2018年1月13日土曜日

天皇家とアメリカの影響

日本史、最大の謎は天皇家だ。なぜ、天皇家が2000年近くも続いたのか、そもそも、なぜ神武天皇が日本のトップに立てたのか、これが最大の謎。

1万年続いた縄文時代には天皇家はなかった。これは常識だ。しかし、弥生時代から古墳時代になるころに天皇家、大和朝廷が成立したのも事実。初期の稲作時代、銅鐸時代には明らかに天皇家の影響はない。しかし、銅鐸が埋められ、銅鏡・古墳時代になると中央集権体制が現れてくる。銅鐸も大陸・半島から伝わったものだが、銅鏡・古墳も大陸・半島の影響にある。ということは、天皇家も半島・大陸と関係があったと考えらる。九州の一部族がたまたま奈良に出てきたというのではない。大陸・半島の文化を背景に、縄文時代から脱したばかりの日本で勢力を拡大したと考えられる。

つまり、旧石器時代から脱して、縄文になり、弥生になったばかりの日本に、中国大陸の文化を背景に日本を制圧したと考えらる。中国では紀元前200年頃に秦帝国ができている。その後の戦乱時代に中国から逃れて、半島、日本にわたった一族、或いは、徐福の末裔なら当時としては進んだ文化的背景を持っている。そして、圧倒的な文化力・武器などで当時の日本の穀倉地帯、奈良盆地を制圧した。これが天皇家の始祖であると考えられる。

その後も朝廷は、半島の進んだ文化をもつ百済と密接な関係を保ち、他の豪族を文化的に圧倒する。白村江の戦いにわざわざ出兵して唐と戦わねばならなかったほど、天皇家と百済は密接な関係があった。しかし、敗戦後は朝鮮との関係を断ち、日本書紀・古事記で日本の独自性を主張する。そのときは、国内では天皇家の文化力による優越性は確立していた。

第二次大戦後、日本が180度国策を変更して親米になったのも、アメリカの圧倒的な国力・文化力にさらされた結果だ。明治維新の西洋化・近代化努力では追いつけなかった圧倒的なアメリカの科学・技術・文化力の前に、天皇家ですら親米一辺倒になった。今の日本の国情はまだこの延長上にある。しかし、まだ文化的にはユダヤ・キリスト教文化に追いつけないのに、それをベースとした憲法を改正するという危険な動きも出ている。

世界的には、なぜローマ帝国にキリスト教が普及したのかが根本的問題だが、やはり、キリスト教には圧倒的な魅力があったということだ。他の宗教とは格段に優れたメリットがあった。しかし、その意味を正しく理解している学者は少ない。


物事は圧倒的な差異によって動き、新しい秩序が打ち立てられる。参考までに言えば、物の違いが分からない人間はリーダーになるべきではない、させるべきでもない。