2021年9月30日木曜日

コロナの教訓:定額給付金

岸田新総裁は、経済を最大の課題として挙げた。

コロナは、1回だけだが政府に定額給付金を国民に無条件に支給させた。コロナの最大の教訓というべき政府の施策だった。

90年代以降、日本はデフレに見舞われたが、その原因は消費の低迷だった。消費が低迷したのは賃金が90年代以降、抑えられたからだ。その原因は、中国の低賃金の労働力の利用にあった。企業は、日本の労働者の賃金の10分の1という中国の労働力を利用して、利益の確保を図った。そして、日本の労働者の賃金水準も抑えれることになった。全て企業の利益の確保のためである。

90年代には、まだ世界をリードしていた日本のエレクトロニクス業界も、低賃金の中国、韓国、台湾の労働力を利用しているうちに、技術や人材が流出し、テレビ、PC、携帯電話など、さまざまな分野でシェアを奪われることになった。

そして、企業は激化する国際競争の中で利益確保のために給与水準を抑え、人件費を抑えた。その結果、国民の消費力は抑えらえ、デフレになり、金利もゼロになり、財政・年金にも危機が生じた。

アベノミクスは金融部門を活性化し、株価も復活し、ある程度経済の活性化をもたらしたが、本質的な消費の活性化はたらせなかった。企業の姿勢は変わらなかったし、古い財政思想に縛られた財務省も新たな経済思想を受け入れなかった。

しかし、コロナの緊急事態で、国民がコロナで収入がゼロになれば、経済も財政も成り立たないことに気がついた政府は、定額給付金の支給に踏み切る。しかし、1世帯10万円の支給が1回だけでは不十分である。定額給付金を経済のベースとすべきだ。

労働・勤労・経済活動の対価・報酬・成果として収入を得るのは自由であるが、国民はその収入を社会の福祉、国家の経済のために使うとは限らない。社会の福祉、国家の経済のためには消費と税収が基本であり、そのために給付金を国民に支出するのは当然である。特に、低所得層は給付金を全て支出にまわすので、企業の利益、税収確保につながる。

まずは、政府は定額給付金を支給し、最低限の国民生活・消費を保証し、税収を確保するのが、国家体制の維持に必要だということである。これがコロナの教訓だということになる。


2021年9月28日火曜日

「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」

キリスト教の教えについては誤解が多い。

欧米の宗教だから、仏教をしのぐ体系的で、深遠な哲学的な神学理論の上に打ち立てられていると考える日本人も多いが、それは、イエス・キリストのパレスチナでの宣教以来、2000年にわたってバチカン(カトリック)などの教会組織や、教会と結びついたヨーロッパの国家、神学界が展開したものであって、本来のキリストの教えとは異なるものだ。

キリストの教えは、新約聖書の彼の言葉が全てだと言っていい。バチカン(ローマ教皇庁)などは、キリストの昇天後、教会のリーダーなどに神が送られた聖霊によって示された教えがキリスト教の本質であるとしているが、2000年前のパレスチナの貧しい農夫や漁民に三位一体説などが理解できるわけもない。

キリストの教えは、要約すれば以下のようになる。

1.死後、人間の魂は霊界に入って、死後の世界を生きる。

2.善良な魂は霊界から天国に行き、邪悪な魂は霊界から地獄に落ちる。

3.貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間は、善良な魂を有するとみなされ、富裕層、エリート、幸福な人間は邪悪な魂を有するとみなされる。

4.天国に入った霊は永遠の生命を与えられ、地獄に落ちた霊は神様によって抹殺される。

従って、貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間には、イエス・キリストの教えは「良い知らせ」だということになる。それで、イエス・キリストの宣教から、十字架での死、そして、復活して昇天までを描いた新約聖書は「福音書」とも呼ばれる。

2000年前から現在に至るまで貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間の数は、富裕層、エリート、幸福な人間の数よりもはるかに多い。従って、キリスト教は、そのような人々によって支えられてきたということになる。実際、キリストもその弟子に、「世界中に宣教して貧しい人々を救え」と命じている。

キリスト教の本質は、「貧しい人間、苦しめられた人間、不幸な人間は、善良な魂を有するとみなされ」、「富裕層、エリート、幸福な人間は邪悪な魂を有するとみなされる」という点にある。この言葉の意味を、富裕層の学者、豊かさを志向する教会の指導者などは、当然、正しく理解できない。ここに、キリスト教世界にとって最大の問題がある。

