ある調査によれば「神の存在について「分からない」と回答するものの多さで日本人は世界一である」という結果が出ている。
中国についてすら「現代の中国のキリスト教徒は、ブリタニカ国際年鑑の最新データによると中国の人口の7-7.5%で9100-9750万人程度と記録されている。しかし、在米の中国人人権活動家や在日本の中国人ジャーナリストなどの知識人が把握している直近の状況では当局の監督下にある国家公認教会と非公認教会の合計が人口の10%を超える段階に達しており1億3000万人を超えているという情報が有力」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99)とされている。
いわゆる多神教的な「八百万の神」ではなく、「唯一の神の存在を認める」のが世界の主流だ。しかし、この点、日本人は人口の5%しか、そのような神を認めていない。キリスト教徒も人口の1%程度だと考えられている。
いくら小学校から英語教育をしても、日本人が世界の宗教的、霊的な大勢に追いつけるとは思えない。世界は唯一の神を認める人々によって動かされている。日本の文化が世界で特異なのも、このような霊的な違いに存すると考えられる。
しかし、これは日本には「唯一の神の存在を認める」宗教の必要がなかったとも言える。世界の歴史は戦争の歴史であり、中国でも王朝が何度も変わっている。要するに社会には永続的なものはなく、信じられるのは、せいぜい一族、家族、個人であるというのが世界の大勢であり、その社会的環境の厳しさから「唯一の神」に頼る文化が生じる。そして、そのような認識の下に文化を発展させている。ところが、日本は有史以来、異民族の支配を受けずに独自の文化を発展させることができた。日本人は日本的環境、社会を信じて生きており、「唯一の神」に頼る必要性もなかった。それでも、経済活動、ビジネス・技術・科学の世界などでは欧米人や、世界の人々と対等以上に渡り合える。日本的霊性を捨て去る必要もない、と考えてきた。世界の人々も、基本的に宗教以外の面では日本人に何も違和感を持たない。同じ人間だと、日本人も世界の人々も考えている。
これはユダヤ民族と対極の存在だ。ユダヤ民族は現在のキリスト教、イスラム教の根源のユダヤ教を信じており、自分たちの民族の神が世界中の人々に「唯一の神」として受け入れられているのを知っている。しかし、ユダヤ人も特別な人間ではない。DNAに違いがあるわけではない。それでも、やはりその存在には特別な意味があると考えられる。ユダヤ人は世界の人口の0.2%であるのに対し、ノーベル賞受賞者のうち、ユダヤ人 が占める割合は22%にもなると言われている。要するに、他の民族と何かが100倍異なる。
現在では、世界共通の宗教は「マネー」だ。アメリカ人も中国人も、イスラム教徒も「富の支配」を信じている。これは、資本主義を超えた宗教だ。「マネー」は世界中で威力を発揮する。しかし、救世主キリストによれば「魂を悪魔に売らなければ、1円と雖も得られない」ということになっている。「神に仕えるか、富に仕えるか、2 つに1つだ」という教えがある。ということは、世界は「マネー」という悪魔教に支配されていることになる。世界の人口の0.2%のユダヤ人も、世界の大富豪のランキングの15%を占めている。他民族より70倍強力に悪魔と手を組んでいると言える。ユダヤ人も神を裏切っている。
日本人には「清貧」の思想というものがある。皆が貧しかったので貧しさを美化しただけという皮肉な見方もあるが、やはり、どこかで金銭欲の卑しさを恥じる文化がある。この点で日本は世界の中で良い意味で特異な民族であるべきなのだ。