2022年2月16日水曜日

神様への祈り方とは・・・過去2千年にわたって、欧米を中心に証明されてきた「祈り」とは?

富士山

イエス・キリストは、神様への祈りの言葉を教えています。

マタイによる福音書 - 第6章 
9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
13 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

これは、どんな仏教のお経や、神道や新興宗教の文言より、魂の安定に効果がある。なぜなら、神様を「天の父」と呼びかけることを教えているからです。父は子を見捨てることはありません。神様から、絶対的な愛情が期待できることを意味しているのです。

そして、このように祈る人は「神様の認めるキリスト教徒」として、自信を持って生きることができるのです。

ただし、教会が公認するわけではないが、教会の方が神様に認められないことになる。なぜなら、イエス・キリストは、キリスト教徒の条件など定めなかったからです。これは、仏教についても同じです。教会や寺院、神社は本来、全ての人に開かれているべきものなのです。だから、教会、寺院、神社に誰が入っていっても不法侵入などとは言われない。本来、本当の宗教は、全ての人に開かれたものだからです。(ただし、窃盗などを目的として侵入する悪人は、神様の怒りを買う。信徒も怒る。警察も怒る。もっとも、ホームレスなどの侵入は特別に許されるはずです・・・神様は憐れみ深い方だから。それでも、悪魔がホームレスの人を利用する場合もあるので、人間には人間を裁くことはできない。)逆に、教会、寺院、神社を自分の財産のように扱う牧師、僧侶、神主、教団幹部は信用できない。「宗教への信仰」ではなく、「神様への信仰」がポイントです。

新興宗教でも、教祖が霊能力を発揮すれば、信徒は教祖を信用する。しかし、人間である教祖には、その霊能力を完全にコントロールすることはできない。一方、「神の子」であるイエス・キリストの教えは完全です。従って、「神の子」イエス・キリストの教える「祈り」には完全な力があるはずです。実際、キリスト教では「祈りの力」というものが重視されている。教会とは祈りの場だと定義できる。祈りのないキリスト教徒の集まりは、考えられない。経典をとなえない仏教の僧侶が考えられないように、祈りを行わないキリスト教徒はありえない。事実、イエス・キリストは具体的な「祈り方」についても教えています。

マタイによる福音書 - 第6章
5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
6 あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。
7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。
8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

つまり、教会にいかなくても、神に祈る者は「キリストと神様を信じる者」として、イエス・キリストと神様に認められることになるのです。

ただし、見えない世界には悪霊や悪魔がいる。彼らは、宗教人が真に神様に従うことのないように、干渉してくる。だから、教会組織、神社仏閣、教団などの幹部は、悪霊や悪魔の攻撃の対象になる。この攻撃とは、牧師、僧侶、神主、教団幹部に欲の心を起こさせ、表面上は道徳的に振る舞いながら、心の中では出世欲、物欲、情欲、利己愛などを持つようにさせることです。このような悪魔との戦いを2千年間続けてきたのが、伝統的なキリスト教、仏教、神道などです。新興宗教の教祖は悪魔と戦って教団を立ち上げても、いつかは悪魔の狡猾な罠にはまって教団が腐敗・堕落・狂信化することもある。だから、千年、二千年という試練を経ていない新興宗教には注意が必要なのです。

ただし、2千年の歴史を持つキリスト教ですら、悪魔の企みによってさまざまな問題を起こしている。2千5百年の歴史のある仏教でも、すでに、江戸時代に幕府から優遇されすぎて堕落していた。一番悲惨だったのは、昭和の戦前の天皇神道だった。この強制的国民宗教のせいで、第二次世界大戦では300万人以上の日本人が戦死したのです。

宗教があってもなくても、悪霊や悪魔は人間を攻撃し、誘惑し、支配しようとする。それでも、悪霊や悪魔と戦うには宗教の教えが有効なことは多い。さらに、直接、神様を信じることで、悪霊や悪魔から守られる。ただし、宗教的・霊的な天災でもない限り、ゼロから、無から神様に近づく方法は分からないものです。やはり、2千年の実績と伝統のあるキリスト教や仏教を手掛かり、足がかりするのが安全なのです。そこで、聖書や仏典を自分で勉強することが重要になる。

どんな、宗教家でも死ぬ。ただし、神様を信じている本当の宗教家は、霊的には死なない。「魂」が、或いは、「心」や「意識」がこの世からあの世に移るだけです。むしろ、霊界はこの世より神様に近い。だから、本当の宗教家は死を恐れないのです。それでも、この世でなすべきことを達成する前に、この世を去るのは残念なことです。死は、決して祝うべきことではない。

この世に生きている限り、誰でも不服を持ち、不幸に遭い、不運に見舞われる。人間には限界がある。しかし、「人間には不可能なことでも、神にはできる」とされています。全知全能の神様に、人が頼るのは当然なのです。多くの人間が、「困ったときの神頼み」で、困ったときは神様に願をかけます。特に、神様を愛し、信じる者は「祈り」と言う形で神様の助力を求めるべきなのです。

そして、救世主イエスは、2千年前に「祈り」の方法を、親切にも教えておられるのです。この「祈り」が有効なことは、過去2千年にわたって、欧米を中心に証明されているのです・・・