仏教のような魂の救済・苦の消滅という抽象的な精神論ではない。現実の社会に生きる人々の現実に焦点を当てた教えです。そして、悪魔に魂を売らなければ、人間は富裕層、エリート、幸福な人間にはなれないという現実の厳しさに、神の愛の光を当てるという教えです。

キリスト教徒は仏教徒より、あの世、死後の世界、霊界、天国を信じ、求める気持ちが強い。「死ねば、空のお星さまになる」というおとぎ話のレベルではなく、「死ねば、天国でイエス・キリスト様に迎えられる」と本気で信じるのがキリスト教だということになる。

ただし、バチカンのローマ法王が、ミニ国家ながらバチカン市国の元首として、大宮殿のようなサン・ピエトロ大聖堂で多くの教会関係者を召使として使って生活しており、バチカンの財政的資産は5千億円と言われるが、その保有する歴史的な芸術や資料の価値は、ほとんど無限と言っていい。神様がローマ法王を貧乏人の一人として天国に受け入れるかどうかは誰にも分からない。

イエス・キリスト自身は、悪魔につけこまれないように、無一文でホームレスの生活を送った。聖書にも、イエス・キリストがカネを使う場面の描写はない。ブッダも乞食をして、人々の施しで生活していた。信用できる宗教家はホームレスの生活レベルの宗教家だけだ、ということになる。(だから、豊かな生活を送る教祖のいる新興宗教は信用できない・・・)

欧米人なら、誰でも知っている聖書の中のイエス・キリストの言葉は、「金持ちが天国に入るのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」です。



2021年9月27日月曜日

死後の世界を信じるアメリカ人と信じない日本人

 聖書によれば、世の終わりが近づけば、神は人々に霊を送るとされている。

1970年代以降には、アメリカで臨死体験が社会的に認知されるようになってきた。特に、スイス生まれの医師エリザベス・キュブラー・ロスや、レイモンド・ムーディの働きが大きな影響を与えた。

キュブラー・ロスは、第二次大戦後にアメリカに移住し、死に臨んだ患者の心理状態などを研究し、死に至るまでの精神状態の変遷を明らかにした。ムーディはベスト・セラーとなった1975年の「かいま見た死後の世界」などの臨死体験に関する著作を多く著わし、立花隆の臨死体験の研究などに影響を及ぼした。

2017年から2020年の調査では、死後の世界を信じる人間は、アメリカで68.2%、日本では32.2%となっている。(https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20210215-00221877)

そもそも、キリスト教の聖書では、霊、霊界、天国や神の存在が前提とされている。キリスト教が事実上の国教のアメリカでは、死後の世界を信じない方が例外的な人間のはずだが、無神論者などもアメリカには結構いる、ということになる。あるいは、科学が発達した社会では、科学的に証明できない死後の世界は信じる対象にはならない、ということかも知れない。

日本では、今の仏教の僧侶でも死後の世界の存在を信じない者もいるが、平安時代の源信が「往生要集」で地獄や極楽について述べて以来、霊界の存在を認めることは日本文化の伝統となっている。ただし、明治以降の西洋化の中で、西洋科学は取り入れたが、キリスト教は敬遠した日本は、科学の洗脳で死後の世界に対する信仰は、アメリカの半分ほどの広がりしかない。つまり、日本人よりアメリカ人の方が臨死体験や死後の世界を信じている。世界の物質文明と経済の中心であるアメリカで、3分の2以上の国民が死後の世界を信じていることの意味は大きい。

キリスト教の影響が大きいアメリカでは、スピチュアリズムや心霊主義は、究極的には伝統的なキリスト教という枠組みの中に納まるが、社会的に仏教が葬祭儀式のみに関わるものだという通念のある現在の日本では、スピチュアリズムや心霊主義はエンターテインメントに埋没したり、1995年のオウム真理教によるテロのような、歯止めのないカルト(過激で異端的な新興宗教集団)の狂信的な動きと結びつきやすい。そのため、死後の世界などは敬遠すべき問題だという雰囲気が社会で主流となっている。その結果、日本では3分の1の国民しか死後の世界を信じていない、ということになる。

日本人が尊敬するヨーロッパの文学作品の多くには、霊的な世界に対する認識が基本にある。プラトンやソクラテスから始まって、ダンテ、ゲーテ、シェークスピアに至るまで、霊界への関心が表わされている。夏目漱石もイギリスの心霊主義関係の本を読んでいたし、禅を世界に広めた鈴木大拙も18世紀の霊能力者のスエーデンボルグから影響を受けている。

日本人が立花隆の臨死体験の本を読んだり、スピチュアリズムや心霊主義に関心を持つのは当然だが、死後の世界について正しい理解を得るには、伝統的なキリスト教や仏教に親しむことが必要だと思われる。

