キリスト教/聖書には、神様は腐敗・堕落した町を亡ぼされようとしたが、アブラハムが必死で神様の怒りからその町を救おうとしたという話がある。
23 アブラハムは近寄って言った、「まことにあなたは正しい者を、悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。
24 たとい、あの町に五十人の正しい者があっても、あなたはなお、その所を滅ぼし、その中にいる五十人の正しい者のためにこれをゆるされないのですか。
25 正しい者と悪い者とを一緒に殺すようなことを、あなたは決してなさらないでしょう。正しい者と悪い者とを同じようにすることも、あなたは決してなさらないでしょう。全地をさばく者は公義を行うべきではありませんか」。
26 主は言われた、「もしソドムで町の中に五十人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべてゆるそう」。
27 アブラハムは答えて言った、「わたしはちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。
28 もし五十人の正しい者のうち五人欠けたなら、その五人欠けたために町を全く滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに四十五人いたら、滅ぼさないであろう」。
29 アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに四十人いたら」。主は言われた、「その四十人のために、これをしないであろう」。
30 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしは申します。もしそこに三十人いたら」。主は言われた、「そこに三十人いたら、これをしないであろう」。
31 アブラハムは言った、「いまわたしはあえてわが主に申します。もしそこに二十人いたら」。主は言われた、「わたしはその二十人のために滅ぼさないであろう」。
32 アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。わたしはいま一度申します、もしそこに十人いたら」。主は言われた、「わたしはその十人のために滅ぼさないであろう」。
33 主はアブラハムと語り終り、去って行かれた。アブラハムは自分の所に帰った。
(創世記第18章)
腐敗・堕落した町にも10人の善人がいれば、神様はその町を亡ぼさないと約束されたのである。
今の世界の文明も腐敗・堕落していることは明らかです。神様が怒って、この人類文明を破壊しようとするかも知れない。実際、アブラハムのような神様が認める義人/信仰者がいなければ、人類は救われないかも知れない。さらに、必要な数の善人がいなければ、神様は決心を変えないだろう。
4千年前のアブラハムの時代から、人類は神様の怒りを招くほど腐敗・堕落していたことになる。2千年前には、神様はイエス・キリストを世に派遣して、人類を救おうとした。しかし、神様が人類に与えられた猶予期間は、この21世紀で尽きようとしている。聖母マリアは、20世紀の始め、第一次世界大戦の頃からポルトガルのファチマなどに出現して、その警告を与えてきた、というのが神学です。
しかし、悪魔に支配された社会に生きる人間は、この意味を真剣に考えない。いや、人類全体がカネという名の悪魔に支配され、カネによって洗脳され、カネを神様だとして崇めている。つまり、多くの人間は悪魔を神だとして拝んでいるのが現状です。そして、そのような人間を見て、神様は人類文明を破壊しようと考えておられる、と考えるのが神学です。
日本の神道や仏教でも多くのカミや菩薩などを崇拝しており、霊能者や祈祷師・拝み屋も力のある霊を敬っているが、この宇宙と人間界を作られたキリスト教の唯一/絶対の神様は、それとは桁違いの霊能力を持っており、人類の文明全体を破壊する力を持っている、というのが本当の神学です。
基本は、今の人間世界を支配しているのは悪魔だと言う認識です。悪魔はカネで人間を堕落・腐敗させ、人間はカネのためにはその魂を悪魔に売ろうとする。そして、死後はそのような人間を地獄に連れ込もうとする。余りに多くの人間の魂が地獄に落ちるのを悲しんだ憐み深い聖母マリアが、人間に警告するために天国からやってきたというのが、本当の神学です。いずれにしても、21世紀は人類にとって試練の世紀になる。
日本が、来るべき第三次世界大戦や自然大災害の被害から守られるには、アブラハムのような義人と必要な数の信仰者が必要です。
つまり、カネのために悪魔に魂を売るようなことのない人間が必要なのです。
実際、イエス・キリストは「金持ちは天国に入れない」と述べており、その聖書の言葉を信じて貧しい生活をする人間が必要なのです。特に、カネは地位や社会的成功に伴うものであり、富裕層とエリートは悪魔に魂を売った人間の代表だということになる。悪魔の支配する社会で成功した人間は、最後には悪魔の奴隷になり、神様に敵意を抱き、義人や信者を迫害する。これが、過去の人類の歴史であり、現在も続いている神様と悪魔の戦いなのです。誰もが悪魔に魂を売ってカネを求めるようになれば、もはや、神様は人間を助けない。文明は崩壊する。これが、真の神学です。
日本人でも、世の中は善と悪の戦いの場だと言うことは理解できる。ただし、悪とはカネのことであり、カネは悪魔の化身であり、カネを求めることや豊かな生活を求めることは、魂を悪魔に売ることを意味する、という教えは、現代日本人には受け入れがたい。カネが無ければ生活はできない。世の中はカネで動いている。世の中の問題はカネで解決できる。地獄の沙汰もカネしだい、という考え方に日本人はされている。しかし、カネは悪魔の別名だというのがイエス・キリストの教えなのです。「人は、神と富に兼ね仕えることはできない」というのが、イエス・キリストと聖書の教えなのです。
カネがなくても、神様の教えに従って生きれば、神様が助けてくれる。貧乏人は、死後、天国に入って永遠の命を得ることができ、天国で幸福に生きる、というのが真の神学なのです。富裕層やエリートは、死後、地獄に落ち、神様が悪魔や地獄を亡ぼされるときに、彼らも一緒に滅びるのです。この単純な教えが純粋のキリスト教です。
つまり、「カネを捨てて、悪魔と戦え」というのがイエス・キリストの教える神学なのです・・・
そして、「この世で人の命を奪うことしかできない悪魔ではなく、あの世で悪魔も地獄も滅ぼすことのできる神様を恐れよ」というのが、イエス・キリストの言葉です。