.”)


イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。
2 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。
3 この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。
4 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。
5 わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。
6 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。
7 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。
8 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。 (ルカによる福音書 第 7 章)

7 When Jesus had finished saying all this to the people who were listening, he entered Capernaum. 2 There a centurion’s servant, whom his master valued highly, was sick and about to die. 3 The centurion heard of Jesus and sent some elders of the Jews to him, asking him to come and heal his servant. 4 When they came to Jesus, they pleaded earnestly with him, “This man deserves to have you do this, 5 because he loves our nation and has built our synagogue.” 6 So Jesus went with them.

He was not far from the house when the centurion sent friends to say to him: “Lord, don’t trouble yourself, for I do not deserve to have you come under my roof. 7 That is why I did not even consider myself worthy to come to you. But say the word, and my servant will be healed. 8 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”

9 When Jesus heard this, he was amazed at him, and turning to the crowd following him, he said, “I tell you, I have not found such great faith even in Israel.” 10 Then the men who had been sent returned to the house and found the servant well.
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これは、イエス・キリストが、ローマ軍の将校(百卒長)の僕(しもべ)が病気になったときに、その将校が神様への信仰心があることに気が付いて、その僕の病を癒したときの話です。

イエスは、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と述べて、このローマ軍の将校の信仰心をほめ、その信仰心のゆえに、彼の召し使いが癒されたという話しです。

つまり、神様への信仰心はユダヤ人に限らず、人類に共通の問題だということを明らかにされたのです。

Wikipediaによれば。「ローマ人は、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」が行われた。その結果、下記の「主な神々」の欄に記したように、ローマ固有の神に対応するギリシアの神が決まっていったのである。さらに、ギリシア神話の物語を積極的にローマ神話へ取り入れたため、ローマ神話はギリシア神話と密接な関係を持つようになった」と、ローマ人の信仰について述べている。

ユダヤ人とは異なった宗教観を持っていたローマ人であったが、宗教を超えた神様への信仰心を、イエスが重視していたのが分かる。

この世は一つであるように、死後の世界の霊界も1つであり、全ての死者の魂は、死後、霊界に入るというのが、当時のユダヤ人やイエス・キリストの考えであったことが分かる。当然、これは日本人にも当てはまる。日本人が、神道や仏教の神仏を信仰していたとしても、死後の世界は霊界だという考えは同じです。そして、全霊界を支配しているのが、万物の創造主である神様だというのが、ユダヤ・キリスト教であり、この創造主の下に多くの霊が存在し、仏教や神道の神仏もそのような大霊だと考えるのが正しい。キリスト教では、聖霊や天使、聖者や信徒の霊が霊界にいることになる。

仏教の菩薩や阿弥陀、ブッダやヒンズー教の神の上に、全霊界を支配する神様がおられるという考えは仏教徒やヒンズー教徒にとっては、受け入れがたいが、霊界の存在を認めれば、そこを支配する最高神の存在を認めるべきです。

また、八百万(やおろず)の神を認める日本の神道でも、Wikipedia によれば、「造化の始めとなったのは天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神であり、万物の祖はイザナギ・イザナミであると観念されている」と記されている。全ての事物に神と言う超越的な存在の影響を認めるということは、その上の支配者である万物の創造主を認めることになる。そのような神の呼び名は異なっていても、この世と霊界の支配者の神様という考えは受け入れられる。

つまり、民族によって神の呼び名や概念が異なっていても、この世の存在を認めるように、死後の霊界の存在を認めるのが人類の共通意識であり、そのような世界を支配する存在として、万物の創造主を認めるのが自然なのです。

そういう意味で、イエス・キリストは、支配者のローマ人の軍人にも神様への信仰心がって当然と考えられた。そして、神様への信仰心という点では、ユダヤ人もローマ人も同じだと考えられたのです。

実際、死後の霊界から見れば、この世は万物の創造主が霊的エネルギーで、霊界から造られたものだということが分かる。霊界の下の物質界に生きる人類が、分断されて共通の神概念を持てないというのは霊界から見れば未熟だということになる。

また、現代の物質文明は民族にかかわらず受け入れらており、その効果を発揮し、全人類が共通の経済観念で統一されているように、全人類も共通の神概念や宗教意識を持ってもおかしくない。

実際、カネという悪魔を人類は共通して崇めているように、万物の創造主の神様を崇めるのが正しい生き方なのです。しかし、悪魔の影響下の人間界では、人間は悪魔の化身のカネを求め、カネや富を崇拝している。この物質文明は、正しくない。だから、人類はカネや富の崇拝をやめて、本来の自然に表れる万物の粗造主の神様への信仰に立ち返るべきなのです。

