ブッダの言葉 「あなたが 私に くれるのは ご飯ぐらい だ。次の日にはお腹がすく。 私は あなたに 真理を与える」
極端に言えば 悟れば 生きる必要はない、というのが ブッダの教え。 食事は 布教のための必要悪。
しかし、神の愛という考えが キリスト教。
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「東大分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授らの論文に多数の改ざんや捏造」 (47NEWS)
秋入学、英語重視どころか、学問レベル自体が劣化!
ノーベル賞も取れないバカ教授の 小手先改革の影で インチキ研究!
東大の教授は 全員 資格審査が必要!
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右翼の罠:
風俗業界顧問弁護士だった橋下を 皇室関係者の平沼や拉致の中山恭子が 党首と仰ぐ!
サヨクの罠:
福島第一事故拡大の責任者、菅直人を民主党は除籍もできない!
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福島第一の事故拡大の
原因の1つが 菅直人の無能及び異常な干渉であったことは 各種の事故調査で明らかにされている。
その菅直人を 民主党は 除籍できない!
これでは 公党とは言えない!
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あまりに ひどい
英国への憧れ?
腐敗の英国王室に夢中?
アホか!
イギリスの王族は 日本などに留学しない。しかし、皇太子殿下は 英国に留学して 英国王室にゴマをすった?
これでは 未来の天皇は無理?
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イギリス王室の バカ騒ぎにはあきれる
イギリス上流階級・貴族階級・王族は 不道徳な不倫生活と 陰謀で有名。
おまけに 強欲アングロサクソン金融業界の象徴が 英国王室!
まあ、一種のマフィアです。
その英国王室から 下に見られる日本の皇室?
天皇陛下は英国女王より格下?
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道徳と正義を
中心軸において 考えれば
株高・円安より、原発問題・TPPの脅威・憲法改悪・増税の方が重要だ。
つまり、安倍政権は 過渡的な政権であるべきだ。
野党が 谷底から這いあがって来て
道義大国を目指す日が来るだろうか?
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いいですか
TPPの交渉は 英語でやっている。 文書も英語だ。
これでは、アメリカ人などは いくらでも トリックを使える。
どんなに英語が達者でも 日本の官僚が 全て 英語の世界で 実力が発揮できる人間ばかりではない。
こういうケチな手を使いながら アメリカは優位を保つ!
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腐りきった 人間は言う 「ヒトの 値打ちは いくらカネを持っているかだ!」
神様は言われる 「金持ちは 地獄に、貧乏人は 天国に!」
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共同の調査によれば
安倍内閣の支持率が 下がって
維新の 支持率が上がっている。
右翼路線に 中毒すると
もう 安倍晋三では我慢できない?
C級右翼は 暴走し始める?
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TPP が 英語を公用語とし、日本語の文書が 正本として認められないなら
非常に危険です!
日本の官僚たちは 英語ができない恥を隠すための妥協も?
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右翼は カネ儲けが 目的です。 必ず 小ガネを貯める。 カネ回りがよくなる。 右翼になれば・・・
愛国者は 国家と国民のために身銭を切る。 愛国者は だんだん 自分の資産を減らしてゆく。 最後は 貧乏人になる。
安倍首相周辺、麻生副首相周辺、石原慎太郎の周辺は 右翼ばかり
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NTTなどの 電話会社・通信会社は
CIAや NSAのように
オレオレ犯の 電話番号、通話場所、行動などを 確実に把握することができる、その気になれば。
しかし、犯罪者も 電話会社の顧客だ。 犯罪でも通話をしてもらえば もうかる。
だから 犯罪者と知りながら 電話機を売る
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大阪人は 後悔する
橋下をリコールしないで。
日本中から 大阪は軽蔑される!
犯罪と風俗の都市、大阪!
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1992年に
天皇陛下が中国を 訪問された。
この事実も知らないのに、ネトウヨ さよく?
アホ! 福島第一で 修行してこい! 菅直人を連れて!
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大阪人と言えば
橋下
橋下と言えば 風俗
大阪人と言えば 風俗
これでは 就職でアウト!
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橋下市長の
リコールはどうなった?
