2017年11月26日日曜日

「私はイスラエルに遣わされた」救世主キリスト - 日本の歴史の鍵


日本の歴史の出発点は3万年前からの石器時代、或いは15000年前の縄文文化からだが、有史としては紀元前200年頃からになる。問題は大和朝廷、天皇家の成立だ。

紀元前200
中国秦帝国の徐福一行が日本に向かって出発。日本では銅鐸など青銅器が作られ始める。
紀元50年頃
「漢委奴國王」の金印が漢から北九州の奴国に下賜され、倭人は中国を宗主国と仰ぐ。
100年頃
倭国王帥升等が奴隷を連れて漢に遣使。
150年~200年頃
倭国大乱。出雲の荒神谷に銅剣、銅矛、銅鐸が埋められる。銅鐸の製造が途絶える。
250年頃
邪馬台国の卑弥呼、台与。特に卑弥呼が国内抗争に魏の援軍を求める。古墳時代が始まる。
300年代
大和王権が成立。朝鮮半島に進出
400年代
倭の五王が中国の宋王朝などに朝貢し、日本・朝鮮の支配権の認知を求める。
500年代
仏教の伝来。
600年頃
聖徳太子、遣隋使で煬帝に対等の姿勢を示す。
663
白村江の戦い(日本と百済の連合軍は唐と新羅の連合軍に敗れる)
720
日本書紀成立

日本史の最大のミステリーは、日本書紀の神武天皇の東征(天皇家の成立)と、確証された歴史的事実がどのように対応するかだ。

その仮説として、九州(佐賀や宮崎)に到達した徐福一行の子孫が、青銅・鉄器の使用などの文化的優越性から北九州の奴国の王となり(それでも200年もかかり、十分倭人に同化する)、当時の大水田地帯の奈良盆地、大和に向かって支配権を伸ばし、一旦は大和攻略に失敗するが、別の徐福系の住み着いた紀伊半島の新宮で新たな味方を得て、ついに大和を攻略する。これが倭国大乱(神武東征)となる。しかし、大和にはすでに出雲系の勢力や別の徐福系の一派が存在していたため、最終的には同化吸収する。しかし、北九州に残された徐福の末裔の一族や、出雲、吉備など各地の勢力との支配権の争いが生じ、卑弥呼を共立して統一を保つ。この動きの中で出雲系支配の象徴の銅鐸は破棄され、銅鏡の時代になる。卑弥呼・台与のあとは、大和王朝の権威誇示のために秦の始皇帝陵にならった古墳を作り始める。しかし、仏教の伝来によって、和人の世界観が拡大し、中国崇拝から日本民族の独立性を尊ぶ思想が生まれ、遣隋使の姿勢にも反映される。以降、唐帝国との白村江の戦いを経て、ますます中国からの独立の姿勢を強め、720年頃に平城京で成立した日本書紀では邪馬台国や卑弥呼は中国に対して余りに隷属的・追従的だとして正式には取り上げない。以後、戦後まで日本の歴史の中で徐福や卑弥呼のことは隠されていく・・・

この仮説は、大和朝廷が奈良盆地で自然に発生した勢力ではなく、北九州から大和への征服王朝であること、その支配権が永続できたのは、弥生時代の倭人(原始的な稲作文化、平和的な銅鐸文化)に対して圧倒的な文化的優越性があったと考えられることから、そのような勢力は中国からの移住者、又は、その末裔と考えるのが自然であり、それに対応する歴史的事実としては徐福の到来が最も有力であることが仮説の下敷きけとなっている。

徐福一行は分散して各地に到達したと考えられ、徐福一行以外にも、秦による中国の武力統一の戦乱を逃れて朝鮮半島経由で北九州や出雲、丹後などに到来した人々によって進んだ稲作、青銅器、鉄器も「紀元前200年頃」に日本に到来したと考えられる。特に神武が大和を支配したあとも、大和の三輪山などでは出雲系の神が祭られ続けたことも重要だ。

しかし、このような古代中国文明に対する従属的な精神も、インド発祥の仏教の到来によって大きな影響を受ける。世界は中国だけではない、仏教を生んだインドもあるということで、日本人は中国に対して独立性を強める。それが、日本書紀の精神だ。そうなると、神武天皇が徐福の末裔であった可能性、邪馬台国の卑弥呼が魏に援軍を依頼した事実などはタブー視される。そして、日本の歴史は曖昧になり、天皇家成立の謎となる。

ポイントは、青銅器も鉄器もなかった弥生時代の日本と、万里の長城や巨大な始皇帝陵を築くような当時の中国との文明の格差、及び、中国に隷属するかのような倭の五王の時代から、隋の煬帝に対等を求める外交文書を書いた聖徳太子の間には仏教伝来という大きな出来事があったことだ。歴史は文化・文明の発展の過程だ。これが日本史の謎を解く鍵だ。


世界的には、現在も主流のユダヤ・キリスト教文化の原点のアブラハムから歴史が始まったと言えるが、そのアブラハムの出自はどの文化かというのが大きな謎だ。特にアブラハムと古代メソポタミア文明との関係が人類にとって最重要な研究課題とも言える。

