2022年6月10日金曜日

「耳のある者は聞くがよい」!

東京

イエス・キリストは、無学・文盲の人にも理解できるように、分かりやすい「たとえ話」で、最高神学の真理を説教した。例えば、

マタイによる福音書(https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#%E7%AC%AC13%E7%AB%A0)
13:3
イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。
13:4
まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。
13:5
ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、
13:6
日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7
ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8
ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。
13:9
耳のある者は聞くがよい」。


このような「たとえ話」は、今も昔もエリートや高学歴者はそれを軽んじて真剣に、深刻に考えたりはしない。しかし、その深い意味は、世の中の底辺で苦労する人々にはピンと来るものです。従って、エリートや高学歴者はイエス・キリストの真の教えが理解できないが、世の中の底辺で苦労する人々には理解できることになる。つまり、死後、霊界で天国に入るのは、エリートや高学歴者ではなく、世の中の底辺で苦労する人々だということになる。

この例では、「種まき」とは明らかに神の使いです。「種」とは神の教えです。種がまかれた土地は、この世、人間界、又は、「神の教えを聞いた人間の心」です。

神の教えを聞いても、(1) 上の空で捨て去る人、(2)神の教えに従えばいいことがあると思って最初は従うが、たいして得にはならないと考えて背を向ける人、(3)エリートや富裕層などは、この世の問題や欲望で頭が一杯で、神の教えを考え続けられない人などが多い。しかし、(4)エリートでなく、富裕層でもなく、良心的に生きている人は、神の教えを有難く受け止め、その恵みを神に感謝して、人生の精神的な充実感を100倍に高め、生きる精神力を60倍に強め、生活の安心度を30倍に拡大して生きるようになる。

つまり、人間が4人いれば、3人は神の教えよりも、自分の損得、プライド、好き嫌いや、この世の慣習、常識に従って結局は神様の教えを軽視し、無視し、あるいは、反感を持つようになる。そして、悪魔の教えに従って、カネや富、肩書、権力を求め、この世での成功や物質的な幸福を求める。要するに地獄落ちになる生き方をする。

カネや富、肩書、権力を得るためには、隣人や他人、弱者は無視し、彼らに不親切にし、その不幸を喜ぶような人間になる。悪質な場合は、隣人や他人、弱者を痛めつけるのに喜びを見出す。さらに、悪魔に喜ばれるために、いっそう冷酷、不親切、凶悪な人間になろうとする。そして、最後には悪魔と一体化し、死後は地獄に向かう。

他方、エリートでなく、富裕層でもなく、良心的に生きている人は、悪魔を恐れるよりも、天罰を恐れる。しかし、正しいことをすれば、悪魔に攻撃されるので、いやいや悪事を働く場合もある。そこで、神様の教えを聞けば、正しい生き方を示され、喜んで従う。神様の助けを信じれば、もはや、悪魔を恐れることはない。さらに、この世で貧しく生きれば、死後は天国に受け容れられると理解すれば、もうこの世の富や幸福を求めることはない。そして、実際に死後、天国に迎えられ、永遠の生命を得るのです。

これが、人間の真理です。ここでは、この世の学問、宗教的知識や霊能力は関係ない。霊能力を持っていても地獄に落ちる人間はいくらでもいる。分かりやすいイエス・キリストの「たとえ話」は誰でも理解できる、しかし、どこまで深く納得するかに学問や宗教的知識や霊能力は関係ない。善良な心、神様を愛する心がなければ、深い理解に達することができない。そして、エリートや富裕層は、そのような心を持つことはできない。これが、イエス・キリストの教えであり、キリスト教の真理なのです。

イエス・キリストの教えは、耳のある者は聞くべき教えです。善良な心があれば、誰でも理解できる教えです。ただし、エリートや富裕層が理解することは、恐らく、神様も期待していないでしょう・・・