聖書の言葉で、人に希望を与える言葉がある。
「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、 神はその願いを聞いてくださるということ、 これこそ神に対する私たちの確信です。」(ヨハネの第一の手紙 5章14節)ただし、神仏は人間の願いは一切、聞き入れない、と主張する日本の霊能者もいる。それでも、願ったことを忘れ、無心になり、その願いを過去完了形で言っていれば、願いは叶えられると追加している。
聖書の言葉でも、「神のみこころにかなう願い」をしなければならないと述べている。要は、人間の利己主義的な願いは無視されるが、欲を捨てて、願いは既に霊界では実現されていると信じて、過去完了形を使えば、そのような願いは実現されることになる。
信仰心を持った人間が、神様の御心に適うことを願えば、その気持ちは天に届くと言うことです。
人生で問題が生じて、カネで解決しようとしても、それは神様の御心に適わないので、無視される。その問題を愛と信仰心で解決しようとして、神様に祈り、霊界では、そのような問題は既に解決されているはずだと信じて、願えば、この世でもその問題が解決される。つまり、神の御心が働く霊界で実現していることでなければ、この世ではその願いは実現しない。
人間の願い事が、人間の都合がよいように実現することを願っても、霊界では神様の御心にかなうことしか実現しない。霊界で実現したことは、人間が願えばこの世でも実現する。従って、聖書の言葉と、日本のある霊能者の言葉は矛盾しない。
つまり、この世で苦しむ人間ほど、聖書を読んで神様の教えを知り、その教えに従った願いをし、霊界では願いは実現しているはずだと信じる気持ちが重要なのです。
また、神様に願った後は、そのことを忘れて、さらなる神様の教えを追求することが重要です。願いことをする時の人間の状況判断やその能力、周辺条件などは、人間の浅知恵の反映です。一寸先は闇と言われるほど、人間の予知能力は限られている。しかし、全知全能の神様は過去も現在も、未来も見通しておられる。人間は何を願うべきかは、神様が知っておられる。人間は、神様から見れば、バカげたことを願っているものです。
特に、人間はこの世で死んでも、その魂は霊界で生き続ける。霊界で人間を幸福に出来るのは神様です。だから、寿命を延ばして下さいと、神様に願うことは無意味なのです。また、この世でいくら富を得ても、霊界では意味がない。しかし、神様の教えに従って生きるのに必要なことであれば、人間が願わなくても、神様が実現してくれる、と考えるのが正しい。
しかし、人間は神様への願いをやめることはない。それは、神様が全知全能であり、願いを叶える力があることを人間が知っているからです。ただし、願いが叶うときは、その願いが神様の教えに適っているからなのだが、そのあたりが理解できる人間は少ない。
要するに、神様の認める願いをすることが、重要なのです。そして、神様は何を求めるのかは、聖書を読んで学ぶべきなのです。