歴史という意識があるのは人間だ。しかし、歴史は人間が計画できるものではなく、神が計画するものであり、その意味から歴史は神なのだ。
中国では先祖崇拝、古代崇拝、各王朝の正当化のために歴史書が書かれた。日本もこの延長にあるが、万世一系の皇室が覆されない限り、歴史書の重みには違いがある。
キリスト教世界の歴史は500年ごとに1つの特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:ローマ帝国内へのキリスト教の浸透
500年から1000年:ローマ帝国後のヨーロッパへのキリスト教の浸透
1000年から1500年:バチカンの権威の拡張
1500年から2000年:全世界へのキリスト教の浸透
これは、神の計画であるという観点から振り返らなければ、その意味は分からない。
日本でも概ね500年ごとに宗教的観点から特別な期間が形成されている。
西暦1年から500年:自然崇拝・祖先崇拝
500年から1000年:仏教の輸入と仏教文化の確立
1000年から1500年:日本固有の仏教各宗派の成立
1500年から2000年:ヨーロッパ・キリスト教への反発と暗黙の受容
日本の第4期は戦国時代になり、鉄砲がもたされ、日本の統一が軍事的に加速され、次いで、切支丹の急激な普及、バチカン支配に対する懸念から切支丹禁教、鎖国へとつながるという劇的な前半と、黒船開国、西洋化の明治維新以降という中盤と、欧米支配への挑戦の太平洋戦争、敗戦、米国のキリスト教徒の草案による平和憲法受け入れがあった。
日本は明治維新以降、和魂洋才の方針で欧米の物質文明だけ受容し、キリスト教は無視したけれど、欧米の物質文明はキリスト教の影響で成立したから、矛盾が生じたのです。
戦後は、アメリカのキリスト教徒の草案による平和憲法の全面受け入れによって、日本も欧米と同じ枠組みで安全に科学・技術・経済を発展させることができた。しかし、江戸時代に日本固有の文化を発展させたことが、日本民族の文化的レベルを高め、豊かにし、明治維新以降の欧米化を容易に推進できる知的基盤を作ったことも事実だ。ここに日本の歴史にも神の計画が働いていると考えるかどうかで、歴史の意味も変わる。