2013年6月10日月曜日
「飛ぶ鳥を見よ、野の花を見よ! 神様は面倒を見て下さる。 鳥や花でさえ・・・」
キリストの教え 「飛ぶ鳥を見よ、野の花を見よ! 神様は面倒を見て下さる。 鳥や花でさえ・・・」
生活に あくせくするな ということです。
まず 信仰を持て、そうすれば、神様が あとのことは 面倒を見てくださる。
これが 正しい信仰です。
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○「善行カード活用要領」の制定について
昭和50年12月23日
例規外第33号警察本部長
愛媛県
各警察署長
県民に対する奉仕活動をより効果的に推進するため、善行カードを活用することとし、その活用要領を別添のとおり定め、昭和51年1月1日から運用することとしたので目的に添った効果的推進につとめられたい。
善行カード活用要領
1 目的
幼児、児童の善行を賞揚することによって、本人のみならず家庭と警察の間の人間関係を醸成し、もって地域住民に親しまれ、県民に信頼される警察を樹立しようとするものである。
2 善行カード活用要領
(1) 善行カードは、主として小学生以下の幼児・児童の「善行行為」について活用する。
http://www.police.pref.ehime.jp/kitei/data/reiki/hen4/4202060.htm
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(アメリカ女性の傲慢な日本人論について)
ベネディクトが日本に見てアメリカに見ようとしなかったのは、「お返しを期待する」心性である。しかし、日本だろうがアメリカだろうが、お返しを期待する行為は好意とはみなされない。好意を与える方はお返しを期待してはならない。しかし、好意を受ける方はお返しをしなければならず、好意を受ける方がそう思うことを、好意を与える方も期待する。
与える方がお返しを求めないのは、与えられる方にその能力が欠如していることが明確なときである。その場合は、与えられる方が能力の差を承認することが求められる。日本人が「恩」を受けることを避けようとし、受けた「恩」を返すことに腐心するのは、劣位の立場に身を置くことを嫌うからと解釈される。『菊と刀』の描く日本は非常に平等主義的な社会であるという解釈も可能であろう。
http://www9.ocn.ne.jp/~imt47/kikutokatana.html
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朝一番に銀行へ行こうと思った私は、その日、散歩も兼ねて少し離れたところにある銀行へ向かって歩いていました。
通りを横断しようと車がとぎれるのを待っていると、道路をはさんだ向かい側をこちらに向かって歩いてくるおじいさんが目にとまりました。サングラスをかけ、白い杖で道路を探りながら歩いているので全盲なのでしょう。
イランの道路はこうした人にとって歩きにくいはずです。アスファルトにはあちこち穴が空いていますし、無意味な段差も多くあります。
大丈夫かと心配しながら見ていたら、おじいさんの後ろから高校生くらいの男の子が走ってきました。学校へ遅刻しそうなのでしょう。イラン人にしては珍しく懸命に走っていました。
彼はおじいさんをひょいとよけ、道路を強引に横断しようとしたところで、おじいさんが盲人であることに気付きました。
彼は道路を渡りかけ、でもおじいさんが気になって振り返り、腕時計を確かめ、もう一度道路を渡ろうとして、おじいさんを見て。
心が決まったのでしょう。
彼はおじいさんに一言二言声をかけ、腕を取り、歩道と車道の段差のあるところを注意し、車を止めながら道路を渡してあげました。
それからまた学校へ向かってダッシュをしていきました。
遅刻はしただろうけど、いいことをしたんだからいいよねと、朝からほのぼのとした気分を味わったのでした。
http://sarasaya.exblog.jp/1108572/
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私は88才です。 もう事実を話したいと思います。
[チェ・キホ伽耶大学客員教授]
朝鮮末期の私は1923年の生まれです。
もう韓国のためでも、日本のためでもなく「事実」を話したいと思います。
それは相当な覚悟が必要です。
生命の危険も覚悟しています。
しかし、これは私の使命であると信じています。
私はソウルに住んでいました。
そして、時々、平壌や東京に行きました。
その当時の韓国人は「日本人以上の日本人」でした。
「親切でやさしい日本人」という印象を、必死に消すために「反日」を指導者はそそのかしてきました。
韓国と日本の歴史教育を比較すると、日本が10%の歪曲といえば、韓国は90%が歪曲です。
朝鮮末期の正常ではないで政治腐敗を教えず、日本が関与しなければ独立ができたことのように使われています。
韓日合邦によって「教育」「医療」「工業」「社会インフラ」が整備されました。
近代国家の基礎が出来たことは明らかな事実です。
その実績を「日本帝国主義の侵略政策の産物だ!」と糾弾する韓国にはあきれます。
より一層「日帝が民族産業を停滞させた!」という主張にはコメントする気持ちもなくなります。
http://onair-blog.jp/pepsicoara/entry/198633.html
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ザカート・喜捨
あるとき預言者ムハンマド(彼の上に祝福と平安あれ)のところに、一人の男がやって来て尋ねました。「私を天国に入れる行ないを教えてください。」預言者(彼の上に祝福と平安あれ)はこうお答えになりました。「あなたは至高なるアッラーを崇拝し、かれにどのような同位者も立ててはいけない。サラートをきちんと行ない、ザカートを支払い、親戚と良い関係を保ちなさい。」
