2026年8月16日日曜日
神は「光あれ」と言われた。すると光があった (創世記 第 1 章) (And God said, “Let there be light,” and there was light.)
はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。(創世記 第 1 章)
1 In the beginning God created the heavens and the earth. 2 Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and the Spirit of God was hovering over the waters.
3 And God said, “Let there be light,” and there was light. 4 God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness. 5 God called the light “day,” and the darkness he called “night.” And there was evening, and there was morning—the first day.
6 And God said, “Let there be a vault between the waters to separate water from water.” 7 So God made the vault and separated the water under the vault from the water above it. And it was so. 8 God called the vault “sky.” And there was evening, and there was morning—the second day.
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Wikipediaによれば、「『創世記』(英語: genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典とされ、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている」とされている。
この「はじめに神は天と地とを創造された」と言う言葉は、旧約聖書の最初の言葉として、よく知られている。人類が、この世の存在について目が開いたとき、最初に見たのが天であり、その下の地であったことを証明している。
人間の赤ん坊も生まれて気が付くと、上のものと下のものがあるのに気が付く。上下の感覚は人間が最初に感じるものである。霊的には、上の霊界から下の物質界に生まれてきたという感覚を表している。或いは。精神的な心の世界から、肉体に象徴される物質の世界に生まれたことを意識する。
それを、天と地として認識し、神様がこの世(物質界)とあの世(霊界)を作ったと認識するのが、人間の世界認識の始まりであることを意味している。
そこには、自然の法則しかない。善も悪もない。しかし、そこに人間と言う生物が生まれると、万物の創造主の神様と人間という被造物(作られた者)の間の関係が生じる。人間が神様に従っていれば、なにも問題はない。人間は天と地を認めて、この世に生きるだけです。霊界で神様に仕える天使のように、物質界で人間は神様に仕えればよい。
ところが、霊界の天使の中には、神様のような大きな力を持ちたいと願う者がでてきて、神様に逆らうようになる。これが、神様の善に対抗して悪をなすようになる。神様が完全な霊界と完全な物質界を造られると、作られたものは、破壊という現象を受け入れねばならなくなり、その破壊の力を手に入れた一部の天使は、神様に逆らって神様の作られた完全な霊界と物質界を破壊しようという行為に出る。これが、悪の始まりであり、悪魔の出現です。
神様が作られた世界は完全であるが故仁、その完全性の中に不完全性も含まれねば、「本当の完全性」は実現しないので、神様はそのような反動的な要素の存在も許された。つまり、全善の神様の許容によって悪の存在が許され、悪魔が天使の中から生まれたことになる。
神様が、天も地も作らず、霊界も物質界も作らなければ、天使の存在も必要ではなく、人間の存在も必要でなかったことになる。従って、悪魔も存在しなかったことになる。天も地もない空間に時間も必要としない神様が存在するだけだったが、神様は、霊界と物質界を造ることを選ばれので、天使や人間が生まれることになった。ただし、それに付随して悪魔が生まれることになった。
つまり、人間の出現以前に、悪魔の存在が許されていたことになり、悪魔は神様の霊界や物質界を創造する能力に付随したものでああり、その能力の反動して生まれたものであり、それを許容してでも、神様は天使や人間を作ることを選ばれたわけです。悪が存在する可能性というリスクを冒してまで、神様は天使や人間を作りたかったことになる。それは、神様が天使や人間を愛されたからだということになる。それが、天と地の光だということになる。この世の光は太陽から来ているが、霊界の光は神様の世界(天国や神界)から来ている。
善の世界(光の世界)を作れば、反動で悪の要素(闇)も生まれるということを神様は承知されて、悪魔を含む霊界と人間界を造られたのです。しかし、神様がその気になれば、いつでも悪魔や悪魔が作り出す地獄は存在しなくなる。これが、悪魔が最も恐れる世界の消滅です。悪(闇)は善(光)が生じるから存在できるのです。
しかし、神様は、天と地を作られて、そこに人間が生きることを愛されたので、まだ、この世、物質界は亡びないし、物質界の源である霊界に住む天使たちも愛しておられるので、霊界もなくなることはない、ただし、そのために悪や悪魔の存在も認めなければならなくなった。
これは、全ての整数を作ることを選ばれた神様が、整数の中に、「1」とその数でしか割り切れない「素数」の存在を許されたようなものです。素数は、整数列のどこに現れるかは予測できない。しかし、素数を取り除けば、整数列は成り立たない。
神様は、無数の数と無限大を作られ、無数の数の中には素数も含まれ(しかも、無数に)、なお、無数の数を抑える概念として無限大という概念を作られた。無数の整数という地と、無限大という天を神様は作られたのです。
この世(物質界)とあの世(霊界)の成り立ちについて、神様が全てを創造されたというのが、人類に共通の認識であり、さまざまな神話の共通点です。人間や悪魔が世界を作ったという神話はない。また、訳が分からないが、勝手にできたという神話は、成り立たない。存在は、でたらめには成り立たない(闇から存在は生じない)。或いは、力が無ければ成り立たない。全知全能かつ全善の神様が愛(光)から作られたと信じるのが、神様への信仰の第一歩なのです。
2026年8月13日木曜日
「わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」 (マルコによる福音書 第 1 章) ("I baptize you with water, but he will baptize you with the Holy Spirit.")
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 (マルコによる福音書 第 1 章)
1 The beginning of the good news about Jesus the Messiah, the Son of God, 2 as it is written in Isaiah the prophet:
“I will send my messenger ahead of you,
who will prepare your way”—
3 “a voice of one calling in the wilderness,
‘Prepare the way for the Lord,
make straight paths for him.’”
4 And so John the Baptist appeared in the wilderness, preaching a baptism of repentance for the forgiveness of sins.
9 At that time Jesus came from Nazareth in Galilee and was baptized by John in the Jordan.
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これが、新約聖書のマルコによる福音書の冒頭部分です。
Wikipediaによれば、「マルコによる福音書は、新約聖書の正典福音書の2番目の書物・・・2世紀半ば以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。ただし、本福音書を4番目とする例がある。執筆年代は、伝承によるとペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。本福音書は、『マタイによる福音書』、『ルカによる福音書』と共に「共観福音書」とよばれ、四つの福音書の中でもっとも短い。マルコ福音書、マルコ伝、あるいは単に「マルコ」とも呼ばれる。高等批評の立場からは正典福音書のうち最も古くに書かれたものであるとされている」とされている。
この冒頭の「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた」というように、イエス・キリストではなく、イエスの従兄とされる、バプテスマのヨハネの活動が書かれている。
Wikipediaによれば、「バプテスマのヨハネ」とは、「『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている」とされており、イエス・キリストの先駆けとなった宗教活動をしていたことになる。
ヨハネもイエスも、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の一派と関係があったとされている。AIによれば、「エッセネ派は、紀元前2世紀〜紀元1世紀ごろに存在したユダヤ教の禁欲的な一派です。主に死海近くの荒野で共同生活を営みました」とされている。第二次大戦後に発見された「死海文書」で、エッセネ派の活動はよく知られるようになった。
Wikipediaでは、「新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派はあらわれるが、それらとならんで当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しないため、洗礼者ヨハネやイエス・キリストが、エッセネ派に属していた、あるいは関係グループに属していたという説もある」とされている。
このエッセネ派に属するクムラン教団の文書が死海文書とされており、オプス・デイ(キリスト教のローマ・カトリック教会の組織のひとつ、属人区である)では、「また、クムランで見つかったユダヤ教の文書が新約聖書に何らかの影響を与えたという形跡も見出されません。現在、専門家たちはクムランの教義とキリスト教の誕生には、なんら関係はなかったという見解で意見が一致しています。死海のほとりに存在したあのグループは少数派であり、社会から隔絶した生活を送っていました。それに対し、イエスや初期のキリスト教徒は、当時のユダヤ社会に浸かって生活し彼らと対話をしていました。しかしながら、クムラン文書によって、キリスト教が誕生した非常に多様なユダヤ社会において、当時は普通に使われていたものの、今日では理解することが困難な用語や表現の意味が明らかになったという点では、役にも立っているのです」とされている。
いずれにしても、20世紀の第二次大戦後に2千年前のイエスの時代のユダヤ教の状況が明らかになったのには、神様の意図を感じないわけにはいかない。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。
イエス・キリストは、ユダヤ教の伝統の中から、禁欲的なグループのエッセネ派に近い存在として現れたのです。しかも、イエスだけでなく、従兄のヨハネまでが、共に宗教活動をしていた。これが、イエス・キリストの背景であり、歴史的な事実です。
しかし、霊的にはもっと深い所からイエス・キリストは現れたと考えられる。
神様が作られた人間が、アダムとイブの時代から霊的に堕落し、物質文明の中でカネを求めるようになり、悪魔に魂を売ってカネを求めるような生活をするまでに腐敗したので、それを本来の霊的な生活に戻そうとして、神様がイエス・キリストを人間界に送られたと考えるべきです。
つまり、イエス・キリストの使命は悪魔(カネ)と戦って人間を救うことなのです。
キリスト教を理解するには、この世の人間界が悪魔の影響にあることを認め、悪魔は最後は人間を破滅させようとしていることを理解する必要がある。どんなに悪魔の力に頼って、エリートや富裕層になっても、死後は悪魔の手下にされ、地獄に引きずりこまれる。
2千年前に、既に貨幣が使用されていたローマ時代のパレスチナにも、現代と同じようにカネ(悪魔の化身)が威力を持っており、多くの人間はカネに洗脳されて、カネで欲望を満たそうとしていた。まさに、悪魔の影響下にある世の中になっていたのです。2千年前も世界は拝金主義になていたのです。
その風潮を正そうとして、ローマ帝国の植民地であったユダヤ人のパレスチナに出現したのがイエス・キリストなのです。
当時も現代もカネによる支配が世の中で行われているのが共通しており、それが悪魔の影響であり、それに対して霊的な文明を打ち立て、人間の心を神様に向けさせるのが洗礼者ヨハネやイエス・キリストの活動であり、現在でもその状況は変わっていないのです。だから、2千年前の聖書は現代人でも理解できるのです。
だから、世界経済の中でこの悪魔の影響下にある日本人も聖書を読み、イエス・キリストの言葉を守る必要があるのです。
人間は、悪魔(カネ)と戦う必要があるのです。
2026年8月12日水曜日
「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」 (マタイによる福音書 第 17 章) (“This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”)
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。 (マタイによる福音書 第 17 章)
17 After six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves. 2 There he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light. 3 Just then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
4 Peter said to Jesus, “Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
5 While he was still speaking, a bright cloud covered them, and a voice from the cloud said, “This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”
6 When the disciples heard this, they fell facedown to the ground, terrified. 7 But Jesus came and touched them. “Get up,” he said. “Don’t be afraid.” 8 When they looked up, they saw no one except Jesus.
9 As they were coming down the mountain, Jesus instructed them, “Don’t tell anyone what you have seen, until the Son of Man has been raised from the dead.”
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これは。「山上の変容(山上の変貌)」と呼ばれる出来事であり、AIでは、「イエスが高い山の上で栄光の姿に変わり、神の子として現された出来事を指します。イエスの本来の栄光が一時的に現れた場面と理解されます」とされている。
イエス・キリストが、霊的な能力のあった「ペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」とされているように、彼らの霊的エネルギーを借りて、自らが霊となって、モーセやエリアという旧約聖書に出てくる過去の聖人の霊と話し合ったという情景です。
これは、霊的に理解しなければ説明のつかない情景です。イエスは、その霊能力で霊界の神様や天使たちとコミュニケーションできていたのですが、緊急にモーセやエリアの霊と話し合う必要ができたので、このように「主イエスの変容」とも称される形で彼らの霊と話し合ったのだと思われる。
Wikipediaによれば、「教会では、この世的な意味でのキリストの勝利(イスラエルの解放)を願う弟子達に対し、自らの受難を予言し続けたキリストが、これから受ける苦難に際して信仰し続ける希望を与えるためにこの奇蹟を行ったと伝えられる」とされている。
おそらく、この時に、イエス・キリストは、ユダの裏切りについて知らされたのだろう。そして、このまま行けば、イエスが権力者に逮捕され、死刑を宣告されることを霊から知らせれたと思われる。
そして、「たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」と。神様の声がして弟子たちにイエス・キリストに従うように告げたということは、この出来事は神様とのコミニュケーションでもあったことを告げている。ユダのもたらす悲劇を信仰のために受け入れることにしたイエス・キリストの信仰心を、神様が認められたということです。
いつ、イエスが、ユダの裏切りと、ご自分の死がそれによって生じることに気が付かれたのかは、聖書には明確には記されていないが、この「主イエスの山上での変容」のときだったと思われる。
イエスの肉体が、霊との会話のために、霊体に変容したことを、聖書はこのように記したと思われる。福音書の中でも唯一、霊界とイエス・キリストの直接的な関りを記した箇所になっている。
霊的存在でもあるイエス・キリストは、人間の姿を取って人間界で生きて、人間として死んでも、霊界でその魂は生き続けるが、人間界で行なおうとしていたことは中断される。それが、悪魔の狙いであり、神差の計画に対する挑戦なのです。そのことに、イエス・キリストは苦しめられるが、ご自分の死を恐れたわけではない。
ただし、悪魔のそのような計画を霊から知らされたイエスは、これ以降は、明確な覚悟をもって、十字架の運命に向かって歩くことになる。
最初からイエス・キリストは、弟子の裏切りで逮捕され、十字架上で刑死するとは覚悟されてはいなかたった。イエス・キリストの伝道の成功を確信した悪魔が、非常手段に訴えて来たので、神様はモーゼやエリアの霊を使ってイエスに悪魔の計画を知らせたが、イエスはご自分の気持ちに変わりはないとの気持ちを表明されたので、神様はそれに満足されたという経緯です。
霊的な世界の出来事を、この世で表されて、聖書に残るようにされたということの意味は大きい。イエス・キリストの霊的な力を認めよという教えです。
2026年8月11日火曜日
この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった (ヨハネによる福音書 第 13 章) (As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.)
