2013年7月12日金曜日

「内なる声に目覚めて、遠い理想を求めても、自分の足で歩いて行く以外に方法はない」




空海の言葉 「内なる声に目覚めて、遠い理想を求めても、自分の足で歩いて行く以外に方法はない」



富や地位というのも、借り物の力です。
そういうものでは 真理は得られない。 大金持ちや、政治家は 真理の分からない 愚か者です。 



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狂った人たち

1.吉田所長を死に追い込んだ菅直人

2. 風俗業界顧問の橋下を党首に仰ぐ、皇室関係者の平沼や拉致の中山

3. 東電のCMキャスターをオリンピック大使に使う猪瀬知事。福島第一の恐怖が残る中でオリンピック?

4. 株高・円安を背景に原発を世界に売りまくる安倍晋三




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今日も

正義と道徳を実現しよう、職場で。

カネや 出世のために働くのは 一番 醜いこと。

いつでも、会社をやめよう、正義が通らないなら!



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一番ふざけた言葉

「自分をほめて あげたい!」

謙虚さを基本とする 日本の美徳への反逆!

商業主義の腐敗の象徴!

自分をすてなければ、世の中はよくならない!



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福島県にもフランス語を話せる 純粋の日本人はいる。

しかし、猪瀬知事は 被災者を あざ笑うかのように、東電のコマーシャルで稼いでいた女性キャスターを オリンピック大使に任命。

これではダメだ。また、第二の原発事故が起きる、東京オリンピック中に

2020年は辞退、2024年だ



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歴史:

オノ・ヨーコの祖母は、

みずほ銀行の創設者の娘だった。

坂本竜馬が活躍していた頃、江戸で両替屋をやっていたのが安田善次郎。



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矛盾論:

アベノミクスで 金持ちは ますます 金持ちに。

ウヨク貧困層は あいかわらず 貧乏。 無党派層も 大金持ちを見て嫉妬、憎悪。

従って、参院選後に 安倍の大勝で 富裕層やメディアが



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第二の原発事故や 直下型地震に ビクビクしながら東京オリンピック?    

(東電のコマーシャルで稼いでいたキャスターを使って オリンピック招致?)

福島の終息もなく、東京の地震対策も進まないのに?    

まあ、2024年だ。  IOCに電子メールを書いて、辞退しよう!


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2012/3/14 7:00


「自分のできることで、できるだけ長く被災者をサポートし続けたいと思った」。米カリフォルニア州からやってきたバートン・スーさん(39)とキャサリン・スーさん(32)夫妻は、今年1月から岩手県一関市でフラダンスや絵で被災者の心をケアする活動を続けている。

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFK1300C_T10C12A3000000/


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東京に留学中、仙台市へ遊びに行く途中で震災に遭ったカナダ・トロント(Toronto)出身の学生ジョボン・エバンスさん(24)は、「災害に遭ったことはなかったから、どうなるのか見当もつかなかった。映画ではよく悲鳴をあげて逃げ回る人が出てくるけれど、この避難所はまったく落ち着いている」と感想を述べた。マグニチュード(M)9.0の地震と津波が襲いかかった時、エバンスさんは友人6人と列車に乗っていた。「(列車が)ひっくり返る、と思いました」。旅の予定は大きく変わった。震災の日以来、友人たちと仙台郊外の名取(Natori)市の地域センターで寝泊まりしている。英ロンドンから来たアリス・キャフィンさん(21)もその1人だ。

 キャフィンさんは見知らぬ人が親切なことと、地元自治体の目立った助けがなくても、被災地の住民が比較的容易に緊急事態に対する活動を立ち上げたことに感嘆する。「見ての通り、とても落ち着いている。みんな、私たちにとても優しいんです」。14日、短時間発令された津波警報で、住民たちと急いで向かった丘の上から被災地を見下ろし、キャフィンさんは語った。「避難所でわたしたちの横に座っている、年配の女性たちがいるんです。地元の人たち。彼女たちは立って戻ってくるたびに、わたしたちにも食べ物をくれるんですよ」


http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2790639/6956607


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2011年06月26日 23:59


 驚いたのは、今回参加したロシア人ボランティアの方々は、それぞれ専門性の高い仕事を通して日本社会にも貢献している人たちばかりで、今回の活動を通して知り合うまでは、お互いに見ず知らずの人が殆どだったそうです。しかし、仕事の合間に猛練習。民族衣装を着て息の合った踊りやコーラスを披露してくれました。被災者の方々も一緒に歌い、また踊りにも参加して盛り上がりました。

