マックス・ウェーバーによれば、「善行を働いても救われるとは限らない。また、自分が救われているかどうかをあらかじめ知ることもできない。そして、もし選ばれていなかったら自分は永遠の地獄に落ち、二度と救済されることがない。このような予定説の恐るべき論理は、人間に恐怖と激しい精神的緊張を強いる。そして、人々は、そこから逃れるために、「神によって救われている人間ならば(因)、神の御心に適うことを行うはずだ(果)」という、因と果が逆転した論理を生み出した。・・・・人々は、世俗内において、信仰と労働に禁欲的に励むことによって、社会に貢献した。そして、この世に神の栄光をあらわすことによって、ようやく自分が救われているという確信を持つことができるようになった」とされている。
つまり、これが資本主義の基盤になったということだ。その歴史的根源は、この精神に基づいて、西欧の修道院では修道士たちが規律ある生産的な生活を行うことに象徴されているとされている。仏教でも修行僧は禁欲的に規律ある生活を行っているが、それは解脱、悟りを目指しての行だとされている。仏教では最終的に静的な瞑想などが目標とされているが、キリスト教では活動を通して神に信仰をアピールするのが目標だとされている。これが東洋と西洋の違いを象徴するものとなっている。
このような2 つの文化が衝突すると何が生じるのか、という問題が歴史に現れている。その結果は欧米によるアジアの植民地化だ。積極的な活動を正当化し、征服的な活動を正当化する思想に駆り立てられた西欧勢力の前には、厭世的な仏教などの思想に基盤を置くアジア勢力は無力であったというのが20世紀の前半までの歴史の流れの本質だ。
そして、この関係が明治維新以降の日本の歴史を理解する鍵でもある。なぜ、わずか数隻の黒船が東京湾に現れただけで日本中が大騒ぎし、幕府の権威が吹っ飛び、維新後の明治政府が積極的に欧米化を図ったのかという点もこれで理解できる。また、近代化・西欧化を果たした日本の行動が、いかに朝鮮・中国にとって脅威になったのかも、これで理解できる。
平和主義的な東アジアに、好戦的な西欧諸国が進出したとき、中国も朝鮮も無力であったのに、日本だけがうまく対応したというのがその本質だ。この事情を理解できない朝鮮・中国は西欧の侵略的な活動に対する非難を日本に向けることになるが、日本人は世界の流れに対応しただけという思いがあるから、本心ではその侵略的であった過去を反省しない。これが不幸な過去の戦争に対する理解の違いに現れている。
しかし、戦後は新たな経済のグローバル化の中で、朝鮮・中国も日本をみならって西欧の行動や思想を受け入れる。これが現在の東アジアの経済的発展につながった。それでも、アメリカ・ヨーロッパの自然な流れの中の資本主義の発展と、東アジアのある意味で強いられた資本主義の発展とでは本質が異なる。西洋では、行き過ぎた資本主義に対抗して、ユダヤ教の影響を受けた社会主義・共産主義が生み出される。そして、アジアではその社会主義・共産主義ですら、西洋から輸入せざるを得ない。しかし、そのようなイデオロギーは本質的に非アジア的な歴史の流れで生まれたものだから、これも本当は根につかない。これは、共産党独裁といいながら資本主義化する中国や、社会主義を掲げながら儒教的な独裁主義に走る北朝鮮、どうしても勢力を伸ばせない日本の社会主義・共産主義勢力に現れている。東アジア各国の経済発展も西洋発の資本主義を追っているだけだとも言える。
この点から、アメリカはヨーロッパで発生したキリスト教と資本主義の直接的な延長にあり、いわば心の底から資本主義を信じ、また、ある意味では社会主義的な人道主義の必要性も理解している。日本は30年前のバブル期にアメリカ経済に迫ったけれど、結局、世界経済をリードできなかったのも、こういう本質的な宗教・思想と文化の違いにある。今は、中国が経済規模を拡大しているが、その基本には西洋のような宗教につながるような文化的基本はない。実際、中国は今、古典帝国の時代の栄光を求めて国力の拡張を続けている。しかし、日本のようにその発展には限界があるのは間違いない。
ユダヤ教の現実主義とプロテスタントの精神に基づくアメリカの資本主義は、ユダヤ教を敬遠し、カトリックが主流のヨーロッパよりも一層、経済のグローバル化には適した文化構造を持っている。アメリカの主導の世界の経済発展は今後も変わらない。豊かな国土と、世界中からの移民による多様な文化のメリットを享受しているのも長所だ。
問題はイスラム世界だ。何よりも神への尊崇を求めるこの宗教は信者の思考・生活・行動に大きな制約を課す。とても、世界経済を主導する社会は生まれて来ないと思われる。実際に1500年以降、イスラム世界は欧米の風下に置かれている。しかし、経済でユダヤ教・キリスト教世界にリードされたからと言って、イスラム教が廃れるわけではない。これは、如何にムスリムがその宗教の真実性に確信を持っているかを示している。
最近は、トランプ大統領が自由貿易に背を向け、アメリカの利己主義的な経済利益を追求しているのが話題になっているが、これはあくまで短絡的な発想と、近視眼的な政治的な動機に基づくものであり、アメリカの文化、政治と経済の本質は変わらない。しかし、アメリカの宗教性の基盤のプロテスタントの精神が生み出した、経済のグローバル化がアメリカのプロテスタントである一般白人の労働者に不利益に働くという点は重要だ。東アジア発展の原動力となった日本も、こういう一神教的発想への理解が求められる。