日本は何と言っても(世間的には)仏教国だが、仏教には末法思想というのがある。今では誰も真剣に論じないが。
「大乗仏教には歴史観として、未来を含めて歴史を三段階で分ける考えがあった。正法五百年、像法千年、末法万年といい、正法は仏陀の死後五百年でその教えが正しく実行されている時代、次の像法千年は教えは守られているが、それを実行し悟りを開くことが困難な時代(像とは似ているという意味)で、末法は仏陀の教えが行われなくなる時代であるという」(http://www.y-history.net/appendix/wh0302-060_4.html)
仏陀は紀元前500年頃の人だから、キリストが生まれるころまでは正法だったことになりる。そして、次の1000年が過ぎる頃というのが日本の平安時代の末期になる。テレビでよく取り上げられる、この時代の陰陽道などもこの影響にある。
「日本では1052年が末法入りと考えられ、源信の『往生要集』が著され、源平の争乱から鎌倉幕府への転換はそのような乱世の表れと捉えられた。念仏によって極楽往生を願う浄土信仰はさらに鎌倉仏教のなかに、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)という宗派を生み出し、進化を重ねていく」(同)
「三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。
「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E6%B3%95)ともされており、この場合西暦1500年以降に末法となる。実際、日本では同じ時期に戦国時代になり、まさに末法の時代に入る。しかし、1549年にはザビエルが来日する。同じころ鉄砲も到来し、戦国の統一が進む。ただ、それから500年経っても、世界も日本も滅びていない。
しかし、この500年間はキリスト教が世界に布教した時代でもあった。日本も末法の世にザビエルが現れて、仏教の支配する世界からキリスト教の影響を受けた時代に入った。ザビエル(信長・秀吉)=>鎖国(江戸時代)=>開国(明治維新)=>西洋化(戦前)=>キリスト教化(戦後)、という流れだ。戦後のキリスト教化はアメリカ文明の受容という形を取っている。
一方、仏教はまだ名目的、儀式的に日本人の宗教ということになっているが、社会システムへの影響力はない。そういう意味では仏教は日本文明の宗教ではなくなった、ということになる。
しかし、キリスト教の影響が、ある意味で隠された影響だから、仏教との摩擦は少ない。いや、日本人の霊性には、縄文の精神、神道の精神、仏教の精神というように階層性が見られる。その一番上に、現憲法の精神でもあるアメリカ・キリスト教の精神がある。そして、世界の主流のキリスト教とはどこかでつながっている。ザビエル来日以来日本も、複雑ではあるが、キリスト教世界の影響の下に移行したと言える。
そして、世界の主流のキリスト教では「最後の審判」という思想がある。特に、キリスト自体が「世の終わり」という考えに基づいた説教をしている。これは、実際にキリストの死後、30年経ってユダヤ戦争が起き、パレスチナはローマ軍によって直接支配されるようになり、エルサレムの神殿も破壊され、ユダヤ人の離散をもたらした。
ユダヤ戦争前と後ではユダヤ教は変わる。神殿を中心とした宗教から、ユダヤ教の聖書を中心とした宗教に代わる。要するに古いユダヤ教は亡び、新しいユダヤ教が生まれた。これは、まさにそれまでのユダヤ教徒にとっては「世の終わり」なのだ。キリストの「世の終わり」とは、このユダヤ戦争のことを意味していたと思われる。「ローマ帝国によるエルサレム破壊は近い。だから、もっと神に帰依せよ」という代わりに「世の終わりが近いから、悔い改めよ」と説教したのだ。キリストは「私はイスラエルに遣わされた」と言っているから、「古いユダヤ教の終末」が「世の終わり」だった。
つまり、キリストの予言は成就したということになる。しかし、その後、2000年もキリスト教徒はこのことが理解できず、「世の終わりというのは難解だ」と考えてきた。また、ニュートンのように旧約聖書に基づいて、この世の終わりの日を計算した人もいる。
さらに、キリストは「私は雲に乗って再びこの世にやってくる」とも予言している。こちらの予言はまだ成就していない。しかし、20世紀になってさまざまなキリスト時代の遺物が発見され(死海文書、ナグ・ハマディ文書、当時の骨箱、トリノの聖骸布の調査など)、また、ファティマの予言やマラキの予言、イスラエルの建国などキリスト教の周辺に重要な出来事が起こっている。何がでてきても不思議はないような状況だ。
仏教では終わったはずの21世紀の世界で、今、イスラム教世界の動きが注目される時代になった。世界はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教について新たな考えをもつべき時代になったのではないだろうか。同じ神を敬いながら異なる宗教が永遠に分離されているということは考えらない。特に、アブラハムからキリストまでが2000年、キリストから現在までが2000年。何かが起きてもおかしくない。