歴史的に世の終わりが近づいたとき、神が霊を送るのは、まずキリスト教の伝統の上で死後の世界を信じるアメリカ人だということになる。実際、霊界には悪魔もいるので、安易にスピチュアリズムや心霊主義に惑わされれば、悪魔の手先になりかねない。現代の日本人は、スピチュアリズムや心霊主義、それを売り物にする新興宗教などに関わる前に、伝統的なキリスト教や仏教を学ぶことが安全で、必要なことだと思われる。

2021年9月25日土曜日

1945年の終戦から、2060年の世の終わりの開始まで

 1945年の終戦以来、50年間は、日本は基本的に平穏だった。

第二大戦で敗戦し、米国キリスト教のマッカーサー元帥が導入した、米国キリスト教の精神を基盤とする新たな憲法体制の下で、国家の安全保障問題は日米安保体制によって日本人の意識から隠されることになり、日本人は経済発展に専念することができた。

戦後の米国/ソ連冷戦の一環につながる1960年の安保闘争後、1964年の東京オリンピックを経て日本経済の高度成長は加速し、1970年前後の学生運動・ベトナム反戦運動の嵐を超えて、1980年代には技術で世界をリードするまでに至り、GDPで世界第二の経済大国となり、日本は1980年代末のバブル経済の時代へと突き進んでいった。1989年の昭和天皇の死は、まさに、本格的な世紀末の幕開けを予感させるものとなった。

1990年代初めの米国とイラクの湾岸戦争(今日まで続く米国のイスラム・テロリストとの戦の源流となる)、ソ連の崩壊(中国のロシア型共産主義・経済体制の放棄の原因となる)なども日本に大きな影響を与えることはなかった。しかし、戦後50年たって生じた1995年の阪神大震災とオウム真理教テロは、20世紀末から21世紀の始めに至る世界史的な世紀末の、日本での幕開けとなった。

ちなみに、ダイアナ妃の事故死は1997年、JFK Jr.の事故死は1999年であり、世界文明の主流のイギリス/アメリカにおいても、世紀末に影をさすような出来事が生じた。

そして、21世紀の開始と共に、2001年に同時多発テロがアメリカで生じ、世界文明の主流のユダヤ・キリスト教世界に警告が与えられた。アメリカではさらに2008年にリーマンショックに続く金融危機が生じ、その反動として黒人初の大統領オバマが誕生した。日本でも、アメリカ型の強欲資本主義への反発から、2009年に民主党政権が生まれ、2012年まで続いた。

米軍が同時多発テロの首謀者オサマ・ビン・ラデンを殺害したのは2011年だったが、その2ヵ月前に日本では東日本大地震/大津波が生じ、18,000名が死亡・行方不明になった。そして、世界を震撼させた福島第一原発事故が随伴して生じた。1990年のバブル経済崩壊以後、20年を超えるデフレ経済と少子高齢化に苦しむ日本は戦後以来の危機に見舞われた。その中で、政権能力に疑問を持たれたリベラル派の民主党政権は否定され、政権はアベノミクスを掲げた自民党に戻った。そして、2020年にコロナ大感染に見舞われるまで、この体制は続いた(日本でのコロナの死者は、2021年9月時点で約17,000名、世界では450万人超)。

1918年の第一次大戦後のスペイン風邪以来の100年ぶりのパンデミックは、まさに本当の世紀末を意味した。オバマへの反動として登場したアメリカの白人優越主義者のトランプ大統領は、コロナの中で、現職で2020年の大統領選に落選した。日本では、圧倒的な人気・権力を誇った安倍が二度目の病気による首相辞任を強いられた。後任の菅も1年しかもたなかった。ドイツのメルケル首相も2021年に退陣する。中国初のコロナは欧米・日本の民主主義国に大きな影響をもたらしたと言える。

ちなみに、戦後の開始の1946年から、阪神大震災の1995年までは49年(7x7)、阪神大震災の1995年から、東日本大震災の2011年までは16年(4x4)、東日本大震災の2011年から、2020年のコロナまでは9年(3x3)となる。コロナが2021年で事実上、収束に向かえば(2020年から2021年まで、又は、2022年から2021年までは1年(1x1))。これで、世紀末の警告事象のシリーズは終わることになる。

「世紀末」の後は、聖書によれば「世の終わり」になる。キリスト教の発生から現在までの2千年で人類に対する神様の判断は下される、と考えられる。ただし、世の終わりにはキリストの再臨が期待される。2千年前に十字架の刑で死亡したが復活し、天国に返ったキリストが再び人間世界に現れるというのが、キリスト教の信仰です。

