大阪で明治生まれの116歳の最高齢女性が亡くなった。人間は、120歳以上は生きられないと言われている。
しかし、人はこの世で死んでも、その魂は霊界で生き続けると考えるのが宗教であり、日本の文化的伝統でもある。また、世界の主流のキリスト教などの一神教でも、死後の世界は当然とされている。
つまり、「たった一度の人生だから、手段を選ばずこの世で金持ちになり、幸福にならねばならない」と考えるのは間違いだということになる。これは、宗教的には悪魔の教えだということになる。ただし、この考えで宗教を利用して幸福になろうと考える聖職者もいる。実際、あの世を信じない僧侶や、宗教は道徳の一種だと考える牧師もいる。それでも、単純に神様や仏様の存在を信じる信者もいる。彼らは死後の裁きを考えて、この世では清貧に生きようとする。この世を救っているのは、そのような無名の信者です、宗教を問わず。
しかし、世の中には霊能力を持った人間がいる。また、そのような祈祷師、拝み屋、密教僧、巫女などに病気を治してもらったことがある人や、悪霊祓いをしてもらったことのある人もいる。また、年始・年末には縁起をかついで神社・仏閣に詣でる人は全国で何千万人もいる。しかし、死後の世界を信じると明言できる人は国民の3割程度しかいない。これは、現実の生活では物質文明の常識に従っているが、心の底では神秘的な力を認めていることを意味している。
ところが、現在の物質文明はキリスト教社会の欧米で生み出された科学・技術がその基盤となっている。現代文明は、古代ギリシア文化、ユダヤ文化、キリスト教の上に成り立っていることは学校でも教えている。つまり、現代の物質文明は精神文明の基に打ち建てられている。そして、古代ギリシアの哲学者のプラトンは、死後の世界を信じており、ユダヤ教も神の存在を認めており、キリスト教は死後の天国の存在を述べている。要するに、人間は死後の存在を信じて文明を発展させて来たことになる。日本でも、霊魂の存在を教える仏教や神道は廃れることなく続いている。
最近では、元東大病院の医師の矢作直樹が、自分の死んだ母親と降霊会で話をできたので死後の世界を信じたという例がある。また、1990年代には東大医学部出身で105歳まで生きた塩谷信男が自分の霊的体験から死後の世界を信じ、何冊かの本を書いている。ただし、養老孟などの東大医学部の教授や、故石原慎太郎などの作家は死後は虚無だと考えている。一般に、この世のエリートや富裕層は、死後の世界など考えない。よほどの霊的体験をしなければ、信仰心は持たない。
だから、イエス・キリストは「社会のエリートや富裕層は天国に入れない」と述べている。この文明社会の成功者ほど、この世の幸福にこだわり、あの世のことは考えない。宗教的には、悪魔に魂を売らなければ、この世では幸福になれない。悪魔は、「死後のことなど考えるな。この世でカネを儲けて幸福になればよい」と囁く。そのような悪魔の言葉に従う者は、精神的な修行や信仰心など持たない。悪魔に従う富裕層は、神仏を信じる貧乏人を嘲笑し、敵視する。これが、世の中の風潮になっている。
特に、キリスト教社会の欧米で資本主義が栄え、人々は悪魔に洗脳され、社会は堕落し腐敗している。その影響は日本にも及び、反キリスト教的なLGBTなどの動きが見られる。そして、AIがもてはやされ、技術による文明の危機が迫っている。コンピュータは、富の獲得の手段としてだけではなく、犯罪の道具や兵器として大きな力をもつ。さらに、遺伝子操作を通して生物学も人類に脅威を与えようとしている。
日本の霊能研究者でもあった工学博士の政木和三や医学博士の塩谷信男も、晩年には文明の危機を訴えていた。また、1917年にポロトガルのファチマに出現した聖母マリアも人類の破滅を警告していた。霊的な問題に関心を失い、この世の富と幸福を求めて、死後の世界も考えない人間は、悪魔に洗脳され破滅に向かうというのが、共通したテーマです。
この世はカネが支配する世界になっている。カネとは悪魔の小道具です。カネを得るために、悪魔に魂を売らせようとしている。あの世の生活を考えない人間は、平気で悪魔に魂を売る。しかし、霊魂の不滅を信じ、死後は天国で生きることを望む人間は、聖書や仏典を読み。清貧に生きようとする。
日本の伝統的な霊性は大きな意味を持つが、さらに、現代の欧米発祥の物質文明の腐敗と堕落に対抗するには、日本人も聖書を学ぶ必要がある。死後の世界を前提として、イエス・キリストは人々に教えを述べている。仏教や神道に加えて、キリスト教の研究が必要です。悪魔は仏教でも神道でも、キリスト教でも入り込むが、悪魔に対して最も強力な力を持つのは聖書です。
イエス・キリストは、神様への信仰心があれば奇跡を起こせると述べている。つまり、聖書を読んで神様に祈れば、病気も治り、悪霊も追い出すことができ、貧しくても満ち足りた生活を送ることができる。
神仏の大霊も威力はあるが、キリスト教の聖書は本屋で購入でき、宗教団体に入らなくても誰でも霊的な知識と能力を獲得できる。来世紀に向かって霊的な文明を樹立するために、清貧の価値を認める日本人こそ、キリスト教の聖書を読むべきです・・・
聖書を読めば、病気も治り、悪霊も退散する!