大阪人は 差別される、あんな市長に満足して・・・
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2011年3月11日、午後1時・・・・
日本は繁栄と平和・安全の 頂点にあった・・・
そして 菅直人が 福島第一を爆発させて 全てをぶちこわした・・・
当然、民主党は総選挙、都議選、参院選で 壊滅した・・・
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1992年の天皇の中国訪問
中国側が正式に明仁天皇の訪中を要請したのは1992年4月、江沢民総書記が訪日した際だった。このとき日本では桜が満開だった。
当時、日本側は天皇訪中に対して慎重な態度を見せていた。外務省、日本の世論、政界においても同様だった。
日本国憲法によると、天皇の訪中には日本政府の決定が必要だった。
もし日本の世論に変化が訪れれば、当時の宮沢喜一内閣へのプレッシャーも緩和すると見られていた。当時の橋本恕・駐中国大使は、天皇訪中のために奔走した多くの有識者の一人だ。
天皇訪中を阻止しようとする様々な威嚇も、各方面の努力を無にすることはできなかった。そして7月末、日本の世論にははっきりと積極的な変化がもたらされた。
8月28日、宮沢内閣はついに決定を下し、天皇訪中に同意した。この日、日本側は首相官邸や中国大使館などの周囲に多くの警察を配備、右翼の活動を厳しく取りしまった。
1992年10月23日、中国政府は人民大会堂で天皇・皇后夫妻を歓迎する国宴(政府主催の宴会)を開いた。このときの天皇の言葉は、歴史問題を回避することはなかった。
次の日、「読売新聞」は社説の中で、「天皇の言葉は大多数の日本国民の気持ちを表現したものだ」とした。「日本経済新聞」は「天皇の言葉が、日中両国の友好関係の礎となることを望む」と述べた。
天皇夫妻が東京に戻った後、共同通信社はこのような評論を述べている。「今年は日中国交正常化20周年だ。天皇皇后の訪中は日中両国の人々の心を近づける新たな出発点となるだろう」(編集SN)
「人民網日本語版」 2009年2月9日
http://j.people.com.cn/94474/6588450.html
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朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 : 2009/09/29
天皇訪問を熱心に推進したのが中国側だったというのは意外だ。もともと皇統を認めていない体制である上に、日本帝国主義に踏みにじられた記憶や、解決していない過去の歴史問題が山積しているからだ。それでも中国は、日中国交正常化20周年の1992年、天皇を招くため「三顧の礼」を尽くした。同年4月に訪日した江沢民共産党総書記(当時)をはじめ、公式の要請だけで3回。「謝罪」の条件も付けなかった。
日本政府はといえば、終始ぬるま湯的な対応だった。このような日本をどうすれば動かすことができるのだろうか。「大国外交」の真価が、2007年に出版された楊振亜・元駐日中国大使の回顧録につづられている。
「その年の5月に訪日した万里・全国人民代表大会(全人代)常務委員長は、天皇訪中に一切言及しなかった。『(わたしたちはあらゆる誠意を示したため)後はそちらの政治決断だけ』という無言のメッセージで、日本にプレッシャーをかけよう、という中国政府の決定によるものだった。すると、返事が来た」。「熱い」三顧の礼と「冷たい」沈黙。中国政府の細密な対日心理工作だった。
天皇の訪中は1992年10月に実現した。中国政府の強力な統制が奏功し、歓迎ムードで天皇を迎え、不祥事もなかった。中国大陸に足を踏み入れた天皇も、「深い悲しみ」「深い反省」といった言葉で過去の歴史に配慮した。西側メディアは天皇発言を「謝罪と見ることはできない」と批判したが、中国政府は謝罪の有無の判断自体を拒否する、という断固とした姿勢を示した。
なぜ中国はこのように天皇訪中を望んだのだろうか。当時の中国の「胸の内」を公開した本が03年に出版された。当時外相として中国の外交政策を担った銭其シン(シン=王へんに「深」の右側)・元副首相の『外交十記』という回顧録だ。
「日本は西側共同戦線の脆弱な部分で、最もいい突破口だった。(天皇訪中は)西側共同戦線や圧力を打破するのにプラス効果をもたらした」。当時の中国は、経済的飛躍を図るため、89年の天安門事件から始まった西側共同制裁や圧力を打破しなければならない状況だった。西側の隊列を崩すため、最も弱い部分だった日本の天皇を戦術的に利用していたことがこの本で確認されたのだ。「三顧の礼」「心理戦」も同じだ。そうした戦術的目的があったからこそ「広い度量」で天皇を招くことができたのだ。
日本の外務省は天皇訪中を「失敗」と見なしている。政治的な目的に利用されたためだ。昨年の北京オリンピック開会式に、中国政府が要請したのにもかかわらず、皇族が一人も訪中しなかったのは、92年に中国に負わされた「外交的なトラウマ(心的外傷)」が癒えていないためだ。
http://asahisyougun.iza.ne.jp/blog/entry/1246832/
