2026年8月31日月曜日

「あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか」 (ルカによる福音書 第 5 章) ("Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? ")



18 その時、ある人々が、ひとりの中風をわずらっている人を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。
19 ところが、群衆のためにどうしても運び入れる方法がなかったので、屋根にのぼり、瓦をはいで、病人を床ごと群衆のまん中につりおろして、イエスの前においた。
20 イエスは彼らの信仰を見て、「人よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
21 すると律法学者とパリサイ人たちとは、「神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか」と言って論じはじめた。
22 イエスは彼らの論議を見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。
23 あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか。
24 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
25 すると病人は即座にみんなの前で起きあがり、寝ていた床を取りあげて、神をあがめながら家に帰って行った。
26 みんなの者は驚嘆してしまった。そして神をあがめ、おそれに満たされて、「きょうは驚くべきことを見た」と言った。(ルカによる福音書 第 5 章)

18 Some men came carrying a paralyzed man on a mat and tried to take him into the house to lay him before Jesus. 19 When they could not find a way to do this because of the crowd, they went up on the roof and lowered him on his mat through the tiles into the middle of the crowd, right in front of Jesus.
20 When Jesus saw their faith, he said, “Friend, your sins are forgiven.”
21 The Pharisees and the teachers of the law began thinking to themselves, “Who is this fellow who speaks blasphemy? Who can forgive sins but God alone?”
22 Jesus knew what they were thinking and asked, “Why are you thinking these things in your hearts? 23 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? 24 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “I tell you, get up, take your mat and go home.” 25 Immediately he stood up in front of them, took what he had been lying on and went home praising God. 26 Everyone was amazed and gave praise to God. They were filled with awe and said, “We have seen remarkable things today.”
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これは、イエス・キリストが「病人に、罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか」という問いを律法学者などにした、という福音書で印象的な情景です。

言葉だけで、病人に「罪はゆるされた」ということは簡単です。しかし、実際に「床を取り上げて家に帰れ」という言葉は、病を癒さなければ言えない言葉です。

そして、イエスは「人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていること」を示すために、「起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と病人を癒して言われたのです。

疑い深い律法学者などに、イエスは自分が神様から与えられた力を持っていることを納得させようとされたのです。

つまり、イエス・キリストは霊的な力を持っており、超能力で病の人々を癒すことができたことを、福音書は述べているのです。

今でも、新興宗教の教祖は超能力を売り物にする。あるいは、霊能力を示して信者を集める。超能力がなければ、信者は集まらないものです。中には、苦衷浮揚をするトリック写真を見せるものもいる。あるいは、サクラを使って透視能力があると主張するものもいる。超能力や霊能力を示さなければ、信者は集められない。

実際、過去の名僧や神道の有名人も、そのような超能力があったことが伝えられている。空海などは、その代表例です。また、天理教や大本などの幕末・明治期に現れた振興主教の教祖も、さまざまな霊能力をもっていたと言われる。イエス・キリストもそのような超能力を持っていたことが、福音書に書かれている。

ただし、悪魔に取り付かれたものも、霊能力を使える。神様や天使から霊能力を得たものばかりではない。また、霊界では霊格の低い霊も、この世でそれなりの霊能力を発揮できる。だから、バチカンでは、超能力を示す人間の能力がカトリックの信仰から来たものか、悪魔による影響かを厳しく審査して、聖人かどうかを決めている。

現代の日本でも、高塚光が手かざしで多くの病人を癒した例がある。彼は、宗教は立ちあげなかったが、心の中で悪魔と話したことがあるという。また、明治時代の長南年恵も空中から聖水を出現させて、多くの人を癒したという。或いは、イギリスのハリー・エドワーズも戦後に霊的な治療で有名だった。フィリピンやブラジルの心霊治療家もよく知られている。また、中国では「気」の力で治療するものもいる。インドでは、治療力を持ったヨガの行者もいる。

古代には、どこの部族にもそのような霊能者がいて、人々を治療していた。しかし、物質文明が進み、科学が発展し、近代医学の効果が知られると、そのような心霊治療は遅れた迷信だとされている。

しかし、人の祈りが治療に効果があることは、最近のアメリカの医学界でも証明され、「笑い」が免疫力を高めることが日本の医者によって証明されている。宗教的な祈りだけでなく、「笑い」などの心理的な効果も人間の健康に影響を与えることが知られている。

要するに、人間の健康は科学だけでは扱えないことは明らかです。そのような、代替治療的な力とともに、科学的な医学を併用することが正しいと言える。

問題は、高齢に伴う認知症です。イエスが認知症の人間をなおしたという話しは伝わっていないが、イエスなら認知症の人間でも治せると思われる。なぜなら、人間には不可能なことでも、神様には不可能なことはなく、イエス・キリストは神様の子であり、神様の力を与えられているからです。

神様の信者も、「イエス・キリストの名で神様に願えば、思いは叶う」と聖書に書かれており、病人を癒すことができるのです。

強く純粋な信仰心を持ち、神様の教えやイエス・キリストの言葉を信じることで、人間は霊能力を与えられ、超能力を発揮し、イエス・キリストのように病人を癒すことができるのです。

だから、毎日、聖書を読むだけでも、その効果がやがて現れるのです。これを信じることが、霊的なキリスト教なのです。


2026年8月30日日曜日

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった (ヨハネによる福音書 第 1 章) (In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.)

 

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は初めに神と共にあった。
3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネによる福音書 第 1 章)

1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God. 2 He was with God in the beginning. 3 Through him all things were made; without him nothing was made that has been made. 4 In him was life, and that life was the light of all mankind. 5 The light shines in the darkness, and the darkness has not overcome it.
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これが、聖書で有名な「初めに言(ことば)があった」という箇所です。

キリスト教徒でない日本の霊能者の多くも、この言葉から霊感を得ている。特に、この聖書の表現は、神道関係の霊能者は、日本の神道が重んじる「言霊」の重要視と同じものだと考えている。

そのような日本の霊能者は、「あ」「い」「う」「え」「お」の一つ一つの音に霊的な意味を考えている。これは、母音を重んじる日本語には有効な考えであり、子音を重んじるヨーロッパ語の人間とは異なる。また、音の高低を重んじる中国語とも異なる。ヘブライ語では、「神」と言う言葉の母音は文字にせずに、子音だけで「神」という文字をつづり、「エホバ」や「ヤーウェ」などという発音を許している。

言葉を発することは、人類の成立の条件になっており、言葉を発するという行為が人間の霊性のカギとなっている。仏教では意味が分からなくても、お経を音を出して読めば、人間の精神を浄化すると考えており、神道の祝詞も日本語の音で日本人の精神に微妙な霊的な影響を与える。キリスト教でも、グレゴリア聖歌などは、日本人がラテン語が分からなくても、霊的な響きは理解できる。

江戸時代には、「素読」といって、意味が分からなくても儒教の「論語」を呼んで、日本人は幼少から脳の訓練をしていた。言葉は人類の文化の核心なのです。これは、中国から来た漢字を日本式に訓読で読んで、日本の霊性を中国文明から守ったという見方にも通じる。

欧米では、「話し言葉」が文化の中心となっているが、日本人はさらに、複雑な文字文化で文化を高め、「書き言葉」中心の文化を作り、その影響で日本人の文化程度は世界に類を見ない高さを誇っている。だから、日本人は欧米人以外でユダヤ人につぐ知的能力を示し、ノーベル賞の授賞者の数に現れている。世界の文字文化の中でも、日本語を凌ぐものはない。

欧米のキリスト教中心の世界文化の中で、非欧米人で日本人ほど高い文化能力を示した民族はいない。ただし、ユダヤ人は各国に散らばり、民族としてはキリスト教文化の中でも最高の地位を占めている。だから、宇宙人から見れば、人類を代表する宗教はキリスト教だとしても、人類を代表する民族はユダヤ人になる。そして、ユダヤ人が多く活躍するアメリカが、人類を代表する国になる。ただし、人類を代表する霊的な能力は、日本人にあると思われる。日本人ほど、人類全体の宗教を理解できる国民はない。それだけに、日本人には、なおさら宗教的な謙虚さが求められる。世界からどんな人間が日本に来ても、宗教的に受け入れられていると感じて、安心するのが普通です。

実際、今の人類を代表するのは、英語とヘブライ語を話すアメリカのユダヤ人になり、英語とラテン語を文化の基礎として来たヨーロッパ系のアメリカ人をリードしている。日本語は母音重視のヘブライ語と似た点があり、古代ユダヤ人の文化との親近性も認められる。日本の神道系の研究者の中には、古代に日本人とユダヤ人につがりがあったと考える者もいる。日本の古代の「秦氏」などは、古代のイスラエルから流れて来たユダヤの失われた部族の1つに関係するという考えもあり、空海が始めた真言宗も当時の中国の「唐」で流行したキリスト教の一派(ネストリウス派、景教)の影響があるという説もある。また、イエス・キリストの日本への渡来説や、古代ユダヤ人の四国への渡来説など、日本にユダヤ人への親近感もある。

なお、戦後、アメリカのキリスト教精神で書かれた現・日本国憲法は、英語の翻訳調だから日本語にはなじまない、という説があるが、キリスト教自体が日本語に翻訳されても意味が失われない宗教であることから、日本人がさらにキリスト教の理解を深めるまでは、現・憲法の精神を重んじて保持すべきだということになる。(ただし、現・憲法に、日本語らしい修正条項を追加するのは、問題ないと思われる。)

世界史的に見れば、現在の日本を成立させたのは、戦後に造られた現・憲法という「言葉」なのです。ただし、戦争で現・憲法を勝ち取ったのではなく、神様の憐みにより、キリスト教国のアメリカを通して与えられたのが現・憲法であり、天皇家とは関係ない。ここが、日本人の理解が求められる点です。

霊的には、人間の音声は、呼吸という生命活動の基本に根ざしており、まさに人間の生命を生かすものであり、寒冷地の人間が冷気を呼吸して子音重視の発音になるが、温帯の日本やイスラエルでは、熱帯の人類のように開放的な母音の中心の言語になって、より霊的な表現ができるということになる。(子音中心の発音は、より動物的な音になる、という説もある。)

現在では、コンピュータによる合成音がAIの発展と共に使われているが、生命活動のないコンピュータには、霊的な力がないので人間という霊的な存在を凌駕し、霊界の神様につながることはできない、コンピュータという機械は、機械独特の霊はあるが、人間の霊力に追いつくことはない。つまり、AIは究極的には信用できない。(それに、機械は必ず故障する。機械独特の危険性にも注意すべきです。)人間は、できる限り機械文明、物質文明から遠ざかり、霊性を重んじる生き方をすべきです。(縄文時代の精神が、日本人には重要です。)

この世の基本は、神の言葉であり、その意味を解釈するのは、人間の心であり、人間の心が神の言葉を通して世界を動かしていると言ってもよい。

霊的なキリスト教を理解するために、聖書を学ぶ必要が、世界を主導する使命のある日本人には存在するのです。


2026年8月29日土曜日

「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」 (ルカによる福音書 第 7 章) (“I tell you, I have not found such great faith even in Israel.”)


イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。
2 ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。
3 この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。
4 彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。
5 わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。
6 そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。
7 それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。
8 わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。
10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。 (ルカによる福音書 第 7 章)

7 When Jesus had finished saying all this to the people who were listening, he entered Capernaum. 2 There a centurion’s servant, whom his master valued highly, was sick and about to die. 3 The centurion heard of Jesus and sent some elders of the Jews to him, asking him to come and heal his servant. 4 When they came to Jesus, they pleaded earnestly with him, “This man deserves to have you do this, 5 because he loves our nation and has built our synagogue.” 6 So Jesus went with them.

He was not far from the house when the centurion sent friends to say to him: “Lord, don’t trouble yourself, for I do not deserve to have you come under my roof. 7 That is why I did not even consider myself worthy to come to you. But say the word, and my servant will be healed. 8 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”

9 When Jesus heard this, he was amazed at him, and turning to the crowd following him, he said, “I tell you, I have not found such great faith even in Israel.” 10 Then the men who had been sent returned to the house and found the servant well.
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これは、イエス・キリストが、ローマ軍の将校(百卒長)の僕(しもべ)が病気になったときに、その将校が神様への信仰心があることに気が付いて、その僕の病を癒したときの話です。

イエスは、「これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」と述べて、このローマ軍の将校の信仰心をほめ、その信仰心のゆえに、彼の召し使いが癒されたという話しです。

つまり、神様への信仰心はユダヤ人に限らず、人類に共通の問題だということを明らかにされたのです。

Wikipediaによれば。「ローマ人は、紀元前6世紀から ギリシアの影響を受けて、ローマ古来の神々をギリシア神話の神々と同一視する、いわゆる「ギリシア語への翻訳」が行われた。その結果、下記の「主な神々」の欄に記したように、ローマ固有の神に対応するギリシアの神が決まっていったのである。さらに、ギリシア神話の物語を積極的にローマ神話へ取り入れたため、ローマ神話はギリシア神話と密接な関係を持つようになった」と、ローマ人の信仰について述べている。

ユダヤ人とは異なった宗教観を持っていたローマ人であったが、宗教を超えた神様への信仰心を、イエスが重視していたのが分かる。

この世は一つであるように、死後の世界の霊界も1つであり、全ての死者の魂は、死後、霊界に入るというのが、当時のユダヤ人やイエス・キリストの考えであったことが分かる。当然、これは日本人にも当てはまる。日本人が、神道や仏教の神仏を信仰していたとしても、死後の世界は霊界だという考えは同じです。そして、全霊界を支配しているのが、万物の創造主である神様だというのが、ユダヤ・キリスト教であり、この創造主の下に多くの霊が存在し、仏教や神道の神仏もそのような大霊だと考えるのが正しい。キリスト教では、聖霊や天使、聖者や信徒の霊が霊界にいることになる。

仏教の菩薩や阿弥陀、ブッダやヒンズー教の神の上に、全霊界を支配する神様がおられるという考えは仏教徒やヒンズー教徒にとっては、受け入れがたいが、霊界の存在を認めれば、そこを支配する最高神の存在を認めるべきです。

また、八百万(やおろず)の神を認める日本の神道でも、Wikipedia によれば、「造化の始めとなったのは天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神であり、万物の祖はイザナギ・イザナミであると観念されている」と記されている。全ての事物に神と言う超越的な存在の影響を認めるということは、その上の支配者である万物の創造主を認めることになる。そのような神の呼び名は異なっていても、この世と霊界の支配者の神様という考えは受け入れられる。

つまり、民族によって神の呼び名や概念が異なっていても、この世の存在を認めるように、死後の霊界の存在を認めるのが人類の共通意識であり、そのような世界を支配する存在として、万物の創造主を認めるのが自然なのです。

そういう意味で、イエス・キリストは、支配者のローマ人の軍人にも神様への信仰心がって当然と考えられた。そして、神様への信仰心という点では、ユダヤ人もローマ人も同じだと考えられたのです。

実際、死後の霊界から見れば、この世は万物の創造主が霊的エネルギーで、霊界から造られたものだということが分かる。霊界の下の物質界に生きる人類が、分断されて共通の神概念を持てないというのは霊界から見れば未熟だということになる。

また、現代の物質文明は民族にかかわらず受け入れらており、その効果を発揮し、全人類が共通の経済観念で統一されているように、全人類も共通の神概念や宗教意識を持ってもおかしくない。

実際、カネという悪魔を人類は共通して崇めているように、万物の創造主の神様を崇めるのが正しい生き方なのです。しかし、悪魔の影響下の人間界では、人間は悪魔の化身のカネを求め、カネや富を崇拝している。この物質文明は、正しくない。だから、人類はカネや富の崇拝をやめて、本来の自然に表れる万物の粗造主の神様への信仰に立ち返るべきなのです。

民族の違いや、その歴史と文化の中で、それぞれ固有の神概念や宗教が生まれて来たが、今の世界経済がカネで支配され、共通の経済システムで支配されているように、神という概念に対して、全人類は共通の考えを持ち、この世と霊界に対して正しい考えをもつべきなのです。

世界の全ての宗教のうちで、人類を代表する宗教に最も近いのが、歴史が示すように、現在の世界文明の主流のキリスト教なのです。この世と霊界の創造主を神様と認めるのが、自然なのです。そのキリスト教がユダヤ人のユダヤ教から発展し、神様がイエス・キリストというユダヤ人の姿をとって現れたことを信じるのがキリスト教なのです。

人類が、霊界の下の物質界の中の人間界の存在であることを認め、霊界を含めた万物の創造主である神様を学ぶのが現在の日本人の義務になる。この万物の創造主の神様を誰が作られたのか、その上に何があるのか、また、どのように神様が生まれたのは、人間の能力では考えることはできないが、そのようなこの世や霊界を超えた力を謙虚に認めるのが、人間として正しい姿なのです。

その第一歩を、ユダヤ・キリスト教を認めることから始めるべきなのです。

この広大な宇宙には、異なる宗教をもった宇宙人もいるだろうが、彼らも万物の創造主の下にいることは間違いない。地球の人類が正しい宇宙観に基づいて、正しく神様に従っていれば、宇宙人やUFOを恐れることもないのです。神差への信仰は宇宙で共通のものなのです。


2026年8月28日金曜日

「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか」 (ヨブ記 第 38 章) (“Who is this that obscures my plans with words without knowledge?”)