http://islamcenter.or.jp/about-islam/zakat/
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曽伝富さんによると、三月上旬にホテルから呼ばれて浜村さんを乗せた。そして日本時代に学校の先生を務めていた父親が日本語に堪能だった影響で、日本語を使って各地を案内することができた。浜村さんの葉書によれば、曽伝富さんは「親切で優しく、お土産までくれた」。
葉書をもらって嬉しくてならない曽伝富さんは、「今度は一家で来てください。また接待させてもらいます」と返信すると話している。
記事の内容は以上の通り。ささやかなエピソードではあるが、台湾ではこうした日本人観光客との心温まる話はいくらでもあると思う。私もこれを読み、これまでの台湾旅行で何度も何度も経験した台湾人の優しさを思い出し、目頭が熱くなった。
あの国では、日本人を見かけては、親切にしたくてムズムズし、笑顔で近づいて来る人々がたくさんいる。
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-701.html
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「見知らぬ人に親切にするのは、天使に親切にするようなものである」
http://www.geocities.jp/rpejournal/yudaya5000nen-no-oshie.html
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「日本人でありますか」
突然後ろから聞こえてきた日本語に驚き、振り返った。六十を過ぎていると思われる痩せた男が立っていた。柔和な視線をまっすぐこちらに向けている彼は、白いスタンドカラーのシャツに格子模様の青いロンジーをゆったりとまとっていた。
「今日は火祭りであります。私は家族と来ました。一緒にどうぞ」
突然のことに戸惑いながらも、うながされるままついていった。吹き抜けになった広い部屋の中には、十メートル以上はあるかと思われる涅槃仏が置かれ、たくさんの人たちが談笑したり食事をとっていた。その一角で楽しそうに話しをしていた彼の家族が、にこやかに迎えてくれた。十歳ほどの孫娘がはにかみながら、皿に山盛りになった「チャーザンジョー」を私に差し出した。この、見かけも味も焼きビーフンにそっくりなチャーザンジョーは、祭りの日には全ての人に無料で振る舞われるという。旅の中でごちそうになるのはよくあることだが、シェダゴンパゴダで振る舞われたチャーザンジョーはその中でも格別な味であった。
「山崎中尉はたいへん親切でした」
戦時中、日本語学校で日本語を学んだという彼は、言葉を確かめながらゆっくりと語った。日本軍は戦時中ミャンマーを三年間支配していたのに、非常に親日的なこの国の人たちを不思議に思い、戦争時代のことを彼に訊ねたのである。
「日本兵は皆親切だったのですか」
「悪い兵隊もいました。憲兵隊は大変怖かったです。スパイだと疑われて殺された人もいます」
「ミャンマーの人たちは恨んでいないのですか」
「私たちは仏教徒です。仏教では、憎しみは悪い心です。憎しみは憎しみを生むだけです」
孫娘が、何を話しているのかと不思議そうな顔をして私たちを見つめていた。
http://www.ayeyarwady.com/ph_essay/essay0.htm
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アブ―・フライラは他の人々に対してもいつも、両親に孝行するようにと励ましました。ある日彼は、2人の男が共に歩いているのを見、若い方に“この男性はあなたにとって誰ですか?”と尋ねました。すると若い男は“彼は私の父です”と答えました。アブ―・フライラは“彼を名前で呼ばないように。そして彼の前を歩かないように。また彼が座るまで座にはつかないように”と助言しました。
http://www.islamreligion.com/jp/articles/1624/viewall/
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私がどうしても不快なのは、一部のTV局。
被災者直撃インタビューはいい加減にしてもらいたいと思います。惨状を当人の口から訴えさせれば物資や資金が集まるだろう、という考えなら、それは単純過ぎますよね。
感情的な映像を垂れ流すのをやめて、必要な情報を知らせること、あるいは救命や復興に取り組んでいる人の姿を見せることに取り組んでほしいと、心から念願します。
http://chinya-blog.com/?p=3304
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タイの学校教育では仏教を教えていますので、仏教は道徳規範として、また精神的安らぎの源泉をなしています。
近年形式化しているとはいえ、タイの男子には一時僧制度もあり、仏教への帰依が通常です。僧侶への敬愛心も強いです。
在家の仏教信者が守るべき有名な五つの行動規範(五戒)、不殺生戒(生き物を殺してはいけない)、不偸盗戒(他人のものを盗んではいけない)、不邪淫戒(不倫してはいけない)、不妄語戒(嘘をついてはいけない)、不飲酒戒(酒を飲んではいけない)は一番守られてない(マイペンライになっている)とも言われますが、五戒の元となる上記4つのアイデアは、タイ人の徳目として刻まれているように思います。
http://sabaijaicons.com/thai_people.html
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