2026年7月5日日曜日

「けがれた霊よ、この人から出て行け」 (マルコによる福音書 第 5 章) (“Come out of this man, you impure spirit!”)

 

2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人が墓場から出てきて、イエスに出会った。
3 この人は墓場をすみかとしており、もはやだれも、鎖でさえも彼をつなぎとめて置けなかった。
4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせを砕くので、だれも彼を押えつけることができなかったからである。
5 そして、夜昼たえまなく墓場や山で叫びつづけて、石で自分のからだを傷つけていた。
6 ところが、この人がイエスを遠くから見て、走り寄って拝し、
7 大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人から出て行け」と言われたからである。
9 また彼に、「なんという名前か」と尋ねられると、「レギオンと言います。大ぜいなのですから」と答えた。
10 そして、自分たちをこの土地から追い出さないようにと、しきりに願いつづけた。
11 さて、そこの山の中腹に、豚の大群が飼ってあった。
12 霊はイエスに願って言った、「わたしどもを、豚にはいらせてください。その中へ送ってください」。
13 イエスがお許しになったので、けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった。(マルコによる福音書 第 5 章)

2 When Jesus got out of the boat, a man with an impure spirit came from the tombs to meet him. 3 This man lived in the tombs, and no one could bind him anymore, not even with a chain. 4 For he had often been chained hand and foot, but he tore the chains apart and broke the irons on his feet. No one was strong enough to subdue him. 5 Night and day among the tombs and in the hills he would cry out and cut himself with stones.
6 When he saw Jesus from a distance, he ran and fell on his knees in front of him. 7 He shouted at the top of his voice, “What do you want with me, Jesus, Son of the Most High God? In God’s name don’t torture me!” 8 For Jesus had said to him, “Come out of this man, you impure spirit!”
9 Then Jesus asked him, “What is your name?”
“My name is Legion,” he replied, “for we are many.” 10 And he begged Jesus again and again not to send them out of the area.
11 A large herd of pigs was feeding on the nearby hillside. 12 The demons begged Jesus, “Send us among the pigs; allow us to go into them.” 13 He gave them permission, and the impure spirits came out and went into the pigs. The herd, about two thousand in number, rushed down the steep bank into the lake and were drowned.

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これは、「けがれた霊どもは出て行って、豚の中へはいり込んだ。すると、その群れは二千匹ばかりであったが、がけから海へなだれを打って駆け下り、海の中でおぼれ死んでしまった」という劇的な、イエス・キリストによる悪魔祓いの情景であり、悪魔・悪霊が2千匹の豚の中に入って、崖から海へとなだれ落ちたという話しです。

悪魔・悪霊は人の心だけでなく、動物の心にも入り込むのです。イエスは、悪魔・悪霊を人間の心から追い出し、豚の心の中に移し替えることが出来たのです。

このように、悪魔・悪霊に取り付かれる人は、「迷信」を信じる人が多かった古代にはよく見られた。霊的な現象を素直に信じる人が多かった古代には、そのような人は霊の侵入も素直に受け入れる状態になっていて、いつのまにか、彼らの心が悪魔や悪霊に支配されることが多かった。

日本でも、古代から呪術が行われており、イエスのように悪魔祓いや、悪霊の追放を行う霊的な術者や宗教人、修行者、行者と呼ばれる人がいた。時代が進み、それは見えない悪霊の仕業ではなく、精神的な病や錯乱が原因だと医学的に判断されて、「迷信」が社会から無くなると、悪魔付きという現象は見られなくなった。又は、科学の発展により、目に見え実証できる因果関係に原因の追究が行われ、悪魔付きの現象は社会の表面から隠されるようになった。(ただし、今でも悪魔祓いはカトリックなどのキリスト教会で行われている。)

これは、全ての霊的な問題に対する考え方に影響を与え、科学的に実証できなものは、単なる気のせいだとか、古い考え方だと判断され、霊的な存在が無視されるようになったことに通じる。

しかし、人々の間に霊は存在するとの伝統的な考え方は残っており、学校では教えないが、現実に霊的な体験をする人は後を絶たない。そこで、現代科学では教えない霊的な問題を扱う霊能者が密かに認められている。(日本の天皇の最も重要な仕事は皇居内の社で神道の祈りを捧げることだとされている。)

最近の日本でも、故・宜保愛子などの霊能者がテレビで脚光を浴びたり、霊的体験を小説に書いたりした故・佐藤愛子などの本がよく読まれたり、霊的現象を超常現象として報告するテレビ番組に出演する人もいる。また、霊の力を借りて心霊治療を行う人も世界では報告されている。

ただし、科学では霊的な存在は扱えず、学校などで扱うことはないし、特に医学ではそれは人間の特殊な心理状態だとされて、精神医学や心理学の問題(超心理学)とされ、文化的には古い迷信だとされ、宗教上の別世界の問題だとされたり、芸術上の霊感などの合理性の通じない問題とされている。

しかし、全ての宗教は霊的な存在を認めており、不思議な出来事は存在すると考える人も多い。科学万能という考えには、限界があることを素直に認める人もいる。(ニュートンもアインシュタインも科学の限界を認めている。)

最近では、東大病院の医師だった矢作直樹は、自分の霊的体験を通して霊の存在や死後の霊界の存在を信じて著作に発表している。また、UFO研究家の矢追純一も超常現象を追求して、超能力や霊的な力の存在を信じている。テレビでは、霊能者が出演する番組が高い人気を誇ったこともある。(ユリ・ゲラーのスプーン曲げも霊能力の一種だとされている。)

しかし、社会の公の場で、霊的な問題が議論されることはない。人が死ねば無になり、霊界は創造の産物だという考えが主流です。それでも、宗教を求める人は多く、霊的な認識は社会の底流で生きている。

その代表的なものが、キリスト教なのです。天国を認めないキリスト教の教会はない。死後の世界を認めない聖職者はいない。そして、キリスト教の聖書では、イエス・キリストの霊的な言葉が記載されている。また、仏教もブッダ(お釈迦様)の霊能力を認めた上で成立しており、極楽・地獄を認めない僧侶はいない。また、神道も神霊を祀る神社を廃止するようなことはない。そして、日本の文化自体が、茶道や華道、ナントカ道などという精神的な価値を重んじ、精神の根本である霊性を尊重している。これらを総体として、日本の霊性という(鈴木大拙の著書が有名)。つまり、西欧の科学を尊重する公の世界では、霊的問題は非科学的だとして無視されているが、一般の人々の間には、霊を認める文化がある。しかし、西欧の科学も、西欧のキリスト教文化から生まれたものであり、キリスト教は霊を認める宗教なのです。

霊の文化から生まれた科学では、霊を否定するという現象が、欧米文化が支配する世界で見られるという矛盾が世界的に見られる。これが、現在の物質文明の実態です。実際、カネはモノを得るための手段であり、精神的価値も経済的な価値に変えられて売り買いされる。宗教の書物(聖書や仏典など)も、値段がついている。宗教団体も金銭勘定ができなければ成り立たない。

それでも、キリスト教の聖書には、イエス・キリストが、霊的な存在の聖霊・天使や悪魔などを扱った言葉が記述されている。

キリスト教とは、本来、霊を扱う宗教であり、それは仏教や神道でも変わらない。また、キリスト教の聖書、特に福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書)はイエス・キリストの霊的な生き方を記したものなのです。

そして、この世は大宇宙も含めて神様が霊的な力で創造されたものであり、人間界にも霊的な力が及び、さらには、人間の死後の霊界も神様が作られたものだということを信じるのが、霊的なキリスト教なのです。