不思議なことに世界の歴史は500年ごとに区切られるように見える。そして日本の歴史も同じ。
1. 紀元前500年
世界:仏陀、孔子、ソクラテス、旧約聖書の完成
(日本:日本書紀の神武天皇)
2. 紀元1年
世界:ユダヤ教に不満な神がキリストをこの世に送る。ローマの帝政開始、ユダヤ戦争
(日本:漢帝国が委の奴国王に金印を授与し、歴史に日本が出現)
3. 紀元500年頃まで
世界:ローマ帝国後のヨーロッパでキリスト教の成立と確立
(日本:銅鐸、古墳文化から仏教の受容)
4. 紀元1000年頃まで
世界:ヨーロッパの中世前期、キリスト教の権威が確立するも、その教義に不満な神によってイスラム教がアラブ人などに付与される。
(日本:天皇中心の体制の確立と発展。)
5. 紀元1500年頃まで
世界:ヨーロッパの中世後期、バチカンの権威が頂点を極めるが(十字軍)、教皇たちの腐敗・堕落の進行、そして世俗の王権の巻き返し。イスラム世界の分裂的展開。
(日本:日本的仏教の発展、武家政治の確立。)
6. 紀元 2000年頃まで
世界:ルターの宗教改革、コロンブスの新大陸到達と白人による世界の植民地化、科学の発展、産業革命、さらに世界大戦を経て、資本主義、商業主義、先端科学・技術の発展
(日本:戦国時代、切支丹対策の鎖国、開国、近代化、第二次大戦、キリスト教的民主化)
問題は、現在の社会の経済・科学・技術が2500年前以降の哲学・宗教の枠組みを超えて暴走する危険。
特に1500年以降はバチカンの堕落からヨーロッパ人が爆発的にその活動範囲を拡大し、世界を植民地化しながら、科学技術を発展させ、新大陸アメリカでさらに近代化が促進され、その延長で今も物質文明が進展しているわけです。そして、霊的に危険水域に入っている。日本もその流れにある。こういう問題意識に基づいた歴史観が日本の関係者にも必要。
ユダヤ・キリスト教と何の関係もない日本でも、正しい歴史認識、宗教観をもてば、神は日本民族をユダヤ・キリスト教の世界に取り入れてくれるはずであり、その時、日本人は真に国際的なリーダーとなれる。