 マリナさんとは、昨年12月にカンボジアで行われた「アジア政党会議」で知り合ったのですが、震災後の原発事故に関するロシアでのニュース報道があまりにもネガティブだったため、心配するご両親を気遣って一度は帰国。しかし、大好きな日本の人のために役に立ちたい一心で再来日。以来、寝る間も惜しんで支援活動を続けてくれています。

 それにしても、バラライカの音色に乗ったロシアの音楽、私は高校生の頃から大好きでした。カリンカや赤いサラファン、モスクワ郊外の夕べなどはロシア語でも練習したのですが、まだ、かなり覚えていることを再発見しました。


http://blogos.com/article/17841/


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3 県においてその災害救助法が適用されている市町村の外国人登録者数は、
宮城県 14,402人、岩手県 5,305 人、福島県 10,291 人となっている2。

災害救助法が適用されている地域に限らず、県に登録されている外国人登録者数の国籍(出身地)別でみると中国籍が最も高い割合を占め、宮城県 7,231 人、岩手県 3,018 人、福島県 4,879 人となっている3。

その次に韓国・朝鮮籍が続いており、被災者のほとんどがアジア地域の出身であった。

また、外務省幹部は 4 月 4 日、今回の震災で、在日韓国・朝鮮人のほか、中国、米国、カナダ、フィリピン、台湾、パキスタンの8か国・地域の 19 人の在留外国人の死亡が確認されていることを明らかにした4。

被災した外国人は日本人の被害者数に比べれば断然少ないが、彼らも日本人と同じように被害を受けているのだ。

http://gyosei.mine.utsunomiya-u.ac.jp/110627seminarsugawarar.pdf#search='%E8%A2%AB%E7%81%BD%E5%9C%B0++%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA'


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 3・11東日本大震災は、日本人と同様に、日本に住む外国人210万人にも甚大な被害を与えた。とりわけ、災害救助法が適用された154市・町・村に住む外国人、75,281人に対しては、安否確認をはじめ、その窮状の全容を把握できないまま、緊急支援活動を始めなければならなかった。

 私たちは2011年9月、「外国人被災者支援プロジェクト」を立ち上げ、2012年4月には海外のキリスト教会からの支援で仙台に「外国人被災者支援センター」を設置した。しかし、外国人被災者を支援する活動は困難を極めた。それは、被災地域があまりにも広大であり、また外国人被災者が都市部に集中する一方、A村に1人、B町に5人、C市に10人……というように、点在していたからである。しかも、岩手・宮城・岩手県の被災地において、外国人の多くは、日本人と結婚している中国人女性、韓国人女性、フィリピン人女性など移住女性であり、彼女たちは地域社会において周縁化され、不可視の存在とされてきたからである。

 私たちは2012年3~9月、宮城県石巻市と共同で、外国人被災者の実態調査を行なった。被災した自治体による外国人調査は、全国で初めてのものである。そのアンケート調査と面接調査から、私たちは、移住女性たちの渡日経緯、震災時の状況、現在の困難な状況を、克明に知ることができた。また、日本人と結婚している移住男性や、地域からも同胞からも孤立している「在日」高齢者や「在日」三世の、過酷な状況も知らされた(東北学院大学郭基煥研究室・外国人被災者支援センター編『石巻市「外国人被災者」調査報告書』)。

