2026年7月31日金曜日

「もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう」 (ヨハネによる福音書 第 11 章) (If we let him go on like this, everyone will believe in him.)



45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。
46 しかし、そのうちの数人がパリサイ人たちのところに行って、イエスのされたことを告げた。
47 そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。
48 もしこのままにしておけば、みんなが彼を信じるようになるだろう。そのうえ、ローマ人がやってきて、わたしたちの土地も人民も奪ってしまうであろう」。
49 彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った、「あなたがたは、何もわかっていないし、
50 ひとりの人が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
51 このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、
52 ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。
53 彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した。
54 そのためイエスは、もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた。
55 さて、ユダヤ人の過越の祭が近づいたので、多くの人々は身をきよめるために、祭の前に、地方からエルサレムへ上った。
56 人々はイエスを捜し求め、宮の庭に立って互に言った、「あなたがたはどう思うか。イエスはこの祭にこないのだろうか」。
57 祭司長たちとパリサイ人たちとは、イエスを捕えようとして、そのいどころを知っている者があれば申し出よ、という指令を出していた。(ヨハネによる福音書 第 11 章)

45 Therefore many of the Jews who had come to visit Mary, and had seen what Jesus did, believed in him. 46 But some of them went to the Pharisees and told them what Jesus had done. 47 Then the chief priests and the Pharisees called a meeting of the Sanhedrin.
“What are we accomplishing?” they asked. “Here is this man performing many signs. 48 If we let him go on like this, everyone will believe in him, and then the Romans will come and take away both our temple and our nation.”
49 Then one of them, named Caiaphas, who was high priest that year, spoke up, “You know nothing at all! 50 You do not realize that it is better for you that one man die for the people than that the whole nation perish.”
51 He did not say this on his own, but as high priest that year he prophesied that Jesus would die for the Jewish nation, 52 and not only for that nation but also for the scattered children of God, to bring them together and make them one. 53 So from that day on they plotted to take his life.
54 Therefore Jesus no longer moved about publicly among the people of Judea. Instead he withdrew to a region near the wilderness, to a village called Ephraim, where he stayed with his disciples.
55 When it was almost time for the Jewish Passover, many went up from the country to Jerusalem for their ceremonial cleansing before the Passover. 56 They kept looking for Jesus, and as they stood in the temple courts they asked one another, “What do you think? Isn’t he coming to the festival at all?” 57 But the chief priests and the Pharisees had given orders that anyone who found out where Jesus was should report it so that they might arrest him.
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これは、ユダヤ教の幹部たちが、イエス・キリストを殺害することを決心したときの状況です。

ユダヤ教の大祭司が。ユダヤ人の議会で「イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっている」と予言したのが、きっかけとなっている。イエスの出現に驚いて議論したユダヤ教の幹部たちが、イエスを受け入れられないと判断して、イエスを危険人物だとみなして、抹殺することを教団として決定したのです。

これによって、イエスは、当時のユダヤ教徒の敵になることになった。組織対個人の戦いになったのです。

イエス・キリストが、ユダヤ人のために活動していることを知りながら、また、イエスは死が運命づけられていることを彼らは預言で知らされていたが、そのイエスの死を願って、ユダヤ教の幹部たちは、イエスを殺そうとしたということです。

神様は、イエス・キリストに悪魔と戦って人々を救うようにという使命が与えらたが、悪魔は、ユダヤ教の幹部を使って、イエスを殺害して、その使命を妨害しようとしたということです。しかし、結果的に、イエスの教えは広まり、ユダヤ人だけでなく、パレスチナを占領していたローマ帝国にイエス・キリストの教えは普及し、キリスト教は世界宗教になったのです。

イエス・キリストを受け入れられなかったユダヤ教の幹部たちの宗教心に問題があったことは明らかです。宗教で人々を支配し、支配者のローマ軍と結びついていたユダヤ教の幹部は、人々を権力者や宗教者から解放しようとするイエス・キリストを敵視したのです。

つまり、当時のローマ軍やユダヤ教の幹部たちの心を悪魔が支配しており、悪魔に対抗するイエス・キリストを抹殺しようとした、というのが、聖書の福音書に語られたイエス・キリストの悲劇の真実だったということになる。

権力者や宗教家たちには悪魔が入り込む、というのがその教訓なのです。

つまり。この世のエリートや宗教家たちは、信用できない。彼らは、悪魔に魂を売っており、神様の遣わされる聖者を妨害する。これが、歴史の教訓です。イエス・キリストの場合も、そのような悲劇に襲われたことになる。

しかし、結局、悪魔は神様には勝てず、イエス・キリストの教えは2千年後の今日まで伝わっている。悪魔はその試みに失敗したのです。

それでも、悪魔は諦めない、キリスト教会の中にまで悪魔は入り込んでいる。教会だけでなく、人間社会のいたる所に悪魔の影響は浸透している。それでも、イエス・キリストの教えは今も人々に伝えられている。善(神様)と悪(悪魔)の戦いは、永遠のように思われる。

悪魔はカネを小道具として使い、人々を拝金主義にさせ、欲望をカネで追求させ、悪魔の教えで人々を従わせ、悪魔やカネを神だとして崇めさせている。これが、現在の物質文明の真の姿なのです。

当然、神様は、このような悪魔の活動をお許しにならない。だから、今の物質文明はやがて神様に破壊される。これが、文明の終末論です。イエス・キリストの出現から2千年たった今日、神様はもはや人間に十分な時間を与えたと判断され、最後の審判を下そうとしておられると考えられる。

悪魔の教えに従う人間の物質文明を破壊して、神様の教えに従う霊的な文明を人間に打ち建てさせる、というのが、神様の意図だと考えられるのです。物質やカネの力を信じてはいけない、というのが真の宗教者の姿勢なのです。霊的な力に頼って生きる、というのが正しい生き方なのです。

だから、日本人も物質文明を離れて、自然と親しみ、清貧生活をし、かつ、聖書をよく読んでイエス・キリストの教えを学ぶことが必要なのです。


2026年7月30日木曜日

「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」 (マタイによる福音書 第 8 章) (“Truly I tell you, I have not found anyone in Israel with such great faith.")

 

5 さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、
6 「主よ、わたしの僕が中風でひどく苦しんで、家に寝ています」。
7 イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。
8 そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。
9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
10 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。
11 なお、あなたがたに言うが、多くの人が東から西からきて、天国で、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、
12 この国の子らは外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう」。
13 それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。(マタイによる福音書 第 8 章)

5 When Jesus had entered Capernaum, a centurion came to him, asking for help. 6 “Lord,” he said, “my servant lies at home paralyzed, suffering terribly.”
7 Jesus said to him, “Shall I come and heal him?”
8 The centurion replied, “Lord, I do not deserve to have you come under my roof. But just say the word, and my servant will be healed. 9 For I myself am a man under authority, with soldiers under me. I tell this one, ‘Go,’ and he goes; and that one, ‘Come,’ and he comes. I say to my servant, ‘Do this,’ and he does it.”
10 When Jesus heard this, he was amazed and said to those following him, “Truly I tell you, I have not found anyone in Israel with such great faith. 11 I say to you that many will come from the east and the west, and will take their places at the feast with Abraham, Isaac and Jacob in the kingdom of heaven. 12 But the subjects of the kingdom will be thrown outside, into the darkness, where there will be weeping and gnashing of teeth.”
13 Then Jesus said to the centurion, “Go! Let it be done just as you believed it would.” And his servant was healed at that moment.
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これは、ローマ軍の将校(百卒長)が、イエス・キリストが感心するほどの神様への信仰心を持っていたことを、イエスが誉めた言葉です。

「イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない」というのは、強い誉め言葉です。

そして、信仰心のない者は、「外のやみに追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりする」と述べられたのです。
これは、死後、霊界で天国に受け入れられなかった者たちの、恨み、悲しみ、怒りを表している。霊界で、天国に受け入れらなかった者は、後悔して泣き叫ぶのです。

この世では、悪魔に洗脳され、悪魔の教えに従って、富や地位を得て、悪魔(カネ)を神と崇めた者たちは、当然、神様の直接支配する天国には受け入れてもらえない。つまり、この世でエリートや富裕層であった者は、天国には入れないのです。それを、イエスは明確に述べておられるのです。この世の価値観と、死後の霊界の価値観は正反対なのです。

なお、パレスチナを植民地支配していたローマ軍の中にも、イエスが認める神様の信仰者がいたことは、将来、ローマ帝国にキリスト教が広まることを予感させている。

そして、イエス・キリストが念じたことで、百卒長の召し使い(僕、しもべ)は癒されたのです。これは、特に印象深い出来事だったので、聖書に記録されているわけです。

しかし、最も印象的なのは、「わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります」という百卒長の言葉です。この謙虚さが、信仰心を表しているのです。

今の世の中でも、地位を得たり、有名になって富裕増になったりした者は、物質的な成功を誇り、ホームレスのような聖者には頭は下げません。だから、この世の成功者は、霊界では評価されないのです。

特に、美食、美酒、女性との交際などを貧しい人に見せつけるものは、悪魔に洗脳されています。

信用できるのは、ホームレスのような宗教者だけです。天国に受け入れられるのは、清貧生活をし、貧しい隣人を助け、聖書を読んで暮らすような貧しき者、小さな者、弱き者なのです。ただし、彼らは死後、霊界で豊かになり、大きくなり、強くなるのです。

2026年7月29日水曜日

「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようである」 (ルカによる福音書 第 17 章)(The Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other.)


 20 神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない。
21 また『見よ、ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
23 人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。
25 しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。
26 そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。
27 ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
28 ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、
29 ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。
30 人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。(ルカによる福音書 第 17 章)

20 Once, on being asked by the Pharisees when the kingdom of God would come, Jesus replied, “The coming of the kingdom of God is not something that can be observed, 21 nor will people say, ‘Here it is,’ or ‘There it is,’ because the kingdom of God is in your midst.”[c]
22 Then he said to his disciples, “The time is coming when you will long to see one of the days of the Son of Man, but you will not see it. 23 People will tell you, ‘There he is!’ or ‘Here he is!’ Do not go running off after them. 24 For the Son of Man in his day will be like the lightning, which flashes and lights up the sky from one end to the other. 25 But first he must suffer many things and be rejected by this generation.
26 “Just as it was in the days of Noah, so also will it be in the days of the Son of Man. 27 People were eating, drinking, marrying and being given in marriage up to the day Noah entered the ark. Then the flood came and destroyed them all.
28 “It was the same in the days of Lot. People were eating and drinking, buying and selling, planting and building. 29 But the day Lot left Sodom, fire and sulfur rained down from heaven and destroyed them all.
30 “It will be just like this on the day the Son of Man is revealed.
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「人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」というのは、イエス・キリストの未来予言と考えられる恐ろしい言葉です。

物質文明の繁栄の中で人々が浮かれ騒いでている時に、神様は亡びの運命を人類に与えられる、と解釈できる言葉です。

しかし、そのときには、「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」とイエスは述べて、人類を破滅から救うために、「人の子であるイエス・キリストが稲妻のように、劇的な姿で再臨する」と予言されたのです。

この言葉の背景には、Wikipediaによれば、
「『創世記』19章では2人の娘しか言及されておらず、ロトとその家族はソドムに住んでいる。2人の天使がソドムに訪れると、ロトは彼らを歓迎する。しかし、町の住民たちがロトの家を包囲し、彼らに2人の客人(ソドムを滅ぼしに来た天使)を同性強姦させることを要求する。ロトは代わりに処女である2人の娘を差し出そうとする(19:8)。・・・暴徒たちがロトの申し出を拒否すると、天使(住民たちが同性強姦しようとした客人)はこれから町がことごとく滅ぼされるのでその前にロトとその家族が町を去るよう警告する。逃亡の途中でロトの妻は塩の柱に変わるが、ロトとその娘たちはゾアルに逃げ延び、山の洞窟に住む。ロトの娘たちは父親を酒で酔わせ、彼が知らないまま、2連夜にわたって父親とセックスをする。2人はどちらも妊娠する。上の娘はモアブを産み、下の娘はベン・アミを産む」とされている。

要するに、腐敗・堕落した町を神様は亡ぼすことにし、天使をつかわして、ロトの家族を救おうとされたが、ロトの妻は塩の柱にされ、娘たちも不品行を行ったという言い伝えが旧約聖書に書かれている。

そして、人類自体が物質文明に驕り、腐敗・堕落し、神様の怒りを買って、ソドムのように滅ぼされるとイエス・キリストは警告しておられるのです。

また、「ノアの箱舟」の話は良く知られている。神様が世界を滅ぼそうとして、大洪水を起こした話です。「ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってき」たと、イエスは語っている。