科学者であると同時に聖書研究家でもあった18世紀のニュートンは、世の終わりは2060年以降に生じると予言している。現代科学の基礎を築いたニュートンに敬意を表せば、21世紀が人類にとって大変な時代になると考えられる。最悪、人類の歴史には22世紀はないかも知れない。

世の終わりには、神は人々に霊を与えると言われている。20世紀末から続く、世界的なスピリチュアリズム(臨死体験の評価も含む)の活性化は、やはり、世の終わりの前兆かも知れない。それでも、人間が皆、悔い改めれば神は人類に終末をもたらさないかも知れない。

いずれにしても、コロナを真剣に捉えれば、人間社会の腐敗・堕落に怒った神が、死の天使にコロナを使わせたという議論もあって然るべきです。

2021年9月23日木曜日

1945年以降の日本の正しい歴史観

日本は敗北した。

300万人が戦死し、外国軍隊が日本に駐留した。そして、1945年8月15日の無条件降伏から1951年9月8日のサンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印まで、日本は主に米軍の支配下にあった。

その間、アメリカのマッカーサー元帥が日本国憲法の草案を起草し、天皇を元首から象徴役の特殊公務員とし、国民を主権者とする革命的な体制変革をもたらした。これが、戦後の日本の基本となった。

現在にいたるまで、この憲法の枠組みに反対する声は日本国民の間から聞こえない。明治維新以来の天皇制を極限にまで強化して戦った1941年~1945年の日米戦争で、軍部と天皇家が推進した天皇絶対制は敗北し、日本は欧米連合国と中国・ソ連の支配下におかれた。日本の歴史以来、有り得なかった出来事が生じた。それでも、天皇家を中心とする伝統的な保守派は生き延びた。

そもそも米国キリスト教徒のマッカーサー元帥が目指したのは、日本が米国キリスト教に基づいた民主主義国家となることだった。しかし、日本統治を円滑に行い(終戦時には、中国大陸にはまだ100万人の日本兵がいた)、中国・ソ連の影響を除きたかった米国政府とマッカーサー元帥は、天皇家の保護が円滑な日本統治に必要だと認め、天皇家の温存を決めた。そして、天皇を擁して本土玉砕(自殺戦争)を図った狂気の帝国軍部に恐怖し、愛想をつかした天皇家は、マッカーサー元帥、米国政府に完全にすり寄って、生き残りを図る。これが、戦後の日本の政治体制の基本となった。憲法上は、「国民」ですらない天皇を、憲法上の主権者「国民様」の上に「象徴」として置き、その上に米国政府が君臨するという体制が出来上がった。しかし、それでも日本人には、大化の改新以来の天皇家による洗脳から脱する道が開けた。そもそも、明治維新の時、坂本龍馬が西郷隆盛を大統領とする維新体制を完遂できれば、先の大戦で300万人の日本人が戦死することもなかった、ということになる。(幕末に、徳川慶喜が大統領となる新体制を模索していた幕府の、隠密組織が龍馬を暗殺したのも皮肉な悲劇だった。)

1945年の日本の敗北で、300万人の戦死者が怨霊となって天皇家に憑りつくことになった。実際に、天皇が1941年に、命をかけて日米戦争に反対していれば、真珠湾攻撃は起こらなかった。1945年の沖縄戦、広島・長崎への原爆攻撃もなかった。戦後、東條大将の絞首刑で、米軍による日本の戦争責任への追及は終わり、天皇家は東條家を見捨てた。しかし、300万人の戦死者の怨霊は天皇家の断絶を求めていると思われる。女系天皇や、旧皇族の復帰なども議論されるほど、天皇家は霊的に追い詰められている、と言えなくもない。

戦後の日本の文化、政治、経済ですら、決定的な飛躍を遂げられなかったのは、このような正しい歴史観の欠如による。また、90年代に日本のGDPが世界の第二位となりながら、日本が世界で主導的な地位を確立できなかったのも同じ理由による。

日本が東アジアのユニークな疑似王国(象徴天皇制国家)で終始するのか、世界史の主流に参画し、世界で指導的な地位を目指すのかは、このような正しい歴史観を持てるか否かにかかっている。

なお、世界の主流はユダヤ・キリスト教文明であり、ユダヤ・キリスト教・イスラム教の一神教文化です・・・

(中国はなりふり構わず、ユダヤ・キリスト教文明の成果を取り入れ大国化した・・・しかし、中国の伝統的な皇帝制を目指す中国共産党も世界史と世界の主流にはなれない。)