21 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。
22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。23 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
30 ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。(ヨハネによる福音書 第 13 章)
21 After he had said this, Jesus was troubled in spirit and testified, “Very truly I tell you, one of you is going to betray me.”
22 His disciples stared at one another, at a loss to know which of them he meant. 23 One of them, the disciple whom Jesus loved, was reclining next to him. 24 Simon Peter motioned to this disciple and said, “Ask him which one he means.”
25 Leaning back against Jesus, he asked him, “Lord, who is it?”
26 Jesus answered, “It is the one to whom I will give this piece of bread when I have dipped it in the dish.” Then, dipping the piece of bread, he gave it to Judas, the son of Simon Iscariot. 27 As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.
So Jesus told him, “What you are about to do, do quickly.” 28 But no one at the meal understood why Jesus said this to him. 29 Since Judas had charge of the money, some thought Jesus was telling him to buy what was needed for the festival, or to give something to the poor. 30 As soon as Judas had taken the bread, he went out. And it was night.
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これは、イエス・キリストの弟子の一人であるユダが、イエスへの裏切りを決行するときの情景です。
ただし、「サタンがユダにはいった」と書かれている。本当の黒幕はユダではなく、悪魔であるということが示唆されている。事実、イエスが逮捕された後に、ユダは良心に責められ自殺している。ユダが心からイエスを憎んで裏切っていれば、イエスの逮捕に大喜びしていたはずです。しかし、ユダは正気に戻り、イエスを裏切ったことを後悔し、自殺したのです。ユダは悪魔に操られていたと考えられる。
巧妙な悪魔は、表に出ないで人を使って悪を行わせるのです。罪を犯す者が、真犯人とは限らない。その背後で犯罪を画策し、実行者の心を操っているものがいる。
イエスは、「人をつまずかせる者の責任は、つまずいて罪を行った者よりも重い」と述べておられる。物事は表面だけを見て判断してはいけない。目に見えない力が働いているものです。
しかし、心の中に悪魔に入り込まれる隙を作った者にも責任はある。しかし、イエス・キリストは「人を裁いてはならない」と述べておられる。本当の責任者は誰にも分からないし。実行者にもそれなりも責任はある。そのような背後関係が分からないまま、実行者だけを裁けば、より大きな悪が放置されることになる。要するに、人には人を裁く能力もないし、その結果に責任も取れないということです。
イエス・キリストは、ユダの裏切りは抑止できないことを悟ったので、ユダに裏切らせたと考えるしかない。悪魔が、ユダにイエスを裏切らなければならないような罠を仕掛けたことは間違いない。銀貨30枚を裏切りの報酬として得る必要があったのだろう。それは、聖書では謎になっている。
神の子のイエス・キリストが、弟子の裏切りに気づかないなどと言うことはあり得ない。イエスは、ユダが裏切らなければならない状況にいることを知って、悪魔の罠に落ちることを承知していたと思われる。しかし、悪魔に勝つ自信があったので、ユダに裏切りをさせたのだろう。
悪魔も、イエス・キリストには勝てないことを知りながら。ユダに裏切りをさせた。ただし、どのようにしてイエスが勝利するかは分からなかった。悪魔も驚いたであろうが、イエス・キリストは無実の罪で十字架上で殺されたあとに、蘇って信者たちの信仰心を深めたのです。
つまり。イエス・キリストは、悪魔よりもはるかに上手だったのです。それが、この2千年間の人類の歴史で表されている。
いずれにしても、このユダの裏切りは、信者に悪魔の狡猾さと、危険を教えることになり、それ以上に、イエス・キリストの力を示すできごとだったのです。
これが、福音書のハイライトの、ユダの裏切りの意味なのです。つまり、悪魔は、弟子にイエス・キリストを裏切らせるような力や悪知恵を持っているのです。だから、常に気をつけていなさい、とイエス・キリストは述べておられる。
2026年8月10日月曜日
「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」 (ルカによる福音書 第 11 章) (How much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”)
12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカによる福音書 第 11 章)
11 “Which of you fathers, if your son asks for a fish, will give him a snake instead? 12 Or if he asks for an egg, will give him a scorpion? 13 If you then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”
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父親は、子供に「その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与える」ことはない、と父親の自然な愛情を譬えにして、イエス・キリストは、同じように天の父親である神様は、子である人間たちにも自然な愛情を持っていると述べておられる。
神様は、父が子を愛するように、子である人間を愛しておられる。この信頼関係が、キリスト教の基礎なのです。
だから、子である人間は、子が父を愛するように神様を信頼してよいと述べておられるのです。
つまり、人間は願い事があれば、神様に祈ってもよい、という意味です。そのとき、イエス・キリストの名で神様に願えば、願い事は必ずかなうと信ぜよというのが、イエスの教えなのです。
問題は、神様に願ったことが叶っているのに、そのことに人間が気が付かないという場合が多いことです。あることのためにカネが必要なので、神様にカネを求めたとしても、神様がカネではなく、他の方法でその問題を解決してくれるかもしれない。しかし、カネを得られなかった信者は願い事が叶わなかったと考えるかもしれない。しかし、カネ以外の手段で問題は解決している場合があるのです。
また、旅行をするのに、時間通りに空港に着けるように神様に祈ったとしても、なぜか時間に間に合わなかった場合、神様が願いをかなえてくれなかったと考えるかもしれない。しかし、乗る予定の飛行機が事故を起こして多くの乗客が亡くなった場合、自分は神様に助けられているのに、それには気が行かない場合もある。
つまり、神様は、卵を求める子供に蛇を与えないどころか、卵以上に安全でおいしいものを与えて下さっているのに、それに気づかず感謝しない子供のようなものである信者がいるということを述べておられるのです。
日本でも、年末年始に神仏に祈る人間は多いが、その直接的な願いには神仏はこたえずに、別の思いがけない形で願いにこたえてくれることがある。典型的なのは、幸せになるために、カネを神仏に求めた場合です。神仏は人間を幸福にしてはくれるが、カネは与えないという場合がある。目的を達成するのに、より愛のある形で達成させてくれる場合がある。又は、その目的よりも、もっと愛のある目的を実現させて頂く場合がある。問題は、人間の願い事だけでなく、その願う意図や目的、それを実現する手段の内容や、その影響、効果、副作用だということです。
自分の夢を叶えるために、社会に悪影響を及ぼすことを願っても、それは実現しない。別の形で夢を叶えて下さるのが神様なのです。あるいは、そのような夢が、愛と信仰から離れている場合、善の神様は、その願いを受け付けない場合がある。人間が愛と信仰心を取り戻すまでは、その願いや祈りにこたえらない場がある。
つまり、神様は人間の欲望にこたえるのではなく、欲望を捨てた願いを待っておられる、そして、人間が欲望を捨てたとき、その願いは神様によって叶えられるということです。これは、心霊研究家でもあった、工学博士で発明家であった故政木和三の主張と同じです。欲望を捨てた願いとは、人間的な願いではなく、神聖な願いだということです。つまり、聖霊が扱うような願いだということです。
いずれにしても、イエス・キリストは、とにかく神様に祈れば、それが神聖で自然な願いであれば、神様はきいて下さると述べておられる。また、強く願うだけの神聖で自然な理由があれば、神様は必ずこたえて下さると述べておられるのです。
これが、霊的なキリスト教の信仰なのです。
2026年8月9日日曜日
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い (コリントの信徒への手紙一 第 1 章) (For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.)
19 すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。
20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)
18 For the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God. 19 For it is written:
“I will destroy the wisdom of the wise;
the intelligence of the intelligent I will frustrate.”[c]
20 Where is the wise person? Where is the teacher of the law? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world? 21 For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe. 22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.
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Wikipediaによれば、「『コリントの信徒への手紙一』は、『新約聖書』に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である」とされている。
また、「ともすれば聖人の集まりのようにみなされ、美化されがちな初代教会であっても現実にはさまざまな問題や困難があり、パウロのようなエネルギッシュな人物であっても常に悩みや苦しみがあったことを如実に伝える書簡である」とされている。
この書簡の、「聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある」という部分は重要です。特に、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」という言葉は神様への信仰を伝える名言です。
人間がその知恵や力で他人を抑えても、「愚かに見えても信者の知恵は人間の知恵に勝り」、「弱く見えても信者の力は、人間の強さに勝る」というのが信仰の言葉なのです。
だから、小さく、弱く、愚かに見える人間には、注意が必要です。その人間に本当の信仰心があれば、大きく、強く、賢い人間であることが、明らかにされるのです。他人を侮り、外見で判断してバカにし、攻撃し、笑いものにしても、その人が信仰者ならその人に負けて、大恥をかくのは、強さや、富や、知恵を誇った側です。
ブッダもホームレスの伝道者として、人々に教えを伝えたが、ブッダを貧乏人、愚か者、弱者だとして攻撃した者は、皆、死後、地獄に落ちた。
ましてや、神様の息子のイエス・キリストを信じて、自分の力や知恵を捨て、神様から与えられた真実の力や知恵を身に着けた者は、この世のどんな強者や知恵者、権力者、成功者にも勝る力を与えられているのです。
武術でも、初級者には名人や達人の業が理解できずに、笑いものにするものもいるが、対戦すれば、一撃で名人や達人に倒される。倒されても、まだ、腕の違いが分からずに、ポカンとしている。自分が、笑いものになっていることにも気づかないのが、初級者なのです。
しかし、悪魔はこのような愚か者の初級者を使って何度も信仰者を攻撃させる。モノの違いが分からない思い上がった人間は、何度でも信仰者を攻撃する。死後、霊界に入って信仰者との違いが示されるまで、弱者や愚者をいじめ、攻撃を繰り返す。だから、信仰者は、そのような悪魔に使われる本当の弱者、愚者のあきれた攻撃を覚悟しなければならない。悪魔が、背後で操っているのです。つまり、本当の敵は、目の前の愚かな人間ではなく。背後の悪魔なのです。力の差が歴然としているのに、何度も何度も真の強者に刃向かう愚かな者を使って、悪魔は信仰活動を妨害するのです。この悪魔は滑稽に見えるが、そのバカバカしさに呆れて信仰者が隙を見せれば、そこに悪魔はつけこむ。
信者は、神様が与えられた知恵と力を信じ、また、神は、その召し使いを朽ち果てることは認めずに救う、という聖書の言葉を信じて悪魔の誘惑には負けないことです。
神様を信じる人間は、人の力や知恵を超えた世界にいるのです。その違いが分かることが、人間の修業なのです。
初級者には、名人や達人は理解できない。一般人には、真の神様の信仰者は理解できない。しかし、時間がたてば、真実は誰の眼にも明らかにされる。
現在、ブッダを単なるホームレスだと思う人おはいないし、イエス・キリストをインチキ宗教家だと思う者もいない。
2026年8月8日土曜日
彼らは食べて満腹した (マルコによる福音書 第 8 章) (The people ate and were satisfied)
そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、
2 「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。
3 もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。
4 弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。
5 イエスが弟子たちに、「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります」と答えた。
6 そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。
7 また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。
8 彼らは食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。
9 人々の数はおよそ四千人であった。それからイエスは彼らを解散させ、
10 すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方へ行かれた。 (マルコによる福音書 第 8 章)
8 During those days another large crowd gathered. Since they had nothing to eat, Jesus called his disciples to him and said, 2 “I have compassion for these people; they have already been with me three days and have nothing to eat. 3 If I send them home hungry, they will collapse on the way, because some of them have come a long distance.”
4 His disciples answered, “But where in this remote place can anyone get enough bread to feed them?”
5 “How many loaves do you have?” Jesus asked.
“Seven,” they replied.
6 He told the crowd to sit down on the ground. When he had taken the seven loaves and given thanks, he broke them and gave them to his disciples to distribute to the people, and they did so. 7 They had a few small fish as well; he gave thanks for them also and told the disciples to distribute them. 8 The people ate and were satisfied. Afterward the disciples picked up seven basketfuls of broken pieces that were left over.
9 About four thousand were present. After he had sent them away, 10 he got into the boat with his disciples and went to the region of Dalmanutha.