このように、人類が物質文明に酔いしれている時に、神様は人間の不信仰に怒り、滅びの運命を与えられたというのが、旧約聖書の話しであり、それと同じことが生じるとイエスは述べられたのです。

この言い伝えは、ヨーロッパでは絵画にも描かれ、人々によく知られている。「滅びの時」というのは、キリスト教の教えの中に含まれているのです。だから、欧米では終末論が真剣に議論されている。

実際、現在の地球の文明は、物質的な繁栄の最中に異常気候などで、危機に向かっている。これは、新約聖書でのイエス・キリストの言葉を、実現するものだと考える信者もいる。また、現在の世の中の性的な乱れや、神様が決められた男女の区別を無視した社会風潮なども、神様の怒りを買う原因となっている。カトリックの神父などが、子供を性的に虐待したことなども、悪魔が教会に入り込んだ証拠です。

聖なるキリスト教会に悪魔が入り込んで、人類の文明を根本から堕落・腐敗させている、という危機感が必要なのです。

だから、絶えず神様に祈れ、というイエス・キリストの教えが生きてくる。悪魔は絶えず、信者に攻撃を仕掛けてくる。それに対抗するには、祈りや、禁欲生活、断食などしかない。つまり、聖書を読んで清貧生活をし、神様の定めた自然な生活をすることです。

悪魔は人間の欲望を喚起し、神様の教えを無視させ、多くの罪を犯させ、その魂を地獄に引きずり込もうとしている。このような悪魔と戦って人類を救うのが、イエス・キリストの使命であり、信徒もそれを理解していなければならない。本当のキリスト教とは、悪魔との戦いを意味するのです。

2026年7月28日火曜日

「おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」 (For there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. ) (マタイによる福音書 第 10 章)

 

26 「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
30 またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
31 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。」(マタイによる福音書 第 10 章)

26 “So do not be afraid of them, for there is nothing concealed that will not be disclosed, or hidden that will not be made known. 27 What I tell you in the dark, speak in the daylight; what is whispered in your ear, proclaim from the roofs. 28 Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care.[b] 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
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この「隠れているもので、知られてこないものはない」という聖書の言葉もよく知られている。だから、秘密にされた事柄は、必ず人に知られるようになる。

歴史の謎とされた事柄も、やがて真実が知らされる。例えば、先の大戦で終戦時に、天皇が占領軍のマッカーサー元帥を密かに何度も秘密に米大使館に訪ねていたことは秘密にされていた(元帥と一緒に撮られた写真だけは公表されていた)。しかし、外務省の役人でも、天皇が10回くらい元帥を訪問していたことは知らされていなかった。天皇が頭を下げて、何度も米軍のナッカーサー元帥に密かに会いに行ったなどということは、まだ天皇マジックに洗脳されていた当時の日本国民からは隠されていた。しかし、何十年もして、10回くらい天皇が米国大使館に元帥を訪ねていたことが明らかになっている。この時、昭和天皇は、「自分は殺されてもいいが、飢えた国民を救ってくれ」と元帥に懇願したとされているが、どういう雰囲気で、どういう表情で元帥に懇願したのかは、まだ、明らかになっていない。

同じ言葉でも、言う雰囲気が異なれば意味は異なって来る。千何百年も日本の歴史の中で生き抜いてきた天皇家には、政治的な権力者を丸め込む手練手管などは、お家芸だったはすだ。従って、昭和天皇は自分の命乞いもしたと思われる。そして、昭和天皇以後も皇室は親米の姿勢で一貫している。

究極的には、昭和天皇の命令で命を掛けて日米戦争を戦わされ、戦争で亡くなった日本人は、まさに昭和天皇に裏切られたことになる。占領軍の司令官のマッカーサー元帥に追従したと言われても仕方のない姿勢を見せていたから、天皇による何度もの元帥との会見は戦後長く秘密にされて来た。元帥と写真を撮った1回しか会わなかったと国民は信じ込まされていた。これは、天皇神話を守るためだった。事実として、昭和天皇は米軍に追放されずに、国民の象徴として憲法上の地位は保証されている。これも、歴史の闇です。米軍やマッカーサー元帥には、天皇の利用価値があり、また、日本軍部に脅されていた天皇という同情心もあり(それでも、天皇は2.26事件の時のように軍部と戦うこともできた)、天皇が下手に出ることで、その気持ちを強めることで、昭和天皇は天皇位を追われずに済んだと思われる。昭和天皇は、中国やアメリカと日本が戦争をした時の日本軍の最高司令官であり、戦後はその地位から追放されても不思議はなったのです。しかし、軍部に操られた可哀そうな天皇ということで、戦後も生き残った。そのカギが、秘密にされた10回ものマッカーサー元帥との秘密会談だった。ただし、その後、マッカーサー元帥がアメリカ大統領によって解任されたとき、日本の皇室は冷ややかだった。追従すべき相手は、元帥ではなく、アメリカの大統領だと分かったからだろう。だから、今も皇室は親米であり、国民も親米なのです。皇室にとって米国大統領は、命の恩人なのです。これが、戦後の日米間関係の隠された真実なのです。

しかし、ポイントはマッカーサー元帥が敬虔なキリスト教徒だったことです。聖書の教えに従う元帥は、当然、憐みの気持ちを持っており、昭和天皇を許したのです。戦後、日本の皇室を生き永らえさせたのは、キリスト教の力なのです。マッカーサー元帥は、「日本の天皇はスズメよりも値打ちがある」と思ったのでしょう。そして、米軍による日本の占領は無事に行われた。アメリカを尊敬する皇室の態度に影響されて、戦後の日本は親米、一辺倒になった。しかし、本当は聖書の力で日本は救われ、アメリカのキリスト教に感謝しているのです。昭和天皇は、その皇太子の妻に、キリスト教系の大学の卒業者の正田美智子を選び、一時は皇室内にもキリスト教の影響が及んだ。熱心なキリスト教徒だった、マッカーサー元帥は喜んだと思われる。平成の天皇の息子である令和の天皇の妻も、米国留学の経験者です。米国のキリスト教文化に馴染んだ皇后が続いている。しかし、天皇家自体が、天皇神道を否定することはない。ここに、日本の宗教の微妙なバランスがある。世界の主流のキリスト教とは敵対しないが、日本の神道伝統も守るという姿勢です。ただし、これが戦後の怪しげな各種の新宗教の跋扈を許している。

また、死海文書やエジプトのナグ・ハマディ文書が戦後、発見されて、イエス・キリストの時代のパレスチナなどの状況について新たな光があたり、キリスト教の歴史について新たな見方が与えられた。第二次大戦後は、まさに、キリスト教認識の転換点となった。

これは、1900年間も、イエスが生きる直前のユダヤ教の状況や、イエスが生きた直後にさまざまな教派があったことを知らせている。特に、「トマスによる福音書」が含まれていたナグ・ハマディ文書は、キリスト教の研究に新たな視点を与えた。また、「義の教師」について書かれた死海文書は、イエスとエッセネ派(クムラン教団)との関連を示唆するものだった。イエスは、突然、2千年前のユダヤ人の間に現れたのではなく、ユダヤ教のさまざまな流れの中から生まれたのです。しかし、イエスを揶揄するようなグノーシス派の影響を受けた「トマスによる福音書」がキリスト教の正典になることはなかった。悪魔は、どこまでもイエス・キリストの教えを妨害する。グノーシス派は、イエス・キリストの言葉よりも、その人間的な解釈を重んじるものであり、悪魔の喜びそうな説を主張している。神様の真理を伝えるイエス・キリストの言葉を軽んじるものです。

このように歴史の真実は、必ず表に出る。だから、キリスト教文化の欧米では、政治の秘密を暴く報道姿勢が支持されている。日本では、「寄らしむべし、知らしむなかれ」と言って、大衆には真実を隠すことが、政治家の間には常識となっていた。だから、アメリカとの核関連の政府の秘密協定などは、国民から隠されることが多い。しかし、憲法に保障された言論の自由の名の下に外交的な秘密も明らかにされている。

また、「二羽のすずめは一アサリオンで売られている」が、「あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である」というイエスの言葉は、人々を勇気づける言葉だった。ローマ軍の支配下で、人間性が否定されていた植民地パレスチナのユダヤ人は、このイエスの言葉によって自信を取り戻した。

今も世界には、権力者が秘密にしていることは多いし、人間性が否定された民族もいる。たとえば、アメリカ軍がUFOと秘密の関係を持っていることも、徐々に明らかにされている。また、アメリカでは、最近まで黒人などの有色人種は社会的に差別されていた。しかし、黒人と白人の混血のオバマがアメリカ大統領になるなど、人種差別は徐々に解消されている(その反動がトランプだという見方もある)。

しかし、歴史上の最大の謎は、イエス・キリストの出生と十字架上の死後の行動です。イエスの本当の父親は誰なのか、イエスは十字架の死から蘇って更に世界を旅し、インドや日本に達っしたという説もある。

このような、キリスト教の秘密もやがて明らかにされると思われる。なぜなら、人間は安く売られるスズメよりも、価値のあるものであり、神様はいずれ人類に真理を知らせると考えられるからです。

2026年7月27日月曜日

その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。 ((マルコによる福音書 第 5 章)) (he herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.)


こうして彼らは海の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。

3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)

They went across the lake to the region of the Gerasenes. 2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.
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これは、人に取り付いていた汚れた霊が、イエス・キリストの言葉によって人から追い出され豚の体内に入って、崖から海に落ちて、豚はおぼれ死んだという印象深い出来事です。

大勢の悪霊が人に取り付くという現象が、2千年前にもあったということを物語っている。その悪霊が、イエスの言葉によって人から追い出され、豚の体内に入ったといのも興味深いが、その悪霊が入った豚の群れが、狂って雪崩をうって海に突進し、溺れ死んだというのは、衝撃的な出来事です。

今の人には、考えられない現象が起きたことが聖書には書かれている一例です。

AIによれば、

「宗教や思想ごとに「霊」の意味は少しずつ違います。

仏教系の説明では、人の「心の働き」「命のつながり」として霊をとらえ、供養は霊と生きている人の心を落ち着かせる営みとされます。(isshinji.jp)
キリスト教系の説明では、「霊」は息や風を語源に持ち、命を生かす力、人の内面、また神の働きとしての「聖霊」などを指します。」(jw.org)」

とされている。要するに、人の心を生み出し、心を支配する力です。人間が意識する前から、心を生み出す生命力であり、人間の心の動きを支配する力だということになる。人間の心の基盤になるものです。

悪霊が人の心に入れば魔が差し、人はとんでもない悪事を働く。善霊が心に入れば、善人となって善を行う。その心を信仰の力で管理し、悪霊を寄せつけないようにするのが、信仰者の生き方です。

悪霊に心が支配されれば、欲に支配され、カネや地位を求め、自己中心の生き方になり、善悪の判断も失う。実際、悪を働いても、冷静になれば、なぜあんなバカなことをしたのだ、と言って後悔する人間が大部分です。その人の心の中に悪霊が入り込み、狂わせて悪事を行わさせるという例が多い。ただし、悪霊を呼び込むのは、その人間がしっかりしていないという点で責任が取られる。日本の裁判でも、狂った人間は裁かれない。しかし、どこかでその犯罪者の心に悪霊を受けいれる心の隙があったことは事実です。いずれにしても、イエスは、「人を責めてはならない」と述べて、真犯人は悪霊だということを示唆しておられる。犯罪者も悪霊の犠牲者なのです。

この心を支配する悪霊が、人の心の中に入り込むという事実は。18世紀の神秘家スエーデンボルグが書き残している。悪霊は、生きている人間の心にも入り込むという点が恐ろしい。心に入り込んで、その人間の心の動きを支配する。ただし、イエス・キリストのような霊能者は、悪霊と戦って人間の心から追い出すことができる、というのが聖書の主張です。

日本の神道や仏教でも、魔の霊との戦いという考えはある。また、呪術家や霊能者が悪魔祓いをするという伝統もある。宗教は全て、霊の存在というものを認めている。

かつては、天皇神道では、天皇に霊能力があり。日本の霊界の神々が天皇を助けており、日本を守っているとの教義を持っていたが、先の日米戦争で、天皇神道を掲げた日本帝国は、キリスト教を事実上の国教とするアメリカに敗れ、300万人の日本人が命を失い、天皇神道よりアメリカのキリスト教が優れていることが証明され、戦後は、アメリカのキリスト教を基盤とするアメリカの民主主義が導入され、新たな日本国憲法が制定されて、日本は戦後、現在にいたるまで平和と繁栄を謳歌できた。これは、宗教的にキリスト教の優位を証明するものです。今の天皇家は、自分たちに霊能力がないことを暗黙に認めて、欧米に追随しており、日本人も欧米の精神文化を尊重している。ただし、これが日本に霊的な混乱をもたらし、戦後の文化に大きな影響を与えている。全ての戦後の問題は、キリスト教を認めない社会が原因だと言っても良い。

天皇家の霊能力は、7世紀の中国、唐との白村江の敗戦で威力がないことを証明されているが、その後、1300年にわたって、天皇家が日本社会で最高の地位を占めてきたのは、良かったかどうか考えさせられる。その結果、80年前の日米戦争での悲惨な敗北につながった。神様は日本が、キリスト教を理解することを望んでおられると考えるべきです。日本の霊性だけでは、不十分なのです。だから、本当の霊能者を新天皇として立てるのが、日本の霊性を救うことになる。

ただし、欧米では、悪魔がキリスト教に入り込み、キリスト教は停滞している。欧米を中心とする物質文明に悪魔が入り込んでいる。そこで、日本的霊性に基づいた霊的なキリスト教の確立が日本に求められている。天皇神道以前に、日本人は十分に霊性を育んできたのです。ただし、善悪の考えと、霊性との結びつきが十分に考えらえて来なかった。そして、聖書の教えが日本の霊性を高めることになるのです。

悪霊は、人間の心にも、豚の体内にも入り込むという、聖書の記述が意味するのは、霊の存在を認めて、悪霊に警戒せよというイエス・キリストの教えを伝えるものなのです。

2026年7月23日木曜日

大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた (ヨハネによる福音書 第 11 章) (Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!.”)

