19 すなわち、聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある。
20 知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
21 この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。
22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)
18 For the message of the cross is foolishness to those who are perishing, but to us who are being saved it is the power of God. 19 For it is written:
“I will destroy the wisdom of the wise;
the intelligence of the intelligent I will frustrate.”[c]
20 Where is the wise person? Where is the teacher of the law? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world? 21 For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe. 22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.
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Wikipediaによれば、「『コリントの信徒への手紙一』は、『新約聖書』に収められた書簡の一つ。使徒パウロと協力者ソステネからコリントの教会の共同体へと宛てられた手紙である」とされている。
また、「ともすれば聖人の集まりのようにみなされ、美化されがちな初代教会であっても現実にはさまざまな問題や困難があり、パウロのようなエネルギッシュな人物であっても常に悩みや苦しみがあったことを如実に伝える書簡である」とされている。
この書簡の、「聖書に、/「わたしは知者の知恵を滅ぼし、/賢い者の賢さをむなしいものにする」/と書いてある」という部分は重要です。特に、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」という言葉は神様への信仰を伝える名言です。
人間がその知恵や力で他人を抑えても、「愚かに見えても信者の知恵は人間の知恵に勝り」、「弱く見えても信者の力は、人間の強さに勝る」というのが信仰の言葉なのです。
だから、小さく、弱く、愚かに見える人間には、注意が必要です。その人間に本当の信仰心があれば、大きく、強く、賢い人間であることが、明らかにされるのです。他人を侮り、外見で判断してバカにし、攻撃し、笑いものにしても、その人が信仰者ならその人に負けて、大恥をかくのは、強さや、富や、知恵を誇った側です。
ブッダもホームレスの伝道者として、人々に教えを伝えたが、ブッダを貧乏人、愚か者、弱者だとして攻撃した者は、皆、死後、地獄に落ちた。
ましてや、神様の息子のイエス・キリストを信じて、自分の力や知恵を捨て、神様から与えられた真実の力や知恵を身に着けた者は、この世のどんな強者や知恵者、権力者、成功者にも勝る力を与えられているのです。
武術でも、初級者には名人や達人の業が理解できずに、笑いものにするものもいるが、対戦すれば、一撃で名人や達人に倒される。倒されても、まだ、腕の違いが分からずに、ポカンとしている。自分が、笑いものになっていることにも気づかないのが、初級者なのです。
しかし、悪魔はこのような愚か者の初級者を使って何度も信仰者を攻撃させる。モノの違いが分からない思い上がった人間は、何度でも信仰者を攻撃する。死後、霊界に入って信仰者との違いが示されるまで、弱者や愚者をいじめ、攻撃を繰り返す。だから、信仰者は、そのような悪魔に使われる本当の弱者、愚者のあきれた攻撃を覚悟しなければならない。悪魔が、背後で操っているのです。つまり、本当の敵は、目の前の愚かな人間ではなく。背後の悪魔なのです。力の差が歴然としているのに、何度も何度も真の強者に刃向かう愚かな者を使って、悪魔は信仰活動を妨害するのです。この悪魔は滑稽に見えるが、そのバカバカしさに呆れて信仰者が隙を見せれば、そこに悪魔はつけこむ。
信者は、神様が与えられた知恵と力を信じ、また、神は、その召し使いを朽ち果てることは認めずに救う、という聖書の言葉を信じて悪魔の誘惑には負けないことです。
神様を信じる人間は、人の力や知恵を超えた世界にいるのです。その違いが分かることが、人間の修業なのです。
初級者には、名人や達人は理解できない。一般人には、真の神様の信仰者は理解できない。しかし、時間がたてば、真実は誰の眼にも明らかにされる。
現在、ブッダを単なるホームレスだと思う人おはいないし、イエス・キリストをインチキ宗教家だと思う者もいない。