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これは、イエス・キリストが、集まった4千人の群衆にパンと魚を食べさせたときの情景です。7つのパンと少しの魚を、イエスがいつの間にか増大させ、多くの群衆が食べて満腹したという話しです。これも、イエスの起こした奇跡として、よく知られている。
今では物品の引き寄せとして、イエスが霊的にパンや魚をどこかから引き寄せたという解釈もなされている。或いは、人々が隠し持っていたパンや魚を出したという解釈もある。それをイエスが、群衆に自発的に差し出させたという考えです。水上を歩いたり、病人を癒し、死人を蘇らせたり、飢えた群衆を食べさせたりというイエス・キリストが行った多くの奇跡の中でも、スケールの大きな奇跡の1つです。まさに、「人間には不可能であっても、神にはできないことはない」というイエスの言葉通りです。
つまり、イエス・キリストの一行は、人々から食べ物を与えてもらわなくても、イエスの超能力で食べ物を得ることができたのです。しかし、イエスに助けてもらった人は、イエスを食事に誘い共に食事をするということを選んだのです。イエス・キリストの一行は飢えることはなかったのです。
だから、イエスがイスラエルの王になれば、ユダヤ人は誰も飢えることはなかった。イエスは、ユダヤ人の全てを食べさせることができたのです。しかし、イエスは人々にまず神様への信仰をもつことを教えたのです。神様への正しい信仰があれば、食べ物など生活に必要なものは全て神様によって与えられるというのが、イエスの教えなのです。
しかし、人々は信仰心によって救われるのではなく、カネの力で救われることを選び、その状況が2千年間続いている。これが、人類の歴史なのです。
アダムとイヴの時代以前には、人々は神様への強い信仰心を持っており、食べ物に困ることはなかったというのが、18世紀の神秘家のスウェーデンボルグの説明です。しかし、人々は信仰を失い、神様の力に頼るのではなく、自分の力や物質文明の力に頼り、カネの力で問題を解決するようになり、人間の霊的能力も失われていったとされている。
実際に、食べ物を無から取り出すことができれば、誰もあくせく働く必要はない。ブッダは、人々の間を乞食をして回り、食物を得ていたというが、ブッダよりイエス・キリストの方が大きな超能力を持っていたことになる。ブッダは、真理を人々に説いて、その礼として食物を得ていたのだが、イエスは真理を教えると共に、食物まで人々に与えることができたのです。
これは、神様への信仰心がもつ力の大きさを人々に教える例です。今の世の中でも、問題は全カネで解決できるとの考えが広まっているが、信仰者は問題はカネではなく、神様への信仰心で解決しようとして生きている。実際に、この2千年間、イエスの教えに従って生きてきた信者がイエスの教えを伝えることができたから、今もキリスト教が存在しているのです。
この2千年間に、キリスト教国が食糧不足で亡んだという例はない。特に、キリスト教国のヨーロッパからアメリカ大陸に移住した人々は、農業大綱のアメリカで食料に不足することはなかった。アメリカは、まさに天国のような豊かな国になったのです。
しかし、悪魔はアメリカにも入り込み、アメリカの文化、政治、経済はカネの力によって翻弄されている。そのアメリカが主導する世界自体も、問題にあふれている。アメリカ人が、カネの力ではなく、信仰の力に頼って文明を発展させるべきだったのです。ローマのヴァチカンも物質主義に溺れる世界に信仰の威力を見せるところまでは行っていない。だから、2度もヨーロッパで世界大戦が生じたのです。
従って、日本人がその霊性を伸ばして、イエス・キリストの教えに従って、カネより信仰の力で問題を解決できることを世界に示すべきなのです。
2026年8月7日金曜日
舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった (使徒言行録 第 2 章) (They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. )
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」(使徒言行録 第 2 章)
2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 3 They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4 All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues[ as the Spirit enabled them.
5 Now there were staying in Jerusalem God-fearing Jews from every nation under heaven. 6 When they heard this sound, a crowd came together in bewilderment, because each one heard their own language being spoken. 7 Utterly amazed, they asked: “Aren’t all these who are speaking Galileans? 8 Then how is it that each of us hears them in our native language?
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これは、イエス・キリストの十字架上での刑死後、信者がエルサレムのある部屋に集まっていると、聖霊が人々に下った時の情景です。この有名な状況は、絵画にも描かれて有名になっている。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」時の情景が描かれているのです、
この世でのイエスの死という、霊的にも大きな出来事が、霊界にも大きな影響を与えて、この世に炎のような霊が各信者に現れたのです。このような霊的な奇跡を信じることが、キリスト教徒なのです。
そもそも、物質界であるこの世の大宇宙は神様が霊的エネルギーを使って、その言葉を用いて作られたものなのです。つまり、霊界から物質界が生まれ、人間界も生まれたのです。まぜなら、神様はその霊を人間に吹き込まれたからです。人間の心や精神、その魂は物質から生まれたものではなく、霊界の神様が与えられたものだからです。
また、物質界の全ての物質は、霊的エネルギーで出来ている。だから、物質を研究するこの世の科学が、どこまで発展しても物質の本質は解明できないのです。最先端の量子力学の理論でも、今までの科学の理論では説明がつかない現象が確認されているし、人間の脳の中に人間の意識を生み出す器官や組織、細胞は見つかっていないし、心を生み出すメカニズムも分かっていない。
つまり、科学者はその「心」を用いて「心」を研究しながら、「心」の物質的な源が発見できないので、「心」は存在しないと言っているようなものなのです。或いは、「言葉」を研究しながら、「言葉」の源を科学的に発見できないので、「言葉」は存在しないと結論づけたようなものです。つまり、狂っているのです。この物質文明の最先端の科学者が狂っているのなら、文明自体が狂っていることになる。
従って、霊の存在を認め、霊的な力を認めなければ、この大宇宙や物質界、そして、人間の心の働きが生み出す人間界も理解できないのです。
そして、物質界と霊界は生と死のように隔離されているのではなく、交じりあった部分もある。それを認めるのが宗教であり、心霊主義やスピリチュアリズムなのです。実際に、仮死状態になって、又は、、医学的に死亡した後で生き返って、臨死体験をする人もいる。
また、生きながら霊によって死の世界である霊界を体験した18世紀の神秘家のスウェーデン人のスエーデンボルグという人物もいる。彼は、イギリスの科学者のニュートンと同世代の人間であり、多くの著作を残している。霊界が存在するのを認めるのは、多くの宗教の基本となっている。そして、世界中の民族が霊の存在を認めている。つまり、人類の心には「神様」を認める遺伝子があるとも言える。
ただし、霊界には悪魔がいて、神様に逆らっている。神様が愛する人間の心の中に入り込んで、神様の存在を否定させたり、神様を認めながら、その教えに反抗させたりして、悪魔はどこまでも神様に敵対する。このような悪魔の影響を受けた人間が作った物質文明は、いずれ停滞し、腐敗し、狂って亡びる。それが、イエス・キリストの死後、2千年たった21世紀だと考えられる。つまり、現在、物質文明は滅亡に向かっている。
ニュートンも聖書を研究して、人類の滅亡は2060年頃に始まると書いている。スウェーデンボルグは、人類への最後の審判が21世紀頃に始まるとと述べている。
現代の霊感を持った霊能者も、世の終末が近いことを述べている。
なお、悪魔は人間が物質文明を発展させるのは助けているが、最後には文明を破壊して人々を不幸のどん底に落とそうとしている。悪魔に取り付かれて狂った科学者たちは、科学を発展させながら、この世に地獄をもたらせようとしている。
しかし、イエス・キリストの死後に、火のような聖霊が信者に下ったように、神様は危機に瀕した人々に、聖霊を下して救われることを信じるのが、イエス・キリストの信者なのです。
心を生み出した霊の力を信じることです。霊は、全知全能にして全善なる神様が霊界で生み出したものなのです。そして、霊界や物質界の全ては、神様が霊から作ったものであることを信じることです。
2026年8月6日木曜日
主はわたしが呼ばわる時におききくださる (詩篇 第 4 章) (the Lord hears when I call to him)
4 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。[セラ
5 義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
6 多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇 第 4 章)
3 Know that the Lord has set apart his faithful servant for himself;
the Lord hears when I call to him.
4 Tremble and[d] do not sin;
when you are on your beds,
search your hearts and be silent.
5 Offer the sacrifices of the righteous
and trust in the Lord.
6 Many, Lord, are asking, “Who will bring us prosperity?”
Let the light of your face shine on us.
7 Fill my heart with joy
when their grain and new wine abound.
8 In peace I will lie down and sleep,
for you alone, Lord,
make me dwell in safety.
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「詩篇」とは、Wikipediaによれば、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。 英語では p を発音せずに「サーム」と発音する・・・主類型として「賛歌」「民の嘆きの歌」「個人の嘆きの歌」「個人の感謝の歌」に分類した。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ」とされている。
神様に対して、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように」と願うのは、人類に共通の願いです。旧約聖書の時代から、この人間の心は変わらない。日本では、まだ縄文文化の時代に、ユダヤ人は神様に向かって、この祈りを捧げていた。
人間社会は、自然からさまざまな脅威を受けるだけでなく、人間同士の争いや、諍いがあり、他人の裏切り、攻撃、傷つけ合いがある。安心して生きることはできない。感情的になって他人を攻撃する者も跡を絶たない。人間の不幸の多くは、このような隣人愛のない状況から生じる。そして、憎む相手に残酷な仕打ちを行う。これが、何千年、何万年も続いたのが、人類の歴史なのです。
しかし、人類社会は、道徳を生み出し、宗教を生み出し、神と言う概念を発見し、互いに助け合って生きることを学んだ。これは、個体としての自分自身の生存だけを考えて生きる他の生物との大きな違いです。個人は弱いが、集団で戦えば大きな力を発揮することを人間は学んだのです。家族。一族、集団で生き残ることを人間は学んできた。その核となる概念として、人間を超えた力をもった神様を、人間は想定し、霊的な考えから、神様の霊に従うことを学んだのです。
個人の神様、家族や一族の神様、社会の神様、そして、民族の神様を考えるようになり、世界のどの民族でも、民族の神様を崇めるようになった。その共通の神様の正確は自然を超え、人間界の運命を支配させる圧倒的な力をもった存在です。神様という概念は、人類に共通だが、自分たちの民族を守る神様を崇めるようになり、他の民族とは互いの神様の名の下に戦うようになった。
しかし、人類全体の神様と言う考えが、やがて、人々の間に芽生え、その神様の下では、全人類が平等だという考えが生まれた。このような世界宗教の神様と言う考えが普及し、人類や全ての生物、全ての物を作られた神様という考えが生じるようになり、ユダヤ人の民族の神様が、万物の創造主の神様だという概念が生まれるようになった。そして、長い歴の中で、ユダヤ教の神様が、キリスト教の神様、イスラム教の神様になり、現代につながる文明を打ち立てることになった。今の文明は、4千年の歴史を持つユダヤ民族の神様の下で発展して来たものなのです。
そのユダヤ人の神様に対する気持ちが現れているのが、旧約聖書であり、特にこの「詩篇」では、神様に対するユダヤ人の気持ちがよく現れている。自分たちを「安らかにおらせてくださるのは」神様であるというのが、ユダヤ人の神様に対する信仰心であり。これは、人類に共通の気持ちなのです。
だから、ユダヤ教を受け継いだキリスト教でも、そのような神様に対する気持ちは受け継がれている。その伝統の上に、イエス・キリストの教えがあるのです。だから、今の世界文明を享受する人類は、ユダヤ・キリスト教の神様を事実上、受け入れているのです。
日本人も自然神、神道や仏教を受け入れてきたが、そのような神仏が今の文明の基盤になったわけではない。西欧の文明を受け入れることで、日本人も世界宗教を受け入れ、文明の恩恵を受けることになった。しかし、ユダヤ・キリスト教にも悪魔が入り込み、今の物質文明は、邪道に入ろうとしている。これは、2千年前にイエス・キリストが警告を発していたことが証明されたことになる。
人類が、神様に従って、善なる文明を発展させてきたのなら、今の世界には何の問題も生じずに、全人類は平和に繁栄できたはずだが、文明に悪魔が入り込み、人間を堕落、腐敗させ、狂気へと導ている。この状況は、2千年前のイエス・キリストの時代から変わらない。いや、その前の旧約聖書の時代から変わっていない。
霊的には、人間の霊は時代と共に変化してきたが、神様と人間と悪魔との関係は不変なのです。
だから、今の日本人も聖書を読んで、今の世界文明の基盤を学び、永遠の神様と人間と悪魔の関係を学ぶ必要があるのです。、
イエス・キリストは、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」(マタイによる福音書 6:30~31)」と述べておられる。
全知全能にして、全善なる神様を信じることです。
2026年8月5日水曜日
世と世にあるものとを、愛してはいけない (ヨハネの手紙一 第 2 章) (Do not love the world or anything in the world.)
14 子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。
15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。
21 わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。(ヨハネの手紙一 第 2 章)
14 I write to you, dear children,
because you know the Father.
I write to you, fathers,
because you know him who is from the beginning.
I write to you, young men,
because you are strong,
and the word of God lives in you,
and you have overcome the evil one.
15 Do not love the world or anything in the world. If anyone loves the world, love for the Father[d] is not in them. 16 For everything in the world—the lust of the flesh, the lust of the eyes, and the pride of life—comes not from the Father but from the world. 17 The world and its desires pass away, but whoever does the will of God lives forever.
18 Dear children, this is the last hour; and as you have heard that the antichrist is coming, even now many antichrists have come. This is how we know it is the last hour. 19 They went out from us, but they did not really belong to us. For if they had belonged to us, they would have remained with us; but their going showed that none of them belonged to us.
20 But you have an anointing from the Holy One, and all of you know the truth.[e] 21 I do not write to you because you do not know the truth, but because you do know it and because no lie comes from the truth. 22 Who is the liar? It is whoever denies that Jesus is the Christ. Such a person is the antichrist—denying the Father and the Son.