 

33 イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、
34 「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。
35 イエスは涙を流された。
36 するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。
37 しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。
38 イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。
39 イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。
40 イエスは彼女に言われた、「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、あなたに言ったではないか」。
41 人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、「父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。
42 あなたがいつでもわたしの願いを聞きいれて下さることを、よく知っています。しかし、こう申しますのは、そばに立っている人々に、あなたがわたしをつかわされたことを、信じさせるためであります」。
43 こう言いながら、大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた。
44 すると、死人は手足を布でまかれ、顔も顔おおいで包まれたまま、出てきた。イエスは人々に言われた、「彼をほどいてやって、帰らせなさい」。
45 マリヤのところにきて、イエスのなさったことを見た多くのユダヤ人たちは、イエスを信じた。 (ヨハネによる福音書 第 11 章)

33 When Jesus saw her weeping, and the Jews who had come along with her also weeping, he was deeply moved in spirit and troubled. 34 “Where have you laid him?” he asked.
“Come and see, Lord,” they replied.
35 Jesus wept.
36 Then the Jews said, “See how he loved him!”
37 But some of them said, “Could not he who opened the eyes of the blind man have kept this man from dying?”
Jesus Raises Lazarus From the Dead
38 Jesus, once more deeply moved, came to the tomb. It was a cave with a stone laid across the entrance. 39 “Take away the stone,” he said.
“But, Lord,” said Martha, the sister of the dead man, “by this time there is a bad odor, for he has been there four days.”
40 Then Jesus said, “Did I not tell you that if you believe, you will see the glory of God?”
41 So they took away the stone. Then Jesus looked up and said, “Father, I thank you that you have heard me. 42 I knew that you always hear me, but I said this for the benefit of the people standing here, that they may believe that you sent me.”
43 When he had said this, Jesus called in a loud voice, “Lazarus, come out!” 44 The dead man came out, his hands and feet wrapped with strips of linen, and a cloth around his face.
Jesus said to them, “Take off the grave clothes and let him go.”
45 Therefore many of the Jews who had come to visit Mary, and had seen what Jesus did, believed in him. 46 But some of them went to the Pharisees and told them what Jesus had done.
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これは、聖書でよく知られた「ラザロの復活」の情景です。
死亡したラザロをイエス・キリストが蘇らせたのです。つまり、死者を生き返らせたという奇跡です。

ラザロの墓に向かって、イエスが「大声で「ラザロよ、出てきなさい」と呼ばわれた」。すると、生き返ったラザロが墓から出てきたのです。

Wikipediaによれば、「伝承によれば、後にラザロはキプロスの初代主教となった。キプロス南東の都市ラルナカにある、聖ラザロ教会の地下クリプトにはラザロの墓所がある。正教会では、伝統的に聖枝祭(主のエルサレム入城)前日の土曜日(スボタ)をラザリのスボタと呼び、キリストによるラザロの蘇生を記憶する。また、南フランスの伝承では、姉妹マルタ、マリアらと共にサント=マリー=ド=ラ=メールに辿り着き、その後マルセイユの地で布教に励んだという」とされている。

今の霊能者で死者を蘇らせた例はない。この奇跡は、イエス・キリストが単なる霊能者ではなく、神様が遣わされた神の子であり、神様の力を与えられていたことを示している。

イエス・キリストのこのように、死人を蘇らせる力を見れば、イエスを殺害することは無意味なことが分かる。しかし、悪魔は、イエスの敵のユダヤ教の幹部やローマ兵に取り付いてイエスを殺害させることをやめなかった。悪魔の執拗さ、凶悪さは底知れない。

神様は、霊を人間に送って命を与えるお方であり、人を死から蘇らせることができるのは当然です。その神様の力を与えられたイエス・キリストも死者を生き返らせることができたということです。これは、霊界の存在を信じ、霊の存在を信じなければ理解できない。2千年前のパレスチナの人々は、霊を信じていたのです。

2千年前の日本は、まだ縄文時代の霊性が残っており、やはり、霊的存在を信じていたと思われる。弥生時代の稲作文化が普及し、やがて、天皇家の台頭が見られ、天皇神道が大和地方を中心に普及するにつれて、日本の霊性も天皇を中心に編成され、2千年後の今も、日本の精神的伝統になっている。その時代に、地中海沿岸のパレスチナ地方で、ローマ帝国に支配されたユダヤ人の間に神の子としてイエス・キリストが出現したことは、人類にとって大きな出来事だったのです。

ただし、世界ではイエス・キリストの出現の500年前に、インドではブッダが出現し、中国では孔子が現れ、ギリシアではソクラテスが現れて、人類の霊性が高められていた。そのような人類の霊的伝統は今も伝えられている。

しかし、死者を蘇らせた奇跡は、イエス・キリストの言行録を記したキリスト教の聖書のみに明確に記されており、他の聖者とイエス・キリストの相違を際立たせている。

また、イエスは十字架につけられて刑死した後に、自ら復活し、弟子たちに姿を現したことで、悪魔の陰謀に打ち勝ち、その後のキリスト教の発展をもたらした。悪魔はイエスが蘇ることを知っていても、人間として現れた神の子を人間的に苦しめることを望んだ。悪魔の愚かさと、神様のご威光が、この2千年の人類の歴史を作って来たことになる。

その象徴的な話が、「ラザロの復活」なのです。

死に打ち勝つ神様の霊的な力と、イエス・キリストが神様の力を受け継いだ事実を示すできごとなのです。

2026年7月22日水曜日

すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない (ローマの信徒への手紙 第 10 章) (“Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”)

 

9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。
10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
11 聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。
12 ユダヤ人とギリシヤ人との差別はない。同一の主が万民の主であって、彼を呼び求めるすべての人を豊かに恵んで下さるからである。
13 なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。(ローマの信徒への手紙 第 10 章)

9 If you declare with your mouth, “Jesus is Lord,” and believe in your heart that God raised him from the dead, you will be saved. 10 For it is with your heart that you believe and are justified, and it is with your mouth that you profess your faith and are saved. 11 As Scripture says, “Anyone who believes in him will never be put to shame.” 12 For there is no difference between Jew and Gentile—the same Lord is Lord of all and richly blesses all who call on him, 13 for, “Everyone who calls on the name of the Lord will be saved.”
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Wikipediaによれば、「『ローマの信徒への手紙』は、『新約聖書』中の一書で、使徒パウロの手によるとされる書簡。『ローマ人への手紙』や『ローマ書』(『ロマ書』)などとも呼ばれる。本書はパウロ本人によって書かれたものであるとみなされている七つの手紙の一つである」とされている。

また、「本書の中心テーマはイエス・キリストへの信仰を通して得られる救いである。パウロはアブラハムを引き合いに出してキリストによる神の恩寵を強調し、人が義(正しい)と決定させられるのは,信者の側の信仰と結び付いた、神の側のこの恩寵のみによることを力説している」と説明されている。

信仰心は、神様の恩寵と結びついて意味を持つとされ、あくまで神様を中心とした信仰心が必要だということです。人間中心の現代文明とは、考えが異なる。

ただし、神の名において、信仰による支配を教団が行うという、宗教専制主義の時代が来る恐れがある。だから、ローマ帝国崩壊後のヨーロッパでは、ヴァチカンの専制時代が続き、ルネッサンスまで中世の暗黒時代と呼ばれる時代が続いたが、実際は、暗黒ではなく、キリスト教の信仰が社会に普及した信仰の輝く時代だったとも考えられる。

ルネッサンス以後の人間中心の価値観が、キリスト教の縛りから人間を解放したというのが、今の歴史的解釈だが、その結果、物質文明が促進され、現在の地球温暖化などの危機を地球にもたらしている。

「ルネッサンス」から、「近代科学の誕生」、そして、「現代の科学・技術に基づく文明」というものは、「精神文明」を置き去りにして人間の欲望追及を無制限に求める文明になった。現代の諸問題は、この西欧のキリスト教解釈の不十分さから生じている。これは、キリスト教に悪魔が入り込んだからだとも考えられる。人間を神様の上に置くのは、まさに、悪魔の影響なのです。現代文明には、悪魔が入り込んでいると考えるのが必要です。「ロマ書」の時代には、人々はもっと神様を恐れ、信仰していた。世の中は、霊界に近かったと考えられる。紀元1世紀のことです。日本では、縄文文化の影響がまだ残っていた時代のことです。

だから、日本的霊性に基づいてイエス・キリストの教えを新たに解釈し、新たな霊的キリスト教を確立することが求められているのです。

イエス・キリストの死後、その弟子や信徒は、神様の意味や、イエス・キリストの意味について何年も議論してきた。その表れの1つが、パウロによる「ローマの信徒への手紙」なのです。

仏教も、ブッダの死後、その信徒たちがブッダの言葉を編纂したが、キリスト教では、神様という存在が大問題になって議論が続けられた。その伝統で、ヨーロッパ文化では、2千年間、人々が神様について議論するという伝統が出来上がり、欧米文明の基礎となった。まさに、ここに神様の力が現れ、欧米文明は人類を代表する文明となったのです。ヨーロッパでは神学が最も尊敬されている。

日本の霊性は、ヨーロッパほど神様の存在の意味を極めようとする文化ではなく、自然の中に神様の恵みを見出すという生活の中で育まれたが、究極的には神様の存在を認める文化です。

だから、イエス・キリストの言葉は、現代日本人でも理解できるし、神様の威力については受け入れることができる。

欧米の宗教のキリスト教としてではなく、人類を作られた神様を信じるという姿勢で、日本人は霊的なキリスト教を追求すべきです。


2026年7月20日月曜日

「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」 (ルカによる福音書 第 11 章) (For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened)

 


また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
2 そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
3 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
4 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(ルカによる福音書 第 11 章)

11 One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”
2 He said to them, “When you pray, say:
“‘Father,
hallowed be your name,
your kingdom come.
3 Give us each day our daily bread.
4 Forgive us our sins,
for we also forgive everyone who sins against us.
And lead us not into temptation.’”
5 Then Jesus said to them, “Suppose you have a friend, and you go to him at midnight and say, ‘Friend, lend me three loaves of bread; 6 a friend of mine on a journey has come to me, and I have no food to offer him.’ 7 And suppose the one inside answers, ‘Don’t bother me. The door is already locked, and my children and I are in bed. I can’t get up and give you anything.’ 8 I tell you, even though he will not get up and give you the bread because of friendship, yet because of your shameless audacity[e] he will surely get up and give you as much as you need.
9 “So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. 10 For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened.
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「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえる」といのは、聖書で有名なイエス・キリストの言葉です。

その理由が、「友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれる」というのは、イエスのユニークな説明です。

これは、神仏に熱心に祈れば、あまりにしつこいのに神仏が閉口して、願いを叶えてくれるということに通じる。信心よりも、熱意だということになる。

実際、熱心な人ほど願いが叶いやすいというのは、この世の出来事にも通じる。人は、相手の熱意に応じる。相手の意欲を推し量る。本気度を試す。生半可な気持ちでは、人を動かすことはできない。これは、この世の全てに通じる。

だから、牧師でも神父でも、修道士でも、修道女でも、絶えず祈りを唱える。一日に決まった時間しか祈らない宗教家は信用できない。聖母マリアの霊も人々の前に出現したときは、「常に祈りなさい」と祈りを勧めておられる。

ただし、霊能者の故政木和三のように、「神仏は人間の祈りなどかなえない」という人もいる。「ただし、欲を捨てて、神仏に頼らなくなった時に、願いは叶う」、と政木は無欲の奇跡を教えている。

また、霊力のあった医師の故塩谷信男も、「願いは叶ったと信ぜよ」と教えている。これらは、霊能力が発動しないと、この世でも願いは叶わないことを意味している。

それに対してイエス・キリストは、「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」と信仰心があれば、願い適うと述べておられる。つまり、信仰心をもてば、無欲になり、神様にすがるようになり、それに対して神様はこたえてくれる、というのが、神様に対する信仰心なのです。

本当の信仰心とは、「自己中心」の考え方から、「神様中心」の考え方に変えることであり、そのような信仰心を持てば、神様が願い事を叶えてくれるのです。

2026年7月17日金曜日

「その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った」 (マタイによる福音書 第 14 章) (His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother.)