民族の違いや、その歴史と文化の中で、それぞれ固有の神概念や宗教が生まれて来たが、今の世界経済がカネで支配され、共通の経済システムで支配されているように、神という概念に対して、全人類は共通の考えを持ち、この世と霊界に対して正しい考えをもつべきなのです。

世界の全ての宗教のうちで、人類を代表する宗教に最も近いのが、歴史が示すように、現在の世界文明の主流のキリスト教なのです。この世と霊界の創造主を神様と認めるのが、自然なのです。そのキリスト教がユダヤ人のユダヤ教から発展し、神様がイエス・キリストというユダヤ人の姿をとって現れたことを信じるのがキリスト教なのです。

人類が、霊界の下の物質界の中の人間界の存在であることを認め、霊界を含めた万物の創造主である神様を学ぶのが現在の日本人の義務になる。この万物の創造主の神様を誰が作られたのか、その上に何があるのか、また、どのように神様が生まれたのは、人間の能力では考えることはできないが、そのようなこの世や霊界を超えた力を謙虚に認めるのが、人間として正しい姿なのです。

その第一歩を、ユダヤ・キリスト教を認めることから始めるべきなのです。

この広大な宇宙には、異なる宗教をもった宇宙人もいるだろうが、彼らも万物の創造主の下にいることは間違いない。地球の人類が正しい宇宙観に基づいて、正しく神様に従っていれば、宇宙人やUFOを恐れることもないのです。神差への信仰は宇宙で共通のものなのです。


2026年8月28日金曜日

「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか」 (ヨブ記 第 38 章) (“Who is this that obscures my plans with words without knowledge?”)


この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、
2 「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
3 あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
4 わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
5 あなたがもし知っているなら、/だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
6 その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。」(ヨブ記 第 38 章)

38 Then the Lord spoke to Job out of the storm. He said:
2 “Who is this that obscures my plans
with words without knowledge?
3 Brace yourself like a man;
I will question you,
and you shall answer me.
4 “Where were you when I laid the earth’s foundation?
Tell me, if you understand.
5 Who marked off its dimensions? Surely you know!
Who stretched a measuring line across it?
6 On what were its footings set,
or who laid its cornerstone—
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Wikipedia によれば、「『ヨブ記』は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る・・・『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。」

また、この文書では、「サタンは、ヨブの信仰心の動機を怪しみ、ヨブの信仰は利益を期待してのものであって、財産を失えば神を面と向かって呪うだろうと指摘する。サタンの試みは、ヨブの無償の信仰及び無償の愛の世界観の否定である。神はヨブを信頼しており、サタンの指摘を受け入れて財産を奪うことを認め、ただし、命に手を出すことを禁ずる・・・」と記されている。

要するに、悪魔は神様に、ヨブは神様から恵みを与えられているから、神様を拝んでいるにすぎないとして、ヨブの信仰心を試すことを提案し、神様は受け入れたという話しです。

結果は、神様がヨブに姿を見せると、ヨブは正しい信仰心を見せて神様を満足させ、悪魔は退散する。

インドでブッダが現れ、中国で孔子が現れ、ギリシアでソクラテスが現れた頃、ユダヤ人はヨブ記を書いて、神様を信仰すべきことを旧約聖書で主張した。悪魔の存在を明確に意識して書かれているのは注目に値する。

人間の心に悪魔が入れば、人間は神様を疑い、神様への信仰心を捨てる。その証拠に、人間は不幸になれば、神様を呪うということを、悪魔は神様に証明しようとして、ヨブを不幸にするが、最後までヨブは神様への信仰心を捨てず、悪魔は敗北する。

それでも、ヨブ記が書かれた後、何世紀も立って、神様がユダヤ人を救うために、自分の子のイエス・キリストを人間界に送らねばならないほど、ローマ帝国の支配のもとで、ユダタ人はローマ帝国がもたらした物質文明の影響の下で、神様への信仰心を失いそうになり、悪魔の手先になろうとしていた。

このときのイエス・キリストの言動を描いたのが新約聖書です。

人類を代表する民族となったユダヤ人の宗教を旧約聖書で学び、現在の文明の基礎となったキリスト教の新約聖書の福音書を学ぶことが、ブッダやソクラテス、孔子を学び、仏教、ギリシア文明、中国の古典思想、そして、日本神道や日本の霊性を学んだうえで、日本人が学ぶべきことなのです。

そうすれば、日本人も世界の主流のキリスト教を通じて、世界を代表する民族になることができるのです。

今の地球の人類を代表する国民・民族はアメリカ人やユダヤ人ですが、日本人も彼らに肩を並べる力や霊能力があることを世界に示す必要があります。そのために、聖書を学ぶ必要があるのです。

この世の宗教書の中で、神様と人間と悪魔の会話が記載されているという点で、ユニークなのが、このヨブ記なのです。