歴史には決定的な瞬間、時代、世紀というのがある。
日本史では1868年の明治維新、1945年の敗戦などが分かりやすいできごとだが、外見的な事象だけでなく精神的に大きな影響を与えた時代というものがある。
古事記、日本書紀、万葉集の編纂、東大寺大仏、地方の国分寺の創建などのあった奈良時代が日本の文化と精神性にとって最も重要な時代であったと言える。平城京が唐の長安に似せて作られ、8世紀の前半に日本神話を確定させた古事記、天皇家創立の経緯を明らかにし、当時の文明国中国に対抗して作られた日本書紀、漢字の用法を一歩進めた万葉集、仏教を大和朝廷が公に支持し、一種の国教として採用したのを象徴する大仏、国分時の建立、さらに日本史上最初の本格的律令法典である大宝律令が導入され、天皇制が制度的に安定した8世紀(ほぼ奈良時代)こそ日本にとって決定的な時期であった。
この8世紀の大改革の発端は663年の白村江の戦いで、日本・百済が唐・新羅に敗戦したショックだ。日本に唐軍が攻め込んでくるの恐れた大和朝廷は、その脅威がなくなってからも日本の再建、改革の必要性にめざめ真剣に日本を唐の文明水準に近づけようと努力した。そして、この奈良時代の努力と成果の延長上にその後の日本文化が花開く。つまり、日本文化の原点はこの時代に求められることになった。
島国日本の動きは常に海外からの文化的ショックによって牽引されてきた。日本列島の中ではそれなりに満ち足りた日本人が、中国文明、仏教文明と遭遇して、自らの客観的な位置に目覚めて文化の向上をはかる、これが日本の伝統的な動きになった。
ただし、切支丹の急激な普及とその後の弾圧の例に見られるように、国内の根本的体制を揺るがすような海外の影響力は拒絶する。同じような例が、明治維新後の西洋化と、その反動のような昭和前半の国粋化、対米戦争にも見られる。根本的な問題に抵触すれば激しく対立し、敗戦すれば直ちに海外文化の優位を悟って日本に取れ入れるのが歴史的特質だ。
思想や制度的にはさまざまに海外の影響に対応して発展してきた日本だが、それでも、いまだに8世紀(奈良時代)の文化的遺産が日本の文化的基盤となっている。もっとも、霊的には1万年の縄文時代の影響が見られる日本人だが、その文化的、霊的基盤と世界水準のキリスト教、ユダヤ教、イスラムの精神性の理解が今は問題となっている。近代科学の源である海外一神教の精神を理解できなければ、日本が世界をリードすることは不可能だ。これが日本の根本問題だ。こういう意識はどの日本人にも必要だ。