3 というのは、ヘロデは先に、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕えて縛り、獄に入れていた。
4 すなわち、ヨハネはヘロデに、「その女をめとるのは、よろしくない」と言ったからである。
5 そこでヘロデはヨハネを殺そうと思ったが、群衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである。
6 さてヘロデの誕生日の祝に、ヘロデヤの娘がその席上で舞をまい、ヘロデを喜ばせたので、
7 彼女の願うものは、なんでも与えようと、彼は誓って約束までした。
8 すると彼女は母にそそのかされて、「バプテスマのヨハネの首を盆に載せて、ここに持ってきていただきとうございます」と言った。
9 王は困ったが、いったん誓ったのと、また列座の人たちの手前、それを与えるように命じ、
10 人をつかわして、獄中でヨハネの首を切らせた。
11 その首は盆に載せて運ばれ、少女にわたされ、少女はそれを母のところに持って行った。
12 それから、ヨハネの弟子たちがきて、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。
13 イエスはこのことを聞くと、舟に乗ってそこを去り、自分ひとりで寂しい所へ行かれた。しかし、群衆はそれと聞いて、町々から徒歩であとを追ってきた。(マタイによる福音書 第 14 章)

3 Now Herod had arrested John and bound him and put him in prison because of Herodias, his brother Philip’s wife, 4 for John had been saying to him: “It is not lawful for you to have her.” 5 Herod wanted to kill John, but he was afraid of the people, because they considered John a prophet.
6 On Herod’s birthday the daughter of Herodias danced for the guests and pleased Herod so much 7 that he promised with an oath to give her whatever she asked. 8 Prompted by her mother, she said, “Give me here on a platter the head of John the Baptist.” 9 The king was distressed, but because of his oaths and his dinner guests, he ordered that her request be granted 10 and had John beheaded in the prison. 11 His head was brought in on a platter and given to the girl, who carried it to her mother. 12 John’s disciples came and took his body and buried it. Then they went and told Jesus.
13 When Jesus heard what had happened, he withdrew by boat privately to a solitary place. Hearing of this, the crowds followed him on foot from the towns.
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AIでは、「新約聖書には「ヨハネ」と呼ばれる人物が複数登場しますが、代表的なのは次の二人です。名称 立場・特徴 関わる主な書物
洗礼者ヨハネ イエスに先立つ預言者、バプテスマを授けた人 福音書に登場する人物
使徒ヨハネ イエスの弟子の一人、「愛された弟子」と伝承 ヨハネ福音書、手紙、黙示録の伝承的著者
現在の聖書学では、これらの書をすべて同一人物が書いたかどうかは議論がありますが、教会の伝承では「使徒ヨハネ」に結びつけて語られることが多いです」と説明されている。

また、聖ヨハネはイエス・キリストの異母兄弟だったという説があり、また、イエス・キリストに洗礼を授けた先駆者だったという説がある。

そのヨハネは、ヘロデ王が亡き兄の妻と再婚したのを責めたので、ヘロデ王はヨハネを捕えていた。そして、ヘロデの妻もヨハネを憎んで、自分の子供のサロメにヨハネの首を望めと唆し、サロメはヘロデ王にヨハネの首を望み、ヘロデ王は部下にヨハネの首を切らせたという話しが聖書にのっている。

レオナルド・ダ・ヴィンチが幼児イエス。聖母マリア、ヨハネの母。そして、幼児ヨハネを一緒に描いた絵画が有名です。

いずれにしても、イエスの十字架上での刑死の前に、ヨハネの獄死という悲劇があった。イエスは酷くショックを受けたと思われる。それが、聖書に現れている。

悪魔は、イエス・キリストもヨハネも殺害させたが、キリスト教は生き残り、現在に至るまで発展し、キリスト教はヨーロッパやアメリカの宗教となり、ヴァチカンは今もローマ帝国の皇帝のような姿をしている。

キリスト教は。まさに、血塗られた宗教なのです。欧米の歴史はその上に打ち立てられている。キリスト教は、欧米の金持ちの平和な宗教ではない。ユダヤ教自体が、旧約聖書に現れているように、戦乱に明け暮れるユダヤ人の宗教であり、彼らの神はその守護神だったので、この残酷さは不思議ではない。その宗教観をイエス・キリストが一層し、愛と平和を説き、今の欧米の人道主義の礎となった。しかし、その背後の伝統には、日本民族には理解できない殺伐さがある。

また、中国では、秦の始皇帝が何十万人もの兵士を殺害して、秦帝国を作ったように、ローマ帝国はパレスチナのユダ人を追放し、他の民族と同じように武力制服をした。おまけに、ユダヤ人は敵だという間違ったキリスト教の教義で2千年間もユダヤ人は、ヨーロッパで迫害される。そのユダヤ人が安住の地を見出したのがアメリカであり、知的産業や金融業界を支配したユダヤ人が今も欧米の社会を支配しいていると言われる(ロスチャイルドなど)。

霊界を目指すキリスト教が、現世的なユダヤ人のイエス・キリストから生まれたというのは歴史の謎です。中国人からもインド人からもイエスは生まれず、ユダヤ人の貧乏人としてこの世に現れたのは、まさに、歴史の驚異です。

むしろ、イエス・キリストの教えは、日本の神道や仏教に近い。日本の霊性の伝統からイエス・キリストが生まれてもおかしくないが、日本人は皇室崇拝という道を選んだ。

日本の皇室が現れる以前の縄文時代に返って、日本人は生死と霊の問題を考えるべきです。
そもそも、人類はアフリカで生まれたが、皇室の祖先もアフリカ人だったと考える日本人はいない。

また、人類は宇宙からUFOに乗ってやって来たという説があり、イエス・キリストも聖母マリアも宇宙人だったという説もある。

いずれにしても、イエス・キリストは霊界の天国、神界の神様から派遣された人間だと考えれば、日本人も抵抗なく霊的なキリスト教が理解できる。
清貧生活をして、聖書を読むことが日本人にも(インド人、中国人、朝鮮人にも)求められる。

ただし、キリスト教徒になったからといって、高級な日本人になれるわけではない。日本の精神文化の延長に霊的なキリスト教を求めるべきです。

2026年7月15日水曜日

「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」 (マタイによる福音書 第 12 章) ( If it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you,)


25 イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。
26 もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。
27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
28 しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
29 まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。
30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。(マタイによる福音書 第 12 章)

25 Jesus knew their thoughts and said to them, “Every kingdom divided against itself will be ruined, and every city or household divided against itself will not stand. 26 If Satan drives out Satan, he is divided against himself. How then can his kingdom stand? 27 And if I drive out demons by Beelzebul, by whom do your people drive them out? So then, they will be your judges. 28 But if it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you.
29 “Or again, how can anyone enter a strong man’s house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man? Then he can plunder his house.
30 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
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イエス・キリストの言葉、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである」というのは、クリスチャンにとって、その行動の基礎となっている。

イエスの言葉に反発し、イエスの教えに従って、キリスト教徒を増やそうとしない者は、イエスの教えから人々を遠ざける者なのです。

特に、「(イエスが)神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきた」という言葉に、この世は悪魔の影響の下にあるが、イエスが神様の霊の力で人々から悪魔を追い出せば、神の国が人々を訪れると述べて、神様の霊の力で悪魔と戦うことが、イエス・キリストの使命だと宣言しておられる。

日本人も霊の存在を信じて、神仏の霊に祈って幸運をつかもうとするが、キリスト教では、明確に悪魔が人々を苦しめており、悪魔から人々を救うのが、イエス・キリストの使命だと述べている。

善悪は人間が作りだしたものであり、善悪の区別など本当はないと考える人間もいるが、まさに、それこそ悪魔の洗脳の結果なのです。神様は善を推奨しておられ、人間界に善をもたらし、強め、悪魔に打ち勝つように人間を正しく導くのがイエス・キリストの使命なのです。

悪魔は、この世には善も悪もない、物質的な幸福と不幸しかない。どんなに悪をしてでも、物質的に幸福になることだと、人間を洗脳する。悪魔に洗脳された人間は、学問でも宗教でも幸福を得るための手段だと考えて、真理をねじ曲げ、聖なるものを悪用し、最後は虚偽と堕落の中で物質的成功と幸福を得ようとする。だから、学問的なエリートや宗教のリーダーも悪魔に魂を売って、地位や富を求める、そこには、善悪を超えた境地だという偽りの説で、悪魔に魂を売ったエリートや富裕増の堕落した心がある。

あくまで、神様は全知全能で全善、至善の存在であるという真理を認めるのが、霊的なキリスト教なのです。

毎日の生活で、どこまで善を追求するかが信徒の生きる課題なのです、

物質的な幸福や成功が、信徒の求めるものではないのです。

だから、清貧生活を心がけて、聖書を読むのが、信徒の生きる姿なのです。



2026年7月14日火曜日

「その人に慈悲深い行いをした人です」 (ルカによる福音書 第 10 章)(“The one who had mercy on him.”)


25 するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。
26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。
27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。
28 彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。
29 すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とはだれのことですか」。
30 イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
31 するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。
32 同様に、レビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。
33 ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、
34 近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いでほうたいをしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。
35 翌日、デナリ二つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用がよけいにかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。
36 この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。
37 彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。 (ルカによる福音書 第 10 章)

25 On one occasion an expert in the law stood up to test Jesus. “Teacher,” he asked, “what must I do to inherit eternal life?”
26 “What is written in the Law?” he replied. “How do you read it?”
27 He answered, “‘Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your strength and with all your mind’[c]; and, ‘Love your neighbor as yourself.’[d]”
28 “You have answered correctly,” Jesus replied. “Do this and you will live.”
29 But he wanted to justify himself, so he asked Jesus, “And who is my neighbor?”
30 In reply Jesus said: “A man was going down from Jerusalem to Jericho, when he was attacked by robbers. They stripped him of his clothes, beat him and went away, leaving him half dead. 31 A priest happened to be going down the same road, and when he saw the man, he passed by on the other side. 32 So too, a Levite, when he came to the place and saw him, passed by on the other side. 33 But a Samaritan, as he traveled, came where the man was; and when he saw him, he took pity on him. 34 He went to him and bandaged his wounds, pouring on oil and wine. Then he put the man on his own donkey, brought him to an inn and took care of him. 35 The next day he took out two denarii[e] and gave them to the innkeeper. ‘Look after him,’ he said, ‘and when I return, I will reimburse you for any extra expense you may have.’
36 “Which of these three do you think was a neighbor to the man who fell into the hands of robbers?”
37 The expert in the law replied, “The one who had mercy on him.”
Jesus told him, “Go and do likewise.”
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これは、「隣人を愛せ」というイエス・キリストの教えに対し、「私の隣人とは誰の事ですか」と質問した律法学者へのイエスの答えです。「親切なサマリア人の譬え」として、有名なイエスの説明です。

強盗に襲われた旅人を見ても、祭司やレビ人は旅人を避けて歩いて行った。しかし、あるサマリヤ人はその旅人を介抱して、自分の家畜に乗せて宿まで送り届けた。このサマリア人こそが、その旅人の隣人なのだという教えです。

今の世で言えば、戦乱を逃れた難民や、自国のホームレスなど、不幸のどん底にいる人々は多い。そのような人を助けるのが、そのような人の隣人として相応しいと述べられたのです。

