神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 (マルコによる福音書 第 1 章)
1 The beginning of the good news about Jesus the Messiah, the Son of God, 2 as it is written in Isaiah the prophet:
“I will send my messenger ahead of you,
who will prepare your way”—
3 “a voice of one calling in the wilderness,
‘Prepare the way for the Lord,
make straight paths for him.’”
4 And so John the Baptist appeared in the wilderness, preaching a baptism of repentance for the forgiveness of sins.
9 At that time Jesus came from Nazareth in Galilee and was baptized by John in the Jordan.
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これが、新約聖書のマルコによる福音書の冒頭部分です。
Wikipediaによれば、「マルコによる福音書は、新約聖書の正典福音書の2番目の書物・・・2世紀半ば以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。ただし、本福音書を4番目とする例がある。執筆年代は、伝承によるとペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。本福音書は、『マタイによる福音書』、『ルカによる福音書』と共に「共観福音書」とよばれ、四つの福音書の中でもっとも短い。マルコ福音書、マルコ伝、あるいは単に「マルコ」とも呼ばれる。高等批評の立場からは正典福音書のうち最も古くに書かれたものであるとされている」とされている。
この冒頭の「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた」というように、イエス・キリストではなく、イエスの従兄とされる、バプテスマのヨハネの活動が書かれている。
Wikipediaによれば、「バプテスマのヨハネ」とは、「『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている」とされており、イエス・キリストの先駆けとなった宗教活動をしていたことになる。
ヨハネもイエスも、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の一派と関係があったとされている。AIによれば、「エッセネ派は、紀元前2世紀〜紀元1世紀ごろに存在したユダヤ教の禁欲的な一派です。主に死海近くの荒野で共同生活を営みました」とされている。第二次大戦後に発見された「死海文書」で、エッセネ派の活動はよく知られるようになった。
Wikipediaでは、「新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派はあらわれるが、それらとならんで当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しないため、洗礼者ヨハネやイエス・キリストが、エッセネ派に属していた、あるいは関係グループに属していたという説もある」とされている。
このエッセネ派に属するクムラン教団の文書が死海文書とされており、オプス・デイ(キリスト教のローマ・カトリック教会の組織のひとつ、属人区である)では、「また、クムランで見つかったユダヤ教の文書が新約聖書に何らかの影響を与えたという形跡も見出されません。現在、専門家たちはクムランの教義とキリスト教の誕生には、なんら関係はなかったという見解で意見が一致しています。死海のほとりに存在したあのグループは少数派であり、社会から隔絶した生活を送っていました。それに対し、イエスや初期のキリスト教徒は、当時のユダヤ社会に浸かって生活し彼らと対話をしていました。しかしながら、クムラン文書によって、キリスト教が誕生した非常に多様なユダヤ社会において、当時は普通に使われていたものの、今日では理解することが困難な用語や表現の意味が明らかになったという点では、役にも立っているのです」とされている。
いずれにしても、20世紀の第二次大戦後に2千年前のイエスの時代のユダヤ教の状況が明らかになったのには、神様の意図を感じないわけにはいかない。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。
イエス・キリストは、ユダヤ教の伝統の中から、禁欲的なグループのエッセネ派に近い存在として現れたのです。しかも、イエスだけでなく、従兄のヨハネまでが、共に宗教活動をしていた。これが、イエス・キリストの背景であり、歴史的な事実です。
しかし、霊的にはもっと深い所からイエス・キリストは現れたと考えられる。
神様が作られた人間が、アダムとイブの時代から霊的に堕落し、物質文明の中でカネを求めるようになり、悪魔に魂を売ってカネを求めるような生活をするまでに腐敗したので、それを本来の霊的な生活に戻そうとして、神様がイエス・キリストを人間界に送られたと考えるべきです。
つまり、イエス・キリストの使命は悪魔(カネ)と戦って人間を救うことなのです。
キリスト教を理解するには、この世の人間界が悪魔の影響にあることを認め、悪魔は最後は人間を破滅させようとしていることを理解する必要がある。どんなに悪魔の力に頼って、エリートや富裕層になっても、死後は悪魔の手下にされ、地獄に引きずりこまれる。
2千年前に、既に貨幣が使用されていたローマ時代のパレスチナにも、現代と同じようにカネ(悪魔の化身)が威力を持っており、多くの人間はカネに洗脳されて、カネで欲望を満たそうとしていた。まさに、悪魔の影響下にある世の中になっていたのです。2千年前も世界は拝金主義になていたのです。
その風潮を正そうとして、ローマ帝国の植民地であったユダヤ人のパレスチナに出現したのがイエス・キリストなのです。
当時も現代もカネによる支配が世の中で行われているのが共通しており、それが悪魔の影響であり、それに対して霊的な文明を打ち立て、人間の心を神様に向けさせるのが洗礼者ヨハネやイエス・キリストの活動であり、現在でもその状況は変わっていないのです。だから、2千年前の聖書は現代人でも理解できるのです。
だから、世界経済の中でこの悪魔の影響下にある日本人も聖書を読み、イエス・キリストの言葉を守る必要があるのです。
人間は、悪魔(カネ)と戦う必要があるのです。