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中国の「天皇工作」
■■ Japan On the Globe(628) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■
日本を突破口とする工作が成功すると、中国政府は次の目標
として天皇訪中を狙った。海部首相と会談した李鵬首相は、
「来年の国交正常化20周年に」と時期を明らかにして、天皇
訪中を招請した。
1992(平成4)年1月に訪中した渡辺美智雄副総理・外相に、
李鵬はこう語った。
われわれは、日本では天皇が国民の心の中にいることを
知っています。[3,p119]
しかし、これには自民党の中で、「天皇陛下が政治に巻き込
まれる」と、反対論・慎重論の声が高まった。
4月には江沢民総書記が来日し、「本年の天皇訪中を中国
民は心から歓迎したい」と持ちかけた。江沢民は天安門事直
後に総書記になったばかりであり、ここでトウ小平の期待して
いる天皇訪中を実現できれば、自身の権力基盤を強化でる、
という思惑があったようだ。こうした中国国内の権力闘争に、
天皇が巻き込まれかねない、という指摘も、訪中反対論のつ
の論拠だった。
宮沢首相は「自民党の中でこれだけ意見が分かれている況
では、総理として決められない」と弱音を吐いたが、決断をっ
たのが、田中角栄が倒れた後、自民党のドンとなった金丸っ
た。橋本恕・駐中国大使からこの状況を聞いた金丸は、そ場
で宮沢首相に電話して、こう命じた。
宮沢君、天皇訪中問題について決めるべきはごちゃごゃ
言わず早く決めたまえ。[3,p127]
■8.中国の「実益外交」と日本の「親善外交」■
こうして中国が長い間熱望してきた天皇訪中がついに実現し
たのである[c]。銭外相はこう回顧している。
天皇訪中は中日2千年の交流史の中で初めてであり、中
日関係を新たな水準に引き上げた。同時に天皇がこの期
に訪中したことは、(天安門事件による)西側の対中制裁
を打破する上で積極的な役割を発揮し、その意義は両関
係の範囲を越えたものだった。[3,p129]
中国から見れば、日本は先進的工業国として技術や資本提
供し、かつまたソ連やアメリカとの対抗上、味方につければ、
大きな利用価値のある国であった。
その日本を取り込む最大の突破口が天皇訪中だった。そに
よって、日本国内の反中国派を押さえ込み、また日本国内親
中感情を醸成することができる。中国の対日外交は、あくまで
自国の国益を目的とした「実益外交」であった。
それに対して、日本の対中外交は「日中友好」をスローガン
とし、特に皇室外交は純粋に両国民の友好関係を深めるたの
「親善外交」であった。日本は「友好」そのものを求めたが、
中国は「友好」の名の下に実益外交を進めて皇室までも利し
た。ここに日中関係の非対称性がある。
皇室外交は、世界最古の王室をいただくわが国が、世界国
国と平等に友好親善を進めるための貴重な手段であり、そが
党利党略によって利用されたり、ましてや外国に利用されるこ
とは、わが国の尊厳を汚すものである。
(文責:伊勢雅臣)
http://11874.jugem.jp/?eid=2056
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《92年10月23日午後6時半すぎ、北京の人民大会堂の西大庁。有史以来、初めてとなる天皇、皇后両陛下の中国ご訪問を歓迎し、国家主席、楊尚昆主 催の晩餐(ばんさん)会が開かれた。列席者は日中双方から約120人。濃紺の背広姿の天皇陛下は、楊が歓迎のスピーチを終えると、答礼のため演台に向かわ れた。
「両国の関係の永きにわたる歴史において、わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」
陛下は、日中関係の歴史を振り返る中でこう述べ、日本国民が戦後、戦争を繰り返さないとの「深い反省」に立って平和国家建設を決意したことも強調された》(同)
天皇陛下にこのような政治的舞台で御発言頂くなどというのは以ての外である。御発言の中身も政治家や役人がお膳立てしたのであろうが、政治的に過ぎる。
天皇陛下が俗世に対し<両国の関係の永きにわたる歴史において、わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました>などと言ってしまっては、もはや聖と俗の境界に立つ「天皇」ではなくなってしまったとさえ言えるだろう。
<中国国民に対し多大の苦難を与えた>などというのは中国側の一方的な、なおかつ優れて政治色の濃い言い分なのであって、当時、国民党軍、共産党軍、日本軍がどのような思惑のもとに戦っていたのかは「神のみぞ知る」ことである。
にもかかわらず、一方的に謝罪をするとは何たることか。それも権力とは無縁であらねばならない天皇陛下の御言葉によってなすとは言語道断である。政治家や役人が天皇陛下をいかに軽んじているのかが分かろうというものである。
http://plaza.rakuten.co.jp/ikeuchild/diary/201307140000/
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湘南海岸