神様の教えは、一言で言えば、「カネを捨てよ」す。
イエス・キリストの教えは、一言で言えば、「神を愛し、貧乏人を愛せ」です。
なぜ、これほどまでに神様やイエス・キリストは「カネ」を嫌われるのか?
これを理解することが修行であり、神学の結論です。
宗教のポイントは、人間は死後も霊となって霊界で生きるということです。何千ページもの聖書、仏典、その他、神道や霊に関係する書物のポイントは、この現象の解説です。人は死後も霊界で生きることを当然として、人間のあり方を述べたものが宗教書なのです。
カネがあれば、この世で欲望がかなえられる。そして、カネを得るために人は1つの悪を受け入れる。やがて、金額が増えるほど、人はもっと多くの悪を受け入れるようになる。やがて、「カネを得るための必要悪だ」と考えて、次々と悪を受け入れるようになる。最終的には、悪魔に魂を売ってでも大金を得て、豊かな生活と幸福を確保しようとする。貧しく不幸な他人を無視し、または、他人を貧しく不幸にしながら、自分のカネと富と幸福を確保しようとする。これこそ、悪魔の教えに従う人間の姿です。
そのような人間ばかりが集まって社会を作れば、その社会は必ず堕落し、腐敗し、破滅する。
だから、神様やイエス・キリストは「カネを捨てよ」と教えたのです。これが、人間が悟るべき内容なのです。宗教団体に入ったり、山で厳しい修行をしたり、ヒマラヤで修行僧を探したり、世界の聖地を巡礼しなくても、自分の家で聖書を読めば悟ることができるのです。
悪魔が人間を洗脳するときには、「死ねば全てが消える。たった1度の人生だから、どんな手段をとってでも、カネと富を得てこの世で幸福になろう」という考えを持たせます。そして、死後の世界や霊界を信じる人には、「この世でどんな生活を送っても、死後は素晴らしい霊界で幸福に生きれる。それなら、この世ではカネと富の力で幸福に生きて、あの世でも幸福に生きるのが正しいことだ」と教え込む。それでも、「あの世には天国と地獄がある」と考える人には、「この世でカネ持ちであった人間も、天国に入れる」と、悪魔は洗脳する。
しかし、神様は貧乏人を愛し、イエス・キリスト様は「金持ちは天国に入れない」と教えておられるのです。それは、カネを求める人間は、最終的に悪魔に魂を売るからです。
カネを求めす、神様の真理とイエス・キリスト様の愛の教えと、聖母マリアの憐れみを求めるべきなのです。これが、信仰と呼ばれるものです。そして、信仰のある者は、カネがなくても神様に助けてもらえる。これが、宗教なのです。宗教団体に入ったり、山で厳しい修行をしたり、ヒマラヤで修行僧を探したり、世界の聖地を巡礼しなくでも、自分の家で聖書を読めば、神様の真理とイエス・キリスト様の愛の教えと、聖母マリアの憐れみが理解できるのです。
ただし、現代社会は、カネを求める人間ばかりになり、人間社会は腐敗・堕落し、悪魔を神とあがめるような人間ばかりになってしまった。これでは、もはや、神様は人間社会の崩壊を防ごうとはされない。しかし、憐れみ深い聖母は何度も人間の前に姿を現し警告を与えてきたのです。
最悪、人類はカネを抱えたまま、21世紀中に大災害で亡ぶ可能性がある。これが、歴史の真理なのです。ただし、多くの人々が悔い改めれば、神様はイエス・キリストや聖母マリアをこの世に派遣して、人類が全滅するのを防いでくれるかも知れない。これが、唯一の希望なのです。
悪魔に支配されたまま、カネと富をもったまま滅びるのか、神様を信じて、貧しくとも愛の中で生き残るか、ということです。
だから、今、現実に貧しく不幸な人も、神様、イエス・キリスト様、聖母マリア様を信じて、この世で悪魔に魂を売るようなことをしなければ、死後は天国に受け入れられ、そこで永遠に幸福に生きることができるのです。「貧しき者よ、悪魔に魂を売るな」というのが、本来のキリスト教の教えなのです・・・