なぜなら、死後、人間の「魂」は「霊界」で生き続けるからです。しかし、神様に従わない人間の魂は「地獄」に落とされ、そこで最終的に「悪魔」と共に滅ぼされます。これが、「第二の本当の死」です。神様は地獄の「魂と心を消滅させる」ことができるのです。魂が消滅すれば、「完全に無」となります。これが、人間が本能的に恐れる死の実相なのです。魂が消滅すれば、もはや心は存在しません。これに恐怖しない人間はいないはずです。
神様に従う人間の魂は、霊界から「天国」に入れられ、「永遠の命」を与えられます。これが、救世主イエス・キリストの教えなのです。
では、神様に従うとはどういうことなのか、ということです。「宗教の教え」に従うということではありません。人間の良心が本能的に知っている「神様の教え」に従うことです。仏教の経典や、イスラム教のコーランにも、「神様の教え」に通ずる教えが書かれていますが、キリスト教の聖書では明確に書かれています。従って、現代人も聖書を読み、その教えを理解し、それに従って生きれば、死後は天国に入れてもらえることになります。
その教えの核とは、「富裕層になってはならない」ということです。
人間は、自分の幸福を求め、富と肩書を求め、成功と名声・人気を求めます。そして、それらを得るために、徐々に腐敗・堕落するのです。
悪魔の支配するこの世では、悪魔を神とあがめて、悪魔の教えに従って、富と幸福を求める人間が大部分です。そのような生活の象徴が富です。「この世では、幸福も、成功も、名声も富と結びついています」。本来、この世の金や銀は神様のものですが、悪魔が貨幣、紙幣を作り出し、自分に魂を売って、悪を受け入れたものにカネと財産を与えているのです。「生活のためだから」とか、「幸福になるためだから」とか、「たった一度の人生だから」などと考えて、人間が悪を受け入れ、その対価としてカネと富を得ています。そのような仕組みは悪魔が構築したものであり、社会の頂点には悪魔がいるのです。実際、誰でも「善行ばかりしていては、カネも富も得られない」ことを知っています。人間社会は、そのような思想で支配されており、組織・階層・社会のトップには悪魔がいるのです。そして、「人々は悪魔を神としてあがめている」のです。
実際、役所や企業の採用試験で「ここで神様の教えを実行します」と言えば、絶対に採用されません。役所や企業が採用するのは、「組織のために必要なら、どんな悪いことでもします」という人間なのです。上手に、スマートに、効率よく悪事を働くことのできる人間が好まれるのです。ただし、この悪事は法律違反ということではありません。組織の利益を最優先し、人間らしい愛、道徳、正義、親切心を踏みにじることです。
悪魔に洗脳され、魂を売り、カネと富を求め、幸福に生きる人間は神様を必要としません。悪魔に洗脳され、魂を売り、幸福のために悪を許容し、「神様への愛と貧しい隣人への愛」を持たない人間には、神様の教えは理解できなくなります。彼らは、死後、霊界に入っても、「天国の光、神様の愛と真理の光」を嫌います。神様に地獄に放り込まれなくても、自分から地獄を選択するのです。そして、地獄で悪魔を神とあがめるのです。
人間は、科学・技術を発達させ、多くの富を生み出し、物質的な幸福を簡単に得られようになりましたが、そのような社会のトップの上に悪魔がいるのです。つまり、「この世の幸福のために悪魔に魂を売る人間が増えている」のです。死後、霊界から地獄に落ちる人間ばかりになったのです。この世の富裕層は、物質的な富を地獄に持って行くことはできませんが、富を得るための悪心は地獄まで持っていきます。つまり、この世では富に隠れていた悪心が、死後の世界では丸出しになり、その強欲、憎悪、冷酷さが地獄と結びつくのです。
問題は、このようにして地獄に落ちる人間ばかりになったことです。死後、天国に入れる人間は死者の25%以下だと聖書では示唆されています。それを、改善しようとしたのがイエス・キリストです。しかし、イエス・キリストが人間界に現れて2千年たった今、事態が大きく改善されてはいないようです。これに「神様が怒っている」、というのが霊的な真実です。
つまり、イエス・キリストの教えにも関わらず、余りに多くの人間が、死後、霊界から地獄に落ちるので、神様が怒って、「神様には無意味な存在となった人類を亡ぼうそうと考えておられる、」と考えられるのです。つまり、「この世の終わり」が来ると考えるのが、正しいキリスト教徒なのです。
ただ、情け深い神様ですから、まだ人類にはチャンスを与えられるでしょうが、21世紀になった今日では、いつ、神様が「最期の審判」を下し、この世に終わりをもたらしても、「悪魔の手先となった人間」には文句は言えないのです。
この点から、21世紀の災害(東日本大震災やコロナ大感染)、戦争(テロとの戦争やウクライナ戦争)の意味を考えるべきなのです。
人間が死を恐れるのは、地獄で完全に魂と心を消滅させられるからです。しかし、死後、天国に受け容れられれば、永遠の命が得られ、死を恐れることはないのです。そのためには、「聖書を読んで貧しい生活」をし、悪魔の誘惑には陥らずに、神様の怒りを受けないことです・・・
つまり、貧しさを求めて生きれば、悪魔の罠から逃れられ、神様の怒りを買わないですむのです。