2022年5月15日日曜日

危機の21世紀を切り抜けるための教えとは・・・

 

「死後も人の魂は存続し、人の意識/心は消えない」、ということは、本来、小学校で教えるべきことなのです。

これほど、基本的で重要なことはない。しかし、「人の魂は死後も消えない」というのは、単なる宗教的な教えであって、学校で教えることではない、とされている。

宗教界でも、ローマ法王が「人の魂は死後、霊界で生きる」と宣言することもないし、仏教の高僧が「霊魂は不滅だ」とも言わない。死後の世界を信じるのも、信じないのも個人の自由だ、というのが世の中の常識になっている。

しかし、「死後も人の魂は存続する」というのが世界の常識になれば、人類は死の恐怖から解放され、その他、諸々の恐怖からも解放される。例えば、死の脅迫も意味をなさくなる。

「死後も人の魂は存続する」というのはキリスト教でも、仏教でも、西洋哲学でも、その教えの基本となっている。

イエス・キリストは、「人は死んで霊界に入る」ことを前提とし、その上で人は天国に行く者と地獄に行く者に別れると述べておられる。仏陀は、「人の魂は輪廻転生を繰り返し、何度も人生の苦しみを味わう」という問題を解決しようとした。西洋哲学の原点のソクラテスもプラトンも「霊魂の不滅と、霊界の存在と神の世界の完全性」について述べている。要するに、人類の最高の偉人は全て「死後も人の魂は存続する」ということに気が付いていたのです。

日本神話や古事記も霊界の存在を出発点とし、万葉集では霊感に従って読まれた歌が多く収められており、源氏物語などは、故人の霊魂と生きる人間の霊的な係わりを語っている。日本に来て日本が霊性を重視する国だと発見したのが小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーンであり、夏目漱石もイギリスの霊界に関係した文学の影響を受けている。芥川竜之介、川端康成も霊的問題に大きな関心を示した作家だった。要するに、日本文化の根底には「人は死んで霊界に入る」という認識があった。日本人、一般の伝統的な宗教意識も先祖の霊が霊界に存在するとの縄文時代以来の死生観に根差している。

しかし、霊界には悪魔がおり、地獄がある。臨死体験をして霊界をかいま見た人は「霊界は天国だ」と述べているが、それはまだ霊界の入り口の精霊界であり、本当の霊界に入れば、天国と地獄の分かれ道に立たされ、神の光と愛を嫌う者は自ら地獄に向かう。生きている間にも、人間が無暗に霊能力を持ったり、霊界に接近すると、悪魔や悪霊、地獄の影響を受ける。キリスト教や仏教などの宗教は、そのような地獄の勢力から人間を守るものでもある。実際、仏陀も悪魔の攻撃を何度も受けたし、イエス・キリストは悪魔の手にかかって十字架上で刑死した。18世紀の霊能者スウェーデンボルグも、悪霊は常に人間を破壊しようとしていると警告している。

悪魔は、できるだけ多くの人間の魂を地獄に連れ込もうとする。人間が死後の世界を信じようが、信じまいが関係ない。人間を物質文明で堕落・腐敗させ、悪魔に魂を売らせるというのが悪魔の手段です。さらに、霊感を持った霊能者の心に入り込み、彼らを洗脳して無意味な新宗教を立ち上げさせ、最終的にその信者ともども地獄に引き込もうとする。たとえ、「死後の世界や霊界があっても、地獄に行くことになれば、そこで最終的に神様によって魂も消滅させられる」のです。これが、イエス・キリストの教えです。

つまり、悪魔や地獄に対する警戒心のない霊的知識や霊感、霊能力は無意味なのです。たとえ、「死後の世界は存在する」が世界の常識になっても、死後、霊界から地獄に落ちるような人間ばかりになれば、霊界での生は無意味になり、しかも、最終的には地獄で第二の死、本当の魂の消滅を経験しなければならなくなる。

しかし、古代には、霊と霊界の存在は常識であり、人々は素朴に神様を恐れていたのです。ところが、悪魔がカネで人々を洗脳し、人々は神様を恐れなくなり、経済、物欲、この世での成功にこだわり、悪魔に魂を売ってでも物質的な幸福を得ようとするようになった。富裕層は、死後の世界とは、単なるこの世の延長だととらえている。だから、世界一富裕なアメリカでも、国民の3分の2が死後の世界を信じていながら、悪や犯罪はなくならない。日本でも、悪魔に魂を売ったような新宗教の教祖は多い。彼らは、「この世でカネ持ち、あの世でもカネ持ち」の生活を送れると考えている。これでは、死後の世界の知識も無意味です。しかし、「この世の金持ちは、死後、地獄に行く」とイエス・キリストは宣言している。

実際、この世は悪魔が支配している。企業でも、役所でも面接試験で「この組織で神様の教えに従って善を追求します」と言えば、絶対に採用されない。「この組織のためなら、どんな悪いことでもします」という姿勢を見せなければ、採用されない。社会体制・階層は上に行くほど悪魔の支配が露骨になる。善人は、採用されないし、採用されても出世しないし、どんなに成績を上げても社長や会長にはなれない。社会の富裕層、エリート、成功者、幸福な人間で、悪魔に頭を下げない者はいない。彼らは、「悪魔を神であるとして崇めている」。悪魔はカネと権力で人々を洗脳している。カネを嫌わなければ、悪魔の影響力から離れられない。だから、イエス・キリストも仏陀も、一銭も持たなかったのです。

問題は、人々が死後の世界を信じないことではなく、悪魔に魂を売ってでも金持ちになり、幸福になろうとすることです。そして、そういう人間の魂は、死後、地獄に落ちる。そして。そういう人間ばかりになり、死後は、地獄に落ちる魂が増える一方です。これに怒った神様が人間と悪魔を罰することに決めた、というのが「最後の審判」の意味です。そして、その効果がこの世では、コロナの大感染や、ウクライナ戦争に現れている、と考えるべきなのです。

従って、「死後も人の魂は存続し、人の意識/心は消えない」ということと、「死後は貧乏人の魂は天国に入り永遠に生きるが、金持ちの魂は地獄に落ちて消滅する」ということを全ての小学校で教える必要があるのです。この教えを理解した人間が増えれば、神様の怒りも和らぎ、人類はこの危機の21世紀を切り抜けることができるでしょう・・・