日本人は海外に出ると仏教徒だと称することが多い。しかし、本当は儒教徒だと称するべきかも知れない。本家や分家の中国人、韓国人以上に儒教的だとさえ言える。
司馬遼太郎とドナルド・キーンの対話で興味をひくのが、司馬が日本人には儒教の影響はほとんどないと言っているが、キーンは日本人には儒教の影響が濃いと言っている点だ。
また、中国人自身の言葉として魯迅が日本人の長所として「真面目さ」をあげている。阿Qのような不真面目な生き方が身についていたのが革命前の中国人だったということになる。この真面目さというのは儒教的な意味合いが含まれている。魯迅は、日本が中国を圧迫するなかで、内山書店の主人の日本人に助けられて上海で生活し、そして、日本人に見守られて病死する。これは、いかに魯迅が日本人の儒教的な長所を信じていたかを表している。例えば、藤野先生という作品も日本人の儒教的な美点を描いたものだ。
孔子前の儒教は原儒と言われ、次のように説明されている。
「先史時代から存在していたシャーマン的な伝統に従事していたシャーマンを「原儒」という。この「原儒」は葬儀や占いなどといったことを取り扱っていた。しかし、身分が分化し、支配層と被支配層が発生すると、「儒」は、それぞれについて二層化していった。それらを指して、巫(ふ)と史(し)祝(しゅく)という」
儒教も本来は先祖崇拝の宗教だったが、文化的、社会的な様式が洗練されて道徳的な教えが強調されるようになった。しかし、本質は祖先の霊につながるための祈りや生き方だから、真面目な精神的態度が要求される。魯迅やキーンには、それと同じ態度が日本人には色濃く見えるという。葬儀仏教とは異なって、日本人の勤勉さの根底にある。日本人は学びたがり、アメリカ人は教えたがるというのもこれにつながる。
中国人は第二次大戦と内戦、共産党支配によって家族中心主義から組織中心主義の生き方を身に着け、日米の援助によって経済発展に成功したが、儒教的な思想は共産党によって否定され、個人レベルでも祖先崇拝、家族主義はまだ生き残っているが、道徳の根幹としては復活していない。マルクス主義の破壊力の現れです。現代中国には儒教は顕在しない。
日本では鎌倉時代から儒教の影響が強くなり、法然、親鸞、一遍などの日本的仏教にも影響を与えている。戦国後期に切支丹が広まったのも、先祖の霊の上に天主が存在すると考えた面が強い。徳川幕府は仏教では統治に役に立たないので儒教の形式性を重んじる。戦後もこの影響が残り、司馬遼太郎も真面目に小説を書いた。しかし、本人はそれが儒教的だとは考えない。しかし、優れた中国人やアメリカ人から見れば、日本は儒教的なのだ。