この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた、
2 「無知の言葉をもって、/神の計りごとを暗くするこの者はだれか。
3 あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる、わたしに答えよ。
4 わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。
5 あなたがもし知っているなら、/だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。
6 その土台は何の上に置かれたか。その隅の石はだれがすえたか。」(ヨブ記 第 38 章)

38 Then the Lord spoke to Job out of the storm. He said:
2 “Who is this that obscures my plans
with words without knowledge?
3 Brace yourself like a man;
I will question you,
and you shall answer me.
4 “Where were you when I laid the earth’s foundation?
Tell me, if you understand.
5 Who marked off its dimensions? Surely you know!
Who stretched a measuring line across it?
6 On what were its footings set,
or who laid its cornerstone—
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Wikipedia によれば、「『ヨブ記』は、『旧約聖書』に収められている書物で、ユダヤ教では「諸書」の範疇の三番目に数えられている。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーセであったとされているが、実際の作者は不詳。高等批評に立つ者は、紀元前5世紀から紀元前3世紀ごろにパレスチナで成立した文献と見る・・・『ヨブ記』では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。」

また、この文書では、「サタンは、ヨブの信仰心の動機を怪しみ、ヨブの信仰は利益を期待してのものであって、財産を失えば神を面と向かって呪うだろうと指摘する。サタンの試みは、ヨブの無償の信仰及び無償の愛の世界観の否定である。神はヨブを信頼しており、サタンの指摘を受け入れて財産を奪うことを認め、ただし、命に手を出すことを禁ずる・・・」と記されている。

要するに、悪魔は神様に、ヨブは神様から恵みを与えられているから、神様を拝んでいるにすぎないとして、ヨブの信仰心を試すことを提案し、神様は受け入れたという話しです。

結果は、神様がヨブに姿を見せると、ヨブは正しい信仰心を見せて神様を満足させ、悪魔は退散する。

インドでブッダが現れ、中国で孔子が現れ、ギリシアでソクラテスが現れた頃、ユダヤ人はヨブ記を書いて、神様を信仰すべきことを旧約聖書で主張した。悪魔の存在を明確に意識して書かれているのは注目に値する。

人間の心に悪魔が入れば、人間は神様を疑い、神様への信仰心を捨てる。その証拠に、人間は不幸になれば、神様を呪うということを、悪魔は神様に証明しようとして、ヨブを不幸にするが、最後までヨブは神様への信仰心を捨てず、悪魔は敗北する。

それでも、ヨブ記が書かれた後、何世紀も立って、神様がユダヤ人を救うために、自分の子のイエス・キリストを人間界に送らねばならないほど、ローマ帝国の支配のもとで、ユダタ人はローマ帝国がもたらした物質文明の影響の下で、神様への信仰心を失いそうになり、悪魔の手先になろうとしていた。

このときのイエス・キリストの言動を描いたのが新約聖書です。

人類を代表する民族となったユダヤ人の宗教を旧約聖書で学び、現在の文明の基礎となったキリスト教の新約聖書の福音書を学ぶことが、ブッダやソクラテス、孔子を学び、仏教、ギリシア文明、中国の古典思想、そして、日本神道や日本の霊性を学んだうえで、日本人が学ぶべきことなのです。

そうすれば、日本人も世界の主流のキリスト教を通じて、世界を代表する民族になることができるのです。

今の地球の人類を代表する国民・民族はアメリカ人やユダヤ人ですが、日本人も彼らに肩を並べる力や霊能力があることを世界に示す必要があります。そのために、聖書を学ぶ必要があるのです。

この世の宗教書の中で、神様と人間と悪魔の会話が記載されているという点で、ユニークなのが、このヨブ記なのです。

2026年8月25日火曜日

「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」 (ルカによる福音書 第 17 章) (“Where there is a dead body, there the vultures will gather.”)



27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。
31 その日には、屋上にいる者は、自分の持ち物が家の中にあっても、取りにおりるな。畑にいる者も同じように、あとへもどるな。
32 ロトの妻のことを思い出しなさい。
33 自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つのである。
34 あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
35 ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。
36 〔ふたりの男が畑におれば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう〕」。
37 弟子たちは「主よ、それはどこであるのですか」と尋ねた。するとイエスは言われた、「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。 (ルカによる福音書 第 17 章)

27 People were eating, drinking, marrying and being given in marriage up to the day Noah entered the ark. Then the flood came and destroyed them all.
28 “It was the same in the days of Lot. People were eating and drinking, buying and selling, planting and building. 29 But the day Lot left Sodom, fire and sulfur rained down from heaven and destroyed them all.
30 “It will be just like this on the day the Son of Man is revealed. 31 On that day no one who is on the housetop, with possessions inside, should go down to get them. Likewise, no one in the field should go back for anything. 32 Remember Lot’s wife! 33 Whoever tries to keep their life will lose it, and whoever loses their life will preserve it. 34 I tell you, on that night two people will be in one bed; one will be taken and the other left. 35 Two women will be grinding grain together; one will be taken and the other left.” [36]
37 “Where, Lord?” they asked.
He replied, “Where there is a dead body, there the vultures will gather.”
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これは、「神の国はいつ来るのか」と、パリサイ人がイエス・キリストに訪ねた時のイエスの答えです。

イエスは、それは旧約聖書に書かれたノアやロトの場合と同じであると答え、「人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどして」いたが、そのときに、悲劇は起こる、と答えられたのです。

つまり、神の国が来る前に、悲劇が生じるよいうことです。ノアの場合のように、大洪水が生じ、ロトの場合のように、天から硫黄が降って来て人々に悲劇が生じると警告されたのです。

つまり、繁栄の最中に大悲劇が生じるということです。

2011年に東日本大震災が生じた時も、直前まで日本人は平和と繁栄を楽しんでおり、当時の民主党への政権交代などで政治に夢中になっていた。また、1995年の阪神大震災のときも、日本人は当時の社会党から首相が出たので大騒ぎだった。そして、大震災が起きた。これは、日本の左翼政治家への警告だと思われる。

アメリカでも、リベラルの民主党のオバマ政権が8年間続き、オバマが広島を訪問した後に、共和党のトランプが大統領になった。トランプの政権誕生でアメリカが大騒ぎになっている間に、ロシアはウクライナのクリミアに侵攻し、さらに、再び民主党のバイデンが政権を取った時、ロシアは本格的にウクライナに侵略し、今でもウクライナ戦争が続いている。さらに、共和党がトランプの再選で盛り上がっている間に、イスラエルは米軍と一緒にイランを攻撃し、イランの核開発を阻止しようとし、今もイランとイスラエル・米軍は緊張状態にある。

これらの紛争は、やがて第三次世界大戦に通じると思われる。そして、物質文明の崩壊が生じ、そのとき、イエス・キリストが雲に乗って再臨すると信じられている。イエスは、人類を救い、「神の国」が地上に実現すると、キリスト教の信者の多くが信じている。これが、今のキリスト教の終末論の1つです。

いづれにしても、物質文明の繁栄の最中に人々が「飲み、食い、歌い」などしているとき、人類に悲劇が生じることを、2千年前にイエス・キリストは予言していたことになる。

先の大戦も、日本がドイツやイタリアとの三国同盟の成立で盛り上がっていたときに、日本軍が真珠湾を攻撃し、日米戦争が始まった。

そして、イエスは、「自分の命を救おうとするものは、それを失い、それを失うものは、保つ」と述べて、利己主義な信仰心のない人間は、命を失うと警告している。

さらに、二人の女や男のうち一人は取り去られると述べて、外に出ている者は、忘れモノを家に取りに返るなと述べておられる。事態は、緊迫するということです。イエスの言葉を思い出して、神様に救いを求めよということです。

そして、「死体のある所には、またはげたかが集まる」と述べられて、悲劇が生じたときには、悪魔や悪霊が集まってきて、さらに、死者の霊を地獄に連れて行こうとする。神様に祈って信仰に頼った者だけが救われるのです。

物質文明の崩壊の混乱期に何が起きるかは分からない。かつては、アトランティス文明が、繁栄の最中で亡んだと言われているが、今はその跡形もほとんどない。

現在の物質文明が今世紀中に亡んで、世界は何百年も暗黒の中に置かれ、やがて、霊的な文明が立ち上がって人類は再興すると、心霊研究家で工学博士の故政木和三などは予測していた。彼は、UFOの宇宙人から警告を売けていたという。

イエス・キリストは、当然、宇宙人も監視しており、宇宙人は霊能力で未来が見えるのかも知れない。イエスが宇宙人を使って人類に警告を与えているとも考えらえる。

この世には、今の人間が理解できないことも多い。しかし、イエス・キリストの言葉を信じ、神様への信仰心を持っていれば、たとえこの世の命を失っても、死後の霊界で信者の魂は救われるのです。

これを信じるのが、霊的なキリスト教です。



2026年8月23日日曜日

「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ」 (ルカによる福音書 第 6 章) “Blessed are you who are poor."

 

20 そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
21 あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
22 人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
23 その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
24 しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。
25 あなたがた今満腹している人たちは、わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。
26 人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。 (ルカによる福音書 第 6 章)

20 Looking at his disciples, he said:
“Blessed are you who are poor,
for yours is the kingdom of God.
21 Blessed are you who hunger now,
for you will be satisfied.
Blessed are you who weep now,
for you will laugh.
22 Blessed are you when people hate you,
when they exclude you and insult you
and reject your name as evil,
because of the Son of Man.
23 “Rejoice in that day and leap for joy, because great is your reward in heaven. For that is how their ancestors treated the prophets.
24 “But woe to you who are rich,
for you have already received your comfort.
25 Woe to you who are well fed now,
for you will go hungry.
Woe to you who laugh now,
for you will mourn and weep.
26 Woe to you when everyone speaks well of you,
for that is how their ancestors treated the false prophets.
+++ +++ +++

これは、聖書で有名な「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ」という言葉です。
これを「心の貧しさ」について述べた言葉だという説もあるが、いづれにしても、「貧しい者」に対するなぐさめの言葉です。

物質的に貧しい者は、心も貧しくなるのが普通だからです。彼らは心を豊かにするものを手にれることができず、心も貧しくなる。

全ての宗教で、「貧しさ」を賛美する言葉を明確に示したのはキリスト教の聖書だけだと言ってよい。これは、聖書が物質的な豊かさを危険視していることを示す。物質的な豊かさは、カネによって得られる。従って、これはカネを拒絶せよということになる。

人間は物質的な豊かさを求め、物質的な幸福を求める。そして、精神的な向上や霊的な浄化を軽んじる。また、そのような豊かさを手に入れれば、人間の精神は腐敗し、堕落する。それは、神様を軽んじる心に通じる。

また、「人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは」幸いだと述べ、弟子は悪魔から攻撃を受けるが、そのとき、天使たちから祝福を受け、神様が助けてくれると述べている。

他方、「富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているから」だと述べ、富裕な人々は、天使から助けを得られないことを述べている。重要なのは、心であり、物質的な豊かさは、精神的な幸福を遠ざけるのです。

また、「笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになる」と述べて、幸福な生活をしている人間に警告を与えている。

そして、「人が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ」と述べ、物質的な幸福を求める世の中で、人気者になり、称賛を得ることは、精神的で霊的な称賛を意味しないと述べている。

要するに、悪魔の影響下の世の中では、人々は物質的な豊かさを求め、物質的な幸福を求め、物質的な成功を求めるが、それは精神的で霊的な人間性の充実を阻害し、人間性を堕落させ、腐敗させるものだと述べておられるのです。

人間が、精神的に充実しなければ、真の幸福は得られない、また、神様の教えに従って、愛と真実を得なければ、心から満足することはない。カネの力で問題を解決しても、心の満足は得られない。真の問題の解決は、人間の心を満足させるものでなければならない。

物質への愛は、貧しい隣人への愛を奪い、社会的な幸福は、貧しい隣人を無視する心を生み、利己的な成功は他人を無視する。そのような心は、愛のない社会を作り、最後は人間を不幸にする。

だから、この世の幸福や成功を求めてはならない、という教えに通じる。つまり、この世の価値観は、神様によって否定されるのです。物質的な貧しさが、精神的で霊的な豊かさに通じるのです。

キリスト教は、この世の幸福を与えるものではなく、この世の成功を保証するものではないのです。ただ、精神的で霊的な自由を与え、真実の幸福に近づけるものなのです。だから、本質的にキリスト教会がカネを集める必要はないし、寄付を求めることもないのです。

従って、キリスト教は、本来、「貧者の宗教」であり、物質的な貧しさを賛美するものなのです。だから、この世のエリートや富裕層には受け入れられないものなのです。悪魔の助けで成功することは、人間の幸福には通じない。

それでも、世界中でキリスト教が普及していることは、この原則的な教えが、人々の真の幸福につながるものであることを証明しているのです。


2026年8月22日土曜日

「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである」 (ヨハネによる福音書 第 14 章) (And I will do whatever you ask in my name, so that the Father may be glorified in the Son.)

