2024年5月30日木曜日
この世は、科学を超えた霊界から生じ、善悪は霊界でも意味がある!
2024年5月24日金曜日
日本と世界の霊的な現状!
人類の滅亡が近づいていると言えば、皆、冗談だと思うでしょうが、現代の物質文明の崩壊が迫っていると言えば、実感を感じる人はいるかも知れない。
実際、21世紀に入ってから、イスラム・テロ(9.11同時多発テロ)、世界レベルの金融危機(リーマン・ショック)、地震・津波・洪水(スマトラ大津波、東日本大震災、コロナ大感染)などの自然大災害、国家・民族間の紛争(ウクライナ戦争・ガザ戦争・中国の覇権追求)、ネット犯罪(オレオレ詐欺・AI犯罪)などが生じている。人類は地球規模で破滅に向かって突進しているように見える。
現在の文明は4600年前のエジプトのピラミッドの建設から始まる。4000年前には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の始祖アブラハムが生まれ、2000年前にはイエス・キリストが出現しその後の世界文明の基礎を作った。そして、現在はイエス・キリストの出現から2000年たっている。今の世界の年号は、イエス・キリストの誕生以来の年数です。2千年のスケールで歴史は動いている。この理論によれば、西暦2600年頃に人類の歴史は終了する可能性がある。しかし、2000年代にいったん物質文明が崩壊してもおかしくない。その後の600年間は霊的な文明になったとしても。
2000年前にイエス・キリストが出現しなければ、世界には今も民主主義も、テレビやジェット機、スマホなどの物質文明も発展しなかったと思われる。仏教も神道も、エレクトロニクスを基盤とした物質文明は生み出さなかった。民主主義・人権尊重とハイテク・IT文明は、キリスト教に基づく欧米文明の賜物です。当然、そのような世界での心霊主義もキリスト教が基盤になっている。その代表が18世紀のスエーデンのスエーデンボルグです。日本の心霊主義・新宗教もスウェーデンボルグの影響を受けている。
敬虔なキリスト教徒でもあったスエーデンボルグは、イギリスの産業革命の先駆者となったニュートンと同時代の人間だが、学校で教えられることはない。ニュートンは物質文明の引き金となる科学革命の先駆者だったが、スウェーデンボルグは、産業革命に先立って、精神界、霊界の重要性を示した。しかし、その業績は科学万能の世界では重んじられていない。
ニュートンも敬虔なキリスト教徒であり、2060年頃から物質文明が崩壊すると予言していた。スウェーデンボルグは、霊界では18世紀に最後の審判が行われ、その影響が21世紀頃にこの世の人間界でも現れるとしている。現代文明が加速したのは、19世紀になってからだが、それは日本の明治初期に当たり、当時、日本でも霊感に恵まれた霊能者(出口王仁三郎など)が多く現れ昭和の日米戦争の悲劇なども予言していた。また、ヨーロッパでは当時から聖母マリアが出現し、第一次世界大戦以降の世界の悲劇を予言していた(ファチマでの予言など)。要するに、21世紀に向けて世界には霊的な警告が増大している。
アメリカのケーシーやイギリスのエドワーズ、イスラエルのユリ・ゲラー、日本の冝保愛子、政木和三、塩谷信男、高塚光、松原照子など今日まで多くの霊能者、超能力者が出現したが、オカルトだとして軽く扱われるにいたっている。しかし、この世の物質界の他に霊界があると信じている人も多くいる。バチカンもファチマやルルドの奇跡は否定していない。ただし、物質文明に生きる人は、ほとんどが拝金主義に陥って霊界のことは真剣に考えない。そして、世界は物質文明の破局、崩壊に向かっている。
これが、現在の世界の霊的な実情です。善と悪、神と悪魔の戦いにおいて、拝金主義を世界に蔓延らせた悪魔が勝利しようとしている。その結果が、21世紀における物質文明の崩壊です。もはや、神様は人間を悪魔の手に渡そうとしている。これが、正しい霊的な世界の歴史の解釈です。
今、日本人に出来ることは、伝統的な清貧主義に戻り、神様の怒りを和らげ、物質文明の崩壊に備えることです。
未来を心配する日本のさまざまな善霊も、多くの霊能者を使ってこの半世紀に渡って干渉してきた。しかし、悪魔はオウム真理教事件などを通して、霊的な宗教研究を危険視させ、霊能者もカネと富で堕落させ、科学を超えた霊的治療・研究なども危険なオカルトだとの考えを普及させた。結局、日本人も物質文明に入り込んだ悪魔の影響下に置かれることになった。そして、世界はAIなどの最新技術と共に、破滅に向かっている。これが、今の世の中の正しい認識です。その象徴が、今年の秋に行われるアメリカの大統領選挙です。キリスト教大国のアメリカ自体が、悪魔の影響下にある。バチカンも、霊的権威を失っている。第三次世界大戦を防ごうとする霊的な力は失われている。
要するに、悪魔が主導する拝金主義が世界を覆おうとしている。それに対抗できるのは日本の伝統的な清貧主義とイエス・キリストの教えです。だから、日本人は清貧生活を心がけ、聖書を学ぶ必要がある。仏教の経典などは難解だが、聖書は平易な言葉で書かれている。日本の伝統的な善霊も聖書を否定することはない。21世紀の心霊主義が到達するのは、イエス・キリストの教えです。
「心と力の限り神を愛し、貧しい隣人を自分のように愛せ」、イエス・キリスト!
