34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。(マルコによる福音書 第 8 章)
33 But when Jesus turned and looked at his disciples, he rebuked Peter. “Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
34 Then he called the crowd to him along with his disciples and said: “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 35 For whoever wants to save their life will lose it, but whoever loses their life for me and for the gospel will save it. 36 What good is it for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? 37 Or what can anyone give in exchange for their soul? 38 If anyone is ashamed of me and my words in this adulterous and sinful generation, the Son of Man will be ashamed of them when he comes in his Father’s glory with the holy angels.”
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これは、イエス・キリストが、「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ」たときに、それを諫め、注意したペテロをイエスが叱って、与えた言葉です。
後に、初代のローマ教皇とされるようになったペテロを、イエスは「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と厳しく叱責された。一番弟子と言われたペテロに、イエスが「サタンよ、引きさがれ」と叱責するのは、ただ事ではない。イエスが、自分の死について話されたときに、悪魔は、まさにペテロの心に入ってイエスをけん制する言葉を発させた。悪魔は、イエスが弟子のユダの裏切りによって死ぬことを弟子には秘密にしておいて、それが生じたときに、弟子たちが大きなショックを受け、イエス・キリストから離れて、イエスを見捨てるようにさせたいと思っていた。
イエス・キリストは、そこで、弟子たちの信仰心をさらに強める必要があると感じて、このような教えを述べられたのです。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」という言葉が、「自分の十字架を負う」というキリスト教を代表する有名な表現になったのです。如何に人間は罪深いものであるかを、イエス・キリストは強調されたのです。
また、イエスは死後に、この世に再来することを予言され、「わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」と述べて、このイエス・キリストの再臨のときに、イエス・キリストを素直に受け入れなかった者は、イエスが天使たちと示す救いの力からもれてしまうと述べられたのです。
このイエス・キリストの再臨のときが、いつになるのかはイエス自身にも分からないが、神様が計画しておられると信じるのがキリスト教徒だということになる。
いづれにしても、悪魔との戦いは熾烈であり、悪魔に隙を見せないように、神様はイエスをこの世に再び出現させる日時については、秘密にしておられる。この2千年間、キリスト教徒は、イエス・キリストの再来を待ち望んだのだが、まだ実現していないと言われる。その日には、世界中がイエスの再臨を認めると言われているが、世の中はますます物質主義や拝金主義がはびこり、イエス・キリストの教えはないがしろにされている。イエス・キリストの最初の出現以来、2千年たった今日、もうイエス・キリストが再臨してもおかしくないと考える信者もいる。
実際、18世紀の有名な科学者のニュートンは、聖書の研究を通して、世の終わり、つまり、イエス・キリストの再臨の時は、2060年以降になると結論付けている。ニュートンと同時代の神秘家、スウェーデンボルグは、18世紀に霊界で最後の審判が行われ、その影響がこの世では2~3世紀に遅れて現れると述べている。いづれにしても、21世紀の近い将来に人類に決定的な出来事が生じ、イエス・キリストの霊が、又は、本当に人間の姿をとったイエス・キリストが人間界に出現するかも知れない。