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Wikipediaによれば、「『ヨハネの手紙一』(ヨハネのてがみいち)は、新約聖書中の一書で、公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。・・・著者が気にかけているのは自分が携わっている共同体に影響を及ぼす異端的な思想を持つ教師たちのことである。このような人々、かつて共同体のメンバーだったにもかかわらず正当な教えから逸脱した教師たちは「反キリスト」(2:18-19)とみなされている」とされている。
ここでは、「反キリスト」(antichrist)という言葉が使われている。「反キリスト」とは、「イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者」だとされている。
人々から支持されて有名になったイエス・キリストは否定できないが、その父(神様)と子としてのイエス・キリストの関係を否定する者は「反キリスト」なのです。イエスと神様の霊的な関係を認めない者は、その心に悪魔が入り込んでいるのです。
イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストと神様の関係を認めるということでもあるのです。しかし、神様に敵対する悪魔は、イエス・キリストと神様の関係を認めたくはない。できるだけ神様という考えには触れないでおこうとする。事実としてのイエス・キリストの存在は認めても、神様の存在を認められないのが悪魔であり、悪魔が心に入り込んだ人間なのです。
狡猾な悪魔はイエスを認め崇めながら、その神性を密かに傷つけ、否定する、教会の中に入り込み、キリスト教の教えを口先で唱えまがら、その心は遠くイエス・キリストを離れている。或いは、自分はイエスを信じる者だとして、敬虔な信徒を演じながら、イエスの教えに反したことを実行している。悪魔は、どこまでも狡猾で、悪質で、図太く、悪を恥じないのです。
この世の物質文明は、悪魔の教えに従って作られたものであり、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」とは、そのような悪魔(カネ)の力で生み出された物質文明を信じてはいけない、ということを意味している。悪魔はカネに姿を変えて、人々にカネを求めさせ、拝金主義にさせる。人々は、欲望を実現させてくれるのは、真の神様ではなくカネだということを知り、真の神様を無視し、カネ(悪魔)を神だとして崇めている。これを、拝金主義という。
真の神様やイエス・キリストの信者は、物質文明を信じることなく、信仰に基づいた霊的な精神文明を求めなければならない。信じられるのは、カネやモノではなく、精神であり霊の働きなのです。
また、「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る」と述べて、「反キリスト」の出現が、文明の終焉であるとして、「反キリスト」の出現に警戒するように述べている。しかし、「神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」と述べて、神様を信じる者の魂は永遠に生きることを強調している。これが、キリスト教の本質なのです。
21世紀まで、世界は存在してきたが、現在でも「反キリスト」は現れ続けている。過去に、現れた「反キリスト」は、信者の祈りによって抑えられ、世界は救われてきたが、いよいよ悪魔は人類文明を亡ぼそうとしている。
イエス・キリストや聖母マリアや天使たちを敬う振りをしながら、また、悪魔と敵対するふりをしながら、「反キリスト」は、悪魔の教えを広めているのです。物質的な欲望を刺激し、金銭欲を喚起し、この世的な成功や幸福を追求さえ、人を羨ましがらせ、カネを求めさせるものは、悪魔の手先なのです。だから、世の中の成功や幸福を求めるのではなく、霊界で(死後)の永遠の幸福を求めよというのが、霊的なキリスト教の教えなのです。
あくまで、自ら清貧生活をし、聖書の言葉に従って謙虚に生きる聖者のみ信用できるのです。
2026年8月4日火曜日
「自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」 (マタイによる福音書 第 24 章) (For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many.)
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(マタイによる福音書 第 24 章)
4 Jesus answered: “Watch out that no one deceives you. 5 For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many. 6 You will hear of wars and rumors of wars, but see to it that you are not alarmed. Such things must happen, but the end is still to come. 7 Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in various places. 8 All these are the beginning of birth pains.
9 “Then you will be handed over to be persecuted and put to death, and you will be hated by all nations because of me. 10 At that time many will turn away from the faith and will betray and hate each other, 11 and many false prophets will appear and deceive many people. 12 Because of the increase of wickedness, the love of most will grow cold, 13 but the one who stands firm to the end will be saved. 14 And this gospel of the kingdom will be preached in the whole world as a testimony to all nations, and then the end will come.
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これは、この世の終わり(文明の滅亡)について、イエス・キリストが予言した有名な言葉です。
「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」と警告されておられる。実際に、新宗教と呼ばれる宗教では、イエスも預言者の一人だと言って、キリスト教を認めるような教義を持つ者もいる。インチキ宗教でも、イエス・キリストの存在は無視できない。イエスの霊能力は無視できないのです。
また、仏教や神道系の偉人や教祖を取り入れるものも多い。特に、スピリチュアル系の新興宗教は、霊的な存在を何でも受けいtれる傾向にある。さらに、UFOに乗った宇宙人から善悪は人間が作った幻想だと教えられたというものもいる。また、素直に大宇宙の創造者の神様を認めずに、宇宙の偉大な存在だと呼ぶものもいる。
しかし、この宇宙が存在するのは、誰かが宇宙を作ったからだと考えるべきです。それが、単に科学の法則で自然に生じたと考えるか、人格を持った神様が作ったと考えるしかない。そこで、神様の存在を信じるのが信仰者なのです。
神様と言う原因がなければ、宇宙は生まれなかったと考えるのが自然です。科学の法則によるのなら、宇宙に人間が生まれる理由はない。神様がご自分の人格に合せて人間を作られたと考えるのが自然なのです。宇宙と言う物質世界に、精神生活を持った人間が生まれてくるということ自体が、精神を持った神様の存在を示唆しているのです。
聖書には、「この世は神様が7日かけて作った」という記述もある。これは、神様が霊のエネルギーを利用して、神様の言葉、聖言の威力で物質と生命を作ったことを意味し、さらに、人間には神様の霊を吹き込んだと書かれている。つまり、この世の物質界も精神界も神様が作られたと信じるのが信仰者なのです。
しかい、霊的存在は、神様や天使、善霊だけではない。悪魔や悪霊も霊的存在であり、神様に反感を持ち、逆らう悪魔などは、人間の魂を神様から引き離し、仲間にしようとする。人間の魂を巡って天使と悪魔が戦っている。ただし、神様が悪魔に負けるわけはない。神様が負けるようなことがあれば、全ては崩壊する。悪魔自体も消滅する。霊的にも物質的にも全て存在するものは、神様の威力で存在するからです。しかし、狂った悪魔は自分の存在を許している神様をも攻撃する。悪魔は最後は滅ぼされるとしても、できるだけ、多くの人間の魂を道連れにしようと、地獄に引きずり込もうとしている。そのために、悪魔は人間を誘惑し、罪を犯させ、悪魔の教えで洗脳し、悪魔を神だと思わせる。実際に、悪魔の化身のカネを崇拝する人間も多い。拝金主義が横行するほど、悪魔の影響が世の中で見られる。そのような悪魔から人間を救おうとするのが、イエス・キリストや聖母マリアや天使、善霊なのです。
しかし、悪魔が人間界に入り込み、人間の作る文明には悪魔の影響が現れている。悪罵は人間を幸福にしようなどとは考えていないので、悪魔の力(カネ)を利用して作られた人間の物質文明は必ず崩壊する。それが、聖書の述べる「世の終わり」なのです。
しかし、わざわざ宇宙を作り、人間を作られた神様が、人間を亡ぼそうとはされていない。そこで、人間を救うために神様の一人子のイエス・キリストを人間界に遣わされたというのが、キリスト教の考えです。
まさに、文明が行き詰まり、人類が亡びそうになった時のために、イエス・キリストが現れたのです。2千年前に、やがて人類の物質文明が危機に瀕することを見越してイエス・キリストは、2千年前のパレスチナにユダヤ人の間に出現されたのです。
これが、今日、人類がイエス・キリストの教えに立ち返るべき理由なのです。
21世紀の今日、異常気象や戦争などで世界は危機に瀕している。そして、狡猾で陰険、図太く、残酷な悪魔は人間界で跋扈している。だから、日本人も聖書を読み、清貧生活をして、イエス・キリストの教えを実践すべきなのです。
2026年8月3日月曜日
あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい (テモテへの手紙二 第 3 章) (But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of)
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (テモテへの手紙二 第 3 章)
12 In fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted, 13 while evildoers and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived. 14 But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it, 15 and how from infancy you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus. 16 All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, 17 so that the servant of God[a] may be thoroughly equipped for every good work.
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Wikipedia によれば、「『テモテへの手紙二』は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。しかし教会のシステムがパウロの時代より進歩しすぎている点や、使っている神学用語や文体の言い回しから使徒パウロが書いたものではないとされ、偽書(疑似パウロ書)と考古学的にはされている」とされている。
また、「自らが「世を去る時が近づきました」(4:6)と考えているパウロは「愛する子テモテ」(1:2)に対して熱意と不動の信仰によって誤った教えに立ち向かうよう求めている」とされている。
しかし、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」ものであるとして、強い信仰の言葉が記されている。また、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」として、信者の厳しい運命についても述べている。著者がパウロであるか否かに拘らず、イエス・キリストへの純粋で強い信仰を現したものである。
そして、「自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい」と信仰者の生きる姿勢について、アドバイスをしている。
だから、聖書は聖霊によって書かれたものだとして、神聖な書物だととして扱う必要がある。また、神様やイエス・キリストを信じる者は、悪魔の影響を受けた世の中では迫害されると注意している。それでも、信者は学んだ事から動かされることなく、その信仰心にとどまれと励ましている。
悪魔との戦いで多くの苦しみ受け、信仰にゆらぎや疑問を持つことがあっても、神様やイエス・キリストを信じて、決して悪魔の誘惑や詐欺的行為に惑わされてはいけない、というのが信者への勧告なのです。
つまり、信仰とは明白な真理に従うものであり、疑いようのない事実に基づくものなのです。しかし、悪魔はそのような信者を攻撃する。悪魔の手先となった人間を使って信者を攻撃する。攻撃された信者は、なぜ自分が攻撃されるのか理解できない。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ攻撃されるのかと悩むことになる。神様を信じること自体が、悪魔の敵となること意味し、悪魔に従う人間から攻撃されるのです。
逆に、人からわけもなく苦しめられることが、神様に従う者であることを証明する。悪魔の手先は、神様を信じる心を見せる信者を攻撃して、悪魔から褒められたいと思って、本能的に嫌い、攻撃するのです。
そして、悪魔は、そのような神様を信じる心を破壊しようとして、さまざまな手練手管を使い、信者の心をゆさぶる。しかし、信仰の心から動かなければ、信者は悪魔から守られる。神様を信じる者を見ると、本能的に攻撃するのが、悪魔とその手先なのです。理由などなくても、相手は攻撃してくる。その理由が分からなければ、信者は悩むが、それでも、自分の信仰を信じろというのが、この書物の主張なのです。
そして、聖書には神様の霊が現れている、と考えることで、信者は救われるのです。
2026年8月2日日曜日
「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」 (マルコによる福音書 第 7 章) (“First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.”)
17 イエスが群衆を離れて家にはいられると、弟子たちはこの・について尋ねた。
18 すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
19 それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。
20 さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。
21 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
22 姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。
24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。
27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。(マルコによる福音書 第 7 章)
17 After he had left the crowd and entered the house, his disciples asked him about this parable. 18 “Are you so dull?” he asked. “Don’t you see that nothing that enters a person from the outside can defile them? 19 For it doesn’t go into their heart but into their stomach, and then out of the body.” (In saying this, Jesus declared all foods clean.) 20 He went on: “What comes out of a person is what defiles them. 21 For it is from within, out of a person’s heart, that evil thoughts come—sexual immorality, theft, murder, 22 adultery, greed, malice, deceit, lewdness, envy, slander, arrogance and folly. 23 All these evils come from inside and defile a person.”
24 Jesus left that place and went to the vicinity of Tyre.[g] He entered a house and did not want anyone to know it; yet he could not keep his presence secret. 25 In fact, as soon as she heard about him, a woman whose little daughter was possessed by an impure spirit came and fell at his feet. 26 The woman was a Greek, born in Syrian Phoenicia. She begged Jesus to drive the demon out of her daughter. 27 “First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.” 28 “Lord,” she replied, “even the dogs under the table eat the children’s crumbs.” 29 Then he told her, “For such a reply, you may go; the demon has left your daughter.” 30 She went home and found her child lying on the bed, and the demon gone.
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これは、子供たちに与える食事を、犬に先に与えている母親を戒めたイエス・キリストの言葉です。
人間の霊格は動物の霊より上だというのが、イエスの教えです。飼い犬よりも後回しにされた幼児の霊は、それを不満に思い、そこに悪霊が入り込んだのです。いくらペットを可愛がっていても、動物を人間より可愛がるというのは、よくない。
現在でも、ペットをホームレスの人間より大事にする飼い主がいろが、これは間違っている。ペットの犬や猫には専用のドッグ・フードなどを与えるが、目の前のホームレスの人間を無視する人間もいるが、これは間違っている。ペットにカネを出すよりも、困っている人を助けるのが大事なのです。今でも、このイエスの教えは通用する。人間の霊は、動物の霊よりも格が上なのです。それを間違えると、幼児の霊も不満に思い、そこに、悪霊が入り込む。
そのイエスの戒めに、ペットを可愛がっている母親は、「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」と述べて、イエスの言い分を認めたが、犬に対する自分の愛情も正当化した。その母親の言葉に譲歩の気持ちを感じたイエスは、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」と答えられた。そして、実際に、悪霊は幼児から出て行った。母親が、イエスの教えを受け入れたからです。
つまり、自分の気持ちを弁護しても、イエス・キリストの言葉を受け入れるのなら、霊的な効果が出るのです。
また、イエスは食べ物が人を汚すことない、人を汚すのは人の心から出る「不品行、盗み、殺人、姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴」であると述べて、宗教的にも食べモノの規定は無意味だと述べられたのです。
ユダヤ教やイスラム教では、食べ物に関する規定があるが、キリスト教徒や日本人はそのような規則を持たない。ただし、植物や動物には毒を持った生物もいる。逆に、薬として働く生物もいる。長い歴史の中で、そのような貴重な知識を人間は貯め来たので、そのような知識は尊重すべきです。
人の心を汚すのは、人が食べるものではなく、血筋や遺伝でもなく、人の心が発するものだというのが、イエス・キリストの教えなのです。
人間には、悪の遺伝子というものはない。また、天才の遺伝子というものもない。全ては、霊の動きに従う心が生み出すものなのです。ただし、それを悪魔は利用して、善悪の区別などない、善悪は人間が生み出したものだという誤った考えを人間に吹き込む。確かに、善や悪のDNAはないが、そおそも、神様は善の心から生じた愛の気持ちで人間を作られたのです。従って、善は人間の魂に本質的に与えられている。神様は、「全善」と呼ばエル善の極致なのです。
UFOに乗った宇宙人から、「善悪は人間の心が作り出した幻想だ」と教えられたと主張する人間もいるが、それなら、その宇宙人には悪魔が入り込んでいることになる。宇宙人にも、悪魔の取り付いた存在がいる。だから、宇宙人を警戒せよというのは正しい。
いずれにしても、「私の言葉に反対しないものは、賛成するものである」とイエス・キリストは教えておられる。
2026年8月1日土曜日
「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」 (ルカによる福音書 第 8 章) (“My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”)
19 さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。
20 それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。
21 するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。
22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。
23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。
24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。
25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカによる福音書 第 8 章)
18 Therefore consider carefully how you listen. Whoever has will be given more; whoever does not have, even what they think they have will be taken from them.”