2024年5月22日水曜日
日本人の霊的状況
神道、仏教、儒教は日本人の精神的バックボーンとなっている。しかし、もっと深い所で日本の霊性が働いている。この霊性は、日本で3千年前に始まった稲作以前に、1万年以上に渡って続いた縄文時代、縄文時代の前に2万年以上に渡って続いた日本の石器時代に生まれたと考えられる。
また、日本人の遠い祖先がアフリカ大陸を出たのは5万年前だと言われている。人類共通の祖先、ミトコンドリアのイブがアフリカに生まれたのが16万年前です。そして、現在は日本国憲法を通して、日本の社会もキリスト教文明に属している。
キリスト教は世界の主流の一神教に基づく霊性に属している。つまり、日本人も間接的に人類の主流の一神教に基づく霊性に属している。アフリカで発生し、ヒマラヤ辺りで、霊性を高め、日本でさらに霊性を発展させた日本人も、現在は世界主流の一神教文明に属することになった。現在の世界の物質文明は、一神教のキリスト教文明が基盤です。
ところが、今の世界には、世界を支配している別の霊的な力がある。それは、拝金主義と呼ばれるカネの支配です。世界中でカネは神のように崇められている。カネは物質的な幸福をもたらす神だという思想に世界は汚染されている。そして、カネは悪魔の化身であり、世界中の人々が、悪魔を神だとして崇めていることになる。これが、正しい世界認識です。
日本人が世界の物質文明の主流に属するようになったのは、明治維新以降です。江戸時代までは、縄文時代以前の日本の霊性が主流だった。明治以降は、欧米の物質文明と日本の伝統的な霊性が衝突し、第二次世界大戦で日本はアメリカに敗れ、アメリカのキリスト教的民主主義を受け入れて今日に至っている。
しかし、日本人の霊性が完全に否定されたわけではない。天皇家も欧米のキリスト教を認め、世界の主流に取り残さないようにしているが、国内的には稲作文化の弥生時代以降の神道の本家としての伝統的権威に頼っている。
つまり、縄文時代からの伝統的霊性、弥生時代以降の神道、飛鳥時代以降の仏教、そして、儒教などが江戸時代までの日本の霊性を作っていたが、80年前の日米戦争の結果によって全面的にキリスト教が日本に導入され、日本は親キリスト教国となった。それでも、日本人の霊性は縄文時代に形成されたことに変わりはない。キリスト教を基盤とする物質文明が行き詰った現在、日本の伝統的な霊性が意味を持つことになる。
欧米では、霊とはイエス・キリストにつながる善霊(天使の霊)か、悪魔につながる悪霊を意味するが、日本では、自然の霊、神道につながる大霊、仏教につながる如来や菩薩の善霊、そして、キリスト教関係の霊など霊状況も複雑です。
それでも、霊界は天国につながる善霊の世界と地獄につながる悪霊の世界に分かれる。要するに、人間界の善悪が、死後の霊界でも意味を持つ。そして、唯一の絶対神を頂点とする霊界の秩序を認めることが正しい霊的な理解を意味する。
アフリカで人類が発生したときから、この世も霊界も唯一の絶対神の支配の下にあり、日本人も明治維新以降に、その真理を受け入れなければならなくなった。
日本人は縄文時代以降、稲作の導入で中国を中心とする東アジアの文明に属することになり、神道、仏教、儒教の霊的影響を受けたが、昭和の半ばの日米戦争以降は、世界の主流の一神教の影響を受けるようになった。その結果、一神教の神様に敵対する悪魔の影響も直接的に受けるようになった。現在の物質文明の基盤となったのはキリスト教だが、現在の物質文明には一神教の神様に敵対する悪魔も入り込んでいる。
日本には、稲作以降、中国などから農耕文明の悪魔が入り込んでいたが、神道や仏教の善霊で抑え込まれていた。清貧生活に対する尊敬の念は失われなかった。しかし、明治以降の欧米の物質文明は、新たな悪魔を日本に持ち込むことになった。そして、特に昭和の日米戦争の敗戦以降は日本でも拝金主義が支配的になる。
この新たな悪魔に対抗するには、日本人もキリスト教の理解を深める必要がある。日本の伝統的な霊性は、第二次世界大戦までは有効だったが、戦後の物質文明に関わる悪魔は神道、仏教などの霊性では抑えられない。日本人が日本に到達する以前の霊性は、今でも人類の霊性の基本の1つだが、稲作文明、欧米の物質文明を経て来た現在、キリスト教による唯一の一神教を理解しなければ、人類としての霊的な運命が理解できないことになる。
物質文明の危機が迫っている現在、欧米のキリスト教的な霊性が堕落・腐敗した以上、日本人の特殊な霊的伝統と霊性が重要になってくる。日本の霊性の歴史を学び、現在の物質文明の基盤のキリスト教を学ぶことが日本人には求められている。