2017年11月19日日曜日

歴史のミステリー

日本史の魅力はミステリーがあるからだという考えもできる。世界からほとんど隔離されたこの島国でミステリーもないものだと、考えたくなるが、それでも日本の歴史に謎はある。

卑弥呼の邪馬台国はどこにあったのか、出雲と大和の関係とは、徐福と神武天皇の関係は、仁徳天皇陵は本当に仁徳天皇の古墳か、聖徳太子は実在したのか、天皇家の万世一系は本当か、日本書紀・古事記はどこまで信用できるか、武家政権成立の真相とは、元寇は本当に神風で防げたのか、戦国時代の庶民の生活は、信長暗殺の真相とは、豊臣家滅亡の真相とは、鎖国の真の理由とは、幕末の孝明天皇・坂本龍馬の暗殺の真相とは、西郷隆盛の反乱の真相とは、伊藤博文暗殺の真相とは、2.26事件の真実とは、南京事件の真実とは、昭和天皇周辺の終戦時の動きなど、他民族に征服されたこともないのに日本の歴史には謎が多い。

中国では1つの王朝を滅ぼした次の皇帝・政権が新たに歴史書を書かせて、自分たちの都合のよい歴史をねつ造するという傾向がある。日本でも時の支配層に都合の悪いことは隠されている。アメリカではリンカーンやケネディの暗殺、ニクソンのウォーターゲト事件、ビル・クリントンとヒラリーのスキャンダル、ブッシュとビンラディン一族の関係などが有名で、関係するノンフィゥクョン、小説も多く出版されている。


人類的な歴史の問題としては、シュメール人はどこから来たのか、ピラミッドの製造方法とは、インダス文明は誰が創ったのか、モーゼとユダヤ人の出エジプトは事実か、イエス・キリストは何だったのか、聖書成立の謎、なぜローマ帝国は滅んだのか、イスラムはなぜ普及し成功したのか、なぜヨーロッパでユダヤ人の迫害が続いたのか、なぜ産業革命がイギリスで生じ、大英帝国が世界を制覇したのか、なぜ2度も世界大戦がヨーロッパで始まったのか、ソ連の崩壊と冷戦の終結の真相とは、中国共産党の中国支配はなぜ成功したのか、イスラム過激派の実態とは、9/11テロの真相とはなど、今も研究すべき話題が多くある。

正しい歴史観を持つためには、こういう歴史のミステリーも研究しなくてはならない。

2017年11月9日木曜日

世界宗教と日本

日本の歴史は石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、大和朝廷時代、平安京時代、武家政権時代前期、武家政権時代後期、明治維新体制、第二次大戦後と分けらる

このうち、海外との軍事関係は卑弥呼の時代の魏の軍隊要請、大化の改新後の白村江の戦い、鎌倉幕府の元寇、秀吉の朝鮮出兵、明治以降の日清・日露・中国戦争、太平洋戦争があげられる。その時代の宗教は、卑弥呼の鬼道(原初神道)、大化の改新以前の仏教受容、鎌倉前期の日本固有の仏教の確立、戦国末期の切支丹伝播の影響、明治維新後の国家神道の導入、戦後のアメリカ・キリスト教の影響など、それぞれ特徴のある状況にある。

日本が有史以来一貫して、異民族による支配や他民族の大規模流入などを受けず、日本民族の国であり続けたのは上記の海外との軍事関係において民族として持ちこたえからだと言える。しかし、軍事力だけで民族の防衛できたのではなく、民族の文化力の支えがあったからこそ、有史以来2000年の独立と発展に成功したわけである。その文化の核は宗教だ。

この意味からも、1945年の大日本帝国の敗戦は、民族として非常に深刻な事態を意味する。明治維新以降の国家神道では世界に通用しない、これが1945年の敗戦の本質。そして、日本の国家神道が対決したのはヨーロッパ・アメリカのキリスト教文化だった。要するに、神道に依拠する大和魂も欧米のユダヤ・キリスト教の精神文化に勝てなかったということだ。そこで、戦後、日本人はアメリカのキリスト教徒が草案した憲法をほとんど無条件で受け入れ、文化の大転換をはかった。その結果、戦後は欧米と思想を同じくする文明国と認められ、アメリカに次ぐ経済大国になることができた。

それ以前の中国の関係では、卑弥呼の原初神道、大和朝廷の仏教受容、元寇以前からの日本仏教の確立などによって、文明国(中国)対野蛮国(日本)という構図ではなく、日本も中国と同等の精神文化を持った勢力として対抗し、中国の支配を回避できた。
 
しかし、産業革命後欧米の物質文明が世界を席巻し、その文明を支える欧米の精神文化・宗教にそぐわない勢力は大日本帝国のように破滅するか、アフリカ・インドのように植民地に貶められ、又は、中国のようにマルクス主義を取るしかなくなった。そして、今、21世紀にはユダヤ・キリスト教の後継とも言えるイスラム諸国の存在が問題になっている。


ここで世界の主流、ユダヤ・キリスト教とイスラム教の問題に日本人も関係してくることになる。これらの世界宗教を理解するには、なぜ神がユダヤ・キリスト教とイスラム教を人類に与えたのかを理解する必要がある。