2024年2月12日月曜日

日本の清貧主義とキリスト教は同じ!!

 
富士山

イエス・キリストの言葉に、現在の物質文明を否定するものがある。

だから、あなたがたは、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い煩ってはならない。 」(マタイによる福音書 6:30~31)

極端に言えば、「贅沢を言うな」ということです。そして、次のように続けている。
何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる

要するに、「生活より信仰が大事」ということです。

これを、霊的に解釈すると、いずれ人間は死ぬ。何を食べようが、何を飲もうが、何を着ていようが、人間は必ず死ぬ。そして、死後も魂は生き続ける。この世の幸福は、死後の幸福を意味しない。死後に幸福に成るには、生きている間に神様への信仰を深めておくしかない。その信仰を妨げるのは、物欲、食欲、名誉欲、性欲などです。このような欲望はカネで満たすことができる。そこで、人々はカネを神だとして崇める。カネは悪魔の別名なのです。だから、イエス・キリストは金銭欲を煽る食欲や物欲を禁じているのです。

しかし、現在の物質文明では、「不確かな死後のことより、今の生活を充実させるべき」という考えが主流になる。キリスト教国の欧米でも、非キリスト教国の中国でも、この考えが主流になっている。だから、経済重視の世界になる。拝金主義がはびこる。カネは世界の宗教になっている。そして、カネの本当の姿、悪魔を崇拝する世界になっている。

人が、旨い料理や飲み物、カッコのいい衣服を求めるのを見て、悪魔は笑っている。欲を満たすにはカネが必要であり、カネを得るには悪魔に魂を売らなければならない。カネを求める人間は、神様の教えを無視するようになる。いや、神様を憎むようになる。それが、悪魔の狙いです。しかし、悪魔に魂を売った人間は死後、地獄に行く。罰として行くのではなく、自ら進んで行くようになる。つまり、旨い料理や飲み物、カッコのいい衣服は地獄への第一歩です。この真理を理解し、イエス・キリストの教えに従うのが本当のキリスト教です。

つまり、この世での死は本当の終わりではない。死後は、霊界での生活が待っていることを信じる心が必要です。ただし、信仰心のない人間が霊界の存在を信じても、この世での欲を捨てるわけではない。「この世で幸福、あの世でも幸福」という誤った観念を持つことも多い。悪魔も、「この世で幸福、あの世でも幸福になれる」と教える。だから、仏教、神道、新興宗教を信じていても、物欲を捨てない人間は多い。

神様の子であり、救世主であるイエス・キリストは明確に、「金持ちは天国に入れない」と述べている。全ての宗教の中で、このような宣言をした教祖は他にいない。曖昧な表現で欲望の禍を述べる宗教は他にもあるが、これほど、明快に「金持ちは死後、地獄行き」と述べた宗教家はイエス・キリストの他にない。聖書は、そのようなイエス・キリストと悪魔の戦いを述べた書物だと言ってもいい。

悪魔の誘惑は、人間の食欲や物欲、名誉欲につけこむことから始まる。究極的には、幸福を求める人間の欲につけこむ。そして、自分の夢を実現するという欲を満たすためには、不幸な他人、貧乏な他人、不運な他人を無視するように教える。現在でも、都心のサラリーマンはホームレスを無視して職場に急ぐ。これこそ、悪魔の喜ぶ風景なのです。

しかし、キリスト教を名乗る以上、教会は貧乏人を無視できない。これが、欧米の慈善、チャリティ、民主主義、人権活動の出発点なのです。同情心以上に、死後の天国と地獄がかかった問題なのです。

日本の伝統でも、優れた僧侶や修行者は粗衣粗食に甘んじる。清貧主義は今でも尊敬されている。日本の精神的伝統はイエス・キリストの教えに近いのです。日本の清貧主義を実践すれば、キリスト教と同じ霊的効果が得れるのです。仏教や神道の神仏を信じていても、清貧主義者は天国に入れるのです。

それでも聖書を読むのが、救われる近道なのです・・・