いずれにしても、神道でも、仏教でも、キリスト教でも同じ霊界に入る。この世でどんな宗教に属していても、この世が1つなように、霊界も1つです。ただし、霊界にはさまざまな霊がいてこの世に干渉する。それでも、最終的には霊界は天国と地獄に分かれる。どんな宗教を信じていても、悪人の魂は地獄に落ち、善人の魂は天国に入る。
日本人の仏教徒でも神道の信者でも、善人なら霊界の天国に入るが、現代文明と世界の歴史を考えるとき、キリスト教を理解することで、この世と霊界で円滑に救いを得ることにつながるのです。
2024年5月20日月曜日
貧しさを恥るな!!
「貧しさを恥るな」、というのが仏教やキリスト教の結論です。
むしろ、「エリートや富裕層になってはならない」、というのがキリスト教や仏教の本当の教えです。
これは、世の中の風潮や常識に反する。しかし、間違っているのは世の中の方なのです。だから、世の中の風潮や常識に従っているだけでは救いは得られない。これが、真実です。
むしろ、世の中のシステムの上には悪魔がいる、と考えるのが正しい。カネで物質的な幸福を得よう、という考え方が根本的に間違っている。それを教えているのが、キリスト教や仏教なのです。「神仏を信じて清貧の生活をせよ」というのが、仏教やキリスト教などの伝統的な正統の宗教の教えです。
「清貧生活」=>「死後は天国」
「富裕な生活」=>「死後は地獄」
これが、全ての伝統的な正統の宗教、心霊主義の教えです。
つまり、イエス・キリストや仏陀のようにホームレスのような教祖のみが信用できるのです。貧しい者を愛さなかった聖人はいない。
その理由は、そもそもこの世(物質界)は霊界のエネルギーから出来ており、物質界も霊界(あの世、天国、地獄)も、世界を作ったのは真の、唯一の絶対の神様であり、人間の魂(心、精神)は死後、霊界に行き神様の支配下に直接入るからです。そして、この神様は「完全な善」であり、この世では物質的な幸福は完全な善に反するからです。他人を無視して得られる物質的な幸福は、他人の不幸の上に成り立っており、完全な善に反するのです。
物質的な幸福を求めたものは、霊界の天国に入ることはできないのです。逆に、清貧生活を送った者は、霊界の天国に受け容れられるのです。だから、物質的な幸福とは縁遠い「貧しい生活」をしていることは、死後の天国生活が保障されたことになり、何も恥じる必要はないのです。
しかし、この世は悪魔の影響を受けている。悪魔は人々の物質的欲望を煽り、悪魔に魂を売ってでもカネを得させようとしている。この悪魔の影響下でこの世の体制、システムが作られ運用されており、拝金主義が世界の宗教となっており、人々はこの世のエリートや富裕層を崇め、その上にいる悪魔を神だとして崇拝している。だから、企業や役所の就職試験や面接で「私は神様を愛し、清貧生活を愛し、悪魔の拝金主義と戦います」と述べた者は、狂人だと判断され採用されることはない。
そのような世界では、貧乏人は蔑まれ、バカにされ、恥入るようにされている。しかし、そのような世界はイエス・キリストや仏陀の教えに反する社会であり、必ず破滅が訪れるのです。その時が、今の21世紀だと考えるべきです。
精神的な修行とは、この真理を理解し、物欲を捨てることです。カネを欲しがらず、愛と正義を愛し、清貧生活の意義を理解するのが宗教的な修行の目的です。
死後は、誰でも霊界で心(魂)は生き続けるが、生きている間に物欲を追求した者は天国に受け容れられない。物質的な幸福を追求した者も、天国には受け入れられない。物欲や物質的な幸福は、悪魔の罠だというのが真理なのです。だから、清貧生活を送り、悪魔に魂を売らなかった者だけが、死後、天国に受け容れられることになる。
カネは悪魔の化身であり、イエス・キリストは「カネを取るか、神を取るかだ」と言っている。今の物質文明はカネの上に成立しており、神様の教えに反するものだということを皆、理解しなければならない。そうすると、貧困に生きるということは、悪魔と戦っていることになる。
従って、清貧生活を生きる者は、当然、死後は天国に受け容れられる。むしろ、貧しさは、誇るべき状態だということになるのです・・・
2024年5月17日金曜日
学校で教えない真理・・・
学校では肝心なことを教えない。学校で教えるのは、世の中の体制に順応するのに必要なことだけです。天皇家を頂点とし、官僚や政財界のエリートによる支配体制に順応させるのが教育の目的です。だから、一般市民は学校体制には逆らわないが、本質的に信用していない。
