2026年8月16日日曜日

神は「光あれ」と言われた。すると光があった (創世記 第 1 章) (And God said, “Let there be light,” and there was light.)


はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。(創世記 第 1 章)

1 In the beginning God created the heavens and the earth. 2 Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and the Spirit of God was hovering over the waters.
3 And God said, “Let there be light,” and there was light. 4 God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness. 5 God called the light “day,” and the darkness he called “night.” And there was evening, and there was morning—the first day.
6 And God said, “Let there be a vault between the waters to separate water from water.” 7 So God made the vault and separated the water under the vault from the water above it. And it was so. 8 God called the vault “sky.” And there was evening, and there was morning—the second day.
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Wikipediaによれば、「『創世記』(英語: genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典とされ、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている」とされている。

この「はじめに神は天と地とを創造された」と言う言葉は、旧約聖書の最初の言葉として、よく知られている。人類が、この世の存在について目が開いたとき、最初に見たのが天であり、その下の地であったことを証明している。

人間の赤ん坊も生まれて気が付くと、上のものと下のものがあるのに気が付く。上下の感覚は人間が最初に感じるものである。霊的には、上の霊界から下の物質界に生まれてきたという感覚を表している。或いは。精神的な心の世界から、肉体に象徴される物質の世界に生まれたことを意識する。

それを、天と地として認識し、神様がこの世(物質界)とあの世(霊界)を作ったと認識するのが、人間の世界認識の始まりであることを意味している。

そこには、自然の法則しかない。善も悪もない。しかし、そこに人間と言う生物が生まれると、万物の創造主の神様と人間という被造物(作られた者)の間の関係が生じる。人間が神様に従っていれば、なにも問題はない。人間は天と地を認めて、この世に生きるだけです。霊界で神様に仕える天使のように、物質界で人間は神様に仕えればよい。

ところが、霊界の天使の中には、神様のような大きな力を持ちたいと願う者がでてきて、神様に逆らうようになる。これが、神様の善に対抗して悪をなすようになる。神様が完全な霊界と完全な物質界を造られると、作られたものは、破壊という現象を受け入れねばならなくなり、その破壊の力を手に入れた一部の天使は、神様に逆らって神様の作られた完全な霊界と物質界を破壊しようという行為に出る。これが、悪の始まりであり、悪魔の出現です。

神様が作られた世界は完全であるが故仁、その完全性の中に不完全性も含まれねば、「本当の完全性」は実現しないので、神様はそのような反動的な要素の存在も許された。つまり、全善の神様の許容によって悪の存在が許され、悪魔が天使の中から生まれたことになる。

神様が、天も地も作らず、霊界も物質界も作らなければ、天使の存在も必要ではなく、人間の存在も必要でなかったことになる。従って、悪魔も存在しなかったことになる。天も地もない空間に時間も必要としない神様が存在するだけだったが、神様は、霊界と物質界を造ることを選ばれので、天使や人間が生まれることになった。ただし、それに付随して悪魔が生まれることになった。

つまり、人間の出現以前に、悪魔の存在が許されていたことになり、悪魔は神様の霊界や物質界を創造する能力に付随したものでああり、その能力の反動して生まれたものであり、それを許容してでも、神様は天使や人間を作ることを選ばれたわけです。悪が存在する可能性というリスクを冒してまで、神様は天使や人間を作りたかったことになる。それは、神様が天使や人間を愛されたからだということになる。それが、天と地の光だということになる。この世の光は太陽から来ているが、霊界の光は神様の世界(天国や神界)から来ている。

善の世界(光の世界)を作れば、反動で悪の要素(闇)も生まれるということを神様は承知されて、悪魔を含む霊界と人間界を造られたのです。しかし、神様がその気になれば、いつでも悪魔や悪魔が作り出す地獄は存在しなくなる。これが、悪魔が最も恐れる世界の消滅です。悪(闇)は善(光)が生じるから存在できるのです。

しかし、神様は、天と地を作られて、そこに人間が生きることを愛されたので、まだ、この世、物質界は亡びないし、物質界の源である霊界に住む天使たちも愛しておられるので、霊界もなくなることはない、ただし、そのために悪や悪魔の存在も認めなければならなくなった。

これは、全ての整数を作ることを選ばれた神様が、整数の中に、「1」とその数でしか割り切れない「素数」の存在を許されたようなものです。素数は、整数列のどこに現れるかは予測できない。しかし、素数を取り除けば、整数列は成り立たない。

神様は、無数の数と無限大を作られ、無数の数の中には素数も含まれ(しかも、無数に)、なお、無数の数を抑える概念として無限大という概念を作られた。無数の整数という地と、無限大という天を神様は作られたのです。

この世(物質界)とあの世(霊界)の成り立ちについて、神様が全てを創造されたというのが、人類に共通の認識であり、さまざまな神話の共通点です。人間や悪魔が世界を作ったという神話はない。また、訳が分からないが、勝手にできたという神話は、成り立たない。存在は、でたらめには成り立たない(闇から存在は生じない)。或いは、力が無ければ成り立たない。全知全能かつ全善の神様が愛(光)から作られたと信じるのが、神様への信仰の第一歩なのです。