2026年7月20日月曜日

「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」 (ルカによる福音書 第 11 章) (For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened)

 


また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネがその弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈ることを教えてください」。
2 そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。
3 わたしたちの日ごとの食物を、日々お与えください。
4 わたしたちに負債のある者を皆ゆるしますから、わたしたちの罪をもおゆるしください。わたしたちを試みに会わせないでください』」。
5 そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
6 友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、
7 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
8 しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。
9 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
10 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。(ルカによる福音書 第 11 章)

11 One day Jesus was praying in a certain place. When he finished, one of his disciples said to him, “Lord, teach us to pray, just as John taught his disciples.”
2 He said to them, “When you pray, say:
“‘Father,
hallowed be your name,
your kingdom come.
3 Give us each day our daily bread.
4 Forgive us our sins,
for we also forgive everyone who sins against us.
And lead us not into temptation.’”
5 Then Jesus said to them, “Suppose you have a friend, and you go to him at midnight and say, ‘Friend, lend me three loaves of bread; 6 a friend of mine on a journey has come to me, and I have no food to offer him.’ 7 And suppose the one inside answers, ‘Don’t bother me. The door is already locked, and my children and I are in bed. I can’t get up and give you anything.’ 8 I tell you, even though he will not get up and give you the bread because of friendship, yet because of your shameless audacity[e] he will surely get up and give you as much as you need.
9 “So I say to you: Ask and it will be given to you; seek and you will find; knock and the door will be opened to you. 10 For everyone who asks receives; the one who seeks finds; and to the one who knocks, the door will be opened.
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「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえる」といのは、聖書で有名なイエス・キリストの言葉です。

その理由が、「友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれる」というのは、イエスのユニークな説明です。

これは、神仏に熱心に祈れば、あまりにしつこいのに神仏が閉口して、願いを叶えてくれるということに通じる。信心よりも、熱意だということになる。

実際、熱心な人ほど願いが叶いやすいというのは、この世の出来事にも通じる。人は、相手の熱意に応じる。相手の意欲を推し量る。本気度を試す。生半可な気持ちでは、人を動かすことはできない。これは、この世の全てに通じる。

だから、牧師でも神父でも、修道士でも、修道女でも、絶えず祈りを唱える。一日に決まった時間しか祈らない宗教家は信用できない。聖母マリアの霊も人々の前に出現したときは、「常に祈りなさい」と祈りを勧めておられる。

ただし、霊能者の故政木和三のように、「神仏は人間の祈りなどかなえない」という人もいる。「ただし、欲を捨てて、神仏に頼らなくなった時に、願いは叶う」、と政木は無欲の奇跡を教えている。

また、霊力のあった医師の故塩谷信男も、「願いは叶ったと信ぜよ」と教えている。これらは、霊能力が発動しないと、この世でも願いは叶わないことを意味している。

それに対してイエス・キリストは、「すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえる」と信仰心があれば、願い適うと述べておられる。つまり、信仰心をもてば、無欲になり、神様にすがるようになり、それに対して神様はこたえてくれる、というのが、神様に対する信仰心なのです。

本当の信仰心とは、「自己中心」の考え方から、「神様中心」の考え方に変えることであり、そのような信仰心を持てば、神様が願い事を叶えてくれるのです。