学校体制は、官僚や政財界のエリートによる支配体制に組み込まれている。学校体制だけではない、テレビやネットも政財界のエリートによる支配体制に組み込まれている。日本の支配体制は世界の大勢に組み込まれている。世界全体が1つの支配体制の下にある。これが、世界です。
その世界体制とは、カネによる支配です。世界中の人々がカネを神のように崇めている。世界のどこに行ってもカネは求めらている。アメリカでも、中国でも、ヨーロッパでもロシアでも、カネの威力は認められている。人間の世の中で一番大事なものは、命の次にカネだというのが世界の常識になっている。人間界の全ての問題はカネで解決できる、と言う考えが1つの宗教になっている。しかし、この世界体制の頂点には悪魔がいる。
この悪魔による拝金主義との戦いが本来の宗教の目的です。イエス・キリストも仏陀も、この悪魔による拝金主義と戦ったのです。この真実は、学校では教えない。テレビでもネットでも取り上げない。しかし、心の奥底でこの真実を求める人間もいる。そこに、人間の存在価値がある。全ての人間が、カネを神だと崇め、物欲を追求し、物質的な幸福を求め、悪魔の支配下で生きるなら、人類は滅亡する。これが、正しい宗教の教えです。
そもそもこの宇宙、物質界は、神様によって霊界のエネルギーで作られ、天の川銀河系、太陽系、地球が作られ、地球に人類が生まれ、人間界が作られたと考えるのが、正しい世界観、人間観、宗教観なのです。悪魔が世界を創ったのではありません。だから、人類は神様を崇めて生きるべきなのです。これが、イエス・キリストの真の教えなのです。
この真理は学校では教えてくれない。だから、答えを宗教に求める人間は多い。しかし、この真理を悟る前に、拝金主義に負ける人間が大部分であり、宗教的な知識すらカネ儲けの手段とされている。また、心霊主義や霊的な研究に走る者もいる。しかし、霊的な真理を得る前に拝金主義に負ける人間が大部分です。
要するに、この世界は悪魔の影響下にあり、どんな精神的な修行・研究をしても、最後には悪魔の拝金主義に従う人間ばかりだということです。厳しい修行や研究の果てに、最後はこの世のエリート/富裕層になるのを目指す人間も多い。それでも、清貧の思想はなくならないし、イエス・キリストや仏陀の教えが完全に葬り去られることもない。だから、人類は今まで破滅せずに21世紀の今日まで生き続けて来たのです。
今の欧米・日本の民主主義、人権尊重、表現/思想の自由、福祉重視などは、キリスト教や仏教などの伝統的な正統宗教の影響です。悪魔の影響、拝金主義の結果ではありません。本来、この真理は学校で教えるべきことなのです。
日本では、特に伝統的な清貧主義の意味を学校で教えるべきです。イエス・キリストは「富裕層やエリートは、死後、地獄に落ちる」と述べており、仏陀も「物欲を捨てることで人は救われる」と述べている。この教えは、今の物質文明の常識に反し、革命的な意味を持つ。エリートの支配を受け入れ、富裕層に憧れる現代人には受け入れられない教えです。それでも、この教えが2千年間、人類を救ってきたのです。この真理は学校では教えないし、教会や寺院でも曖昧にしている。この世の全ての組織は悪魔の影響下にあるからです。
実際、悪魔は「カネは万能だ、カネを神として崇めよ」と物欲を煽り、「魂を悪魔に売れば、カネが得られて、この世で幸福になれる」と人々を洗脳する。この悪魔と神様の戦いが人間界で行われているというのが、この世の真実です。悪と善の戦いが、この世の真実なのです。
この真理を知るのが、悟るということです。訳の分からない霊(悪魔につながる霊も多い)を崇めて、この世で幸福を得ようとする人間は多いが、全ての霊(悪魔も霊的な存在です)の上に、霊界と物質界の創造主の神様がいるということを知るのが、本当の宗教の教えです。カネは神でもなければ、崇拝の対象でもない。カネで買える物質的な幸福は、霊界の天国で得られる永遠の命と比べれば、無に等しいと知ることが悟りなのです。
だから、日本の伝統的な清貧の思想は、この宗教的な真理に近い。それを知って、物欲を離れ、拝金主義を捨て、神様に助けを求める生き方をすべきなのです。
そのような生き方は、当然、霊的な生き方になる。人間界/物質界は霊界のエネルギーから作られたものであることを理解して、善霊、聖霊、天使、大天使の霊を求めることで、人は悪魔の影響から離れることができるのです。そして、精神的な苦しみから解放されることになる・・・これが、学校で教えるべき真理です。
悪魔はカネで人々を洗脳し、世の中を支配しようとしている。これと戦うのが人間の務めなのです。清貧生活を愛するのが、キリスト教や仏教の教えなのです・・・
2024年5月10日金曜日
物質文明の進歩が今世紀の危機につながる・・・霊性を高めよ!
