日本の歴史は石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、大和朝廷時代、平安京時代、武家政権時代前期、武家政権時代後期、明治維新体制、第二次大戦後と分けらる。
このうち、海外との軍事関係は卑弥呼の時代の魏の軍隊要請、大化の改新後の白村江の戦い、鎌倉幕府の元寇、秀吉の朝鮮出兵、明治以降の日清・日露・中国戦争、太平洋戦争があげられる。その時代の宗教は、卑弥呼の鬼道(原初神道)、大化の改新以前の仏教受容、鎌倉前期の日本固有の仏教の確立、戦国末期の切支丹伝播の影響、明治維新後の国家神道の導入、戦後のアメリカ・キリスト教の影響など、それぞれ特徴のある状況にある。
日本が有史以来一貫して、異民族による支配や他民族の大規模流入などを受けず、日本民族の国であり続けたのは上記の海外との軍事関係において民族として持ちこたえからだと言える。しかし、軍事力だけで民族の防衛できたのではなく、民族の文化力の支えがあったからこそ、有史以来2000年の独立と発展に成功したわけである。その文化の核は宗教だ。
この意味からも、1945年の大日本帝国の敗戦は、民族として非常に深刻な事態を意味する。明治維新以降の国家神道では世界に通用しない、これが1945年の敗戦の本質。そして、日本の国家神道が対決したのはヨーロッパ・アメリカのキリスト教文化だった。要するに、神道に依拠する大和魂も欧米のユダヤ・キリスト教の精神文化に勝てなかったということだ。そこで、戦後、日本人はアメリカのキリスト教徒が草案した憲法をほとんど無条件で受け入れ、文化の大転換をはかった。その結果、戦後は欧米と思想を同じくする文明国と認められ、アメリカに次ぐ経済大国になることができた。
それ以前の中国の関係では、卑弥呼の原初神道、大和朝廷の仏教受容、元寇以前からの日本仏教の確立などによって、文明国(中国)対野蛮国(日本)という構図ではなく、日本も中国と同等の精神文化を持った勢力として対抗し、中国の支配を回避できた。
しかし、産業革命後欧米の物質文明が世界を席巻し、その文明を支える欧米の精神文化・宗教にそぐわない勢力は大日本帝国のように破滅するか、アフリカ・インドのように植民地に貶められ、又は、中国のようにマルクス主義を取るしかなくなった。そして、今、21世紀にはユダヤ・キリスト教の後継とも言えるイスラム諸国の存在が問題になっている。
ここで世界の主流、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の問題に日本人も関係してくることになる。これらの世界宗教を理解するには、なぜ神がユダヤ・キリスト教とイスラム教を人類に与えたのかを理解する必要がある。