20世紀の世紀末は、1990年前後から始まった。西暦2000年をはさんだこの30年を振り返ってみよう。我々は歴史的な時代に生きているのです・・・
90年代の世界では、クェートに侵攻するイラクと、それに対抗する米軍主導の多国籍軍による湾岸戦争、ソ連の崩壊による戦後の米ソの冷戦体制の終焉が主な出来事であった。70年代に終焉したベトナム戦争以来のアメリカの本格的な戦争行為だった。戦後の平和になれた日本にとって、警告を与えるものだった。
日本は昭和天皇の崩御によって、過去の戦争の時代の記憶から脱するかのように、ハイテクブームに乗って平成時代に入ったが、行き過ぎたバブル経済の崩壊によって長いデフレ時代に突入した。1995年には阪神大震災とオウム真理教によるテロ事件によって、戦後50年間、平和と繁栄を謳歌してきた日本に警報が出された。アメリカとの間ですら、GDPで世界第二位となり、アメリカに次ぐ経済大国となった日本は、アメリカに警戒されて経済・金融摩擦を強める。冷戦後のターゲットを日本に据えたアメリカと日本が摩擦を繰り返す中で中国は、日米やEUの対中国優遇政策によって経済を延ばし、ソ連崩壊後のロシアは経済・政治の欧米化を目指すように見えた。今から見れば、90年代は嵐の前の静けさだった。
2000年代は、イスラム過激派によるアメリカ本土への9.11テロによって幕が明けた。米国はテロとの戦争を宣言し、世界は一気に緊張し、ヨーロッパでもテロが多発した。その後、ウォールストリート発の金融危機が世界を襲い、その反動でオバマが米国発の黒人大統領となった。日本でも強欲資本主義への反発から自民党が政権を失った。テロとの戦争が沈静化する中で、世界はリベラル化に向かうかのように思われた。中国は北京オリンピックを成功させ、ロシアも政治・経済で民主化を強めるように見えた。テロ、金融危機、そして、リベラル化の波の中で21世紀は幕開けした。
2010年代になって、イスラム過激派のリーダーのオサマ・ビンラディンが米軍によって射殺され平和が訪れるかに見えたが、GDPで日本を抜いた中国は、覇権的姿勢を強め、人権無視の強権国家の姿勢を露にし始めた。ロシアもプーチン大統領が軍国化を目指し、ウクライナのクリミア半島を軍事併合した。アメリカは、オバマに対する反動から白人優占主義のトランプが大統領になり、英国はEUからの離脱を模索し始め、社会の分断が進んだ。日本も、東日本大震災と福島原発事故によって、国民の危機意識が高まり、自民党が再び政権を奪った。一度は、リベラル化するかに見えた世界は、日本も含めて保守的な方向に舵を取り始めた。
2020年代の現在になると、香港の民主勢力を圧殺し、強権を露骨に示す中国や、ウクライナに軍事侵攻するロシアに対する警戒が欧米・日本を覆うようになった。しかし、EUを離脱した英国や、2020年にバイデンには敗戦したが、2024年の再選を目指すトランプの動きが目立つアメリカなど、まだ、世界は民主主義的資本主義の改良・推進体制が固まっていないように見える。特に2022年は、戦後70年にわたって君臨したエリザベス女王の老齢による死亡、再復活を目指す安倍元首相の射殺などが生じ、コロナ感染もまだ完全終息せず、不安な新時代の幕開けが印象付けられた。
1990年代から見れば、世界は欧米主導の民主主義国家と中国・ロシアの強権国家との対立が鮮明になった。イスラム過激派と欧米民主主義国家の対立は、2021年の米軍のアフガニスタン撤退によって終息したかに見えるが、イスラム諸国の民主化は不完全に終わった。今後、G7国家と中国・ロシアの対立は深まるものと予測され、イスラエルやサウジアラビアとイランの対立も深まり、第三次世界大戦の可能性が高まっている。
この流れの中で日本の核武装化も叫ばれるようになったが、日本はあくまで平和国家としてのスタンスを守るべきです。第三次世界大戦は避けられないとしても、日本は平和を模索する姿勢を変えるべきではない。
この第三次世界大戦は、イエス・キリスト生誕以来、2千年の人類の歴史を裁くものであり、自然を破壊し、物欲にかられて信仰心を忘れた人類に対する神の裁きとしての性格がある。日本でも、塩谷信男、政木和三などのまともな心霊研究家も今世紀の悲劇を警告して来た。
結論は、聖書を読んで世界平和を祈ることが、今世紀の日本人に求められることです・・・