 このような状況にあっても、移住女性の間では、震災を契機に、移住女性みずから、あるいは支援団体などのサポートで、自助組織のコミュニティが少しずつ作られてきた。ただそれは、広大な被災地の中の、まだ小さな点と点に過ぎない。


http://gaikikyo.jp/shinsai/messasge/message_sato.html


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現地中国人の皆さんの言動に関してはいろいろな話が出回っていて、中には明らかにデマと分かるもの、またその場の中国人に接しなければ分かるはずのない、当人にしか知りえないはずの話が入った実話と思えるものなど、いろいろな話が出回っています。

実は私が陸前高田に行った時にも、おかしなのがいたんですよ。

廃墟の被災地を見て、チャンネル桜の車に戻ると、スタッフの一人が怒っていたんです。

すでに被災地には中国人らしき外国人がいて、そのスタッフが声をかけると、たどたどしい日本語で「ここからここまで、私の家だったのに、みんな壊れたよ!」と訴えていたとのこと。

住民なのかと思いきや、彼らが乗ってきた車が多摩ナンバーで、彼らにはまったく悲壮感がなかったどころか笑顔さえあったというのです。

また、被災地にはまったく似合わない小金持ち風の老夫婦も歩いていたので私も気になったのですが、スタッフが声をかけたところ、無視して通り過ぎようとする。

「どちらからお越しですか?」と声をかけると、女性が「神奈川。」とだけ答えたそうですが、その発音が明らかに日本人ではなかったとのこと。
なんなのでしょうか。

これについて、避難場所となっている小学校に救援物資を下ろしたあと、私は地元の若いボランティアスタッフに、「ここらへんには中国の方も多いのですか?」ときいてみたところ、「結構きていた」との事ですが、「多摩ナンバー?ありえねっすよ!」とのこと。そりゃそうですよね。

まあ、これが中国人とは断定できないし、もしかすると韓国人かもしれません。スタッフは中国人だろうと言っています。(私も見た老夫婦は色白でしたが韓国人には見えませんでした)

いずれにせよ、こうした怪しい人たちに対して、すでに被災地の地元では自発的に自警団が組織されて、機能しています。
http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/postseven_16894/ 

http://ameblo.jp/japangard/entry-10858416082.html


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あまりにも酷い事件が震災現場で起きています。
本人の承諾を得て転載します。
私の友人が石巻のイエローハットで勤めております。
その彼からの叫びです。

現在報道は全くされていませんが
石巻では外国人窃盗団が横行しており
ガソリンスタンドもコンビニもガラスは割られ、モノは略奪され
メチャクチャに荒らされているそうです。

もっと許せないのは
女性は性的被害に遭っているというのです。

警察を呼ぼうにも人員が全く足りず
正に無法地帯になっているそうです。

個人的な正義を見せようとすれば命に関わることになりかねず
今、地域のみんなで自警団を組織する動きになっているとのこと。

彼からの呼びかけは
「この地域の女性は
絶対に一人で行動しないこと!」だそうです。

http://tonchamon.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-e279.html


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今回の大地震と福島原発による放射線漏れ事故は、言葉の壁があり、情報収集力の弱い外国人、特に在日中国人社会に大きな恐怖感を与え、一種のパニック状態を引き起こした。

 出国のために多くの中国人が空港に殺到し、航空会社もしたたかに稼ごうと普段は4万~5万円のエアチケット代をノーマル料金かそれに近い値段にまで釣りあげた。それでもチケットが求められず、布団などを空港に持ち込んで寝泊まりしながらキャンセル待ちをしていた中国人もかなりいた。

 職場放棄で逃亡した中国人も多数いた。ある総合電機メーカーの日本人幹部からのメールには、困惑した現場の声が記録されている。

 「今は、4月から実施されるシステム開発の追い込みや期末対応で忙しい時期になっています。東京の交通機関の混乱もあり、出社が出来ない人には宿泊施設を確保して対応してもらっています。そうした時期に残念ながら(下請けとなる)一部のソフトウェア会社の要員は余震や原発事故の影響を心配して自宅勤務や帰国する人達も出てきています。勿論、個人の行動は制約できませんが、風評や事実に基づかない判断で行動されているのはまことに残念です。無用な混乱が起きないよう、中国国内にも是非、正しい情報を伝えていただいて、皆さんのご支援で一日でも早い復興が叶うことを願っています」