 

9 イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
11 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。
13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。
14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。(ヨハネによる福音書 第 14 章)

9 Jesus answered: “Don’t you know me, Philip, even after I have been among you such a long time? Anyone who has seen me has seen the Father. How can you say, ‘Show us the Father’? 10 Don’t you believe that I am in the Father, and that the Father is in me? The words I say to you I do not speak on my own authority. Rather, it is the Father, living in me, who is doing his work. 11 Believe me when I say that I am in the Father and the Father is in me; or at least believe on the evidence of the works themselves. 12 Very truly I tell you, whoever believes in me will do the works I have been doing, and they will do even greater things than these, because I am going to the Father. 13 And I will do whatever you ask in my name, so that the Father may be glorified in the Son. 14 You may ask me for anything in my name, and I will do it.
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これは、イエス・キリストの弟子がイエスに、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」と尋ねたときに、イエスがこたえた言葉です。

イエスは、「わたしの父の家には、すまいがたくさんある」と述べて、弟子たちが天国に受け入れられることを保証し、「わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである」と続けて、天の神様にイエス・キリストの名で願えば、願い事が叶うと保証されたのです。

これは、神様へのイエスの強い信仰を現したものです。神様は天国に多くの霊を受け入れることができ、イエスの名によって願うことを叶えることで、神様の力とご威光を表され。自らに栄光を与えられると述べておられる。

神とは何かと、人間は考えるが、天国にいて万能の存在であることを明らかにされている。この神様を信じるのが、キリスト教徒なのです。

つまり、人間の思いとは別に神様は存在するのです、万物の創造主である神様は、作られたものである人間の思いでは、神様の全てを完全に理解することはできない。しかし、人間の霊を神様が住まう天国に受け入れてくれるのです。それは、人間を単に救うためではなく、神様ご自身の万能ぶりを示し、そこに栄光を与えるためです。つまり、神様の栄光を現わすのが、神様ご自身の目的なのです。

人間は、全てが自分のために存在していると考えるが、これは間違いです。全ては。神様の力を見せるために存在している。

何かが存在する前に、既に神様は存在していた。何かが存在するために、神様は存在するのではない。無の世界も神様の力の下にあり、人間には理解できない神様の存在がある。だから、旧約聖書の「出エジプト記」には、「神はモーセに言われた,『わたしは,有って有る者』」だと言われた」と記されている。神の存在が、人間にとっては最高の問題なのです。つまり、神様とは何であるかが人間にとって最高の問題なのです。そして、神様ご自身が、「自ら存在するものだ」と述べられた訳です。

つまり、神様は存在という形態を取らなくても存在する。神様が存在しようと思わなければ、霊界もこの世も、宇宙も物質界も人間界も存在しないのです。人間にとっては、全てが「無」の世界だということになる。そのような「無」の一部になり得る人間には理解のできない世界です。

人間は、死後、魂となり、物質界で生きている存在より、高く深い世界に存在することができるようになるが、それでも。それは存在の世界です。その存在の世界の上に、人間では理解できない霊界以上の不思議な世界がある。そこは、神様が霊的な存在を超えて存在する世界です。「無」の向こうの世界です。存在や「無」を超えた世界なのです。霊界に入った人間の霊でも伺い知れない世界です。

人間は、霊界の天国が最高のものだと考えているが、それ以上の不思議な世界があることになる。神様は、存在するか否かを決めることができ、神様が存在することを選んだので霊界やこの世の全てが生じたことになる。つまり、存在するものは全て、この神様の意志の下に成り立っている。

この神様の存在は、神様の栄光が現れたと言うしかない。この存在の力が霊界から物質界まで貫き、人間もその一部として生きている。主役は神様であり、神様による、神様のための、神様の世界が霊界やこの世なのです。従って、人間界も主役は人間ではなく、神様なのです。ましてや、悪魔が主役ではない。

全ては、神様により、神様の御心のままだということです。しかし、人間は無意味であり、無力だというわけではない。神様は人間に神様と同じ自由意志を与えられ、想念という力を与えられた。この存在という世界の中で、人間は神様のような栄光を求めることができる。これが、神様の人間に対する愛の現れなのです。

人間の宗教を超えた世界があり、人間の哲学が考え及ばない世界があり、有限の人間では理解できない無限をさらに超えた世界があるのです。数学の「数」の世界の上に、「論理や法則」の世界があるようなものです。

人間は、究極的には神様の御心に従うしかないのです。これが、神学だと考えるのが霊的なキリスト教なのです。

神様のことなど考えなくても、人間は生きていくことができる。しかし、自分に命と存在を与えてくれる神様のことを知らなければ、地球が球体であることや、地球が太陽の周囲を回る惑星であり、太陽系は天の川銀河系の中の1つの恒星系であり、天の川銀河も大宇宙に存在する何千億個という銀河系の中の1つであることを知らずに、全くの無知で生きるようなものです。

そして、そのような大宇宙の構成を知ることが、人間に力を与えてくれるのです。神様のことを考えることで、人間は力を得るのです。ただし、神様は人間の内側に限定されている存在ではない。自分が神だと考えるものは、この世でも狂っているのであり、霊界では無以下の存在になる。

だから、せめてイエス・キリストの弟子のように、神様とは何だろうと考える必要があるのです。これは、仏教でも同じですが、キリスト教の方が神様に正確に焦点を当てていると考えるべきです。

どちらにしても、人間は存在する限り、神様のことを研究しなければならない。無や地獄に陥らないためです。

2026年8月21日金曜日

「富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」 (マルコによる福音書 第 10 章) (It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.”)

 

23 それから、イエスは見まわして、弟子たちに言われた、「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」。

24 弟子たちはこの言葉に驚き怪しんだ。イエスは更に言われた、「子たちよ、神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう。
25 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
26 すると彼らはますます驚いて、互に言った、「それでは、だれが救われることができるのだろう」。
27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。 (マルコによる福音書 第 10 章)

23 Jesus looked around and said to his disciples, “How hard it is for the rich to enter the kingdom of God!”
24 The disciples were amazed at his words. But Jesus said again, “Children, how hard it is to enter the kingdom of God! 25 It is easier for a camel to go through the eye of a needle than for someone who is rich to enter the kingdom of God.”
26 The disciples were even more amazed, and said to each other, “Who then can be saved?”
27 Jesus looked at them and said, “With man this is impossible, but not with God; all things are possible with God.”
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これは、貧富についてのイエス・キリストの言葉です。

「財産のある者が神の国にはいるのは、なんとむずかしいことであろう」というのが、イエスの率直な言葉です。宗教者が、貧富についてこれほど明確に述べた例はないと思います。

ただし、ブッダも人々に全ての執着心を捨てよと述べて、富に対する執着を捨てることを勧めておられる。他方、現代にいたるまで、宗教の教祖、宗教団体のトップなどは、豊かな生活をしていると人々に思われている。また、実際に巨額の布施や寄付金を集めて無税で贅沢な生活をしている宗教の教祖や団体のトップは多い。

例えば、政府が天皇神道を強制していた戦前には、天皇は物質的、経済的に何不自由のない生活をしていたし、巨額の資産を持っており、戦後も政府の予算から巨額の経済的援助を受けている。天皇が、個人的には質素な生をしていると言っても、巨額の資金を政府から得られるという前提があり、天皇という日本社会で最高の地位を法的に保証された上で、人々に富を見せつける必要のない環境での質素さてあり、本当の貧しさではない。

むしろ、質素な生活をすることで、一般国民(貧しい者が多い)の尊敬を得ようという意図が見える。質素さや、貧しさの意味が分かっていれば、天皇という地位を捨てて、一般人として生きていくべきです。いづれにしても、事実上、戦前のように、今も天皇は天皇神道の教祖なのです。

日本が80年以上前に、日米戦争や日中戦争を始めたのも、当時は皇帝という主権者の地位にあった天皇が、戦争を禁じなかったからです。法的には、当時の主権者(天皇)の責任です。軍人や政治家、一般人には当時は主権はなかったのです。だから、当時の軍部は天皇を洗脳して軍国主義を受け入れさせ、日米戦争やや日中戦争に突入していったのです。そして、300万人という国民が戦争で命を失い、それ以上のアジアの人々に犠牲を出した。しかも、昭和天皇は占領軍の総司令官のマッカーサー元帥の寛大な処置によって生き永らえ、戦後も国家の象徴と言う日本社会の最高の地位にある。天皇がかつての日本の主権者として、戦争被害にあった国民に謝罪したことは一度もない。天皇は軍部に操られていただけだという考えが一般的になっている。しかし、真実は、戦前は天皇は日本の主権者として権力を行使できる地位にあったのです。人の良い国民につけこんで、今も事実上の最高権力を主有している。天皇がテレビで「某国との戦争もやむなし」と言えば、また戦争が生じる可能性がある。天皇の扱いが戦後の日本の最大の課題だったのに、国民は天皇マジックで沈黙させられている。これが、戦後の日本の最大の課題なのです(だから、本当に霊能力を持った人物を新天皇に選ぶべきだということになる(現在の天皇家は旧天皇家として優遇するとしても))。

マッカーサー元帥との関係でいえば、天皇家は1500年にわたって政治的権力者の武家のトップを、宗教的権威で懐柔して来た歴史があり、新たな日本の権力者となった米軍のマッカーサー元帥に取り入る手練手管は、心得ていたと思われる。「自分は殺されてもよいが、国民は救ってやってくれ」と、天皇は元帥に言ったというが、それが本等の気持ちなら、まず天皇位を退位するのが本当だった。ただの、一人の日本人として戦争責任に向き合うべきであり、元帥にそういう大芝居を打つ必要はなかった。元帥はそれを見抜いていたとしても、天皇の日本人に対する影響力を考慮して天皇を処分することはなかった。

(ただし、元帥は、天皇から皇帝としての権力は、はく奪する新憲法を日本に与えることにした。これが、戦後の民主主義日本の始まりなのです。キリスト教徒のマッカーサー元帥が作った国になったと言える。日本の支配者が、天皇を利用した旧軍部から、天皇を管理するアメリカ軍に変わったのです。キリスト教の光で、日本人の心は照らされ、自由が人々に与えられたのです。)

なお、この天皇の言葉は、当時、まだ天皇家による洗脳から抜け出せない国民は騙せても、キリスト教の教育を受けてきた元帥には、本当は通用しない言葉です。天皇は元帥に金融証券などを差し出して、「これを国民のために使ってくれ」と言ったと言われているが、本当に敗戦して貧困の中に投げ出された国民を救う気持ちがあれば、自ら国民に与えるべきだった。戦争被害者を皇居に招くべきだった。しかし、天皇家は戦後は自らの生き残りに専心していたのです。

天皇家の最大の課題は、「生き残ること」です。過去の1500年間にわたって、日本の政治的権力者をうまく扱って成功して来たので、天皇家には権力者を扱う豊富なノウハウがある。キリスト教徒のアメリカ人のマッカーサー元帥に対しては、皇太子の家庭教師としてアメリカ人の女性を選び、またその結婚相手にキリスト教系の大学出身者の女性を選ぶなどして、皇室がキリスト教を受け入れる姿勢を見せて、元帥を安心させている。

一時は、国民の間にもキリスト教ブームが起きたが、やがて、元帥がアメリカの大統領に解任されると、皇室もアメリカの最高権力者は占領軍の司令官ではないことに気づき、日本を去る元帥を見送りもせず、「生き残り戦略」のターゲットをアメリカの大統領に向けるようになった。この1950年台の影響が今も続いており、天皇家は自分たちの生存を保証するのは、アメリカ大統領との友好関係だと理解するようになった。今でも、アメリカ大統領が、先の戦争における天皇の責任を持ち出せば、たちどころに天皇家の権威は失墜する。

まだ、天皇洗脳から抜けきれない日本人は「天皇が日米戦争で苦労して、戦後の新憲法を導入した」と勘違いしているが、天皇は新憲法の成立とは関係がない。命を失うことを心配していた天皇は、「象徴」という地位を、憲法で保障されれば、安心して新憲法を受け入れる気持ちになったのであり、戦前は神格を持った存在として国民の上に立っていたのに、アメリカによる生存保証が得られると分かった時点で「人間宣言」を行い、ただの日本人の一人であるという、当たり前のことを認め、アメリカ政府を安心させた。これは、「もう二度と宗教的権威で国民をアメリカと戦わせることはしません」というアメリカへのメッセージだった。

戦後は、アメリカのキリスト教精神に裏付けられたアメリカ式の民主主義を基盤とする日本国憲法のもとで、日本は平和と繁栄を謳歌し、現在にいたっている。だから、日本人はアメリカに特別な親近感を今も持っている。ただし、これはアメリカの政治力や軍事力のお陰ではなく、アメリカのキリスト教のお陰なのです。

真摯なキリスト教徒の多いアメリカは、キリスト教の威力によって現在も世界の文明を主導し、政治、経済、軍事、文化の点で人類を代表している。ただし、悪魔はアメリカ社会にも入り込み、アメリカのキリスト教は混乱し、文化は反キリスト的な様相も見せている。それでも、オバマやトランプの人気は、キリスト教と関係がある。今でも、アメリカの大統領は、宣誓式で聖書に手をあてて神様に忠誠を誓って大統領職に就任する(ローマ法王に誓うわけではない)。

天皇家を頂点とする日本のエリートや支配層は、そこまでは、キリスト教の神は受け入れられない。日本国民を管理、支配するには、まだ天皇神道が必要だと分かっており、伝統的な神道の精神がまだ重んじられている。

日本社会では、有名人がさらに評価を高め、安全を得るには天皇礼賛が最も効果がある。だから、著名人には天皇崇拝者が多い。

しかし、現在の日本社会の本当の基盤は、現憲法であり、その憲法はキリスト教精神に基づくものなのです。そういう日本の社会は準キリスト教国だとして欧米で認めらており、G7という世界のリーダーの中に日本も選ばれている。伝統的な日本的霊性と合わせて、キリスト教の威力が発揮されているのが現在の日本なのです。つまり、日本人は、神道や仏教の神仏を否定する必要はなく、キリスト教の理解を深めることが求められている。全ては霊的な世界で統一されるのです。

そのキリスト教は、本当は「物質的な富を否定し、かつ、貧しさから人々を救う」宗教だということを、日本人は、改めて理解する必要があるのです。


2026年8月20日木曜日

このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 (使徒言行録 第 11 章) (The disciples were called Christians first at Antioch.)



 22 このうわさがエルサレムにある教会に伝わってきたので、教会はバルナバをアンテオケにつかわした。

23 彼は、そこに着いて、神のめぐみを見てよろこび、主に対する信仰を揺るがない心で持ちつづけるようにと、みんなの者を励ました。
24 彼は聖霊と信仰とに満ちた立派な人であったからである。こうして主に加わる人々が、大ぜいになった。
25 そこでバルナバはサウロを捜しにタルソへ出かけて行き、
26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。
27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケにくだってきた。
28 その中のひとりであるアガボという者が立って、世界中に大ききんが起るだろうと、御霊によって預言したところ、果してそれがクラウデオ帝の時に起った。
29 そこで弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに援助を送ることに決めた。
30 そして、それをバルナバとサウロとの手に託して、長老たちに送りとどけた。(使徒言行録 第 11 章)

22 News of this reached the church in Jerusalem, and they sent Barnabas to Antioch. 23 When he arrived and saw what the grace of God had done, he was glad and encouraged them all to remain true to the Lord with all their hearts. 24 He was a good man, full of the Holy Spirit and faith, and a great number of people were brought to the Lord.

25 Then Barnabas went to Tarsus to look for Saul, 26 and when he found him, he brought him to Antioch. So for a whole year Barnabas and Saul met with the church and taught great numbers of people. The disciples were called Christians first at Antioch.