19 Now Jesus’ mother and brothers came to see him, but they were not able to get near him because of the crowd. 20 Someone told him, “Your mother and brothers are standing outside, wanting to see you.”
21 He replied, “My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”
22 One day Jesus said to his disciples, “Let us go over to the other side of the lake.” So they got into a boat and set out. 23 As they sailed, he fell asleep. A squall came down on the lake, so that the boat was being swamped, and they were in great danger.
24 The disciples went and woke him, saying, “Master, Master, we’re going to drown!”He got up and rebuked the wind and the raging waters; the storm subsided, and all was calm.
25 “Where is your faith?” he asked his disciples. In fear and amazement they asked one another, “Who is this? He commands even the winds and the water, and they obey him.”
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これは、イエス・キリストの母や兄弟が聖書に現れる稀な箇所です。
イエスは、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」と述べて、この世の血のつながりを否定し、霊的な関係を強調する。実際に、人は死後、この世の人間関係とは関係なく、霊的なつながりによって人々の霊は集まる。同じ霊格を持ち、同じ信念を持つ霊たちが集まると、生きながら死後の世界を見てきたスエーデンボルグは述べている。
また、湖で嵐が生じたとき、「イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった」というイエスの霊能力も表されている。自然界の現象ですら、イエスは霊能力で制御できるのです。しかも、「おしかり」になったということは、嵐を生じさせる霊が働いていたことを意味する。その霊をイエスは、人間の霊を叱るように戒められたというのです。
これは、全ての物体や現象に独自の霊が働いているという、今の日本の霊能力者の言葉を思い出させる。実際、この世の全ての物質は神様の霊能力でできたものであり、全ての分子、原子、素粒子、光なども神様の霊で生まれたのであるから、物質には神様が与えた霊があるということになる。
物や現象に霊を見るという日本の霊的な伝統は、イエスの奇跡を生み出す力をよく説明している。万物にそれ独自の霊がある以上は、その霊を制御することで物をも支配できる。イエス・キリストは、そういう神様の霊能力を持っていたことになる。
だから、自然災害もイエスは防げたということになる。今もイエスの信者は、そのイエスの力を与えらえて、物質や自然現象をコントロールできることになる。今、そのような信仰者がいれば、地震も台風も防ぐことができるのです。祈りの力で自然現象を制御し、自然がもたらす災厄を防ぐのは、霊能者の義務だということになる。さらには、政治や経済の人間活動も、独自の霊が働いていて、コントロールできることになる。
日本にも仏教や神道の信仰の力で、大きな霊能力を持った空海などの霊能者がいて、自然災害を防いだと言われている。かつては、天皇家にもそのような霊能力があり人々を救ってきたが、今の天皇家には霊能力はない。天皇にはイエスのような奇跡を起こす力がない、ということです。だから、阪神大震災や東日本大震災、能登地震や熊本地震が生じるのです。政治も経済も、霊的な力が働いている。イエスなら、全て解決できるのです。
ただし、欧米のキリスト教には、奇跡の伝統がある。病を癒す聖水として、「ルルドの水」が有名です。また、信仰心の篤い修道士や修道女は、病人を癒したり、空中浮揚をするなど奇跡を起こすことができたとされている。これは、物質や自然現象を支配する霊に働きかける霊能力が使えたからです。
イエス・キリストは、この世と霊界を造られた神様の霊を使うことができたので、この世の全て物質や現象に影響を及ぼすことができたのです。当然、病人を癒し、死人を蘇らせ、嵐を静めることもできたのです。
イエス・キリストと神様を信じる者も、そのような霊能力が与えられると信じるのが、本来のキリスト教なのです。
これは、全ての宗教について言えることであり、それぞれの宗教の霊的な強さの度合いに応じて霊能力が与えられている。その霊能力で最大の力を持った宗教がキリスト教なのです。
日本人は、それぞれ独自の霊能力を持った仏教や神道を否定する必要はないが、それより、万物の創造主に近いイエス・キリストの言葉を学ぶ必要がある。それだけキリスト教の霊能力は強いのです。
純粋に強い信仰を持てば、イエス・キリストのように、嵐を静めることができるようになる。台風も地震も抑えられる。このような霊能力を持った人間を新天皇として立てれば、日本は自然災害から守られ、また、平和も経済発展も実現するのです。
全ての物質や自然現象には独自の霊が働いている。石や台風にも霊がある。その霊を扱えるのが、イエス・キリストの霊能力であり、さまざまなな宗教も、そのような万物の霊とつながろうとしている。だから、日本の霊格の高い僧侶などは奇跡を起こせる。
ただし、今の天皇家には霊能力が失われているので、もはや、自然大災害から国民を救うことはできない。霊能力に優れた人物を新天皇に立てるのが、日本を救う途なのです。(ただし、現天皇家は歴史的価値があるので、旧天皇家として政府の保護下におくべきです。)
イエス・キリストは万物に霊があるこを認め、それらを支配しておられるのです。
それゆえに、人間の血のつながりによる、家族よりも霊的なつながりを重んじられたのです。
ただし、聖母マリアやイエス・キリストの兄弟たちは、やがて霊的にイエス・キリストを理解するようになり、イエス・キリストの霊的な肉親となれたのです。
いずれにしても、神様の霊能力を呼び起こせば、熊本地震のような災害も防ぐことができ、被災者も救うことができるのです。霊能力を使うには、神様への祈りが必要です。それを実践するのが、霊的なキリスト教の信者なのです。
2026年7月31日金曜日
「もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう」 (ヨハネによる福音書 第 11 章) (If we let him go on like this, everyone will believe in him.)
45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。
46 しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。
47 そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。
48 もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」。
49 彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、
50 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
51 このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、
52 ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
53 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。
54 そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた。
55 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、多くの人々は身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上った。
56 人々はイエスを捜し求め、宮の庭に立って互に言った、「あなたがたはどう思うか。イエスはこの祭にこないのだろうか」。
57 祭司長たちとパリサイ人たちとは、イエスを捕えようとして、そのいどころを知っている者があれば申し出よ、という指令を出していた。(ヨハネによる福音書 第 11 章)
45 Therefore many of the Jews who had come to visit Mary, and had seen what Jesus did, believed in him. 46 But some of them went to the Pharisees and told them what Jesus had done. 47 Then the chief priests and the Pharisees called a meeting of the Sanhedrin.
“What are we accomplishing?” they asked. “Here is this man performing many signs. 48 If we let him go on like this, everyone will believe in him, and then the Romans will come and take away both our temple and our nation.”
49 Then one of them, named Caiaphas, who was high priest that year, spoke up, “You know nothing at all! 50 You do not realize that it is better for you that one man die for the people than that the whole nation perish.”
51 He did not say this on his own, but as high priest that year he prophesied that Jesus would die for the Jewish nation, 52 and not only for that nation but also for the scattered children of God, to bring them together and make them one. 53 So from that day on they plotted to take his life.
54 Therefore Jesus no longer moved about publicly among the people of Judea. Instead he withdrew to a region near the wilderness, to a village called Ephraim, where he stayed with his disciples.
55 When it was almost time for the Jewish Passover, many went up from the country to Jerusalem for their ceremonial cleansing before the Passover. 56 They kept looking for Jesus, and as they stood in the temple courts they asked one another, “What do you think? Isn’t he coming to the festival at all?” 57 But the chief priests and the Pharisees had given orders that anyone who found out where Jesus was should report it so that they might arrest him.
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これは、ユダヤ教の幹部たちが、イエス・キリストを殺害することを決心したときの状況です。
ユダヤ教の大祭司が。ユダヤ人の議会で「イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっている」と予言したのが、きっかけとなっている。イエスの出現に驚いて議論したユダヤ教の幹部たちが、イエスを受け入れられないと判断して、イエスを危険人物だとみなして、抹殺することを教団として決定したのです。
これによって、イエスは、当時のユダヤ教徒の敵になることになった。組織対個人の戦いになったのです。
イエス・キリストが、ユダヤ人のために活動していることを知りながら、また、イエスは死が運命づけられていることを彼らは預言で知らされていたが、そのイエスの死を願って、ユダヤ教の幹部たちは、イエスを殺そうとしたということです。
神様は、イエス・キリストに悪魔と戦って人々を救うようにという使命が与えらたが、悪魔は、ユダヤ教の幹部を使って、イエスを殺害して、その使命を妨害しようとしたということです。しかし、結果的に、イエスの教えは広まり、ユダヤ人だけでなく、パレスチナを占領していたローマ帝国にイエス・キリストの教えは普及し、キリスト教は世界宗教になったのです。
イエス・キリストを受け入れられなかったユダヤ教の幹部たちの宗教心に問題があったことは明らかです。宗教で人々を支配し、支配者のローマ軍と結びついていたユダヤ教の幹部は、人々を権力者や宗教者から解放しようとするイエス・キリストを敵視したのです。
つまり、当時のローマ軍やユダヤ教の幹部たちの心を悪魔が支配しており、悪魔に対抗するイエス・キリストを抹殺しようとした、というのが、聖書の福音書に語られたイエス・キリストの悲劇の真実だったということになる。
権力者や宗教家たちには悪魔が入り込む、というのがその教訓なのです。
つまり。この世のエリートや宗教家たちは、信用できない。彼らは、悪魔に魂を売っており、神様の遣わされる聖者を妨害する。これが、歴史の教訓です。イエス・キリストの場合も、そのような悲劇に襲われたことになる。
しかし、結局、悪魔は神様には勝てず、イエス・キリストの教えは2千年後の今日まで伝わっている。悪魔はその試みに失敗したのです。
それでも、悪魔は諦めない、キリスト教会の中にまで悪魔は入り込んでいる。教会だけでなく、人間社会のいたる所に悪魔の影響は浸透している。それでも、イエス・キリストの教えは今も人々に伝えられている。善(神様)と悪(悪魔)の戦いは、永遠のように思われる。
悪魔はカネを小道具として使い、人々を拝金主義にさせ、欲望をカネで追求させ、悪魔の教えで人々を従わせ、悪魔やカネを神だとして崇めさせている。これが、現在の物質文明の真の姿なのです。
当然、神様は、このような悪魔の活動をお許しにならない。だから、今の物質文明はやがて神様に破壊される。これが、文明の終末論です。イエス・キリストの出現から2千年たった今日、神様はもはや人間に十分な時間を与えたと判断され、最後の審判を下そうとしておられると考えられる。
悪魔の教えに従う人間の物質文明を破壊して、神様の教えに従う霊的な文明を人間に打ち建てさせる、というのが、神様の意図だと考えられるのです。物質やカネの力を信じてはいけない、というのが真の宗教者の姿勢なのです。霊的な力に頼って生きる、というのが正しい生き方なのです。
だから、日本人も物質文明を離れて、自然と親しみ、清貧生活をし、かつ、聖書をよく読んでイエス・キリストの教えを学ぶことが必要なのです。
2026年7月30日木曜日
「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」 (マタイによる福音書 第 8 章) (“Truly I tell you, I have not found anyone in Israel with such great faith.")
6 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。
7 イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。
8 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。
9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
10 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。
11 なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、
12 この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
13 それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。(マタイによる福音書 第 8 章)
5 When Jesus had entered Capernaum, a centurion came to him, asking for help. 6 “Lord,” he said, “my servant lies at home paralyzed, suffering terribly.”
7 Jesus said to him, “Shall I come and heal him?”
8 The centurion replied, “Lord, I do not deserve to have you come under my roof. But just say the word, and my servant will be healed. 9 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”
10 When Jesus heard this, he was amazed and said to those following him, “Truly I tell you, I have not found anyone in Israel with such great faith. 11 I say to you that many will come from the east and the west, and will take their places at the feast with Abraham, Isaac and Jacob in the kingdom of heaven. 12 But the subjects of the kingdom will be thrown outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.”
13 Then Jesus said to the centurion, “Go! Let it be done just as you believed it would.” And his servant was healed at that moment.
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これは、ローマ軍の将校(百卒長)が、イエス・キリストが感心するほどの神様への信仰心を持っていたことを、イエスが誉めた言葉です。
「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」というのは、強い誉め言葉です。
そして、信仰心のない者は、「外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする」と述べられたのです。
これは、死後、霊界で天国に受け入れられなかった者たちの、恨み、悲しみ、怒りを表している。霊界で、天国に受け入れらなかった者は、後悔して泣き叫ぶのです。
この世では、悪魔に洗脳され、悪魔の教えに従って、富や地位を得て、悪魔(カネ)を神と崇めた者たちは、当然、神様の直接支配する天国には受け入れてもらえない。つまり、この世でエリートや富裕層であった者は、天国には入れないのです。それを、イエスは明確に述べておられるのです。この世の価値観と、死後の霊界の価値観は正反対なのです。
なお、パレスチナを植民地支配していたローマ軍の中にも、イエスが認める神様の信仰者がいたことは、将来、ローマ帝国にキリスト教が広まることを予感させている。
そして、イエス・キリストが念じたことで、百卒長の召し使い(僕、しもべ)は癒されたのです。これは、特に印象深い出来事だったので、聖書に記録されているわけです。
しかし、最も印象的なのは、「わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」という百卒長の言葉です。この謙虚さが、信仰心を表しているのです。
今の世の中でも、地位を得たり、有名になって富裕増になったりした者は、物質的な成功を誇り、ホームレスのような聖者には頭は下げません。だから、この世の成功者は、霊界では評価されないのです。
特に、美食、美酒、女性との交際などを貧しい人に見せつけるものは、悪魔に洗脳されています。
信用できるのは、ホームレスのような宗教者だけです。天国に受け入れられるのは、清貧生活をし、貧しい隣人を助け、聖書を読んで暮らすような貧しき者、小さな者、弱き者なのです。ただし、彼らは死後、霊界で豊かになり、大きくなり、強くなるのです。
2026年7月29日水曜日
「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようである」 (ルカによる福音書 第 17 章)(The Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other.)
