2025年8月20日水曜日

日本史の真理!

 

日本史の最大の謎は、卑弥呼の邪馬台国と天皇支配の大和国との関係であり、現天皇家の出自であり、日本民族のルーツです。

驚くべきことに、この謎は1500年間、放置されてきた。その結果、現在のような無責任体が続いている。現在の日本人は、ユダヤ人のような確固とした歴史的な背景を持っていない。また、ヨーロッパの王族のような、出自が明らかな歴史を持たない天皇家が今も、日本社会に君臨している。そして、宮内庁が天皇陵墓、古墳の掘削・研究を防止しており、国民は正しい歴史観を持つことができなくされている。

正しい日本民族の過去を知るには、魏志倭人伝を研究しなければならない。3世紀の前半に活躍した卑弥呼について報告したこの中国の歴史書がカギとなる。

結論を言えば、邪馬台国は奈良県の大和盆地にあり、卑弥呼・台与と続いた卑弥呼系の女系王朝から王権を引き継いたのが、現在の天皇家であり、その先祖は中国・秦帝国から紀元前200年頃に日本列島に移住した方士・呪術家の徐福の末裔だった。つまり、天皇家は日本人の大部分が縄文人の子孫であるのに、縄文人の血が入っていない。天皇家には、古代漢民族の血が流れている。だから、天皇家が編纂ささせた記紀には、卑弥呼や銅鐸などの縄文文化の伝統が書かれていない。天皇家は、古墳文化の始まりに、卑弥呼・台与の系列から王権を奪い、又は、受け継いだからです。

まず、邪馬台とは「ヤマト」と読むべきです。台与を「トヨ」と読むように、台は「ト」と読むべきです。

また、倭人伝には、書かれていることよりも、書かれていないことが重要です。書かれていないことの代表が、阿蘇山と富士山です。中国から日本に来れば、この2 つの名山のことは無視できない。つまり、邪馬台国は阿蘇山と富士山の間にあった。また、風光明媚な瀬戸内海を渡れば、必ずその景色を記す。さらに、弥生初期の大集落があった出雲は、投馬国と記されている。従って、北九州から山陰の日本海岸を沿って出雲に達したのは間違いない。

そもそも、日本列島には朝鮮半島との交流があり、半島から日本海を渡れば、北九州、出雲などに簡単に来れる。このルートは魏の使いも使った。水行10日とは、北九州と出雲の間の旅程です。さらに、水行10日で丹後半島に着き、陸行1か月で奈良盆地に入る。方位は、当時の感覚から、港を出る時の方向を基準にして、倭国は北九州より南に広がる土地だとの、朝鮮半島から見た感覚に従って、東を南と書いたのだろう。

7世紀に、大和朝廷が中国の唐と戦ったときには、唐の軍隊が北九州から瀬戸内海を通って奈良を攻撃するのに備えて、瀬戸内海の沿岸には多くの砦が作られた。つまり、北九州、瀬戸内海のルートは秘密にすべきルートだったので、卑弥呼の時代にも、魏の使いには瀬戸内海を使わせなかった。また、九州の狗奴国は熊本近くにあったので、その勢力が瀬戸内海にも及んでいれば、それを避けて日本海側のルートを取らせるのが安全だった。そのため魏志倭人伝は曖昧な記述になっている。

さて、卑弥呼の王権は姪の台与に移ったが、巫女だった卑弥呼とは違って台与は夫を持っていた。それが、徐福の末裔の漢民族の血を引く神武天皇だった。中国との交流には、漢字の知識が重要であり、徐福の伝統を受け継いでいた神武は外交で重用され、台与の夫になり、女系の卑弥呼王国から男系の神武王国へと権力を移行させた。古墳時代になると、卑弥呼の時代のことは忘却され、台与の夫の神武を始祖とする天皇家の支配が確立した。

記紀には、箸墓古墳に埋葬された卑弥呼・台与系の倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)について下品な記述があり、天皇家が卑弥呼系の伝統を抹消しようとしたことが伺える。漢民族を始祖とする天皇家の倭人蔑視が記紀には現れている。銅鐸を三種の神器とせずに、古代中国発の銅鏡を三種の神器に含めているのでも、それが理解できる。

なお、倭は卑字なので、和と変更し、美称の大をつけて大和としたが、ヤマトの呼び名は広まっていたので大和と書いてヤマトと読ませることにした。そして、天皇家が男系にこだわるのは、自分たちの祖先が女系の卑弥呼王国に、台与の夫として王国に入り、最終的に王国を乗っ取ったという過去があるので、逆に、男系で天皇王国を守ろうとしているからです。

つまり、今の日本では、卑弥呼までの縄文時代以来の、日本民族の霊性は薄れ、古代中国の秦の方士由来の天皇呪術が暗黙の支配力を認められているが、やはり、漢民族の伝統より、本来の日本民族の伝統を取り戻すべきです。その上で、キリスト教の霊性を認めるべきです。

また、7世紀の白村江での唐とに対する敗戦以来、天皇家の霊能力は失われており、秀吉の明との戦いでの挫折、20世紀の大日本帝国の中国戦争での失敗、キリスト教国のアメリカへの敗戦などで、天皇呪術は失われ、日本は今や準キリスト教国となっており、キリスト教の霊性の高さは証明されている。

従って、今こそ、霊能力のある縄文人の末裔の日本人を新天皇として、日本の霊力を高めて、危機の21世紀を乗り越えるべきです。

(ただし、現天皇家は旧天皇家として、適切な保護を与えることにする。)