コロナ大感染のような事態は、歴史で何度も生じていた。しかし、キリスト教の多くの教会関係者や伝道師は、病気にかかることなくキリスト教の普及に努めてきた。
また、世界各地には医療の未発達な地域もあるが、キリスト教の宣教師は風土病などに感染することなく世界中で伝道を続けた。だから、世界中でキリスト教が広まった。
イエス・キリストが弟子を、伝道のために世間に送り出した時、弟子には悪魔を追い出す力と共に「治癒能力」を与えたと聖書には書かれている。弟子たちが、人々から悪魔を追い出し、病人を癒し、イエスの教えを広めたからこそ、今日のキリスト教が存在するのです。
そもそも、イエス・キリストは、病人や身障者への愛から、その霊能力で病人や身体的欠陥を治した。その力を見て、人々はイエス・キリストは天界から来たのだと信じた。イエス・キリストほどでなくても、霊能力を持った人は存在し、今でもイギリスなどでは、心霊治療というものが公式に行われている。
心霊治療(しんれいちりょう)は、超常現象の一つで、通常の医療行為によらない病気治療のうち、霊的な力によるものとされる行為の総称である。
心霊治療とされる行為には、消毒や麻酔なしで患部を体外へ摘出する心霊手術がよく知られており、ほかにも、病気の原因を霊とみなして除霊を行なうことによる治療、治療者が霊的なエネルギーを直接患者に与えることによる治療、霊との交信による病気の診断や処方などがある。
心霊治療を行なったとされる著名な人物には、超能力によって病気の診断を行ったとされるエドガー・ケイシー、末期癌など多くの難病を治癒したとされるハリー・エドワーズ、ブラジルの心霊治療師とされるホセ・アリゴーらがいる。新約聖書でも、マタイによる福音書、ルカによる福音書、使徒行伝などにイエス・キリストが病人を癒した奇跡が記述されており、これらを心霊治療と解釈する向きもある。ほかにもフィリピン、メキシコ、タイなどで心霊手術が行われている。フィリピンのルソン島の聖地バナハオ山には約百人の心霊治療師がおり、マッサージ、祈祷、薬草などによる心霊治療が盛んに行われており、全国から患者が押し寄せているという。
ただし、こうした治療行為はメカニズムが解明されておらず、一般的には常軌を逸した医療行為と見なされ、多くの国で受け入れられているわけではない。心霊治療に見せかけたトリックによる詐欺行為も横行しており、心霊治療を盲信するあまり適切な医療行為を受けずに却って病状を悪化させるという問題も指摘されている。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%83%E9%9C%8A%E6%B2%BB%E7%99%82)
心霊治療は、トリックなど怪しげな例もあるようだが、イギリスなどでは心霊治療師の認定は厳格に行われていると考えられる。単なる心霊能力ではなく、宗教的な背景があるとき信仰治療とも呼ばれる。世界各地で出現した聖母マリアが、特に信仰者の病を治したということはよく知られている。フランスの聖母マリアの出現地ルルドの水が治癒力を持つということも、バチカンも認め、世界でよく知られている。Q: イギリスでは心霊治療が認められているというのは本当ですか。保険も利くそうです。国家が霊能力を認めたと見て良いでしょうか。
A: 産業革命によって、欧米の近代化の先駆けとなったイギリスが、霊能力を公式に認めたことはありません。しかし、イギリスでは(日本もそうですが)、昔から多くの人に霊的なことが経験的に認知されています。現在の科学は、物理的な存在に手を加えたり、いじったりするだけの、まだ発展途上なものです。つまり、科学的根拠が森羅万象、全ての完全な裏付けになり得ていないので、人は科学によって便利になりながらも、昔からの経験則も大切にするのだと思います。心霊治療は、日本の心療内科のような扱いだと聞きました。(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1321356088)
信仰治療は信仰の効用を利用して間接的に疾病を治療する療法で、「患者に対する治療行為が同時に信仰儀礼の一部」となっている点に特徴がある。M.エディ夫人(1821→1910米国)によってアメリカで創設されたキリスト教の一派、クリスチャン・サイエンスの信仰治療は良く知られている。
心霊治療(→スピリット・ヒーリングの場合)の治療主体は霊界にいる「霊医」。治療家は「霊医」と患者との間の通路となって、霊的エネルギーの変換器の役割を果たす。これに対して信仰治療の場合は神や仏が治療を行うとされるので、病気を治すためには患者に強い信心が必要となる。そのため「病人に対してなされた祈りに効果がなく死が訪れたのは、まわりの者たちの信仰が充分でなかったためである」とされる。なぜなら「充分な信仰さえあれば神は彼らの祈りに応えてくれる」と教えられてきたから。イギリスの著名な心霊治療家ハリー・エドワーズ(1893年→1976年)は、患者が信仰を有していなくてもよい事例として「霊的治療が信仰治療ではないという証拠は、信仰を持つには若すぎる赤ん坊や子供が癒されるという事実によっても簡単に示される」。また本人が知らなくても「第三者からの依頼によって遠隔治療を受けるといった患者も存在する」をあげている(ハリー・エドワーズ著『霊的治療の解明』1984年、162頁~170頁参照)。(https://1411.cocolog-nifty.com/ks802/2022/05/post-f7d6fc.html)
マタイの福音書「すると、そのとき、ひとりのらい病人がイエスのところにきて、ひれ伏して言った、「主よ、みこころでしたら、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病は直ちにきよめられた。」「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。ヨハネの福音書「姉妹たちは人をイエスのもとにつかわして、「主よ、ただ今、あなたが愛しておられる者が病気をしています」と言わせた。イエスはそれを聞いて言われた、「この病気は死ぬほどのものではない。それは神の栄光のため、また、神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」。伝道の書「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり・・・」ガラテヤの手紙「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」