つまり、不幸な人を助けるのが、その不幸な人の隣人なのです。そして、「隣人を愛せ」とは、まさに、不幸な人を助けよということなのです。

今日では、テレビやインターネットで世界中の不幸な人のことが放送されている。その不幸な人を助けるのが、人間として「良き隣人」になることだという教えです。

これは、「良きサマリア人」の譬えとしてよく知られた教えです。

祭司とはまさにユダヤ教のエリートであり、「レビ人とは、旧約聖書においてイスラエル十二部族の一つ「レビ族」に属し、神殿や幕屋での奉仕・礼拝・運営を専門に担った人々を指します」とAIでは説明されている、要するに、エリートや富裕層は不幸な隣人には冷たい。しかし、「サマリア人とは、古代イスラエル北王国の首都サマリア周辺に起源を持ち、独自の律法理解と礼拝伝統を守ってきた少数民族・宗教共同体を指します」とAIでは説明されている。要するに、ユダヤ社会で非エリートです。非エリートの中にこそ、イエス・キリストの教えに従う人がいるとの教えです。

これは、今でも、不幸な人を助けるために寄付をするのは、自分も貧しい人が多い。不幸な人が互いに助け合うということが世の中の常識です。だから、人間社会は亡びずに生き抜いて来たのです。良き隣人たちが、互いに助け合って生き抜いてきたのが、人間社会なのです。

これは、自分の生存しか考えない他の生物には見られない人間の美点です。こうして、社会的な生き物である人間は、種として生き抜いて来たのです。不幸な目に合うことの多い一般人ほど、この譬え話は理解しやすかった。イエスは、悪魔に魂を売って成功者となったエリートや富裕層の心の冷たさを理解していたのです。

社会の中の貧しい人間の隣人となって彼らを助けるは、やはり、貧し人だということが、このイエス・キリストの教えなのです。

今日の日本の平和と繁栄をもたらした日本国憲法を作成したのは、皇室や財界人、官僚エリートではなく、旧日本軍と戦った貧しいアメリカ人のキリスト教徒を含む占領米軍なのです。だから、戦後の日本人はアメリカの一般人に親しみを感じ、アメリカの政治に関心を持ち続けたのです。

今日の日本国憲法をもたらしたのは、日本の皇室や財界、官僚エリートでも、世界の宗教のトップのローマ法王や、ユダヤ教の大富豪などではなく、素朴なキリスト教徒から構成されていた米軍のトップのマッカーサー元帥なのです。

日米戦争の後に日本を占領した米軍の司令官のマッカーサー元帥こそが日本人の良き隣人だったのです。

今でも、天皇神道を信じる日本人や、財界や官界にあこがれる日本人もいるが、彼らは、イエス・キリストのたとえ話に出てくる、当時のエリートのように、不幸な人には冷たいエリートなのです。

日本人は、「良きサマリア人」となって、世界中の不幸な人を助けることを求められているのです。これを信じるのが、「霊的なキリスト教」なのです。

2026年7月13日月曜日

神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い (コリントの信徒への手紙一 第 1 章) (For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.)

 

22 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。
23 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、
24 召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。
25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。
26 兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。
27 それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
28 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。
29 それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。(コリントの信徒への手紙一 第 1 章)

22 Jews demand signs and Greeks look for wisdom, 23 but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24 but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25 For the foolishness of God is wiser than human wisdom, and the weakness of God is stronger than human strength.
26 Brothers and sisters, think of what you were when you were called. Not many of you were wise by human standards; not many were influential; not many were of noble birth. 27 But God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong. 28 God chose the lowly things of this world and the despised things—and the things that are not—to nullify the things that are, 29 so that no one may boast before him.
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この「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」という言葉も印象的です。神様を信じて愚かに見える人間の愚かさは、自分の知恵に頼って賢く振舞う人間の賢さよりも優れており、神様を信じて弱く見えるよになった人間の弱さは、自分の力に頼って強く見える人間の強さより強いということです。

そして、人間の真実の賢さや強さは神様から来るものであるというのが、この教えなのです。神様の知恵や力の前では、人間の知恵や力は取るに足りないものだ、ということを教えているのです。

また、それは「神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選」んだと述べている。つまり、神様の前で人間の賢さや、人間の強さを誇ることがないようにするためです。

神様と人間の間には比較にならない巨大な差がある。それは、富士山と近所の公園の砂山以上の差がある。そして、信仰の力があれば、そのような神様の真実の知恵と力に近づくことができる。

今の世の中で言えば、世界一だと評価されるノーベル賞受賞者よりも賢く、世界一の権力者だと認められアメリカ大統領よりも力があるのが、神様であり、その知恵や力に与るのがイエス・キリストの信仰者なのです。

また、「有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれた」というのが、信仰者の判断なのです。

仏教でも王族出身のブッダやその信徒は、乞食をして人々より愚かで弱い者として、人々から食を恵んでもらう生き方をした。この伝統で、今も仏教の僧侶は、建前上はお布施で生きるようになっている。しかし、権力と結びついた高僧などは、権力者から多くの富を得たり、生活を保障されて生きるようになり、仏教は堕落したと言われる。現在のキリスト教も信者から多額の寄付を得て、大きな資産を持つ教会もあり、カトリックのバチカンなどは、かつてのローマ皇帝のような豪華な衣装を着ており、また、ヴァチカンの資産も巨額だとされている。

人間世界でどんなに賢者だといわれても、神様の知恵と比べれば、赤子のようなものであり、人間世界で最強だと言われても、神様の前では赤子のような力しかないということを人間に思い知らさせるのが神様の意志だということになる。要するに、赤ん坊が親を敬うように、人間は神様を敬う必要があるのです。

この世も、死後の霊界も神様が作ったものであり、人間界の知恵も力も神様が人間に与えたものであり、人間は神様の前で己の存在の限界を思い知らねばならない、というこです。

むしろ、この世は、神様がその知恵と力を表すために作られたものであり、その道具として使われているのが人間なのです。この世でも霊界でも主人公は神様であり、人間や悪魔などは取るに足りない端役なのです。

だから、信者はその偉大な神様を褒め称えざるを得ない。仏教で言えば、自分の我を捨て去って法に従い、他力本願で生きよということになる。キリスト教でも、「全ては神様の思し召しのままに」と祈る。万物の創造主の全知全能、かつ、全善の神様の知恵と力と善を信じるのが、信者の義務だということになる。

だから、神様から知恵と力を善を与えられた信徒が、ノーベル賞を取り、オリンピックで金賞を取り、聖者だと崇められてもおかしくない。しかし、そのような信者は、この世的には貧しく、弱い、愚かな者だとして人々の前に現れる。信仰心のない愚かな人間は、そのような人間の聖性を認めることができず、軽蔑し、軽んじる。しかし、やがて真実の力が現れて、その愚者や弱者だと思われていた人間が、本当はこの世の王者だっというのが、聖書のイエス・キリストの物語りなのです。

実際、当時世界最強のローマ帝国の皇帝が、キリスト教を信じ、ローマ兵が十字架上で殺害したイエス・キリストの前にひれふすようになるのです。最強のローマ帝国の片隅でローマ兵に殺された無名のイエス・キリストを、ローマ帝国の皇帝が崇めるようになったのが、歴史的事実なのです。また、乞食のような姿で伝道をしていたブッダを、インドの皇帝や中国の皇帝、日本の皇室が崇めるようになったのが東アジアの歴史なのです。

今でも、ローマ法王はローマ皇帝のような衣装を着て、ある意味では皇帝のように振舞っている。そして、十字架上の罪人の姿をした弱々しいイエス・キリストの像の前にひざまずいている。世界一の宗教団体であり、世界最強のアメリカの事実上の国教のキリスト教のトップであるローマ法王が、十字架上の罪人のみすぼらしいイエス・キリストの像を崇めている。これは、乞食の姿をしたブッダの像を日本の大僧正が崇める以上に、衝撃的な姿なのです。

この世の、知恵も富も、善も、神様の知恵と力と善に比べれば、無と同然なのです。これを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。

2026年7月12日日曜日

「だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」 (マタイによる福音書 第 25 章) (“Therefore keep watch, because you do not know the day or the hour.”)


そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。
2 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。
3 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。
4 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。
8 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。
9 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。
10 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。
11 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。
12 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。
13 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。(マタイによる福音書 第 25 章)

“At that time the kingdom of heaven will be like ten virgins who took their lamps and went out to meet the bridegroom. 2 Five of them were foolish and five were wise. 3 The foolish ones took their lamps but did not take any oil with them. 4 The wise ones, however, took oil in jars along with their lamps. 5 The bridegroom was a long time in coming, and they all became drowsy and fell asleep.
6 “At midnight the cry rang out: ‘Here’s the bridegroom! Come out to meet him!’
7 “Then all the virgins woke up and trimmed their lamps. 8 The foolish ones said to the wise, ‘Give us some of your oil; our lamps are going out.’
9 “‘No,’ they replied, ‘there may not be enough for both us and you. Instead, go to those who sell oil and buy some for yourselves.’
10 “But while they were on their way to buy the oil, the bridegroom arrived. The virgins who were ready went in with him to the wedding banquet. And the door was shut.
11 “Later the others also came. ‘Lord, Lord,’ they said, ‘open the door for us!’
12 “But he replied, ‘Truly I tell you, I don’t know you.’
13 “Therefore keep watch, because you do not know the day or the hour.
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これは、「賢い花嫁」の譬えと呼ばれるイエス・キリストの有名なたとえ話です。

5人の賢い花嫁は、灯りを準備していたが、5人の思慮の浅い花嫁は灯りを準備していなかったので、婚宴の部屋に入れなかったという話しです。結論は、「目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである」とされている。

実際、物事は思わない時に生じる。事件が起きる前に、準備をすることができないうちに生じる、そのような、事件の前に備えができない人々のことを、イエスは警告したのです。

だから、予言や予知の能力は限られている。誰にも、そのような能力があるわけではない。しかし、霊的な能力によって、予知能力を得た人もいる。特に、大戦争や革命などを予知した例も多い。また、ノストラダムス(改宗ユダヤ人の子孫のキリスト教徒)の予言詩も有名です。しかし、世界の終末などを予言した宗教家も多いが、それが今までにあたったことはない(インチキ宗教家によるインチキ予言)。

たとえば、百年前に現在の世の中の状況を予言できた人間はいない。現実は、予言を大きく裏切る。偶発的な出来事が、後に大きな意味を持ちる場合もある。それでも、大きな流れを見誤ることなく、合理的に判断すれば、だいたいの未来の出来事は分かる。まさに、「思慮深い花嫁」のようにふるまうことも可能です。

日本の霊能力者の多くは、20世紀の末から、大気汚染(CO2の増大)による異常気象の発生を警告していた。石油・石炭などの化石燃料の使い方を間違っているために、大気が汚染され、地球環境が悪化することが予言されており、21世紀の今日では、温暖化が進んでいる。

特に、故塩谷信男や故政木和三は、近い将来、地球は大規模な異常気象に見舞われると述べていた。ガソリンエンジンの排気ガスが自然を損なうと予言していた。

また、1995年の阪神大震災や2011年の東日本大震災を予言していた霊能漫画家もいる(たつき諒など)。また、戦後にロボットの漫画を描いた手塚治虫も現在のロボット時代を予言していたとも考えられる。どこかに、予言能力をもった芸術家もいるものです。

イエス・キリストは、霊能力で人類の未来を見たと思われる。彼の生きた時代の30年後に、ユダヤ戦争が生じて、ローマ帝国によってエルサレム神殿が破壊され、世界中にユダヤ人が離散することをイエスは予知できたと思われる。その結果、ユダヤ教は亡びる可能性があったが、イエスの出現によってキリスト教だけでなく、ユダヤ教も旧約聖書として生き残ることになった。イエス・キリストの出現は、キリスト教を成立させただけでなく、ユダヤ教をも救ったのです。

これは、神様がユダヤ人の祖先のアブラハムなどに、神がユダヤ人を守ると4千年前に述べた約束を守られたことを意味すると考えられる。神様は、ユダヤ人を守るためにイエス・キリストを世に派遣されたとも考えられる。ユダヤ人はキリスト教社会で迫害されたが、歴史上、抹殺されることはなく、現在まで生き残り、しかも、世界の金融界を支配していると言われる。ドイツ・ナチスの迫害にも耐えて、ユダヤ人は世界最強のアメリカを支配していると言われる。