27 During this time some prophets came down from Jerusalem to Antioch. 28 One of them, named Agabus, stood up and through the Spirit predicted that a severe famine would spread over the entire Roman world. (This happened during the reign of Claudius.) 29 The disciples, as each one was able, decided to provide help for the brothers and sisters living in Judea. 30 This they did, sending their gift to the elders by Barnabas and Saul.
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これは、イエス・キリストの教えを信じる者が、「クリスチャンと呼ばれるようになった」ときの経緯を述べている。

「聖霊と信仰とに満ちた立派な人」が、「まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた」ので、その効果が現れてクリスチャンと呼ばれるようになったのです。このように、初期教会は、立派な信徒が時間をかけて人々に説教をしたので、信者が増えていったのです。そして、困窮にある信仰の兄弟たちに、「援助を送る」ようになり、隣人愛が発揮されるようになった。

イエス・キリストの十字架上での刑死後、弟子たちが熱心にイエスの教えを説いたことが、キリスト教の出発点となったのです。そして、互いに助け合うことが、キリスト教会の初期から実践されていた。

ただし、この背後には聖霊に満ちた弟子たちの活躍がある。「聖霊と信仰とに満ち」ることが、天からの助けを得る条件になっている。「聖霊と信仰とに満ち」れば、神様が天使を助けとして送って下さる、ということです。人間の努力だけでは、イエス・キリストの教えは広まらなかった。霊的な助けが伝道には必要なのです。

今の日本でも、さまざまな新宗教が活躍しているが、その教祖たちに霊的な力が働いていなければ、人々は信用しない。宗教とは、霊的な力の働きなのです。ただし、悪魔も霊であり、霊的な力を持っている。教祖たちが、神様の霊に従っているのか、悪魔の霊力に従っているのかを、人々は判断しなければならない。

そこで働くのが、人間が生まれつき持っている善悪の判断です。聖書には、「神は全知全能にして、かつ、全善である」とされている。神様は善であり、悪魔は悪なのです。そして、この道徳的な善悪の違いが、人間の死後の行先が天国になるか、地獄になるかを決めるのです。霊界は、お花畑のような世界だけではなく、究極的には善悪の違いが問われる世界なのです。そして、神様の与える善を追求した者は、愛と真理に満ちた天国に入ることが許される。

他方、悪を受け入れた者は、憎しみと虚偽に満ちた地獄に行くことになる。地獄は、死後の霊が自ら愛と真理に満ちた天国を嫌って行くところなのです。それは、神様が与える罰ではなく、霊が自ら進んで行く所なのです。

しかし、地獄には悪魔が人間の霊を支配しようと待っている。悪魔は人間の霊を苦しめることを喜びとしており、地獄に来た霊たちを苦しめる。そのことが、地獄の苦しみの原因となっている。神様が、人間を罰するために作った世界ではなく、悪魔が人間の霊を扱って、苦しみを与える世界であり、それでも、天国の愛と真理に耐えられない人間の霊は、好んで地獄に行くのです。

なお、霊界では、この世の物質界のような物質的な制限はない。想念で成り立つ世界であり、霊が考えたことは、直ちに実現する。空間や時間の制約はない。だから、カネの力でモノを手に入れる必要はない。誰でも、霊になれば、物質的な富は入手できる。しかし、その物質的な効果はない。所有すること自体の満足感はない。誰でも、大金持ちになれれば、物質的な富は力を失う。問題は、モノに対する所有欲ではなく、他の霊を富で支配したいという欲望になる。つまり、他の霊に対する愛のなさが核心になる。権力も同様です。他の霊に対するむきだしの支配欲が核心になる。地獄では、人間の霊は他の霊を霊的な力で支配しようとしあっている。それは、霊同士の格闘です。まさに、愛なき世界の戦いであり、その世界を支配しているのが悪魔なのです。その意味で、地獄にいる人間の霊にとって、悪魔は彼らの神なのです。

それが、物質界のこの世にも反映し、カネという悪魔の小道具を崇拝し、事実上、悪魔を神として崇める拝金主義が横行し、カネの力で権力を握った者は、隣人に冷酷な扱いをする。憎しみを愛する世界になる。だから、この世では隣人に対する冷酷さがほめられる。ホームレスや貧乏人に厳しく当たることで、悪魔に喜んでもらおうとする。そこでは、他人に対する冷酷さが「かっこいい」として称賛される。エリートや富裕層は、貧しい隣人に冷たくすることで、悪魔に喜んでもらおうとする。これは、真実の神様に従うものから見れば狂気の世界です。

人間は、カネを求める欲に従って物質文明を追求してきた。つまり、悪魔への信仰によって物質文明を発展させて来たので、神様の怒りを買っており、イエス・キリストに見捨てられれば、たちどころに、物質文明は崩壊し、人類は死後の霊界で地獄に行くしかなくなる。それを憐れんだのが、聖母マリアだということになる。他方、悪魔は人間が亡びるのを見て喜ぶ、悪魔はいづれ神様に滅ぼされるのが分かっており、できるだけ多くの人間の霊を道連れにしたいと思っている。

悪魔は、カネで人間を幸福にするように見えながら、それは、偽りの幸福であり、最後には人間を霊的に破滅させて、人間を苦しめて喜ぶ。霊界の天使たちも、そのように悪に従った人間の霊は見捨てる。つまり、地獄に行く悪人の霊は、悪魔に支配され、苦しめられ、他方、天国の天使からは見捨てられ、真理や愛の光のない闇の中で消えて行くことになる。そして、最後は悪魔自身も神様に滅ぼされる。彼らの後には、無だけが残る。

他方、天国に受け入れられた善人の霊は、そこで永遠の命を与えられ、永遠の霊的な幸福を享受できる。これが、イエス・キリストを信じる者の信仰なのです。

つまり、善なる神様から永遠の存在の保証を得るのが、本当のキリスト教の信仰なのです。


2026年8月19日水曜日

「しかし、あなたがたはこの世のものではない」 (ヨハネによる福音書 第 15 章) (As it is, you do not belong to the world)

 

18 もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。

19 もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。
20 わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。
21 彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。(ヨハネによる福音書 第 15 章)

18 “If the world hates you, keep in mind that it hated me first. 19 If you belonged to the world, it would love you as its own. As it is, you do not belong to the world, but I have chosen you out of the world. That is why the world hates you. 20 Remember what I told you: ‘A servant is not greater than his master.’ If they persecuted me, they will persecute you also. If they obeyed my teaching, they will obey yours also. 21 They will treat you this way because of my name, for they do not know the one who sent me.
+++ +++ +++

これは、イエス・キリストが、弟子たちに、この世で生きていくための基本的な考え方を教えた言葉です。

「あなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎む」というのは、イエスの弟子たちは、悪魔の影響下のこの世のものではなく、霊界の天国の神様から遣わされた神様の子のイエスによって、霊界の天国の精神を与えられ、もはやこの世の悪魔の影響を受けなくなった存在だということです。

この世の人々は、自分たちとは違った存在だとして。イエスの弟子を判断し、単に違和感を持つだけでなく、敵意を持っているということを教えたのです。

それは、神様を憎む悪魔の精神が反映しているからです。悪魔は、イエス・キリストが神様の子であることを知っており、イエスの名を聞いただけでイエスやその弟子を憎む。また、悪魔に追随する者も、イエス・キリストを遣わされたのが、真実の神様だということも知らず、悪魔を神だと崇めて、イエスやその弟子を迫害する。まさに、神様よりカネ(悪魔)を選んだ連中なのです。

つまり、イエスの弟子たちは、悪魔に従う狼の群れの中に、子羊が入って行くようなものだと教えらえたのです。

或いは、武装したテロリストの中に、一般市民が入って行くようなものだと言われたのです。或いは、凶悪な犯罪者の群れに、無力な市民が入って行くようなものだと、教えられたのです。又は、詐欺師の群れの中に善良な市民が入って行くようなものだ、ということです。

これでは、弟子たちは狼に食い殺される。或いは、凶悪な犯罪者の犠牲者になる。しかし、神様はイエスの弟子たちを見捨てない。悪魔に勝る霊能力をもったイエスや聖母マリア、さまざまな天使を信者におくって守らせることができる。悪魔と比較にならない強力な神様が、イエスの弟子の背後にいることを、悪魔やその手先が気が付けば、彼らは手を出さないだろうが、悪魔やその手先は愚かであり、そのことには気づかずに、自分たちに逆らう者だとしてイエスの弟子たちを攻撃する。

彼らには、もはや理由などいらない。イエスの臭いがするので、攻撃するようなものです。カネという悪魔の化身を敬遠する弟子たちは、全ての行動において、カネを基本として生きる一般人とは。異なった生活態度を取る。悪魔の手先となった人々は、それが気にいらない。自分たちとは、根本的に異なる存在だとして排斥する。もはや、そこには理由などない。聖なる雰囲気や神聖な言葉、清浄な生き方(清貧生活)は、彼らにとって吐き気を催させるものなのです。人間の腐敗や堕落が、彼らには好物なのです。まさに、狂った霊なのです。

人々は、イエスの弟子たちを本能的に攻撃し、当然のように迫害する。その理由が分からなければ、弟子たちは混乱し、恐怖する。だから、前もってイエスは、それに対する心構えを持つようにと言われたのです。

実際、悪魔は愚かで不信人な人々の心に入り込み、イエスやその弟子に反感を持たせ、わけもなく攻撃させた。しかし、弟子の背後の天使たちが悪魔の手先を打ち負かし、カネよりも神様の力の方が強く、悪魔の悪巧み(わるだくみ)は、弟子たちに通用しないことを示したので、人々は徐々にイエス・キリストやその弟子たちの言葉を受け入れるようになった。こうして、イエス・キリストの教えが人々に受け入れられていった。

しかし、悪魔はついに、権力者やユダヤ教の指導者を使ってイエスを殺害させる。悪魔の力は、神様よりも強いことを人々に示そうとし、また、失敗してもイエスの教えが広まるのを妨害しようとした。しかし、結論は、今の人々が知っているように、イエス・キリストは、死から復活し、イエスの教えは2千年後の今日まで伝わっている。

それでも、悪魔はこの世の最後まで神様に逆らうつもりであり、今でも、キリスト教会の中に入り込み、聖職者や信徒をカネや権力の力で堕落させ、腐敗させ、或いは、狂わせている。さらに、ニセ・キリストまで送り込んでくる。惑わされる者は、跡を絶たない。

しかし、宗教以前に純粋な霊性を持っていた日本人は、欧米人よりも霊的な理解が早い。日本人は、欧米人のように堕落することなく、イエス・キリストの教えを伝えることができると思われる。今後、世界で日本人の霊性が活躍するのが期待される。そのためには、世界の主流となったユダヤ・キリスト教を日本人が学び、歴史の流れを理解することです。

2026年8月18日火曜日

「サタンよ、引きさがれ」 (マルコによる福音書 第 8 章) (“Get behind me, Satan!”)

 

33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。(マルコによる福音書 第 8 章)

33 But when Jesus turned and looked at his disciples, he rebuked Peter. “Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
34 Then he called the crowd to him along with his disciples and said: “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 35 For whoever wants to save their life will lose it, but whoever loses their life for me and for the gospel will save it. 36 What good is it for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? 37 Or what can anyone give in exchange for their soul? 38 If anyone is ashamed of me and my words in this adulterous and sinful generation, the Son of Man will be ashamed of them when he comes in his Father’s glory with the holy angels.”
+++ +++ +++

これは、イエス・キリストが、「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ」たときに、それを諫め、注意したペテロをイエスが叱って、与えた言葉です。

後に、初代のローマ教皇とされるようになったペテロを、イエスは「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と厳しく叱責された。一番弟子と言われたペテロに、イエスが「サタンよ、引きさがれ」と叱責するのは、ただ事ではない。イエスが、自分の死について話されたときに、悪魔は、まさにペテロの心に入ってイエスをけん制する言葉を発させた。悪魔は、イエスが弟子のユダの裏切りによって死ぬことを弟子には秘密にしておいて、それが生じたときに、弟子たちが大きなショックを受け、イエス・キリストから離れて、イエスを見捨てるようにさせたいと思っていた。

イエス・キリストは、そこで、弟子たちの信仰心をさらに強める必要があると感じて、このような教えを述べられたのです。

「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」という言葉が、「自分の十字架を負う」というキリスト教を代表する有名な表現になったのです。如何に人間は罪深いものであるかを、イエス・キリストは強調されたのです。

また、イエスは死後に、この世に再来することを予言され、「わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」と述べて、このイエス・キリストの再臨のときに、イエス・キリストを素直に受け入れなかった者は、イエスが天使たちと示す救いの力からもれてしまうと述べられたのです。

このイエス・キリストの再臨のときが、いつになるのかはイエス自身にも分からないが、神様が計画しておられると信じるのがキリスト教徒だということになる。

いづれにしても、悪魔との戦いは熾烈であり、悪魔に隙を見せないように、神様はイエスをこの世に再び出現させる日時については、秘密にしておられる。この2千年間、キリスト教徒は、イエス・キリストの再来を待ち望んだのだが、まだ実現していないと言われる。その日には、世界中がイエスの再臨を認めると言われているが、世の中はますます物質主義や拝金主義がはびこり、イエス・キリストの教えはないがしろにされている。イエス・キリストの最初の出現以来、2千年たった今日、もうイエス・キリストが再臨してもおかしくないと考える信者もいる。

実際、18世紀の有名な科学者のニュートンは、聖書の研究を通して、世の終わり、つまり、イエス・キリストの再臨の時は、2060年以降になると結論付けている。ニュートンと同時代の神秘家、スウェーデンボルグは、18世紀に霊界で最後の審判が行われ、その影響がこの世では2~3世紀に遅れて現れると述べている。いづれにしても、21世紀の近い将来に人類に決定的な出来事が生じ、イエス・キリストの霊が、又は、本当に人間の姿をとったイエス・キリストが人間界に出現するかも知れない。

ただし、そのときには、かつてペテロの心の中に悪魔が入り込んだように、悪魔が多くの信者や一般人を惑わすと思われる。例えば、1995年のオウム真理教事件もその一環かも知れない。また、AIにより物質文明(貨幣経済)が加速し、むしろ、物質文明の危機をもたらしたり、非キリスト教国の中国や非カトリックのロシア、イスラム教のイラン、個人崇拝という偶像崇拝を推し進める北朝鮮などが世界の安全を脅かしている。他方、アメリカ人がローマ教皇になったり、日本で伝統的な霊性を重んじる女性首相が出現するのは、悪魔への抵抗の姿勢を示すものだと思われる。日本人も、トランプ大統領の心に悪魔が入らないように祈らなければならない。また、日本人の霊性を高めるために、日本と言う国も変えなければならない。

いづれしても、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救う」というイエス・キリストの言葉は、人類に命懸けで悪魔(その化身はカネ)と戦うように述べておられる。

まさに、今こそ、「カネ(悪魔の化身)を憎んで神様を愛せ」というイエス・キリストの言葉に従うべきときなのです。


2026年8月16日日曜日

神は「光あれ」と言われた。すると光があった (創世記 第 1 章) (And God said, “Let there be light,” and there was light.)


はじめに神は天と地とを創造された。
2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。
6 神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。
7 そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。
8 神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。(創世記 第 1 章)

1 In the beginning God created the heavens and the earth. 2 Now the earth was formless and empty, darkness was over the surface of the deep, and the Spirit of God was hovering over the waters.
3 And God said, “Let there be light,” and there was light. 4 God saw that the light was good, and he separated the light from the darkness. 5 God called the light “day,” and the darkness he called “night.” And there was evening, and there was morning—the first day.
6 And God said, “Let there be a vault between the waters to separate water from water.” 7 So God made the vault and separated the water under the vault from the water above it. And it was so. 8 God called the vault “sky.” And there was evening, and there was morning—the second day.
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Wikipediaによれば、「『創世記』(英語: genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典とされ、キリスト教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書かつ、正典の一つとして扱われている。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている」とされている。

この「はじめに神は天と地とを創造された」と言う言葉は、旧約聖書の最初の言葉として、よく知られている。人類が、この世の存在について目が開いたとき、最初に見たのが天であり、その下の地であったことを証明している。

人間の赤ん坊も生まれて気が付くと、上のものと下のものがあるのに気が付く。上下の感覚は人間が最初に感じるものである。霊的には、上の霊界から下の物質界に生まれてきたという感覚を表している。或いは。精神的な心の世界から、肉体に象徴される物質の世界に生まれたことを意識する。

それを、天と地として認識し、神様がこの世(物質界)とあの世(霊界)を作ったと認識するのが、人間の世界認識の始まりであることを意味している。

そこには、自然の法則しかない。善も悪もない。しかし、そこに人間と言う生物が生まれると、万物の創造主の神様と人間という被造物(作られた者)の間の関係が生じる。人間が神様に従っていれば、なにも問題はない。人間は天と地を認めて、この世に生きるだけです。霊界で神様に仕える天使のように、物質界で人間は神様に仕えればよい。

ところが、霊界の天使の中には、神様のような大きな力を持ちたいと願う者がでてきて、神様に逆らうようになる。これが、神様の善に対抗して悪をなすようになる。神様が完全な霊界と完全な物質界を造られると、作られたものは、破壊という現象を受け入れねばならなくなり、その破壊の力を手に入れた一部の天使は、神様に逆らって神様の作られた完全な霊界と物質界を破壊しようという行為に出る。これが、悪の始まりであり、悪魔の出現です。

神様が作られた世界は完全であるが故仁、その完全性の中に不完全性も含まれねば、「本当の完全性」は実現しないので、神様はそのような反動的な要素の存在も許された。つまり、全善の神様の許容によって悪の存在が許され、悪魔が天使の中から生まれたことになる。

神様が、天も地も作らず、霊界も物質界も作らなければ、天使の存在も必要ではなく、人間の存在も必要でなかったことになる。従って、悪魔も存在しなかったことになる。天も地もない空間に時間も必要としない神様が存在するだけだったが、神様は、霊界と物質界を造ることを選ばれので、天使や人間が生まれることになった。ただし、それに付随して悪魔が生まれることになった。

つまり、人間の出現以前に、悪魔の存在が許されていたことになり、悪魔は神様の霊界や物質界を創造する能力に付随したものでああり、その能力の反動して生まれたものであり、それを許容してでも、神様は天使や人間を作ることを選ばれたわけです。悪が存在する可能性というリスクを冒してまで、神様は天使や人間を作りたかったことになる。それは、神様が天使や人間を愛されたからだということになる。それが、天と地の光だということになる。この世の光は太陽から来ているが、霊界の光は神様の世界(天国や神界)から来ている。

善の世界(光の世界)を作れば、反動で悪の要素(闇)も生まれるということを神様は承知されて、悪魔を含む霊界と人間界を造られたのです。しかし、神様がその気になれば、いつでも悪魔や悪魔が作り出す地獄は存在しなくなる。これが、悪魔が最も恐れる世界の消滅です。悪(闇)は善(光)が生じるから存在できるのです。

しかし、神様は、天と地を作られて、そこに人間が生きることを愛されたので、まだ、この世、物質界は亡びないし、物質界の源である霊界に住む天使たちも愛しておられるので、霊界もなくなることはない、ただし、そのために悪や悪魔の存在も認めなければならなくなった。

これは、全ての整数を作ることを選ばれた神様が、整数の中に、「1」とその数でしか割り切れない「素数」の存在を許されたようなものです。素数は、整数列のどこに現れるかは予測できない。しかし、素数を取り除けば、整数列は成り立たない。

神様は、無数の数と無限大を作られ、無数の数の中には素数も含まれ(しかも、無数に)、なお、無数の数を抑える概念として無限大という概念を作られた。無数の整数という地と、無限大という天を神様は作られたのです。

この世(物質界)とあの世(霊界)の成り立ちについて、神様が全てを創造されたというのが、人類に共通の認識であり、さまざまな神話の共通点です。人間や悪魔が世界を作ったという神話はない。また、訳が分からないが、勝手にできたという神話は、成り立たない。存在は、でたらめには成り立たない(闇から存在は生じない)。或いは、力が無ければ成り立たない。全知全能かつ全善の神様が愛(光)から作られたと信じるのが、神様への信仰の第一歩なのです。

2026年8月13日木曜日

「わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」 (マルコによる福音書 第 1 章) ("I baptize you with water, but he will baptize you with the Holy Spirit.")