 来日期間がまだ短い留学生や就職者に日本脱出を選ぶ人が集中した。なかには、全員が脱出した際、宿舎のガスや電気を消すのも忘れるほどの慌てようだった学生寮もあるという。

http://diamond.jp/articles/-/11589


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今日、NHKの海外放送でドキュメンタリー番組を見た。

内容は19歳から25年間日本で生活し、日本人女性と結婚したバングラディッシュ人を追った番組だ。
この男性はレストラン経営で成功し10店舗所有していた。、そして、9年前に日光の近くのホテルを買い、「Asian Garden」とし、ビジネスも順調だった。

彼は3・11の東日本大震災後に、家を失った被災者たち17名にホテルをシェルター代わりに提供したのだ。
そして、毎週のようにバングラディッシュ人、インド人、タイ人や日本人従業員を引き連れて、被災地のガレキ撤去、炊き出し、被害にあった家の修理や清掃の手伝いも進んでやった。

日光の彼のホテルも地震の被害があった。南相馬市からの被災者は、彼らの親切に感謝していた。地震の影響で予約もほとんどなくなってしまったが、彼は笑顔で「今はやるべき事をやるだけです。人生色々あります。そのうちお客も戻ってくるでしょう」と語っていた。彼も若い頃、バングラディッシュの水害で自宅を根こそぎ流された。だから、被災者の気持ちがわかると言う。

彼の影響で、日本で成功したバングラディッシュ人の友人たちも仲間を引き連れて被災地でカレーの炊き出しに出向くようになった。

彼は、時にはバングラディッシュに行き、大学で講演し大学生にボランティア協力を要請したり、商工会では被災地向けの義援金を求めて食事会を開催した。その時、被災地の状況を語り始めた彼が、涙ぐんだ。美しい涙だった。
お世話になった日本に恩返しする為にと、彼の頑張りを見ていたら私まで感動して目頭が熱くなった。

過去、バングラディッシュで災害がある度、真っ先に駆けつけたのは日本で、多くの人が日本の支援で助かり、感謝しているのだ。今回の東日本大震災が発生してから貧しい国民が、「日本人に恩返ししなくては」と子供からお年寄りまで、お金を握りしめて寄付をする姿を見ると、瞼を濡らしてしまうのは日本人として自然なことだろう?

金額は問題ではない。彼らのその気持ちが嬉しいのだ。


http://nipponeseclub.blog70.fc2.com/blog-entry-327.html


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2011.5.21 21:27 (1/2ページ)

被災地で撮影した写真を見ながら「必要とされる限り支援を続ける」と話すマンゴールドさん=京都市内

 小さな町のあちこちで彼を呼ぶ声がする。「ロバート、ロバート」-。在日外国人でつくる災害ボランティア団体のリーダーとして東日本大震災の被災地で活躍する米国人男性がいる。支援の手が入りにくい小規模集落に重点を置き、流暢(りゅうちょう)な関西弁で現地にとけ込む。本業は大工。被災者に呼ばれてはハンマーを振るい、復興を後押しする。

 京都市上京区のロバート・マンゴールドさん(41)。震災後に「国際災害支援機構(IDRO)」というボランティア団体を立ち上げ、交流サイト「フェイスブック」を通じてメンバーを募集。ウクライナ、イギリスなど各国の留学生や大学講師ら約30人が参加し、グループで定期的に被災地入りしている。

 来日して18年。津波の衝撃的な映像は、日本人の妻と子供の3人で見た。震災当初、テレビから伝え聞く地名は限られていた。ニュースに出ない場所はきっと孤立している-。心を占めたのは「自分がやらねば」という義務感だった。

 20歳すぎまで米海兵隊に所属。物資調達や人員配置のロジスティックス担当として災害現場に派遣された経験を持つ。阪神大震災のときもボランティアとして物資の仕分けをした。


http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110521/dst11052121300019-n1.htm


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