20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
23 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
25 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。(ルカによる福音書 第 17 章)
20 Once, on being asked by the Pharisees when the kingdom of God would come, Jesus replied, “The coming of the kingdom of God is not something that can be observed, 21 nor will people say, ‘Here it is,’ or ‘There it is,’ because the kingdom of God is in your midst.”[c]
22 Then he said to his disciples, “The time is coming when you will long to see one of the days of the Son of Man, but you will not see it. 23 People will tell you, ‘There he is!’ or ‘Here he is!’ Do not go running off after them. 24 For the Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other. 25 But first he must suffer many things and be rejected by this generation.
26 “Just as it was in the days of Noah, so also will it be in the days of the Son of Man. 27 People were eating, drinking, marrying and being given in marriage up to the day Noah entered the ark. Then the flood came and destroyed them all.
28 “It was the same in the days of Lot. People were eating and drinking, buying and selling, planting and building. 29 But the day Lot left Sodom, fire and sulfur rained down from heaven and destroyed them all.
30 “It will be just like this on the day the Son of Man is revealed.
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「人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」というのは、イエス・キリストの未来予言と考えられる恐ろしい言葉です。
物質文明の繁栄の中で人々が浮かれ騒いでている時に、神様は亡びの運命を人類に与えられる、と解釈できる言葉です。
しかし、そのときには、「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」とイエスは述べて、人類を破滅から救うために、「人の子であるイエス・キリストが稲妻のように、劇的な姿で再臨する」と予言されたのです。
この言葉の背景には、Wikipediaによれば、
「『創世記』19章では2人の娘しか言及されておらず、ロトとその家族はソドムに住んでいる。2人の天使がソドムに訪れると、ロトは彼らを歓迎する。しかし、町の住民たちがロトの家を包囲し、彼らに2人の客人(ソドムを滅ぼしに来た天使)を同性強姦させることを要求する。ロトは代わりに処女である2人の娘を差し出そうとする(19:8)。・・・暴徒たちがロトの申し出を拒否すると、天使(住民たちが同性強姦しようとした客人)はこれから町がことごとく滅ぼされるのでその前にロトとその家族が町を去るよう警告する。逃亡の途中でロトの妻は塩の柱に変わるが、ロトとその娘たちはゾアルに逃げ延び、山の洞窟に住む。ロトの娘たちは父親を酒で酔わせ、彼が知らないまま、2連夜にわたって父親とセックスをする。2人はどちらも妊娠する。上の娘はモアブを産み、下の娘はベン・アミを産む」とされている。
要するに、腐敗・堕落した町を神様は亡ぼすことにし、天使をつかわして、ロトの家族を救おうとされたが、ロトの妻は塩の柱にされ、娘たちも不品行を行ったという言い伝えが旧約聖書に書かれている。
そして、人類自体が物質文明に驕り、腐敗・堕落し、神様の怒りを買って、ソドムのように滅ぼされるとイエス・キリストは警告しておられるのです。
また、「ノアの箱舟」の話は良く知られている。神様が世界を滅ぼそうとして、大洪水を起こした話です。「ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってき」たと、イエスは語っている。
このように、人類が物質文明に酔いしれている時に、神様は人間の不信仰に怒り、滅びの運命を与えられたというのが、旧約聖書の話しであり、それと同じことが生じるとイエスは述べられたのです。
この言い伝えは、ヨーロッパでは絵画にも描かれ、人々によく知られている。「滅びの時」というのは、キリスト教の教えの中に含まれているのです。だから、欧米では終末論が真剣に議論されている。
実際、現在の地球の文明は、物質的な繁栄の最中に異常気候などで、危機に向かっている。これは、新約聖書でのイエス・キリストの言葉を、実現するものだと考える信者もいる。また、現在の世の中の性的な乱れや、神様が決められた男女の区別を無視した社会風潮なども、神様の怒りを買う原因となっている。カトリックの神父などが、子供を性的に虐待したことなども、悪魔が教会に入り込んだ証拠です。
聖なるキリスト教会に悪魔が入り込んで、人類の文明を根本から堕落・腐敗させている、という危機感が必要なのです。
だから、絶えず神様に祈れ、というイエス・キリストの教えが生きてくる。悪魔は絶えず、信者に攻撃を仕掛けてくる。それに対抗するには、祈りや、禁欲生活、断食などしかない。つまり、聖書を読んで清貧生活をし、神様の定めた自然な生活をすることです。
悪魔は人間の欲望を喚起し、神様の教えを無視させ、多くの罪を犯させ、その魂を地獄に引きずり込もうとしている。このような悪魔と戦って人類を救うのが、イエス・キリストの使命であり、信徒もそれを理解していなければならない。本当のキリスト教とは、悪魔との戦いを意味するのです。
2026年7月28日火曜日
「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」 (For there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. ) (マタイによる福音書 第 10 章)
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」(マタイによる福音書 第 10 章)
26 “So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. 27 What I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs. 28 Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care.[b] 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
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この「隠れているもので、知られてこないものはない」という聖書の言葉もよく知られている。だから、秘密にされた事柄は、必ず人に知られるようになる。
歴史の謎とされた事柄も、やがて真実が知らされる。例えば、先の大戦で終戦時に、天皇が占領軍のマッカーサー元帥を密かに何度も秘密に米大使館に訪ねていたことは秘密にされていた(元帥と一緒に撮られた写真だけは公表されていた)。しかし、外務省の役人でも、天皇が10回くらい元帥を訪問していたことは知らされていなかった。天皇が頭を下げて、何度も米軍のナッカーサー元帥に密かに会いに行ったなどということは、まだ天皇マジックに洗脳されていた当時の日本国民からは隠されていた。しかし、何十年もして、10回くらい天皇が米国大使館に元帥を訪ねていたことが明らかになっている。この時、昭和天皇は、「自分は殺されてもいいが、飢えた国民を救ってくれ」と元帥に懇願したとされているが、どういう雰囲気で、どういう表情で元帥に懇願したのかは、まだ、明らかになっていない。
同じ言葉でも、言う雰囲気が異なれば意味は異なって来る。千何百年も日本の歴史の中で生き抜いてきた天皇家には、政治的な権力者を丸め込む手練手管などは、お家芸だったはすだ。従って、昭和天皇は自分の命乞いもしたと思われる。そして、昭和天皇以後も皇室は親米の姿勢で一貫している。
究極的には、昭和天皇の命令で命を掛けて日米戦争を戦わされ、戦争で亡くなった日本人は、まさに昭和天皇に裏切られたことになる。占領軍の司令官のマッカーサー元帥に追従したと言われても仕方のない姿勢を見せていたから、天皇による何度もの元帥との会見は戦後長く秘密にされて来た。元帥と写真を撮った1回しか会わなかったと国民は信じ込まされていた。これは、天皇神話を守るためだった。事実として、昭和天皇は米軍に追放されずに、国民の象徴として憲法上の地位は保証されている。これも、歴史の闇です。米軍やマッカーサー元帥には、天皇の利用価値があり、また、日本軍部に脅されていた天皇という同情心もあり(それでも、天皇は2.26事件の時のように軍部と戦うこともできた)、天皇が下手に出ることで、その気持ちを強めることで、昭和天皇は天皇位を追われずに済んだと思われる。昭和天皇は、中国やアメリカと日本が戦争をした時の日本軍の最高司令官であり、戦後はその地位から追放されても不思議はなったのです。しかし、軍部に操られた可哀そうな天皇ということで、戦後も生き残った。そのカギが、秘密にされた10回ものマッカーサー元帥との秘密会談だった。ただし、その後、マッカーサー元帥がアメリカ大統領によって解任されたとき、日本の皇室は冷ややかだった。追従すべき相手は、元帥ではなく、アメリカの大統領だと分かったからだろう。だから、今も皇室は親米であり、国民も親米なのです。皇室にとって米国大統領は、命の恩人なのです。これが、戦後の日米間関係の隠された真実なのです。
しかし、ポイントはマッカーサー元帥が敬虔なキリスト教徒だったことです。聖書の教えに従う元帥は、当然、憐みの気持ちを持っており、昭和天皇を許したのです。戦後、日本の皇室を生き永らえさせたのは、キリスト教の力なのです。マッカーサー元帥は、「日本の天皇はスズメよりも値打ちがある」と思ったのでしょう。そして、米軍による日本の占領は無事に行われた。アメリカを尊敬する皇室の態度に影響されて、戦後の日本は親米、一辺倒になった。しかし、本当は聖書の力で日本は救われ、アメリカのキリスト教に感謝しているのです。昭和天皇は、その皇太子の妻に、キリスト教系の大学の卒業者の正田美智子を選び、一時は皇室内にもキリスト教の影響が及んだ。熱心なキリスト教徒だった、マッカーサー元帥は喜んだと思われる。平成の天皇の息子である令和の天皇の妻も、米国留学の経験者です。米国のキリスト教文化に馴染んだ皇后が続いている。しかし、天皇家自体が、天皇神道を否定することはない。ここに、日本の宗教の微妙なバランスがある。世界の主流のキリスト教とは敵対しないが、日本の神道伝統も守るという姿勢です。ただし、これが戦後の怪しげな各種の新宗教の跋扈を許している。
また、死海文書やエジプトのナグ・ハマディ文書が戦後、発見されて、イエス・キリストの時代のパレスチナなどの状況について新たな光があたり、キリスト教の歴史について新たな見方が与えられた。第二次大戦後は、まさに、キリスト教認識の転換点となった。
これは、1900年間も、イエスが生きる直前のユダヤ教の状況や、イエスが生きた直後にさまざまな教派があったことを知らせている。特に、「トマスによる福音書」が含まれていたナグ・ハマディ文書は、キリスト教の研究に新たな視点を与えた。また、「義の教師」について書かれた死海文書は、イエスとエッセネ派(クムラン教団)との関連を示唆するものだった。イエスは、突然、2千年前のユダヤ人の間に現れたのではなく、ユダヤ教のさまざまな流れの中から生まれたのです。しかし、イエスを揶揄するようなグノーシス派の影響を受けた「トマスによる福音書」がキリスト教の正典になることはなかった。悪魔は、どこまでもイエス・キリストの教えを妨害する。グノーシス派は、イエス・キリストの言葉よりも、その人間的な解釈を重んじるものであり、悪魔の喜びそうな説を主張している。神様の真理を伝えるイエス・キリストの言葉を軽んじるものです。
このように歴史の真実は、必ず表に出る。だから、キリスト教文化の欧米では、政治の秘密を暴く報道姿勢が支持されている。日本では、「寄らしむべし、知らしむなかれ」と言って、大衆には真実を隠すことが、政治家の間には常識となっていた。だから、アメリカとの核関連の政府の秘密協定などは、国民から隠されることが多い。しかし、憲法に保障された言論の自由の名の下に外交的な秘密も明らかにされている。
また、「二羽のすずめは一アサリオンで売られている」が、「あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」というイエスの言葉は、人々を勇気づける言葉だった。ローマ軍の支配下で、人間性が否定されていた植民地パレスチナのユダヤ人は、このイエスの言葉によって自信を取り戻した。
今も世界には、権力者が秘密にしていることは多いし、人間性が否定された民族もいる。たとえば、アメリカ軍がUFOと秘密の関係を持っていることも、徐々に明らかにされている。また、アメリカでは、最近まで黒人などの有色人種は社会的に差別されていた。しかし、黒人と白人の混血のオバマがアメリカ大統領になるなど、人種差別は徐々に解消されている(その反動がトランプだという見方もある)。
しかし、歴史上の最大の謎は、イエス・キリストの出生と十字架上の死後の行動です。イエスの本当の父親は誰なのか、イエスは十字架の死から蘇って更に世界を旅し、インドや日本に達っしたという説もある。
このような、キリスト教の秘密もやがて明らかにされると思われる。なぜなら、人間は安く売られるスズメよりも、価値のあるものであり、神様はいずれ人類に真理を知らせると考えられるからです。
2026年7月27日月曜日
その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 ((マルコによる福音書 第 5 章)) (he herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.)
こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)
They went across the lake to the region of the Gerasenes. 2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.
