2018年6月8日金曜日

先祖を敬え - 聖書


日本の歴史は日本という国号がどのようにして成立したか、から始まるべきかもしれない。

「倭」というのが中国人や朝鮮人が日本に最初に与えた名称だが、倭と呼ばれた民族は日本人だけではない、という説がある。しかし、この一種の卑字による名称を日本人は受け入れていた。それでも、漢字の知識が進むと、「倭」から「和」に変えようという動きがでてくる。そして大和と書いて国内では「やまと」と読ませる。

ところが中国語では大和は「たいわ」であって「やまと」とは読めない。それではと、好字を使って「矢真都」などと書いて国号とすることはしなかった。そもそも魏志倭人の条では邪馬台国と書かれていて、中国に変更を言い出しにくい。他方、「あすか」という古い地名もあるが、これは奈良の南部や大阪の一部の地名に過ぎない(古代朝鮮語の「安宿」?)。やはり、卑弥呼の時代から国名としては「やまと」の方がよく知られている。

ただし、「やまと」とは何かについては今も議論がある。本来、纒向遺跡や箸墓古墳など三輪山の麓の地域が「やまと」と呼ばれていたと考えらる。その辺りの地形を見ると、奈良東部の山地の麓になっている。従って、「山のふもと」が縮まって「やまと」になったと考えられる。そこで、今度は「上る太陽の麓」という意味から「日のふもと」、即ち、「日の本」、「日本」を国号にしたというのが私の説だ。日本の原点は「やまと」にあったということだ。これはまだ誰も主張していない。そして、この説は卑弥呼の邪馬台国の延長に今の日本があることを意味する。邪馬台も「やまと」と読むべきであり、邪馬台国は奈良の三輪山の麓にあったということになる。

アメリカはコロンブスではなく、同じ時代の探検家アメリゴ・ヴェスプッチを語源としている。それは日本を目指して大西洋を東に進み、アジア大陸の一部を発見したと信じていたコロンブスに対して、アメリゴはそれが新大陸であると主張したせいだと思われる。アメリカは新大陸であるという点が本質なのだ。バチカンの支配下に入ったことはないのだ。

イスラエルの国名は、ヤコブが兄エサウと和解するために会いに行く途中、夜に天使と取っ組み合って勝ち、その天使から「あなたは神と戦って勝ったのだからイスラエル(神に勝った者)と名乗りなさい」と言われたことに由来する。このヤコブについては「ヤコブを愛していたリベッカはヤコブをそそのかして大変卑劣な手段をもって父親のイサクをだまし、イサクからの長子の祝福をエサウから奪い取ってしまう」という物語が聖書に書かれている。ユダヤ教徒の強烈な生存の意思が現れている。しかし、古代イスラエルには神の子イエスが現れる。そして現代でもまだ神との関係は続いている。日本やアメリカは?