また、戦後の日本の新憲法をマッカーサー元帥の下で作ったのも、キリスト教徒のアメリカ人ばかりでなく、ユダヤ人もいたことが知られている。日本国憲法は、日本の仏教や天皇神道のお陰ではなく、キリスト・ユダヤ教のお陰なのです。つまり、現在の日本の平和と繁栄は、キリスト・ユダヤ教のお陰なのです。

21世紀には、キリスト・ユダヤの宗教が世界の主流になることをイエスは見ていたのだろう。しかし、そこに悪魔も介入する。ユダヤ人のマルクスが打ち立てた共産党思想が、中国やロシアに影響を及ぼし。また、同じ神様を崇めながら、ユダヤ・キリスト教と敵対する(アメリカ・イスラエルとイランの戦いなど)イスラム教も何億人という信者を有している。悪魔は、まだ、世界を破滅させようとしている。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒に悪魔が入り込んでいる。日本よりも、中国・朝鮮に入り込んだ悪魔は執拗で危険です。

イエス・キリストの生誕から2千年たった今日、世の終わりが近づいるとの予言もある(ニュートンによる2060年の時代の終焉の予言など)。もし、時代の終焉、物質文明の終焉が近いなら、日本人も霊的な新文明に備えるべきです。

そのためには、日本的霊性を取り戻し、霊的な宗教を研究し、人類最大の霊能力者のイエス・キリストが始めた霊的なキリスト教を学ぶべきです。霊的には、仏教や神道の延長上にイエス・キリストの教えがあるのです。

今世紀中に、現在の物質文明が終了し、新しく霊的な文明が始まるのです。22世紀には、霊能力が科学を超える力を発揮するだろう。今、奇跡と呼ばれることが普通に生じるようになり、人類はUFOを作成して、宇宙を自由に飛び回れるようになるだろう。

日本人も、その新時代に備え、貢献すべきです。

2026年7月11日土曜日

「世はあなたがたを憎み得ないが、わたしを憎んでいる」 (ヨハネによる福音書 第 7 章) (”The world cannot hate you, but it hates me.")


2 時に、ユダヤ人の仮庵の祭が近づいていた。
3 そこで、イエスの兄弟たちがイエスに言った、「あなたがしておられるわざを弟子たちにも見せるために、ここを去りユダヤに行ってはいかがです。
4 自分を公けにあらわそうと思っている人で、隠れて仕事をするものはありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をはっきりと世にあらわしなさい」。
5 こう言ったのは、兄弟たちもイエスを信じていなかったからである。
6 そこでイエスは彼らに言われた、「わたしの時はまだきていない。しかし、あなたがたの時はいつも備わっている。
7 世はあなたがたを憎み得ないが、わたしを憎んでいる。わたしが世のおこないの悪いことを、あかししているからである。」(ヨハネによる福音書 第 7 章)

2 But when the Jewish Festival of Tabernacles was near, 3 Jesus’ brothers said to him, “Leave Galilee and go to Judea, so that your disciples there may see the works you do. 4 No one who wants to become a public figure acts in secret. Since you are doing these things, show yourself to the world.” 5 For even his own brothers did not believe in him.
6 Therefore Jesus told them, “My time is not yet here; for you any time will do. 7 The world cannot hate you, but it hates me because I testify that its works are evil.
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これは、イエス・キリストの家族について記された聖書の中の少ない記述です。

イエスには兄弟がいたが、彼らはイエスが神様の子であり、救世主だということを信じていなかった。ここから、さまざまな説が生じている。イエスの生涯を霊視できたという作家もいる。また、霊感に基づいてイエス・キリストの生涯を描いた作家もいる。2千年前の無名の人物について、その存在を証明することは難しい、しかし、ローマ軍の公式な記録や、ユダヤ教の歴史を調べた人がイエス・キリストの存在を信じていたので、イエスの存在は間違いがない。

全く存在しない人物について、新約聖書が書かれるということは考えられない。

最初にイエス・キリストのことを書いた歴史家は、ティトゥス・フラウィウス・ヨセフス(37年 - 100年頃)であり、「帝政ローマ期のユダヤ人政治家、著述家。66年に勃発したユダヤ戦争で当初ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃。後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した」(Wikipedia)とされている。

イエスもブッダのように、自ら書物を記すことはなかった。四人の人物が、イエス・キリストの生涯を記し、初期教会で広く読まれたので、新約聖書の中に入れられることになった。

新約聖書とは、「イエスの言行を伝える使徒による福音書と、その手紙などからなるキリスト教の教典。はじめコイネーで書かれ、4世紀末にラテン語訳された。16世紀の宗教改革期に印刷され、普及した」(世界史の窓(https://www.y-history.net/appendix/wh0103-143.html))とされている。

ただし、福音書の作者自体もよく知られていない。AIでは、四人の福音書の作者について、「4人の作家は、イエスとの関係性や、それぞれが執筆した書物の特徴によって以下のように分類されます。
マタイ:イエスの直弟子(十二使徒)の一人。人間(または天使)が象徴。
マルコ:使徒ペテロの通訳や弟子とされる人物。ライオンが象徴。
ルカ:医師であり、使徒パウロの旅の同行者とされる人物。雄牛が象徴。
ヨハネ:イエスの直弟子(十二使徒)であり、「愛された弟子」とされる人物。鷲が象徴」とされている。

また、イエスの兄弟については、「イエスの兄弟縁者達はエルサレム教団の指導的地位を占めたが、パウロ派の教団と一線を画した。前者がユダヤ人を対象としたのに対して、後者が異邦人を対象としたからである」とWikipediaで紹介されている。

要するに、キリスト教は2千年前に無名のユダヤ人が一人で始めた宗教であり、今でもイエスを信じないユダヤ教徒は多い。新約聖書が定められるまで、イエスの死後約300年たっており、イエス・キリストの生涯については、まだ謎の部分がある。現代では、その生涯について映画もつくられ、小説も書かれている。特に霊感に従って、イエスの生涯を書いたという修道女や作家もいる。

さらに、日本でイエスが死んだという説もある。また、イエスは若いころにインドで修業をしたという説もある。ブッダや孔子も2500年前に現れた人物だが詳しいことは謎です。イエス・キリストも、キリスト教がローマ帝国の国教となるまでは、一部の信者に知られていただけの人物であり、聖書の福音書が第一の歴史的記録になっている。

まさに、霊感を得て霊視しなければ、真実は分からない。

それでも、聖書の記述を信じる人は世界に10億人を超える。

実際、イエス・キリストに霊能力がなければ、今日までキリスト教は伝えられなった。聖書自体にも霊的表現が多い。霊的能力がなければ、イエス・キリストの兄弟でも、イエスが神様によって遣わされた者であることに気がつかない、

イエス・キリストは、インチキ宗教家ではなかったことを認めることが、信仰の第一歩なのです。

2026年7月10日金曜日

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」 (創世記 第 3 章) (For dust you are and to dust you will return.”)



13 そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。
14 主なる神はへびに言われた、/「おまえは、この事を、したので、/すべての家畜、野のすべての獣のうち、/最ものろわれる。おまえは腹で、這いあるき、/一生、ちりを食べるであろう。
15 わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
16 つぎに女に言われた、/「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、/彼はあなたを治めるであろう」。
17 更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
18 地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。
19 あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
20 さて、人はその妻の名をエバと名づけた。彼女がすべて生きた者の母だからである。(創世記 第 3 章)

13 Then the Lord God said to the woman, “What is this you have done?”
The woman said, “The serpent deceived me, and I ate.”
14 So the Lord God said to the serpent, “Because you have done this,
“Cursed are you above all livestock
and all wild animals!
You will crawl on your belly
and you will eat dust
all the days of your life.
15 And I will put enmity
between you and the woman,
and between your offspring and hers;
he will crush your head,
and you will strike his heel.”
16 To the woman he said,
“I will make your pains in childbearing very severe;
with painful labor you will give birth to children.
Your desire will be for your husband,
and he will rule over you.”
17 To Adam he said, “Because you listened to your wife and ate fruit from the tree about which I commanded you, ‘You must not eat from it,’
“Cursed is the ground because of you;
through painful toil you will eat food from it
all the days of your life.
18 It will produce thorns and thistles for you,
and you will eat the plants of the field.
19 By the sweat of your brow
you will eat your food
until you return to the ground,
since from it you were taken;
for dust you are
and to dust you will return.”
20 Adam named his wife Eve, because she would become the mother of all the living.
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AIによば、「創世記は、旧約聖書の最初の書です。* 天地創造 *や人類の始まり、ノアの洪水、アブラハムらの物語を扱います」とされている。また、「一般に紀元前6〜5世紀ごろに現在の形へまとめられたと考えられています」と説明されている。

「あなたは、ちりだから、ちりに帰る」というのは、キリスト教の葬儀でも使われる有名な言葉です。人間は、「ちり」から神によって作られたものなので、大地の「ちり」に帰るというのが、キリスト教の死生観です。しかし、人間の魂は、肉体の死後、霊界で天国に受け入れられるという教義がキリスト教では、定められている。これが、キリスト教という宗教なのです。

「妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る」という神様の言葉通りに、人類は苦労をして食物を大地から得てきたという歴史観が現れている。

これは、男尊女卑の考えというよりは、神様の教えを軽んじるという人間の性向を指摘している。そして、エバをそそのかした蛇は、悪魔の化身だったというのがキリスト教の解釈です。悪魔は、妻のエバの心にまず入り込み、そしてその夫も妻の言葉に従って、神様の教えを無視するようにさせた。蛇の言葉など信じないアダムも、妻のエバの言葉には従った。悪魔の狡猾な作戦です。

しかし、神様は悪魔の狡猾さに屈することはなく、蛇(悪魔)を罰し、また、蛇の作戦にひっかかったアダムとエバを楽園から追放する。神様のご威厳は損なわれてはならない。

これが、原罪と呼ばれる人類が負った罪です。AIでは、「原罪とは、最初の人間アダムとエバが神に背いて犯した罪が、その子孫である全人類に受け継がれているとするキリスト教の教えであり、人は生まれながらに神との関係が損なわれた状態にあると理解されます」と説明されている。

この意味でキリスト教は、人間と神様の関係は楽観的なものではなく、悲劇的な面の強い関係だと規定している。そして、神様の子のイエス・キリストも悪魔に魂を売った人間によって十字架の刑にかけられるという悲劇を経験している。

いかに、悪魔の神様への抵抗が根強いものであるのかが分かる。悪魔は人間の心に入り込み、神様の教えを無視させるという性向が、旧約聖書の創世記の中に記されており、新約聖書でも神様の子のイエス・キリストを殺害することに成功している。人類の歴者は、まさに、神様とそれに反抗する悪魔の戦いに巻き込まれた人類の苦労の歴史だということになる。

神様は、悪魔も人類も作らなければ、霊界もこの世も天国だったのだが、そのような問題も許すことで、神様はそのような不完全さを含む、より大きな完全を目指したことになる。

しかし、そのドラマもやがて終わる。神様は悪魔も人類も必要としなくなり、この世でも霊界でもやがて神様のご威光が世界を支配する。

これを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。全ては神様の意志にかかっている。

アダムとエバの物語りは、その一端を示す人類の霊的な出発点なのです。

神様によって、「ちり」から生み出された人間は、再び「ちり」に帰る。しかし、肉体という「ちり」を離れた霊は、神様への信仰によって天国に受け入れられるというのが、霊的なキリスト教なのです。

全知、全善の神様を信頼することが、人類の義務なのです。

2026年7月8日水曜日

「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」 (マルコによる福音書第 8 章) (“Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”)


30 するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。
31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、
32 しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、
33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。
34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。
35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。
36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。(マルコによる福音書第 8 章)

30 Jesus warned them not to tell anyone about him.
31 He then began to teach them that the Son of Man must suffer many things and be rejected by the elders, the chief priests and the teachers of the law, and that he must be killed and after three days rise again. 32 He spoke plainly about this, and Peter took him aside and began to rebuke him.
33 But when Jesus turned and looked at his disciples, he rebuked Peter. “Get behind me, Satan!” he said. “You do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”
34 Then he called the crowd to him along with his disciples and said: “Whoever wants to be my disciple must deny themselves and take up their cross and follow me. 35 For whoever wants to save their life[b] will lose it, but whoever loses their life for me and for the gospel will save it. 36 What good is it for someone to gain the whole world, yet forfeit their soul? 37 Or what can anyone give in exchange for their soul? 38 If anyone is ashamed of me and my words in this adulterous and sinful generation, the Son of Man will be ashamed of them when he comes in his Father’s glory with the holy angels.”
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「人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか 」というイエス・キリストの言葉は、イエスの考え方の基本です。この世の富や権力は、人の命と比べれば無に等しいと延べられたのです。物質文明に対する痛烈な批判です。