ただし、そのときには、かつてペテロの心の中に悪魔が入り込んだように、悪魔が多くの信者や一般人を惑わすと思われる。例えば、1995年のオウム真理教事件もその一環かも知れない。また、AIにより物質文明(貨幣経済)が加速し、むしろ、物質文明の危機をもたらしたり、非キリスト教国の中国や非カトリックのロシア、イスラム教のイラン、個人崇拝という偶像崇拝を推し進める北朝鮮などが世界の安全を脅かしている。他方、アメリカ人がローマ教皇になったり、日本で伝統的な霊性を重んじる女性首相が出現するのは、悪魔への抵抗の姿勢を示すものだと思われる。日本人も、トランプ大統領の心に悪魔が入らないように祈らなければならない。また、日本人の霊性を高めるために、日本と言う国も変えなければならない。
いづれしても、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救う」というイエス・キリストの言葉は、人類に命懸けで悪魔(その化身はカネ)と戦うように述べておられる。
まさに、今こそ、「カネ(悪魔の化身)を憎んで神様を愛せ」というイエス・キリストの言葉に従うべきときなのです。
後に、初代のローマ教皇とされるようになったペテロを、イエスは「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と厳しく叱責された。一番弟子と言われたペテロに、イエスが「サタンよ、引きさがれ」と叱責するのは、ただ事ではない。イエスが、自分の死について話されたときに、悪魔は、まさにペテロの心に入ってイエスをけん制する言葉を発させた。悪魔は、イエスが弟子のユダの裏切りによって死ぬことを弟子には秘密にしておいて、それが生じたときに、弟子たちが大きなショックを受け、イエス・キリストから離れて、イエスを見捨てるようにさせたいと思っていた。
イエス・キリストは、そこで、弟子たちの信仰心をさらに強める必要があると感じて、このような教えを述べられたのです。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」という言葉が、「自分の十字架を負う」というキリスト教を代表する有名な表現になったのです。如何に人間は罪深いものであるかを、イエス・キリストは強調されたのです。
また、イエスは死後に、この世に再来することを予言され、「わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」と述べて、このイエス・キリストの再臨のときに、イエス・キリストを素直に受け入れなかった者は、イエスが天使たちと示す救いの力からもれてしまうと述べられたのです。
このイエス・キリストの再臨のときが、いつになるのかはイエス自身にも分からないが、神様が計画しておられると信じるのがキリスト教徒だということになる。
いづれにしても、悪魔との戦いは熾烈であり、悪魔に隙を見せないように、神様はイエスをこの世に再び出現させる日時については、秘密にしておられる。この2千年間、キリスト教徒は、イエス・キリストの再来を待ち望んだのだが、まだ実現していないと言われる。その日には、世界中がイエスの再臨を認めると言われているが、世の中はますます物質主義や拝金主義がはびこり、イエス・キリストの教えはないがしろにされている。イエス・キリストの最初の出現以来、2千年たった今日、もうイエス・キリストが再臨してもおかしくないと考える信者もいる。
実際、18世紀の有名な科学者のニュートンは、聖書の研究を通して、世の終わり、つまり、イエス・キリストの再臨の時は、2060年以降になると結論付けている。ニュートンと同時代の神秘家、スウェーデンボルグは、18世紀に霊界で最後の審判が行われ、その影響がこの世では2~3世紀に遅れて現れると述べている。いづれにしても、21世紀の近い将来に人類に決定的な出来事が生じ、イエス・キリストの霊が、又は、本当に人間の姿をとったイエス・キリストが人間界に出現するかも知れない。
ただし、そのときには、かつてペテロの心の中に悪魔が入り込んだように、悪魔が多くの信者や一般人を惑わすと思われる。例えば、1995年のオウム真理教事件もその一環かも知れない。また、AIにより物質文明(貨幣経済)が加速し、むしろ、物質文明の危機をもたらしたり、非キリスト教国の中国や非カトリックのロシア、イスラム教のイラン、個人崇拝という偶像崇拝を推し進める北朝鮮などが世界の安全を脅かしている。他方、アメリカ人がローマ教皇になったり、日本で伝統的な霊性を重んじる女性首相が出現するのは、悪魔への抵抗の姿勢を示すものだと思われる。日本人も、トランプ大統領の心に悪魔が入らないように祈らなければならない。また、日本人の霊性を高めるために、日本と言う国も変えなければならない。
いづれしても、「自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救う」というイエス・キリストの言葉は、人類に命懸けで悪魔(その化身はカネ)と戦うように述べておられる。
まさに、今こそ、「カネ(悪魔の化身)を憎んで神様を愛せ」というイエス・キリストの言葉に従うべきときなのです。