世界は、今世紀に大きな危機を迎える。
物質文明が発展し、人々が物欲に支配され、経済的価値を重んじ、技術と科学の発展に伴う物質的な利便性、快適性、快楽、快感を求めるようになり、神様に対する尊敬、敬神の念を忘れたために、神様が人類を見捨てる危機が迫って来たというのが、現在の世界の状況です。
具体的には、民主主義国(欧米・日本など)と専制主義国家(中国・ロシア・イランなど)の対立が激化し、第三次世界大戦が現実のものとなっていること。その表れがウクライナ戦争とガザ戦争です。また、米中対立もこの流れの中にある。
さらに、異常気象の拡大が続き、世界の食料事情などの不安定化が予想される。また、中国発のコロナのような新たな感染症の出現も予想される。
また、AIの開発・普及により、一般人が社会システムに脅威を及ぼすような力を得る可能性があり、犯罪やテロに使われれば、一国だけでなく、国際的にも大きな脅威となる。
しかし、人々は物質的な幸福を求めて、物質文明をさらに推進しようとし、迫り来る危機への対策は等閑になっている。今世紀の技術・科学による物質文明の頂点で、人類は防ぐことのできない危機を迎える。その前触れが、ウクライナ戦争、ガザ戦争、アメリカの分裂、米中対立、ロシアとNATOの摩擦、異常気象などです。
世界が亡んでも、自分の幸福が守られれば良いと考える人間ばかりになれば、世界は亡んでしまう。今の世界はそのような状況に近づいている。
今世紀の危機を乗り越えて人類が生き残るには、物質文明から精神文明への転換を果たす必要がある。この世での幸福を約束する物質文明を追求するのではなく、この世の向こうにある霊界での幸福を求めるようになるべきです。
そもそも、この世、つまり物質世界は霊界から生まれたのです。信仰心のない科学者には到達できない霊界のエネルギーがこの世を生み、人間は死後、その精神は物質界を去って霊界に帰るという真実を人々が認め、霊界の創造主でもある唯一の神様の教えに従ってこの世で生きるようになれば、神様が今世紀中の人類の滅亡は防いでくれると考えるべきです。
霊界には神様の下に多くの天使や聖霊がおり、霊的な人間と結びつくこともある。そこから、さまざまな宗教が生まれているが、そのような聖霊の上に唯一の絶対神がいると考えるのが正しいのです。
このような真理の普及を妨げようとするのが悪魔です。物欲に駆られた人間は悪魔の支配を受けやすい。幸福の鍵となるカネのためなら、悪魔に魂を売ろうとするのが普通の人間です。こういう人間ばかりになれば、社会は混乱し、世界は不安定化する。これが、今の世界の状況なのです。特に、欧米のキリスト教が物欲に駆られた人々への影響力を失い、欧米主導の物質文明が腐敗・堕落し、それにロシアや中国の専制国家が挑戦するというのが世界の流れです。キリスト教の精神から生まれた民主主義は、専制主義に勝ってロシアや中国を民主主義化しようとするが、欧米の中でも腐敗・堕落が進行している。
この予測される第三次世界大戦には、日本も巻き込まれる。しかし、現在の物質文明が神様の教えに反したものだという考えのもとに、第三次世界大戦の後には、物質文明ではなく、より霊的で精神的な文明を打ち立てる準備をしておくべきです。
人間は、死後もその魂(心)は、霊界で生き続けることを認め、この世での物質的な幸福の追求よりも、霊界での幸福を求めるようにならなければならない。これが、イエス・キリストの本当の教えなのです。
人は死後、無になるのではなく、その魂(心)は霊界で生き続ける。霊界の創造主は神様であり、神様は霊界からこの物質界も作ったことを理解し、人は物欲を捨てて霊的な真理を求めることで、悪魔の影響を脱し、人類滅亡から救われるのです・・・
2024年5月8日水曜日
人類の歴史は、聖書の威力を教えている!
