東京駅前
イエス・キリストを信じるとは、死後の世界を信じることです。
ヨハネによる福音書 - 第14章あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
3 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
4 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。
5 トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。
6 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
7 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。
死の恐怖は誰にでもある。
しかし、全ての宗教は、死後の世界を保証している。
特に、キリスト教は天国と地獄の存在を強調する。
死後の世界が保証されれば、人生の問題の半分は解決する。ただし、あの世には天国と地獄がある。ここで、善悪と死後の世界が結びつく。即ち、善人は天国に行き、悪人は地獄に行くのです。この善悪と死後の世界の関係を重んじるのが、イエス・キリストの教えの中心です。
さらに、善悪とは貧富の差で表されるというのが、イエス・キリストの教えの核心になるのです。ここで、多くの宗教の専門家がつまずく。或いは誤解し、曲解し、キリスト教自体を無意味なものとしている。
善良な人間、他人に優しい人間、慈愛に満ちた人間、親切な人間は、厳しい競争に勝って人を支配し、富を蓄えることができない。つまり、神を愛する人間は利己的に富を追求し、富裕層になることはできない。従って、彼らは貧しい生活を強いられ、不幸な生活を送る。ただし、そういう人間を神は愛され、死後は天国に受け容れる。
この世で貧しい人間は、善良な人間だと判断され、死後は天国で幸福に生きることができる。これが、イエス・キリストの愛なのです。
他方、邪悪な人間、他人に冷酷な人間、人を苦しめて喜ぶ人間、不親切な人間は、この世の競争に勝って人を支配し、富を蓄える。つまり、神を嫌う人間は利己的に富を追求し、富裕層になる。従って、彼らはこの世で豊かな、幸福な生活を送る。ただし、そういう人間を神は憎まれ、彼らは天国の光に耐えられず地獄に行く。
この世で豊かな人間は、邪悪な人間だと判断され、死後は地獄で生きることになる。これが、イエス・キリストの教えなのです。
日本などでは、国民の30%は、貧困層です。30%は、準富裕層・富裕層です。40%が、中間層になります。しかし、中間層の大部分も貧困層に落ちる恐怖を持って生きています。準富裕層・富裕層以外は、イエス・キリストの教えを学ぶべきなのです。特に、イエス・キリストは貧困層の人間には、死後の天国を約束しているのです。この世の富を捨てることで、死後の幸福が約束されるのです。この世の人生はたかが100年程ですが、人の死後、その魂は永遠に霊界で生きるのです。イエス・キリストの教えを信じるべき理由は、このことからも明らかです。
さらに、イエス・キリストの教えを信じれば、この世の貧しい生活でも、霊的、精神的に救われるのです。善良で貧しい生活を送っている人は、イエス・キリストの教えを信じれば、死を恐れることもなく、この世で神様の霊的、精神的な愛と光によって救われるのです。
しかし、人間を地獄に入れようとする悪魔は、富とカネで人間を誘惑し、神様よりもカネの力を信じさせ、カネが万能であると洗脳し、この世の物質的な幸福を求めさせ、神の愛の光から遠ざかるようにさせるのです。
つまり、この世の富裕層、エリート、上流階級、成功者は、この世で幸福な生活を送った後、死後は、神の愛の光を嫌って自ら地獄に行き、その隠れた邪悪な本質をむき出しにして地獄で生きるのです。その恐ろしい地獄の様子は、18世紀の霊能者のスウェーデンボルグが詳しく語っています。
イエス・キリストだけではなく、古代ギリシアの哲学者ソクラテスやプラトンも、善人は死後を恐れることはないと語っています。そして、貧乏人は死後を恐れることはないというのが、神様の子、イエス・キリストの教えなのです。