神の子イエス・キリストの福音のはじめ。
2 預言者イザヤの書に、「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの道を整えさせるであろう。3 荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、
4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。
5 そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
6 このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
7 彼は宣べ伝えて言った、「わたしよりも力のあるかたが、あとからおいでになる。わたしはかがんで、そのくつのひもを解く値うちもない。
8 わたしは水でバプテスマを授けたが、このかたは、聖霊によってバプテスマをお授けになるであろう」。
9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出てきて、ヨルダン川で、ヨハネからバプテスマをお受けになった。 (マルコによる福音書 第 1 章)

1 The beginning of the good news about Jesus the Messiah, the Son of God, 2 as it is written in Isaiah the prophet:
“I will send my messenger ahead of you,
who will prepare your way”—
3 “a voice of one calling in the wilderness,
‘Prepare the way for the Lord,
make straight paths for him.’”
4 And so John the Baptist appeared in the wilderness, preaching a baptism of repentance for the forgiveness of sins. 
5 The whole Judean countryside and all the people of Jerusalem went out to him. Confessing their sins, they were baptized by him in the Jordan River. 
6 John wore clothing made of camel’s hair, with a leather belt around his waist, and he ate locusts and wild honey. 
7 And this was his message: “After me comes the one more powerful than I, the straps of whose sandals I am not worthy to stoop down and untie. 
8 I baptize you with water, but he will baptize you with the Holy Spirit.”
9 At that time Jesus came from Nazareth in Galilee and was baptized by John in the Jordan.
+++ +++ +++
これが、新約聖書のマルコによる福音書の冒頭部分です。

Wikipediaによれば、「マルコによる福音書は、新約聖書の正典福音書の2番目の書物・・・2世紀半ば以降、伝統的に新約聖書の巻頭を飾る『マタイによる福音書』の次におさめられ、以下『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。ただし、本福音書を4番目とする例がある。執筆年代は、伝承によるとペトロの殉教の年といわれる65年から『ルカ福音書』の成立時期である80年ごろの間であると考えられる。本福音書は、『マタイによる福音書』、『ルカによる福音書』と共に「共観福音書」とよばれ、四つの福音書の中でもっとも短い。マルコ福音書、マルコ伝、あるいは単に「マルコ」とも呼ばれる。高等批評の立場からは正典福音書のうち最も古くに書かれたものであるとされている」とされている。

この冒頭の「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた」というように、イエス・キリストではなく、イエスの従兄とされる、バプテスマのヨハネの活動が書かれている。

Wikipediaによれば、「バプテスマのヨハネ」とは、「『ルカによる福音書』1章36節では、ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚だったという。同福音書においては、天使ガブリエルによってその誕生を予言されている」とされており、イエス・キリストの先駆けとなった宗教活動をしていたことになる。

ヨハネもイエスも、エッセネ派と呼ばれるユダヤ教の一派と関係があったとされている。AIによれば、「エッセネ派は、紀元前2世紀〜紀元1世紀ごろに存在したユダヤ教の禁欲的な一派です。主に死海近くの荒野で共同生活を営みました」とされている。第二次大戦後に発見された「死海文書」で、エッセネ派の活動はよく知られるようになった。

Wikipediaでは、「新約聖書には、ファリサイ派とサドカイ派はあらわれるが、それらとならんで当時の主要なグループであったエッセネ派が一切登場しないため、洗礼者ヨハネやイエス・キリストが、エッセネ派に属していた、あるいは関係グループに属していたという説もある」とされている。

このエッセネ派に属するクムラン教団の文書が死海文書とされており、オプス・デイ(キリスト教のローマ・カトリック教会の組織のひとつ、属人区である)では、「また、クムランで見つかったユダヤ教の文書が新約聖書に何らかの影響を与えたという形跡も見出されません。現在、専門家たちはクムランの教義とキリスト教の誕生には、なんら関係はなかったという見解で意見が一致しています。死海のほとりに存在したあのグループは少数派であり、社会から隔絶した生活を送っていました。それに対し、イエスや初期のキリスト教徒は、当時のユダヤ社会に浸かって生活し彼らと対話をしていました。しかしながら、クムラン文書によって、キリスト教が誕生した非常に多様なユダヤ社会において、当時は普通に使われていたものの、今日では理解することが困難な用語や表現の意味が明らかになったという点では、役にも立っているのです」とされている。

いずれにしても、20世紀の第二次大戦後に2千年前のイエスの時代のユダヤ教の状況が明らかになったのには、神様の意図を感じないわけにはいかない。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。2千年間、世界はこの状況を知らなかった。死海文書が明らかにした事実は重い。

イエス・キリストは、ユダヤ教の伝統の中から、禁欲的なグループのエッセネ派に近い存在として現れたのです。しかも、イエスだけでなく、従兄のヨハネまでが、共に宗教活動をしていた。これが、イエス・キリストの背景であり、歴史的な事実です。

しかし、霊的にはもっと深い所からイエス・キリストは現れたと考えられる。

神様が作られた人間が、アダムとイブの時代から霊的に堕落し、物質文明の中でカネを求めるようになり、悪魔に魂を売ってカネを求めるような生活をするまでに腐敗したので、それを本来の霊的な生活に戻そうとして、神様がイエス・キリストを人間界に送られたと考えるべきです。

つまり、イエス・キリストの使命は悪魔(カネ)と戦って人間を救うことなのです。

キリスト教を理解するには、この世の人間界が悪魔の影響にあることを認め、悪魔は最後は人間を破滅させようとしていることを理解する必要がある。どんなに悪魔の力に頼って、エリートや富裕層になっても、死後は悪魔の手下にされ、地獄に引きずりこまれる。

2千年前に、既に貨幣が使用されていたローマ時代のパレスチナにも、現代と同じようにカネ(悪魔の化身)が威力を持っており、多くの人間はカネに洗脳されて、カネで欲望を満たそうとしていた。まさに、悪魔の影響下にある世の中になっていたのです。2千年前も世界は拝金主義になていたのです。

その風潮を正そうとして、ローマ帝国の植民地であったユダヤ人のパレスチナに出現したのがイエス・キリストなのです。

当時も現代もカネによる支配が世の中で行われているのが共通しており、それが悪魔の影響であり、それに対して霊的な文明を打ち立て、人間の心を神様に向けさせるのが洗礼者ヨハネやイエス・キリストの活動であり、現在でもその状況は変わっていないのです。だから、2千年前の聖書は現代人でも理解できるのです。

だから、世界経済の中でこの悪魔の影響下にある日本人も聖書を読み、イエス・キリストの言葉を守る必要があるのです。

人間は、悪魔(カネ)と戦う必要があるのです。

2026年8月12日水曜日

「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」 (マタイによる福音書 第 17 章) (“This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”)

 

六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。
3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。
4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。
5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。
6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。
7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。
8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。
9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。 (マタイによる福音書 第 17 章)

17 After six days Jesus took with him Peter, James and John the brother of James, and led them up a high mountain by themselves. 2 There he was transfigured before them. His face shone like the sun, and his clothes became as white as the light. 3 Just then there appeared before them Moses and Elijah, talking with Jesus.
4 Peter said to Jesus, “Lord, it is good for us to be here. If you wish, I will put up three shelters—one for you, one for Moses and one for Elijah.”
5 While he was still speaking, a bright cloud covered them, and a voice from the cloud said, “This is my Son, whom I love; with him I am well pleased. Listen to him!”
6 When the disciples heard this, they fell facedown to the ground, terrified. 7 But Jesus came and touched them. “Get up,” he said. “Don’t be afraid.” 8 When they looked up, they saw no one except Jesus.
9 As they were coming down the mountain, Jesus instructed them, “Don’t tell anyone what you have seen, until the Son of Man has been raised from the dead.”
+++ +++ +++

これは。「山上の変容(山上の変貌)」と呼ばれる出来事であり、AIでは、「イエスが高い山の上で栄光の姿に変わり、神の子として現された出来事を指します。イエスの本来の栄光が一時的に現れた場面と理解されます」とされている。

イエス・キリストが、霊的な能力のあった「ペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」とされているように、彼らの霊的エネルギーを借りて、自らが霊となって、モーセやエリアという旧約聖書に出てくる過去の聖人の霊と話し合ったという情景です。

これは、霊的に理解しなければ説明のつかない情景です。イエスは、その霊能力で霊界の神様や天使たちとコミュニケーションできていたのですが、緊急にモーセやエリアの霊と話し合う必要ができたので、このように「主イエスの変容」とも称される形で彼らの霊と話し合ったのだと思われる。

Wikipediaによれば、「教会では、この世的な意味でのキリストの勝利(イスラエルの解放)を願う弟子達に対し、自らの受難を予言し続けたキリストが、これから受ける苦難に際して信仰し続ける希望を与えるためにこの奇蹟を行ったと伝えられる」とされている。

おそらく、この時に、イエス・キリストは、ユダの裏切りについて知らされたのだろう。そして、このまま行けば、イエスが権力者に逮捕され、死刑を宣告されることを霊から知らせれたと思われる。

そして、「たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」と。神様の声がして弟子たちにイエス・キリストに従うように告げたということは、この出来事は神様とのコミニュケーションでもあったことを告げている。ユダのもたらす悲劇を信仰のために受け入れることにしたイエス・キリストの信仰心を、神様が認められたということです。

いつ、イエスが、ユダの裏切りと、ご自分の死がそれによって生じることに気が付かれたのかは、聖書には明確には記されていないが、この「主イエスの山上での変容」のときだったと思われる。

イエスの肉体が、霊との会話のために、霊体に変容したことを、聖書はこのように記したと思われる。福音書の中でも唯一、霊界とイエス・キリストの直接的な関りを記した箇所になっている。

霊的存在でもあるイエス・キリストは、人間の姿を取って人間界で生きて、人間として死んでも、霊界でその魂は生き続けるが、人間界で行なおうとしていたことは中断される。それが、悪魔の狙いであり、神差の計画に対する挑戦なのです。そのことに、イエス・キリストは苦しめられるが、ご自分の死を恐れたわけではない。

ただし、悪魔のそのような計画を霊から知らされたイエスは、これ以降は、明確な覚悟をもって、十字架の運命に向かって歩くことになる。

最初からイエス・キリストは、弟子の裏切りで逮捕され、十字架上で刑死するとは覚悟されてはいなかたった。イエス・キリストの伝道の成功を確信した悪魔が、非常手段に訴えて来たので、神様はモーゼやエリアの霊を使ってイエスに悪魔の計画を知らせたが、イエスはご自分の気持ちに変わりはないとの気持ちを表明されたので、神様はそれに満足されたという経緯です。

霊的な世界の出来事を、この世で表されて、聖書に残るようにされたということの意味は大きい。イエス・キリストの霊的な力を認めよという教えです。


2026年8月11日火曜日

この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった (ヨハネによる福音書 第 13 章) (As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.)

 

21 イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、おごそかに言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ろうとしている」。

22 弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。
23 弟子たちのひとりで、イエスの愛しておられた者が、み胸に近く席についていた。
24 そこで、シモン・ペテロは彼に合図をして言った、「だれのことをおっしゃったのか、知らせてくれ」。
25 その弟子はそのままイエスの胸によりかかって、「主よ、だれのことですか」と尋ねると、
26 イエスは答えられた、「わたしが一きれの食物をひたして与える者が、それである」。そして、一きれの食物をひたしてとり上げ、シモンの子イスカリオテのユダにお与えになった。
27 この一きれの食物を受けるやいなや、サタンがユダにはいった。そこでイエスは彼に言われた、「しようとしていることを、今すぐするがよい」。
28 席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。
29 ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、「祭のために必要なものを買え」と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた。
30 ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。(ヨハネによる福音書 第 13 章)

21 After he had said this, Jesus was troubled in spirit and testified, “Very truly I tell you, one of you is going to betray me.”
22 His disciples stared at one another, at a loss to know which of them he meant. 23 One of them, the disciple whom Jesus loved, was reclining next to him. 24 Simon Peter motioned to this disciple and said, “Ask him which one he means.”
25 Leaning back against Jesus, he asked him, “Lord, who is it?”
26 Jesus answered, “It is the one to whom I will give this piece of bread when I have dipped it in the dish.” Then, dipping the piece of bread, he gave it to Judas, the son of Simon Iscariot. 27 As soon as Judas took the bread, Satan entered into him.
So Jesus told him, “What you are about to do, do quickly.” 28 But no one at the meal understood why Jesus said this to him. 29 Since Judas had charge of the money, some thought Jesus was telling him to buy what was needed for the festival, or to give something to the poor. 30 As soon as Judas had taken the bread, he went out. And it was night.
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これは、イエス・キリストの弟子の一人であるユダが、イエスへの裏切りを決行するときの情景です。

ただし、「サタンがユダにはいった」と書かれている。本当の黒幕はユダではなく、悪魔であるということが示唆されている。事実、イエスが逮捕された後に、ユダは良心に責められ自殺している。ユダが心からイエスを憎んで裏切っていれば、イエスの逮捕に大喜びしていたはずです。しかし、ユダは正気に戻り、イエスを裏切ったことを後悔し、自殺したのです。ユダは悪魔に操られていたと考えられる。

巧妙な悪魔は、表に出ないで人を使って悪を行わせるのです。罪を犯す者が、真犯人とは限らない。その背後で犯罪を画策し、実行者の心を操っているものがいる。

イエスは、「人をつまずかせる者の責任は、つまずいて罪を行った者よりも重い」と述べておられる。物事は表面だけを見て判断してはいけない。目に見えない力が働いているものです。

しかし、心の中に悪魔に入り込まれる隙を作った者にも責任はある。しかし、イエス・キリストは「人を裁いてはならない」と述べておられる。本当の責任者は誰にも分からないし。実行者にもそれなりも責任はある。そのような背後関係が分からないまま、実行者だけを裁けば、より大きな悪が放置されることになる。要するに、人には人を裁く能力もないし、その結果に責任も取れないということです。