歴史を振り返るのは、人間の基本的な知的訓練になる。そして、歴史から学ぶのは神様が人類の歴史に介入されているという事実です。これが、学問や宗教の基盤でなければならない。また、社会の常識の基礎でなければならない。
この2千年の人類の歴史を理解することが、今の時代を生きる人々の世界観、人生観、人間観の基本となるべきです。しかし、物質文明のもたらす快適性や物質的幸福や快楽・快感に洗脳された人間は、まともな精神を失い、歴史から学ぶこともしなくなった。聖書に書かれているように、「人々は見ても分からず、聞いても理解できないようになっている、さもなければ、神は彼らを癒し、救うはずだが・・・」という状態になっている。つまり、歴史も理解できなくなった人類は神様に見放されるということです。
誰でも知っているように、今年は2024年です。その出発点は、イエス・キリストの生誕の年だとされている。実際には、紀元前6年くらいに生まれたという説もでているが、この年号は、キリスト教に基づいて文明を発展させてきた西欧の文化が人類の文明の主流になり、キリスト教の世界観が人類に受け容れられたことを示すものです。日本の年号やイスラム教の年号が世界の主流になったわけではない。中国では既に、清朝の崩壊と共に年号は廃止されている。ヨーロッパのキリスト教の総本山であるバチカンが、今も権威を持っているのは、世界がキリスト教由来の西暦を受け入れていることからも納得できる。西欧発の現代文明の頂点にキリスト教会の最大組織のバチカンが名目的にも存在していることは、日本文化の頂点に皇室が存在していることに対応する。
日本人の霊的な歴史と天皇家が深く関わっているように、世界の人類の霊的な歴史とキリスト教は深く関わっている。日本と日本人が世界を主導出来ないのは、このキリスト教理解が浅いからです。ただし、日本の皇室は欧米のキリスト教文化には最大限の敬意を払い、現天皇もキリスト教国の英国に留学している。しかし、日本人には皇室をキリスト教よりも意味があるとして、崇拝させている。それでも、現行の日本国憲法はアメリカのキリスト教的民主主義の上に成立している。戦後の、日本の平和と繁栄は、天皇神道のお陰ではなく、キリスト教精神のお陰なのです。
現代日本の隠れた最大因子は、過去2千年間に西欧がそうであったように、キリスト教なのです。しかし、そのような歴史教育は日本では行われていないし、神道や仏教の霊力を頼る風潮も廃れていない。日本の伝統的な宗教とキリスト教の関係も重視されていない。欧米自体がキリスト教の精神を離れ、物質主義に陥ったのに合わせて日本も物質主義に陥り、世界の歴史を理解するよりも、物質主義的繁栄を求めている。2千年のキリスト教文明の結論が物質的繁栄の追及だと誤解した日本人は、真摯にキリスト教を理解しようという姿勢は見せなくなった。これが、イエス・キリスト出現以来、2千年たった世界の現状です。
今の日本社会の人権重視、個性の尊重、表現・思想の自由、平和主義なども、欧米のキリスト教文化の産物であり、その根本は聖書に描かれたイエス・キリストの生き方や教えに根差しているのです。歴史的に日本には、キリスト教大国アメリカを通して、現行憲法を通して影響を及ぼしているのです。この点を理解するのが、歴史を学ぶということです。
ただし、日本の霊性も霊界に通じている。神道や仏教の霊性も霊界に通じている。だから、明治以降も日本の霊性に通じた霊能者や超能力者が日本にも現れている。また、そのような霊力を売り物にする新宗教も出現している。確かに、キリスト教でなくても霊界に通じるが、この世界の2千年の歴史が証明するように、最大の霊力を持っているのはキリスト教なのです。
だから、救いを求める日本人も、神道や仏教の霊力に頼るよりも、キリスト教の霊力に頼るべきなのです。ところが、欧米のキリスト教は悪魔の物質主義に洗脳され、その効果を失っている。むしろ、日本の伝統的な清貧主義がイエス・キリストの教えに近い。精神的、宗教的、霊的なものは全て霊界に通じるからであり、日本の霊性を通してでも、霊界を支配するキリスト教の神様に通じる。これは、心霊主義の考えが間違っていないことを示している。ただし、霊界には悪魔もいて、キリスト教の伝統の裏付けのない心霊主義は悪魔に惑わされやすい。