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これは、人に取り付いていた汚れた霊が、イエス・キリストの言葉によって人から追い出され豚の体内に入って、崖から海に落ちて、豚はおぼれ死んだという印象深い出来事です。
大勢の悪霊が人に取り付くという現象が、2千年前にもあったということを物語っている。その悪霊が、イエスの言葉によって人から追い出され、豚の体内に入ったといのも興味深いが、その悪霊が入った豚の群れが、狂って雪崩をうって海に突進し、溺れ死んだというのは、衝撃的な出来事です。
今の人には、考えられない現象が起きたことが聖書には書かれている一例です。
AIによれば、
「宗教や思想ごとに「霊」の意味は少しずつ違います。
仏教系の説明では、人の「心の働き」「命のつながり」として霊をとらえ、供養は霊と生きている人の心を落ち着かせる営みとされます。(isshinji.jp)
キリスト教系の説明では、「霊」は息や風を語源に持ち、命を生かす力、人の内面、また神の働きとしての「聖霊」などを指します。」(jw.org)」
とされている。要するに、人の心を生み出し、心を支配する力です。人間が意識する前から、心を生み出す生命力であり、人間の心の動きを支配する力だということになる。人間の心の基盤になるものです。
悪霊が人の心に入れば魔が差し、人はとんでもない悪事を働く。善霊が心に入れば、善人となって善を行う。その心を信仰の力で管理し、悪霊を寄せつけないようにするのが、信仰者の生き方です。
悪霊に心が支配されれば、欲に支配され、カネや地位を求め、自己中心の生き方になり、善悪の判断も失う。実際、悪を働いても、冷静になれば、なぜあんなバカなことをしたのだ、と言って後悔する人間が大部分です。その人の心の中に悪霊が入り込み、狂わせて悪事を行わさせるという例が多い。ただし、悪霊を呼び込むのは、その人間がしっかりしていないという点で責任が取られる。日本の裁判でも、狂った人間は裁かれない。しかし、どこかでその犯罪者の心に悪霊を受けいれる心の隙があったことは事実です。いずれにしても、イエスは、「人を責めてはならない」と述べて、真犯人は悪霊だということを示唆しておられる。犯罪者も悪霊の犠牲者なのです。
この心を支配する悪霊が、人の心の中に入り込むという事実は。18世紀の神秘家スエーデンボルグが書き残している。悪霊は、生きている人間の心にも入り込むという点が恐ろしい。心に入り込んで、その人間の心の動きを支配する。ただし、イエス・キリストのような霊能者は、悪霊と戦って人間の心から追い出すことができる、というのが聖書の主張です。
日本の神道や仏教でも、魔の霊との戦いという考えはある。また、呪術家や霊能者が悪魔祓いをするという伝統もある。宗教は全て、霊の存在というものを認めている。
かつては、天皇神道では、天皇に霊能力があり。日本の霊界の神々が天皇を助けており、日本を守っているとの教義を持っていたが、先の日米戦争で、天皇神道を掲げた日本帝国は、キリスト教を事実上の国教とするアメリカに敗れ、300万人の日本人が命を失い、天皇神道よりアメリカのキリスト教が優れていることが証明され、戦後は、アメリカのキリスト教を基盤とするアメリカの民主主義が導入され、新たな日本国憲法が制定されて、日本は戦後、現在にいたるまで平和と繁栄を謳歌できた。これは、宗教的にキリスト教の優位を証明するものです。今の天皇家は、自分たちに霊能力がないことを暗黙に認めて、欧米に追随しており、日本人も欧米の精神文化を尊重している。ただし、これが日本に霊的な混乱をもたらし、戦後の文化に大きな影響を与えている。全ての戦後の問題は、キリスト教を認めない社会が原因だと言っても良い。
天皇家の霊能力は、7世紀の中国、唐との白村江の敗戦で威力がないことを証明されているが、その後、1300年にわたって、天皇家が日本社会で最高の地位を占めてきたのは、良かったかどうか考えさせられる。その結果、80年前の日米戦争での悲惨な敗北につながった。神様は日本が、キリスト教を理解することを望んでおられると考えるべきです。日本の霊性だけでは、不十分なのです。だから、本当の霊能者を新天皇として立てるのが、日本の霊性を救うことになる。
ただし、欧米では、悪魔がキリスト教に入り込み、キリスト教は停滞している。欧米を中心とする物質文明に悪魔が入り込んでいる。そこで、日本的霊性に基づいた霊的なキリスト教の確立が日本に求められている。天皇神道以前に、日本人は十分に霊性を育んできたのです。ただし、善悪の考えと、霊性との結びつきが十分に考えらえて来なかった。そして、聖書の教えが日本の霊性を高めることになるのです。
悪霊は、人間の心にも、豚の体内にも入り込むという、聖書の記述が意味するのは、霊の存在を認めて、悪霊に警戒せよというイエス・キリストの教えを伝えるものなのです。
2026年7月23日木曜日
大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた (ヨハネによる福音書 第 11 章) (Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!.”)
34 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
35 イエスは涙を流された。
36 するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
37 しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
39 イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
40 イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
43 こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。 (ヨハネによる福音書 第 11 章)
33 When Jesus saw her weeping, and the Jews who had come along with her also weeping, he was deeply moved in spirit and troubled. 34 “Where have you laid him?” he asked.
“Come and see, Lord,” they replied.
35 Jesus wept.
36 Then the Jews said, “See how he loved him!”
37 But some of them said, “Could not he who opened the eyes of the blind man have kept this man from dying?”
Jesus Raises Lazarus From the Dead
38 Jesus, once more deeply moved, came to the tomb. It was a cave with a stone laid across the entrance. 39 “Take away the stone,” he said.
“But, Lord,” said Martha, the sister of the dead man, “by this time there is a bad odor, for he has been there four days.”
40 Then Jesus said, “Did I not tell you that if you believe, you will see the glory of God?”
41 So they took away the stone. Then Jesus looked up and said, “Father, I thank you that you have heard me. 42 I knew that you always hear me, but I said this for the benefit of the people standing here, that they may believe that you sent me.”
43 When he had said this, Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!” 44 The dead man came out, his hands and feet wrapped with strips of linen, and a cloth around his face.
Jesus said to them, “Take off the grave clothes and let him go.”
45 Therefore many of the Jews who had come to visit Mary, and had seen what Jesus did, believed in him. 46 But some of them went to the Pharisees and told them what Jesus had done.
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これは、聖書でよく知られた「ラザロの復活」の情景です。
死亡したラザロをイエス・キリストが蘇らせたのです。つまり、死者を生き返らせたという奇跡です。
ラザロの墓に向かって、イエスが「大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた」。すると、生き返ったラザロが墓から出てきたのです。
Wikipediaによれば、「伝承によれば、後にラザロはキプロスの初代主教となった。キプロス南東の都市ラルナカにある、聖ラザロ教会の地下クリプトにはラザロの墓所がある。正教会では、伝統的に聖枝祭(主のエルサレム入城)前日の土曜日(スボタ)をラザリのスボタと呼び、キリストによるラザロの蘇生を記憶する。また、南フランスの伝承では、姉妹マルタ、マリアらと共にサント=マリー=ド=ラ=メールに辿り着き、その後マルセイユの地で布教に励んだという」とされている。
今の霊能者で死者を蘇らせた例はない。この奇跡は、イエス・キリストが単なる霊能者ではなく、神様が遣わされた神の子であり、神様の力を与えられていたことを示している。
イエス・キリストのこのように、死人を蘇らせる力を見れば、イエスを殺害することは無意味なことが分かる。しかし、悪魔は、イエスの敵のユダヤ教の幹部やローマ兵に取り付いてイエスを殺害させることをやめなかった。悪魔の執拗さ、凶悪さは底知れない。
神様は、霊を人間に送って命を与えるお方であり、人を死から蘇らせることができるのは当然です。その神様の力を与えられたイエス・キリストも死者を生き返らせることができたということです。これは、霊界の存在を信じ、霊の存在を信じなければ理解できない。2千年前のパレスチナの人々は、霊を信じていたのです。
2千年前の日本は、まだ縄文時代の霊性が残っており、やはり、霊的存在を信じていたと思われる。弥生時代の稲作文化が普及し、やがて、天皇家の台頭が見られ、天皇神道が大和地方を中心に普及するにつれて、日本の霊性も天皇を中心に編成され、2千年後の今も、日本の精神的伝統になっている。その時代に、地中海沿岸のパレスチナ地方で、ローマ帝国に支配されたユダヤ人の間に神の子としてイエス・キリストが出現したことは、人類にとって大きな出来事だったのです。
ただし、世界ではイエス・キリストの出現の500年前に、インドではブッダが出現し、中国では孔子が現れ、ギリシアではソクラテスが現れて、人類の霊性が高められていた。そのような人類の霊的伝統は今も伝えられている。
しかし、死者を蘇らせた奇跡は、イエス・キリストの言行録を記したキリスト教の聖書のみに明確に記されており、他の聖者とイエス・キリストの相違を際立たせている。
また、イエスは十字架につけられて刑死した後に、自ら復活し、弟子たちに姿を現したことで、悪魔の陰謀に打ち勝ち、その後のキリスト教の発展をもたらした。悪魔はイエスが蘇ることを知っていても、人間として現れた神の子を人間的に苦しめることを望んだ。悪魔の愚かさと、神様のご威光が、この2千年の人類の歴史を作って来たことになる。
その象徴的な話が、「ラザロの復活」なのです。
死に打ち勝つ神様の霊的な力と、イエス・キリストが神様の力を受け継いだ事実を示すできごとなのです。
2026年7月22日水曜日
すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない (ローマの信徒への手紙 第 10 章) (“Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”)
10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(ローマの信徒への手紙 第 10 章)
9 If you declare with your mouth, “Jesus is Lord,” and believe in your heart that God raised him from the dead, you will be saved. 10 For it is with your heart that you believe and are justified, and it is with your mouth that you profess your faith and are saved. 11 As Scripture says, “Anyone who believes in him will never be put to shame.” 12 For there is no difference between Jew and Gentile—the same Lord is Lord of all and richly blesses all who call on him, 13 for, “Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”
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Wikipediaによれば、「『ローマの信徒への手紙』は、『新約聖書』中の一書で、使徒パウロの手によるとされる書簡。『ローマ人への手紙』や『ローマ書』(『ロマ書』)などとも呼ばれる。本書はパウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つである」とされている。
また、「本書の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いである。パウロはアブラハムを引き合いに出してキリストによる神の恩寵を強調し、人が義(正しい)と決定させられるのは,信者の側の信仰と結び付いた、神の側のこの恩寵のみによることを力説している」と説明されている。
信仰心は、神様の恩寵と結びついて意味を持つとされ、あくまで神様を中心とした信仰心が必要だということです。人間中心の現代文明とは、考えが異なる。
ただし、神の名において、信仰による支配を教団が行うという、宗教専制主義の時代が来る恐れがある。だから、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでは、ヴァチカンの専制時代が続き、ルネッサンスまで中世の暗黒時代と呼ばれる時代が続いたが、実際は、暗黒ではなく、キリスト教の信仰が社会に普及した信仰の輝く時代だったとも考えられる。
ルネッサンス以後の人間中心の価値観が、キリスト教の縛りから人間を解放したというのが、今の歴史的解釈だが、その結果、物質文明が促進され、現在の地球温暖化などの危機を地球にもたらしている。
「ルネッサンス」から、「近代科学の誕生」、そして、「現代の科学・技術に基づく文明」というものは、「精神文明」を置き去りにして人間の欲望追及を無制限に求める文明になった。現代の諸問題は、この西欧のキリスト教解釈の不十分さから生じている。これは、キリスト教に悪魔が入り込んだからだとも考えられる。人間を神様の上に置くのは、まさに、悪魔の影響なのです。現代文明には、悪魔が入り込んでいると考えるのが必要です。「ロマ書」の時代には、人々はもっと神様を恐れ、信仰していた。世の中は、霊界に近かったと考えられる。紀元1世紀のことです。日本では、縄文文化の影響がまだ残っていた時代のことです。
だから、日本的霊性に基づいてイエス・キリストの教えを新たに解釈し、新たな霊的キリスト教を確立することが求められているのです。
イエス・キリストの死後、その弟子や信徒は、神様の意味や、イエス・キリストの意味について何年も議論してきた。その表れの1つが、パウロによる「ローマの信徒への手紙」なのです。
仏教も、ブッダの死後、その信徒たちがブッダの言葉を編纂したが、キリスト教では、神様という存在が大問題になって議論が続けられた。その伝統で、ヨーロッパ文化では、2千年間、人々が神様について議論するという伝統が出来上がり、欧米文明の基礎となった。まさに、ここに神様の力が現れ、欧米文明は人類を代表する文明となったのです。ヨーロッパでは神学が最も尊敬されている。
日本の霊性は、ヨーロッパほど神様の存在の意味を極めようとする文化ではなく、自然の中に神様の恵みを見出すという生活の中で育まれたが、究極的には神様の存在を認める文化です。
だから、イエス・キリストの言葉は、現代日本人でも理解できるし、神様の威力については受け入れることができる。
欧米の宗教のキリスト教としてではなく、人類を作られた神様を信じるという姿勢で、日本人は霊的なキリスト教を追求すべきです。
2026年7月20日月曜日
「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」 (ルカによる福音書 第 11 章) (For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened)
また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
2 そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
3 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
4 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(ルカによる福音書 第 11 章)
11 One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”
2 He said to them, “When you pray, say:
“‘Father,
hallowed be your name,
your kingdom come.
3 Give us each day our daily bread.
4 Forgive us our sins,
for we also forgive everyone who sins against us.
And lead us not into temptation.’”
5 Then Jesus said to them, “Suppose you have a friend, and you go to him at midnight and say, ‘Friend, lend me three loaves of bread; 6 a friend of mine on a journey has come to me, and I have no food to offer him.’ 7 And suppose the one inside answers, ‘Don’t bother me. The door is already locked, and my children and I are in bed. I can’t get up and give you anything.’ 8 I tell you, even though he will not get up and give you the bread because of friendship, yet because of your shameless audacity[e] he will surely get up and give you as much as you need.
9 “So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. 10 For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened.
