この世は、神様が霊界から霊的なエネルギーを使って生み出したものですが、悪魔が神様の妨害をしている、というのが正しい考え方です。
従って、神様の教えに従っている人は、悪魔から攻撃を受ける。「何も悪いことをしていないのに、自分はなぜ不幸な目に会うのか」と不満を持つ人がいるが、答えは「神様に従って悪い事をしないので、悪魔が攻撃している」からです。
しかし、悪魔に魂を売ってこの世で成功を収め、エリートや富裕層になっても、それは神様の意図に反しており、最終的には、つまり、死後には地獄に落ちることになる。これが、全ての正統な宗教の伝える真実です。悟るとは、この真理を理解することです。
イエス・キリストが言うように、「神様は霊である。人は霊を持って神様を礼拝しなければならない」のであり、物質的な成功や欲望を持っていては、人は神様から遠ざかり、悪魔に支配され、死後は地獄に行くことにある。
磁石が北極と南極を示すように、人間の心も神様の教えに従って天国を目指さなければならない。生まれたばかりの人間は、当然のように天国を向く心を持っているが、悪魔の影響下にあるこの世の風潮に染まり、物欲に支配され、富や権力、物質的な幸福を求めるようになる。物質的な快適さ、快楽、快感を求めるようになった人間は、悪魔の支配に従って、富やカネを求めるようになる。そのような人間が作る社会は、悪魔の支配する地獄に近づく。しかし、霊界からは悪魔に対抗する天使や聖霊が人間界を訪れ、人間の心を悪魔の影響から解き放とうとして来た。それが、イエス・キリストや仏陀などの宗教的な偉人だということになる。
全ての人間が、イエス・キリストの教えに従って、物欲を捨て、隣人を愛する生き方をすれば、この世から貧富の差はなくなり、真の平和と正義が実現する。しかし、悪魔に魂を売って自己愛と物欲を追求する人間が増えれば、人間社会は欺瞞、陰謀、暴力、残酷の世界になる。物質的な成功、幸福を求める人間は、有力者に追従し、有力者の頂点には悪魔がいる。
つまり、会社でも役所でも組織の頂点には悪魔がいる。社会全体の頂点にも悪魔がいる。しかし、悪魔は巧妙、狡猾であり、自分を神だと人々に信じ込ませている。その例が拝金主義です。世界中でカネが神のように崇められている。しかし、カネは悪魔が姿を変えたものなのです。
幸福はカネで買えると人々に信じ込ませ、カネのためなら必要悪だとして、さまざまな悪を受け入れさせるのが。悪魔のやり方なのです。実際に、全ての正統な宗教は、清貧を推奨している。物欲を捨てた生活をしなかった聖者、聖人はいない。しかし、カネがもたらす快適な生活、豊かな社会で発展する科学・技術がもたらす利便性の高い生活、富裕な環境がもたらす快感は人を虜にする。物質文明は人を拝金主義、隠れた悪魔主義を受け入れさせる。これが、現在の世界の現状なのです。だから、世界や日本で苦しむ人々を無視して、多くの人が連休を楽しんでいる。自分の夢や願望の達成が、当然のことのように追求されている。カネという悪魔を崇める人ばかりになっている。全ての問題はカネで解決できると、信じ込んだ人々ばかりになっている。他人の不幸、貧しい隣人を無視して、自分の幸福を求めることが当然とされている。これが、世の中の実相です。この悪魔の影響から脱するのが精神的修行であり、宗教的な修行なのです。
イエス・キリストはカネの力で人々を救おうとしたのではない。仏陀もカネの力で人々を救おうとしたのではない。カネよりも力のある愛と信仰と真理を教えようとしたのです。つまり、物質的な力より、精神的な力が上位にあることを教えようとしたのです。
神様の教えに従っていれば、神様が霊界から物質界に力を及ぼし、信者を救うというのが正統な宗教の教えなのです。そのようにして救われた人々が、何世代にも渡って伝えて来たのが正統な宗教なのです。
ただし、悪魔も霊的な存在であり、霊界にも悪霊がいる。悪魔は「にせキリスト」になって人々を惑わすこともできる。だから、世の中からインチキ宗教はなくならない。また、仏教にもキリスト教にも悪魔は入り込む。多くの修行を積んだ僧侶が、最後に富と権力の誘惑に負けることも多い。多くの慈善事業をしてきた神父・牧師なども、最後に物欲に負けることも多い。この世でも、あの世でも、物質界でも霊界でも、神と悪魔、善と悪、清貧と物欲の間には戦いがある。
しかし、基本的には万物の創造主の神様が霊界と物質界を作られ、人間界も作られたのであり、それを破壊しようとしているのが悪魔なのです。
神様を信じて悪魔から攻撃を受けるか、悪魔に従って地獄に落ちるか、という選択を人間は求められている。ただし、悪魔は神様に勝てないし、神様は信仰者には天使を送って助けることができるのです。このことを信じるようになるのが、修行であり、悟りなのです。
いずれにしても、イエス・キリストは「物欲がなく悪を受け入れることのない貧しい人は、死後、天国で永遠の幸福を得る」と述べている。死後の永遠の霊的な幸福か、この世で地獄に通じる物質的な幸福かを人間は選ばなければならない・・・