死は存在しない。イエス・キリストは、自分を信じる者は、死後も魂は生き続けると述べている。
ヨハネによる福音書 第 11 章25 イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。
26 また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
日本の宗教でも、死後の世界があることは述べているが、イエス・キリストは信仰心を問題にしている。つまり、信仰心がなければ、死後の世界は無意味だと言うことです。
世界中の心霊主義者が参考にする18世紀の霊能者スウェーデン・ボルグは、生きているまま、死後の霊界を見聞した。スウェーデンからロンドンに来たスウェーデンボルグにある日、イエスが現れて、「私は創造主であり、人類の主であり、キリストである。お前に霊界を見せよう」と言ったとされている。スウェーデンボルグは、その体験を「霊界日記」などに記した。つまり、信仰者のみに許された特権だと言える。その後、欧米ではさまざまな霊能者が現れて、霊界との通信を行うようになる。20世紀のイギリスの心霊治療の大家ハリー・エドワーズも霊の付けを借りて病気の治療を行ったが、彼も信仰心が篤かった。
しかし、現代科学の発展に伴って、欧米でも死後の世界に対する信仰は失われていく。それを復活させたのが、エリザベス・キュブラー・ロスやレイモンド・ムーディです。日本でも臨死体験が注目され、宜保愛子などの霊能者の出現によって、平成時代になってからも心霊主義が注目されるようになった。死後も、人間の霊魂(心)は生き続けることは常識になりつつある。
しかし、「たった一度の人生だから、どんなことをしてでもカネを儲けて幸福に成れ」という間違った考えが世の中にはびこっている。これは、悪魔の囁きです。悪魔の教えに従った者は、死後の世界を否定する。又は、死後もこの世と同じように幸福に成れると考えている。臨死体験で地獄を見たという者は少ない。しかし、それは霊界の入り口であり、やがて、死者の魂は天国へ行く者と、地獄に行く者に分かれる。
イエス・キリストは「富裕層やエリートは自ら地獄に行く」と述べている。スウェーデンボルグも「神の愛と光を嫌ったエリートは自ら地獄に行く」と書いている。むしろ、臨死体験で神の光を見た人間は、もはや富裕層やエリートになろうとはしない。
生死の問題より、善悪の問題が重要だというのが、イエス・キリストの教えです。なぜなら、悪人の魂は死後、霊界の地獄に行き、そこで最後には、魂は滅ぼされるからです。それは、第二の死であり、永遠の死なのです。
要するに、この世でエリートや富裕層になれば、あの世で地獄に落ち、悪魔の支配を受けるのです。悪魔は手下を増やそうとしており、地獄の人間を増やそうとしている。そのために、悪魔はカネに姿を変えて人間を誘惑し、欲望を刺激し、堕落・腐敗させようとしている。この世で幸福になるにはカネが必要だと思わせ、カネのためには悪魔に魂を売る人間を増やし、最後には死後、彼らに霊界の地獄を選ばさせるのです。
死後を信じないのは、信仰心のないせいだが、死後の霊界で地獄を選ぶのは、生きている間にカネに洗脳された人間です。だから、イエス・キリストは、まず信仰心を持てと言っているのです。そして、富裕層は地獄に落ちると教えているのです。これは、現在の社会常識に反したことですが、それでも、イエス・キリストの教えは、現在の物質文明の基盤になっているのです。
しかし、イエス・キリストが出現してから2000年たった今、多くの人間がイエス・キリストの教えを無視するようになったので、人類は悲劇に直面しようとしている。これが、現在の世界の実相です。
死を恐れないのは信仰心のある人間か、悪魔に魂を売って死後も幸福に生きれると考える悪魔の手先です。しかし、死後、霊界で救われ、天国に入るのでなければ、死後の命の意味はない。霊界にも悪魔や悪霊がいて、この世の人間を惑わそうとしている。「にせキリストに警戒せよ」とイエス・キリストも言っている。信仰心のない心霊主義者は、死後に地獄に行く。悪魔の手先となった心霊主義者もいる。スピリチュアリズムに関心を持つだけでは無意味です。死後、天国に入らなければ、無意味なのです。だから、心霊主義に関心をもてば、必ず、聖書を研究する必要があります。
むしろ、聖書を読んでイエス・キリストの教えを信じた者こそ、死を恐れる必要がないのです。ただし、死後の霊界の存在を信じない牧師もおり、キリスト教会にも悪魔は入り込んでいる。まず、自分で聖書を読み、霊能力を高めることです。そうすれば、天から守護霊が来て守ってくれるのです・・・