2012年11月30日金曜日

「あなたは天国から遠くない」、罪の少ない政治家とは?


キリスト曰く、「あなたは天国から遠くない」。

キリストはユダヤ教の司祭に裏切られ、ローマ軍によって処刑されました。

そのとき、二人の罪人が一緒に、十字架にかけられました。

一人は、「おいイエス、神の子ならお前自身と、俺たちを救え!」と罵りました。

もう一人は、「私を救ってください、イエスよ」と言いました。

そこで、イエスは後者の罪人に救いを約束したのです。



この教訓は意味深い。

人間が二人いれば、一人は悪魔に支配され、地獄に落ちる。 もう一人は、救われる。


政治家もそうです。
菅直人と鳩山。 野田と岡田。 橋下と石原。 このようなコンビはよく見られる。 両方とも愚かなようだが、一方の罪は軽い!

問題は、小沢と亀井かもしれない? 


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東電の全面撤退という、菅直人の大嘘が斑目証言で明らかになった!

岡本孝司・東大大学院教授が班目春樹・原子力安全委員長にインタビューして構成した新刊『証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?』

《(3月12日の原発視察は)ただでさえ、事態は複雑かつ困難なのに、政府の最高指揮官である菅さんが、様々な情報が集約されてくる官邸を離れ、自ら最前線に赴くことにどれほど意義があったのでしょうか。いまだに私にはよく分かりません。》(P14)

《実際、あたり構わず怒鳴り散らす菅さんのエキセントリックな性格には、私を含め周囲が皆、対応に相当苦慮していました。(国会事故調の)報告書にある、「いら立ちをぷつける」「プレッシャーを与える」というくだりは、確かにその通りだと思います。》(P15)

《危機的な状況では、情報収集の体制を構築することがなにより重要だと思いますが、菅さんは違ったようです。端から見れば、どう考えても場当たり的というのでしょうか、そういう対応を選んでしまいました。》(P16)

《確かに「オレは原発に詳しい」とは言っていました。》(同)

《(原発視察で東電の武藤栄副社長が説明を始めると)ところが、一、二分して、菅さんが怒鳴り始めました。「そんなこと、そんな言い訳を聞きにきたんじゃない!」例によって周囲を威圧するような強い口調でした。

「そんなこと」とは、つまり技術的な話ですが、その最も肝心な説明が聞けなかったことは、この後、大きな禍根を残すことになりました。詳細を理解できなければ1号機だけでなく、2、3号機でもベント操作の支援ができないからです。実際、その後、2、3号機でもベント操作が難航し、結果的に1号機から3号機で炉心損傷に至ったことを考えれば、あの時、菅さんが技術的な説明を遮ったことは、対策の足を引っ張るものだったと言わざるを得ません。

一体、何をしに現場へ行ったのでしょうか。》(P24)

《私は、もっと技術的な問題を武藤さんたちに尋ねたかったのです。しかし、完全にテンパっている菅さんが脇にいるので、黙って聞いているしかありませんでした。》(P25)

《確かに、菅さんにも相当に問題はあります。すぐに怒鳴り散らす。携帯電話だと、耳に当てて話すと鼓膜が破れるのではないかと思うぐらいです。何日か後、私が直接電話で指示を受けたときは、電話を机の上に放り出してしまいました。怒鳴るだけでなく、人の話もちゃんと聞かない。話を遮り、思い込みで決め付ける。》(P40)

《すでにメルトダウンが始まっているのかもしれないーー。(原発視察のため)ヘリコプターに乗りこむ時、私の心の中では、そんな不安が鎌首をもたげていました。

本当は、そうした懸念を菅さんに伝えたかった。ところが、現場に向かうヘリの中で詳しい話をしようとした途端、「オレの質問にだけ答えろ!」そう怒鳴られてしまいました。》(P67)


《(ヘリの中で菅氏に)1号機とその他の原子炉の違いなど、いろいろ聞かれましたが、原子力に関する最低限の知識を持っているのかどうかなとやや疑問に感じました。カチンと来た質問もありました。

「こういうことに詳しい東工大の先生はいるか」そう尋ねられたのです。なぜ、こんな時に学閥なのか、大いに違和感を感じました》(P67~68)

《菅さんも菅さんで、自ら(海水注入による)再臨界の懸念を口にしたかどうかについて、国会答弁で認めたり認めなかったり二転三転した挙句に、最後は否定しています。当初は、私のせいにしていましたが、国会事故調の公開の聴取では、東電の武黒さんが勝手に現場に指示したことだ、とも言っています。(中略)

菅さんと経産官僚は、自己弁護が過ぎるようです。》(P87)

《(3月15日)午前4時過ぎ、清水(東電社長)さんが官邸にやって来るのを、総理執務室で菅さんや枝野さん、海江田さんたちと一緒に待ち受けていました。

「撤退など許さないぞ!」清水さんが部屋に入るなり、菅さんはそう怒鳴りました。

「撤退なんて考えていません」出鼻をくじかれた形になった清水さんは、そう小さな声で答えるのが精一杯でした。

東電が官邸の政治家に撤退を申し入れたと聞いていたので、私としてはやや拍子抜けしたのを覚えています。

菅さんは清水さんの話を聴くというより、激怒していて、「東電の言うことは信用できない。これから政治家を東電本店に常駐させるからな」そう息巻いていました。》(P98~99)


《もともと、官邸や各府省におられる民主党の政治家の皆さんは、法で作成が定められた震災本部の議事録も残しておらず、菅さんに至っては、後に行政指導というか、超法規的措置により全国の原発を全て止めてしまった。いずれにせよ、法に則って仕事をする気がない。いくら政治主導でも、法律の無視、軽視は度を越しているのではないか。》(P127)

《(ストレステストの件で)菅さんは、結局、地元(佐賀県玄海町)をひっかき回した挙句に、地域に不信と不安を残した。事故対応に際してもそうでしたが、この人は、物事を混乱させ、ややこしくする。》(P151)

《菅さんは、ある時点から、反原発、脱原発に立場を変えた方が、政治家として支持が得られると考え始め、路線を変えたのではないでしょうか。もともと、確固たる信念のない政治家なのかもしれません。

市民活動家として政治の道を歩み始めましたが、自民党から政権を奪取し、権力を手中に収めた後は、消費税引き上げを主張しています。原発についても、首相に就任直後の二◯一◯年六月に閣議決定した「エネルギー基本計画」で、二◯三◯年までに14基を新増設し、発電量の五◯%を原発で賄うという方針を打ち出しました。自民党政権当時は、三◯%から四◯%でした。さらに原発の海外への輸出も、菅政権の成長戦略の一つでした。こう見ていくと、菅政権は震災が起こるまでは、長年与党だった自民党よりも、はるかに原発推進派だったのです。》(P152)

《(脱原発について)菅さんは、一貫した考え方だと強調していますが、きっと、また変わるのでしょう》(P158)


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