2024年9月7日土曜日

霊能力や超能力を善用せよ!

 


念力でスプーンが曲がるのは、50年も前に科学的に観測されている。ユリ・ゲラーが1970年代の初期に来日してから、日本中で多くの少年・少女が超能力を示すようになり、科学者もその事実を確認している。ただし、その念力や超能力を科学的に説明・証明することはできなかった。やがて、学会、メディア、政府はその超能力を黙殺するようになった。

1995年のオウム真理教事件は、霊能力や超能力を売り物にした新宗教が暴走した事件であり、宗教界も霊能力や超能力を強調しないようになり、メディアも霊能力や超能力を取り上げないようになり、政府も霊能力や超能力の危険性に気が付き、そのような文化を抑圧するようになった。

しかし、アメリカや中国、ロシアでは霊能力や超能力の軍事的応用の研究を続けている。特にイギリスでは心霊治療の効果を認め保険適用の対象としている。日本では社会の水面下でスピリチュアル業界は根強く生き残っている。特に、アメリカなどでは国民の多数が死後の世界を信じており、スピリチュアル業界も発展している。ヨーロッパでは伝統的に聖母の出現など、キリスト教と結びついた心霊主義の影響が根強い。それでも、霊能力や超能力は宗教的な問題とされ、科学的な説明はできていない。霊能力や超能力を数式で表すことはできていない。さらに、バチカンが信仰心のない霊能者を悪魔の手先として警戒していることもあり、欧米でも霊能力や超能力を容認するところまでは行っていない。中国では共産党幹部の病を超能力者が心霊治療していると思われる。気功も中国で研究されている。逆に、中国の反体制的な霊能者は取り締まられている。

しかし、キリスト教の聖書では「この宇宙は神様が霊能力で言葉を使って作った」という意味の表現があり、欧米でも霊能力や超能力を完全に否定することはできない。特に、20世紀の後半からユダヤ人のユリ・ゲラーが念力によるスプーン曲げで有名になり、霊能力や超能力の存在があらためて社会で注目されるようになっている。

日本でも昔から呪術として霊能力は密かに認められており、霊能者としての空海などの人気は今も高い。明治政府は天皇家に霊能力があるとして、国民に天皇神道を強いたが、もはや天皇家に霊能力がないことは、キリスト教国のアメリカに敗戦し、国民300万人が戦死したことで明らかになっている。しかし、アメリカのように唯一絶対の神様を認めない日本政府はいまだに天皇家をかつぐしかない。ここに、全ての問題の源泉がある。

霊能力でスプーンを曲げても罪はないが、霊能力は武器にもなる。かつて、織田信長が本能寺で倒されたのも、真言密教の呪力の影響だと考えられる。鎌倉幕府が元寇を防いだのも鎌倉時代の新仏教の僧たちの呪力によると考えられ、神風信仰が起きたが、これを明治政府が天皇家と結び付けたのが間違いだった。アメリカとの戦争では、当時の日本政府が霊能者を動員してアメリカのルーズベルト大統領を倒したと考えられる。しかし、逆に原爆攻撃を受けて日本は無条件降伏した。なお、戦後も呪力信仰は衰えず、戦後の首相の中にも政敵が使う呪力で倒されたと思われる者がいる。つまり、霊能力は呪殺にも使える。従って、政府は心霊主義やスピリチュアリズムの発展を抑える。実際に、オウム真理教事件で政府には危機感が生じた。また、安倍元首相の射殺にも宗教が絡んでおり、政府の危機感は強い。

しかし、イエス・キリストのように心霊治療で難病患者を治すことができるのは、医学でも認めざるをえない状態にある。祈りによって病状が改善するのはアメリカの医学界でも認められ、フランスのルルドの泉の治癒力もバチカンが認めている。

日本で心霊治療を認めれば、国民が呪力に頼り、呪殺を試みる者が輩出する恐れがある。だから、政府もメディアもスピリチュアル・ブームは抑えざるを得ない。心霊主義はマイナーの位置に置くのが社会の安全のためだということになる。

また、誰でも霊能力や超野力を得ることができるわけではない。かつての長南年恵や松下松蔵などの非常に信仰心が強い人物か、高塚光のように隠れた霊能力を持った人間などに限られる。または、臨死体験で霊能力を得た鈴木秀子のような宗教人に限られる。または、ユリ・ゲラーやかつての日本のスプーン曲げ少年のような偏見のない心を持った人間に限られる。

心は科学的にその存在は証明はできないが、現実に存在するように、霊能力や超野力も科学的にそのメカニズムは証明できないが、多くの科学者が観測したように実際に存在する。そして、「善用」すればイエス・キリストのように心霊治療が可能になり、空海のように民衆を救うことができる。

「善用」とは、霊能力や超野力を聖書の教えに従って、「世のため他人のために霊能力を使う」ということであり。「私欲」のために使うことではない。

この意味で、医者で心霊研究家であった故塩谷信男や発明家で心霊研究家であった故政木和三や、霊能力で人生相談をした宜保愛子のような生き方が推奨される。彼らは宗教団体を作って資産を増やすようなことはしていないし、呪術で敵を倒すこともしていない。

要するに、霊能力や超野力は正しい信仰心や道徳的な人間性を持った人間でないと、本来、得られないようになっている。しかし、悪魔も霊能力を持っており、気に入った人間にそのような能力を与えることがある。だから、聖書には「まず霊能力が神から来たか、悪魔から来たかを調べよ」という意味のことが記されている。

だから、霊能力や超野力は聖書を読んで正しい信仰心を持ち、それを深めることで得るべきものであり、善用しないと神様がいずれ取り上げるのです。また、霊的な神様と悪魔の戦いもそこには反映する。この覚悟がない人間は、安易にスピリチュアリズムに近づくべきではない。

それでも、聖書を読んで正しい信仰心を持てば、神様が霊能力で救ってくれると考えるのが正しい信仰心なのです・・・