2026年7月15日水曜日

「わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである」 (マタイによる福音書 第 12 章) ( If it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you,)


25 イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。
26 もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。
27 もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
28 しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。
29 まただれでも、まず強い人を縛りあげなければ、どうして、その人の家に押し入って家財を奪い取ることができようか。縛ってから、はじめてその家を掠奪することができる。
30 わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである。(マタイによる福音書 第 12 章)

25 Jesus knew their thoughts and said to them, “Every kingdom divided against itself will be ruined, and every city or household divided against itself will not stand. 26 If Satan drives out Satan, he is divided against himself. How then can his kingdom stand? 27 And if I drive out demons by Beelzebul, by whom do your people drive them out? So then, they will be your judges. 28 But if it is by the Spirit of God that I drive out demons, then the kingdom of God has come upon you.
29 “Or again, how can anyone enter a strong man’s house and carry off his possessions unless he first ties up the strong man? Then he can plunder his house.
30 “Whoever is not with me is against me, and whoever does not gather with me scatters.
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イエス・キリストの言葉、「わたしの味方でない者は、わたしに反対するものであり、わたしと共に集めない者は、散らすものである」というのは、クリスチャンにとって、その行動の基礎となっている。

イエスの言葉に反発し、イエスの教えに従って、キリスト教徒を増やそうとしない者は、イエスの教えから人々を遠ざける者なのです。

特に、「(イエスが)神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきた」という言葉に、この世は悪魔の影響の下にあるが、イエスが神様の霊の力で人々から悪魔を追い出せば、神の国が人々を訪れると述べて、神様の霊の力で悪魔と戦うことが、イエス・キリストの使命だと宣言しておられる。

日本人も霊の存在を信じて、神仏の霊に祈って幸運をつかもうとするが、キリスト教では、明確に悪魔が人々を苦しめており、悪魔から人々を救うのが、イエス・キリストの使命だと述べている。

善悪は人間が作りだしたものであり、善悪の区別など本当はないと考える人間もいるが、まさに、それこそ悪魔の洗脳の結果なのです。神様は善を推奨しておられ、人間界に善をもたらし、強め、悪魔に打ち勝つように人間を正しく導くのがイエス・キリストの使命なのです。

悪魔は、この世には善も悪もない、物質的な幸福と不幸しかない。どんなに悪をしてでも、物質的に幸福になることだと、人間を洗脳する。悪魔に洗脳された人間は、学問でも宗教でも幸福を得るための手段だと考えて、真理をねじ曲げ、聖なるものを悪用し、最後は虚偽と堕落の中で物質的成功と幸福を得ようとする。だから、学問的なエリートや宗教のリーダーも悪魔に魂を売って、地位や富を求める、そこには、善悪を超えた境地だという偽りの説で、悪魔に魂を売ったエリートや富裕増の堕落した心がある。

あくまで、神様は全知全能で全善、至善の存在であるという真理を認めるのが、霊的なキリスト教なのです。

毎日の生活で、どこまで善を追求するかが信徒の生きる課題なのです、

物質的な幸福や成功が、信徒の求めるものではないのです。

だから、清貧生活を心がけて、聖書を読むのが、信徒の生きる姿なのです。