従って、日本人も聖書を読んでキリスト教を研究する必要があるが、日本の伝統の清貧主義も捨てるべきではない。清貧主義を支える神道や仏教の威力も軽んじるべきではない。それでも、この世の物質界を超えた霊界を支配しているのは、キリスト教の神様だということを歴史を通して理解するのが、真の学問であり、宗教であり、修行であり、人間の義務だということになる・・・
生活に困っている人も、いじめられて苦しんでいる人も、難病で苦しむ人も、悩みのある人は、難解な仏典や祈祷書ではなく、世界の歴史を主導した平易な表現の聖書を読むべきなのです・・・
2024年5月5日日曜日
神と悪魔、善と悪、清貧と物欲・・・
この世は、神様が霊界から霊的なエネルギーを使って生み出したものですが、悪魔が神様の妨害をしている、というのが正しい考え方です。
従って、神様の教えに従っている人は、悪魔から攻撃を受ける。「何も悪いことをしていないのに、自分はなぜ不幸な目に会うのか」と不満を持つ人がいるが、答えは「神様に従って悪い事をしないので、悪魔が攻撃している」からです。
しかし、悪魔に魂を売ってこの世で成功を収め、エリートや富裕層になっても、それは神様の意図に反しており、最終的には、つまり、死後には地獄に落ちることになる。これが、全ての正統な宗教の伝える真実です。悟るとは、この真理を理解することです。
イエス・キリストが言うように、「神様は霊である。人は霊を持って神様を礼拝しなければならない」のであり、物質的な成功や欲望を持っていては、人は神様から遠ざかり、悪魔に支配され、死後は地獄に行くことにある。
磁石が北極と南極を示すように、人間の心も神様の教えに従って天国を目指さなければならない。生まれたばかりの人間は、当然のように天国を向く心を持っているが、悪魔の影響下にあるこの世の風潮に染まり、物欲に支配され、富や権力、物質的な幸福を求めるようになる。物質的な快適さ、快楽、快感を求めるようになった人間は、悪魔の支配に従って、富やカネを求めるようになる。そのような人間が作る社会は、悪魔の支配する地獄に近づく。しかし、霊界からは悪魔に対抗する天使や聖霊が人間界を訪れ、人間の心を悪魔の影響から解き放とうとして来た。それが、イエス・キリストや仏陀などの宗教的な偉人だということになる。
全ての人間が、イエス・キリストの教えに従って、物欲を捨て、隣人を愛する生き方をすれば、この世から貧富の差はなくなり、真の平和と正義が実現する。しかし、悪魔に魂を売って自己愛と物欲を追求する人間が増えれば、人間社会は欺瞞、陰謀、暴力、残酷の世界になる。物質的な成功、幸福を求める人間は、有力者に追従し、有力者の頂点には悪魔がいる。
つまり、会社でも役所でも組織の頂点には悪魔がいる。社会全体の頂点にも悪魔がいる。しかし、悪魔は巧妙、狡猾であり、自分を神だと人々に信じ込ませている。その例が拝金主義です。世界中でカネが神のように崇められている。しかし、カネは悪魔が姿を変えたものなのです。
幸福はカネで買えると人々に信じ込ませ、カネのためなら必要悪だとして、さまざまな悪を受け入れさせるのが。悪魔のやり方なのです。実際に、全ての正統な宗教は、清貧を推奨している。物欲を捨てた生活をしなかった聖者、聖人はいない。しかし、カネがもたらす快適な生活、豊かな社会で発展する科学・技術がもたらす利便性の高い生活、富裕な環境がもたらす快感は人を虜にする。物質文明は人を拝金主義、隠れた悪魔主義を受け入れさせる。これが、現在の世界の現状なのです。だから、世界や日本で苦しむ人々を無視して、多くの人が連休を楽しんでいる。自分の夢や願望の達成が、当然のことのように追求されている。カネという悪魔を崇める人ばかりになっている。全ての問題はカネで解決できると、信じ込んだ人々ばかりになっている。他人の不幸、貧しい隣人を無視して、自分の幸福を求めることが当然とされている。これが、世の中の実相です。この悪魔の影響から脱するのが精神的修行であり、宗教的な修行なのです。
イエス・キリストはカネの力で人々を救おうとしたのではない。仏陀もカネの力で人々を救おうとしたのではない。カネよりも力のある愛と信仰と真理を教えようとしたのです。つまり、物質的な力より、精神的な力が上位にあることを教えようとしたのです。
神様の教えに従っていれば、神様が霊界から物質界に力を及ぼし、信者を救うというのが正統な宗教の教えなのです。そのようにして救われた人々が、何世代にも渡って伝えて来たのが正統な宗教なのです。
