マタイによる福音書(新約聖書)、11章28節、11章28節
「苦労して重荷を背負っている者は、みんな私のもとへ来なさい。あなたたちに休息を与えよう」
イエス・キリストは苦労の多い貧乏人を救うために、この世に来られた。それを、象徴するのがこのイエスの言葉です。
多くの人が、聖書を読んで救われたが、その中でも印象的なのが宮沢賢治(1896-1933)です。彼の「雨にも負けず、風にも負けず」の詩は知り合いの斎藤宗次郎というクリスチャンをモデルにしたものだと言われている。
「雨にも負けず、風にも負けず・・・
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロし・・・
みんなに「でくのうぼう」と言われ・・・
そういうものに私はなりたい」
多くの人が、聖書を読んで救われたが、その中でも印象的なのが宮沢賢治(1896-1933)です。彼の「雨にも負けず、風にも負けず」の詩は知り合いの斎藤宗次郎というクリスチャンをモデルにしたものだと言われている。
「雨にも負けず、風にも負けず・・・
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はオロオロし・・・
みんなに「でくのうぼう」と言われ・・・
そういうものに私はなりたい」
斎藤宗次郎は、教師だったが、日露戦争の時に内村鑑三に影響されて、不戦論を唱えて教職を追われ、新聞配達をしていたが、やがて、東京に出て内村鑑三の死に立ち会っている、
これは、富裕層・エリートと正反対の、隣人愛に生きる謙虚な人間の立場を明確にしたものです。
これは、富裕層・エリートと正反対の、隣人愛に生きる謙虚な人間の立場を明確にしたものです。
宮沢賢治が初めて東京に来た時、「霧雨のニコライ堂の屋根ばかり なつかしきものはあらざらず」という句を読んでいる。宮沢賢治は、ロシア教会にも関心があった。
また、法華経に親しんだ宮沢賢治には、霊能力があったと言われている。ある時、小さな悪霊が、賢治の乗ったトラックを崖から落とそうとしたのを見たと書いている。悪霊の他にも動物や植物の妖精も見えたと書いていて、幽霊など恐ろしくなくなったとも書いている。
霊能者であり、法華経やキリスト教に親しんだ賢治は複雑な人間だった。また、花巻の通りを太鼓を叩きながら、お題目を唱えて歩いたこともあるという奇行の人物でもあった。今の時代に生きていれば。新興宗教の教祖になったかも知れない人物だった。
しかし、賢治の思想は「みんなが幸福にならなければ、自分も幸福にならない」というものだった。そして、宗教については、「いま宗教は気休めと宣伝 地獄」と書いている。それでも、賢治は、教会組織ではなく、イエス・キリストの教えを信じ、理解していたように見える。
新興宗教に救いを求める前に、宮沢賢治の本でも読んで、この世のカネにまみれた価値観から離れた世界を知るのが、魂の休息になると思われる・・・
(参考:仏教霊界通信―賢治とスウェーデンボルグの夢 - 春風社、瀬上正仁著)