人間に、死後はあるのか否か、という基本的な問題は、まだ科学的には決着していない。これは、「心」や「魂」は、死後も存続するのか否かという問題につながる。
ただし、自分は今、生きていて、自分の心は存在することを否定するものはいない。ただし、命や心が何であるのかを理解している人間は少ない。
人間は細胞から出来ており、細胞は原子・分子から出来ていることは科学的に証明されている。しかし、原子・分子には「心」も「魂」もない。従って細胞にも「心」も「魂」もない。つまり、人間には「心」も「魂」もないという結論になる。生命とは、原子・分子・細胞の機械的な動きだと言うことになる。これが、唯物論です。つまり、人間の「心」で考えて、人間の「心」の存在を否定している。これは、狂気に近い。
だから、死体解剖を職業とする学者の中には、人間は死ねば無であり、魂などはないという者もいる。他方、人間の死ぬ場を多く経験した臨床医の中には、「魂」や「霊」、「死後の世界」の存在を考えなければ、理解できないような現象を多く見て来た者もいる。そして、そのような医師の中には、自ら降霊会に参加し、亡くなった自分の母の魂と会話を経験する者もいる。同じ大学の医学部の著名な教授でも、狂った唯物論を信奉する学者と謙虚に心霊主義を学ぶ学者に分かれる。
そもそも、イギリスでは心霊医学が認められており、中国では気功などの超能力医療が認められており、ブラジルやフィリピンには霊能力医療が行われており、また、アメリカでも祈りの効果が認められている。ヴァチカンでも、正式に「ルルドの聖水」の奇跡を認め、「悪魔祓い」という儀式も採用している。また、日本では明治維新以降、長南年恵や松下松蔵、高塚光などの霊能者が心霊的な治療を行っている。
さらに、戦前に東大医学部を卒業し、東京一の開業医となり、私的に皇族の治療も行い、自らも「手かざし」治療を実践し、特別な呼吸法(正心調息法)を生み出し、105歳まで生きた塩谷信男は、心霊研究も行い、さまざまな奇跡を経験し、降霊会も行い、自分は古代中国の「老子」の生まれ変わりであることを信じていた。当然、霊界の存在を信じていた。日本の皇室が超能力治療に頼ったよおうに、イギリスの王室も霊的治療を信じていた。
要するに、「霊」が存在し、人間の生命に影響を与えることは、世界の常識となっている。死体をいくら研究しても、あの世(霊界)に旅立った「魂(心)」は見つからない。
しかし、一般人は直観的に霊の存在を信じ、祈禱師や拝み屋、イタコなどの巫女の霊能者にしばしば頼り、難病の相談もしている。
答えは、宇宙物理学にある。そもそも、この宇宙が生まれる前には霊界しかなかった。霊界のエネルギーから、この宇宙、物質界が生まれたのです。だから、最新の量子物理学では科学の範囲を超えた解釈が必要になる。科学の限界は、霊界の理解によって超えられる。
霊界のエネルギーから生まれたこの世には、霊界のエネルギーも浸透する。だから、そのエネルギーとつながった人間は超能力を使えることになる。それが、心霊医療なのです。また、霊的存在は霊界から、この世にまで進出し、通常は脳の組織を利用して人体に心を生み出すが、空中や他の生物、物体に入り込む場合もある。生命は、原子・分子・細胞・臓器・身体に入り込んだ霊的エネルギーの働きによって維持されている。気功や密教、呪術やシャーマニズムは、この霊と霊的エネルギーを利用することを意味する。スプーン曲げも、その応用です。
ただし、霊界には悪霊や悪魔もいる。彼らは、人間の精神に入り込み、魂を奪おうとする。だから、悪魔に洗脳された人間は、心霊問題を嫌うことが多い。自分たちの正体が暴かれるからです。目に見えるモノだけが真実であり、唯物論が正しいと人に考えさせる。つまり、この世で重要なのはカネであり、人間は死ねば無だと人を洗脳する。最近亡くなった著名な作家・政治家もそういう考えを持っていた。逆に、悪魔は新宗教を利用して、偏った心霊知識を広めることもある。その知識に心酔した若者たちは、大きな事件を起こすこともある。最近亡くなった新宗教の教祖にも、悪魔が入り込んだような人間もいる。
しかし、ヴァチカンは霊を否定するわけにはいかない、キリスト教は霊能力を持ったイエス・キリストが出発点です。要するに、西洋の科学・技術の基盤となるキリスト教では「魂」の存在も、「心」の存在も、「死後の世界(霊界)」も認めている。仏教や神道は古いとして、欧米の科学・技術を日本は明治維新以降に取り入れてきたが、その欧米文明の基礎は、「魂」や「死後の世界(霊界)」を認めるキリスト教なのです。
それでも、一般の日本人は霊的な存在を認めている。だから、心霊主義や超能力を売り物にする新宗教はなくならない。ただし、霊には悪霊や悪魔もいる。悪魔に憑かれた人間は空中浮揚もできる。霊的エネルギーは、物質界の科学の法則を超えるからです。また、信仰心がなくても、精神の深い所で霊界につながれば、スプーン曲げなども出来るようになる。特に、疑うことのない幼児は超能力や霊能力を発揮することが多い。そのような子供の延長に、ユリ・ゲラーや宜保愛子などの霊能者がいる。しかし、多くの場合、超能力を売りものにすれば、悪魔に憑りつかれ、霊能力は失われる。新宗教の教祖に、そのような例が多い。
つまり、「魂(心)」の問題、「死後の世界(霊界)」の問題、「超能力」などの問題は、キリスト教的な知識がなければ、正しく扱えない。呪術や気功などにも悪魔が入り込むが、それらから人間を守ってくれるのはイエス・キリストや天使、善霊なのです。仏教や神道の大霊も悪霊に対抗できるが、一般人には敷居が高い。
聖書では、霊的なイエス・キリストの言葉が記載されているが、牧師や神父の中には、奇跡の記述は「たとえ話」だとして無視し、単なる道徳の教えがキリスト教だと考えるものいる。キリスト教会にも悪魔が入り込んでいる。ましてや、2千年の歴史もない新宗教は悪霊が入る込む隙が多い。
それでも、一般人が簡単に入手できるのは聖書です。そして、聖書を読んでイエス・キリストの霊的な言葉を理解できれば、誰にでも奇跡が生じる。病も治るし、スプーン曲げも念力でできる。カネが無くても、安全に生きていける。
人間の命と心を生み出しているのは、身体に入った霊的エネルギー(魂)であり、魂は身体の死後、死体と物質界を離れて霊界に帰る。これが、真実です。
だから、聖書を読んで霊能力を高めれば、カネがなくても救われるのです・・・