ただし、悪魔も霊的な存在であり、霊界にも悪霊がいる。悪魔は「にせキリスト」になって人々を惑わすこともできる。だから、世の中からインチキ宗教はなくならない。また、仏教にもキリスト教にも悪魔は入り込む。多くの修行を積んだ僧侶が、最後に富と権力の誘惑に負けることも多い。多くの慈善事業をしてきた神父・牧師なども、最後に物欲に負けることも多い。この世でも、あの世でも、物質界でも霊界でも、神と悪魔、善と悪、清貧と物欲の間には戦いがある。
しかし、基本的には万物の創造主の神様が霊界と物質界を作られ、人間界も作られたのであり、それを破壊しようとしているのが悪魔なのです。
神様を信じて悪魔から攻撃を受けるか、悪魔に従って地獄に落ちるか、という選択を人間は求められている。ただし、悪魔は神様に勝てないし、神様は信仰者には天使を送って助けることができるのです。このことを信じるようになるのが、修行であり、悟りなのです。
いずれにしても、イエス・キリストは「物欲がなく悪を受け入れることのない貧しい人は、死後、天国で永遠の幸福を得る」と述べている。死後の永遠の霊的な幸福か、この世で地獄に通じる物質的な幸福かを人間は選ばなければならない・・・
2024年5月1日水曜日
「無」の世界ではなく、「神様」の真理と愛を目指せ!
ある物理学者の考えでは、宇宙の始まりは時間も空間もなく、「無」の世界だった。そこで、彼は恐怖にかられ、仏教の教えにすがった。仏教の教えでは、人間の魂は輪廻転生を繰り返し、何度も苦に満ちた人生を繰り返すことになる。しかし、仏陀の教えに従って悟れば、この輪廻転生から解放され、もう苦に満ちた人生を繰り返すことはなくなり、永遠の静寂な世界に入れるという。その世界では時間も空間もなく、「無」の世界に近い。ただし、死後の世界は科学的に証明されてはいない。死後の世界を見て来た者はいないと、物理学者はあきらめの境地に至った。
科学が無意味となる死の恐怖、仏教が教える輪廻転生の苦の恐怖、そして、救いは「無」の世界という仏教の教えでは、人は満足できない。
これは、人間が生きる物質世界を中心とした考えです。
まず万物の創造主である「神様」の存在を認めることが、出発点でなければならない。「神様」が霊界を作り、魂を作り、霊界から物質界を作って、魂を人間の中に入れたと考えるべきです。或いは、魂に人間の形を取らせたと考えるべきです。
従って、物質(生物)としての人間が死ねば、人間の中の魂は物質界から霊界に帰る。霊界では、物質界におけるような時間と空間の制約はない。霊界で霊は、「神様」の真理と愛を求めるか、「神様」の真理と愛に反発することになる。それは、霊が物質界で苦の多い人生をどう生きたかに関係してくるからです。
物質界に生きている間に、「神様」の真理と愛に従った生き方をすれば、人間の魂は死後、霊界で天国に受け容れられる。逆に、「神様」の真理と愛に反した生き方をすれば、人間の魂は死後、霊界で地獄に進むことになる。これが、イエス・キリストの教えです。
科学でいくら物質界の真理を究めても、物質界を生み出した霊界の真実は理解できない。また、死後の世界、つまり霊界を見たと言う霊能者は、スウェーデンボルグなど、何人もいる。キリスト教でも、聖パウロが生きて霊界を見たとされている。イエス・キリストは霊界の存在を当然として教えを述べている。
仏教は、死後の世界でもカースト(身分制)はあるとするバラモン教/ヒンズー教を否定するために、死後の世界、つまり、霊界をも超越することを目標としており、「無」の世界に入ることを目指している。万物の創造主の真理と愛によって救われることは考えていない。イエス・キリストの教えでは、人間の魂は「無」を目指すのではなく、「神様」の真理と愛に近づくことで救われる。
ブッダの教えは、苦の多い人生で悩む人間の魂を救うことはできても、究極的には「無」を目指として生きることが目標とされている。しかし、万物の創造主は「無」から「有」を生み出し、霊界と物質界を作り、魂と人間を作られたのであるから、人間は死後も霊界で「神様」の真理と愛を求めることが、より正しい考えです。
なぜ、「神様」が「無」から「有」を生み出し、人間界を生み出したのかは、人間にとって謎ですが、それは「神様」が人間を愛したからだというのが、イエス・キリストの教えです。
つまり、人間の魂が究極的に目指すべきは、「無」ではなく、「神様」だということです。なぜなら、人間界、生物階、物質界は霊界から、「神様」が生み出したものだからです・・・