物質文明の下では、人々は幸福を目指して富を求め、また、他人や他国に対する優越感を求めて権力を追求する。しかし、そもそも自分の命が失われれば、富や権力は意味を持たない。しかし、狡猾で狂った悪魔は人々の心に入り込んで富や権力を追求させる。

それにつながる生き方や考え方は、まさに、悪魔の影響によるものです。そして、悪魔の手にかかってイエス自身が殺されるとの予言までした。その時、年上のペテロが、この過激なイエスの説教を聞いて、少し慎むようにイエスを諫めるような発言をしたとき、イエスはペテロの心の中に悪魔が入り込んだと考えて「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と逆にペテロを叱ったのです。

後に初代ローマ法王と呼ばれたペテロの心の中にすら、悪魔が入り込んだのです。それは、神様のことより、世間体や宗教人としての配慮に重きを置いた発言をペテロがしたことに現れている。この世や人間界のことを中心に考えれば、神様の教えなど実行できるはずはない、というのが当時も今も常識なのです。

「私はやがて悪魔やその手下のユダヤ教の幹部に倒される」とイエスが述べるのは、弟子たちにとって理解できない発言であり、人間として受け入れられない言葉だったのです。

しかし、イエスは「邪悪で罪深いこの時代」として、世の中は悪魔の影響下にあることを指摘し、「わたしとわたしの言葉とを恥じる」者は、イエスの弟子には相応しくなく、神様もそのような者が悪魔の手下となったと判断し、イエス・キリストも自分の弟子にそのような者がいることを恥じると言っておられるのです。

イエスより年長者のペテロは、社会的経験よりも、神様の心に近いことが威力を持つのだとして、イエス・キリストに従うことになるのです。背後に神様のいるイエスと、悪魔の影響を受けた人間では、比較にならない。若い人間でも神様の霊を受けた人間には従うべきだというのが、今の宗教界でも常識になっている。若くても、霊感があれば教祖になれる、というのが今も宗教かいでも常識です。

社会の中の経験や、人間的な修行の長さなどよりも、神様の霊を受けることが重要なのです。神様が指定した人間が、その宗教団体を率いるのは当然だという考えは、今ではどの宗教でも常識になっている。そして、イエスは、たとえ年上のペテロでも、悪魔に影響されれば、それを指摘されたのです。

これは、ローマ法王ですら悪魔の影響を受けることがある、ということを聖書は認めたことになる。「全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」という言葉は、現在10億人以上の信者の上に立つローマ法王を諫める言葉になっている。

仏教の教派の教祖になっても、その心に悪魔が入り込むことがあり、神道の神官になっても、その心に悪魔が入り込むことがある。しかし、宗教の幹部になっても、その命を失えば無意味になる。

そもそも、宗教とは命を助けるものであり、命を失うようなことをするのは、宗教の否定なのです。悪魔に魂を売ったとき(神様を否定し、その教えを軽んじる行為)には、宗教の教祖よりも、無名の純粋な信徒の方が神様から高く評価される。

さらに、イエス・キリストは、たとえご自分がこの世で悪魔に殺されても、将来、再び神様の「光のうちに聖なる御使たちと共に」やって来ると述べて、神様とご自分を信頼するようにと述べられたわけです。

真のキリスト教は、この世のためのものではなく、この世から霊界を貫く神様の栄光を讃えるものなのです。それを、信じれば、信徒は人間界でも神様のご威光によって救われるというのが、霊的なキリスト教なのです。


2026年7月6日月曜日

岩の上に自分の家を建てた賢い人 (マタイによる福音書 第 7 章)(a wise man who built his house on the rock)


 22 その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。
23 そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。
24 それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。
25 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
26 また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。
27 雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである」。
28 イエスがこれらの言を語り終えられると、群衆はその教にひどく驚いた。
29 それは律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられたからである。(マタイによる福音書 第 7 章)

22 Many will say to me on that day, ‘Lord, Lord, did we not prophesy in your name and in your name drive out demons and in your name perform many miracles?’ 23 Then I will tell them plainly, ‘I never knew you. Away from me, you evildoers!’
24 “Therefore everyone who hears these words of mine and puts them into practice is like a wise man who built his house on the rock. 25 The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house; yet it did not fall, because it had its foundation on the rock. 26 But everyone who hears these words of mine and does not put them into practice is like a foolish man who built his house on sand. 27 The rain came down, the streams rose, and the winds blew and beat against that house, and it fell with a great crash.”

28 When Jesus had finished saying these things, the crowds were amazed at his teaching 29 because he taught as one who had authority, and not as their teachers of the law.
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これは、「岩の上に自分の家を建てた賢い人」の譬えとして知られるたイエス・キリストの教えです。

また、信仰のない悪人をイエスが拒絶することを、「わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』」と述べて明確にしておられる。

そして、イエス・キリストは、「律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように、教えられた」と聖書は述べている。イエスは、宗教学者などは及ばないような霊的権威を持っておられたことが明らかになっている。単なる「知識」ではなく、「権威」もイエスにはあったのです。

真実の信仰があれば、この世の浮き沈みに一喜一憂することもなく、まさに、大船に乗ったかのように安心して安全な人生行路を続けられる。また、どんな嵐にも耐えられる強固な家に住んでいるようなものであり、人生の土台が崩壊し、破滅することもない。

それは、万全の保険に加入しているようなものであり、心配とは無縁の生活が真の信仰心の上に打ち立てられる。

逆に、イエスの説教を聞いても、その言葉を実行しない者は、「砂の上に自分の家を建てた愚かな人」だということになる。この世でどんなにエリートになり、富裕層になっても、人生の危機に見舞われ、「倒れ方はひどい」と言われる人生の崩壊に直面する。それは、表には現れないかも知れないが、その人間のよって立つ信念も崩すような大雪崩となる。表面は取り繕えても、そのような人間は狂気、暗黒、混乱、喪失感、或いは、無気力・無感動状態になる。

実際に、無神論の人間が死の直前に神様の存在や霊界の存在に気が付いても、もはや、その生き方を修正することはできない。人には親切にしておくべきだったと後悔しても、もはや時間はない。このようにして、何度も何度もこの世に生まれ変わって修業を続けるしかない。これは、霊的な運命に関わる大問題です。

霊的な力や存在を認めない学者やエリートなども、死を前にしてこの世の真理に気が付いても、もはや人生をやり直すことはできない。キリスト教を慌てて信じても、死後は、霊界でイエス・キリストに、「お前など知らない、去るがよい」と言われて天国には入れてもらえない。この世の肩書や富は、霊界では何の役にも立たない。霊界では、愛と信仰の実績しか意味を持たない。そして、愛と信仰の生活は、岩の上の家のように、この世の嵐にも耐えて、その人を守るのです。

このような信仰の霊的な力、人間界での力を信じるのが、「霊的なキリスト教」なのです。

2026年7月5日日曜日

「けがれた霊よ、この人から出て行け」 (マルコによる福音書 第 5 章) (“Come out of this man, you impure spirit!”)

 

2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)

2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.

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これは、「けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった」という劇的な、イエス・キリストによる悪魔祓いの情景であり、悪魔・悪霊が2千匹の豚の中に入って、崖から海へとなだれ落ちたという話しです。

悪魔・悪霊は人の心だけでなく、動物の心にも入り込むのです。イエスは、悪魔・悪霊を人間の心から追い出し、豚の心の中に移し替えることが出来たのです。

このように、悪魔・悪霊に取り付かれる人は、「迷信」を信じる人が多かった古代にはよく見られた。霊的な現象を素直に信じる人が多かった古代には、そのような人は霊の侵入も素直に受け入れる状態になっていて、いつのまにか、彼らの心が悪魔や悪霊に支配されることが多かった。

日本でも、古代から呪術が行われており、イエスのように悪魔祓いや、悪霊の追放を行う霊的な術者や宗教人、修行者、行者と呼ばれる人がいた。時代が進み、それは見えない悪霊の仕業ではなく、精神的な病や錯乱が原因だと医学的に判断されて、「迷信」が社会から無くなると、悪魔付きという現象は見られなくなった。又は、科学の発展により、目に見え実証できる因果関係に原因の追究が行われ、悪魔付きの現象は社会の表面から隠されるようになった。(ただし、今でも悪魔祓いはカトリックなどのキリスト教会で行われている。)

これは、全ての霊的な問題に対する考え方に影響を与え、科学的に実証できなものは、単なる気のせいだとか、古い考え方だと判断され、霊的な存在が無視されるようになったことに通じる。

しかし、人々の間に霊は存在するとの伝統的な考え方は残っており、学校では教えないが、現実に霊的な体験をする人は後を絶たない。そこで、現代科学では教えない霊的な問題を扱う霊能者が密かに認められている。(日本の天皇の最も重要な仕事は皇居内の社で神道の祈りを捧げることだとされている。)

最近の日本でも、故・宜保愛子などの霊能者がテレビで脚光を浴びたり、霊的体験を小説に書いたりした故・佐藤愛子などの本がよく読まれたり、霊的現象を超常現象として報告するテレビ番組に出演する人もいる。また、霊の力を借りて心霊治療を行う人も世界では報告されている。

ただし、科学では霊的な存在は扱えず、学校などで扱うことはないし、特に医学ではそれは人間の特殊な心理状態だとされて、精神医学や心理学の問題(超心理学)とされ、文化的には古い迷信だとされ、宗教上の別世界の問題だとされたり、芸術上の霊感などの合理性の通じない問題とされている。

しかし、全ての宗教は霊的な存在を認めており、不思議な出来事は存在すると考える人も多い。科学万能という考えには、限界があることを素直に認める人もいる。(ニュートンもアインシュタインも科学の限界を認めている。)

最近では、東大病院の医師だった矢作直樹は、自分の霊的体験を通して霊の存在や死後の霊界の存在を信じて著作に発表している。また、UFO研究家の矢追純一も超常現象を追求して、超能力や霊的な力の存在を信じている。テレビでは、霊能者が出演する番組が高い人気を誇ったこともある。(ユリ・ゲラーのスプーン曲げも霊能力の一種だとされている。)

しかし、社会の公の場で、霊的な問題が議論されることはない。人が死ねば無になり、霊界は創造の産物だという考えが主流です。それでも、宗教を求める人は多く、霊的な認識は社会の底流で生きている。

その代表的なものが、キリスト教なのです。天国を認めないキリスト教の教会はない。死後の世界を認めない聖職者はいない。そして、キリスト教の聖書では、イエス・キリストの霊的な言葉が記載されている。また、仏教もブッダ(お釈迦様)の霊能力を認めた上で成立しており、極楽・地獄を認めない僧侶はいない。また、神道も神霊を祀る神社を廃止するようなことはない。そして、日本の文化自体が、茶道や華道、ナントカ道などという精神的な価値を重んじ、精神の根本である霊性を尊重している。これらを総体として、日本の霊性という(鈴木大拙の著書が有名)。つまり、西欧の科学を尊重する公の世界では、霊的問題は非科学的だとして無視されているが、一般の人々の間には、霊を認める文化がある。しかし、西欧の科学も、西欧のキリスト教文化から生まれたものであり、キリスト教は霊を認める宗教なのです。

霊の文化から生まれた科学では、霊を否定するという現象が、欧米文化が支配する世界で見られるという矛盾が世界的に見られる。これが、現在の物質文明の実態です。実際、カネはモノを得るための手段であり、精神的価値も経済的な価値に変えられて売り買いされる。宗教の書物(聖書や仏典など)も、値段がついている。宗教団体も金銭勘定ができなければ成り立たない。

それでも、キリスト教の聖書には、イエス・キリストが、霊的な存在の聖霊・天使や悪魔などを扱った言葉が記述されている。

キリスト教とは、本来、霊を扱う宗教であり、それは仏教や神道でも変わらない。また、キリスト教の聖書、特に福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)はイエス・キリストの霊的な生き方を記したものなのです。

そして、この世は大宇宙も含めて神様が霊的な力で創造されたものであり、人間界にも霊的な力が及び、さらには、人間の死後の霊界も神様が作られたものだということを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。

2026年7月4日土曜日

「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」 (ヨハネによる福音書 第 3 章) (Flesh gives birth to flesh, but the Spirit gives birth to spirit.)