イエス・キリストは、ユダの裏切りは抑止できないことを悟ったので、ユダに裏切らせたと考えるしかない。悪魔が、ユダにイエスを裏切らなければならないような罠を仕掛けたことは間違いない。銀貨30枚を裏切りの報酬として得る必要があったのだろう。それは、聖書では謎になっている。

神の子のイエス・キリストが、弟子の裏切りに気づかないなどと言うことはあり得ない。イエスは、ユダが裏切らなければならない状況にいることを知って、悪魔の罠に落ちることを承知していたと思われる。しかし、悪魔に勝つ自信があったので、ユダに裏切りをさせたのだろう。

悪魔も、イエス・キリストには勝てないことを知りながら。ユダに裏切りをさせた。ただし、どのようにしてイエスが勝利するかは分からなかった。悪魔も驚いたであろうが、イエス・キリストは無実の罪で十字架上で殺されたあとに、蘇って信者たちの信仰心を深めたのです。

つまり。イエス・キリストは、悪魔よりもはるかに上手だったのです。それが、この2千年間の人類の歴史で表されている。

いずれにしても、このユダの裏切りは、信者に悪魔の狡猾さと、危険を教えることになり、それ以上に、イエス・キリストの力を示すできごとだったのです。

これが、福音書のハイライトの、ユダの裏切りの意味なのです。つまり、悪魔は、弟子にイエス・キリストを裏切らせるような力や悪知恵を持っているのです。だから、常に気をつけていなさい、とイエス・キリストは述べておられる。

2026年8月10日月曜日

「天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」 (ルカによる福音書 第 11 章) (How much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”)

 

11 あなたがたのうちで、父であるものは、その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与えるだろうか。
12 卵を求めるのに、さそりを与えるだろうか。
13 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか」。(ルカによる福音書 第 11 章)

11 “Which of you fathers, if your son asks for a fish, will give him a snake instead? 12 Or if he asks for an egg, will give him a scorpion? 13 If you then, though you are evil, know how to give good gifts to your children, how much more will your Father in heaven give the Holy Spirit to those who ask him!”
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父親は、子供に「その子が魚を求めるのに、魚の代りにへびを与える」ことはない、と父親の自然な愛情を譬えにして、イエス・キリストは、同じように天の父親である神様は、子である人間たちにも自然な愛情を持っていると述べておられる。

神様は、父が子を愛するように、子である人間を愛しておられる。この信頼関係が、キリスト教の基礎なのです。

だから、子である人間は、子が父を愛するように神様を信頼してよいと述べておられるのです。

つまり、人間は願い事があれば、神様に祈ってもよい、という意味です。そのとき、イエス・キリストの名で神様に願えば、願い事は必ずかなうと信ぜよというのが、イエスの教えなのです。

問題は、神様に願ったことが叶っているのに、そのことに人間が気が付かないという場合が多いことです。あることのためにカネが必要なので、神様にカネを求めたとしても、神様がカネではなく、他の方法でその問題を解決してくれるかもしれない。しかし、カネを得られなかった信者は願い事が叶わなかったと考えるかもしれない。しかし、カネ以外の手段で問題は解決している場合があるのです。

また、旅行をするのに、時間通りに空港に着けるように神様に祈ったとしても、なぜか時間に間に合わなかった場合、神様が願いをかなえてくれなかったと考えるかもしれない。しかし、乗る予定の飛行機が事故を起こして多くの乗客が亡くなった場合、自分は神様に助けられているのに、それには気が行かない場合もある。

つまり、神様は、卵を求める子供に蛇を与えないどころか、卵以上に安全でおいしいものを与えて下さっているのに、それに気づかず感謝しない子供のようなものである信者がいるということを述べておられるのです。

日本でも、年末年始に神仏に祈る人間は多いが、その直接的な願いには神仏はこたえずに、別の思いがけない形で願いにこたえてくれることがある。典型的なのは、幸せになるために、カネを神仏に求めた場合です。神仏は人間を幸福にしてはくれるが、カネは与えないという場合がある。目的を達成するのに、より愛のある形で達成させてくれる場合がある。又は、その目的よりも、もっと愛のある目的を実現させて頂く場合がある。問題は、人間の願い事だけでなく、その願う意図や目的、それを実現する手段の内容や、その影響、効果、副作用だということです。

自分の夢を叶えるために、社会に悪影響を及ぼすことを願っても、それは実現しない。別の形で夢を叶えて下さるのが神様なのです。あるいは、そのような夢が、愛と信仰から離れている場合、善の神様は、その願いを受け付けない場合がある。人間が愛と信仰心を取り戻すまでは、その願いや祈りにこたえらない場がある。

つまり、神様は人間の欲望にこたえるのではなく、欲望を捨てた願いを待っておられる、そして、人間が欲望を捨てたとき、その願いは神様によって叶えられるということです。これは、心霊研究家でもあった、工学博士で発明家であった故政木和三の主張と同じです。欲望を捨てた願いとは、人間的な願いではなく、神聖な願いだということです。つまり、聖霊が扱うような願いだということです。

いずれにしても、イエス・キリストは、とにかく神様に祈れば、それが神聖で自然な願いであれば、神様はきいて下さると述べておられる。また、強く願うだけの神聖で自然な理由があれば、神様は必ずこたえて下さると述べておられるのです。

これが、霊的なキリスト教の信仰なのです。

2026年8月9日日曜日

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い (コリントの信徒への手紙一 第 1 章) (For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.)



18 十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
19 すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。
20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)

18 For the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God. 19 For it is written:

“I will destroy the wisdom of the wise;
the intelligence of the intelligent I will frustrate.”[c]

20 Where is the wise person? Where is the teacher of the law? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world? 21 For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe. 22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.
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Wikipediaによれば、「『コリントの信徒への手紙一』は、『新約聖書』に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である」とされている。

また、「ともすれば聖人の集まりのようにみなされ、美化されがちな初代教会であっても現実にはさまざまな問題や困難があり、パウロのようなエネルギッシュな人物であっても常に悩みや苦しみがあったことを如実に伝える書簡である」とされている。

この書簡の、「聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある」という部分は重要です。特に、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」という言葉は神様への信仰を伝える名言です。

人間がその知恵や力で他人を抑えても、「愚かに見えても信者の知恵は人間の知恵に勝り」、「弱く見えても信者の力は、人間の強さに勝る」というのが信仰の言葉なのです。

だから、小さく、弱く、愚かに見える人間には、注意が必要です。その人間に本当の信仰心があれば、大きく、強く、賢い人間であることが、明らかにされるのです。他人を侮り、外見で判断してバカにし、攻撃し、笑いものにしても、その人が信仰者ならその人に負けて、大恥をかくのは、強さや、富や、知恵を誇った側です。

ブッダもホームレスの伝道者として、人々に教えを伝えたが、ブッダを貧乏人、愚か者、弱者だとして攻撃した者は、皆、死後、地獄に落ちた。

ましてや、神様の息子のイエス・キリストを信じて、自分の力や知恵を捨て、神様から与えられた真実の力や知恵を身に着けた者は、この世のどんな強者や知恵者、権力者、成功者にも勝る力を与えられているのです。

武術でも、初級者には名人や達人の業が理解できずに、笑いものにするものもいるが、対戦すれば、一撃で名人や達人に倒される。倒されても、まだ、腕の違いが分からずに、ポカンとしている。自分が、笑いものになっていることにも気づかないのが、初級者なのです。

しかし、悪魔はこのような愚か者の初級者を使って何度も信仰者を攻撃させる。モノの違いが分からない思い上がった人間は、何度でも信仰者を攻撃する。死後、霊界に入って信仰者との違いが示されるまで、弱者や愚者をいじめ、攻撃を繰り返す。だから、信仰者は、そのような悪魔に使われる本当の弱者、愚者のあきれた攻撃を覚悟しなければならない。悪魔が、背後で操っているのです。つまり、本当の敵は、目の前の愚かな人間ではなく。背後の悪魔なのです。力の差が歴然としているのに、何度も何度も真の強者に刃向かう愚かな者を使って、悪魔は信仰活動を妨害するのです。この悪魔は滑稽に見えるが、そのバカバカしさに呆れて信仰者が隙を見せれば、そこに悪魔はつけこむ。

信者は、神様が与えられた知恵と力を信じ、また、神は、その召し使いを朽ち果てることは認めずに救う、という聖書の言葉を信じて悪魔の誘惑には負けないことです。

神様を信じる人間は、人の力や知恵を超えた世界にいるのです。その違いが分かることが、人間の修業なのです。

初級者には、名人や達人は理解できない。一般人には、真の神様の信仰者は理解できない。しかし、時間がたてば、真実は誰の眼にも明らかにされる。

現在、ブッダを単なるホームレスだと思う人おはいないし、イエス・キリストをインチキ宗教家だと思う者もいない。


2026年8月8日土曜日

彼らは食べて満腹した (マルコによる福音書 第 8 章) (The people ate and were satisfied)

 

そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、
2 「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。
3 もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。
4 弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。
5 イエスが弟子たちに、「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります」と答えた。
6 そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。
7 また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。
8 彼らは食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。
9 人々の数はおよそ四千人であった。それからイエスは彼らを解散させ、
10 すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタの地方へ行かれた。 (マルコによる福音書 第 8 章)

8 During those days another large crowd gathered. Since they had nothing to eat, Jesus called his disciples to him and said, 2 “I have compassion for these people; they have already been with me three days and have nothing to eat. 3 If I send them home hungry, they will collapse on the way, because some of them have come a long distance.”
4 His disciples answered, “But where in this remote place can anyone get enough bread to feed them?”
5 “How many loaves do you have?” Jesus asked.
“Seven,” they replied.
6 He told the crowd to sit down on the ground. When he had taken the seven loaves and given thanks, he broke them and gave them to his disciples to distribute to the people, and they did so. 7 They had a few small fish as well; he gave thanks for them also and told the disciples to distribute them. 8 The people ate and were satisfied. Afterward the disciples picked up seven basketfuls of broken pieces that were left over.
9 About four thousand were present. After he had sent them away, 10 he got into the boat with his disciples and went to the region of Dalmanutha.
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これは、イエス・キリストが、集まった4千人の群衆にパンと魚を食べさせたときの情景です。7つのパンと少しの魚を、イエスがいつの間にか増大させ、多くの群衆が食べて満腹したという話しです。これも、イエスの起こした奇跡として、よく知られている。

今では物品の引き寄せとして、イエスが霊的にパンや魚をどこかから引き寄せたという解釈もなされている。或いは、人々が隠し持っていたパンや魚を出したという解釈もある。それをイエスが、群衆に自発的に差し出させたという考えです。水上を歩いたり、病人を癒し、死人を蘇らせたり、飢えた群衆を食べさせたりというイエス・キリストが行った多くの奇跡の中でも、スケールの大きな奇跡の1つです。まさに、「人間には不可能であっても、神にはできないことはない」というイエスの言葉通りです。

つまり、イエス・キリストの一行は、人々から食べ物を与えてもらわなくても、イエスの超能力で食べ物を得ることができたのです。しかし、イエスに助けてもらった人は、イエスを食事に誘い共に食事をするということを選んだのです。イエス・キリストの一行は飢えることはなかったのです。

だから、イエスがイスラエルの王になれば、ユダヤ人は誰も飢えることはなかった。イエスは、ユダヤ人の全てを食べさせることができたのです。しかし、イエスは人々にまず神様への信仰をもつことを教えたのです。神様への正しい信仰があれば、食べ物など生活に必要なものは全て神様によって与えられるというのが、イエスの教えなのです。

しかし、人々は信仰心によって救われるのではなく、カネの力で救われることを選び、その状況が2千年間続いている。これが、人類の歴史なのです。

アダムとイヴの時代以前には、人々は神様への強い信仰心を持っており、食べ物に困ることはなかったというのが、18世紀の神秘家のスウェーデンボルグの説明です。しかし、人々は信仰を失い、神様の力に頼るのではなく、自分の力や物質文明の力に頼り、カネの力で問題を解決するようになり、人間の霊的能力も失われていったとされている。

実際に、食べ物を無から取り出すことができれば、誰もあくせく働く必要はない。ブッダは、人々の間を乞食をして回り、食物を得ていたというが、ブッダよりイエス・キリストの方が大きな超能力を持っていたことになる。ブッダは、真理を人々に説いて、その礼として食物を得ていたのだが、イエスは真理を教えると共に、食物まで人々に与えることができたのです。

これは、神様への信仰心がもつ力の大きさを人々に教える例です。今の世の中でも、問題は全カネで解決できるとの考えが広まっているが、信仰者は問題はカネではなく、神様への信仰心で解決しようとして生きている。実際に、この2千年間、イエスの教えに従って生きてきた信者がイエスの教えを伝えることができたから、今もキリスト教が存在しているのです。

この2千年間に、キリスト教国が食糧不足で亡んだという例はない。特に、キリスト教国のヨーロッパからアメリカ大陸に移住した人々は、農業大綱のアメリカで食料に不足することはなかった。アメリカは、まさに天国のような豊かな国になったのです。

しかし、悪魔はアメリカにも入り込み、アメリカの文化、政治、経済はカネの力によって翻弄されている。そのアメリカが主導する世界自体も、問題にあふれている。アメリカ人が、カネの力ではなく、信仰の力に頼って文明を発展させるべきだったのです。ローマのヴァチカンも物質主義に溺れる世界に信仰の威力を見せるところまでは行っていない。だから、2度もヨーロッパで世界大戦が生じたのです。

従って、日本人がその霊性を伸ばして、イエス・キリストの教えに従って、カネより信仰の力で問題を解決できることを世界に示すべきなのです。


2026年8月7日金曜日

舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった (使徒言行録 第 2 章) (They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. )


2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。
3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。
4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。
5 さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、
6 この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。
7 そして驚き怪しんで言った、「見よ、いま話しているこの人たちは、皆ガリラヤ人ではないか。
8 それだのに、わたしたちがそれぞれ、生れ故郷の国語を彼らから聞かされるとは、いったい、どうしたことか。」(使徒言行録 第 2 章)

2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting. 3 They saw what seemed to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4 All of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues[ as the Spirit enabled them.
5 Now there were staying in Jerusalem God-fearing Jews from every nation under heaven. 6 When they heard this sound, a crowd came together in bewilderment, because each one heard their own language being spoken. 7 Utterly amazed, they asked: “Aren’t all these who are speaking Galileans? 8 Then how is it that each of us hears them in our native language?
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これは、イエス・キリストの十字架上での刑死後、信者がエルサレムのある部屋に集まっていると、聖霊が人々に下った時の情景です。この有名な状況は、絵画にも描かれて有名になっている。「舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった」時の情景が描かれているのです、

この世でのイエスの死という、霊的にも大きな出来事が、霊界にも大きな影響を与えて、この世に炎のような霊が各信者に現れたのです。このような霊的な奇跡を信じることが、キリスト教徒なのです。

そもそも、物質界であるこの世の大宇宙は神様が霊的エネルギーを使って、その言葉を用いて作られたものなのです。つまり、霊界から物質界が生まれ、人間界も生まれたのです。まぜなら、神様はその霊を人間に吹き込まれたからです。人間の心や精神、その魂は物質から生まれたものではなく、霊界の神様が与えられたものだからです。

また、物質界の全ての物質は、霊的エネルギーで出来ている。だから、物質を研究するこの世の科学が、どこまで発展しても物質の本質は解明できないのです。最先端の量子力学の理論でも、今までの科学の理論では説明がつかない現象が確認されているし、人間の脳の中に人間の意識を生み出す器官や組織、細胞は見つかっていないし、心を生み出すメカニズムも分かっていない。

つまり、科学者はその「心」を用いて「心」を研究しながら、「心」の物質的な源が発見できないので、「心」は存在しないと言っているようなものなのです。或いは、「言葉」を研究しながら、「言葉」の源を科学的に発見できないので、「言葉」は存在しないと結論づけたようなものです。つまり、狂っているのです。この物質文明の最先端の科学者が狂っているのなら、文明自体が狂っていることになる。

