日本の総世帯数、約5千500万のうち富裕層は約500万世帯、中流/下層は約5千万世帯だと思われる。つまり、日本の社会の富裕層は約10%です。
(アメリカでも、上位10%の世帯が米国の富の72%を保有している。)
イエス・キリストの教えによれば、「富裕層は天国に入れない」。従って、日米共に国民の10%は、死後、天国に入れない。ただし、天国に入った貧乏人も、いつまでも天国に留まれる保証はない。やはり、死後も神様と隣人への愛がなければ、天国には永住できない。しかし、まずこの世で「富裕層ではない」ということが、死後、天国に入れる資格になる。日米共に、国民の90%は、天国に入れる資格がある。しかし、天国で十分に認められるほど貧しくなるのも簡単ではない。
逆に、この世で生活に不安な人、カネがなくて苦しむ人、貧乏生活を強いられている人は、死後、天国に入って、その魂は平和で満ち足りた生活を送れることになる。(従って、貧しい母子家庭、生活保護受給者、ホームレス、最底辺の低所得者などは確実に死後、天国に入れる。)
そもそも、人間の魂が何度もこの世に生まれ変わるのは、「修行」のためだと言われる。その「修行」とは、貧しい生活をするということなのです。もし、富裕層の人生を生きれば、自分より貧しい人を無視し、利用し、支配することになる。法律に違反しなくても、キリストの教えに照らせば、つまり、宗教的には罪深い生活をすることになる。これでは、人間性を成長させるための修行にならない。
もし、富裕層が死後、天国に入れるなら、イエス・キリストは「富裕層も貧乏人も関係ない。私を信じれば天国に入れる」と述べたはずです。
そもそも、カネや富を求めるのは、自分を物質的に幸福にするためです。カネや富を得るには、他人を出し抜き、上手を取り、時には騙し、裏切り、他人を不幸に追いやり、又は、他人の不幸を黙殺することになる。そして、競争に勝ち富や地位を得るには、悪魔に魂を売ろうとする。これは、「全力で神を愛し、隣人を愛せ」というイエス・キリストの教えに反するものです。無意識であろうが、富裕層は天国に入る条件を失っているのです。
だから、自分が富裕層でないのは、むしろ喜ぶべきなのです。少なくとも、死後は天国に入る条件を満たしているのです。
しかし、野球や将棋などの才能があり、プロとなって高額の報酬を得るのは、特に、イエス・キリストによって禁止されてはいない。ただし、「得た金を貧しい人に与えなさい」とイエス・キリストは述べている。つまり、高い報酬を得ても、それを自分の財産にするな、ということです。
こういうわけで、本当のキリスト教徒とは、貧しい生活をしている人なのです。だから、形だけでも、神父や牧師、修道士、シスターは質素な生活スタイルを取っている。いくら、「神様やキリストを信じています」と言っても、富裕な生活をしていれば、死後は地獄に行くことになる。これが、イエス・キリストの教えです。
ただし、明治維新以降、日本は豊かな欧米の宗教としてキリスト教に接して来たので、キリスト教とは富裕層の宗教だと勘違いしている人もいる。本来、キリスト教とは貧者のための宗教なのです。貧しい人間が、大学で高度なキリスト教の論理や教義を学べるはずがない。従って、宗教論や宗教的哲学などは、本当のキリスト教とは無縁なのです。そして、西洋哲学の出発点のプラトンやソクラテスも「貧しい人は、死を恐れることはない」と述べている。死後も、魂は存続し、貧乏人は死後の世界(霊界)から天国に入れるというのが、現代文明の基礎となった古代ギリシア文明でも、イエス・キリストの教えでも共通の認識なのです。
現代日本でも、心霊主義やスピリチュアル、新宗教がそれなりに影響力を持っているが、心霊的なものの根幹は、「この世で貧しく生きて、死後は天国に入れ」というイエス・キリストの教えなのです。貧しい生活をしていても、神様やイエス・キリストの教えを信じ、その教えに従って生きてていれば、神様が守護霊として天使の霊を送って助けてくれるものです。
実際、富裕層となって傲慢となった人間は、神様やイエス・キリストの教えを信じ、その教えに従って生きることはない。死後の天国での幸福を信じて貧しい生活に耐えた人間は、この世でも天使の守護霊に助けられて生きることができる。つまり、「世の中の問題はカネで解決するのではなく、愛と信仰で解決すべき」というのが、結論なのです。
貧しい人が、聖書を読めば、コロナなどの病気にも打ち勝つことができる。これが、イエス・キリストの教えの威力なのです。カネより、聖書が尊い。このブログを読むだけでも、一歩、救いに近づくはずです・・・・