 

5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
9 ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。
10 イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。(ヨハネによる福音書 第 3 章)

5 Jesus answered, “Very truly I tell you, no one can enter the kingdom of God unless they are born of water and the Spirit. 6 Flesh gives birth to flesh, but the Spirit gives birth to spirit. 7 You should not be surprised at my saying, ‘You must be born again.’ 8 The wind blows wherever it pleases. You hear its sound, but you cannot tell where it comes from or where it is going. So it is with everyone born of the Spirit.”
9 “How can this be?” Nicodemus asked.
10 “You are Israel’s teacher,” said Jesus, “and do you not understand these things?
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「肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である」というのは、神学の基礎になるイエス・キリストの言葉です。

この世界は、見える世界(物質界、人間界、肉体の世界)と見えない世界(霊界、死後の世界)から成っていると、今の日本の多くの霊能者も述べている。イエスも霊能者だったので、見えない世界(霊の世界)が見えていたのです。

そして、人々を導く師と呼ばれる人なら、「これぐらいのこと」は分かるはずだと述べておられる。つまり、霊的な理解は宗教の指導者であれば、当然だということです。

今の日本でも故宜保愛子などは霊視ができて、テレビにもよく出演していた。彼女は、他人に取り付いている霊が、意識的に、又は、無意識的に見えたという。大部分はその人の守護霊だが、なかには、怨念を持った霊が供養を要求して取り付いていることもあるという。浮遊霊や地縛霊という怪しげな霊が取り付いていることもあるという。また、亡くなったペットの犬や猫の霊が見える場合もあるという。特に、自分が死んだことが分かっていない霊も、生きている人に取り付くこともある。霊能者は、霊とも話ができたり、霊の心が分かるという。さらに人の前世も分かるというのだから、一般人には想像を超えた力です。

そういう霊に対しては、線香をあげ、そえ物をあげ、お経を読んだりし、また、既に肉体がなくなっていることを説いて聞かせれば、だいたい、迷える霊は霊界に帰り、霊界での霊格の上昇を心がけるようになるという。

イエス・キリストは、そういう霊界の話を詳しくは述べていないが、霊界が存在することは、当然のこととして説教をされている。だから。普通は見えない世界(霊界)の存在を理解しなければ、聖書のイエス・キリストの話は理解できない。

また、単に霊視や霊聴が出来るだけでなく、霊能力を使えるイエスは、その超能力で病人を癒すこともできた。さらには、神様のように奇跡を起こすこともできたのです。今の世界の心霊治療家にもイエス・キリストを信じるものが多い。

この霊能力があれば、まさに、「できないことはない」のです。ナポレオンが「私の辞書には不可能はない」と全知全能であるかのように述べたことも頷ける。ナポレオンは、フランス革命後のフランスで、霊能力を使って出世したのかも知れないが、権力を求め、最後には、悪魔の罠にはまって失脚する。他方、人間的な権力を求めなかったイエスは、悪魔の罠にはまることなく歴史に成功者として名を残している。ただし、悪魔はイエス・キリストを殺害することには成功した。ナポレオンは晩年は大西洋のセント・ヘレナ島で幽閉されて51歳で亡くなることになる。

また、最近亡くなった佐藤愛子は、北海道の別荘で悪霊などに悩まされたことも有名です。佐藤は霊能者や心霊学会などに頼り、徐霊の儀式を行い、最終的には悪霊から救われたと言われている。

カトリックでは悪魔祓い(エクソシズム)という職務がある。霊界にはさまざまな霊がいて、人間界に出現して人間の行動に干渉する。悪霊はイエス・キリストの名によって祈れば退散させることができるというのが、カトリックの考え方です。また、「プロテスタントでも悪魔祓いは存在し、 「エクソシズム」という儀式よりも、祈りと聖書朗読を通じた「解放(デリバランス)ミニストリー」として行われることが多く、教派や教会ごとに実施の有無や慎重さが大きく異なります」とAIでは説明している。

聖書では、イエス・キリストが悪霊を人々から追い出したとの記述があるが、この悪魔祓いを理解するには、霊的な解釈が必要なのです。また、イエス・キリストが行った多くの奇跡を理解するのにも、霊能力の理解が必要です。

霊界を理解するには、18世紀の霊能者スウェーデンボルグの著作や、チベットや古代エジプトの死者の書や日本の神話や空海の著作を読むのが役に立つが、聖書のイエス・キリストの言葉を素直に読むだけでも、霊の存在や霊界の様子は理解できる。

また、霊界ではキリスト教の天使や仏教の大霊がいて、死者の霊だけでなく、生きている人間を助ける。ただし、霊界には悪魔もいて霊界の地獄で死者の霊を支配し、この世にも表れて人々を惑わし、苦しめ、悪に誘い込む。或いは、神様に従う人間を攻撃する。

このような、霊的問題を理解するのが、今の人間にも求められる。

人間の苦しみは、悪霊などによる霊障が原因の場合もあり、悪霊を人の心から追い出すイエス・キリストの力は今も求められているのです。

2026年7月3日金曜日

「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ」 (マルコによる福音書 第 11 章) (“Hosanna” “Blessed is he who comes in the name of the Lord!”)



さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブの山に沿ったベテパゲ、ベタニヤの附近にきた時、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、
2 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。
3 もし、だれかがあなたがたに、なぜそんな事をするのかと言ったなら、主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してくださいますと、言いなさい」。
4 そこで、彼らは出かけて行き、そして表通りの戸口に、ろばの子がつないであるのを見たので、それを解いた。
5 すると、そこに立っていた人々が言った、「そのろばの子を解いて、どうするのか」。
6 弟子たちは、イエスが言われたとおり彼らに話したので、ゆるしてくれた。
7 そこで、弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。
8 すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。
9 そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
10 今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」。
11 こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてのものを見まわった後、もはや時もおそくなっていたので、十二弟子と共にベタニヤに出て行かれた。 (マルコによる福音書 第 11 章)

11 As they approached Jerusalem and came to Bethphage and Bethany at the Mount of Olives, Jesus sent two of his disciples, 2 saying to them, “Go to the village ahead of you, and just as you enter it, you will find a colt tied there, which no one has ever ridden. Untie it and bring it here. 3 If anyone asks you, ‘Why are you doing this?’ say, ‘The Lord needs it and will send it back here shortly.’”

4 They went and found a colt outside in the street, tied at a doorway. As they untied it, 5 some people standing there asked, “What are you doing, untying that colt?” 6 They answered as Jesus had told them to, and the people let them go. 7 When they brought the colt to Jesus and threw their cloaks over it, he sat on it. 8 Many people spread their cloaks on the road, while others spread branches they had cut in the fields. 9 Those who went ahead and those who followed shouted,

“Hosanna”

“Blessed is he who comes in the name of the Lord!”

10 “Blessed is the coming kingdom of our father David!”

“Hosanna in the highest heaven!”

11 Jesus entered Jerusalem and went into the temple courts. He looked around at everything, but since it was already late, he went out to Bethany with the Twelve.

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これは、イエス・キリストが人生の最後にエルサレムに入られたときの情景、「最後のエルサレム入城」の様子です。いよいよ、聖書のクライマっクスが始まるのです。

群衆は熱狂し、「ホサナ、主の御名によってきたる者に、祝福あれ。今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。いと高き所に、ホサナ」とイエスの一行の周りで叫んだのです。

このイエスの「最後のエルサレム入城」は、群衆の興奮に包まれたものであったが、イエスがエルサレムから出る時は、死体となっていたのです。そして、イエス・キリストの死は、その後2千年にわたるキリスト教の発展の出発点となったのです。いや、この2千年の人類の歴史は、その時から始まったのであり、現在の西暦は、イエスの誕生の年(と思われた年)を起点としている。つまり。現在は西暦2026年なのです。

なお、日本政府では、神武天皇即位の年を元年とする皇紀が使われており、現在は2686年になります。皇紀は、「西暦」プラス660になります。

この紀元前660年前の頃は、孔子やブッダ、ソクラテスが活躍し、ユダヤ教の旧約聖書の編集が行われていた時代にあたります。ただし、神武天皇は伝説・神話の存在であり、日本神話の創作です。それでも、紀元前660年頃に日本の建国が設定されたのは、霊的に日本の歴史が世界の歴史につながっていることを示唆しています。

日本の歴史の前半は天皇家の歴史であり、天皇家の祖先が、古代中国の「秦帝国」の方士と呼ばれる呪術家の徐福の側近だったと考えれば辻褄が合う。紀元前200年頃に成立した古代中国の最初の中国の統一帝国の「秦」は。秦の始皇帝が有名ですが、その始皇帝から支援を得て、中国大陸から東シナ海、太平洋へと中国神話の伝説の神の島(蓬莱)を目指した徐福の一行は日本列島に到達し、当時の最先端の技術を日本に伝え、稲作中心の弥生文化を日本で加速させたと思われる。これが、科学的に納得できる天皇家の出自です。今でも、全国に徐福の渡来の地との伝説を持つ場所が全国に存在する(和歌山県の新宮など)。

しかし、イエス・キリストは神話や伝説の存在ではなく、歴史的事実によって裏付けられた存在であり、むしろ、霊的な存在であったと思われるような超能力をもった呪術者でもあったわけです。神の子と呼ばれるだけの、霊能力を持っていたことが、イエス・キリストの本質なのです。いわば、人類最大の霊能力者なのです。正しいイエス像を人類は持たねばならない。

そのイエスを当時の群衆は、事実上のユダヤ人の王として、歓呼してエルサレムで迎えたのは当然なのです。その声が「ホサナ」という言葉であり、AIでは「「ホサナ」は、ヘブライ語に由来し「どうか救ってください」「今お救いください」という意味」を持つとされている。

つまり、「お救い下さい」と群衆はイエスに向かって叫んだのです。

しかし、悪魔はこのチャンスに、その配下のユダヤ教の祭司やローマ軍の幹部にイエスを逮捕させ、十字架上で刑死させたのです。そして、新薬聖書が書かれることになり、悪魔の意図とは反対に、イエス・キリストの言葉は歴史に残ることになった。これが、人類の歴史なのです。

だから、人間である日本人も歴史を学び、キリスト教を理解することが求められるのです。日本の皇室の曖昧な歴史とは違って、キリスト教の歴史は文書化されており、ユダヤ人の歴史と合わせれば、ユダヤ・キリスト教の歴史は4千年にも及ぶのです。

日本の縄文時代(稲作文化以前)から、西欧の基盤のユダヤ・キリスト教は始まっていたのです。その象徴がキリスト教であり、そのキリスト教の象徴が十字架上のイエス・キリストであり、そのイエス・キリストの人生の象徴が、「最後のエルサレム入城」なのです。

聖書は霊的に解釈しなければならいが、最も劇的な情景が、イエス・キリストの「最後のエルサレム入城」なのです。

2026年7月2日木曜日

「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」 (マタイによる福音書 第 9 章) (“Get up, take your mat and go home.”)



さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
2 すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
3 すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
4 イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5 あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6 しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7 すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。(マタイによる福音書 第 9 章)

9 Jesus stepped into a boat, crossed over and came to his own town. 2 Some men brought to him a paralyzed man, lying on a mat. When Jesus saw their faith, he said to the man, “Take heart, son; your sins are forgiven.”
3 At this, some of the teachers of the law said to themselves, “This fellow is blaspheming!”
4 Knowing their thoughts, Jesus said, “Why do you entertain evil thoughts in your hearts? 5 Which is easier: to say, ‘Your sins are forgiven,’ or to say, ‘Get up and walk’? 6 But I want you to know that the Son of Man has authority on earth to forgive sins.” So he said to the paralyzed man, “Get up, take your mat and go home.” 7 Then the man got up and went home. 8 When the crowd saw this, they were filled with awe; and they praised God, who had given such authority to man.
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「あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか」というのもイエス・キリストの有名な言葉です。

口先だけで、病人に「罪はゆるされた」と言うのはたやすい。しかし、病人に「起きて歩け」というのは、実際に病を癒さなければ言えない。イエスは、インチキな宗教人ではなく、実際に病人を癒す力を持っておられることを証明したのです。

これは、イエス・キリストには超能力があったことを示す言葉です。霊的な力を自由に扱えるイエスは、病人の病をいや能力を持っていたのです。

日本人でも、高塚光のように霊能力で多くの病人を癒す霊能者はおり、イギリスでは故ハリー・エドワーズのような心霊治療家もおり、ブラジルやフィリピンにも心霊治療家がいる。

彼らは、普通、信仰心の高い人であり。霊界から霊能力を得ていたとされている。そして、イエスもそのような霊能者として2千年前に世界に現れたのです。

万物は神様が作られた者であり、その神様とつながったイエスは当然、神様の霊能力が使える。その証明になるイエスの業(わざ)なのです。