従って、霊の存在を認め、霊的な力を認めなければ、この大宇宙や物質界、そして、人間の心の働きが生み出す人間界も理解できないのです。

そして、物質界と霊界は生と死のように隔離されているのではなく、交じりあった部分もある。それを認めるのが宗教であり、心霊主義やスピリチュアリズムなのです。実際に、仮死状態になって、又は、、医学的に死亡した後で生き返って、臨死体験をする人もいる。

また、生きながら霊によって死の世界である霊界を体験した18世紀の神秘家のスウェーデン人のスエーデンボルグという人物もいる。彼は、イギリスの科学者のニュートンと同世代の人間であり、多くの著作を残している。霊界が存在するのを認めるのは、多くの宗教の基本となっている。そして、世界中の民族が霊の存在を認めている。つまり、人類の心には「神様」を認める遺伝子があるとも言える。

ただし、霊界には悪魔がいて、神様に逆らっている。神様が愛する人間の心の中に入り込んで、神様の存在を否定させたり、神様を認めながら、その教えに反抗させたりして、悪魔はどこまでも神様に敵対する。このような悪魔の影響を受けた人間が作った物質文明は、いずれ停滞し、腐敗し、狂って亡びる。それが、イエス・キリストの死後、2千年たった21世紀だと考えられる。つまり、現在、物質文明は滅亡に向かっている。

ニュートンも聖書を研究して、人類の滅亡は2060年頃に始まると書いている。スウェーデンボルグは、人類への最後の審判が21世紀頃に始まるとと述べている。

現代の霊感を持った霊能者も、世の終末が近いことを述べている。

なお、悪魔は人間が物質文明を発展させるのは助けているが、最後には文明を破壊して人々を不幸のどん底に落とそうとしている。悪魔に取り付かれて狂った科学者たちは、科学を発展させながら、この世に地獄をもたらせようとしている。

しかし、イエス・キリストの死後に、火のような聖霊が信者に下ったように、神様は危機に瀕した人々に、聖霊を下して救われることを信じるのが、イエス・キリストの信者なのです。

心を生み出した霊の力を信じることです。霊は、全知全能にして全善なる神様が霊界で生み出したものなのです。そして、霊界や物質界の全ては、神様が霊から作ったものであることを信じることです。


2026年8月6日木曜日

主はわたしが呼ばわる時におききくださる (詩篇 第 4 章) (the Lord hears when I call to him)

 

3 しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
4 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。[セラ
5 義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
6 多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇 第 4 章)

3 Know that the Lord has set apart his faithful servant for himself;
the Lord hears when I call to him.
4 Tremble and[d] do not sin;
when you are on your beds,
search your hearts and be silent.
5 Offer the sacrifices of the righteous
and trust in the Lord.
6 Many, Lord, are asking, “Who will bring us prosperity?”
Let the light of your face shine on us.
7 Fill my heart with joy
when their grain and new wine abound.
8 In peace I will lie down and sleep,
for you alone, Lord,
make me dwell in safety.
+++ +++ +
「詩篇」とは、Wikipediaによれば、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。 英語では p を発音せずに「サーム」と発音する・・・主類型として「賛歌」「民の嘆きの歌」「個人の嘆きの歌」「個人の感謝の歌」に分類した。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ」とされている。

神様に対して、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように」と願うのは、人類に共通の願いです。旧約聖書の時代から、この人間の心は変わらない。日本では、まだ縄文文化の時代に、ユダヤ人は神様に向かって、この祈りを捧げていた。

人間社会は、自然からさまざまな脅威を受けるだけでなく、人間同士の争いや、諍いがあり、他人の裏切り、攻撃、傷つけ合いがある。安心して生きることはできない。感情的になって他人を攻撃する者も跡を絶たない。人間の不幸の多くは、このような隣人愛のない状況から生じる。そして、憎む相手に残酷な仕打ちを行う。これが、何千年、何万年も続いたのが、人類の歴史なのです。

しかし、人類社会は、道徳を生み出し、宗教を生み出し、神と言う概念を発見し、互いに助け合って生きることを学んだ。これは、個体としての自分自身の生存だけを考えて生きる他の生物との大きな違いです。個人は弱いが、集団で戦えば大きな力を発揮することを人間は学んだのです。家族。一族、集団で生き残ることを人間は学んできた。その核となる概念として、人間を超えた力をもった神様を、人間は想定し、霊的な考えから、神様の霊に従うことを学んだのです。

個人の神様、家族や一族の神様、社会の神様、そして、民族の神様を考えるようになり、世界のどの民族でも、民族の神様を崇めるようになった。その共通の神様の正確は自然を超え、人間界の運命を支配させる圧倒的な力をもった存在です。神様という概念は、人類に共通だが、自分たちの民族を守る神様を崇めるようになり、他の民族とは互いの神様の名の下に戦うようになった。

しかし、人類全体の神様と言う考えが、やがて、人々の間に芽生え、その神様の下では、全人類が平等だという考えが生まれた。このような世界宗教の神様と言う考えが普及し、人類や全ての生物、全ての物を作られた神様という考えが生じるようになり、ユダヤ人の民族の神様が、万物の創造主の神様だという概念が生まれるようになった。そして、長い歴の中で、ユダヤ教の神様が、キリスト教の神様、イスラム教の神様になり、現代につながる文明を打ち立てることになった。今の文明は、4千年の歴史を持つユダヤ民族の神様の下で発展して来たものなのです。

そのユダヤ人の神様に対する気持ちが現れているのが、旧約聖書であり、特にこの「詩篇」では、神様に対するユダヤ人の気持ちがよく現れている。自分たちを「安らかにおらせてくださるのは」神様であるというのが、ユダヤ人の神様に対する信仰心であり。これは、人類に共通の気持ちなのです。

だから、ユダヤ教を受け継いだキリスト教でも、そのような神様に対する気持ちは受け継がれている。その伝統の上に、イエス・キリストの教えがあるのです。だから、今の世界文明を享受する人類は、ユダヤ・キリスト教の神様を事実上、受け入れているのです。

日本人も自然神、神道や仏教を受け入れてきたが、そのような神仏が今の文明の基盤になったわけではない。西欧の文明を受け入れることで、日本人も世界宗教を受け入れ、文明の恩恵を受けることになった。しかし、ユダヤ・キリスト教にも悪魔が入り込み、今の物質文明は、邪道に入ろうとしている。これは、2千年前にイエス・キリストが警告を発していたことが証明されたことになる。

人類が、神様に従って、善なる文明を発展させてきたのなら、今の世界には何の問題も生じずに、全人類は平和に繁栄できたはずだが、文明に悪魔が入り込み、人間を堕落、腐敗させ、狂気へと導ている。この状況は、2千年前のイエス・キリストの時代から変わらない。いや、その前の旧約聖書の時代から変わっていない。

霊的には、人間の霊は時代と共に変化してきたが、神様と人間と悪魔との関係は不変なのです。

だから、今の日本人も聖書を読んで、今の世界文明の基盤を学び、永遠の神様と人間と悪魔の関係を学ぶ必要があるのです。、

イエス・キリストは、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」(マタイによる福音書 6:30~31)」と述べておられる。

全知全能にして、全善なる神様を信じることです。

2026年8月5日水曜日

世と世にあるものとを、愛してはいけない (ヨハネの手紙一 第 2 章) (Do not love the world or anything in the world.)


14 子供たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが父を知ったからである。父たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが、初めからいますかたを知ったからである。若者たちよ。あなたがたに書きおくったのは、あなたがたが強い者であり、神の言があなたがたに宿り、そして、あなたがたが悪しき者にうち勝ったからである。
15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
18 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
19 彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
20 しかし、あなたがたは聖なる者に油を注がれているので、あなたがたすべてが、そのことを知っている。
21 わたしが書きおくったのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、また、すべての偽りは真理から出るものでないことを、知っているからである。
22 偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。(ヨハネの手紙一 第 2 章)

14 I write to you, dear children,
because you know the Father.
I write to you, fathers,
because you know him who is from the beginning.
I write to you, young men,
because you are strong,
and the word of God lives in you,
and you have overcome the evil one.

15 Do not love the world or anything in the world. If anyone loves the world, love for the Father[d] is not in them. 16 For everything in the world—the lust of the flesh, the lust of the eyes, and the pride of life—comes not from the Father but from the world. 17 The world and its desires pass away, but whoever does the will of God lives forever.
18 Dear children, this is the last hour; and as you have heard that the antichrist is coming, even now many antichrists have come. This is how we know it is the last hour. 19 They went out from us, but they did not really belong to us. For if they had belonged to us, they would have remained with us; but their going showed that none of them belonged to us.
20 But you have an anointing from the Holy One, and all of you know the truth.[e] 21 I do not write to you because you do not know the truth, but because you do know it and because no lie comes from the truth. 22 Who is the liar? It is whoever denies that Jesus is the Christ. Such a person is the antichrist—denying the Father and the Son.
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Wikipediaによれば、「『ヨハネの手紙一』(ヨハネのてがみいち)は、新約聖書中の一書で、公同書簡とよばれる書簡群の一つである。伝承では老齢にさしかかった福音記者ヨハネ(使徒ヨハネ)がエフェソスで書いたものだとされてきた。・・・著者が気にかけているのは自分が携わっている共同体に影響を及ぼす異端的な思想を持つ教師たちのことである。このような人々、かつて共同体のメンバーだったにもかかわらず正当な教えから逸脱した教師たちは「反キリスト」(2:18-19)とみなされている」とされている。

ここでは、「反キリスト」(antichrist)という言葉が使われている。「反キリスト」とは、「イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者」だとされている。

人々から支持されて有名になったイエス・キリストは否定できないが、その父(神様)と子としてのイエス・キリストの関係を否定する者は「反キリスト」なのです。イエスと神様の霊的な関係を認めない者は、その心に悪魔が入り込んでいるのです。

イエス・キリストを信じるということは、イエス・キリストと神様の関係を認めるということでもあるのです。しかし、神様に敵対する悪魔は、イエス・キリストと神様の関係を認めたくはない。できるだけ神様という考えには触れないでおこうとする。事実としてのイエス・キリストの存在は認めても、神様の存在を認められないのが悪魔であり、悪魔が心に入り込んだ人間なのです。

狡猾な悪魔はイエスを認め崇めながら、その神性を密かに傷つけ、否定する、教会の中に入り込み、キリスト教の教えを口先で唱えまがら、その心は遠くイエス・キリストを離れている。或いは、自分はイエスを信じる者だとして、敬虔な信徒を演じながら、イエスの教えに反したことを実行している。悪魔は、どこまでも狡猾で、悪質で、図太く、悪を恥じないのです。

この世の物質文明は、悪魔の教えに従って作られたものであり、「世と世にあるものとを、愛してはいけない」とは、そのような悪魔(カネ)の力で生み出された物質文明を信じてはいけない、ということを意味している。悪魔はカネに姿を変えて、人々にカネを求めさせ、拝金主義にさせる。人々は、欲望を実現させてくれるのは、真の神様ではなくカネだということを知り、真の神様を無視し、カネ(悪魔)を神だとして崇めている。これを、拝金主義という。

真の神様やイエス・キリストの信者は、物質文明を信じることなく、信仰に基づいた霊的な精神文明を求めなければならない。信じられるのは、カネやモノではなく、精神であり霊の働きなのです。

また、「世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る」と述べて、「反キリスト」の出現が、文明の終焉であるとして、「反キリスト」の出現に警戒するように述べている。しかし、「神の御旨を行う者は、永遠にながらえる」と述べて、神様を信じる者の魂は永遠に生きることを強調している。これが、キリスト教の本質なのです。

21世紀まで、世界は存在してきたが、現在でも「反キリスト」は現れ続けている。過去に、現れた「反キリスト」は、信者の祈りによって抑えられ、世界は救われてきたが、いよいよ悪魔は人類文明を亡ぼそうとしている。

イエス・キリストや聖母マリアや天使たちを敬う振りをしながら、また、悪魔と敵対するふりをしながら、「反キリスト」は、悪魔の教えを広めているのです。物質的な欲望を刺激し、金銭欲を喚起し、この世的な成功や幸福を追求さえ、人を羨ましがらせ、カネを求めさせるものは、悪魔の手先なのです。だから、世の中の成功や幸福を求めるのではなく、霊界で(死後)の永遠の幸福を求めよというのが、霊的なキリスト教の教えなのです。

あくまで、自ら清貧生活をし、聖書の言葉に従って謙虚に生きる聖者のみ信用できるのです。

2026年8月4日火曜日

「自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」 (マタイによる福音書 第 24 章) (For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many.)

 

4 そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。
5 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
6 また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。
7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
8 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
9 そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
10 そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
11 また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
12 また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
14 そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである。(マタイによる福音書 第 24 章)

4 Jesus answered: “Watch out that no one deceives you. 5 For many will come in my name, claiming, ‘I am the Messiah,’ and will deceive many. 6 You will hear of wars and rumors of wars, but see to it that you are not alarmed. Such things must happen, but the end is still to come. 7 Nation will rise against nation, and kingdom against kingdom. There will be famines and earthquakes in various places. 8 All these are the beginning of birth pains.
9 “Then you will be handed over to be persecuted and put to death, and you will be hated by all nations because of me. 10 At that time many will turn away from the faith and will betray and hate each other, 11 and many false prophets will appear and deceive many people. 12 Because of the increase of wickedness, the love of most will grow cold, 13 but the one who stands firm to the end will be saved. 14 And this gospel of the kingdom will be preached in the whole world as a testimony to all nations, and then the end will come.
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これは、この世の終わり(文明の滅亡)について、イエス・キリストが予言した有名な言葉です。

「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わす」と警告されておられる。実際に、新宗教と呼ばれる宗教では、イエスも預言者の一人だと言って、キリスト教を認めるような教義を持つ者もいる。インチキ宗教でも、イエス・キリストの存在は無視できない。イエスの霊能力は無視できないのです。

また、仏教や神道系の偉人や教祖を取り入れるものも多い。特に、スピリチュアル系の新興宗教は、霊的な存在を何でも受けいtれる傾向にある。さらに、UFOに乗った宇宙人から善悪は人間が作った幻想だと教えられたというものもいる。また、素直に大宇宙の創造者の神様を認めずに、宇宙の偉大な存在だと呼ぶものもいる。

しかし、この宇宙が存在するのは、誰かが宇宙を作ったからだと考えるべきです。それが、単に科学の法則で自然に生じたと考えるか、人格を持った神様が作ったと考えるしかない。そこで、神様の存在を信じるのが信仰者なのです。

神様と言う原因がなければ、宇宙は生まれなかったと考えるのが自然です。科学の法則によるのなら、宇宙に人間が生まれる理由はない。神様がご自分の人格に合せて人間を作られたと考えるのが自然なのです。宇宙と言う物質世界に、精神生活を持った人間が生まれてくるということ自体が、精神を持った神様の存在を示唆しているのです。

聖書には、「この世は神様が7日かけて作った」という記述もある。これは、神様が霊のエネルギーを利用して、神様の言葉、聖言の威力で物質と生命を作ったことを意味し、さらに、人間には神様の霊を吹き込んだと書かれている。つまり、この世の物質界も精神界も神様が作られたと信じるのが信仰者なのです。

しかい、霊的存在は、神様や天使、善霊だけではない。悪魔や悪霊も霊的存在であり、神様に反感を持ち、逆らう悪魔などは、人間の魂を神様から引き離し、仲間にしようとする。人間の魂を巡って天使と悪魔が戦っている。ただし、神様が悪魔に負けるわけはない。神様が負けるようなことがあれば、全ては崩壊する。悪魔自体も消滅する。霊的にも物質的にも全て存在するものは、神様の威力で存在するからです。しかし、狂った悪魔は自分の存在を許している神様をも攻撃する。悪魔は最後は滅ぼされるとしても、できるだけ、多くの人間の魂を道連れにしようと、地獄に引きずり込もうとしている。そのために、悪魔は人間を誘惑し、罪を犯させ、悪魔の教えで洗脳し、悪魔を神だと思わせる。実際に、悪魔の化身のカネを崇拝する人間も多い。拝金主義が横行するほど、悪魔の影響が世の中で見られる。そのような悪魔から人間を救おうとするのが、イエス・キリストや聖母マリアや天使、善霊なのです。

