かつて霊能力・超能力を研究した阪大の工学博士の政木和三(まさき・かずみ、1916ー2002)は、「神も仏も、人間の願いは一切、聞き入れない。ただし、過去形で願った場合は、聞き届けられる」と語った。
同じく、霊や心霊現象を研究した医師の塩谷信男(しおや・のぶお、1902ー2008)も、「神への願いは、完了形で行うべき」と述べた。
また、イエス・キリストも「神を信じて願ったとき、願いは叶えられたと思え」と述べている。
政木和三は、ユリ・ゲラーのスプーン曲げを研究し、念力でスプーンが曲がることを工学的装置で測定し、実証したことで知られる。また、食品からの真珠の出現や、室内での木彫りの大国像の出現などを体験している。阪大の工作センターに勤務しながら、多くの発明をした技術者でもあった政木は、さまざまな超常現象に出会って、超能力や霊能力を信ずるようになった。政木は特許を3千件も取得したが、世の中の発展のために、全て無料で使用許可をした。それを神様に認められて、寿命を伸ばしてもらったという(85歳まで生きて、当時としては長命)。
塩谷信男は、東大病院に勤務していたが「手かざし」治療を行ったために医局を追われ、東京の町医者となったが、「手かざし」治療の効果で名医として評判が高かった。そして、皇族の関係者にも知られ、皇居を訪れて皇族の治療を行うまでになった(治療に感謝した昭和天皇の皇后から、自作の絵も贈られている)。同時に、彼は心霊現象にも関心をもち、降霊会なども開催し、死者との交信も行っていた。また、独自の健康法である正心調息法を編み出し、90歳代でゴルフのエイジ・シュートを行っていた。
政木や塩谷は、現在のスピリチュアリズムや心霊主義などの先を行っていたことになる。彼らは科学者・医師として生活が成り立っていたため、その霊能力/霊知識で金もうけをすることも、新宗教を起こすことも考えなかった。しかし、神仏の存在と、その威力は認めており、人間は神様の下の存在だと認めていた。現在の霊能力者よりも、敬神の念が強かった。
その二人が、共に、「神への願いは過去形・完了形で行え」と言っていたのは興味深い。イエス・キリストも同じ意味のことを言っていたのは聖書にも書かれている。
神の世界や、霊界では、その時間がこの世の時間とは異なる。この世の300年は、霊界では3時間のようであり、この世の3秒は、霊界では30日になることもある。人間の世界の未来で実現することは、霊界で既に実現している必要があるのだろう。だから、人間界の未来を変えるには、霊界の過去で実現している必要がある。つまり、「~という願いは、既に霊界で実現していました」という祈りしか、神様には聞いてもらえない、という意味だと思われる。
イエス・キリストの言葉の意味は、「人が神様に願い事をする前から、神様はその願いを承知しておられる」という、もう1つのイエスの教えと併せて考えれば分かりやすい。全知全能の神様は、人間が願い事をする前から、その願いを知っておられる。従って、「私の願いごとは、既に叶えてくださったはずです」と神様への絶対的な信頼を示すことが、神様への信仰になるわけです。だから、「神様に願って祈るときは、「それが叶った」と思え」と、イエス・キリストは仰ったのです。
「もっとお金を下さい」と神に祈るのではなく、「お金を頂いて有難うございました」と感謝の言葉を述べれば、さらに、神様はお金を与えて下さる、ということになる。
ただし、カネ以上に大事なものを与えていて下さったことに、人は気づくべきなのです。例えば、健康、家族、友人、生きがい、知識、経験、勇気などがあれば、カネがなくても人は世の中を渡っていけるものです。
何十年も前に、霊能力、超能力を研究した政木や塩谷は、輪廻転生も信じていた。政木は、かつてはアトランティス大陸で神官だったという。塩谷は、かつては、古代中国の思想家、老子だったという。人間が死ねばその霊魂は霊界に行き、再び、人間界に生まれるということを信じていたのは興味深い。
ただし、イエス・キリストは「人の生まれ変わり」については、「霊がどこへ行くのかは誰にも分からない」と述べて、言及するのを避けている。人の輪廻転生を教義の中心にすえた仏教との違いも注目すべきでしょう。
いずれにしても、貧困に苦しむ現代人も過去形・完了形で神様に願いを申し上げるのも、苦境からの脱出方法かも知れない。日本の戦後の2大霊能力研究家の言葉を尊重すべきでしょう・・・
「酷暑は終わった!」、「コロナ感染は収まった!」、「ウクライナ戦争は終わった!」、「生活に必要なカネは与えられた!」と信じて神様に祈れば、それが実現するのです!