2026年8月6日木曜日

主はわたしが呼ばわる時におききくださる (詩篇 第 4 章) (the Lord hears when I call to him)

 

3 しかしあなたがたは知るがよい、主は神を敬う人をご自分のために聖別されたことを。主はわたしが呼ばわる時におききくださる。
4 あなたがたは怒っても、罪を犯してはならない。床の上で静かに自分の心に語りなさい。[セラ
5 義のいけにえをささげて主に寄り頼みなさい。
6 多くの人は言う、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。主よ、どうか、み顔の光をわたしたちの上に照されるように」と。
7 あなたがわたしの心にお与えになった喜びは、穀物と、ぶどう酒の豊かな時の喜びにまさるものでした。
8 わたしは安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。(詩篇 第 4 章)

3 Know that the Lord has set apart his faithful servant for himself;
the Lord hears when I call to him.
4 Tremble and[d] do not sin;
when you are on your beds,
search your hearts and be silent.
5 Offer the sacrifices of the righteous
and trust in the Lord.
6 Many, Lord, are asking, “Who will bring us prosperity?”
Let the light of your face shine on us.
7 Fill my heart with joy
when their grain and new wine abound.
8 In peace I will lie down and sleep,
for you alone, Lord,
make me dwell in safety.
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「詩篇」とは、Wikipediaによれば、「旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。 英語では p を発音せずに「サーム」と発音する・・・主類型として「賛歌」「民の嘆きの歌」「個人の嘆きの歌」「個人の感謝の歌」に分類した。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ」とされている。

神様に対して、「どうか、わたしたちに良い事が見られるように」と願うのは、人類に共通の願いです。旧約聖書の時代から、この人間の心は変わらない。日本では、まだ縄文文化の時代に、ユダヤ人は神様に向かって、この祈りを捧げていた。

人間社会は、自然からさまざまな脅威を受けるだけでなく、人間同士の争いや、諍いがあり、他人の裏切り、攻撃、傷つけ合いがある。安心して生きることはできない。感情的になって他人を攻撃する者も跡を絶たない。人間の不幸の多くは、このような隣人愛のない状況から生じる。そして、憎む相手に残酷な仕打ちを行う。これが、何千年、何万年も続いたのが、人類の歴史なのです。

しかし、人類社会は、道徳を生み出し、宗教を生み出し、神と言う概念を発見し、互いに助け合って生きることを学んだ。これは、個体としての自分自身の生存だけを考えて生きる他の生物との大きな違いです。個人は弱いが、集団で戦えば大きな力を発揮することを人間は学んだのです。家族。一族、集団で生き残ることを人間は学んできた。その核となる概念として、人間を超えた力をもった神様を、人間は想定し、霊的な考えから、神様の霊に従うことを学んだのです。

個人の神様、家族や一族の神様、社会の神様、そして、民族の神様を考えるようになり、世界のどの民族でも、民族の神様を崇めるようになった。その共通の神様の正確は自然を超え、人間界の運命を支配させる圧倒的な力をもった存在です。神様という概念は、人類に共通だが、自分たちの民族を守る神様を崇めるようになり、他の民族とは互いの神様の名の下に戦うようになった。

しかし、人類全体の神様と言う考えが、やがて、人々の間に芽生え、その神様の下では、全人類が平等だという考えが生まれた。このような世界宗教の神様と言う考えが普及し、人類や全ての生物、全ての物を作られた神様という考えが生じるようになり、ユダヤ人の民族の神様が、万物の創造主の神様だという概念が生まれるようになった。そして、長い歴の中で、ユダヤ教の神様が、キリスト教の神様、イスラム教の神様になり、現代につながる文明を打ち立てることになった。今の文明は、4千年の歴史を持つユダヤ民族の神様の下で発展して来たものなのです。

そのユダヤ人の神様に対する気持ちが現れているのが、旧約聖書であり、特にこの「詩篇」では、神様に対するユダヤ人の気持ちがよく現れている。自分たちを「安らかにおらせてくださるのは」神様であるというのが、ユダヤ人の神様に対する信仰心であり。これは、人類に共通の気持ちなのです。

だから、ユダヤ教を受け継いだキリスト教でも、そのような神様に対する気持ちは受け継がれている。その伝統の上に、イエス・キリストの教えがあるのです。だから、今の世界文明を享受する人類は、ユダヤ・キリスト教の神様を事実上、受け入れているのです。

日本人も自然神、神道や仏教を受け入れてきたが、そのような神仏が今の文明の基盤になったわけではない。西欧の文明を受け入れることで、日本人も世界宗教を受け入れ、文明の恩恵を受けることになった。しかし、ユダヤ・キリスト教にも悪魔が入り込み、今の物質文明は、邪道に入ろうとしている。これは、2千年前にイエス・キリストが警告を発していたことが証明されたことになる。

人類が、神様に従って、善なる文明を発展させてきたのなら、今の世界には何の問題も生じずに、全人類は平和に繁栄できたはずだが、文明に悪魔が入り込み、人間を堕落、腐敗させ、狂気へと導ている。この状況は、2千年前のイエス・キリストの時代から変わらない。いや、その前の旧約聖書の時代から変わっていない。

霊的には、人間の霊は時代と共に変化してきたが、神様と人間と悪魔との関係は不変なのです。

だから、今の日本人も聖書を読んで、今の世界文明の基盤を学び、永遠の神様と人間と悪魔の関係を学ぶ必要があるのです。、

イエス・キリストは、「今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない」(マタイによる福音書 6:30~31)」と述べておられる。

全知全能にして、全善なる神様を信じることです。