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「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえる」といのは、聖書で有名なイエス・キリストの言葉です。
その理由が、「友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれる」というのは、イエスのユニークな説明です。
これは、神仏に熱心に祈れば、あまりにしつこいのに神仏が閉口して、願いを叶えてくれるということに通じる。信心よりも、熱意だということになる。
実際、熱心な人ほど願いが叶いやすいというのは、この世の出来事にも通じる。人は、相手の熱意に応じる。相手の意欲を推し量る。本気度を試す。生半可な気持ちでは、人を動かすことはできない。これは、この世の全てに通じる。
だから、牧師でも神父でも、修道士でも、修道女でも、絶えず祈りを唱える。一日に決まった時間しか祈らない宗教家は信用できない。聖母マリアの霊も人々の前に出現したときは、「常に祈りなさい」と祈りを勧めておられる。
ただし、霊能者の故政木和三のように、「神仏は人間の祈りなどかなえない」という人もいる。「ただし、欲を捨てて、神仏に頼らなくなった時に、願いは叶う」、と政木は無欲の奇跡を教えている。
また、霊力のあった医師の故塩谷信男も、「願いは叶ったと信ぜよ」と教えている。これらは、霊能力が発動しないと、この世でも願いは叶わないことを意味している。
それに対してイエス・キリストは、「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」と信仰心があれば、願い適うと述べておられる。つまり、信仰心をもてば、無欲になり、神様にすがるようになり、それに対して神様はこたえてくれる、というのが、神様に対する信仰心なのです。
本当の信仰心とは、「自己中心」の考え方から、「神様中心」の考え方に変えることであり、そのような信仰心を持てば、神様が願い事を叶えてくれるのです。
2026年7月17日金曜日
「その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った」 (マタイによる福音書 第 14 章) (His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother.)
4 すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
5 そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。
6 さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、
7 彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。
8 すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。
9 王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、
10 人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。
11 その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。
12 それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
13 イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。(マタイによる福音書 第 14 章)
3 Now Herod had arrested John and bound him and put him in prison because of Herodias, his brother Philip’s wife, 4 for John had been saying to him: “It is not lawful for you to have her.” 5 Herod wanted to kill John, but he was afraid of the people, because they considered John a prophet.
6 On Herod’s birthday the daughter of Herodias danced for the guests and pleased Herod so much 7 that he promised with an oath to give her whatever she asked. 8 Prompted by her mother, she said, “Give me here on a platter the head of John the Baptist.” 9 The king was distressed, but because of his oaths and his dinner guests, he ordered that her request be granted 10 and had John beheaded in the prison. 11 His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother. 12 John’s disciples came and took his body and buried it. Then they went and told Jesus.
13 When Jesus heard what had happened, he withdrew by boat privately to a solitary place. Hearing of this, the crowds followed him on foot from the towns.
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AIでは、「新約聖書には「ヨハネ」と呼ばれる人物が複数登場しますが、代表的なのは次の二人です。名称 立場・特徴 関わる主な書物
洗礼者ヨハネ イエスに先立つ預言者、バプテスマを授けた人 福音書に登場する人物
使徒ヨハネ イエスの弟子の一人、「愛された弟子」と伝承 ヨハネ福音書、手紙、黙示録の伝承的著者
現在の聖書学では、これらの書をすべて同一人物が書いたかどうかは議論がありますが、教会の伝承では「使徒ヨハネ」に結びつけて語られることが多いです」と説明されている。
また、聖ヨハネはイエス・キリストの異母兄弟だったという説があり、また、イエス・キリストに洗礼を授けた先駆者だったという説がある。
そのヨハネは、ヘロデ王が亡き兄の妻と再婚したのを責めたので、ヘロデ王はヨハネを捕えていた。そして、ヘロデの妻もヨハネを憎んで、自分の子供のサロメにヨハネの首を望めと唆し、サロメはヘロデ王にヨハネの首を望み、ヘロデ王は部下にヨハネの首を切らせたという話しが聖書にのっている。
レオナルド・ダ・ヴィンチが幼児イエス。聖母マリア、ヨハネの母。そして、幼児ヨハネを一緒に描いた絵画が有名です。
いずれにしても、イエスの十字架上での刑死の前に、ヨハネの獄死という悲劇があった。イエスは酷くショックを受けたと思われる。それが、聖書に現れている。
悪魔は、イエス・キリストもヨハネも殺害させたが、キリスト教は生き残り、現在に至るまで発展し、キリスト教はヨーロッパやアメリカの宗教となり、ヴァチカンは今もローマ帝国の皇帝のような姿をしている。
キリスト教は。まさに、血塗られた宗教なのです。欧米の歴史はその上に打ち立てられている。キリスト教は、欧米の金持ちの平和な宗教ではない。ユダヤ教自体が、旧約聖書に現れているように、戦乱に明け暮れるユダヤ人の宗教であり、彼らの神はその守護神だったので、この残酷さは不思議ではない。その宗教観をイエス・キリストが一層し、愛と平和を説き、今の欧米の人道主義の礎となった。しかし、その背後の伝統には、日本民族には理解できない殺伐さがある。
また、中国では、秦の始皇帝が何十万人もの兵士を殺害して、秦帝国を作ったように、ローマ帝国はパレスチナのユダ人を追放し、他の民族と同じように武力制服をした。おまけに、ユダヤ人は敵だという間違ったキリスト教の教義で2千年間もユダヤ人は、ヨーロッパで迫害される。そのユダヤ人が安住の地を見出したのがアメリカであり、知的産業や金融業界を支配したユダヤ人が今も欧米の社会を支配しいていると言われる(ロスチャイルドなど)。
霊界を目指すキリスト教が、現世的なユダヤ人のイエス・キリストから生まれたというのは歴史の謎です。中国人からもインド人からもイエスは生まれず、ユダヤ人の貧乏人としてこの世に現れたのは、まさに、歴史の驚異です。
むしろ、イエス・キリストの教えは、日本の神道や仏教に近い。日本の霊性の伝統からイエス・キリストが生まれてもおかしくないが、日本人は皇室崇拝という道を選んだ。
日本の皇室が現れる以前の縄文時代に返って、日本人は生死と霊の問題を考えるべきです。
そもそも、人類はアフリカで生まれたが、皇室の祖先もアフリカ人だったと考える日本人はいない。
また、人類は宇宙からUFOに乗ってやって来たという説があり、イエス・キリストも聖母マリアも宇宙人だったという説もある。
いずれにしても、イエス・キリストは霊界の天国、神界の神様から派遣された人間だと考えれば、日本人も抵抗なく霊的なキリスト教が理解できる。
清貧生活をして、聖書を読むことが日本人にも(インド人、中国人、朝鮮人にも)求められる。
ただし、キリスト教徒になったからといって、高級な日本人になれるわけではない。日本の精神文化の延長に霊的なキリスト教を求めるべきです。
2026年7月15日水曜日
「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」 (マタイによる福音書 第 12 章) ( If it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you,)
26 もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。
27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
28 しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
29 まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。
30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。(マタイによる福音書 第 12 章)
25 Jesus knew their thoughts and said to them, “Every kingdom divided against itself will be ruined, and every city or household divided against itself will not stand. 26 If Satan drives out Satan, he is divided against himself. How then can his kingdom stand? 27 And if I drive out demons by Beelzebul, by whom do your people drive them out? So then, they will be your judges. 28 But if it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you.
29 “Or again, how can anyone enter a strong man’s house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man? Then he can plunder his house.
30 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
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イエス・キリストの言葉、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである」というのは、クリスチャンにとって、その行動の基礎となっている。
イエスの言葉に反発し、イエスの教えに従って、キリスト教徒を増やそうとしない者は、イエスの教えから人々を遠ざける者なのです。
特に、「(イエスが)神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきた」という言葉に、この世は悪魔の影響の下にあるが、イエスが神様の霊の力で人々から悪魔を追い出せば、神の国が人々を訪れると述べて、神様の霊の力で悪魔と戦うことが、イエス・キリストの使命だと宣言しておられる。
日本人も霊の存在を信じて、神仏の霊に祈って幸運をつかもうとするが、キリスト教では、明確に悪魔が人々を苦しめており、悪魔から人々を救うのが、イエス・キリストの使命だと述べている。
善悪は人間が作りだしたものであり、善悪の区別など本当はないと考える人間もいるが、まさに、それこそ悪魔の洗脳の結果なのです。神様は善を推奨しておられ、人間界に善をもたらし、強め、悪魔に打ち勝つように人間を正しく導くのがイエス・キリストの使命なのです。
悪魔は、この世には善も悪もない、物質的な幸福と不幸しかない。どんなに悪をしてでも、物質的に幸福になることだと、人間を洗脳する。悪魔に洗脳された人間は、学問でも宗教でも幸福を得るための手段だと考えて、真理をねじ曲げ、聖なるものを悪用し、最後は虚偽と堕落の中で物質的成功と幸福を得ようとする。だから、学問的なエリートや宗教のリーダーも悪魔に魂を売って、地位や富を求める、そこには、善悪を超えた境地だという偽りの説で、悪魔に魂を売ったエリートや富裕増の堕落した心がある。
あくまで、神様は全知全能で全善、至善の存在であるという真理を認めるのが、霊的なキリスト教なのです。
毎日の生活で、どこまで善を追求するかが信徒の生きる課題なのです、
物質的な幸福や成功が、信徒の求めるものではないのです。
だから、清貧生活を心がけて、聖書を読むのが、信徒の生きる姿なのです。
2026年7月14日火曜日
「その人に慈悲深い行いをした人です」 (ルカによる福音書 第 10 章)(“The one who had mercy on him.”)
25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 (ルカによる福音書 第 10 章)
25 On one occasion an expert in the law stood up to test Jesus. “Teacher,” he asked, “what must I do to inherit eternal life?”
26 “What is written in the Law?” he replied. “How do you read it?”
27 He answered, “‘Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your strength and with all your mind’[c]; and, ‘Love your neighbor as yourself.’[d]”
28 “You have answered correctly,” Jesus replied. “Do this and you will live.”
29 But he wanted to justify himself, so he asked Jesus, “And who is my neighbor?”
30 In reply Jesus said: “A man was going down from Jerusalem to Jericho, when he was attacked by robbers. They stripped him of his clothes, beat him and went away, leaving him half dead. 31 A priest happened to be going down the same road, and when he saw the man, he passed by on the other side. 32 So too, a Levite, when he came to the place and saw him, passed by on the other side. 33 But a Samaritan, as he traveled, came where the man was; and when he saw him, he took pity on him. 34 He went to him and bandaged his wounds, pouring on oil and wine. Then he put the man on his own donkey, brought him to an inn and took care of him. 35 The next day he took out two denarii[e] and gave them to the innkeeper. ‘Look after him,’ he said, ‘and when I return, I will reimburse you for any extra expense you may have.’
36 “Which of these three do you think was a neighbor to the man who fell into the hands of robbers?”
37 The expert in the law replied, “The one who had mercy on him.”
Jesus told him, “Go and do likewise.”
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これは、「隣人を愛せ」というイエス・キリストの教えに対し、「私の隣人とは誰の事ですか」と質問した律法学者へのイエスの答えです。「親切なサマリア人の譬え」として、有名なイエスの説明です。
強盗に襲われた旅人を見ても、祭司やレビ人は旅人を避けて歩いて行った。しかし、あるサマリヤ人はその旅人を介抱して、自分の家畜に乗せて宿まで送り届けた。このサマリア人こそが、その旅人の隣人なのだという教えです。
今の世で言えば、戦乱を逃れた難民や、自国のホームレスなど、不幸のどん底にいる人々は多い。そのような人を助けるのが、そのような人の隣人として相応しいと述べられたのです。
つまり、不幸な人を助けるのが、その不幸な人の隣人なのです。そして、「隣人を愛せ」とは、まさに、不幸な人を助けよということなのです。
今日では、テレビやインターネットで世界中の不幸な人のことが放送されている。その不幸な人を助けるのが、人間として「良き隣人」になることだという教えです。
これは、「良きサマリア人」の譬えとしてよく知られた教えです。
祭司とはまさにユダヤ教のエリートであり、「レビ人とは、旧約聖書においてイスラエル十二部族の一つ「レビ族」に属し、神殿や幕屋での奉仕・礼拝・運営を専門に担った人々を指します」とAIでは説明されている、要するに、エリートや富裕層は不幸な隣人には冷たい。しかし、「サマリア人とは、古代イスラエル北王国の首都サマリア周辺に起源を持ち、独自の律法理解と礼拝伝統を守ってきた少数民族・宗教共同体を指します」とAIでは説明されている。要するに、ユダヤ社会で非エリートです。非エリートの中にこそ、イエス・キリストの教えに従う人がいるとの教えです。
これは、今でも、不幸な人を助けるために寄付をするのは、自分も貧しい人が多い。不幸な人が互いに助け合うということが世の中の常識です。だから、人間社会は亡びずに生き抜いて来たのです。良き隣人たちが、互いに助け合って生き抜いてきたのが、人間社会なのです。
これは、自分の生存しか考えない他の生物には見られない人間の美点です。こうして、社会的な生き物である人間は、種として生き抜いて来たのです。不幸な目に合うことの多い一般人ほど、この譬え話は理解しやすかった。イエスは、悪魔に魂を売って成功者となったエリートや富裕層の心の冷たさを理解していたのです。
社会の中の貧しい人間の隣人となって彼らを助けるは、やはり、貧し人だということが、このイエス・キリストの教えなのです。
今日の日本の平和と繁栄をもたらした日本国憲法を作成したのは、皇室や財界人、官僚エリートではなく、旧日本軍と戦った貧しいアメリカ人のキリスト教徒を含む占領米軍なのです。だから、戦後の日本人はアメリカの一般人に親しみを感じ、アメリカの政治に関心を持ち続けたのです。
今日の日本国憲法をもたらしたのは、日本の皇室や財界、官僚エリートでも、世界の宗教のトップのローマ法王や、ユダヤ教の大富豪などではなく、素朴なキリスト教徒から構成されていた米軍のトップのマッカーサー元帥なのです。
日米戦争の後に日本を占領した米軍の司令官のマッカーサー元帥こそが日本人の良き隣人だったのです。
今でも、天皇神道を信じる日本人や、財界や官界にあこがれる日本人もいるが、彼らは、イエス・キリストのたとえ話に出てくる、当時のエリートのように、不幸な人には冷たいエリートなのです。
日本人は、「良きサマリア人」となって、世界中の不幸な人を助けることを求められているのです。これを信じるのが、「霊的なキリスト教」なのです。