しかし、悪魔が人間界に入り込み、人間の作る文明には悪魔の影響が現れている。悪罵は人間を幸福にしようなどとは考えていないので、悪魔の力(カネ)を利用して作られた人間の物質文明は必ず崩壊する。それが、聖書の述べる「世の終わり」なのです。

しかし、わざわざ宇宙を作り、人間を作られた神様が、人間を亡ぼそうとはされていない。そこで、人間を救うために神様の一人子のイエス・キリストを人間界に遣わされたというのが、キリスト教の考えです。

まさに、文明が行き詰まり、人類が亡びそうになった時のために、イエス・キリストが現れたのです。2千年前に、やがて人類の物質文明が危機に瀕することを見越してイエス・キリストは、2千年前のパレスチナにユダヤ人の間に出現されたのです。

これが、今日、人類がイエス・キリストの教えに立ち返るべき理由なのです。

21世紀の今日、異常気象や戦争などで世界は危機に瀕している。そして、狡猾で陰険、図太く、残酷な悪魔は人間界で跋扈している。だから、日本人も聖書を読み、清貧生活をして、イエス・キリストの教えを実践すべきなのです。


2026年8月3日月曜日

あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい (テモテへの手紙二 第 3 章) (But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of)

 
12 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。
13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
14 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、
15 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。
16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。 (テモテへの手紙二 第 3 章)

12 In fact, everyone who wants to live a godly life in Christ Jesus will be persecuted, 13 while evildoers and impostors will go from bad to worse, deceiving and being deceived. 14 But as for you, continue in what you have learned and have become convinced of, because you know those from whom you learned it, 15 and how from infancy you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith in Christ Jesus. 16 All Scripture is God-breathed and is useful for teaching, rebuking, correcting and training in righteousness, 17 so that the servant of God[a] may be thoroughly equipped for every good work.
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Wikipedia によれば、「『テモテへの手紙二』は、新約聖書中の一書で、牧会書簡と呼ばれるものの一つ。伝統的に使徒パウロの手によるものとされてきた。しかし教会のシステムがパウロの時代より進歩しすぎている点や、使っている神学用語や文体の言い回しから使徒パウロが書いたものではないとされ、偽書(疑似パウロ書)と考古学的にはされている」とされている。

また、「自らが「世を去る時が近づきました」(4:6)と考えているパウロは「愛する子テモテ」(1:2)に対して熱意と不動の信仰によって誤った教えに立ち向かうよう求めている」とされている。

しかし、「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」ものであるとして、強い信仰の言葉が記されている。また、「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける」として、信者の厳しい運命についても述べている。著者がパウロであるか否かに拘らず、イエス・キリストへの純粋で強い信仰を現したものである。

そして、「自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい」と信仰者の生きる姿勢について、アドバイスをしている。

だから、聖書は聖霊によって書かれたものだとして、神聖な書物だととして扱う必要がある。また、神様やイエス・キリストを信じる者は、悪魔の影響を受けた世の中では迫害されると注意している。それでも、信者は学んだ事から動かされることなく、その信仰心にとどまれと励ましている。

悪魔との戦いで多くの苦しみ受け、信仰にゆらぎや疑問を持つことがあっても、神様やイエス・キリストを信じて、決して悪魔の誘惑や詐欺的行為に惑わされてはいけない、というのが信者への勧告なのです。

つまり、信仰とは明白な真理に従うものであり、疑いようのない事実に基づくものなのです。しかし、悪魔はそのような信者を攻撃する。悪魔の手先となった人間を使って信者を攻撃する。攻撃された信者は、なぜ自分が攻撃されるのか理解できない。自分は何も悪いことをしていないのに、なぜ攻撃されるのかと悩むことになる。神様を信じること自体が、悪魔の敵となること意味し、悪魔に従う人間から攻撃されるのです。

逆に、人からわけもなく苦しめられることが、神様に従う者であることを証明する。悪魔の手先は、神様を信じる心を見せる信者を攻撃して、悪魔から褒められたいと思って、本能的に嫌い、攻撃するのです。

そして、悪魔は、そのような神様を信じる心を破壊しようとして、さまざまな手練手管を使い、信者の心をゆさぶる。しかし、信仰の心から動かなければ、信者は悪魔から守られる。神様を信じる者を見ると、本能的に攻撃するのが、悪魔とその手先なのです。理由などなくても、相手は攻撃してくる。その理由が分からなければ、信者は悩むが、それでも、自分の信仰を信じろというのが、この書物の主張なのです。

そして、聖書には神様の霊が現れている、と考えることで、信者は救われるのです。


2026年8月2日日曜日

「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」 (マルコによる福音書 第 7 章) (“First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.”)


17 イエスが群衆を離れて家にはいられると、弟子たちはこの・について尋ねた。
18 すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
19 それは人の心の中にはいるのではなく、腹の中にはいり、そして、外に出て行くだけである」。イエスはこのように、どんな食物でもきよいものとされた。
20 さらに言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。
21 すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
22 姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。
23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。
24 さて、イエスは、そこを立ち去って、ツロの地方に行かれた。そして、だれにも知れないように、家の中にはいられたが、隠れていることができなかった。
25 そして、けがれた霊につかれた幼い娘をもつ女が、イエスのことをすぐ聞きつけてきて、その足もとにひれ伏した。
26 この女はギリシヤ人で、スロ・フェニキヤの生れであった。そして、娘から悪霊を追い出してくださいとお願いした。
27 イエスは女に言われた、「まず子供たちに十分食べさすべきである。子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
28 すると女は答えて言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」。
29 そこでイエスは言われた、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」。
30 そこで、女が家に帰ってみると、その子は床の上に寝ており、悪霊は出てしまっていた。(マルコによる福音書 第 7 章)

17 After he had left the crowd and entered the house, his disciples asked him about this parable. 18 “Are you so dull?” he asked. “Don’t you see that nothing that enters a person from the outside can defile them? 19 For it doesn’t go into their heart but into their stomach, and then out of the body.” (In saying this, Jesus declared all foods clean.) 20 He went on: “What comes out of a person is what defiles them. 21 For it is from within, out of a person’s heart, that evil thoughts come—sexual immorality, theft, murder, 22 adultery, greed, malice, deceit, lewdness, envy, slander, arrogance and folly. 23 All these evils come from inside and defile a person.”
24 Jesus left that place and went to the vicinity of Tyre.[g] He entered a house and did not want anyone to know it; yet he could not keep his presence secret. 25 In fact, as soon as she heard about him, a woman whose little daughter was possessed by an impure spirit came and fell at his feet. 26 The woman was a Greek, born in Syrian Phoenicia. She begged Jesus to drive the demon out of her daughter. 27 “First let the children eat all they want,” he told her, “for it is not right to take the children’s bread and toss it to the dogs.” 28 “Lord,” she replied, “even the dogs under the table eat the children’s crumbs.” 29 Then he told her, “For such a reply, you may go; the demon has left your daughter.” 30 She went home and found her child lying on the bed, and the demon gone.
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これは、子供たちに与える食事を、犬に先に与えている母親を戒めたイエス・キリストの言葉です。

人間の霊格は動物の霊より上だというのが、イエスの教えです。飼い犬よりも後回しにされた幼児の霊は、それを不満に思い、そこに悪霊が入り込んだのです。いくらペットを可愛がっていても、動物を人間より可愛がるというのは、よくない。

現在でも、ペットをホームレスの人間より大事にする飼い主がいろが、これは間違っている。ペットの犬や猫には専用のドッグ・フードなどを与えるが、目の前のホームレスの人間を無視する人間もいるが、これは間違っている。ペットにカネを出すよりも、困っている人を助けるのが大事なのです。今でも、このイエスの教えは通用する。人間の霊は、動物の霊よりも格が上なのです。それを間違えると、幼児の霊も不満に思い、そこに、悪霊が入り込む。

そのイエスの戒めに、ペットを可愛がっている母親は、「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」と述べて、イエスの言い分を認めたが、犬に対する自分の愛情も正当化した。その母親の言葉に譲歩の気持ちを感じたイエスは、「その言葉で、じゅうぶんである。お帰りなさい。悪霊は娘から出てしまった」と答えられた。そして、実際に、悪霊は幼児から出て行った。母親が、イエスの教えを受け入れたからです。

つまり、自分の気持ちを弁護しても、イエス・キリストの言葉を受け入れるのなら、霊的な効果が出るのです。

また、イエスは食べ物が人を汚すことない、人を汚すのは人の心から出る「不品行、盗み、殺人、姦淫、強欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴」であると述べて、宗教的にも食べモノの規定は無意味だと述べられたのです。

ユダヤ教やイスラム教では、食べ物に関する規定があるが、キリスト教徒や日本人はそのような規則を持たない。ただし、植物や動物には毒を持った生物もいる。逆に、薬として働く生物もいる。長い歴史の中で、そのような貴重な知識を人間は貯め来たので、そのような知識は尊重すべきです。

人の心を汚すのは、人が食べるものではなく、血筋や遺伝でもなく、人の心が発するものだというのが、イエス・キリストの教えなのです。

人間には、悪の遺伝子というものはない。また、天才の遺伝子というものもない。全ては、霊の動きに従う心が生み出すものなのです。ただし、それを悪魔は利用して、善悪の区別などない、善悪は人間が生み出したものだという誤った考えを人間に吹き込む。確かに、善や悪のDNAはないが、そおそも、神様は善の心から生じた愛の気持ちで人間を作られたのです。従って、善は人間の魂に本質的に与えられている。神様は、「全善」と呼ばエル善の極致なのです。

UFOに乗った宇宙人から、「善悪は人間の心が作り出した幻想だ」と教えられたと主張する人間もいるが、それなら、その宇宙人には悪魔が入り込んでいることになる。宇宙人にも、悪魔の取り付いた存在がいる。だから、宇宙人を警戒せよというのは正しい。

いずれにしても、「私の言葉に反対しないものは、賛成するものである」とイエス・キリストは教えておられる。

2026年8月1日土曜日

「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」 (ルカによる福音書 第 8 章) (“My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”)

18 だから、どう聞くかに注意するがよい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」。
19 さて、イエスの母と兄弟たちとがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった。
20 それで、だれかが「あなたの母上と兄弟がたが、お目にかかろうと思って、外に立っておられます」と取次いだ。
21 するとイエスは人々にむかって言われた、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」。
22 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、一同が船出した。
23 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。
24 そこで、みそばに寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった。
25 イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」。彼らは恐れ驚いて互に言い合った、「いったい、このかたはだれだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。(ルカによる福音書 第 8 章)

18 Therefore consider carefully how you listen. Whoever has will be given more; whoever does not have, even what they think they have will be taken from them.”
19 Now Jesus’ mother and brothers came to see him, but they were not able to get near him because of the crowd. 20 Someone told him, “Your mother and brothers are standing outside, wanting to see you.”
21 He replied, “My mother and brothers are those who hear God’s word and put it into practice.”
22 One day Jesus said to his disciples, “Let us go over to the other side of the lake.” So they got into a boat and set out. 23 As they sailed, he fell asleep. A squall came down on the lake, so that the boat was being swamped, and they were in great danger.
24 The disciples went and woke him, saying, “Master, Master, we’re going to drown!”He got up and rebuked the wind and the raging waters; the storm subsided, and all was calm.
25 “Where is your faith?” he asked his disciples. In fear and amazement they asked one another, “Who is this? He commands even the winds and the water, and they obey him.”
+++ +++ +++
これは、イエス・キリストの母や兄弟が聖書に現れる稀な箇所です。

イエスは、「神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである」と述べて、この世の血のつながりを否定し、霊的な関係を強調する。実際に、人は死後、この世の人間関係とは関係なく、霊的なつながりによって人々の霊は集まる。同じ霊格を持ち、同じ信念を持つ霊たちが集まると、生きながら死後の世界を見てきたスエーデンボルグは述べている。

また、湖で嵐が生じたとき、「イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎになった」というイエスの霊能力も表されている。自然界の現象ですら、イエスは霊能力で制御できるのです。しかも、「おしかり」になったということは、嵐を生じさせる霊が働いていたことを意味する。その霊をイエスは、人間の霊を叱るように戒められたというのです。

これは、全ての物体や現象に独自の霊が働いているという、今の日本の霊能力者の言葉を思い出させる。実際、この世の全ての物質は神様の霊能力でできたものであり、全ての分子、原子、素粒子、光なども神様の霊で生まれたのであるから、物質には神様が与えた霊があるということになる。

物や現象に霊を見るという日本の霊的な伝統は、イエスの奇跡を生み出す力をよく説明している。万物にそれ独自の霊がある以上は、その霊を制御することで物をも支配できる。イエス・キリストは、そういう神様の霊能力を持っていたことになる。

だから、自然災害もイエスは防げたということになる。今もイエスの信者は、そのイエスの力を与えらえて、物質や自然現象をコントロールできることになる。今、そのような信仰者がいれば、地震も台風も防ぐことができるのです。祈りの力で自然現象を制御し、自然がもたらす災厄を防ぐのは、霊能者の義務だということになる。さらには、政治や経済の人間活動も、独自の霊が働いていて、コントロールできることになる。

日本にも仏教や神道の信仰の力で、大きな霊能力を持った空海などの霊能者がいて、自然災害を防いだと言われている。かつては、天皇家にもそのような霊能力があり人々を救ってきたが、今の天皇家には霊能力はない。天皇にはイエスのような奇跡を起こす力がない、ということです。だから、阪神大震災や東日本大震災、能登地震や熊本地震が生じるのです。政治も経済も、霊的な力が働いている。イエスなら、全て解決できるのです。

ただし、欧米のキリスト教には、奇跡の伝統がある。病を癒す聖水として、「ルルドの水」が有名です。また、信仰心の篤い修道士や修道女は、病人を癒したり、空中浮揚をするなど奇跡を起こすことができたとされている。これは、物質や自然現象を支配する霊に働きかける霊能力が使えたからです。

イエス・キリストは、この世と霊界を造られた神様の霊を使うことができたので、この世の全て物質や現象に影響を及ぼすことができたのです。当然、病人を癒し、死人を蘇らせ、嵐を静めることもできたのです。

イエス・キリストと神様を信じる者も、そのような霊能力が与えられると信じるのが、本来のキリスト教なのです。

これは、全ての宗教について言えることであり、それぞれの宗教の霊的な強さの度合いに応じて霊能力が与えられている。その霊能力で最大の力を持った宗教がキリスト教なのです。

日本人は、それぞれ独自の霊能力を持った仏教や神道を否定する必要はないが、それより、万物の創造主に近いイエス・キリストの言葉を学ぶ必要がある。それだけキリスト教の霊能力は強いのです。

純粋に強い信仰を持てば、イエス・キリストのように、嵐を静めることができるようになる。台風も地震も抑えられる。このような霊能力を持った人間を新天皇として立てれば、日本は自然災害から守られ、また、平和も経済発展も実現するのです。

全ての物質や自然現象には独自の霊が働いている。石や台風にも霊がある。その霊を扱えるのが、イエス・キリストの霊能力であり、さまざまなな宗教も、そのような万物の霊とつながろうとしている。だから、日本の霊格の高い僧侶などは奇跡を起こせる。

ただし、今の天皇家には霊能力が失われているので、もはや、自然大災害から国民を救うことはできない。霊能力に優れた人物を新天皇に立てるのが、日本を救う途なのです。(ただし、現天皇家は歴史的価値があるので、旧天皇家として政府の保護下におくべきです。)

イエス・キリストは万物に霊があるこを認め、それらを支配しておられるのです。

それゆえに、人間の血のつながりによる、家族よりも霊的なつながりを重んじられたのです。

ただし、聖母マリアやイエス・キリストの兄弟たちは、やがて霊的にイエス・キリストを理解するようになり、イエス・キリストの霊的な肉親となれたのです。

いずれにしても、神様の霊能力を呼び起こせば、熊本地震のような災害も防ぐことができ、被災者も救うことができるのです。霊能力を使うには、神様への祈りが必要です。それを実践するのが、霊的なキリスト教の信者なのです。