聖書では、イエス・キリストは多くの「たとえ話」を語っている。
その中でも、特に、カネ持ちを批判するものが重要です。他の宗教の聖典の中で、「金持ち」を直接批判するものは少ない。
ルカによる福音書 12 新共同訳
16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
17金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、
18やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、
19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』
20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
神様は、無条件に金持ちを嫌っておられる。これが、イエス・キリストの教えです。
なぜなら、人がカネを得るためには、必ず悪魔に魂を売るからです。悪魔に魂を売り、この世の悪を受け入れなければ、人間は1円、1ドルも稼ぐことはできない。カネがなければ、この世で幸福にはなれない。自分の欲を満たし、やりたいことをすることもできない。そして、悪魔に逆らえば、悪魔の手先に攻撃され、社会から排除され、出世もできず、会社や役所に採用されず、ビジネスも成功せず、不幸になる。逆に、悪魔を神と崇めれば、社会で成功し、地位と名声を得て、富を獲得できるような仕組みに社会がなっている。つまり、この社会は悪魔の支配下にある。
「たった一度の人生だから、この程度の悪は受け入れてでも、カネを得て、成功し、幸福になって当然」と、考えるように、人々は悪魔に洗脳されているのです。
この世で幸福になるには、社会的に成功し、富を蓄えなければならない。そのために、弱者を無視し、人に不親切にし、正義や隣人愛にも目をつむり、真理を軽んじ、権力者や富裕層に追従し、愛と真理を求め、神の教えに従う者を攻撃、黙殺する。これが、悪魔の支配する世界です。このような人間は、死後、地獄に落ちる。しかし、悪魔は誰でも死後は霊界で幸福に暮らせると人々を洗脳する。または、死ねば無しかないと洗脳する。この世で幸福を求めるのは当然である、というのが悪魔の教えです。そのために、人は金持ちになろうとする。だから、神様は金持ち、富裕層を無条件で嫌われるのです。
神の言葉を信じ、愛と真理を追究し、善と正義を愛する人間は、カネ持ちにはなれないのです。神様は、そのような貧乏人を愛されるのです。
確かに、人は誰でも死ねば霊界で死後の人生を生きる。ただし、霊界の天国に入れるのは貧乏人なのです。金持ち、エリート、権力者、成功者、有名人、幸福な人間は天国に入ることはできず、邪悪な本性が発揮できる地獄に、自ら行くのです。
たとえ、宗教人、霊能力者であっても、社会で成功し、豊かな生活を送るには悪魔に魂を売ってカネを得なければならない。従って、牧師、僧侶、霊能者であっても、そのような人間は神様に嫌われ、天国には入れない。
イエス・キリスト以来の最大の霊能力者、18世紀のスウェーデンボルグは、詳細に霊界の地獄について語っている。地獄では、カネ持ちはこの世で隠されていた凶悪性をむきだしにして生きるが、彼らは悪魔に支配され、悪魔を恐れて生きている。しかし、神様はいつでも悪魔と地獄を亡ぼすことができるのです。
他方、天国に受け容れられた貧乏人は、天国で神様に愛され、幸福に生き、永遠の命を与えられるのです。
この世の金持ち、富裕層はあの世で地獄に入る。この世の貧乏人は、あの世で天国に入り、幸福な人生を送るのです・・・
これが、救世主イエス・キリストの教えなのです・・・
キリスト教とは、本来、「貧乏人に死後は天国に入って幸福に生きることができる」のを教える宗教なのです。死後、天国で幸福に生きるには、この世で悪魔の教えを拒否し、貧しい生活を来ることが必要なのです。キリスト教のローマ法王、牧師、神父などは、世界で一番貧しい人間でなければなないのです。この世で最も貧しい人間は、死後は、天国でどんな金持ちよりも高く評価されるのです。だから、貧しい人間はイエス・キリストの教えを学ぶべきなのです。